プルースト 2022.2.13~2022.3.6


2月13日(日)雨。しばらく体調不良で更新が途絶えていた「明日から今日まで」を、一時間半に一日分ずつ更新していく。べつにいっぺんに全部更新したっていいのだが、どうしても何かしらのリズムを刻みたくなる。

 夜になって作業終了、ひと休みしながら何の気なしに〈クロノクロス〉でググると、四月にリマスター版が発売されるとのこと。私はクロノシリーズのことになるとあまり冷静でいられないので、あやうくPS5とかSWITCHとかを転売価格で買いそうになる。『クロノ・クロス』のプロトタイプになった、サテラビュー配信でいまでは手に入らない『ラジカル・ドリーマーズ』が収録されてるのが今回の目玉らしい。大学時代、ニコ動でプレイ動画を観て自分を満足させてたことなどを思い出す。

 公式サイトを見るかぎり本篇には追加エピソードはなさそうだが、作曲家の光田康典氏が「新曲もあります」とツイートしていて、ちょっと期待してしまう。しかしこう、『クロノ・クロス』をやるとなると、まず『クロノ・トリガー』をやらないといけないし、マルチエンディングもぜんぶ見ないといけない。いけないってこたあないんですが。とにかくそんな時間と心身の余裕はない。ないですよ。

 郵便受けを見に行くと、解説を寄稿したスズキロク『よりぬきのん記2021』の献本が届いている。さっそくパラパラ読む。あとがきのなかで、水原涼の解説に〈ノーベル妻文学賞〉を授与してくださっていた。『よりぬきのん記2019』の九十五ページに、妻が夫にノーベル妻賞を授与しようとして拒否されるエピソードがある。そのなかで妻は、「いいんですか? ノーベル妻賞は二度と出ませんよ?」と言っていた。このとき夫が拒否していなければ私がノーベル妻文学賞をいただくこともなかったかもしれない。私にとっては「甘露」による文學界新人賞以来、十一年ぶり二つめの文学賞だ。ありがたく頂戴します。受賞祝いとして、昼の残りの火鍋に麺を突っこんでかっ食らった。


2月14日(月)晴。ちょっと散歩。散歩コースに去年くらいに建った新築の家があり、二階の窓辺にときどき猫がいる、のだが、今日はブラインドが閉まっていた。セブンで魯肉飯を買って帰ったあとはずっと作業。夕食は大量の豚肉を入れた焦がし醤油の鍋。食後に竹宮惠子『エルメスの道』を読了した。

 摩天楼を模したフライトポテト型のライト(なんだそれは)を送りつけた友人からお礼のメール。私はぜんぜんいらないのだが、彼女はたいへんに喜んでくれている。それが私の家ではなかっただけで、どんなものにもふさわしい場所があるものだ。彼(いも)は今日から電池が切れるまで、友人のマインドフルネスを高めつづける。まあバンバって下さい。

 夜、スーパーボウルのハーフタイムショーの映像を観る。こないだアマゾンで、PCをテレビにつなぐケーブルを買ったので、YouTubeとかをでかい画面で観られるのだ。なんか三、四周くらい観てしまった。


2月15日(火)曇。昨夜あたりからけっこう寒い、のに、花粉もけっこう飛んでいる。まいったなあ。鼻炎薬を飲んで始業。

 昼は昨夜の鍋つゆに具と薄い切り餅を追加。味がようしょんどる、と鳥取弁でいうとき、直訳すれば〈味がよくしみこんでいる〉なのだが、〈しょんどる〉は、物理的に煮汁がしみこんで味が濃い、という以上に、なんというかこう、鍋物としての良いアウラをまとっている、みたいな、もうちょっと存在そのものを射程にいれているような……。方言は難しい、し、私はちょっと考えすぎだ。

 休憩がてらインスタを見ていると、文芸誌の新潮がnoteをはじめていた。「雑誌に掲載されたまま埋もれていってしまう単発のエッセイや書評」を、著者の許諾を得たうえでアップしていく場にするらしい。私が新潮に寄稿したのは、と考えてみたが、いまいち思い出せず。自分がやった仕事のすべてを憶えていることは難しいし、私が仕事をしてる文芸誌はだいたいがA5の二段組みで、書評やエッセイはどの雑誌でも同じような文字数で依頼されるので、何年も前の仕事だと、あれが載ったのは新潮だっけ群像だっけ、みたいなことになりがち。そういうときに水原涼公式サイトが役に立つ。私は新潮に、「僕たちがラグビー部員だったころ」というエッセイと、谷崎由依『遠の眠りの』の書評を寄稿したとのこと。

