ゲラを読む 2025.2.5~2025.5.8
- 涼 水原
- 5月30日
- 読了時間: 72分
2月5日(水)晴。今日は集英社から出る『筏までの距離』に入れる書き下ろし短篇の設計図を作る日。ウンウンうなりつつ、A7(文庫の半分)サイズのメモ用紙に書いては捨て書いては捨てを繰り返す。ときどき読書をしてインスピレーションを待ちつつ。
午前は良いのが出てこず、午後二時にジョグ。今日も走ってる途中でハイになる。体調不良もあってしばらく休んでいたのだが、身体が走ることの快を思い出してくれているのかもしれない。うれしいな。
帰宅して汗が引いたあともウンウンやって、三時すぎにとつぜん(ようやく)アイデアが湧いてきた。そこからは休みなく、三時間ほど集中。良い短篇になりそう。編集者T氏からは、単行本にするにあたって一篇か二篇、合わせて七十から九十枚くらい書き下ろしがほしい、と言われている。締切は二月二十日、ということは、あと二週間くらいしかないではないか。
今日つくったプロットは五十枚くらいになりそう。ひとまず明日これを起筆して、もう一篇はそのあとで考えましょう。
晩めしを食いながらバスケを一試合観。終わったあとウトウトした、がムクリと起きて洗濯と洗いものを済ませ、二時すぎまで作業。
2月6日(木)快晴。寝不足で頭のめぐりが悪い。この状態で新しい作品を起筆するのは危険な気がする、ので、方針を変更して、『筏までの距離』の書き下ろしのもう一篇の設計図を作る日とする。しかしこういう日は発想力もにぶっているものなので、ウンウンうなってはメモ用紙を書いては捨て書いては捨て。ときどき読書やジョグをして、それでもいまいち出てこない。
しかし夕方、ゴミでも出しに行くか、と袋を括って玄関を出たらちょうど日が暮れるところで、ビル街の上の夕陽を見た瞬間とつぜん降りてくる。浮かんだ言葉を口のなかで転がしながら階段を駆け下り(我が家はエレベーターがないのだ)、ゴミ置き場に放って駆け上がり、ゼーハーいいながらメモを生産する。しかしちょっと抽象的すぎて、これを小説のかたちにするにはどうすれば、という感じではあるが、ともあれ種はできた。
明日から五十枚のを書いてるうちに、短篇集に足りないものが見えてくれば、この短篇も具体性を獲得するかもしれない。
夜、十一月から一月の日記を公開する。丸二ヶ月なもので百枚超の、なかなかすさまじい長さになっている。
晩めしに長谷川あかりレシピの鶏むね肉の里芋ソースを作る。食いながら、二月一日にやってた某トークイベントの配信を観。テーマに挙げられてる本を未読なので、その著者の造語も飛び交う議論には理解できないところも多かった。登壇者の一人が、今のジュブナイルノベルはとにかく〈溺愛〉というのがブームになっていて、たとえばつばさ文庫で〈溺愛〉で検索するとたくさん出てくるんですよ、と言っていたのを聞いてさっそく角川つばさ文庫のキーワード検索で〈溺愛〉と調べてみると、〈お探しのキーワードでは見つかりませんでした。〉という結果。適当にしゃべってんなあ。
2月7日(金)快晴。十一時から歯医者。予約の時間に行くと待合室がいっぱいで、しばらく立って待った。新型コロナが五類になったころだったか、マスクを外して生活することにした人たちの受診が増えた、というのを聞いたことがあるが、そのブーム(といっていいのか)がまだ続いてるのかしらん。
帰宅して始業、と思ったが、どうも歯医者の日は焼尽して頭が回らない。二つの短篇の書き出しを試しては消し、試しては消し。友人に進捗を訊かれて、カンマをひとつ削ったことを誇らしげに話したというオスカー・ワイルドへの憧れはあるし、そのことは星海社から出る『恋愛以外のすべての愛で』にも書いた、が、それでは締切までに短篇が書けないのだ。
けっきょく六時ごろに退勤したとき、Wordファイルは始業時とまったく変わらない白さ。まあこういう日もある。しかしちょっと、明日からはペースを速めなければ。
といいつつ、終業後はノンビリする。夕飯は牡蠣の炒飯を作る。朝のスーパーで牡蠣が半額になってて、思わず二パック買ったのだ。食いながらバスケを一試合。
2月8日(土)快晴。今日は読書の日。
午後三時から、B2福岡対富山。序盤からリードして、いいぞ、と思ってたら一時逆転され、しかしなんだかんだ突き放して二十点差の勝利。ジョシュア・スミス(推し)は序盤の三分ほどをプレーしたところで足を痛めてその後は欠場。自分の足で歩いてたから、そこまで重傷ではない、と思うのだが、ちょっと心配。その後ももくもく読んで、夜にもバスケを一試合。
2月9日(日)快晴。起きてちょっと作業。しかし午前のうちに退勤して、今日も読書の日。
バスケを一試合挟んで夜まで本を読み、晩めしを食いながらバスケをもう一試合。十時ごろ無性に腹が減り、肉まんとピザまんを蒸し、冷凍の炒飯をチンして食い、それでも足りずにもう一度冷凍の炒飯をチンして食い、ようやく落ち着く。
2月10日(月)快晴。寝起きが悪く、たいへん面倒だったのだが起き上がってシャワーを浴び、髭を剃る。
いまいち面倒なことに手を着けるとき、やる理由が二つあればやる、というのをなんとなくの方針にしている。面倒だけどやるかどうか逡巡してるということはやったほうがいいということだし、そういうことにはだいたい二つはやる理由があるものだ。今日も、十時半から整体を予約していて、①昨夜風呂に入ってない状態で整体に行くのは良くない、②髭は洗面所よりシャワーを浴びながらのほうがきれいに剃れるし楽、という二つをひねり出し、エイヤッと服を脱いだ。
午後になってようやく始業、短篇を……と思った、が、何も言葉が出てこない。今日はもう閉店として、半日読書。
晩めしは長谷川あかりレシピで豚ロースとアミエビのゴマ煮込みを作る。食いながらバスケットLIVEで一月二十九日の宇都宮対千葉を観。宇都宮のケビン・ブラスウェルHCが病に倒れて以降初のホームゲーム、ということで、試合後には球団社長の挨拶があり、かつてブラスウェルの家に一年居候して、彼の子に絵本の読み聞かせもしていたというジーコ・コロネルHC代行のコメントなんかはたいへんエモーショナルで、なんだかもらい泣きしそうになる。宇都宮が勝ってよかった。
試合後、スーパーボウルのハーフタイムショー(ケンドリック・ラマー)も観た。
2月11日(火)快晴。『筏』の書き下ろし締切まで十日を切って、さすがに今日からはモリモリ書かなければならない、ということで、起床即始業。
書き出しのパラグラフというのは、私の場合、ロジカルに導き出せることは滅多になく、何かのインスピレーションが降りてこないと書けない。それでなんとなく堀江敏幸『雪沼とその周辺』(新潮文庫)をパラパラしていたら、そこに書いてあることとはまったく関係のない画が浮かんできて、これだ!となってパソコンの前に座った。しっかりプロットを立てていたこともあり、書き出せば勢いよく流れる。
夕方まで集中して、今日の進捗は八枚ほど。起筆初日にしてはいいんじゃないでしょうか。
2月12日(水)晴ときどき曇。一日作業。もりもり進んで、今日の進捗は十一、二枚。生産量は悪くないのだが、しかしなんだか文章をひねり出した感じがするというか、書くことのジョイの少ない一日だった。あとで消すところが多いかもしれないな。それでもひとまず進んだので良しとしましょう。
2月13日(木)快晴。寝不足で起き、昨夜の食器を洗っていたら、気に入っていた丼を割ってしまう。しばらく落ち込んでから、食器が割れるのはその持ち主の身に降りかかる悪いことを代わりに引き受けてくれているのだ、という、昔バーで働いていたときの常連の言葉で自分を慰める。
ともあれ今日も『筏までの距離』の短篇。昨日いまいち書くことのジョイを感じられなかった、ので、今日はちょっと脇道に逸れて、本筋と関係のないことを書く。イーストウッドの『15時17分、パリ行き』を観たとき、映画の主題になっている鉄道車内の銃乱射事件のことより、のちに犯人を取り押さえることになる主人公たちが旅の途中でローマ観光をしていた場面、のことが印象に残っている。のちにその事件が起きることを知っているからこそではあるにせよ、主題である大事件の場面より主人公たちの観光シーンが印象深い、というのはすごいことだ。作り手としてはどうしても重大事件の瞬間に注力したいものだものな。そういうことを考えながら書いて、たいへんにジョイフルな執筆ができた。
晩めしにおでんを食いながら、U-NEXTで『サ道 2024 誰しも何かを胸にととのう』を観。四十六分の短篇で、主要登場人物と本作で初登場のキャラそれぞれが、日常のしんどさに直面してサウナを目指す、という展開。過去の作品のような、サウナ外でいっしょに何かをする、という場面はほぼないが、新キャラがウーバーの配達員で、街を走りながらツルピカさんとすれ違ったり、蒸し男くんの会社の納会に料理を届けたりする、というやりかたでクロスオーバーする。こういう、別ラインで動かしてる人物同士をほんの一瞬だけ触れ合わせるの、作者としては、小手先の操作でできるわりにドラマを演出した気になれて気持ちいいんですよね。それも登場人物たちのキャラが立ってるからできることではある。
たぶん、出演者たちが多忙すぎてスケジュールを押さえられず、共演シーンをごく短時間しか撮れなかった、ということかもしれない。ともあれ、とにかく各人物がタフな現実に苦悩する場面が作品の大半を占めていて、サウナでととのう場面も、何かが彼らの内心で整理(ととのう!)されたり開き直れたりするような描写はなく、なんというか馴染みのサウナでととのうといういつものルーティンに乗っかってとりあえずととのった、という、ストーリーとして強引なととのいへの到達だった。ととのうことに囚われる必要はないんだ、と、タナカカツキが原作で書いていたような気がするのだが、しかし同時に、こうやって彼らのなかにととのいに到るルートが確立されて、現実がどうでもメンタルがどうでも、とにかくルーティンをこなすことでととのえる、というのは、本人にとっては救いではあるのだろうな、とも思う。しかしさすがに、登場人物五人の苦悩(とととのい)を描くには四十六分はいかにも短く、せめて一・五倍はほしかったような。
2月14日(金)晴。朝の散歩のあとは一日作業。短篇を書いていく。昨日けっこうなジョイのある執筆をしたので、今日はまた本筋に戻る。昨日の楽しさがまだ残っているし、本筋も佳境に入ってきている、ので、書いていてけっこう楽しい。とはいえ、昨夜が遅く今朝が早かったので、やや頭の巡りが、スパークするというほどではなし。ウンウン唸りながら書いていく。
休憩時間はだいたいスマホで漫画を読んでいたのだが、何の気なしにコミックDAYSで大町テラス『一緒にごはんをたべるだけ』の第一話を読んで、あまりのこわさに泣きそうになる。これはすごい……。一昨日一巻が出ていた、ので、即注文した。
晩めしの仕込みやジョグを挟んで、夕方までもくもくカリコリする。五時半ごろに集中が途切れて、気が付けば十二枚ほど書けていた、ので、今日はもう閉店。
夜、豚肉を蒸して食いながらバスケットLIVEで二月一日の大阪対三遠を観。三遠のディフェンスがややユルく、大阪がリードして前半を終えた、が、後半で三遠が盛り返す。けっきょく三遠の逆転勝利。
試合後、三遠・大野ヘッドコーチが、〈Q:今日で14連勝となりましたが、お気持ちはいかがでしょうか?〉という質問に対して、こう答えている。〈A:もちろん毎試合勝ちたいと思っているので、勝利できることは素晴らしいと思いますが、少し選手がリラックスしているかなと感じています〉(三遠公式サイトの試合レポートより)。紋切り型な感じのある〈気が緩んでいる〉とかではなく、〈リラックス〉という言葉を使うのがすごい。指揮官から選手への(メディアを通じた)メッセージとして、きわめて効果的な言葉選びだった。
