プルースト 2022.10.12~2022.11.8

10月12日(水)曇。朝、三十分ほど、ちょっと遠くまで散歩。昨日家に籠もっていたので、身体がなまっていて、昼にも五十分ほど散歩した。さいきん出歩ける距離が伸びてきて、それはもちろんうれしいのだが、五十分も散歩したらほとんどそれで昼休みが終わり、プルーストを読めない。これはどうしたもんかな。とはいえ、今はメンタルの健康を取り戻すのが最優先なので、散歩を縮めようとは思わない。

 作業の合間に、明後日公開するプルースト日記の誤字脱字の修正作業。作業の合間に作業……?となりつつ、ともあれ、また全文を読みかえす。サッカーとバスケの一ヶ月。

 ヴァンフォーレ甲府は今週末の天皇杯決勝に勝てばACL出場権を獲得することになるが、ホームスタジアムがACLの基準を満たしておらず、特例が認められなければ別のスタジアムを探さなければならないらしい。県内に基準を満たした場所はなく、けっこう難しそう。もう十数年も県内に新しい総合球技場をつくろうという動きがあり、二〇一八年には各フロアの構成まで決めたモデルプランも公表されていたが、翌年に現職を破って当選した新知事が、県の負担が大きいとして計画の見直しを表明、そのまま頓挫してしまっている……、と、なんというか地方都市のスポーツ政策としてよくある流れだ。

 鳥取のバードスタジアムも、たしか収容人数はぎりぎりJ1ライセンス相当だけど、トイレの数か何かが基準に足りないせいでJ2ライセンスしか交付されていなかった。改修しようという動きもあったが、そもそもいまJ3なのにJ1のライセンス必要なくない?みたいになって頓挫していたような。難しいものですね。

 そのあとはまた作業に戻る。夜は炒飯を作って、セブンの塩ラーメンといっしょに食いつつ『いいいじゅー!!』の沼津回。YouTuberでカップルチャンネルをやってる元ホストと元キャバ嬢、仲良しすぎて、カメラが回ってる前でも性の匂いがすごい。これはカップルであることを商材にしてるからなのか、前職の名残なのか、単に仲良しすぎるのか。二人とも前職では店のナンバーワンだったそうで、性(交)への距離の近さを感じさせること、というのは、疑似恋愛を演じる仕事で売れる秘訣なのかもしれないな。なんか幸せそうでよかった。


10月13日(木)曇のち雨。三十二歳最後の一日で、しかしまあこの歳になると何の感慨もない。十九年前は、十三歳までなら罪を犯しても罰せられないんだぜえ、みたいなことを友人と言いあって、言いあうだけで何かするわけではないのだが、なぞの全能感に酔いしれていたものだ。

 今日も長めの散歩をして始業。中篇のつもりで書いていた小説が、当初の予定の倍ちかくなりそうで、これでは長篇だ。目標だった誕生日の脱稿はどうも難しそうだが、とにかくごりごり書いていく。

 夕方くらいから雨の音が強まりはじめる。夜はクリームシチューをつくった。


10月14日(金)雨の誕生日。小雨のうちに散歩。最寄り駅まで歩いて、改札階に降りる。かつてはこの道の半分くらいでひどいパニックになったものだったが、今日は、ちょっと腹が苦しくなるくらいでほとんど問題なくたどり着く。ちょっとずつ良くなっているのだ。帰宅して賞味期限切れの納豆を食った。

 昼休みにプルーストを起読。最終巻『見出された時 Ⅱ』。装画は、今回ばかりはパッと見てわかる、大聖堂だ。かなり描き込みが細かい。プルーストもだんだん絵が上手くなっている。五巻のあれとか何だったんだろ。巻末の図版一覧によるとこれは〈アミアン大聖堂の西正面〉とのこと。

 大長篇の最終場面、ゲルマント大公邸でのアフタヌーンパーティ。前巻でめちゃくちゃ一気に時間が飛んで、語り手は、そこで会う人々が、親しく会っていたころからまったく様子が変わってしまっていることに驚く。彼はその変貌を、まず〈メーキャップ〉によるものと誤解し、観察を続けるうちに、単に年老いたことで髪や肌が変化してそうなったのだ!と気づく。「変装術もここまで高度になれば、変装以上のものとなり、人間まで完全に変えてしまう。」皮肉というか単に性格が悪い。もちろんこの観察の裏には、語り手の、自分はまだ若い、という認識がある、し、前巻で時間を飛ばしたからこそ、読者はきっと(実際にその時間を過ごした〈私〉以上に)彼のことを若者として認識してるだろうから、こうやって念を押しているのかしれない。

 語り手はパーティの席で、ジルベルトに、ふたりだけでディナーを食べよう、と誘われてこう返す。「若い男とふたりだけで夕食へ行ったりすれば評判を落とすとお考えでないのでしたら」。そして周囲が失笑するのを聞いて慌てて付け加える。「いやむしろ年老いた男と、と言うべきでしたね。」私は今日三十三歳になった。自分ではまだ若いつもりだが、高校三年生だったとき、三十代の教員は全員おっさんやおばさんだと思ってたな。そのころ同学年の女子がよく、(部活の新入生とかと比べて)自分を〈ババア〉と言っていた。それは、実際に自分が老婆になったと思っているわけではなく、こないだまで中学生だった後輩たちよりも自分たちは経験を積んだ大人だと(ほんの二歳差にすぎないのに)思っていて、それを自虐で包むために選んだ言葉が〈ババア〉だったのだろう。

 二十八歳でホッフェンハイムの監督になったユリアン・ナーゲルスマンは、ニュースで言及されるとき、枕詞のように〈青年監督〉と呼ばれていた。四十四歳で監督としてデビューしたジネディーヌ・ジダンも、たしか一、二度だったが、〈青年監督〉と紹介されていた。ナーゲルスマンもジダンも、〈ババア〉と自称していた彼女たちよりは十も二十も年上なのだが、プロサッカークラブの監督としては若年だからそう呼ばれた。

 じゃあ、小説家は? 中学三年生のころ、私と同学年の書き手が新人賞を受賞してデビューした。彼女は〈青年〉と呼ばれるにも若すぎたが、さすがに〈少女作家〉とは呼ばれなかった、と思う。何年か前には〈青春小説〉の向こうを張って〈玄冬小説〉を自称する人もいた。あらゆる年代でデビューしうるし活躍しうる職業だ。ベテランのサッカー選手がよく「年齢は数字でしかない」というが、小説家もそれは同じだ。私はデビューしたとき二十一歳で、当時は疑いの余地なく青年だった。三十三歳の今はどうだろうか。

 午後、作業をしていると、友人から誕生日プレゼントが届く。入浴剤やお茶、もこもこの靴下などが入っていて、お礼の連絡をすると、「おうちの中でのんびりセレクトです」と返され、パニックで外出自体に忌避感がある私を気づかってくれたのだろう、と思い、不覚にも泣きそうになってしまう。三十三歳にもなると人の真心が身に沁みる……。51/344


10月15日(土)晴。毎月十四日に公開する予定でやってるプルースト日記、今月分は早めに準備してたのに、昨日公開し忘れてた!と気づいて飛び起きる。頭痛でいまいち頭が回らないが、昼寝をするとすこし楽になり、午後は捗った。

 夕方、スープをつくって昨日の残りの中華といっしょに食べながら、録画してた『ねほりんぱほりん』。ギリギリの資産でFIREをした、二、三十代の男性二人が出演していて、将来の不安はないか、と訊かれた二人が、二人とも「不安はない」と言い切っていた。二人の口ぶりからは、今のまま現状維持できる──大怪我や病気はせず、住居や家族構成に変化も生じない──ことに確信を抱いているようで、観ていて考え込んでしまう。自由な暮らしがしたい、というのが二人の早期退職の目的だったが、理由が〈上司の命令〉から〈生活上の必要〉に変わっただけで、何かに迫られた人生に変わりはないような。その気になればすぐにでもファットFIRE(じゅうぶんな資産を持った早期退職者)になれるだろうMC二人を前に、川辺の草もけっこう食える、みたいに力説するのは、画面上は豚とモグラのぬいぐるみだからいいけども、生身の人間がそれをやってると考えるともの悲しい、が、自由というのは主観的なものだから、本人が充足していればそれでいいのか。考え込んでしまう。そのあとは夜までもくもく作業。51/344


