プルースト 2021.10.8~2021.11.3

10月8日(金)晴。通勤ルートにある、猫のいる家が、一昨日くらいから外壁工事(か塗装?)をしていて、網みたいなシートで覆われて猫が見えず。昼休み、安田和弘と早稲田のかどやでランチ。がんばっていこうな、と話すなどする。高揚して職場に戻り、午後の勤務。安くなってた軟骨を買って帰り、炒めて食う。


10月9日(土)晴。今日は非番。ひさしぶりに二度寝。十時ごろまで寝ていた。もぞもぞ起き出し、遅い朝食を詰め込んで、公開用プルースト日記の手入れ。

 しかしこう、私はなんでこんなに長文を費やして彼女たちの恋愛を書き残したのだろう。9月22日、恋人が、彼女に早く出ていってほしくて荷造りを手伝ってくれた、というエピソードを聞いた日の日記に、私はこう書いていた。「めちゃくちゃ面白い。このエピソードはいつか小説につかおう、来たるべき私の恋愛青春小説」。この日記は、作品のアイデアや試作なんかも書いていたヴァージニア・ウルフの『ある作家の日記』をなんとなく念頭に置いていて、だから、いずれ恋愛青春小説を書くときに読みかえすため、という意図のもと、詳細に、彼女の話の内容だけでなく、妄想じみたことまで書きつけた。さらにそれを、水原涼公式サイトで発表するために、たぶん本人が読んでも自分のこととわからないくらいに改変したのだった。しかし、それだけの理由で、あんな熱量で書くものか。

 私はなぜ「ほとんど一から小説を立ち上げるくらいの労力」をつぎ込んでこの日記を虚構化したのか。話を聞きはじめた当初、実際に会ったことのある彼女は私にとって現実の存在で、しかし、制服姿でない彼女と会ったことはなく、職場の外の彼女のことは何も知らない。もちろん、会ったこともない、彼女から話を聞いただけの恋人は〈作中人物〉でしかなく、二人の恋は私にとってはフィクションにすぎなかった。それが、彼女の恋の対象が同僚に変わったことで、とつぜん現実として私の前に突きつけられた感覚があった。こうして日記に詳細に書きつけて、さらにそれを改変して、日記作品として自分のサイトで発表する私は、現実として立ち現れてきた彼女の恋を、フィクションに押し返そうとしているのかもしれない。

 十五時ごろ散歩。人出が多く、そういえば緊急事態宣言というのが解除されていたな、といまさら思い出す。緊急事態宣言を発令する主体は、つまりいまの政権はぜんぜん信用ならない、ということはわかりきってるのに、なぜこうやって出歩くのか、と自分も人出の一部なのに考える。昨夜はさぞ賑わっていたのだろう。書店と百均をハシゴ。一時間弱歩き、マックの月見バーガーの、今年限定のやつを買って帰る。チーズの入った甘いバンズで、良い。

 食後、一休みしてから作業を再開、夜まで。脳がしおしおになったので風呂に入り、髪も乾かさない。


10月10日(日)曇。職場がテロリストに襲われる夢を見たが、夢のなかで私はお客を楯にして生き残っており、たいへん非道だった。出勤時、猫の家の外壁が黒く塗られていた。

 テロは起きないまま退勤、コンビニでアイスとエナジードリンクを買い、かっ食らって、公開用のプルースト日記の最終調整。この日記、前回が一万六千字弱、今回は二万字弱で、この調子で『失われた時を求めて』の全十四巻ぶん書いたら二十数万字で、これだけで一冊になってしまう。


10月11日(月)晴。昼休みにLouise Glück "The Wild Iris"。悲しみや諦念を自然に託して描いておる、という以上のことは、私の英語力では読み取れない……。帰宅後、大人のガリガリ君ラフランス味を一気食いして頭が痛くなりつつ作業。


10月12日(火)曇、午後は雨。低気圧のなか出勤、労働。

 昼休みにプルースト『失われた時を求めて』の二巻、『スワン家のほうへ Ⅱ』を起読。本巻の前半は(本巻、という言葉を書くとき、私はいつも、両津勘吉がときどき〈本官〉という一人称をつかっていたことを思い出す)、語り手が生まれる前か生まれた直後の、語り手の記憶のなかにない時期を描く「スワンの恋」という章で、三人称的な語りにときどき晩年の〈私〉が入り込んでくる。すべてが終わったあとからの、当時を経験してない人による回想。恋愛をいくつも経てきたスワンの、そしておそらく晩年までの生涯で語り手が獲得した、すれっからしの恋愛論が語られている。「人生のこのような時期になると、人はすでに何度も恋愛を経験しており、もはや昔のように心が不意打ちを食らってなすすべもないまま、恋愛がひとりでに思いがけない固有の宿命的法則にしたがって進展することはない」。そうなのか。退勤時は傘がいらないくらいの霧雨。三十分ほど歩いたうちの数分間だけ、持ってたら傘さしてたかも?というくらいに強くなる。59/555


10月13日(水)雨。今日は出勤ぎりぎりの時間まで寝ていた。低気圧がひどい。

 昼休みにプルースト。スワンの恋が動き出している、というか、案外早く恋が成就している、というか、たぶん、接吻なりちょっとした肉体関係なりをむすんでからようやく恋愛が動きはじめる、というのが、当時のフランス上流階級(スワンもオデットもあまり身分は高くないけど)の価値観なのかしらん。スワンがオデットを家に送って、馬車を降りたオデットが「家の前の小さな庭から咲き残った最後のキクを摘んで渡してくれた。スワンは帰途のあいだそれを唇におしあてていたが、数日して花が枯れると、たいせつに机の引き出しにしまいこんだ」とあり、おくゆかしい、尊い……となる。すれっからしの恋愛論を並べていたほんの五十ページ前とはだいぶ違う。そういう賢しらな論が機能しなくなるのが恋ということか!