2月15日(土)快晴。朝の散歩をして始業。昨日の原稿を読み返していたら、修正点がめちゃ多く、時間がかかる。
昼すぎに雨。今日も早めに閉店して、午後三時からB2熊本対福岡GAME 1を観。福岡、シュートはわりに入ってたものの、リバウンドで負けつづけ(というかあまり競り合いもせず)、逆転されて力なく敗戦。前節で負傷離脱したジョシュア・スミス(推し)の存在感の大きさを突きつけられた感じ。明日はどうなるかしらん。
夜、大量の大根を梅と煮たものを食いながら、「イカでいい会」という、いま私がいちばん好きなトーク番組を観る。Bリーグオールスターのときにしか収録しないこの番組を、一年間待っていたのだ。
2月16日(日)明るい曇。もののためしに、いつもは午後二時に出るジョグに、今日は九時前に出た。ふだんと同じコースだけど、朝の空気のほうが清冽な感じ。平日の午後二時と日曜の午前九時は、人通りの少なさ、はそう変わらない気がするが、下校の小学生がいないので静かだった。気持ち良かったな。
帰って息を整えて始業。『筏までの距離』の短篇を進筆。時っ感タイマーこそ使わなかったが、レコードを裏返すときに小休止をすることで、なんとなくポモドーロ・テクニックらしいやりかたができた。ビートルズの赤盤を流していてふと、この短篇のタイトルが決まった。決まった、というか、わかった、というか、すでに書いていた箇所が不意に存在感を増し、そのいくつかの文が、私の(たぶんきわめて偏っている)知識のなかにある言葉とリンクして短篇全体を覆った、という感じ。机に座り、その箇所をタイトルに合わせて微調整する。タイトルが決まると作品も(完成してないのに)据わりが良くなる感じがしますね。
私はタイトルをつけることに苦手意識を持っていて、書き出す前や執筆中にタイトルが決まると安心するのだ。そうやって気持ち良く書けていたからか、昼すぎに完成した。「ロング・スロウ・ディスタンス」、五十五枚。ゴキゲンになって小躍りする。
ゴキゲンのまま散歩して、肉まんとおやきを蒸して遅めの昼食。そのあと十五時からB2熊本対福岡GAME 2を観。今日も福岡は、強度の高い時間もあったのだけどおおむね元気なく、最後は僅差で逃げ切られた。二日続けて良くない負けかた。大丈夫なのか。
そのあと、書評を依頼されているトーマス・ベルンハルト『寒さ』(今井敦訳、松籟社)を読む。百二十ページほどの中篇だが、語り手が結核の閉鎖病棟に放りこまれてから退院するまでの、暗鬱な日々を描いた筋、改行が一つもない文章、と私好みの作品で、そういうとっつきづらそうな構成のわりにテキストのリーダビリティが高く、ユーモラスな場面もちらほらある。これは私が志向してるタイプの作品なのでは……?とたいへん楽しく読んだ。
2月17日(月)曇一時雨。頭のめぐりがいまいち。『筏までの距離』の書き下ろしとしてもう一つ、三、四十枚の短篇を起筆。二十日までに書きたい、推敲に一日あてたいのでできれば明後日までに、と思っているのだが、捗らず。
昼めしを食いながらWOWOWでNBAのオールスターサタデーのコンテストを観。スキルズチャレンジでのクリス・ポールとウェンバンヤマのズルっこ(失格)、マック・マクラングの物理法則を無視したダンク! 興奮したですね。
そのあとでようやくスイッチが入り、一気に七、八枚書く。このペースで二十日までやれば三十枚くらいにはなるか。
晩めしを食いながら、Gリーグのオールスターを観。河村勇輝・富永啓生の両選手が、大活躍、というほどではなかったが、元気そうにしていてうれしい。
そのあと、衝動的にドミノピザのチーズ三兄弟という、チーズと生地を三層に重ねた上にチーズと肉が乗っかった、ばかみたいなやつを頼む。食いながらNBAオールスター本戦を観はじめた、が、賑やかしと選手紹介(それだけで一時間ほどかかった)を観てるうちに、血糖値スパイクで眠気がくる。それで一時間ほどウトウトしたが、ムクリと起き上がって日記書き。
2月18日(火)曇、寒い日。胃もたれで起きる。電気ストーブだと思うのだが、ベッドサイドのコンセントのあたりからとつぜん爆発音がした。よく見ると、ケーブルがねじれて被膜が破れ、なかの金属が露出している。これは危険。粗大ゴミの回収の申請をした。冬もそろそろ終わりそうだし、ひとまず次の秋までストーブは買わなくていいかしら。
夕方までもくもく進筆。エビのビスク風カレーを作って、食いながら昨日の続き、NBAオールスター本戦。例年のオールスターで、選手たちがあんまりまじめにプレーしないのがつまらない、と言われていて、今季ははじめて、四チームによる、四十点先取制のミニトーナメントとして行われた。それが功を奏したのか、さすがに公式戦ほどではないにせよ、けっこう強度の高い試合だった気がする。Bリーグの、コメディに全振りしたオールスター(それはそれで楽しいが)とは違う興奮があった。
2月19日(水)快晴。今日も『筏までの距離』の書き下ろし二篇目。一昨日と昨日に書いたところを読み返してたら、けっこう良い作品な気がしてきた、ので、ゴキゲンになってもりもり進筆。午後二時半のジョグを挟んでずっとやって、三時半ごろ書き上がる。三十五枚。
どちらも最終的な推敲をする前だけど、二作合わせて九十枚くらいだから、編集者T氏のオーダーの上限ぴったりの枚数。ともあれ、明日全体を読み返して推敲して送稿。間に合いそうだ!
そのあとは読書。開高健「巨人と玩具」を、高校生以来の再読。開高健は小説が上手い。人間の厭らしさの書きかたが上手いんだよな。宮本輝が、自分のなかに何人もの人間を持っていることが良い小説家の条件だ、とどこかで書いていたことを思い出す。
2月20日(木)快晴。十一時から歯医者。前回、義歯をつくるための型を取ったのだが、そうやって作った模型に不備があったとのことで、今日は型を取り直すだけ。二十分ほどで終わり、支払いも二百円だけだった。
そのあと図書館に行こうとした、ら、入口のあたりから子供の泣く声が聞こえる。図書館はこども園と同じ建物にあって、入口を共有しているのだ。たぶん二歳くらいの男の子が、やだ、と、きらい、のふたつを連呼しながら泣き叫んでいた。私より一回りくらい歳下に見える、ということは二十代前半の女性がしゃがんで、子の泣き声より大きな声で話しかけている。
ねえもう、いっつも喧嘩するんだからさあ、ミオカちゃんといっしょに遊ぶのやめなよ。
やだあ。
だって喧嘩しなかったことないじゃんミオカちゃんと会って。
きらい。
きらいなんでしょミオカちゃん。
きらい。
じゃあもう遊ぶのやめよ。
やだあ。
じゃあどうしたいの。
やだあ。
その横を、すんません、と思いながら通り過ぎて入口に入った、ら、図書館フロアへの階段がバーで塞がれていて、〈本日は休館日です〉の札が下がっていた。
男の子が、入ったと思ったらすぐに出てきた大人(私)を不思議そうに見上げ、やだあ、とちょっと小さくなった声で言う。すんません、と思いながらまた通って帰路に就いた。
後ろから、もうここ来るのやめよっか、と母親が言うのが聞こえた。
うう、と子は唸り、母親が、とりあえず今日は帰ろ、と言って、うん、と子が返す。二人の声はそれで止んだ。
なんだか私という闖入者が子を大人しくさせることに貢献できたような。しかし日記を書きながら思い返すと、ああやって玄関前で大きな声で喧嘩相手の名を挙げるというのは、保育園のスタッフに聞かせようとしてたのかもしれないな。ミオカちゃんやその保護者もまだ園のなかにいたかもしれない。
昼めしを食ってようやく始業。二篇の書き下ろし短篇の推敲をやっていく。途中でIKEAの棚やラックが届き、ちょっと組み立てはじめたのだが、原稿をやっつけたあとにしよう、としばらく放置。外が暗くなったころようやく終わる。最後まで決めかねていた二萹目の題を「坂で会う」にして、Tさんに送稿。それから棚とラックを組み立てた。
夜、BSで男子バスケのアジアカップ予選、中国対日本を観。すでにどちらも本戦出場を決めていて、日本は若手主体、中国は前回対戦時に日本に負けたので国の威信をかけて良い選手を揃えてきたそう(といいつつ、ロスター十二人のうち六人くらいは一軍でも出られそう、という言いかただったので、一・五軍ということですね)。しかしもう前半から、中国の強さを見せつけられつづける展開。日本もときどき個人のひらめきでよいプレーを見せはするのだが、途中からはもうサンドバッグというか、向こうはぜんぶ上手くいくしこっちは手も足も出ない、みたいな展開だった。あまりに退屈で眠くなっちゃった、ので第四クォーターで止めてしまう。カタール大会前の森保ジャパンの試合を観てるような感じというか、何も面白さがなく、本大会への期待も感じられない。森保ジャパンはそれでも(個の力がアジアでは抜きん出てるので)それなりに勝てていたのだが、今日の試合はちょっと、二〇二三年夏の男子ワールドカップ以降の盛り上がりに冷や水をぶっかけてしまうのではないか。おれが心配することではないか……。
2月21日(金)快晴。朝の散歩中、整体の先生とすれ違い、会釈をしあう。そのあと十時から整体。さいきんよく通りで会いますねえ、と言われる。整体院が我が家のふたつ隣のマンションの一階にあるのだ。
地元紙のコラムのために、松永美穂『世界中の翻訳者に愛される場所』(青土社)を一日かけて読む。夜、バスケットLIVEで今日の福岡対鹿児島を観。今シーズンの同一カードは二勝二敗、うち三試合が一桁点差で、今日も拮抗した展開になるかと思ってたのだが、百二対六十九の大差で福岡が勝った。こういうこともある。シーズンの後半にいたって、優勝を狙うチームと昇格チームの地力差が出てきたのかもしれないな。
2月22日(土)晴、一時曇。のんびりした本休日。ぷらぷら散歩したり読書をしたり、ちょっと走ったりバスケを観たり。
2月23日(日)快晴。一日伏せる。それでもバスケを一試合。
2月24日(月)快晴。やや回復。トーマス・ベルンハルト『凍』(池田信雄訳、河出書房新社)を起読。『寒さ』の書評のために、ベルンハルト作品をぜんぶ読むのだ。しかしめちゃ長いので一日では読了できず。続きはまた明日。
2月25日(火)快晴。宇都宮ブレックスのケビン・ブラスウェルHCの訃報。一月にとつぜん倒れて救急搬送され、一命は取り留めたものの合併症を発症してずっと入院していた。回復を祈るファンにHCからコメント、みたいなのも一度もなかったから、たぶん意識を取り戻さないまま亡くなったのではないか。松田直樹のことを思い出して朝から悲しくなる。
朝の散歩をして帰ったら洗濯機が、残り六分、というところで止まっていた。たぶん最後の脱水の途中。排水フィルターが詰まっていたのを取り除いて再開した、が、二、三度回るだけでまた止まり、残り六分から進まない。一時停止してやり直したり、再起動して(コンセントも一度抜いて)十分間の脱水コースでスタートしても二、三回転で終わる。にっちもさっちもいかず、ためしに洗剤を入れ直して最初からやってみた、ら、上手くいった。何だったんだ。
そのあと今日締切の日本海新聞のコラム。どうも頭の巡りが悪い、が、集中できなくともとにかく机の前に座り続けていれば言葉はひねり出せるし、やってれば頭もそっちを向いて、良い言葉が出て来ることもある。どうにかこうにか、ふだんより時間がかかったものの、午後の早い時間には書き上げた。