10月16日(日)曇。ライターズインレジデンスに招かれて、私は北欧のどこかに行くことになった。空港(というか軍の飛行場といった雰囲気の場所)に行き、パニック発作が起きるんじゃないか、とナーバスになりながら搭乗時間を待つ。やがて案内された場所に駐機していたのは、パイロットともう一人しか乗れない小型機が、レジデンシーの人数分。これに乗って音速飛行でデンマークまで(と書きながら思い出したのは、ほんとうに夢のなかでも〈デンマーク〉と言われたのか、書きながら頭が捏造した記憶なのだろうか)行くという。こんなん乗ったらパニックを超えて、離陸後あっという間に失神してしまって苦しむ時間が短い、なるほどこれは合理的だ、と感心した、ところで乗るまでもなく失神して、気がつくとみんなでバドミントンをやっている、というところで目が覚めた。悪夢なのだろうか。

 昼休みにプルーストを進読。今月は読む分量が短い(本の厚さはふだんと同じだけど、総ページ数の半分ちかくを総索引が占めていて、小説本文は三百ページくらい、場面索引や訳者あとがきを含めても三百四十四ページ)。アフタヌーンパーティの場に集った人々を見て、語り手はさんざん彼らの老いによる変化を描写しているのだが、〈このような変質だけを気にとめているわけにはいかないだろう〉などと考える。「というのも私は、一時的な気晴らしなどには中断されぬほど決定的な軌道に乗った自分の作品に思いを馳せながらも、相変わらず知りあいの人たちに挨拶をし、ことばを交わしていたからである。」この〈自分の作品〉って何だろう。語り手はずっと、自分には重要な仕事(文学)があるッ!と言いながらいっこうに取りかからない、というのを、サン=ルーにまでからかわれていた。が、それも彼が若者だったころの話か。

 窓の外から子供たちの騒ぐ声。秋祭りらしい。散歩に出てみると、車道を塞いで消火器体験とか出店とかが賑やかで、しかしさいきんずっと家の近く、つまり住宅街から出ずに生活してるものだから、まっすぐ歩けないくらいの混雑、なんて久しぶりで、参る。マスクをしてない人は一割くらいだから、テレビで見る渋谷なんかよりはよほど治安が良い。そうはいってもこれではのんきにそぞろ歩くなんてできないので、すぐにその場を離れて三十分ほど散歩。

 今日は天皇杯の決勝戦、甲府対広島。母が山梨出身なので、甲府に肩入れして観る。完璧にデザインされた連携から甲府が先制、後半に広島が選手層の厚さで押しこみはじめ、最後は個人の力で叩きこんで追いつき、消耗戦の延長を戦ったあと、PK戦までもつれ込んで甲府の優勝。甲府のGK河田選手、G大阪時代の二〇一四年(ガンバが国内三冠した年)に優勝経験がある、といってもそのシーズンはナビスコカップに一試合出ただけで、甲府でも主力とバックアッパーを行き来するようなキャリアだったけど、この試合では延長後半とPK戦で合計二度PKを止めた。延長後半でハンドしてPKを与えてしまった甲府のバンディエラ山本、そのPKを止められた満田が、ともにPK戦の五人目のキッカーとして蹴り、二人とも決めた、というのも良かったな。大きなミスからいかにリカバーするか。良い試合だった。MVPは選手なら河田、サポーターなら甲府のでかい旗を振ってた、試合後には号泣していた腰の曲がったおじいちゃんです。来年の甲府はJ2からACLに参戦する。スタジアムの問題はどうなるのかしらん。感無量でしばらく何も手につかず、まだ早いのに風呂を沸かす。92/344


10月17日(月)雨、一時曇。朝、ちょっと止んでる間に散歩。今日は低気圧のためか、やや頭の巡りが悪く捗らないながら、夕方までせっせと書く。毎週月曜日は二、三回洗濯機を回すのだが、うちの洗濯機は乾燥機能つきで、部屋の空気が一日ふんわりしている。

 夜、友人の翻訳家・川野太郎さんの、三日前の日記を読む。「さいきん、日記を書かなかったことがすこし残念だ。でも「日常」の感覚が崩れていた時期なんだと納得もする。/ここに書けるのは、その言葉にどんな意味があるとしても「日常」の範囲のことなのだ。/逆にいえば「日常」ということの意味がここには書かれている。」先月の日記で川野さんは、日記を「毎日書くことががもたらすのは、凝縮したものからはこぼれ落ちるささいな出来事どもの豊穣だ。」(〈がが〉は原文のママ)と書いていた。憶えてられないディテールの集積としての〈日常〉を、身近につなぎとめておくための日記、祈りみたいな。92/344


10月18日(火)曇。午前の遅い時間に、急に腹が痛くなる。横になって昔の『名探偵コナン』を読みかえしていて、コナンたちが通う帝丹小学校の校長・植松竜司郎が初登場したのだが、きれいな白髪に山羊鬚、めちゃ長い眉毛が顎のあたりまで垂れている、という仙人じみたデザインで、しかし設定上は五十九歳だった。このエピソード(十六巻)を描いたとき三十代半ばだった作者の青山剛昌にとって、植松は父親くらいの年齢で、自分から離れた年齢の人として描いたからそういう造形をしたのだろうか。いま五十九歳になった青山は、作中に五十九歳の男性を登場させるとき、いったいどういうデザインにするんだろう。

 昨日報道があって、信じないようにしていたのだが、中村俊輔選手が引退を正式に発表した。四十四歳。ここ最近は怪我や不調でなかなか試合にも出られずにいたとはいえ、J3やJFLにカテゴリを下げてでもずっと現役なのでは、と勝手に思っていた。すでにB級の指導者ライセンス(アマチュアレベルの指導ができる)を持っていて、今後A級、S級の取得も目指すそうで、いずれは監督になるのだろうか。

 現役選手として亡くなった松田直樹をはじめ、中澤佑二、ドゥトラ、栗原勇蔵、奥大介や久保竜彦、そして中村俊輔。私が好きだったころのマリノスの選手が、これでもう全員引退してしまった。おセンチになり、レンジャーズ戦のミドルシュートを何度も観てしまう。

 今日は昼も夜も昨日のシチューの残りを食べた。たしか壁井ユカコが、原稿が切羽詰まるとカレーばっか作るって書いていた、と思い返して『キーリ』をぱらぱらすると、七巻のあとがきに、「修羅場前にカレーを鍋いっぱい作る習性が。自分の食料について何日か思考を働かせなくていいので」とあった。はじめて読んだ高校生のときは、小説を書いてはいたけど小説家になりたいとはまだ思っておらず、フーン小説家ってたいへんなんだなあ、くらいに受け止めてたな。しかし鍋が空になったので、明日は何食べるかな。92/344


10月19日(水)晴。早起きして洗濯機を二度回し、散歩へ。しかし家事をせっせとやってたらトイレに行きそびれていて、歩いてるうちに腸が活性化されたのか便意がすごい。急いで帰って出すものを出し、昼ごろに十数分散歩した以外はもくもく作業。さいきんあまり捗らない、が、中距離走のつもりだったのが走ってるうちにどんどん距離が伸びてきた、と考えれば、疲れてきてるのも当然か。とはいえ、来週の水曜日にワクチンの予約をしてしまった、ので、そこまでにはやっつけたいところ。

 午後、気分転換にプルースト。最終盤に至って、以前の記述とは「齟齬をきたす」とか「前段とうまくつながらない」と訳註で指摘される箇所が増えている。いったん最後まで書いたとはいえ、死後に不完全なかたちで刊行され、それが自身の、さらには二十世紀世界文学の代表作として読み継がれる、というのは、忸怩たるものがあるだろうな。そう考えると三島が『天人五衰』を擱筆したその日に自死した(というか決行の日に合わせて書き終えた)のは、未完の作品を残さなかった、という一点において(のみ)美しい最期だったといえるかもしれない。