 二人は夜のパリの街でめぐり逢い、ついに口づけをかわす。私は読書中、小さく切った紙に思いついたことを何でも書いて挟んでるのだが、がまんできずに〈ヤッター!〉と書いた。

 そして二人の間で交わされる〈カトレアをする〉という隠語が印象的だった。オデットが胸に挿したカトレアの花が傾いていたのをスワンが直してやったのをきっかけに初めて口づけをしたことから、カトレアは「肉体所有の行為」(すごい表現!)を表すようになった。愛する二人の間だけで機能する特別な言語。「人がひとり死ぬというのは、その人が周りの人と交わしていた親密な言語がひとつ滅びることなのだ」というのは私が「クイーンズ・ロード・フィールド」という中篇のなかに書きつけた一文で、『スワン家のほうへ Ⅱ』に描かれているのは、その〈親密な言語〉の誕生の瞬間だった。どんなユニークなアイディアを思いついたと思ってもだいたい星新一が書いてるんだよ、と文芸部にいたころ、SFばっか書いてる先輩が言っていたことを思い出す。121/555


10月14日(木)晴。三十二歳になった。一日家にいて、読書や作業。ジャンプのアプリで、毎週木曜に一話ずつ『ろくでなしBLUES』が無料公開されている。主人公の前田が高校の進路相談で、卒業後はバイトで暮らして、いずれボクシングの世界チャンピオンになる、と話したあと、廊下で沼田(いやな教師)に呼び止められてこう言われる。「まさか まだ/プロボクサーになるなんて/寝言言ってるんじゃ/ないだろうな?/はっはっ やめとけやめとけ//チャンピオンに/なれる奴など ほんの/一握りのエリートだけだ/多くは落ちぶれて/見る影もなくなる/んだよ//まぁ もちろん/おまえに/地道に働けという方が/ムリな話だろうがな」前田は挑発してくる沼田の襟首を掴み、しかし殴りはせず、具体的な数字を挙げながらボクサーの収入について説明し、「いくら 体力バカでも/世界獲るまでは/働かなきゃなんねーんだ//俺は地道にバイトすんだよ」と言い返す。「バイトだと?/就職もせずに/本気で/ボクシングを/やる気なのか?//おまえは/自分にそれほど/才能があると/思ってるのか!?」「思ってるよ」「フン/大した/自信だな//もし 一生チャンピオンに/なれなかったら/どうするつもりなんだ?/死ぬまでバイトでも/する気か?//世の中 そんなに/甘くないぞ」そう問いかけられて前田は、「死ぬまで/バイトしてやるよ」と断言した(第369話「進路」)。ほんとうに自分はプロになるのか、何があってもチャンピオンを目指すのか、その覚悟があるのか。その日の夜、前田が何の気なしに観に行ったボクシングの試合に、ボクサーとしては高齢の三谷という選手が出場する。三谷は、昼間、前田が訪れたコンビニで、若い店員に口汚く叱られていたバイトだった。三十七歳で日本ランキング十位、十九勝三十七敗と大きく負け越していて、観客にも「よっ/でたでた/中年!!」「あんまり/ムリすんなよ/!」と野次を飛ばされながらも、いまだに世界チャンピオンを目指している。前田は幼いころ三谷の試合を観て感動したことを思い出し、観客のなかでたぶん一人だけ彼を応援する。そして三谷は、その声に背中を押されてKO勝ちを収める。前田は恋人(なのかなんなのか、お互いを好きだと知ってるけどたぶん交際はしてない)の千秋に、「なんつーか/ボクシングってよ//生き方だよな【略】俺ぁ/死ぬまで/バイトしてでも/世界獲るぜ」と宣言する。なんか感じ入ったので、無料公開前の次のエピソード(第370話「花ざかり」)まで、ポイントを使って読んでしまった。俺ぁ死ぬまでバイトしてでも書きつづけるぜ、と私は宣言できるだろうか。

 プルースト日記を自サイトで公開。だからではないが、今日はプルーストを読まず。121/555


10月15日(金)晴。とつぜんの体調不良。胃がキリキリ痛み、目が覚める。家を出るまでにトイレを三度。よろよろと出勤、働くうちに胃薬が効いたらしく楽になる。

 昼休みは『スワン家のほうへ Ⅱ』。スワンとオデット、ばかみたいにイチャイチャする。と思ってたら恋のライバルらしい「極めつきのスノッブ」フォルシュヴィルが登場してくる。冒頭からかなり印象の悪い描きかたをしていて、これが晩年の語り手による自分が生まれたころの回想ということを考えると、このあとに起きた出来事が、遡って初登場時のフォルシュヴィルの印象を悪くしているのではないか。恋愛の主要な舞台であるヴェルデュラン夫妻のサロンでだんだんスワンの立場が悪くなっていく展開で、いたたまれなくて胃がキリキリしてくるが、これは朝の腹痛がぶり返したのかもしれない。