それで今日はもう閉店。ブラスウェルHCが最後に指揮したブレックスの試合を観ようと思った、が、バスケットLIVEでは一ヶ月経つとフルマッチの動画は削除され、ハイライトだけしか残らないのだった。
2月26日(水)快晴。『筏までの距離』が、ひとまず今週中に入稿するそう。初校ゲラまでは別の仕事。ベルンハルトをもりもり読まねば、と思いつつ、読むばっかでは書き仕事の筋肉が衰えてしまうな。
今日は星海社の長篇、『恋愛以外のすべての愛で』の作業。そういえば、送稿時は仮題のつもりだったのだが、いつの間にかこれが正式なタイトルになっている。担当の丸茂さんと打ち合わせしたときに相談すればよかった、と思ったが、まあ書きながら他の題を思いつかなかったし、これでいいのだろう。今日は丸茂さんのコメントをもとに修正していく。ひとまずあまり頭を捻らずに修正できるところ(細かい語句の調整とか)を直していく。
正午からオンラインでカウンセリング。一昨日のブラスウェルの訃報以降メンタルが参っていることを話す。今回は何かワークをするわけではなく、ただ話しながら解消していく、という感じのセッションだった。その死の何が、どのようなかたちで私に影響しているのか、ということを、カウンセラーの促しに導かれて考えていく。
どういうヘッドコーチだったのか、と話の流れで訊かれる。私がバスケを観はじめたときブラスウェルは宇都宮のアシスタントコーチで、今季ヘッドコーチに昇格した。だから氏の志向するチームのスタイルとかはよく知らない。しかし彼は表情豊かで、思い返すと、真剣な顔も多いけど笑顔の写真が多かったような気がしている。そういうことを、氏についての乏しい記憶からつらつらと話しているうち、ふと、今になってようやく、ブラスウェルの死が悲しくなってきた。
そういえばこの二日、氏が亡くなったことを悲しんでいなかった、と気づく。彼が死んだことは私にとって何よりも、まだ若く健康に見えていても突然死んでしまうこともある、だから私もすぐに死んでしまうかもしれない、という、自分の死(の予兆)を告げる脅威、のように感じられていたのだと思う。もちろん、彼の健康状態(や死)が私の健康に直接影響することはない、と頭ではわかっている。しかし私は、ブラスウェルに限らず、さまざまな、寿命というにはあまりに早い死を、私が遠からず死んでしまうことの傍証として捉えていた。オーバーカップリング。SNSやニュースアプリを見ていると、ぜんぜん知らん人の訃報を目にすることがある。それまで名前を聞いたこともなかった人が、何かの病気や事故で亡くなった、という出来事を、そのニュースを見なければ、私が知ることもなかっただろう。それでも見てしまえば、その訃報が私の死をも引き寄せるように感じられる。新聞のおくやみ欄とかでも、だいたい七十代から九十代の人が並んでいるなかに、ときおり十代や二十代、今の私と同じ三十代で亡くなった人がいて、親や配偶者の名が喪主として挙げられている。そういうのを見ると、おれの名も数年以内にここに並ぶかもしれんな、とふと思ってしまう(そういえばいま講読してる東京新聞にはおくやみ欄がなく、こういうことを考えずに済んでいる)。
そこまで考えて、そういえば、私は松田直樹の死を悲しんでもいなかった、と気づいた。二〇一一年の八月に、彼が倒れ、亡くなった、というニュースを見て以来、私は彼の死(とそれが自分に引き寄せるであろう死)を恐れるばかりだった。それが、十三年半も経ってようやく、好きなサッカー選手が死んでしまったことが心底から悲しくなった。涙が出そうになった。ブラスウェルと松田の死。松田が死んでから、私は彼がプレーする映像を一度も観ていない、ということにも今さら気づく(訃報や回顧特集で生前のプレー動画が数秒流れる、ということはあった)。私にとって十三年半、松田は、好きなサッカー選手である以上に、心臓発作で突然死した人だった。ブラスウェルも、氏が倒れて以来一ヶ月、良いチームのヘッドコーチではなく心臓発作で倒れた人であり、一昨日からは、心臓発作で突然死した人、になった。その人の死だけしか見えてなかったんだな。
三島を、とりわけ遺作の『天人五衰』を読むとき、どうしてもあの最期のことを考えずにはいられない、のと似てるような。しかし三島と違って、私がその存在を認識したあとに急死した人の死は私にとってあまりに生々しく、自分にまで波及してくるように考えていた。機序がわかったことでその錯覚も解けた。それでようやく悲しめた、のだと思う。
今日は良いセッションだったな。これでカラリと元気になることはない、だろうけど、オーバーカップリングの解消が見えた。メンタルが上向いていくための重要な一歩だ。
ゴキゲンになった勢いで夜、『凍』を読了。ベルンハルトは良い……。
2月27日(木)快晴。花粉がひどく、頭が朦朧とする。
今日も午前は『恋愛以外のすべての愛で』。担当の丸茂さんはけっこう、文学観、じゃないな、文体観が私とは違っている。とりわけ、情報の出し(渋り)かた、という点で、私が筆を止めたところよりさらに数歩踏み込んだ説明や描写を求めるコメントが多い。双方の考える最適解をすりあわせて、落としどころを探りつつ改稿。他人の目を経るというのはこういうことだ、し、こうやって起きるコンフリクトこそが作品を良くする。
昼休みに論文をひとつ読み、そのあとは書評に向けてベルンハルト。とにかくグイグイ読みまくるのだ。
2月28日(金)快晴。今日も午前は星海社、午後はベルンハルト。リズムができてきたぞ。
3月1日(土)快晴。「イカでいい会」のMCである渡邉裕規が、『すばる』の今月発売号からエッセイの連載をはじめる、というお知らせが出ていた。なぜ。
昼間で作業をやって、午後二時前にジョグに出。まず貸出券だけ持って図書館に行き、ベルンハルトを返してベルンハルトを借り、自宅の郵便受けに本を放りこんで走り出す。
途中、六十代くらいの女性がゆっくり漕ぐ自転車を追いこす。うしろのシートには二歳くらいの子供がいて、足をじたばたさせていた。子が何かを問いかけて(たぶん漢字の読みかたを訊いていたのだろう)、女性が、あれはねえ、と答えた。
とこなつっていうの。
とこなつってなあに?
ずっと夏のこと。ずうーっと、夏。
ずうーっとあんなに暑いの? やだねえ。
そうねえ。でも昔はそれが幸せだったのよ。
そのあとのやりとりは聞こえなかった。たしかに、〈常夏の島〉とかが顕著だけど、常夏、という言葉には、なんとなく幸せというか、向日性の多幸感、のようなニュアンスがある。でも去年の夏はほとんど災害といっていいほどに暑かったし、そう多くの夏を経験していないあの子は、夏といえば命の危険を感じる猛暑しか知らないのだろう。今の私にとっても、夏とは息苦しいほどの熱暑の季節のことだが、かつては夏休みというのがあった。常夏の島に行きたい、とまでは、暑いのが苦手な私は思わなかったが、ずっと夏(休み)ならいいのに、とは、毎年の夏に考えていた。昔は夏が幸せだったな。
ザッとシャワーを浴びて、三時からB2福島対福岡。会場が須賀川市の円谷幸吉メモリアルアリーナで、円谷幸吉というと私にとっては都築響一『夜露死苦現代詩』(ちくま文庫)で紹介されていた遺書のことだ。しかし当然ながら、画面にその遺書を思わせるような要素はない。福岡は、第二クォーターで突き放したと思ったら第三で詰め寄られ、しかしその後なんとか点差を広げて十一点差の勝利。東地区最下位(福島)と西地区首位(福岡)の試合というには拮抗した展開だった。
終わったあとはちょっとウトウトしそうになった、が、ムクリと起きてベルンハルト。もくもく読んでいく。
夕食に柚子胡椒の鱈ご飯を炊き、しらすと三葉の湯豆腐を作り。温まった。
3月2日(日)曇。気圧低く、どうも首と頭が痛い。たまらずロキソニンを飲んだ。
このペースだと書評が間に合わないかもしれない、ので、しばらく星海社の作業は止めて、ベルンハルトを読みまくる。
しかしジョグはするしバスケも観る。一時半から、福島対福岡の二試合目を観。リードチェンジが多く、今日も拮抗しとるなあ、と思ってたらだんだんリードされてる時間が長くなり、そのまま負けた。
試合中にふるさと納税のうなぎが届く。愛知県西尾市。おやつの時間に、白焼きを白米に乗っけていただいた。たいへんに美味く、元気になった!
夜までもくもく読む。今日は読書をして仕事(読書)をして走って美味いもん食ってバスケを観た。動きは少ないけど内面が充実した一日だったな。そう思うのは、書評の締切が十日後に迫っているから、という事情によるとはいえ、長時間集中して本を読めているからだ。メンタルがどん底のときはとにかく気が散って、没頭する、ということがほとんどできなかった。何かに取り組もうとしてもすぐ、発作の恐怖や生きることのしんどさが割り込んできて、本来やりたいことから意識が剥ぎ取られる。それで細切れにしか書けなかったし、長い(二百五十ページに改行が数個しかないような)小説を一日で読むなんてできなかった。今はそれができていて、(小説の良さとは別に)そのこと自体のよろこびがある。回復してきたんだおれは。
3月3日(月)雨のち雪! 遅めの朝食に鰻丼を食い、雨のなか散歩。帰宅して、今日も今日とてベルンハルト、自伝五部作。
読んでるうちに外では雪が降り出す。雪国の出なもので、雪を見ると手もなくはしゃぐ。庭があればよろこんで駆け回るところだが、マンション住まいなので椅子から立ちもせずベルンハルト。
自伝五部作は一冊が薄いのでグイグイ読んでいく。しかし二冊半読んだあたりで、だんだん文字が頭を滑っていく感じがしてきた、ので今日は閉店。バスケを観て寝。
3月4日(火)曇のち雨、雪。朝の散歩でスーパーへ。カゴに入れながらなんとなく頭のなかで計算していた値段の、一・五倍ほどの会計。とにかく物価が上がっている。
帰宅して今日もベルンハルト。自伝五部作の、既読の『寒さ』を含めた残り二冊半。夕方に読了して、また別のベルンハルト。
3月5日(水)雨。起きたら周囲の家の屋根が白くなっている。雪だ! うれしいなあ。しかし三月だというのに寒い。こないだ電気ストーブを捨てたときは、今季はもうストーブが必要になるほど寒くなることはないでしょう、と思っていたのだが。
今日も今日とてベルンハルト。『私のもらった文学賞』(池田信雄訳、みすず書房)がめちゃ面白い。薄くて短時間で読めた。
夕飯は長谷川あかりレシピでパセリとレモンの水餃子。餃子を包むなんて何年ぶりかしら、と考えてみると、たぶん学部の一年か二年とかのころ、誰かん家で餃子パーティをしたとき……? と考えると十五年以上経っている。あのときは、メンバーのなかに中華料理屋でバイトしてる人がいて、彼が職場から良い調味料だか食材だかを失敬してきたおかげでたいへんに美味かったのだった。今日の水餃子も美味かった! 玉ねぎやパセリを刻んだり餃子を包んだりするのはたいへんにマインドフルな作業だ。またやりましょう。
バスケを一試合観、阿部博一・小野ヒデコ『サッカーで、生きていけるか。』(英治出版)を読む。阿部はJFL時代のV・ファーレン長崎で三年プレーして、最終年にプロ契約を結んだ人。そういう、中層以下のリーグでプレーしてる人、上位リーグに所属してても出場機会が少なかったり、引退後のキャリアが安泰ではなさそうな人、を本書では、〈プロサッカーのリアルにいる選手〉と呼ぶ。たとえばワールドカップに出るようなトップ選手だってリアルにいるのだから、〈プロサッカーの厳しさに直面している選手〉とかのほうがより対象を表しているように思う、が、それを〈リアルにいる〉と名づけることこそがリアルというか、阿部の、自身のキャリアへの自負が生々しく反映されているような。