 語り手はパーティに集う人々を見ながらこう考える。「このような多くの人の結びつきが相まってひとつの状況がつくられたので、私にはその状況こそが完全な統一体であり、個々の人物はその構成要素にすぎないように思われた。」「私の生涯になんらかの位置を占めた人物のなかで、いや事物のなかでさえ、わが生涯においてつぎつぎとさまざまな役割を果たさなかったものはない。」さらに註によるとプルーストは、第一巻の刊行前日のインタビューで、「私の書物の最後には、第一巻ではずいぶん異なる社会に属するふたりの人物が結婚するといった取るに足りぬ些細な社会的事象が、時の経過を示してくれ、時によってエメラルドの鞘のなかに収められたヴェルサイユ庭園の古色を帯びた鉛管のような美しさをまとうでしょう。」と語っていたらしい。自作の完成度に対する強い自負。第一巻を出した時点では全三篇の予定で、第一次世界大戦を挟んで大きく構想がふくらんだ、とどこかで読んだことがある。当初の構想より長大になった作品を締めくくるにあたって、発表前夜の自負を再確認する、というのは、これはプルースト、書いててめちゃくちゃ気持ち良かっただろうな。

 夜、ちっとも頭が回らなくなってミルクパスタをつくる。雪印のHPで公開してた、麺を別茹でする必要がないから楽ちん!というレシピで、あんまり期待してなかったのだが、案外美味かった。153/344


10月20日(木)快晴。寝てる間に、一昨日交通事故に遭い、重傷を負っていた仲本工事の訃報。仲本工事、『寝ても覚めても』の演技が印象に残っていて、私にとってはお笑いより俳優のイメージが強い。しかし事故を起こしてしまった人も七十代の、自分よりすこし年上のあんちゃんたちとしてザ・ドリフターズを見ていたであろう世代の人。しんみりする。

 味噌汁と目玉焼きで朝食とし、それから散歩と買いもの。ピルクルがヤクルトY1000のインスパイア系らしい飲みものを出しているのが入荷していたので、とりあえず一パック買った。

 昼休みにプルースト。パーティの席で話しかけてきた〈ひとりの太った婦人〉と挨拶を交わし、これ誰だ……?と必死に記憶を探り、スワン夫人かな、と思ったら、実はその娘であるジルベルトだった!というシーンが描かれていて、しかし初恋の人で、大人になってからも親しくつきあった人を、十年ちょい会わないくらいで忘れ、その母親と混同することなんてあるのだろうか。訳者は前巻(十三巻)のあとがきで、一巻冒頭で描かれた不眠の夜は、十三巻中盤の十年あまりの療養期間中に位置するのではないか、と指摘してたが、だとしたら、すでに彼はその人生の詳細な回想をはじめてもいるはずで、そのなかでジルベルトのことも繰り返し考えていた。語り手は本巻で記憶の不確かさをたびたび強調してるけど、ここまでくると、加齢によって健忘や相貌失認をきたしているようにすら見えてしまう。

 今ではジルベルトは、アンドレを〈離れがたい友〉としてつきあっているという。語り手が勘ぐるようないろんな経緯があるにせよ、私の推しと〈私〉の初恋の人が親友になってるの、なんか無性に嬉しいな。

 しかし〈私〉は、ジルベルトと「「また会いたいものだ」と考えたのではなく、むしろこんなことを言った、とびきり若い娘たちといっしょに招待してくれるならいつだって嬉しい、できれば貧しい娘たちといっしょなら、ささやかな贈りものでも喜んでくれるだろうし、そもそも自分がその娘たちに求めるのは、自分のうちに昔の夢想や悲哀をよみがえらせることだけで、そんな日はやって来そうにもないが、もしかすると清らかな接吻をふたたび生じさせることくらいだろうか、と。」これはたぶん、語り手の、〈花咲く乙女たち〉への、老いても忘れられない執着を表している。あるいはシャルリュス男爵が年老いて自分の欲望を隠せなくなり顰蹙を買っていたことを想起させもする。さすがにちょっと気持ち悪い。高齢の金持ちが若く貧しい娘たちにささやかな贈りものと引き替えに求める接吻が清らかなものであるはずがない。

 夜になってトマト缶であれこれ煮込んでパスタにする。カレーほどではないにせよ、煮込んだりするだけならあんまり何も考えなくてよくて楽だ。夜のニュースで仲本工事のことをやっている。近代演劇の研究者である笹山敬輔が、仲本工事は「やりたいことができなくなってからが人生の出発点だ」と言っていた、というようなことを話していた。もう六年前のことだが、飯田橋文学会の〈現代作家アーカイヴ〉の古井由吉のインタヴューを観に行ったとき、古井が「書くことがなくなってからが勝負だ。(…)書くことがなくなってきた自分の底にいろんなものがある。自分の意識しないものがあるはずだ。それを少しずつ引っぱり出してくるのが文学者の仕事ではないか」と言っていた。芸を極めた人のたどり着く境地なんだな。

 今の引用は飯田橋文学会のサイトで公開してた動画を観ながら書いたのだが、あの場の雰囲気、すごく良かった。「「あれ書こう」「これ書こう」のうちはまだほんとうに表現の緊張はない」。そういえば『現代作家アーカイヴ』、単行本としては三冊しか出てないけど、続刊はもう出ないのかしらん。

 風呂に入ってる間にトラス英首相辞任が報じられていた。就任直後からめちゃ批判が多く、支持率も二十パーセントを切っていた、とはいえ、一ヶ月半で七パーセントに急落して辞任、というのは、国民(やメディア)がちゃんと政権を監視して、政治家もその声を聞いて行動している、ということ。まともな民主主義が機能している。

 日記を読みかえしていて、ふと思って調べてみると『キーリ』、知らないうち(といっても二〇一三年、今から九年も前だ)にサイドストーリーの掌篇が電子で無料配信されていた、のでさっそく読む。本篇を最後に読んだのもけっこう前で、ウワー懐かしい!となってる間に終わった。しかしこれ、キャラ同士の関係性が変化する重要な瞬間を描いた作品で、電子で出すだけってのもなんかもったいないな。本作は『キーリ』十周年記念作品とのことだが、来年は二十周年で、何か動きがあるかしら。同じ電撃文庫作品だと橋本紡『半分の月がのぼる空』が、文庫書き下ろしで刊行→〈完全版〉として単行本化→他社で再文庫化されていた。と思って橋本紡のことを検索してみると、いつの間にか(これも二〇一三年、四十代半ばで)小説家廃業を宣言している。いろんな人生があるな。196/344


10月21日(金)快晴。昨夜のパスタがまだ胃に残ってるので朝食はつくらず、りんごだけ食う。昼になってもまだ、空腹というほどではなかったので、UFOの焼きそばに納豆をぶち込んで食った。

 昼過ぎに散歩、図書館へ。廃棄本のコーナーに、『文學界』の二〇二一年十月号が置いてあった。特集は〈プルーストを読む日々〉。私が『失われた時を求めて』の七巻だけを読んで書いたエッセイが収録されている号だ。雑誌は一年経ったら廃棄するのだから、去年の九月に出た号がいま廃棄されているのは当然のこと、なのだが、毎月プルーストを一冊読んで十枚のエッセイを書き、さらにその期間中の日記も公開する、という、なんでそんなことやってんのかわからん自主企画のきっかけになった仕事を、その企画が終わろうとするいま見つける、というのは、面白い巡り合わせ、が、もらって帰ったりはしない、同じものが家にあるので。196/344


10月22日(土)晴。昨夜はY1000みたいなピルクルを飲んで寝た。しかし効きすぎたのか、起きてしばらく身体が言うことを聞かず、立ち上がるとよろけてしまう。寝ている間に、工藤壮人逝去の報。水頭症で手術後、何日か集中治療室に入っていた。粛然とした気持ち。

 スーパーの開店時間に合わせて散歩に出る。Y1000をひとパック確保してほかの棚を見ていると、入口のほうから猛然と突進する足音が聞こえ、おじさんが残りのY1000(ふたパックとバラ売り六本)をカゴもつかわずに抱えこみ、小走りでレジに向かって、「袋いらない!」と叫んだ。転売なのか家族が多いのか、いずれにしてもいやなものを見てしまったな。