 私は今、自分のサイトで「明日から今日まで」という長篇を連載していて、あと毎月『失われた時を求めて』を一冊読んで書いたエッセイと、その作業をしてる期間の日記も公開している。誰に依頼されたわけでもなく、原稿料は一円ももらえない。仮にもプロの、今月末でバイトを辞めて専業になる小説家としてそれでいいのか、と思わんでもない。とはいえまあ、私が自分で決めてやってることなので、好きにすればいいか。

 新型コロナ禍がはじまったころ、パニック障碍がひどくなりはじめた。二〇二〇年の二月に八戸に行ったとき、体調が悪いわけでもないのに行き帰りの新幹線で呼吸困難になり、これはなにか、精神的な原因があるのでは、となったのだが、考えてみればそれ以前も、横浜とか八王子とか浦和とか、長時間(といってもせいぜい一時間とかなんですが)の電車移動や、タクシーに乗ったりすると具合悪くなっていて、それもどうやら、単なる乗り物酔いではなかったんじゃないか、と気づいた。

 パニック障碍、との診断を受けたのは二〇二一年の夏のことだったが、それ以前にすでに、どうやらパニック障碍のお決まりのルートとして、人前で発作が起きるのを恐れて、外出するだけでひどく緊張するようになり、ふさぎこみ、鬱みたいになってしまっていた。私は自分の文章がとても好きで、そのことは鬱になっても変わらないのだが、とはいえさすがに自己肯定感が揺らぎはじめた。私は二〇二一年、文芸誌に三つの中篇を発表した、が、それは二〇二〇年の上半期以前に執筆したもので、けっきょくここ一年半、私は何も書き上げられていない。短いコラムやエッセイ、書評は継続的に書いていたとはいえ、私は小説家なので、まず小説を書かなければならない。

「明日から今日まで」を、毎日の終わりに、日記のようにちょっとずつ書きはじめたのはそういう時期のことだった。起筆は二〇二一年の元日だった。誰に依頼されたわけでもなく、単行本化のあてだってなく、だから生活のためではない、ただ自分の文章を書くこと。半年ほど続けてそれなりの枚数になり、どこかで発表したい、という気持ちになったのは、そのリハビリが多少なりとも奏功したということだと思う。

 私は「明日今日」を、今日はここまで書いた、というマークを入れながら書いていた。マークとマークの間に、私が過ごした一日一日がある。完成したあとで編集者に渡せば(没にならなければ)原稿料がもらえるし、プロの小説家としてはそうするべきだろう。でも、そうなるときっと、編集者とのやりとりのなかで、多少なりとも改稿することになるだろう。マークとマークの間をまるごと削除することだってあり得る。ヴィッつぁんのとことか自分でも長いと思うし。それは避けたかった。せっかく日付を入れてるのだから、私が書いたのと同じ速度で、毎日ちょっとずつ読んでほしい、とも思った。だから発表するなら、改稿は誤字脱字の修正だけにとどめ、日によっては原稿用紙で十枚くらいになることもあるし一文だけのこともある、分量に幅のあるテキストを毎日公開する。私くらいのキャリアでは、そんなわがままの通じる媒体はたぶんない。それで、自分のサイトで公開することにしたのだった。

 某誌からプルースト企画の依頼が来たのも、私にとっては良いタイミングだった。岩波文庫版『失われた時を求めて』(吉川一義訳)の、指定された巻だけを読んで何か書く、という企画で、私の担当は全十四巻のうち第七巻だった。読み、書き、送って、ゲラ作業も済ませてそれで終わり、でも良かったのだが、七巻だけを読んだ読者としては当然、ここまでの六冊やこのあとの七冊がどうなってるのか気になる。し、いつかこの原稿が私のエッセイ集なんかに収録されたとき、なんでこのひと七巻しか読んでないの?と読者が訝しむんじゃないか、と思いついた。それで、ほかの巻も月に一冊ずつ読んでなんか書く、という企画を勝手にはじめた。

 とはいえ、某誌としてはきっと単発の企画で、依頼したなかの一人が、ほかの巻も読みました!とエッセイを送りつけてきても困るだろう。これから十三、四冊読んでなんか書くつもりだが、そんな連載をさせてくれるかというと難しい気がする。し、ほかの文芸誌に持ち込むのもなんかへんだ。ということで、これも自分のサイトで公開することにした。