ともあれ、多くの人が目指していて、それなりの数が夢を実現させるが、成功するのはごく少ない一部、成功しなかった者にはきわめて冷淡で、そういう人たちの言葉というのはなかなか目にする機会がない、という点で、プロサッカー選手というのは小説家と近いところがある。それでたいへん身につまされながら読んだ。引退したサッカー選手というのは〈高卒30歳、初企業勤め〉だ、というのはもう、自分に重ねてゾッとしたですね。
3月6日(木)曇。朝イチ歯医者、それから始業、今日も今日とてベルンハルト。夜までずっと読む。
著者自身が語り手である(ように読める)「ヴィトゲンシュタインの甥」(岩下眞好訳、『破滅者』(みすず書房)所収)のなかに、〈この私は毎日午前中に本や新聞を読むことになににも増して大きな価値を置き、〉(P.114)というフレーズがある。午前中は書かない、ということは、午後に執筆する、ということなのだろうか。大江健三郎は三年ごとにある作家や思想家の仕事を丹念に読むことにしていた、それも〈一日の中心の時間〉に、と『小説のたくらみ、知の楽しみ』に書いていた。朝起きてから二時間とかがいちばん脳がはたらく時間だ、だからその時間にクリエイティヴな、重要な作業をするべき、みたいな仕事術を見たことがあるが、まあけっきょくこういうのは人それぞれで、他人のやりかたを参考にするのは、自分の規律を見つけるための過程でしかない。
昨日の水餃子がたいへんに美味かったので、今日の夕飯はパセリをパクチーに変えてまた水餃子。一日ベルンハルトのことを考えてたので、材料をみじん切りして捏ねて包んで、という作業に没頭してリセットできたのも良かったな。美味かったし。食いながらバスケを一試合観。
3月7日(金)快晴。今日も一日ベルンハルト、夜は三日連続で水餃子。今日はセロリで作ってみる。しかしセロリ自体が水を多く含んでいて、ちょっと水っぽくなっちゃった。そのせいか、料理酒のアルコールがあまり飛んでおらず、食べてちょっと酔っぱらう。こういうこともある。
3月8日(土)曇。今日も今日とてベルンハルト、『古典絵画の巨匠たち』(山本浩司訳、論創社)。三百ページ以上あるので今日もジョグはなし。かわりに、というわけでもないのだが、昼すぎに気分転換として髪を切ってシャワーを浴びた。
夕飯に水餃子(四日連続)を作る。今日はパクチー。一昨日の二倍くらいのパクチーを入れ、肉も牛豚の合い挽きにして、料理酒は少なめ。大判の皮にしたら包みやすかったのだけど、そのぶん破れやすくなり、最終的にふやけた皮とつくねをそれぞれ食う、みたいになってしまった。やっぱり水餃子のときは厚い皮を使わねば。改善点もありつつ、たいへんに美味かった。
そのあとで『巨匠たち』を読了。ベルンハルト、最初の『寒さ』のあとは『凍』から原書刊行順に読んでるのだが、読むごとに、これがいちばん好きだな……となるのがすごい。
3月9日(日)快晴。花粉の朝。今日も今日とてベルンハルト、今日は『消去』(池田信雄訳、みすず書房)の上巻。これが最後の長篇。五十代で亡くなった彼としてはこれが最後のつもりはなかっただろう(自伝五部作の続きを書く約束を編集者としていたようだし、『私のもらった文学賞』なんかは没後に発見された遺稿が出版されたもので、執筆途中の長篇もあったかもしれない)が、過去の作品の手法やモチーフが大量に投入されていて、これまでの集大成、のような感じ。
3月10日(月)快晴。今日も今日とてベルンハルト、『消去』下巻。夕方に読了した。これで今回の縦読みは終了(ほんとは戯曲も二冊あるのだが、取り寄せが間に合わず)。明日書評対象作の『寒さ』を読んで、いよいよ仕事にかかる。わくわくしている。
晩めしを食いながらまたバスケ、三月五日の東京対宇都宮。どちらもディフェンスが堅く、たいへん引き締まった良い試合。試合前のアップとかで、宇都宮の選手が頻繁に、ベンチに置かれたブラスウェルHCの写真(遺影)にタッチしている。
3月11日(火)曇一時雨。今日も今日とてベルンハルト、書評対象作『寒さ』。前回読んだときと同じことを感じる部分もあり、ほかの作品を読んだおかげで気づけた主題もあり。面白い。
3月12日(水)雨。今日は書評の締切日。書きためてたメモが八千字超ある、ので、適宜参照しつつ書いていく。昼ごろに雨が降り出し、まあすぐ止むでしょう、と思っていたらだんだん強くなる。春雨?
一四〇〇字程度、というオーダーで、一八〇〇字ほど書いたところで、そういえばあらすじ的な内容紹介を書いてない!と気づいて、一つか二つ要素を削ったりしつつ、どうにか夕方に書き上げた。
3月13日(木)晴。昨日でタフな仕事から解放された、ので、単行本の作業はひとまず置いといて、今日は自由な日。
朝の散歩で近所のタリーズへ。コーヒーを頼んで一人席で本を開いた。外食中に発作を起こしたことが何度かあるせいか、ひとつところに座ってること、に苦手意識がある。それで、徒歩三分のタリーズで外食の練習をすることにしたのだ。一時間弱で、近くの席に賑やかな四人組が入ってきたので席を立つ。
前回この店に来たとき、というのは、二〇二三年の八月から九月にかけて五度ほど、外食の練習のつもりで通っていたときのことなのだが、当時は、三十ページ読む間は耐えられた、みたいな、どうにかこうにか乗り切った、というタイプの成功体験だったのだが、今回は、BGMのジャズに意識を向けられたり、声のでかい二人連れの会話(上司と同僚の悪口)に耳を傾けられたりと、わりにくつろいで過ごせた。
帰宅後、水原涼公式サイトにアップするテキストを書く。二〇二三年の八月、まだデビュー作しか発表していなかった松永K三蔵が自分の公式サイトで、「「新潮」9月号の日記リレー企画に勝手に参加してみた。」という記事を公開していた。それを読んだ二〇二四年四月十八日の日記。
〈日乗〉というブログページの見出しのなかに、「「新潮」9月号の日記リレー企画に勝手に参加してみた。」というのがあった。〈タイトルそのままだが、依頼がなかったので勝手に参加してみた。〉とのこと。文芸誌、たとえば『文學界』は今月号で〈心霊現象〉という特集を打っている。前月の『文學界』では特集はないけど、かわりに(今月号では特集のない)『すばる』が〈ティータイムの効用〉というテーマでやっている。毎月どこかしらの文芸誌が何かしらの特集をやっている、のを見ていると、アレッなんでおれにこの特集の依頼がきてないんだ?とか、おれならこの特集にこういうのを書くかな、と思うことがけっこうある。思うだけでそのアイデアは忘れちゃったり、いずれ書くもののメモに死蔵されたり、日の目を見ないままになりがちなのだが、松永みたいに自サイトで公開すればいいのか、と、メカラ ウロコというかコロンブスの卵というか、なんでそれを思いつかなかったのかしら。
ということで、日記にこう書いてからそろそろ一年が経つ今、はじめてみようと思ったのだ。
群像の「孤独」特集が、一五〇〇字弱でちょうどよかったし、ベルンハルトに孤独についての言及があった、ので、勝手に参加することとした。
夕方に書き上げる。晩めしにシチューを作り、食いながらバスケを一試合、EASL決勝戦、広島対桃園。一次リーグでは広島が二勝してるし、まあ勝利は間違いないでしょう、くらいの気持ちだったのだが、リードされる時間もけっこう長く、どうにかこうにか(桃園が終盤に立て続けにミスしてくれたこともあって)広島が優勝。昨季のBリーグチャンピオンだけど、ヘッドコーチが変わった今季は苦戦していて、それでもこうやってタイトルを取ったのはすごい。
3月14日(金)晴。しかし花粉がひどく、起きたとき鼻が詰まって目が開かなかった。風呂に入って洗い流す。
星海社丸茂氏から、『恋愛以外のすべての愛で』の紹介文の試案が届く。過去に上梓した単行本や、雑誌に載るときの惹句もそうだけど、他人が私の作品を紹介するときの言葉、というのは面白い。私の言語感覚ではちと違和感のあるフレーズが入っていたので、修正案を送った。
そのあとももくもく作業して、昼、気分転換にお菓子作り。Instagramで見つけたレシピでチョコスコーンを作る。ホットケーキミックス、ココアパウダー、バターと牛乳と砕いたチョコを混ぜ、余熱なしでオーブンで焼く、という、かなり簡単な工程のわりにたいへん美味しくできました。満足する。しかし作りすぎて食い切れず。
夜、バスケを一試合観て、眼鏡を外してベッドでゴロゴロしてた、ら、お尻で眼鏡を踏んで壊してしまう。落ち込みつつ、前回買ったときと同じ通販サイトで注文した。
3月15日(土)曇。昨日のスコーンで朝食。自分で作った菓子がうまいとゴキゲンになれるので良い。しかしそのあと、洗いものをしてたら丼の縁を欠けさせ、水のポットをテーブルから落としもした。昨夜からどうも良くないな。
3月16日(日)雨。半日作業、バスケを二試合。
それから読書、彬子女王『赤と青のガウン』(PHP文庫)。これは良い本でした。著者は自身の、特殊な立場だからこそできた経験を、(身分ゆえの苦労も不自由も多々あるだろうに)主に笑い話や人情譚として披露する。Twitterでもバスってたけど、この肩の力が脱けた感じや人柄の良さ、すごく好ましい。
もちろん、いかにも皇族らしいなあ、と思うところも多かった。一介の大学院生ながら英国女王のティータイムに招かれるところとか。そういう個々のエピソードはもちろん、文庫版あとがきの謝辞で、〈本書の連載時に担当をしてくださった永田貴之氏が、PHP研究所の立派な取締役になられ、文庫化にあたり、またご尽力くださったのはとてもうれしいことだった〉(P.396)とあって、年齢は知らないけどPHPの取締役なのだから一九八一年生まれの著者よりははるかに歳上だろう人物、に〈立派な〉という言葉を使うあたりに、やんごとなき生まれというか、大人たちにかしずかれて育った人の言語感覚が見える。抜群に面白かったですね。
3月17日(月)雲の多い晴。今日は確定申告の締切。昼寝から覚めてようやく手をつけた、が、ふだんの準備をちゃんとしてたので、二時間ほどで終わった。やっかいなタスクを短時間でやっつける、というのは、たいへんに満足感の高いエクスペリエンスである。
それから、木曜に書いたエッセイ「孤独の宣伝」を公式サイトにアップする。エッセイのページのURLは〈https://www.ryomizuhara.com/post/孤独の宣伝〉と日本語が入っているのだが、それをそのままTwitterの投稿欄にペーストすると、〈post/〉までしかURLとして読み取ってくれず、うまくリンクが貼れない。私が使っているウェブサイト作成サービスは、〈SNSで宣伝〉の機能を使えば、URLを自動で(すべてアルファベットと記号で)短縮してくれる。それで重宝していたのだが、いつからなのか、そのまま投稿できるようにか、記事の内容をAIで要約したテキストを提案してくれるようになった。今回の「孤独の宣伝」は、〈自然の中での孤独を感じる瞬間。皆さんはどんな風に過ごしていますか?詳細はこちら: https://wix.to/vEeCKzL #孤独の宣伝 #自然〉とのこと。まあたしかに自然のなかで孤独を感じる瞬間について言及してはいるのだが、べつに皆さんがどんな風に過ごしているか知りたいわけではない……。
まだ五時だけど、これで今日の業務は終了とする。短時間でやっつけたとはいえ、年に一度しかやらない作業をしたので疲れ切った。
筍ご飯を炊き、鶏もも肉を煮込んで食いながら、バスケットLIVEで三月十二日の横浜対三河を観。森井さんのディフェンスがとにかくすごい。横浜が守り勝った。