 夜には完全に回復し、ふるさと納税で買ったハセガワストアのやきとりを食べた。何だったのか。190/555


10月16日(土)曇時々雨。気圧が低く、朝から頭痛。今日は非番で、山本健太郎『政界再編』(中公新書)。私が参政権を得たのは2010年、民主党政権下で、とくにそれ以前の政治の動きがよくわかっておらず、なんか自民が凋落して民主が政権を取った、くらいのボヤッとした把握だったのが、かなり解像度が上がった。ボヤッと把握してる問題について知るのに新書は良いメディアだ。

 夜はウーバーイーツでビリヤニとカレー。今日の配達員は顔を見られるのを嫌う人で、マンション入口のインターフォンが鳴って画面を見ると巨大な袋だけがでっかく映っており、「ウーバーですッ!」と叫んだ。まあ入口のインターフォンは録画されてるものなあ、などと思っていると、玄関のインターフォンが鳴り、しかし開けても人が見えず、ドアの陰から袋を提げた手がヌッと突き出して、ウーバー、とぼそっとしゃべった。なるほど、となぜか納得してしまう。ビリヤニもカレーもたいへんに美味く、しかしビリヤニやカレーをウーバーで頼むといつも注文しすぎてしまい、半分ちかく残した。190/555


10月17日(日)雨。昨夜、なんだか眠れず、3時ちかくまで起きていた。それで今日は7時過ぎに起床。小雨のなか出勤、と思ってたら、歩いているうちに本降りに。靴がびしょびしょになる。

 昼休みに『スワン家のほうへ Ⅱ』。サロンでの存在感が減じていき、フォルシュヴィルの登場で、さしものスワンも冷静でいられないのか、奇行が増えはじめる。オデットのアパルトマンを訪れるのが夜の日課になっていたのが、ある日、体調が悪いといって早い時間(といっても23時とか)に追い出され、いったん帰ったものの、あれはほかの男を招き入れるためだったでは?と疑って、わざわざ馬車に乗って再訪し、鎧戸に耳をくっつけて盗み聞き。一巻でも、青年期の〈私〉は覗きをしていて、窃視、というのは、プルーストの主人公が冒された病癖なのだろうか。昨日読んだ芸術新潮の三島特集のなかで平野啓一郎が、〈豊穣の海〉シリーズの第三巻『暁の寺』と第四巻『天人五衰』という最晩年の作品に〈のぞき〉というモチーフが描かれることを指摘していた。いずれも準主役の本多繁邦(シリーズ全体の主人公は転生していく松枝清顕だが、三、四巻では本多の行動が中心に描かれる)が他人のセックスを覗いている。さらに『午後の曳航』でも母のセックスを覗く少年が描かれていた、と。三島はプルーストを愛読していたから、もちろん『失われた時』の〈私〉やスワンの覗きのシーンも読んでいただろうし、念頭に置いていたのだろう。そう考えてみると、スワンの覗きが失敗に終わった(意を決してノックしたら違う人の部屋だった)ことと、本多の覗きが二度とも望ましくない結果に終わる(『暁の寺』では火事、『天人五衰』では逮捕)のは、三島なりのオマージュかもしれない、とここまで書いてきてふと思ったのだが、私はまだ『失われた時を求めて』を全体の二、三割しか読んでおらず、もしかしたらこの後、私は未読だけど三島は読んだ、ぜんぜん違う覗きのシーンが描かれてるかもしれない。

 働いているうちに雨はやみ、帰宅時はひどく寒い。224/555


10月18日(月)晴。昨夜も十二時過ぎまで眠れず、やっと眠れたと思ったら三時過ぎに目が覚めた。りんごを食べ、シャワーを浴びてまた布団に戻り、五時ごろ寝る。七時すぎにまた目覚める。グズグズしながら外出、出勤。猫の家ではたぶんいちばん幼い子猫が窓の外を眺めている。

 昼休みにプルースト。当初はスワンとオデットの恋の協力者のように振る舞っていたヴェルデュラン夫人が、スワンが自分の取り巻きとして望ましい行動を取らないことに憤慨して、推しを(オデットをめぐる恋敵の)フォルシュヴィルに変え、スワンを冷遇しはじめる。オデットも、スワンとの恋の駆け引きなのか、夫人の意向に従うような素振りを見せる。スワン、さすがに堪えて、一人でいるときに丸々四ページもつかって夫人への罵倒を述べ立てたり、オデットに向かって、いかに自分がこの扱いを気に病んでいないか、を長々と主張したりする。自分の現状への否認の痛々しさよ。

