戦争、というとき私が咄嗟に思い浮かべるのは『プライベート・ライアン』の冒頭の、ノルマンディー上陸作戦を描いた、大人数の身体がぽんぽん破壊されていく場面のことだが、しかしそれは伊藤計劃『虐殺器官』の主人公が、動画サイトのサンプルが冒頭十五分間だけ観られるという理由で軍の同僚たちとピザを片手に観ていた、その記述を読んで興味を抱いて『プライベート・ライアン』を、私もたしか宅配のピザだったか、何かジャンクな食べものとコーラをかたわらに置いて観た、そうやって物語を辿りはじめた個人的な記憶のせいで実際より印象深く憶えているのかもしれない。いずれにせよそれは第二次世界大戦のことだ。そのころフランスは全土がドイツの占領下にあった。そこで戦ったのはアメリカを中心とした連合国軍とドイツ軍で、そのなかにフランス人がどれだけいたかは知らない。フランス人──一九一五年に生まれ、ノルマンディー上陸作戦が戦われた一九四四年には二十九歳になっている、ジャックとジェンニーの子ジャン・ポールが、そのなかにいたか、どうか。
『チボー家の人々』最終五巻を読みながら私が考えていたのはそういうことだった。本巻に収録されているのは第七部〈一九一四年夏〉の終盤と第八部〈エピローグ〉の全篇だ。前者ではチボー家の弟ジャックが死に、後者では兄のアントワーヌが死ぬ。
社会主義運動に身を投じていたジャックは、開戦直後の七月、反戦ビラを最前線で戦う仏独両軍の上でばらまくために、同志が操縦する小型機に乗りこんだ。しかし目的を果たすことなく、機材のトラブルで飛行機は墜落する。両足が潰れるほどの大怪我を負って身動きが取れず、喋ることもできないジャックはフランス軍の部隊に発見され、ドイツ軍のスパイだと疑われて、事情聴取のために移送されることになった。そしてその途中で起きた戦闘のさなか、仏軍兵に射殺される。戦うにしろ逃げるにしろ、下半身をほぼ失った人間を運んでいては助からない。しかもジャックは敵国の人間だと思われていたのだから、なおさらその命は軽い。彼を殺した兵士は、〈「畜生! ……畜生! ……畜生! ……」〉と叫びながらその場を走り去った。
いっぽうアントワーヌは、開戦から三年後、戦地で毒ガスを吸った。戦地を離れて入院し、医師としての研究を続けながら療養を受けている。パリに戻って家族やフォンタナン家の人々に会い、すこやかに育つジャン・ポールを見、恩師の診察を受けもする。銃後のおだやかな日々。しか毒ガスは時間をかけて彼の身体を蝕み、死が遠くないことを悟ったアントワーヌは、自分の最期の日々を日記につづりはじめる。作品はそれ以降、彼の日記の体裁のまま、地の文の語りに戻ることなく続く。そして四ヵ月半ののち、彼は、どうやら自らの手でけりをつけた。彼の日記である以上、その瞬間が描かれることはない。だから私たちは、彼が医師として、自らの手で父チボー氏の病の苦しみを終わらせたときの記述を重ねてこの、衰弱しきっているにしては明晰な言葉で綴られる一連を読む。
私たちが一巻からその姿を追ってきたチボー家の兄弟はそれぞれの場所で、それぞれ一人で死んでいった。これでチボー家は断絶した。
しかし、死の直前にジャックが愛しあっていた、フォンタナン家の長女ジェンニーは、彼の死のあとで子を産んだ。それがジャン・ポールだ。二メートルほどの高さの盛り土の山を、あえていちばん傾斜が急なところから登ろうとし、何度転がり落ちても取っ組み続けるその姿に、アントワーヌは〈チボー家一流の精力主義〉を見出している。家系としては断絶しても、チボー家の人々の系譜はかろうじて続いているらしい。
しかし、ジャックに認知されていないジャン・ポールは、チボー家ではなくフォンタナン家の(ダニエルやジェンニーが結婚して子をなさないかぎり唯一の)跡取りとして育つだろう。四歳で第一次世界大戦が終わり、戦間期に育つ。物心ついたころにパリ五輪を観、次第に情勢がきな臭くなっていくなかで青春時代を過ごす。そして二十四歳で第二次世界大戦がはじまる。第八部〈エピローグ〉が刊行されたのは一九四〇年だ。ナチス・ドイツがフランスに侵攻をはじめた年。そのときジャン・ポールはどこにいるだろう。『チボー家の人々』を読んでいるだろうか。三十歳の終戦を、生きて迎えられるだろうか?
これですべて読み終えた。授業で高野文子『黄色い本』を読んだのは大学二年か三年生、ということは十四年ほど前のことだ。主人公の倫子が、高校卒業と就職を目前に、日常(と返却期限)に追われるように作品にのめり込んでいくのを、私はどこか羨むような思いで読んでいた。私に摂って『黄色い本』は楽しむためではなく、ゼミで発言するために読むものだった。そうやって、分析して論じるために小説や漫画を読む習慣を身につけつつあった時期だ。今はもう、そういう読みかたしかできない。
実地子は読了にあたって、ジャックに語りかけていた。
いつも いっしょでした
たいがいは 夜
読んでない ときでさえ
だけど まもなく
お別れしなくては なりません
コマに大写しになった実地子の顔に、窓を垂れ落ちる雨粒の影が落ちている。その影は涙の雫のようにも見える。今では私は、それが単なる別れではなく、死んでいったジャックを悼む涙だったのだと知っている。
この長いモノローグのなかで、実地子は作中のいくつかの場面を振り返っている。家出先のマルセイユで泣きそうになりながらさ迷うジャック、メーゾン・ラフィットの小径でキスをするジャック、数年後のスイスでチョコレートを煮立たせるジャック。数ヶ月かけて読みながら強く印象にとどめたシーンなのだろう。私なら、と、『チボー家の人々』を起読してからの九ヵ月ほどのことを振り返る。読む時間は日常のなかに溶け込んで、だいたいは自室の机にA5版の厚いソフトカバーを広げて読んでいたのだが、そのときどきの気候や体調、飲んでいたお茶やお茶菓子、流れていた音楽のことを考える。
家出先のマルセイユでジャックとはぐれたダニエルが、行きずりの女の家で寝たと言えずにでっち上げた、ベンチの上で明かした雨上がりの夜の冷たさ。動員されたアントワーヌを見送る停車場でジャックが見た、今生の別れになるかもしれない時間を惜しむ親子。ビラを撒きに飛び立つ直前の夜、街をさ迷うジャックが見かけた、乳母車をゆすりながらパンを貪る女。メーゾン・ラフィットでジャックの求めに応じてジェンニーが弾くショパンのエチュード。アントワーヌの最期を見下ろす水兵襟のアメリカン・ガール。私が振り返るのはそういうものたちのことだ。主人公のジャックより、そういう背景に描き込まれるもののことを印象に留めている。
本作を読んだすべての読者が、それぞれの時間をかけて読了し、それぞれに違うものを思い浮かべながら本書を閉じる。終わってみればチボー家の人々は、そのほとんどが失意や絶望のなかに命を落とす。暗鬱な筋だ。それでも読者(たち)の心にそれぞれの印象を残す、豊かな小説だった。
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