 スズキロクさんが、Twitterで毎日四コマ漫画を更新しているのを、もう二年以上ずっと読んでいる。それ以外にも、noteとかで公開されてる知らない人の日記や、ビジネスホテルに泊まって酒を飲むYouTuberとか、メンタルが参っていたころ、そういうのをよくみていた。だから、というわけでもないが、私も、プルースト企画の依頼を機に書きはじめた日記を、これも自分のサイトにアップしはじめた。

 とこうして振り返ってみると、自分の思いつきや偶然がきっかけとはいえ、気がつけば私は三つのコンテンツを自分のサイトで連載している。今日も長い日記を書いた。鬱もパニックも一進一退だが、とにかく私は今バイトを辞めて、日々自分の好きなペースで文章を書いている。これは私なりのリハビリだ。これでパニックが良くなるか、は、正直ぜんぜんわからんけども、楽しめてるからそれでいいのだ。


2月16日(水)曇。一日作業。なんか腹が減らず、昼は抜いた。夜、近所のオーガニックな弁当屋が、閉店まで一時間を切ってるのに割引になっておらず、当てが外れた。ショックのあまりその並びのフルーツサンド屋でドサドサ買ってしまう。それからちょっと遠くの寿司屋で、これも割引にはなってない寿司を四パックも買って食べた。満腹すぎて打ち上がり、ハーフタイムショーを観て寝。


2月17日(木)晴のち曇。やたらと通路が狭い新幹線に乗ってパニックを起こす、という夢を見て目覚める。ひどい手汗。ラジオ体操をして気を紛らせる。有休消化も二週間を過ぎて、だんだん心身が整ってきた気がする、が、まだ焦りは禁物だな。

 昼休みにプルースト『失われた時を求めて』六巻、『ゲルマントのほう Ⅱ』を起読。本巻で祖母が死ぬことを私はもうずいぶん前から知っている。装画はもうおなじみになったプルーストの拙い(拙いと私は思うのだけれど、どうなんだろう)絵で、貴婦人が描かれていて、これは祖母の絵だ、もちろん、とわかったような気がしていた、のだが、よく見るとその隣に、なんか茄子みたいな顔の人?が描かれている。祖母の身の回りの世話をする女中のフランソワーズか、もしかすると、祖母の死、という、この長大な小説のクライマックスのひとつである(はずの)巻なのだから、はじめて語り手が顔を出しているのか? などと考えながら巻末の図版一覧を見ると、〈ヴィルパリジ夫人のサロンに関する初期の草稿にプルーストが描いた貴婦人〉であり、〈どの登場人物を描いたものとは特定できない〉とのこと。〈その右側に重なるように描かれた人物像についても同様〉とのことで、けっきょくこいつら誰なんだ。

 巻頭に訳者が寄せた「本巻について」のなかでは、「祖母が発作をおこすシャンゼリゼ公園の場面は、出版時の分量の都合で「ゲルマントのほう 一」末尾と「ゲルマントのほう 二」冒頭に二分されたが、本来、校正刷の段階までは祖母の病気と死はひとまとまりの断章を形成していた」から、本訳では同じ巻にまとめて収録した、と説明されている。が、人が病み衰えていくこと、と、その人が死ぬこと、は、まったく別の出来事だ。分割されたのは〈分量の都合〉だけではなかったのではないか。そしてもし元のとおりに出版されていれば、私は祖母が死を死んでゆくのを見届けてから七巻を読んでいたのではないか。本訳がこのような方針を採ったこと、某誌のプルースト企画が岩波文庫版の訳を対象にしていたこと、その企画で私が七巻を担当したこと、が重なったのは単なる偶然だ。私はその偶然をけっこう面白がっている。

 午後は来月末までに書き上げるつもりの中篇の作業。朝昼フルーツサンドだったのでさすがに腹が減り、おやつとしてのコチュジャン冷麺。辛い。九時過ぎに作業を終了、先月実家の親が送ってくれた茶漬けをかっ込む。今日は散歩もしなかったな。69/422


2月18日(金)晴。今日もラジオ体操をして、母校の早稲田大学へ。校友の資格で中央図書館に入り、三時間ほど調べもの。お高いパン屋とお高いお茶屋で買い物をして帰る。そのあとは調べたあれこれを取りまとめる。こういう調査系の作業はけっこう好き、なのだが、文章を書くよりだいぶ疲れる。