 しかし、それに対して、この期間のフォルシュヴィルの様子をあまり詳細に書きこまないのが上手い。こんだけ罵倒に紙幅を費やすのだから、その気になれば、状況を察して勝ち誇ったりするフォルシュヴィルの様子も実にいやらしく書くことだってできるのに、プルーストはあえて筆を抑制している。そこまでするとあざとすぎる、という判断なのか。長大な、とにかく延々と文章の続く作品ではあるが、省筆の美、とでもいうべきものも押さえられていて、イヤほんとに上手いな。もちろんまだ事態はぜんぜん終わってないので、このあとのページでめちゃくちゃ書かれてるのかもしれないが。

 疲れ切って帰宅、読書をすこし、それから日記を書く。一日眠気が取れなかった。240/555


10月19日(火)雨。ひどい低気圧のなか一日労働。昼休みも帰宅後も、低気圧の頭痛で何もできず、風呂にも入らずに寝た。プルーストは読まず。240/555


10月20日(水)晴。午前三時ごろ目を覚まし、SNSやニュースサイトを巡回して五時ごろ寝なおし、七時過ぎに目覚める。一昨日と同じだ。最近眠りの質が低い。起きてからもグズグズして、風呂にも入らず出勤。昼休み、去年の芸術新潮の三島由紀夫特集を読む。こうやって、死んで五十年後に、文芸誌ではない場所で大きな特集が組まれる、というのはすごいことで、なんというか野心がムラムラする。どこかで、村上春樹『羊をめぐる冒険』は三島の『夏子の冒険』のパロディだ、みたいなことを読んだのを思い出して、〈三島由紀夫 村上春樹〉で検索してみると、『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』という本がいちばん上に出てきた。この本を読んだ記憶はないが……。舞城王太郎みたいな題、と思ったが、舞城は『世界は密室でできている。』で、いうほど似てないな。

 昼休みにプルースト。スワンがますます追い詰められていき、むりやり理由を作ってオデットの小旅行先に自分も行ったり、そのくせ行った先ではオデットを避けて行動したりと、なんというか童貞こじらせた片思い野郎みたいになっている。今日読んだ五十ページほどのうち半分くらいが、スワンが自分の恋愛についてウダウダ考えてドツボに嵌まっていく、その思考がつぶさに描かれていて、こいつはもうだめだ……と思っていたところで、語り手が持ち前のシニカルな口調で、「もはやその恋は、外科でいう手術不能だったのである。」とバッサリやっていて、笑っちゃった。しかしスワンは希死念慮まで抱きはじめている。知らん間に実存を差し出してしまうのが恋!

 退勤後、いったん帰宅、髪を切って外出。シェアサイクル、というのをはじめて使う。充電池やモーターが入ってるぶんふつうの自転車より重く、アシストなしで走ろうとしたらけっこうきつかった。しかしスイッチを入れると、一漕ぎごとに体感より勢いよく加速して、これはこれで扱いかねる。自分の身体感覚とそのアウトプットが一致していない居心地の悪さ。難しいな。でもたぶんこれは数を重ねればアジャスト可能な範囲内。パニック障碍を発症してからは電車に数駅乗るのも困難で、荻窪とか神保町にすら行けなかった、のが、渋谷という、今の私にとってはけっこうな遠出ができた。夜の渋谷を徘徊してから歩いて帰宅。疲れ切っていたが、昨日は風呂に入ってないし今日髪を切りもしたので、むりやり入浴。髪は乾かせなかった。291/555


10月21日(木)曇。低気圧。五時ごろに目覚める。私は天然パーマなので、多少の寝癖ならごまかせる。

 近所のマンションで、よく上半身裸でルーフバルコニーに出て日光浴をしてるおじさんがいるのだが、今日はオレンジ色のTシャツを着て、ダークグレーの猫を可愛がっている。ガシガシと撫で、何か話しかけてから、よっこいせ、という感じで担ぎ上げて部屋に戻っていった。猫も担ぎ上げられ慣れているらしく、おじさんの肩の上でだらしなく身体を伸ばしていて、仲よさそう。ルーフバルコニーのあるマンションで、真っ赤なパラソルを広げて日光浴をして、ときどき猫をだらーんと担ぎ上げたりする、というのは、なんというか日常が安定していていいな。今日は空気が冷たく、朝のうちはけっこう日射しもあって、気持ちが良い。

 散歩するような気分で出勤、昼休みに『スワン家のほうへ Ⅱ』。スワンが、オデットとの幸せだったころ、をフラッシュバックのように思い出す。記憶の瞬間がいつも鮮やかだ。帰宅途中のセブンで豚カルビ丼とレモンコーラを二本(二本目無料のキャンペーンをやってた)買って帰る。

 母が、たぶん文學界のプルースト企画の原稿を読んだらしく、パニック障碍を心配してLINEをくれる。老母に心配をかけることを心苦しく思いつつ、家族をふくめていろんな人に病状を知ってもらうことで生きやすくなるのでは、という思いもある。人に話すたびに気持ちが軽くなっていくのも事実だ。鳥取の美味い米を送ってくれるそう。