3月18日(火)晴。一日星海社の改稿作業。夕方、ベランダが影に入ったところで早めに退勤。椅子を出して読書をした、が、さすがに日が翳ると肌寒く、二十分ほどで退散した。
3月19日(水)雪のち雨、のち曇。朝から強い雨が降っていて、朝風呂を浴びている間に雪に変わっていた。三月も後半だというのに……。
雪を踏んで散歩。札幌で体得したペンギン歩きをする。気温が零度を超えているので下はびちゃびちゃしていたが、今日の雪はわりに大粒だった。雪国で育ったもので、大粒の雪を浴びると(傘は差したが)たいへんに高揚する。早歩きしちゃった。
昨夜、星海社丸茂氏から、『恋愛以外のすべての愛で』のカバーラフの案が来ていた。素敵ですねえ、という内容の返信をする。しかし丸茂さん、最初の原稿を渡したときは丸一年放置してたわりに、いざ動き出すと仕事が速いというか、真夜中まで働いているようで、このカバーラフも午前二時すぎに届いた。その極端さはまあ、私のイメージする星海社らしくはあるか。
3月20日(木)曇。暗いうちに始業、改稿改稿。休憩がてら松本清張も読んじゃう。
夜、サッカー男子代表戦、日本対バーレーン。絶対に負けられない戦いがそこにある、勝ちが義務づけられている、と言いながらあんまり強度は高くない、面白みの少ない展開で、前半のうちに眠くなる。それでも後半は鎌田さんと久保さんがゴールして勝った。久保さんのディフェンスがすごく良かったな。これで最終予選のグループ二位以上が確定、来夏のワールドカップ出場が決まった。バンバってください。
3月21日(金)晴。改稿改稿。わりに調子よく捗る。調子よく、というのは、作業の進捗が良いということでもあるし、私の機嫌が良いということでもある。推敲は楽しい。もちろん、念入りにやらないと作品を改悪してしまうことになりかねないが、うまくやれば、すでに良い小説がより良くなっていくばかりだ。
3月22日(土)晴。この週末で星海社の『恋愛以外のすべての愛で』の改稿をやっつけたいところ、なので、起床即始業。改稿改稿。終盤の、重要な場面が連続するところに差しかかり、丸茂さんのコメントも長文が増えてきて、時間がかかる。
とはいえ午後はB2福岡対福井も観た。試合中にマックデリバリーを頼んだ、が、ポテトとナゲットしか食い切れず。間髪入れずに三月十九日のB1島根対名古屋Dも。
3月23日(日)晴、暖かい。起き抜けに一時間ほど散歩した。
昨日までに、星海社の長篇を、iPadで推敲していた。それをデータに反映させる日。ただ書き写すだけでなく、iPadでは長文が書きづらいので、昨日の私が〈ここいい感じにふくらませる〉みたいな雑な指示をしてるのに従って加筆したりしていく。
作中、語り手の友人のライトノベル作家が、エンターテインメント小説というのは売上が重要だ、という話をする。「売れないと人権ない世界だ」という台詞を、今回の改稿で、「こいつは売れないと判断されたら〈いま忙しいんで〉のひと言で丸一年放置されるような世界だ」と書き換えた。
それは私の実体験、というか、この『恋愛以外のすべての愛で』の原稿を丸茂さんに送ったときに実際にあったことだった。長篇の初稿にフィードバックを受けて改稿したもの、を送ったのが二〇二三年の夏。一ヶ月後、来週には読み通せる見込みです、と返事がきた。しかし一向に音沙汰なく、二ヶ月ほど待ってから、この件どうなってますでしょうか?と送ったら、いま忙しいんでもうちょっと待ってほしい、来週中には連絡します、と返ってきた。しかしまた音信が途絶え、ここまでくるとなんかもう面白くなってきたのでさらに一年ほど待ってから、どうなってますでしょうか!と送ったところ、ひと月半ほど経ち、年末年始の休みを挟んだ今年の一月、ようやくとつぜん、本にします!打ち合わせしましょ!と返事がきたのだった。
そのとき私が思い出したのは筒井康隆のことだった。星海社から刊行された『ビアンカ・オーバースタディ』のあとがきに、筒井はこう書いていた。
ながらくお待たせした。
この「ビアンカ・オーバースタディ」は最初「ファウスト」用に三分の一を渡してから二年も経ってからやっと出た。これは編集者の太田が悪い。
さらに次の三分の一を渡してから「ファウスト」が出るまでに二年かかった。太田が悪い。
最後の部分を渡してから、これはいとうのいぢの絵を待つために一年足らずの時間が経った。太田が悪い。
P.188
筒井のひそみにならって私も、あとがきで〈丸茂が悪い。〉をやろう、と思ったのだった。
ちょうど作中で小説家たちがそういう会話をしているので、そこで〈丸一年放置〉と書いて、あとがきで、これは私の実体験、と書くことにした。しかし丸茂さんとの今日までのやりとりであとがきについてぜんぜん話題に挙がらないのは、けっこう本文が長くなったからあとがきを入れる紙幅がない、ということなのかな。この遊びをやらないなら別に本文中で言及する必要はないので、けっきょくこれは消してしまった。丸茂が悪い。
3月24日(月)曇。朝、『恋愛以外のすべての愛で』の改稿版を丸茂さんに送稿。
昼、YouTubeで今泉力哉「冬の朝」を観。たいへんに良い。観終わったあと細々とメモを取る。どこかで何か書けるかな。
午後、明日締切の日本海新聞のコラムに着手。今日は花粉がひどいので、花粉がひどいです、という内容のことを書いた。二時間ほどでやっつける。
そのあと集英社の『筏までの距離』のゲラ。今日中に終わりそう、と思ったので、早めに宅急便の集荷依頼をする。後半ちょっと時間がかかったが、なんとか集荷までに終わり、梱包して引き渡した。
3月25日(火)晴、暑い。ぐっすり寝。夜中に丸茂さんからメールが来ていた。昨日送ったものをすぐゲラにして読んでくれたそう。仕事が速い……。今日は本休日のつもりだったが作業日とする。
散歩をして帰宅した、ら、集英社T氏から、ゲラありがとう、しかし二百五十六ページにおさめるためにあと二行減らしたい、ということで、削除箇所の提案が来ていた。異存ないので承諾の返事をして、これで初校はおしまい。
十一時からカウンセリング。終わったあとすぐジョグに出。ベルンハルト書評でしばらく走らない日が続いた余波で、まだ体力が戻っていない。
小学校の前を通りがかるたときとつぜん、子供らの集団が、にぃーッ!と叫ぶ声が聞こえた。何事かと思って見ると、校庭に正装の大人らが大勢いて、奥のほうにスマホやカメラを向けている。その先にはジャングルジムがあり、二、三十人の子供が上に乗っている。敷地内の桜はもう散っていた。
そのあと星海社の作業。丸茂さんのエンピツを検討していく。三時間弱で終わった。わりに大きな改稿を求めるエンピツを却下したりしたので、メール本文にその意図を書いて送信。そのあとも二、三往復メールで議論した。これで初校に進めそう。
夕飯にガパオライスを作る。食いながらサッカーの男子代表戦、日本対サウジアラビアを、と思ったら、試合前の賑やかしが長すぎて、キックオフまでに食べきってしまった。とにかく守りを固めるサウジアラビアと、メンバーを大幅に入れ替えたこともあって攻撃のバリエーションの少ない日本が噛みあって、たいへんに面白みのない展開。後半、サウジアラビアが疲れて緩んだのにお付き合いするように日本も強度を下げて、けっきょくスコアレスドローに終わった。
3月26日(水)晴、暑い。単行本の作業が二社ともいったん手離れした、ので、今日は本休日! ノンビリさせていただく。とはいっても、私は健康上の理由で映画や美術館に行ったり日帰りの小旅行とかができないもので、けっきょく一日家で読書をするだけの日だった。読んでたのも資料ばかりで、これではぜんぜん本休日ではないな。
一日すべての窓を開けていて、日が翳ったころからベランダに新聞紙とヨガマットを敷いて、ゴロゴロしながら読み進める。そのせいで大量の花粉を吸って、くしゃみが止まらない。
夕飯に牡蠣の炒飯を作り、バスケを一試合観。そのあとも日付が変わるまでもくもく読書。会社員のみなさまの土曜日がそうであるように、一日家で読書をしただけで、平日のダメージを回復させるので一日が終わってしまったな……。
3月27日(木)晴。昨日大量の花粉を浴びてくしゃみを連発したせいで、全身が筋肉痛になっている。
それから、依頼されている『筏までの距離』刊行記念のエッセイに着手。書きはじめる前に、まずはどんなトーンにするかを検討したくて、各社のPR誌なんかに載っている刊行記念エッセイの類い(のうちウェブで読めるもの)を大量に読む。
私がやった類似の仕事でいうと、『蹴爪』刊行時に講談社のウェブサイトに寄稿したものがあった。「ふたつの場をめぐって」という題。
熱帯性の木々の生い茂った森のなか、だらだらと続く上り坂を歩いていると、左側の木々が突然切れて、その向こうに空き地が顔を出した。柵があるわけでもない、森の木が気紛れに生えるのをやめたようにぽっかりと空いたその空間は雑草で埋め尽くされ、片隅に二、三個の石が、たまたまどこかから転がってきてその場にわだかまったようにさりげない感じで積まれている。ひらけてはいるけれど周囲を木に囲まれているから風はなく、汗を帯びた服はじっとりと肌に張りついたままだった。僕たちはほとんど乾いたままのタオルで汗を拭いて、乱れた息を整えた。
島を訪れたのにたいした理由はなく、ただ南のあたたかい海に浸かりたかったのだけれど、知人にすすめられたビーチは引き潮で足首までの深さしかなく、水を含んで重くなることもなかった水着とタオルの入ったバッグを背負って、一時間に一本しかバスがないから、宿のある集落までの道を同行者と喋りながら歩いていた。三十分ほどが過ぎ、変化のない道に飽いてきたころ、どの集落からも離れたそこで、空き地と出くわしたのだった。僕たちはその場にたたずみ、声を潜めて空き地を覗きこんだ。でもそこには話題になるようなものは何もなく、ただ草と石があるだけだ。陽に照らされた空間をこげ茶色の虫が右から左にゆっくりと飛びすぎていく。「虫だね」「虫だ」とだけ言い合って、僕たちはその場をあとにした。
「神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向いあうのだ」。久高島の御獄を見学した岡本太郎は、『沖縄文化論』のなかでそう述懐している。御獄とは(僕の理解では)琉球神道における祈りの場で、岡本はそこに日本の信仰のプリミティヴな姿を見いだしている。そのエキゾチシズムはさておいて、『沖縄文化論』を読んだとき、僕は島で見たあの空き地のことを思い出した。そこには仰々しい鳥居も聖堂も必要ない。草、石、陽光、それさえあれば、人は敬虔になれるのだ。その場所から小説を始めようと思った。
場が聖性を帯びること。ウンベルト・エーコはいくつかの文章のなかで、サッカーについて語りたがるサッカーマニアを皮肉たっぷりに論じている。競技場はほとんど聖域であって、宗教もイデオロギーも超越した価値を持ち、どんな社会的な運動も日曜日のピッチの上には入れない。
ただ、興奮して全裸になった観客は、イデオロギーに比べて、容易にピッチに乱入する。僕たちは彼らの名を知らない。どんな人生を過ごしてきたのか、なぜその日競技場を訪れたのか、どんな理由で服を脱ぎ、生まれたままの姿で警備員の手の先をすり抜けてピッチに飛び込んだのか、何も知らない。彼らは例外なく、たとえうまく選手に抱きつきおおせたとしても、遅かれ早かれ屈強な警備員に取り押さえられ、画面の外に連行されていく。その後の彼らの人生を知るすべはない。ラグビーの試合に乱入してタックルを決めた彼は、サッカー場に飛び込んで見事なシュートを放った彼女は、いまどこで何をしているのだろう?