 昼過ぎまで作業をして、美味いちらし寿司と美味いケーキを食いながらルヴァンカップ決勝、セレッソ大阪対広島。ヨニッチの暴行さえなければ……。先週号泣していた、今日もすさまじいパスミスで失点の原因になった佐々木翔が報われて良かった。

 お腹がくちくなったので十五分ほど昼寝して、ムクリと起きて作業を再開。あとワンシーンちょいで長篇が終わる。二十五日が地元紙のコラムの締め切りだから、明後日までにはひとまず最後まで書きたいところ。

 夜、風呂のなかで『美術手帖』の二〇二二年七月号。ゲルハルト・リヒター特集が目当てで、特集の論考はいずれもたいへん面白く、しかしそれ以上に同号収録の、ついでに読んだロバート・スミッソン「フレデリック・ロー・オルムステッドと弁証法的風景」が、私の関心とたいへん合致していて、大興奮して風呂を出る。こうやって、たまたま読んだものが響く、というのは幸運なことだ。196/344


10月23日(日)晴のち曇。遅めに起きて、三十分ほど散歩した。中篇のつもりが長篇になった小説の、最後の場面に今日から取っ組む。そのことを歩きながらずっと考えていた。散歩、というのはそぞろ歩くことだが、家に帰れば原稿と取っ組むわけで、歩いてるうちに殺伐としてくる、と古井由吉が書いていた。私はどうだろう。ラストシーンは空港が舞台で、私はパニック障碍で自分が空港に行くのはけっこうしんどいのだが、必要だから書くしかない。

 遅めの昼食に銀だこを食い、ちょっと昼寝。十五分ほどで起きて夜までカリコリ書く。そのあと炒飯を作り、食いながら『ねほりんぱほりん』のボディーガード回。どうしてもケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンの映画とか、元総理の暗殺事件のことを考えてしまうな、と思いながら観はじめたら、案の定、というか、映画の主題歌が流れたり、〈この番組は二〇二二年四月に収録しました〉と強調したりしている。警視庁所属で政府要人を警護するSPではなく、あくまでも民間警備会社のスタッフであるボディガードについての話である、と念を押していて、これを流すにはこういう処理が必要だと判断されたのだなあ、ということが、ボディーガードの仕事以上に興味深い。196/344


10月24日(月)朝は雨、昼ごろにすこし日が射して、午後は曇。昨夜は洗濯機を回すのを忘れて寝ていた、ということで起きてまず洗濯。今日で長篇が完成する予定で、急ぎすぎないように小まめに休憩しながら書いていく。

 昼食のあと、晴れ間に散歩。家から離れるごとに、あるいは知らない道や見慣れない景色のなかを歩くときに、ここから安心できる場所までの時間を考えて不安になり、それが高まるとパニックになる、というのがわかってきた。しかしそうすると、旅行とか帰省のときはもれなく発作を起こしてしまうことになる。マインドセットを変えないといけないんだろうな。

 午後四時ごろ、長篇がひとまず完成した。そのあとは読書をして過ごす。夕食は長篇をやっつけたのでウーバーイーツで美味いとんかつを頼む。修論を提出した日も、この店でとんかつを食べてから『シング・ストリート』を観に行ったのだった。もう五年半も前か。

 そのあと、風呂のなかでアニー・エルノーの『シンプルな情熱』を、十数年ぶりに。書くことについての考察が(セックスのアレゴリーとしてはあんまり効いてなかった気がするが)興味深い。「私が書いたのは、彼についての本ではない。自分についての本でさえない。私は、彼の存在が、存在であるというただそれだけのことによって私にもたらしてくれたものを、言葉に──彼はたぶん読まない、彼に向けられているのではない言葉に直しただけだ。これは、贈り物に対する一種の返礼なのだ。」というフレーズがたいへん響く。私が、例えば兄からの苛烈な暴力を繰り返し小説に書くのは、なるほど〈贈り物に対する一種の返礼〉か。世のオートフィクションは、それだけでなく、例えば批評もそうだけど、なにかに触発されて書かれるテクストはすべて〈返礼〉なのかもしれない。196/344


10月25日(火)曇。起きて味噌汁を作り、仕込んでおいた茶葉蛋と白米とヨーグルトで朝食。食べるまでに一晩以上かかる料理、昨日と今日が連続してる感じで良いな。朝の散歩はせず、地元紙のコラムを起筆。昨日まで長篇に集中しててノープランで、ひとまずタコについて書き連ねていく。が、半分くらい書いて、なぜおれはタコのことを……?となり、ぜんぶ打っちゃってゲルハルト・リヒターのことを書きはじめる。

 昼過ぎに散歩。近所の新築マンションの入居がはじまっていて、いくつも並ぶ窓から空っぽの部屋が見えているうち二、三戸だけ、それぞれ違うカーテンが下がっている。

 やたら真面目な文章になったコラムを送稿したあとは、ちょっと事務作業をして、長篇の推敲。明日ワクチンの接種(四度目)なのでできればそれまでに区切りをつけたい、が、三割くらいやったところで集中が途切れる。カレーを作って『鶴瓶の家族に乾杯』のYOUさんの回の前篇。YOUさんの出演番組をふだん『ねほりんぱほりん』しか観ないせいで、YOUさんの声なのにモグラではない……となった。196/344


10月26日(水)快晴、気持ちの良い秋晴れ。早起きして推敲を進めていく。今日は十時からワクチン接種で、ややナーバスになっていたが、作業に集中してれば落ち着ける。

 けっきょく終わらず、区役所の出張所にある接種会場へ。BGMとしてバックストリート・ボーイズのBLACK & BLUEが流れている。懐かしいな。十五分の経過観察を終えて、すこし散歩する。通りがかった公園で、保育園の帽子をかぶった子供が十数人、大暴れをしていて、そのうちのひとりが滑り台のてっぺんに仁王立ちして「おれはアクマだぞー!」と叫び、引率の先生に「〈おれ〉なんて言葉つかっちゃだめだよ」と窘められていた。注意するのはそこなのか。

 そういえば私も昔は、〈おれ〉は乱暴な言葉だから〈ぼく〉をつかうように親に言われていた。中学くらいまでは外で〈おれ〉、家族といるときは〈ぼく〉をつかっていたが、面倒になって高校のころは〈ぼく〉で統一していた。状況に応じて〈ぼく〉〈おれ〉〈わたし〉やその他をつかいわけるようになったのは大学生になってからだ。最近は〈あーし〉が多い気がするな。

 帰宅して作業を続ける。私は推敲、プリントアウトしてやる派なのだが、ここ二ヶ月で千百枚以上推敲していて、プリンタを酷使している。十七時前、副反応で腕が上がらなくなってきたころようやく終わり、編集者に送りつけた。朝ひるたくさんカレーを食ったからかあまり腹が減っておらず、夕食はお菓子で済ましてしまう。196/344


10月27日(木)晴、だんだん曇。ふだんは六時間睡眠なのに、今日は十時間も寝ていた。昨日のワクチンの影響なのだろう。『バガボンド』のなかで、ふくらはぎを深く斬られた武蔵がめちゃくちゃ深く眠った、まるで傷を負った野生動物のように、みたいな描写があって、私も(刀で斬られたことはないが)インフルエンザに罹ったりするとやたらと睡眠時間が延びる。接種のときにもらった紙には、「接種直後よりも翌日に痛みを感じている方が多いです」とあったが、ぐっすり寝たおかげか、私は今日のほうが楽だった。

 昨日長篇を送稿したということで、今日は本休日。ディートマー・エルガーの『評伝 ゲルハルト・リヒター』。途中クイーンのウェンブリーでのライブ映像とかを観ながら、一日かけて読んだ。現代で最も成功した画家の試行錯誤の軌跡。若き日のリヒターが、街の空き店舗でグループ展に際してこう言っていた。「この展覧会は商業的な性格のものではなく、専らデモンストレーションに限定した性格のものであるので、ギャラリー、美術館、芸術協会といった場所で開催するつもりはなかった」。二年半前『震える虹彩』を作っていたとき、私も似たようなことを考えてたような。