 ドカ食い後ちょっと作業、と思ってたら午前一時を過ぎている。352/555


10月22日(金)雨。二時ごろに寝て、八時過ぎに起きた。今日と明日は非番、久しぶりの二連休。朝から洗濯機を三回まわし、ベッドリネンを換えて、シンクにパイプユニッシュをぶちこむ。廃品回収の日だったので、古い雑誌やもう読まない本を括って出す。積み上げたら一メートルくらいになった。そのあとは夜まで作業。脳がしおしおで風呂にも入れず、床暖房をして床に寝る。今日はプルーストは読まず。352/555


10月23日(土)快晴。起きてすぐは頭が痛かったが、今日はロキソニンがよく効いた。午前中は長篇の作業。やや捗る。昼食を摂ってから、月一回の地元紙のコラム。三回続けて〈歩くこと〉について書きそうになり、慌ててテーマを変える。だんだん書き慣れてきて、短い時間で書き上げられるようになった。二時間ほどで終わらせる。夕方家を出、レンタサイクルで原宿へ。イケアでちょっと食品を買い、百均でプチブロックとかを買い、イケアに戻ってカフェでストロベリーチーズケーキとコーヒー。けっこう美味い、し、コーヒーが四百ミリリットルくらいあって良い。

 賑やかな客席で二、三十分プルースト。スワンがゆっくりと自分の失恋を理解していく……。

 それから歩いて帰宅、ライフで半額や三割引の惣菜を買い込んで夕食にする。寒くなってきた。378/555


10月24日(日)晴。今日は職場が午前中は閉鎖で、朝から昼は旧部署で働いてもよい、とのことで、それなら自分の仕事がしたい、と交渉して午前休を得た、のだが、けっきょく九時ごろまで寝ていた。小説の資料の下調べだけで午前が終わり、地元紙のコラム用の写真を撮るために早めに家を出た。一年くらい前、ふだんは通らない通勤ルートで見つけた、迷子鳥の貼り紙が、雨風でぼろぼろになっていたもの。久しぶりにそのルートを通り、写真を撮る。さらに風化が進んで、紙が風化して何も読み取れなくなり、電信柱の灰色が見えている。たぶん鳥は帰ってこなかった。

 退勤後にプルースト。〈大理石〉や〈ブーズヴァル〉という語から記憶が引き出される瞬間の描写が鮮やか。猜疑心の悪循環の果てに、スワンは、自分がいちばん幸せだと思っていた瞬間(はじめての口づけを交わし、〈カトレアする〉という二人だけの言語の生まれた夜)すら、オデットが嘘をついていて、自分と会う前フォルシュヴィルといたのだ、と知ってしまう。その瞬間から遡るようにして、幸せだったはずの記憶がオデットの嘘に浸される。ヤッター!と書いた私の高揚も。

 二人で過ごした日々のすべてを疑いはじめてしまう、過去の色ががらっと変わるこの瞬間は、バツイチであるところの私も、なんというか身に覚えが……。私は私を想起させる語り手が離婚する『震える虹彩』や「光の状況」という小説を書いた。ディテールもエピソードも実際とは異なるけれど、私の〈離婚〉という出来事をフィクションに落とし込んだもの。スワンもスワンの「光の状況」を書くといい。と思ったけど、オデットがのちに〈スワン夫人〉になることは、巻頭の登場人物紹介ですでに明かされているのだった。422/555


10月25日(月)晴。いつも八時に家を出ているのだが、今日は目が覚めたら七時四十五分とかで、慌てる。洗濯乾燥が終わってたのを急いで畳み、ばたばた出勤。

 昼休みに『スワン家のほうへ Ⅱ』。今日から第三部の「土地の名─名」。「スワンの恋」の終盤で、スワンが、新聞で〈大理石〉という単語を目にしただけで(ヴェルデュラン夫人がオデットに「あなたも大理石のような冷たい女じゃないでしょう」と言ったのを思い出して)オデットのことを考え、ブーズヴァルという土地が嵐で被害を受けた、というのを読んでは(ブレオーデ・ブーズヴィルという駅名を連想し、友人のブレオーデがオデットの愛人だったと知らされたことを思い出して)オデットのことを考えていた。そして「土地の名─名」の、今日読んだところでは、〈私〉がいろんな土地の名から、共感覚みたいなかんじでイメージを引き出す(「ヴィトレは、そのアクサン・テギュのせいか、古いガラス窓に菱形の黒い木枠をつけている」みたいに)。ある言葉から、自分自身にとってだけ意味をもつイメージを呼び起こす、という意味で、ふたつの記述はよく似ている。

 スワンはかつて、オデットとの間でだけ通じる「カトレアする」という言葉を作った。しかし恋の末期、〈大理石〉や〈ブーズヴァル〉という言葉の持つとくべつな意味を、スワンはもうオデットとは共有できなくなっていた。片思いをしているとき、人は恣意的な言葉の意味づけをひとりで思い描いている。それを誰かと共有すれば恋は二人のものになる。そして恋が終わるとき、言葉は、また孤独なイメージを描くようになる。