いつのことだったか、試合中の競技場に飛び降り、トラックを駆け抜けた男性は、スニーカーと腕時計だけを身につけ、彼の胸には「PEACE + LOVE」と大書されていた。宗教もイデオロギーも超越した競技場で、愛と平和を纏った全裸の男が、満場のブーイングを浴びながら駆け抜ける。それが祈りでなくて何だろう。涙するほどに感動はしなかったけれど、この姿を書きとめようと思った。
この本に収められているふたつの小説は、そのようにして起筆された。それが単行本として形をなそうとしているいま、場所も、規模も、風景もまるで異なっている、二作それぞれの中心を成す場は、どこかでつながっているような気がしている。
なかなかいい文章ではないですか。エーコなんて参照しちゃって……。
ひとまずトーンが定まった、ので、いろいろ書き出しを試してみたり、関連しそうな本をパラパラしたりしつつ、しかしけっきょく夕方にはすべて消してしまった。
3月28日(金)雨のち曇。一日作業、夜にバスケを一試合。
3月29日(土)雨。いまいち具合良くなし。今日はお休みとした。午後にバスケを一試合。
昨日と今日は愛媛対福岡を観た。それで夜、寝る前に松山のことをいろいろ調べていたら、日付が変わりそうになっている。街のど真ん中にあるから平城だと思っていた松山城が、実際には小高い山の上にあり、スキー場にあるようなリフトで上れると知る。私はかねがね、島に住みたい、と思っていて、次に引っ越すときは離島に、と思っていたのだが、ここ最近、松山になんだか惹かれるものを感じていて、移住先の候補としてかなり上位になってきている。
3月30日(日)曇。首がひどく痛む。ものを飲み込むのもつらいくらいで、今日も療養日とする。夜まで本を読んだりウトウトしたり、とにかくノンビリ過ごした。
3月31日(月)曇。十二時間くらい寝て、だいぶ回復した。十時半から整体。タフな仕事の山を越えた、ので、ずっと気を張ってた身体がようやく疲れに気づいて、それで痛みが出ている、とのこと。一時間ほど処置をしていただく。
帰宅してちょっと休み、昼めしを食ってから始業。『筏までの距離』刊行記念エッセイの算段をしたり、次に書く小説の仕込みをしたり。
夜、長谷川あかりレシピで豚肉とニラの梅ナンプラーごはんを炊く。こういうかんたんなものでも料理をするのは気分転換になって良い。
4月1日(火)雨。『筏』の刊行記念エッセイに手をつける、が、どうも乗り切れない。いくつも書き出してはなんか違う気がして別のを検討して、というのを繰り返し、お蔵入りの書き出しがいくつもできた。今回はつかわないけど、いずれ別のエッセイの冒頭として再利用できるかもしれない。
晩めしを食いながらWOWOWでNBAを観。試合中に大乱闘があって大人数が退場処分を受けた、というニュースを見かけたので、昨日の朝(現地時間は三月三十日)のピストンズ対ティンバーウルヴズ。問題の場面は第二クォーターの、まだ三分ほどしか経っていないところだった。たしかに第二クォーターがはじまったあたりから、やや激しい接触と挑発的な態度を互いに繰り返し、それが一つのファールをきっかけに暴発した、という感じ。中継のカメラマンや観客席にまで転がり込むようなやり合いで、たいへんに盛り上がる。こういう乱闘からしか得られない栄養というものがありますからね。騒動がひと段落ついたあとは、みんな冷静になったのか、血の気の多いやつが全員退場させられたからか、ひとまずトラブルなく、乱闘時点ではリードされていたウルヴズが第三クォーターで逆転して終わった。しかしどうも、英語実況しかなく、選手も二、三人しか知らなかったし、十分×四クォーターのBリーグに慣れているからか、十二分×四クォーターのNBAは(乱闘で時計が止まってた時間があったにせよ)長く感じられたな。
試合後、堀江敏幸『象が踏んでも』(中央公論新社)を読む。『雪沼とその周辺』の執筆過程についてつづったエッセイのなかに、こういう一節があった。
言いたいこと、書きたいことはきっと身体のなかに眠っているのだろうけれど、それは仕事が終わった段階でしか見えてこないのだ。なにかが起こるまでの長い待機に耐え抜く意志と、それを禁欲的ではなしにだらだらつづけて飽きないある種の鈍さを備えた人間こそ物書きと呼ばれうるのだと考えている者として、その理想にいくらかでも近づくために、一日一日を「緊張感のあるぼんやり」のなかで過ごしたい。鈍さはこの経験とともにさらに鍛えられ、なにかをかならず呼びさましてくれるのだ。
「雪国の奇蹟」P.153-154
これはなんだか励まされたですね。緊張感のあるぼんやり! 短篇集と長篇、二冊の小説についてひとまず執筆や改稿を終えてゲラが来るのを待っている、『筏』エッセイと次に書く小説について、どう書き出したものか思案し続けている今の私に必要な言葉だった。もちろん、単にぼんやりと何かを待っているだけではだめで、そこには〈緊張感〉がなければならない。同じ一篇のなかで堀江先生は、あのころぼんやりするだけで〈緊張感〉がなければ、『雪沼とその周辺』は生まれなかった、と書いている(P.154-157)。うまずたゆまずぼんやりすること。何かが起こるのを、自分が何かを起こすのをじっと待つ。
4月2日(水)雨。アメリカの、どこだったのか、いずれ西海岸の、海が近いのに乾燥した土地にあるテック系の大学で、ルンバみたいな小ぶりな円盤状の、反重力装置がついている、その上に乗って空を飛ぶことのできる乗りもの、の操縦法を学んだ。重心移動で操縦するのだが、バランス感覚が求められるもので、かなり難しい。
私は座学はいまいちだったが操縦が上手かったので、教授である林芳正の名刺(この名刺を持ってる人はたいへん優秀なのでよろしく、みたいな推薦文と手書きのサインが入っている)と、乗りものの最新機種をもらえた。同期のなかには吉田恭大やダニエル・フォトゥ、(こっちにも)林芳正がいて、私は林といちばん仲が良かったのだが、卒業後は縁が切れて連絡も取らなくなった。
官僚になった林(と日記を書いているいま思い出すのは現実の林の職業に引きずられてる気がするが、とにかく何か将来安泰な職に就いた)を除く三人は就職せず、操縦訓練を兼ねて教習所に通い、国際免許を取得した。
これさえあれば世界中どこでも(そういう協定に参加してる国なら)飛んでいける。吉田くんは各地を巡って紀行文と旅行詠で本をつくる、と言って飛び去っていった。私も何か、書きものの仕事に資する旅をしよう、と思って街を離れた。
砂漠の上空を飛びながら集落を探していたら、ダニエルとその兄のアイザック(大学と教習所の先輩で、数年前に国際免許を取得済)が飛んでいるのとばったり会う。ダン!アイク!と声をかけると、二人は故郷へ帰る途中だという。せっかくだからぼくもいっしょに行っていいかい、と訊くと、もちろん!と快諾してくれた。
三人で国境を越え、自然豊かなニュージーランド、その最大都市オークランドへ(もちろんアメリカとニュージーランドは太平洋で隔てられているのだが、夢のなかでは陸続きだった)。どこまでも広がる芝生の庭にシートを広げて、フォトゥ家のみなさんと昼食をご一緒する(彼らはInstagramを積極的に更新していて、私は一家のメンバー構成をだいたい知っているのだが、夢のなかのフォトゥ家は、ダニエルとアイザックを除いて、実際の一家とは違う人々だった)。
そのなかに日本人の、私と同世代の女性がいた。赤ん坊の世話をしながら彼女が日本語で、「ランディの妻のタカコです」と自己紹介してくれる。タカコさんは日本語と英語、そしてフォトゥ家のルーツであるトンガ語のトリリンガルの詩を書いていて、ワークショップなんかもやってるそう。日本語で話せる気安さもあって、私はタカコさんと、彼女に習って日本語ができるランディとばかりおしゃべりをしていた。
食事をしながら(何を食ってたかは思い出せないが、全員手づかみだった)ダニエルが、「そういえばタッコ、こないだクリントがパースのキノクニヤに行って、タッコはシンショってのを書かないのかなあ、って言ってたよ」と言う(実際にはパースに紀伊國屋書店はない)。そのキノクニヤには日本語の書籍のコーナーがあり、売上ランキングがすべて新書で占められていたそう。タカコさんは、「新書なんて誰でも書けるもんじゃないんだよ、何かしらの専門家が、一般向けにわかりやすく書くような本だから」と返してから、私に日本語で、「そんくらい詩が売れたらいいんですけどねえ」と囁く。ランディは彼女の肩を抱いて、「売れなくてもいいんだよ、タッコはほかの誰にもできない仕事をしてるんだからさ」と言った。私はその言葉に勇気づけられながら、自分も小説を書いている、といつ打ち明けたものか迷っている。
そういう夢を見て、三時半ごろ目が覚めた。外は雨の音。スマホで漫画を何話か読んで、起き上がって洗濯機を回し、また寝た。明るくなってから起きて、一日作業。
4月3日(木)雨。一日作業。夜、U-NEXTでデイヴィッド・リンチ監督『DUNE』を観。以前序盤の三分の一くらいを観て挫折したものを、今日は最後まで。途中かなり展開を端折ってる感じがしたし、CGの技術がリンチのイマジネーションに追いついてない感じがした。全体に漂うチープさはその、尺と技術の足りなさ、によるもののような。
そのあとは寝るまでノンビリする。日付が変わるちょっと前、星海社丸茂氏から、『恋愛以外のすべての愛で』の部数が決まったよ、とメールが来る。
4月4日(金)雲の多い晴。今日も『筏までの距離』のエッセイを書いてみては捨て、をやった。文章はそれなりの量書いているのだがほとんどがお蔵入り、という一日。ちょっとドツボにはまっている。参ったな。ともあれ待機だ。〈なにかが起こるまでの長い待機に耐え抜く意志と、それを禁欲的ではなしにだらだらつづけて飽きないある種の鈍さを備えた人間こそ物書きと呼ばれうるのだ〉。待ち続け、考え続ける。そればっかりではいけないが。
4月5日(土)晴。気分転換に一日読書。夕方からはB2奈良対福岡を観。福岡が勝った。同時刻ティップオフの鹿児島対熊本で鹿児島が(四人しかコートにいないのにプレーをはじめようとする、というなぞのミスもあって)負け、福岡の西地区優勝が決まった。アウェイなのに、たぶん奈良の心意気というか気づかいで優勝セレモニーをやっていた。おめでとうございます。
4月6日(日)曇、一時雨。十時ごろ散歩に出。近所の桜を見ながら歩く。ときどきフィルムカメラで写真を撮る。シャッターを押してすぐ写りを確認したくなってしまう、のは、スマホに慣れきっている感じがするな。私が小学生くらいのころまではたしか、まだデジカメもそれほど一般的ではなかったし、写ルンですのフィルムを巻くときの、あのジリジリする音や感触が好きだった、ことなどを思い出す。
小雨が降り出したころフィルムを使い切った、ので現像に向かう。最寄りのスタジオに持っていったところ、現像所に送らないといけないので二週間ほどかかるそう。小学生のころはなんか、即日現像!みたいなのが売りの店も多かった気がするが、今では現像機材がある店舗も多くないのかもしれない。
4月7日(月)曇。一日作業。札幌市のふるさと納税で冷凍バナメイエビが大量に届いた、ので、晩めしはエビチリにした。
4月8日(火)晴。朝の散歩でスーパーに行き、白米を買おうとした、ら、棚が空っぽになっていた。もう一軒の店に行ったら、こっちも棚はスカスカだったが、いくつか在庫があったので確保。しかし無洗米のコシヒカリ五キロが、四三八〇円+税で四七三〇円。去年買ったときは(同じ商品じゃなかったとは思うが、とにかく五キロの無洗米が)税込みで二五〇〇円くらいだった気がする。すさまじい物価高……。
そのあとは一日作業。夜はまた水餃子。水餃子を作るの、無心で手を動かす工程が多くて気分転換に良い。