 二〇二五年開館予定の鳥取県立美術館の目玉としてウォーホルの「ブリロの箱」(たわしの箱を模した立体作品)を五点、合計三億円弱で購入して、そのことが賛否(否のほうが多い)を呼び、急遽説明会を開催することになった、というニュースを見る。五点のうちひとつはウォーホルがつくったもの(六千八百万円)、あとはその死後に関係者がつくったもの(ひとつ五千六百万円)で、七千万円以上の動産を購入するときは県議会の承認が必要、という条例にも、一個ずつ買ったために抵触しなかったそうで、市民が知ったのは購入後、というのも批判の的になっているそう。

 批判の声として、「高い」「五個もいらない」「本人がつくったもの以外はレプリカでいい」みたいなのが紹介されていて、ウォーホルが登場したときの議論を見ているようだ(しかしメジャーな作家のマイナーな作品を買う、というのは地方の公立美術館のセオリーだし、ウォーホルなんてビッグネームの作品が三億というのはめちゃ安いような)。

「鳥取で本物を見られることに感動」という市民の声が肯定的な意見として紹介されているが、大量生産品を、他人であっても再現可能な手法で作品化する、というコンセプトでつくった作品にもかかわらず、アンディ・ウォーホルという名前が巨大になりすぎたことによって特別なものになってしまった、という、作品の根幹に対する批評になっていて面白い。

 教育委員会の、集客効果だけじゃなく「新たな視点で物事を柔軟にとらえ、想像力を豊かにする教育効果もある」というコメントは、わかりやすい〈意義〉を提示しなければならない文化政策の難しさを感じる。ウォーホルも自分の作品が教育的なものだと評価されるとは思ってなかっただろうな。196/344


10月28日(金)晴、ほぼ快晴。腕の痛みがほぼなくなった、が、かわりに足がやたらと痒い。これも副反応なのか、単に乾燥しているからか。接種のあとはどんな不調も副反応かと思ってしまうな。

 散歩をしていると、公園にいくつかマーカーが置かれ、保育園の子供たちがかけっこをしている。保護者っぽい人も見ていて、これは運動会なのか。このこと日記に書こう、と思い、歩道から写真を撮った、のだが、遠すぎるうえに手前の街路樹が映りこんだりしていて、なんかこう、リヒターが「ビルケナウ」のもとにした写真のようだな、と思いついてしまい、しかしあれは死体を処理するゾンダーコマンドやガス室に追い立てられている全裸の女性を写したものなのだから、公園でかけっこする園児たちをそれに擬えるのはさすがにいかがなものか、というか園児たちを遠くから盗撮するのがいちばんだめですね。すぐに消しました。

 昼休みにプルースト。オデットは今やゲルマント公爵の愛人になっていて、ダンスをともなわない昼間のパーティしか開いてはいけない、と嫉妬深い公爵に強いられているという。人生いろいろだな。

 午後、散歩して、文房具屋でちいさいスケッチブックを買った。リヒターのことを考え続けていたり、川野太郎さんがコラージュ作品をInstagramにアップしてたりで、さいきん絵を描きたい気持ちになっている。260/344


10月29日(土)快晴。どうにも頭が痛い。風呂のなかでアニー・エルノー『戸外の日記』を読了した。街のなかで語り手が目にした人々のスケッチ、『ダゲール街の人々』みたいだったな。ヴァルダに比べてエルノーの視線はすごく内向的な感じがする。

「最終的には、私はこれらの断章の中に、当初考えたよりもずっと多く自分を注入することになった。つねに念頭を去らない考えとか、想い出などが、定着すべき言葉や憧憬の選択を無意識のうちに決定するからである。しかも私は今では、人が自己をあらわに見出すのは私的日記(ジュルナル・アンティーム)による内省においてよりも、むしろ自らを外界に映し出してみるときだと確信している。(…)地下鉄や待合室の中でたまたま隣り合う匿名の他者たちこそが、興味、怒り、あるいは恥辱を覚えさせる形で私たちを貫通し、そうすることで私たちの記憶を呼び覚まし、私たち自身に己を知らしめてくれる。」と著者は序文に書いている。目の前の事物の描写に徹底することで自分自身が表出してしまう、というのは、私も一年半日記を書いてきて、畏れとともに実感している。

 私は日記を公開するときに、自分や他人のプライバシーに関わるところや、批判が痛烈すぎたり単なる愚痴だったりするところを削っている。そのとき、公開することに差し障りがあるような内容ではない箇所にも改変をくわえることがよくある。私小説的なものを書くときにはそういう、自己を開示しすぎることへの躊躇い、みたいなものはあまり感じないのだが、日記は、全体の結構性みたいなものが求められないからこそ、生のままの自分を書きこむことがこわいのだろうか。

 風呂から出、ウーバーイーツで頼んだ朝マックを食って、そこからはのんびりすごす。昼寝して、目が覚めると十五時過ぎ、マリノス対浦和を前半十分くらいから観。マリノスが四対一で勝った。夜まで頭痛は楽にならず。260/344


10月30日(日)快晴。ひどい頭痛で起きる。三十分ほど散歩したあとは床で横になり、頭痛に耐える。寝返りを打った拍子に眼鏡を身体の下に敷いてしまう。いやな音がしたと思ったら、フレームが壊れてレンズが外れていた。慌ててアロンアルファで補修。眉間のあたりに段差ができてしまったが、見えかたには問題なし。やや接着剤の匂いがするのもそのうち消えるはず。人と会うときはコンタクトだし、ひとまずこれでよしとしよう。

 そのあとは引き続き頭痛に耐えつつ読書などをする。昼過ぎ外出、一時間くらい散歩する。近所の公園で幼稚園から小学校低学年くらいの集団が、孫悟空や何かのプリンセスの恰好で騒いでいる。そのあと、彼らが街を練り歩いてるのとすれ違う。個人経営の店に入って「トリックオアトリート!」と叫んでいた。ハロウィンっていうのはこういうものですよね。

 それからすこし昼寝、起きてSNSを見ていると、札幌にいたころ働いてたバーのマスターがYouTubeチャンネルを立ち上げていた。私はYouTuberの動画を観る習慣がない。それでYouTuberといえば他人のプライベートを暴露するかドーミーインでさっぱり丸するかのイメージしかなく、彼のキャラならどっちもやりかねんな……と思いながら観たら、コロナ禍で苦境にあるすすきのの街を盛り上げるために、飲食店の店主の人柄を紹介するチャンネルだった。まともか。しかしなんかマスター、身体がふくらんだ感じするなあ。

 そのあとは夜まで読書して、ウーバーイーツで頼んだ美味い中華を食いながら、録画してた『ブラタモリ』の鳥取砂丘回。私は鳥取出身だし、仕事の都合もあってそれなりに鳥取に詳しいつもりでいたのだが、知らないことも多い。なんか疲れがひどく、頭痛もよくならず、力尽きて早寝。260/344


10月31日(月)快晴、秋晴れ。まだ頭痛が残っているが、だいぶ楽になった。今日はカウンセリングで、朝からややナーバスになっている、ので気晴らしに散歩を一時間ほど。それからカウンセリングまで軽めに作業。長篇をやっつけてから二、三日は書き終えた作品に頭(と何より心)がまだ居残っていて、急いで次作を書きはじめると前作の残響が出てしまう。高校のころから、長篇を書き終えたら旅行したりめちゃ好きな本を読んだりゲームを一本まるごとやったりしていて、今回は、なんかずっとリヒターのことを考えていたな。そうしているうちに心身が次作に向きはじめる。明日あたりからまたはじめましょう。

 昼ごろにカウンセリングをしたあとは読書。夕方すこし散歩して、夜は牡蠣のクリームパスタを作り、ハロウィンのニュースを観ながら食べる。ソウルの繁華街で起きた、群衆雪崩(〈将棋倒し〉という表現は、日本将棋連盟の抗議で使用しないことになったらしい)で百五十人以上が亡くなった事故で、死者に日本人が含まれていたそうで、早速テレビが遺族に突撃して心境を尋ねている。〈外国で飛行機が墜ちました/ニュースキャスターは嬉しそうに/乗客に日本人はいませんでした いませんでした いませんでした/僕は何を思えばいいんだろう/僕は何て言えばいいんだろう〉とTHE YELLOW MONKEYが歌っていたことを思い出す。ニュースでこれを言うのは安否確認の問い合わせが殺到して本来の救命業務に支障を来すことを防ぐため、というのはわかりつつ、今日みたいな日本のジャーナリズムのありかたを見るだに、これが日本のジャーナリズムか、と皮肉のひとつも言いたくなってしまう。