 ジルベルトとの、きっと無垢なのだろう恋愛の描写を読んでいても、「スワンの恋」の後では、その裏にちがう感情が幻視してしまう。そしてこの章ではオデットはスワン夫人として登場する! 恋は主観的で恣意的なもので、そしてそれがどう落着するのかなんて、恋してるさなかにはわからないのだ。交際している同僚たちの間では、〈フェリーに乗る〉という語が、〈デートする〉という意味をもっているかもしれない。いつか彼女が彼に別れを告げるとき、コロナとか雨とかで、けっきょくほんとうにはフェリーに乗らなかったね、と寂しげに言うのだろう。彼は、何度も乗ったじゃん、と二人だけの意味でその語を使いつづけるが、彼女は首を振って、乗らなかったよ、と言う。そして、また醤を使い切れなかったことを思い出すのだろう。人はそうやって、短命な恋をくり返しながら、反故になった特別な言葉を積み重ねていく。

 退勤後、ハーゲンダッツの期間限定のやつを食べてから寝るまで作業。466/555


10月26日(火)雨のち晴。

 昼休み、『スワン家のほうへ Ⅱ』の本文と場面索引を読み終わる。「土地の名─名」の終盤の、ブーローニュの森の時間の流しかた、ちょっとウルフの『灯台へ』の第二部を想起した。文章でタイムラプスをやるとこうなる、というのが、私の『灯台へ』第二部の印象で、「土地の名─名」で描かれる語り手の幼少期の初恋から、晩年である現在までのすべての森が、数ページのなかにすべて描きこまれている。良い……。

 帰宅後、インスタントの米麺を啜りながら皇族の結婚会見を観る。この会見を機に二人へのバッシングは下火になるだろう。とはいえ、皇族にはほとんど人権が認められていないし、どうやら皇族と結婚しようとする人の人権も認めなくてよい、と合意が形成されてしまったことは今回の件の致命的なレガシーだ。そしてそれに耐えて皇籍離脱までたどり着いた人がいる、というのも。べつに幸せになってもならなくてもいいけど、二人には健康でいてほしい。

『スワン家のほうへ Ⅱ』、風呂のなかで訳者あとがきも読了。昼間考えたことがめちゃくちゃ解像度高く、体系立てて説明されている。「すべてを変貌させずにはおかない時間の作用と、はかなく移ろいゆく風俗を強調するこの結びは、『見出された時』の小説の大団円で提示される時の破壊力の前触れとみなすこともできる」。良い……。この長大な小説について、どれだけ時間をかけて綿密に読み込めばこれほどに明晰に整理できるのか。推敲中に死んだプルーストよりも作品全体を把握してるのではないか。こんな読み手/訳し手を得られたプルーストは幸運だ。

 と私が〈幸運〉という言葉をつかったのはたぶん、こないだ読んだ上野千鶴子・鈴木涼美往復書簡『限界から始まる』のなかで、上野千鶴子が、カサノヴァ症候群とかニンフォマニアとか、とにかく性に奔放な人の回想記を読みあさってたとき、「これまでの最高のセックスは?」と尋ねられた彼らが一様に「愛しあった相手との気持ちの通じあったセックス」と答えてるのを読んで、(その感性を陳腐とは思わない、と念を押したうえで)「性と愛がたまたま一致する至福を経験したひとは幸運というべきでしょう。そしてそのセックスのクオリティの違いがわかるのは、そうでないセックスをたくさんしてきたからこそ、でしょう」と書いていて、自分と鈴木は「どぶに捨てるような」セックスを繰り返してきた、とこれまでのやりとりで確認してきた上野がこう書きつけるのは、自分たちは幸運ではなかったと暗に言っているのではないかと思い、ふと上野のセンチメンタリズムを垣間見た気がした、のが響いてきている。上野・鈴木往復書簡を、私は、一年前の連載時に誌面をコピーしたものを(単行本が出た今になって)一篇ずつ読んでいて、私は『失われた時を求めて』と『限界から始まる』と、よい作品を並行して読んでいる。うれしいことだ。555/555


10月27日(水)曇ときどき雨。昨夜はけっきょく二時ごろに寝、八時に目覚めた。今日は非番。資料を読み込んでメモを作る。それからSandor Ellix Katz『メタファーとしての発酵』。オライリーの本ははじめて読んだな。科学の専門書、ではなく、その知見を援用して世界のありかたを考える、というタイプの哲学書。〈発酵〉、よりも多義的な意味をもつ"Fermentation"という英単語を通じて世界を分析することもできるよ、というアイディアを提示した本だった。興味深く、しかし個々のトピックを掘り下げているわけではないので、やや食い足りない。主著の『発酵の技法』を読むべきか……。なんか衝動的に豚肉と白菜を買ってきてミルフィーユ鍋をこさえる。肉と葉っぱを重ねて切ってまあるく並べて塩と醤油と酒と水をジャッとやって煮込むだけでこんなにおいしい。それから山岸剛『東京パンデミック』(早稲田新書)をはんぶん読む。ツッコミを入れながら楽しむタイプの本。本のなかばで、著者は写真を撮りに早朝の明治神宮を歩く。「撮影機材も持たず、手ぶらである。撮影すべく体が反応したら、しばし吟味し、いざ撮影すべしとなれば、機材を取りに車に戻る」。いやカメラ持ち歩かないんかい。

 その後、まだ七時台なのにベッドに入り、寝。九時半ごろに目が覚めて、YouTubeで泉谷しげるが歌う動画を何本か見てから作業。頭のなかでずっと泉谷しげるが歌っててうっとおしい、のに、なぜか捗る。