4月9日(水)快晴。今日は散歩はせず始業。いよいよ、というか、ようやく、というか、『筏までの距離』のエッセイを仕上げる。昨日までに大量に作っていた試し書きのなかからひとつピックアップして、続きを書いていく。
三十分ほどの昼寝を挟んで、夕方に完成。五月八日締切の原稿をもう書いちゃった。
4月10日(木)曇。一時間ほど散歩してから始業。昨日書いたエッセイを見返して送稿、北海道新聞の書評エッセイのためにイアン・グラハム『サッカーはデータが10割』(樋口武志訳、飛鳥新社)を読む。
読了後U-NEXTで映画、二〇二一年のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『DUNE』を観。先週リンチ版を観たばかりなので、ストーリーや印象的な場面の記憶がまだ鮮明で、たいへんに面白い。一九八四年のリンチ版から三十七年、この場面を現代ではこう表現するのか、とか、このシーンはちょっとリンチ版へのオマージュなのかしらん、とか。白人男性が演じていたキャラクターが黒人女性に変わっていた、というのも、(原作でどういう設定なのかは知らないけど)いかにも現代という感じがするな。リンチ版では端折られてたっぽい紆余曲折も丹念に描かれてる感じ。CGや特撮の表現力が追いついてなかったところもたいへんリアリティのある映像になっている。リンチ版の不満というか、成功しなかった理由はこのへんなのでは、というところが軒並み良くなっていた。
4月11日(金)曇。今日は北海道新聞の書評エッセイを書いた。サッカー本なのにバスケの話を長々と書き、いっぽうサッカーは……みたいな入りかたをして、規定の倍ちかく書いてからバスケへの言及をぜんぶ消す、という書きかたをした。
星海社丸茂氏から『恋愛以外のすべての愛で』のゲラが届いていた、が、明日作業するので今日は封も開けない。
4月12日(土)晴。『すべ愛』(と頭のなかでは呼んでいるのだが、この略称はなんかだめな気がする)のゲラ作業をはじめた。星海社のゲラ、めちゃ細かいところまでチェックしてくれている。私が地名や西暦、日時を明記していないところを作中の記述から特定して、この年のこの日、この街はこういう天気だったから青空は見えないように考えられますがママとしますか?みたいに。星海社はもともと講談社ノベルスの編集者だった人が立ち上げた、今もミステリに強い版元だから、こういう綿密な読みが慣例化している、ということかもしれない。私としては、すべてが現実と一致する必要はなく、作中で整合性が取れてればそれでよい、くらいの気持ちでいたので、虚を衝かれた感じ。なるほどなあ、と思いつつ、だいたいはママとしてしまう。
十五時からB2福岡対静岡を観。ティップオフの直前、古川真人から、電話せんかい、とLINE。けっきょく二時間強、試合終了間際まで話していた。試合を観ながらだったので会話の内容はたいして憶えていない、し、電話しながらだったので試合の展開をあまり思い出せない。
夜、U-NEXTでアキ・カウリスマキの『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』を観。トンチキ珍道中でたいへんに面白い。
4月13日(日)雨。今日も『すべ愛』ゲラ。昼休みに、カウリスマキが撮ったというレニングラード・カウボーイズのミュージックビデオを二つ観る。どれもすっとぼけた感じのユーモア。初期のカウリスマキは何というか、人生の悲哀、みたいなところより、とにかくボケ倒す感じが強いのかしらん。
4月14日(月)曇。今日も『すべ愛』ゲラ。明後日必着で返送しなければならないので、けっこう時間がない。
夕方までに三分の一弱しか終わらず。それでも夜はバスケを観る。NHK BSでWリーグプレーオフファイナル、富士通対デンソー第五戦を観。これまでの四戦は二勝二敗で、今日勝ったほうが優勝。女子バスケ、代表戦とオールスターとプレーオフファイナルしか観ないもので、知ってる選手はそう多くない、のだが、さすがに決勝ともなればどちらも代表クラスの選手が多い。富士通のテーブスHCや内尾聡菜選手のような、Bリーガーの家族がいる人も。判官贔屓というか、昨季も優勝した富士通より、Wリーグは三度、皇后杯は八度もファイナルに進出して優勝は昨季の皇后杯の一度だけ、今季の皇后杯では準決勝で富士通に負けもしたデンソーに肩入れして観ていた、のだが、終始富士通にリードされて負けた。
試合後はそのまま寝そうになった、が、ムクリと起きて机に向かう。『すべ愛』のゲラを、時間がないとはいえ焦らないよう慎重に、小まめに休憩を取って『かりあげクン』とか『ミナミの帝王』とかの、あまり脳の負荷の大きくない漫画を一話ずつ読みながら。やってるうちに、ランナーズハイというかライターズハイというか、だんだん楽しくなってきて、止めどころがわからなくなる。
けっきょく夜なべして最後までやっつけた。時計を見ると午前六時。久しぶりに徹夜をしてしまった。私にもまだ、こういう体力があるのだ、と、徹夜の高揚もあってうれしくなった。しかし疲れ切ったし、身体の節々がバキバキなのでベッドに入る。
4月15日(火)快晴。今日は回復日としてもくもく読書。メールを二、三打って、午後にゲラを発送した以外はノンビリ過ごす。
4月16日(水)晴。昨日が回復日だった、ので、今日は本休日。土日みたいなもんですね。朝の散歩のあとは本を読みつつノンビリ過ごす。
出てすぐ買ってたけど仕事が落ち着くまでと思って積んでたあずまきよひこ『よつばと!』十六巻(電撃コミックス)も読んだ。よつばとはいい……。発売時に話題になってたことだけど、『あずまんが大王』の大阪さんが、よつばの隣人の恵那が通う小学校の先生として登場していた。大阪さんが登場したとたんに場面の中心を占めて、彼女のキャラクターのみで場面が展開している。
本作、基本的によつばの、無垢ゆえに大人の常識から外れた言動、に周囲の大人たち、というか五歳のよつばより社会化された人々(小学生もふくむ)が振り回される、というのが基本の展開なのだが、ここでは(二百三十四、五ページが象徴的だけど)妙なことを言う大阪さんに恵那やその友人のみうらが突っこむ、という場面が描かれる。そしてよつばに木の名前を訊かれた大阪さんの、内心のモノローグが長めに書き込まれている。
過去の巻を読み返したわけではないから確かなことはいえないのだが、本作において、初登場の脇役のモノローグがこんなに長く書き込まれたのははじめてなのではないかしら。まあ大阪さんだもんな。
作中、よつばたちは高尾山に登るのだが、私も何年か前に行ったことがあるので、たいへんに懐かしかった。よつばはまだ五歳なのにいちばんキツい六号路を登るのか!とか、川のなかを歩くようなところ、おれも歩いたなあ、とか。そのときの写真の日付を見ると、二〇一七年の十二月だった。しかし今の私は体力が落ちすぎて、よつばの父みたいに隙あらば休憩を取ろうとして、「とーちゃん ベンチが 大好きなんだ…」(P.164)みたいになりそうだな。
4月17日(木)晴。十一時から歯医者、今日は歯のクリーニングの日。歯科衛生士のおねいさんに、歯茎の状態はめちゃ悪いけど歯自体はなんかきれいですね、今日は歯磨きがんばったのかな?と言われる。慌てて一夜漬けしてもバレますからね、と、中高の先生に言われまくってたことを言われ、ちょっと恥ずかしい。
そのあとは作業。夕飯にごぼうと鶏肉の黒酢バターソテーを作ってバスケ、三月三十日の京都対三遠を観。九時すぎに寝た。
4月18日(金)うすぐもり。集英社T氏と電話。二つの版元から同月に本が出るというのは(私程度の実績しかない書き手にしては)ちょいと異例なので、その対応について相談をする。
今日も念入りに歯を磨き、十二時半から二日連続の歯医者。今日はいよいよというか、抜歯したところにブリッジを入れた。多少の違和感はありつつ、ともあれ口の左側でものを噛むことができるようになってうれしい。
夜、T氏からメールが来て、発売日が六月二十六日に確定した、とのこと。すぐカレンダーにつけておく。
4月19日(土)晴、暑い。一日読書。バスケも一試合観た。
4月20日(日)曇、風が強い。午前は負荷の軽い作業をちょこちょこやる。午後はバスケを観て読書、カル・ニューポート『SLOW 仕事の減らし方』(高橋璃子訳、ダイヤモンド社)。たいへんに良かった。読む前は、イヤおれはたくさん仕事がしたいんだ、と思っていたのだが、「「本当に大切なこと」に頭を使うための3つのヒント」という副題のとおり、重要な仕事(私の場合は小説の執筆だ)に集中するためにいかにそれ以外の仕事を減らすか、ということが語られていた。そして重要な仕事も山のようにあればよいというもんではなく、余裕をもつこと、仕事を(つまり収入を)減らしてでも休むことがいかに大切か、が説かれている。いまの私にいちばん必要な自己啓発本だったかもしれない。
私はけっこう、手塚治虫や松本清張みたいなすさまじい仕事量に憧れていて、おれも(元気になったら)無理するぞ!くらいに思っている、が、無理というのは長持ちするものではない。しかしじゃあ、悠々働いて作家として大成することなんでできるの?となり、休むことに罪悪感を抱いてしまっていた。しかし本書では、しっかり休んで良い仕事をした人、が何人も取り上げられている。もちろん小説家も。
ジュエルというシンガーソングライターの、〈堅い木はゆっくり育つ〉というモットー(P.231)は響いたですね。急ぎすぎてはいけないのだ。とにかく休むのがへたな私はたいへんに励まされた。ちょっと手元に置いといて、何かデカいプロジェクトが終わるたびに読み返して、ノンビリすることに罪悪感を抱く自分の背中を押すきっかけにしたい本だった。
4月21日(月)晴。十時から接骨院へ。前回よりは元気そうですねえ、と言われる。前回はまだ、『すべ愛』の改稿というちょっと重めの作業をやってる最中だった。
そのあと、昨日届いた『筏までの距離』の再校ゲラを開封して、エンピツがさほど多くないのを確認して、油断してゴロゴロする。
午後、ようやくゲラに取っ組みはじめる。六時半ごろまでに八篇中四篇、ページ数でいえば半分強をやっつけた。サボらずにやってれば今日でぜんぶ終わったかもな……と思いつつ、サボらずにやってたら疲れて後半が雑になったかもしれない、のでこれで良しとしましょう。
4月22日(火)曇。今日も『筏』のゲラ作業、のこり四篇をやる日。一篇やるごとに昼食や午後二時のジョグを挟みつつもくもくやって、五時半ごろに終わらせた。梱包して集荷を、と思ったが、もう今日の受付は終了していた。明日に持ち越すのもなんか嫌なので外に出る。最寄りのコンビニでも良かったのだが、ちょっと歩きたい気分でもあったので、集配所に直接持ちこむことにした。片道十分弱。ちょうど六時ごろで、退勤の人たちとすれ違う。おれもこれで退勤だ、と思いつつ。
4月23日(水)雨。明後日締切の日本海新聞のコラムのために、古川真人『港たち』(集英社)を読む。大量のメモを挟みつつ、一日かけてゆっくり読んだ。
4月24日(木)曇。低気圧のせいか、とにかく頭痛がひどい。
十一時からオンラインでカウンセリング。頭痛で頭が朦朧としていて、カウンセラーさんの促しに、あまり良い反応ができなかった。こういう日もある……。
そのあとは伏せっていた、が、午後になってから起き上がり、明日しめきりの日本海新聞のコラムを起筆。ほとんどなにも考えられないながら、メモを頼りにどうにかこうにか書いていく。
けっきょく夕方までかかった、が、とにかく完成。明日まで寝かせることとして、今日はもう閉店とする。
4月25日(金)曇。十一時から歯医者。会計のとき次回の予約の話にならなかったので尋ねてみたら、治療はひとまず今日で終わりです、と言われる。ついに!