 日本人犠牲者が二人(十代と二十代の女性)、インタビューに応えたのが三人(父親が二人と祖父が一人)で、異口同音に〈かわいい子だった〉と言っていたのが印象に残る。事故の報道を見て、ソウルにいる子や孫のことを思い、連絡が取れず不安を感じていたところで警察か外務省からの電話で訃報を受け取り、動揺していたところでマスコミが押しかけてきたら、上手い受け答えなんて考えられなくて、シンプルな表現しか出てこなかった、ということなのだろうか。そういうときの感情のシミュレーションがあんまりできないな。人生経験が足りない。260/344


11月1日(火)曇。雨が降るかも、という予報だったが、降らず。昼過ぎにワールドカップの日本代表メンバーの発表。森保監督、すごいナーバスになってるな、と思いながら聞いていたら、たしかに批判を集めそうな人選。森保監督は、アメリカとの親善試合で堅守速攻が機能したことでこの戦術を採用することにした、のでしょうが、ほかのカードを完全に放棄してしまっていいのだろうか。堅守速攻一本槍が、ドイツやスペインという試合巧者にも通用するかどうか。私ならどうするか一時間くらい考えて、それなら君が代表監督、という言葉が頭に蘇り、考えるのをやめる。特定のフレーズが頭に浮かぶことで思考が阻害される、というのは、なんかトカトントンみたいだな。

 そのあとはずっと読書、プルーストを進読。語り手は、自分が書くべき〈作品〉について考えはじめる。「いまこそ着手すべきである、と。」本作は語り手が大作を執筆する決意を固めたところで終わる、というのは、七巻を起読する前(私は本作を、まず七巻を読み、そのあと一巻から順に読んできた)に知っていた。しかし註によると、この場面は一九二五年ごろと設定されてるそうで、だとしたらプルーストの死の三年後だ。ここを書いたとき、すでに自分の死がそう遠くないことを察していただろうプルーストは、その年まで生きることを願って作中の年代を設定したのかもしれない。

 ついに本文を読了。〈人間は、あたかも生きた竹馬のうえに乗っているようなもので、その竹馬はどんどん大きく成長し、ときには鐘塔よりも高くなり、ついには人間の歩行を困難かつ危険なものにして、人間は突然そこから転落するしかないのだ〉とプルーストは書き、この〈竹馬〉という語に附された本巻の(つまり本作の)最後の訳註は、解説文と、本作の註でたびたび参照されてきた『二十世紀ラルース辞典』から転載された、竹馬に乗る羊飼いの絵だった。無数の教養がちりばめられた、五千はくだらないだろう訳註のラストが竹馬の絵、というのは、なんというか抜け感があって良いな。

 夜、パエリアをつくって食いながら『鶴瓶の家族に乾杯』の軽井沢回、後篇。出てくる人がほとんど金持ちっぽくてすごい。304/344


11月2日(水)快晴、暑いくらいの一日。どうにも眠気が取れず、何の気なしに読んだAERAdot.の「カタールW杯、日本代表に「選んで欲しかった11人」」という記事(三和直樹氏)で、昨日森保監督の会見を観ながら頭に浮かんだ人が全員挙げられていて、何にも付け加えることがない……と感服して完全に覚醒した。三和氏はサッカーより日本のプロ野球を中心に仕事をしている人らしいが、ここまで一致する人ははじめてだ。名前を憶えておこう。

 家族や友人から立て続けにめでたい報せ。おれにも吉報がほしい、と思いながら一日を過ごしたが、とくになにもなし。一章が短くて隙間時間に読み進めていたエドワード・ブルック=ヒッチング『キツネ潰し』を読了した。妙ちきりんな、ぜんぜん定着しなかったスポーツが紹介されていて、なんかちょっと『ニムロッド』に出てくる〈ダメな飛行機コレクション〉みたいだった(あれもNAVERまとめの引用らしいけど)。

 午後、『失われた時を求めて』最終巻の訳者あとがき。本文と同じくらいに訳者あとがきの明晰さも楽しみに読んでいたので、読み終わってしまって寂しい。ふと思ったのだが、あくまでもプルーストの文章に附された註にすぎないとはいえ、最後の訳註として竹馬を乗りこなす人の絵を収録したのは、新訳の依頼から二十年、訳出の開始から十数年、刊行開始から九年近くの歳月を、〈大した病気もせず、仕事をつづけることができた僥倖に、ただただ感謝するばかりである〉と感慨にふける訳者が、〈竹馬〉から転落することなく大業をなした自分自身をねぎらう意味もあるのではないか。というのは、さすがに深読みのしすぎか。おつかれさまでした。

 ウォーホルの「ブリロの箱」を鳥取県立美術館が購入した件で、米子市(鳥取県西部の中心都市)で住民説明会が開かれた、とのニュース。参加者は約五十人で、一時間ほど行われたという説明は、私が読んだTBS NEWS DIGの記事では、「我々美術館というのは、美術作品を作家が望む状態で展示する義務があります。ブリロというのは大量生産大量消費というのがこの作品の、ウォーホルの意図を正しく伝えるためにということ」というところしか引用されていない。県民の批判的な発言としては、「ポップアートとか意味すら分からない人が大多数。投資目的で買われたのであれば大きな間違いだと思います」「貧乏県がお金をかけずにやるには、地元の県でもっとメジャーになるものを県の美術館が掘り起こして、次の世代に渡していくという責任があると思います」というのが挙げられている。肯定的な意見としては「知見のある専門家の方々にお任せするのが良いと思うので、今回の事がなぜこんな大騒動になっているのかさっぱり分かりません」というのがあった。

 経緯を調べてみると、今年六月(県議会総務教育常任委員会の資料が県のHPで公開されていた)には、「キャンベルスープ缶」の立体作品が購入候補として挙げられている。事前に策定した収集方針のうち「戦後の美術・文化の流れを示す優れた作品」が掲げられ、「本作品は10エディションのうちの1点であり、多数流通している版画作品と比較すると大変希少性が高く、日本国内での所蔵もほとんどない貴重な作品」であり、「現代美術コレクションの核となる貴重な作品」として選定されていた。購入予定価格は三千三百九十万円だったが、八月に実際に購入したときの金額は約四千五百万円とのこと。

「ブリロの箱」が候補に挙げられたのは今年七月の同委員会で、五点合計の購入予定金額は二億九千百四十五万六千円。これも同じく「戦後の美術・文化の流れを示す優れた作品」であり、そのなかでも「前衛精神を示す作品」に該当するそう。「この機会を逃すと今後の入手は極めて困難」であり、「ポップカルチャーの発信にも力点を置く予定の美術館として、大衆文化とそれが生んだ様々な表現について多様な視点を来館者に提供するために、また、世界的なアーティストの代表的な作品に早くから触れられる環境を提供するために、先に収集した《キャンベルスープ缶》と合せて幅広く展示展開する上で必要な作品」ということらしい。

 作品のコンセプトやこの美術館で果たす役割、は十分に説明されているように感じるし、説明会の記事や議会での資料を見る限り、展示目的で買ったのは明らか(投資的な価値もある、みたいな話が説明会で出た可能性はある)だ。「地元の県でもっとメジャーになるものを県の美術館が掘り起こして、次の世代に渡していく」というのも、収集方針として(〈国内外の優れた美術〉とは別に)〈鳥取県の美術〉というのが立項されていて、さらに現存作家への委託制作作品として〈鳥取の風景や風土に根ざした作品〉を「半恒久的に設置する」ことが明記されているのを無視しているように思える。という点で、ニュースで紹介されていた批判はあまり的を射ていないのでは。

 ちなみに県立博物館の美術分野の所蔵状況(これまで県立美術館がなかったため、博物館が美術品も収集していた)を見ると、〈近代・現代彫刻〉は郷土作家の作品が九十六点、その他が五点となっていて、美術館の方針における〈鳥取県の美術〉に該当するものが九十五パーセント、油彩の〈洋画〉では八十六パーセント(郷土作家が五百九十六点、その他が九十七点)。これがすべて県立美術館に移管されるわけではないかもしれないが、すでにかなり〈地元〉の作品の収集に力を入れていることがわかる。