10月28日(木)晴。早めに起き、プルーストをまた読みはじめる。上司が食あたりで休み。大丈夫なのか。昼休みの前半は『東京パンデミック』を最後まで。ひとつひとつは長くても数ページの、ほとんどは一枚の写真にまつわる断章で、それぞれの末尾に日付と感染者数が書き添えられていて、その変遷が、感染の拡大と一時的な収束の波を表して、写真に写る風景のありようと響き合っている、のか?と読んでいたら、東京都の感染者数、全国の感染者数、全国の死亡者数、アメリカの死亡者数、とコロコロ変わり、定点観測じゃないんかい、となる。それはつまり、今日はどの統計を書き添えよう、と日々考えていたということで、まさか、今日は日本で最初の死者が出たから全国の死亡者数にしようかな、とか考えたのだろうか。

 帰宅、スーパーの割引になってた惣菜を食べ、八時ごろにベッドに入る。家でくつろいでいたらとつぜん周囲の景色が変わり、透明な飛行機で高度一万メートルを飛んでいる、と思ったらいきなり床が抜けた!という夢を見、飛び起きる。午前二時ごろ。動悸とひどい手汗。水をたくさん飲む。155/555


10月29日(金)晴。七時前に目覚める。上司は今日も休み。ほんとうは今朝病院に行くつもりだった、のに、昨夜つらすぎて救急車を呼んだらしい。月曜日まで休むとのこと。昨夜の悪夢が尾を引いて、ぜんぜん頭が回らない。昼休みに『スワン家のほうへ Ⅱ』を進読。

 退勤。まだ悪夢が尾を引いて、ぐったり疲れて帰宅。スーパーの、今日も割引の惣菜をかっ食らって床暖房をつけ、ごろごろしながらプルースト。ひとしきり読んで風呂に入るともう23時を過ぎている。明日は食あたりの上司の代理で出勤。344/555


10月30日(土)晴。五時過ぎに目覚める。出勤してすぐ、前部署のヘルプを一時間ほど。それから現部署に戻り労働。昼休みと退勤後にプルースト。本文読了、ちょっと作業をして寝。519/555


10月31日(日)曇のち雨。朝から気圧が低く、朝から作業。朝食のあと出かける。ブックオフで本を売り、投票へ。会場に向かう間に小雨が降り出す。帰宅後、北海道新聞のエッセイを書き、送稿。そのあとプルースト、二度目の読了。サイトで公開するエッセイをちょっと書きはじめる。とにかく恋、恋だ。

 夜は池上彰の選挙特番を観ながらウーバーイーツでココイチのカレーを食う。池上彰の選挙特番、いろいろ疑問も不満もあるのになんか毎回観ちゃう、というのはなんか、自民党もこういう感じで政権を維持してしまっているのかもしれないな。結果を見届ける前に我慢できず寝た。555/555


11月1日(月)曇。今日も低気圧。昨夜のカレーのためか、朝から腹痛、選挙も地獄のような結果。エッセイを引き続き書く。難航しているのは、私が、あんまり恋愛小説とか読まず、恋愛についての引き出しがほとんど空っぽ、なのに恋愛について書こうとしているから。精進せねば。

 あまり捗らないまま出勤の時間。昼休み、柴田元幸編著『文字の都市』。読みふける。

 退勤後、前部署である図書館へ。ひとしきりコピーをしてから資料読み。一通り読み、必要なところをコピーして帰ろうとすると、(失恋した同僚改め)同僚に恋する同僚もちょうど退勤したところだった。やな予感がすると同時に「ご報告がありまして!」と言われ、もうその口調で用件がぜんぶわかる。

 そこから((失恋した同僚改め)同僚に恋する同僚改め)同僚と交際してる同僚の恋バナ。けっきょく彼女は、私のアドバイスどおりの流れでデートの約束を取りつけたらしい。横須賀からフェリーで猿島に行くことになったのだとか。恋心を自覚してからあんまり素直にしゃべれない、と言っていたが、よくがんばった。すぐ日程を詰め(十月十七日)、その流れで旅程を立てるためにLINEを交換して、当日までに服装とかご飯のところとかの相談をして……と進展していき、そこまでのやりとりをすべて職場での会話ではなくLINEでやった、というのも、私のアドバイスにのっとったことで、なんというか素直すぎる。おれが邪悪な人間で二人の破滅を望んでたらどうするんだ。 

 しかし十月十七日は雨の予報で(私はその日、雨のなかびしょびしょの靴で出勤していた)、日がちかづくにつれて、どうやら猿島はむずかしそうだね、ということになり、けっきょく映画を観に行こう、となった、のが十月十三日の夜。でもがまんできなくて、その流れでLINEで伝えちゃったんです!とのこと。そしたら電話かけてきてくれて、じゃあつきあいましょう、っていうことになった。前の恋人との顛末は『花束みたいな恋をした』みたいな恋だと思いながら聞いていたが、同僚との恋の話はなんか、そういう映画を観てないので例が思いつかないけど、高校生みたいな恋愛の進めかただな。好きとは言ってくれなかったけど……とちょっと不服げに言ってみせていたが、これは惚気だ。アラサーにもなって初心ですよねえ、と自分で言ってりゃ世話がない。そういえば誕生日いつですか?と訊かれて十月十四日だと答えると、エーじゃあ電話切ったの十四日だからわたしたちの記念日も十月十四日にします!と嬉しそうな感じで言われ、ほんとうにいやそうな声で「イヤそれは」と返してしまった。