日記を読み返してみると、通いはじめたのは二〇二二年四月だ。二二年の八月、治療中に発作を起こしてしまい、一年半ほど中断をしていた、ので、実質一年半。それでもめちゃ長いな。日記から数え上げてみると、今日が二十二回目だったよう。よくがんばりました。
長めの散歩をして作業。薬で抑えているとはいえ朝は頭痛もメンタルの落ち込みもひどかった、ので、無理せず。
4月26日(土)曇。一日伏せる。
4月27日(日)快晴。一日伏せるつもりだった、が、午後二時すぎ、エイヤッとジョグに出。今日はなんか気持ち良く走れて、具合が上向く。シャワーを浴びてちょっと昼寝。
起きたときにはかなり回復していた。それで夜までもくもく読書。
4月28日(月)曇。昼、鶏を蒸す。食いながらU-NEXTで男子サッカーのコパ・デル・レイ決勝、バルセロナ対レアル・マドリードを観はじめた、が、ウォーミングアップの様子を映してるうちに食い終わってしまう。
夕方に退勤してから、ウーバーイーツのバーガーキングを食いながら決勝を最後まで。バルサが先制したがレアルが逆転、しかし後半の終盤でバルサが追いつき、延長後半、なぜかそこにいたサイドバックのクンデのゴールでバルサが突き放して優勝! これはぶち上がったですね。私は酒井宏樹がたまにやる、サイドバックなのになぜかそこにいて強烈なシュートを叩きこむ、というプレーが好きなのだ。
4月29日(火)晴。起床即髪を切り、シャワーを浴びる。そのあと散歩に出。近所のギャラリーに入ったりして、二、三時間。けっこう疲れ切る。
またシャワーを浴びてベッドに入り、U-NEXT でライナー・ホルツェマー監督『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』を観。ヴァン・ノッテンの仕事に密着した二〇一六年の映画。仕事の様子、よりも、アントワープ郊外の城みたいな、すさまじい広い庭をもった豪邸や、そこでのパートナーとの暮らし、により惹かれる。パートナーとも愛犬とも、二十四時間、家でもオフィスでも一緒にて、なんだか素晴らしかったな。
そのあと読書。こないだ『DUNE』を観たので、デイヴィッド・リンチ『大きな魚をつかまえよう』(草坂虹恵訳、四月社)を読んだ。瞑想のすすめ、というか、とにかく瞑想すれば健康になれるし想像力も豊かになれるし良い映画も撮れてウルトラハッピー!みたいな内容で、ちょっと神がかっているというか、リンチの信奉者ではない私には乗っかりづらいところも多々あった。しかし「黄金の塔」という章はたいへん印象的だった。
いかにして、瞑想はマイナス思考を取り除くのか。
こんなふうに考えてほしい。きみはエンパイア・ステート・ビルだ。何百もの部屋があるが、部屋という部屋はガラクタで埋め尽くされている。ガラクタを詰め込んだのはきみ自信だ。さあ、エレベーターに乗って、自らの内側へダイヴしよう。ビルを下へと降りていき、その真下にある統一場──純粋意識に達するんだ。それは電気じかけの黄金みたいなものだ。きみは統一場を体験する。電気じかけの黄金が各部屋に据え付けてある、小さな掃除用のロボットを駆動させる。するとロボットは動きだし、掃除を始める。ロボットは泥やガラクタ、ゴミがあった場所を黄金に変える。ぐるぐる巻きの有刺鉄線みたいにこんがらがったストレスだって、解きほぐせる。そんなものは雲散霧消してしまう。
きみは身ぎれいになり、自身に黄金を注ぎ込む。素晴らしい悟りの状態へ歩みだすのさ。
P.122-123
一つ一つの章は一から三ページ程度しかなく、「黄金の塔」もこれが全文。本書、起読した当初は、瞑想なんて眉唾ものだし、とにかくリンチの傾倒ぶりばかりが目立つ筆致で、瞑想のメソッドもあんまり教えてくれないしいまいちだなあ、と思っていたのだが、この章で、というか、〈きみはエンパイア・ステート・ビルだ。〉ですべてが理解できた気がする。べつに本書を読んで瞑想を実践したわけではない、のだが。この、脳に電気が走る感覚、がリンチの、カルト的な人気の理由なのかもしれない。
4月30日(水)快晴。午後、『恋愛以外のすべての愛で』の再校ゲラが届く。パラパラしてみたところ、表記揺れや誤字脱字の指摘がほとんどで、二日もあれば終わりそう。
夜、TSUTAYA DISCASで借りたフランク・パヴィッチ『ホドロフスキーのDUNE』を観。ブルーレイで、というか配信以外で映画を観るのは久しぶりだったのだが、本篇の前に五つも六つもほかの映画の予告編が流れていて、そういえば映画を観るというのは長々とCMを見せられることでもあった……と思い出した。せっかくなのでスキップせずに観る。本篇はじまる前に晩めし食い終わっちまったよ。
ともあれ『ホドロフスキーのDUNE』、たいへんに良かった。アレハンドロ・ホドロフスキーがいかにして『DUNE』の映画化に着手し、制作を進め、絵コンテまで完成していたのに頓挫したか、そしてその絵コンテがのちの映画界にどれほど大きな影響を与えたか、を、ホドロフスキーを中心とする関係者のインタビューで振り返るドキュメンタリー。とにかくホドロフスキーの存在感がすごい。そして映画へのひたむきさ。
私は300歳まで生きたい
300歳は無理かな 1年で死ぬかもしれない
でも大きな志がある
志を持たずに生きるなんて
無理だ
できる限り大きな志を持つ
不死を望むなら そのために闘え
闘うんだ
最高に芸術的な映画を 作りたいなら
作ればいい
失敗しても構わない
挑戦するんだ
十年くらい前、私はよく、おれは二百まで生きる、と言っては失笑を買っていたものだった。いまでも公言しないだけで二百まで生きたいとは思っている、が、ホドロフスキーは三百かあ!とうれしくなったですね。仲間だ。そしてそのあとの、大きな志をもち、失敗してもいいから挑戦するのだ、という言葉も、まあ紋切り型ではあるのだが、けっこう響いた。良い映画だったなあ。
5月1日(木)快晴。一日伏せっていた、が、『すべ愛』のゲラに、プロローグの数ページ分だけ手をつけた。明日具合が良くなってたら本格的に取っ組むつもり。
5月2日(金)大雨。まだ小雨だった時間に散歩をしてから始業。今日は降ったり止んだりだ、と思ってるうちにザッと降り出す。にわか雨っぽい降りかた、のように見えていたのだが、そのあとは止まず。
今日は『すべ愛』のゲラの日。雨でジョグにも出られなかったこともあって、もくもくやった。
夕方早めに退勤して、実家から届いたでかい筍を米ぬかで煮込んであく抜き。それから豚肉や茗荷と煮込んで、ラーメンも茹でる。満腹になった。
5月3日(土)快晴。昨日はすごい雨だったのだが、今日は良い天気。
今日も『すべ愛』のゲラ。今日やったのは長篇の真ん中へん、ストーリーが大きく動いていくところなので、読んでてたいへん面白い。
午後二時すぎにジョグ。日射しも強く、走るのが気持ち良い。しっかり汗をかきたいので、暖かくなってきてからも長袖のウェアを着て走っていて、今日もまんまと汗だくになった。
帰宅して、びしょ濡れの服を脱ぎ、息を整えてゲラを再開。汗が紙についてしまわぬよう。しかしこう、自宅とはいえ、下着のパンツ一丁でゲラをやるのはどうも落ち着かず、汗が引いたところで服を着た。よつばのとーちゃんだってTシャツは着てましたもんね。
夕方までやって晩めしの仕度。長谷川あかりレシピで鶏と大根の酒蒸しを作った、が、鶏肉も大根もレシピよりデカいのを買ったもので、フライパンでは足りず、鍋も使って大量に作った。明日もおかずはこれだけでよさそう。
5月4日(日)晴。朝四時半ごろに散歩に出。人通りの少ない住宅街をウロウロして、集英社の出版契約書を投函する。
帰宅してコーヒーで目を覚まし、始業。『すべ愛』のゲラを最後まで。自分で書いた小説なのに、クライマックスではなんだかジンとしてしまったですね。作品の良さ、はもちろん、丸茂さんと執筆の約束をしてから六年もかかった作品が、これでついに手を離れるのだ、という感慨。
『恋愛以外のすべての愛で』(星海社)と『筏までの距離』(集英社)、版元は違うのだが同月発売、ということで、双方の帯に宣伝を入れてくれるそう。ありがたや。売れてくれ〜、という気持ち。私も何か、宣伝とかしましょう。
午前のうちにゲラをやっつけて梱包。早めに手離したかった、ので、集荷依頼をするのではなく発送しに出た。散歩がてら、こないだ集英社のゲラを発送した集配所に向かった、ら、日曜だからかGWだからか、シャッターが閉まっている。けっきょくコンビニで発送した。
午後は読書をし、バスケを観。しかしさすがに夜は脳がしおしおになって、文章が頭に入ってこなかった。昼寝すればよかったな。
5月5日(月)晴。六月に出る単行本は昨日で二冊とも再校を終えた。ここからもやることは細々ある、が、ひとまず本文は手を離れた、ということで、今日は本休日としちゃう。
それでもくもく読書の日。図書館から十冊借りていて、さらに四冊取り置き中になっているのだ。うち五冊がトーマス・ベルンハルトやオーストリア文学についての本。ちかぢか何か、ベルンハルトについて書きたいと思っているのだ。しかし急いで読まないと、取り置き期限が切れてしまう。十日ばかり前には四冊しか借りてなかったし、取り置き中もなく、予約中の本も五冊しかなかったのに、とつぜんこんなことになった。これはベルンハルトが悪い。
午後三時からバスケ、B2プレーオフ準々決勝の福岡対福井。福岡が買って準決勝進出! 次は富山戦。どうなるかな。
5月6日(火)雨。今日も一日読書。
今日読んだなかでは、宇佐見英治『見る人 ジャコメッティと矢内原』(みすず書房)がたいへんに良かった。副題はアルベルト・ジャコメッティとそのモデルをつとめたこともある矢内原伊作のことで、ジャコメッティという芸術家についての本である以上に、三人の──とりわけ著者と矢内原の──友情についての本でもあった。前半はジャコメッティと矢内原の関係が綴られ、ジャコメッティについての著者と矢内原の対談を挟んで、後半は著者と矢内原の友情が振り返られる。
癌で入院して最後の日々を過ごしていた矢内原は、連日の親戚や知人、友人の見舞いに疲れていた。それで妻の鋤子が著者に、面会は遠慮してほしいとみなさんに伝えてくれないか、と依頼した。著者が連絡を回して、矢内原の病室を訪れる人は減った。しかし著者は、〈その頃、彼の死期が近づいてきたことを思うと、私は毎日でも彼に合いたくなり、会う日を積み重ねたくなるのだった。家族なら、──仮りに私が女であったなら、そういう気持になるのは自然なことであろう。しかし男同士の間でもこんな衝動が起るのを初めて経験しながら、私はわが身を顧み、長く生きてきたのに、なお未到の感情があるのを初めて知った〉(P.158)と振り返る。BLやんか……と思って読み進めていると、すこしあと(別のエッセイ)でこの一節が引用されて、こう続く。
この文を書いた以前かあとか知らない。手紙で知らされたのか直接きいたのか、それも定かでない。ただいずれにせよ私は鋤子夫人からこんな話をきいた。
「例のお友だちや知人や見舞客を、それなら当分ことわりましょうということになって、それなら宇佐見さんはどうするのと伊作さんにきいたら《宇佐見君には毎日会いたい》というのです」
P.168
尊い……、と、あまりBLとして消費するのが後ろめたくなるほどのうるわしき友情だ。いい本だったなあ。手許に置いておきたい、が、図書館の本なので返さなければ。
5月7日(水)晴。読書、ジョグ、ブルーレイで宮崎駿『君たちはどう生きるか』、読書。ノンビリできた。
5月8日(木)晴。今日も一日読書の日。ゴールデンウィーク、というのは、どこかに出勤してるわけではない私にはあまり関係がない、のだがそれでも気持ちはゆるむ。振り返ってみるととにかく読みまくったゴールデンウィークだったな。と書いて気づいたのだが、どうも私はゲラのことを読書にカテゴライズしてるふしがあるな。ただその作品を改編する権利を持っているというだけで、読書に違いないのだが。
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