 十月二十九日に岩美町(鳥取市の隣町)で行われた説明会では、収蔵品として「20世紀の新しい表現を求めた作品が欠けているとして、20世紀を代表するウォーホルの代表作を購入」(日本海テレビ)した、という経緯が説明されている。参加者の批判としては、「この3億何千万のものを買って、じゃあ、30万人も50万人も集まるんですか?私は難しいと思う。」とか、同じ人の、「新聞にはベニヤ板とか書いてありますけども、そういうもんに3億も金かける値打ちがあるもんかないもんか、理解できませんよ。」というのと、ほかの人の「ポップアートを買いそろえるのかなと思ったら、そうでもないという感じでしたし、非常に中途半端なという印象が残りました。」というのが紹介されている。別にポップアート美術館じゃないんだからポップアートを買いそろえる必要はないと思うが、それを除けばやっぱり、三億円という金額に対する批判が主らしい。〈地元の県でもっとメジャーになるもの〉という、事前の予測がきわめて困難なことを求める意見も含めて、コスパ的な発想なのだろう。

 TBSの記事のなかでは平井知事の「シャガールとかルノアールとか、県民がものすごくわかりやすく、これ見たいなというのはあるじゃないですか。そうすると返ってくる答えが、何十億、何百億になりますと。美術品の値段も上がってきている状況がある中で、専門的な知見を持った人たちも苦労されてのウォーホルという選択だったんだろうと思います」というコメントも紹介されていた。財政的な効率を言うなら、クリスティーズのオークションでウォーホルのShot Sage Blue Marilynが一億九千五百万ドルで落札されたことが今年の五月にニュースになっていたように、三億円というのは破格で、事前の説明不足の理由として県が挙げた「世界的に著名な美術品は、購入の動きが売り手に分かると価格を釣り上げられてしまうため」というのはすごく説得力がある。

 すでに鳥取を離れて十五年くらい経つ私がこの件をめちゃ気にしてるのは、ウォーホルが鳥取県にあることのインパクトはもちろん、中学生のころ(二〇〇三〜二〇〇五年)だったと思うのだけど、鳥取県立博物館で開催された現代美術展でジョナサン・ラスカーの作品を横から観たことを鮮明に憶えているからだ。額に入れられていない油絵を観たのはそれが初めてで、キャンバスになすりつけられたようなめちゃくちゃ分厚い絵の具の質感は、十数年後の今も私にとって、現代美術を考えるときの参照点になっている気がする。そういう経験があるから、議会の資料にあった「世界的なアーティストの代表的な作品に早くから触れられる」というのはほんとうに重要なことだと思う。しかしあれは企画展だったのだから、私が十代前半でこの経験をもてたのは偶然にすぎない。そういう意味でも、(県立美術館でウォーホルが常設展示されるかはわからないが)今回の購入は良いことだ。

 私がこの件を批判するとしたら、説明会では「大量生産の時代に入ったアメリカを象徴する作品であり、1点では意味がない」(さんいん中央テレビ)と、五点セットで購入することの意義が強調されていたのにも関わらず、一点ごとの価格が七千万円以下だという理由で県議会の承認なく購入した、という手続き上のダブルスタンダードくらい。『Pass me!』という、美術館の設置の進捗を報告するフリーペーパーの第一号(二〇一九年一二月)のなかで、コンセプトのひとつとして「県民が参加できる美術館づくり」を掲げ、その例として「つくるプロセスをオープンに」とも書いていた、ことに反しているような。とはいえ、価格の釣り上げを避けるため、という理由があったのだし、年鑑購入予算(五億円)内にはおさまっているのだから、これも大きな問題だとは思わないな。

 あとはもう、「ベニヤ板とか書いてありますけども」に象徴されるような、ポップアートの価値に対する(なかば感情的な)疑義、みたいなところか。そういえば、『ユリイカ』のゲルハルト・リヒター特集号に収録された沢山遼「二つの体制」のなかで、写真を下地にした作品づくり、という点でリヒターと似た作家としてウォーホルが挙げられていた。そのなかでは、(あくまでも自分の手で写真を描き写すリヒターに対して)ウォーホルはシルクスクリーンという複製技術を活用した、という点が強調されていた。「ブリロの箱」は、今回購入された五箱中四箱はウォーホルの死後に他人が作成したものだというから、少なくとも、作り手の技術が仕上がりを左右するものではなかったのだろう。きっと実際に見てもただの木箱で、なぜそれが現代アートとして重要なのか、というのを、作品を目の当たりに考える、というのは、大きな意義がある。二〇二五年の春に開館予定ということで、それまでにはパニック障碍をなんとかして観に行きたいな。344/344


11月4日(金)晴。遅くまで寝ていた。さすがに十一月になると涼しい、と思ったが、日射しがあたたかく、散歩してたらけっこう汗をかいた。プルーストを再起読、どんどん読んでいく。

 昼休みに昨日の日記を読みかえして、もうちょっと論としてまとめてみようか、と思いついたのだが、門外漢で、すでに鳥取県民でなくなってから十数年経つ私が嘴を突っこむのはあまり良いことではないし、日記で書くくらいがちょうどいいかな。

 夜に良いベーコンとふつうのカニカマで炒飯をつくり、食いながら辻仁成の料理番組(!)。パリぐらしをエンジョイしていて、ひどくうらやましくなる。辻は私より三十歳年長(同じ十月生まれ)で、私が生まれた年に小説家としてデビューした。私も三十年後、どこかの街でエンジョイしていたいな。163/344


11月5日(土)晴。起きて軽めに作業して、プルーストをもくもく進読。十四時に中断して、ウーバーイーツでマクドナルドのワールドカップコラボのやつを頼み、J1最終節、マリノス対神戸。終始安定した戦いでマリノスが勝ち、三年ぶり五度目の優勝。水沼宏太と宮市亮がうれしそうで、私もうれしくなる。

 監督がモンバエルツからポステコグルーになって、スタイルが守備重視から攻撃重視に変わり、一年後、その変化を象徴するようにCBの中澤選手が引退したあたりで、私はマリノスのファンをやめてしまったのだが、翌シーズンでいきなり優勝し、ポステコグルーの後任のマスカット体制でもスタイルは変わらず、また優勝。幼少期から(もともとJリーグ最初期の強豪だったヴェルディが好きで、私がはじめてヴェルディが負けるのを観たときの対戦相手だったジュビロを嫌いになり、そのあとではじめてジュビロが負けるのを観たときの対戦相手だったマリノスを好きになり、マリノスのスタイルはイタリア代表に近い、というのを知ってイタリア代表も追いかけるようになり、そのイタリアが二〇〇六年にワールドカップで優勝したことでやっぱりこのスタイルが良い、となってマリノスのこともより好きになり、という、振り返るとよくわからん経緯で)ずっと好きだったマリノスは、なんというか長くつきあった元恋人みたいな感じで、その優勝は、もちろんネガティブな気持ちになりはしないが、おれから離れたとたんに幸せそうにしていて、なんか複雑な気持ちになってしまう。勝手なものだ。

 そのあとは、夜までかけてプルーストを再読了した。304/344


11月6日(日)晴。一日家にいた。二、三時間ごとに何かを食べ続け、一日ずっと胸焼けがしていた。今月の、最後のプルースト文章を起筆。しかしこれで十四巻、読んで書いてを計十五回繰り返してきて、油断してると思い入れたっぷりに書いてしまいそうで、気をつけないと。

〈『失われた時を求めて』と日常のつづき〉というシリーズ名のこの文章は、かつて(もう一年半くらい前)文學界からの、〈『失われた時を求めて』全十四巻のなかの指定された巻だけを読んで十枚程度の文章を書く〉という依頼を受けて七巻を読んで書いたもの、を、それだけではいずれ私のエッセイ集か何かが出るときに、なんでこいつは七巻しか読んでないんだ?となりかねないから、せっかくだし最初から読んで書こう、と思いついてはじめたものだ。けっきょく七巻を二度読んだのだから、エッセイ集が出るとき、なんでこいつは七巻だけ二度読んでんだ?となりかねないのだが、それはいいとして、私はここまでに十四のエッセイと、〈昼休みにプルースト〉というシリーズの十四の日記を自分のサイトにアップした。一冊だけ読んで書く、といいつつ、すでに読んでしまった巻を無視して今の一冊だけを読むことなんてできない。