 今日は彼が非番の日で、職場の前で待っててくれるのだという。よく退勤の待ち伏せされるひとだね、と言いそうになったががまん。ふたりでお幸せにね、と言うと、はい!ととても良いお返事で、また膝が砕けそうになる。スワンの恋は、成就したと思った日、じつはすでに終わっていた。今日の彼女のこの笑顔も、遠いいつかから遡って、まったく違う感情に染められる日がくるのかもしれない。同僚がその対象になったことでフィクションと感じられなくなった彼女の恋は、私が先月の日記でさんざん描写したからか、それとも単に異動したからか、私にとってフィクションに戻り、しかしフィクションなら成就したあとは終わるだけだ。彼女の元恋人は、今日も麻雀に行っているだろうか。彼女はもう新しい恋人のために醤を買っただろうか?

 そういえば、『限界から始まる』のなかで、上野千鶴子がこういうことを書いていた。「付け加えておくならば、「恋愛」は決して自我の境界線を死守するようなゲームではありません。自分とは違う他者の手応えをしたたかに味わうことを通じて、自分と他者とを同時に知っていく過程です。他者が絶対的に隔絶した存在であること、他者とは決して所有もコントロールもできない存在であることを確認しあう行為です。恋愛はひとを溶け合わせる代わりに、「孤独」へと導きます。その「孤独」はなんとすがすがしいことでしょう。」同僚の元恋人のことが今いちばん気になる。彼の孤独はどんな風だろう。

 帰宅、引き続きエッセイ。ひとまず最後まで書く。床暖房をつけてひとしきりごろごろしてから入浴。


11月2日(火)晴。湿度が高い。朝、エッセイの推敲。

 昼休み、三田文学の最新号に載った遠藤周作の日記を読む。イスラエルやメキシコへの取材旅行の途中に出会った人や出来事から短篇を着想している、のが印象に残る。三島もそういえば、『金閣寺』の下調べから着想を得たらしい短篇を書いてたな。長篇のかたわらに短篇群を生み出すこと。そして狐狸庵先生、めちゃくちゃ頻繁に旅行をしている。毎日書いてるわけではない(一ヶ月以上日付が飛ぶこともけっこうある)し、書かなかった日は書くべきことがなかったということなのだろうが、それにしたってすごいエネルギッシュだ。大阪や神戸への日帰り旅行も何度もしている。そしてそのほとんどが、講演や対談や取材という、仕事のための旅。すごいなあ、おれもこのくらいたくさん仕事したい、と思いつつ、それだけ新幹線や飛行機に乗る記述が多く、軽めのパニック発作。息が苦しくなる。

 帰宅中、疲れがひどく、帰り際にコンビニで、睡眠の質を向上する、という売りの〈ネルノダ〉というすごい名前の飲み物を買う。びっくりするほど不味い。


11月3日(水)晴。五時半にすっきり目覚めた、のは、ネルノダが効いたということなのか。あんなに不味かったのに。

 日記を公開用に改変しはじめる。恋する同僚については、すでにある程度設定を固めているので、なんというか、小説の続篇を書くような気分で、先月ほどの労力ではない。かなり捗る。ネルノダのおかげなのか。釈然としない。

 読み返しながら、ここ三か月で触れた恋愛もののことを考える。『花束みたいな恋をした』、同僚の失恋と新しい恋、そして「スワンの恋」。実った恋はいずれ終わり、しかし、終わったあとに成就する何かもある。スワンとオデットが、あの恋の終わりのあとに何があって夫妻になったのかは、読者にはわからない。先月結婚して皇籍離脱した女性について、「女の人には“幸福になる権利”もあれば“不幸になる権利”もある」と鈴木涼美が言っていた。もちろんそれは男の人であっても同じだ。麦くんと絹ちゃんは、スワンとオデットは、二人の同僚は、そして同僚と別れた彼は、私がこの文章を書いている今どんな孤独のなかにいるのだろう。

 昼休み、大正十年に出た天然曹達開発についての本『世界の不思議』(が国会図書館デジタルコレクションにあったのをプリントしたもの)を読む。なぞの東アフリカ訪問記みたいなのが入っていて、面白い。それから古井由吉『書く、読む、生きる』起読。古井由吉のエッセイはいつも背筋が伸びる。飄然とした凄み。退勤、帰宅。しかし疲れ切って何もできない。床暖房もつけない冷たいフローリングに仰向けになって、気がついたら二時間くらい経っている。寝ていたわけではなくずっと考えごとをしていたのだが、何を考えていたのか何も憶えていない。それからセブンの惣菜を食って風呂。『村上朝日堂』を読みはじめたが、肩の力の抜けたエッセイで、これはべつに背筋が伸びたりはせず、寝る前にはすごく良いな。布団に入ってtwitterを開くと、友人が裏アカで「寝ても寝てもねむいお」とつぶやいている。