 昼食のあと三十分ほど寝。眠気覚ましに過去の日記を読みかえしていると、昨日の私がマリノスを〈長くつきあった元恋人みたいな感じ〉と書いている。こいつは何を言ってるんだ。

 夜、ひとまず書き上げて、悪くなりそうな食材をまとめて鍋にぶちこんで食ってから、アニー・エルノー『場所』。語り手がプルーストに言及している。「「方言」や庶民の話し言葉の「一風変わった生きのよさ」を愛好する人々がいる。たとえばプルーストは、フランソワーズの言葉遣いに混在する文法的な誤りや古い語彙を、ほれぼれしながら書きとめていた。ただ審美的な面にのみ、彼は関心を抱いていた。フランソワーズは彼の女中であって、母親ではなかったからだ。」

 フランソワーズというのは作中での名前で、訳註にあるようにモデルはゼルスト・アルバレだ。作中人物とモデルの関係を、プルーストは何層かのレイヤーを利用して慎重に書いていたから、少なくとも私には、プルーストがフランソワーズの言葉を書きとめていた、という捉えかたはできない。それにプルーストは〈一風変わった生きのよさ〉や〈審美的な面〉のみで作中に方言や庶民の話し言葉を書きこんでいたわけではなく、エルノーの〈私の父〉が〈方言は古臭くて醜いもの、劣等性を示すしるしの一つ〉と認識していたように、人物の所属する階級を表すサインとして機能させていた。ここらへんは解釈違いですね。

『場所』、語り手が、死んでいった父と自分の階層の違いばかりを考えていて、もの悲しくなる。田辺聖子の日記で、病み衰えていく父親を軽蔑したような記述ばかりだったのに、父が死んだ途端に手の平を返したように心底からの悲しみの言葉が並んでいた、ことをふと思い出す。私が両親の死をモチーフに書いたらどうなるだろう。父の死が主題の小説だけど、ときどき何気なく、母親の抑圧的な台詞が書きこまれてるのもこわかったな。


11月7日(月)曇。四度目のワクチン接種あたりから、どうも睡眠が不安定になっている。起きてパンを食い、散歩もせずに始業。プルースト文章の推敲をして、十四日に公開する日記の調整をはじめる。プライベートな文章をパブリックな(というと大仰だが、まあ他人に見られてもいいくらいの)ものに変換する作業で、ある程度の慎重さは求められつつ、ここ一ヶ月を振り返る時間になっている。昼、近所の良い寿司を食って元気を出して、午後も、散歩がてらスタバにホリデーのやつをテイクアウトしに行った以外はずっと作業。

 プルースト文章の最終回を公開して、文學界のプルースト特集号を開く。アオリ文はこうだ。「いつか読みたいと思いながら、その長さに尻込みする人が多い、/20世紀文学の高峰『失われた時を求めて』。/プルースト生誕150年にちなみ、/これまで同書を読み通したことがなかった14人の書き手に、/一人一巻ずつ、リレー形式で読んでいただきました。/プルーストを読む経験は、/作家たちの日常をどのように変えるのか──/史上もっともハードルが低いプルースト特集が始まります!」。一年半この作業を続けてきて、私の日常は変わったのだろうか。


11月8日(火)気持ちの良い秋晴れ。起きてすぐにベッドリネンを洗濯しはじめる。我が家の洗濯機は優秀なので、羽毛布団も丸洗いできるのだ。

 その間にアニー・エルノー『嫉妬』の表題作。この妄執を六十歳で書けるというのはすごい。ラスト二ページで、語り手はヴェネツィアを訪れる。執着している男とのかつての旅行先、ではあるのだが、その再訪はいかにも唐突なかんじがする。岸政彦「図書室」のラストで、語り手が海に行った日のことを回想する場面の、「あの波はよかったな」という、無根拠なのにこれ以外にあり得ない肯定をしめす結語がとても好ましかった、ことを思い出す。「嫉妬」は、それほど肯定的な視線ではないけど、ヴェネツィアの街の、いっさい〈私〉の妄執とは関係なしに進行していた変化、が、過ぎ去った時間を静かに語ってる感じ。「ジューデッカ島の反対の端には、廃屋となったイル・ムリーノ・ストゥッキイ(歴史的産業建造物)の黒々とした塊が、揺るぎなく起立している。」

 午後はプルースト日記の調整作業の続き。前にも引用したが、乙一は『小生日記』のあとがきで、「「小生」という人称を使って日記を書いたのは、自分からかけはなれた呼び方で日々を綴れば、自分とは異なる別の人格がそこに発生するのではないかと思ったからだ」と書いていた。しかし「そのうち私と「小生」が同一視されることに嫌気がさし」た。やがて「「小生」というものの扱いに困り果て」、乙一は日記を放棄する。

 私は日記を書きはじめたころ、プライベートの場では〈ぼく〉と言い、文章で自分を指すときは〈私〉と書いていた。それは、堀江敏幸先生が『正弦曲線』の刊行記念インタビューで、自分は文章のなかでは〈私〉をつかうが、喋るときの一人称は〈僕〉で、絶対に〈私〉なんて言わない、と話していたり、ミヤギフトシが、文章のなかの一人称を〈私〉にしたことで違う書きかたができるようになった、とどこかで話していた、ことの影響を受けている。

 私はこれまで何作か、自分の体験を元に、自分を投影した〈僕〉や〈私〉を語り手とする小説を書いた。私はときどき、その小説のなかの出来事を、自分の実体験として思い出すことがある。その場面を書いたとき、私の頭のなかには、読者がその文章を読んで思い浮かべるよりも鮮明な像が浮かんでいるのだから、私が体験したことに違いはなく、その混同を楽しんでもいる。そして、普段とおなじ人称をつかっているからか、公開用にフェイクを入れて書いていても、そこに新しく〈自分と異なる別の人格〉が発生することはなかったかわりに、日々書いているうちに、自分自身を〈私〉と同一視しはじめてきた。自分がだんだん、日記のなかの、当初はパブリックなものとして設定していたはずの人格に近づいていく感覚。

 エルノーの『場所』のなかに、「さまざまな事実とおこなわれた選択を一連のものとして拾い上げ、そのなかにひとつの人生の筋道を示そうと努めながら書き進めるにつれ、自分の視野から父個人の姿が消えていくような気がする。」という一節があった。何かを拾い上げることは何かを捨てることだ。

 矢野利裕さんは妻のスズキロクさん(〈妻〉と〈夫〉の日常を四コマ漫画にして、毎日Twitterで公開している)について、「もう最近は「のん記」のネタのために生きているフシすらあ」る、と話していた。私の日常はプルーストを読むことによっては変わらない、が、小説的な効果があることを認識して書きはじめた〈私〉に合わせて、私の思考の様式は、すこしずつ変化してきている。これからどうなっていくのかな。

 朝から腹具合が悪かったが、出すものを出して散歩してたら楽になってきた。三十分ほど歩いて帰り、吉川一義『『失われた時を求めて』への招待』を手に取る。文學界からプルースト企画の依頼がきたのとほぼ同時期に刊行された本だったが、先にこういうのを読むのはなんかずるっこだな、原稿を書き上げてからにしよう、と思っていた、のだが、書き上げて編集者に送ったころにはもう、自分のサイトで(勝手に)続きをやることに決めていて、やっぱりそれがぜんぶ終わってから読むことにしよう、とずっと放置していた。

 ほかにもいくつも日本語訳が出ているし、吉川をはじめ、世界中の読み手が、研究したり触発されたりして本を書いてもいる。すでに読んだものでも、たとえば『収容所のプルースト』なんかは、プルーストを読了した今では違った読みかたができる気がする。文學界の企画は一年半越しでようやく終わったのだけど、しかしどうもまだ何も読み終わった気がしない。