 気晴らしにちょっとプルースト。ゲルマント夫人について、「たとえ詩人や音楽家と同席のときでも夫人は、口に運んでいる料理やこれから始めるトランプのゲームなどに話題を限るのをエレガントだとみなしていた」と書いてあって、そのエレガンス、なんかちょっとわかる。詩人や音楽家を、芸術なるものについて語るときの壁打ちの壁とかではなく、一人の、飯食ったりカードで遊んだりする、あたりまえの人間として遇すること。そんな扱いをされては、詩人や音楽家は武装を解くしかない。

 夜中に散歩。月が大きい。帰宅、YouTubeで過去のハーフタイムショーをいくつか観る。シャキーラとジェニファー・ロペスの貫禄、マイケル・ジャクソンの仁王立ちの迫力。アダム・レヴィーンはなんで脱いだんだ。86/422


2月19日(土)曇、夜には雨。朝から低気圧で具合悪く、昼ちかくまで布団にいる。もぞもぞ起きだし、昨夜の鍋ののこりをかっ込む。胃もよくないのでちょっとでじゅうぶん。それから作業、をしようとしたものの、ぜんぜん頭回らず。今日はもう本休日とする。

 池田満寿夫『コラージュ論』や桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』の最新刊や三浦瑠麗『孤独の意味も、女であることの味わいも』をごりごり読み、その合間になんとなくカーリングの男子決勝を、手に汗握って観てしまう。これはたしかにチェスだ。双方が試合中に間断なく戦術を練り(なおし)つづけていて、ルールをくわしく知らない私でもなんとなく楽しめる。

 夜、重盛さと美feat.友達のTOKYO DRIFT FREESTYLEを聴く。すごく良い。そういうブームがあったとはじめて知った。重盛さと美、めちゃイケのネバーエンディングバカのイメージしかなかったな。そのあとてんちむfeat.田中聖とかRich Brianとか本家のTERIYAKI BOYZとかいろいろ聴く。私もやりたくなってきた、が、私はラップができない。なんかハーフタイムショー以来ヒップホップづいてるな。86/422


2月20日(日)雨。引き続き低気圧で頭が回らない、が、昨日本休日だったのでちょっと作業を進める。

 昼休みに村上春樹『使いみちのない風景』を復読。私のいちばん好きな村上春樹。私はこの本を読んで「ふゆり」を書いたのだった、と思い出して、数年ぶりに「ふゆり」を復読、したところで体力が尽きた。夕方から夜にかけては『双星の陰陽師』を読むなどしながら無為に過ごして結果的に半休日。86/422


2月21日(月)晴。なんか食事もせずにカリコリ作業の一日。一、二時間ごとに休憩を取り、ちょっとずつプルーストを進読。都合一時間ちょいか。今日読んだとこはずっとヴィルパリジ夫人のサロンの場面だった。これまでの巻で出てきた人たちが再登場する。そのころは少年だった〈私〉も今やいっぱしの社交人士。外交官のノルポワ氏は以前、〈私〉の書きものに批判の長広舌を振るっていた。でも、本巻での登場時、〈私〉はそのときの悔しさを憶えていないように冷静で、それがだんだん、ノルポワの言動を描写しているうちに、そのときの印象が蘇ったように文章がザラつきはじめる。人が人と、長い無沙汰のあとに会うときはそういうものだ。遠のいていた好悪の感情が、その所作を目で追っているうちにぶり返してくる。

 そしてなんせサロンなので、会話の内容といえばスノッブな芸術談義と他人の噂がほとんどで、粋筋の女だったオデットを妻にしたシャルル・スワンの話になる。私はすでにスワンの恋を、その恋と重ね合わせるように描かれた〈私〉とジルベルトの恋を、けっこう肩入れしながら読んだ。そのスワンの恋が、「今でも私はあれがけがらわしい女だとは認めますが、あのころはうっとりするような女でしたからね。シャルルがあんなのと結婚したのはやはり辛いことでした」とまとめられていて、なんというかずいぶん刺さった。

 夕方ごろ、さすがに空腹でへたばる。散歩がてら十分ほど外出、オーガニックな弁当が今日は半額。137/422


2月22日(火)晴。昨日一日、だらだらと作業しつづけてたからか、全身に疲れが残っている。今日は半休日として、資料を読み込んだり、スマホのウェブブラウザの開きっぱなしのタブを消化したりする。どうにも回復できず、床で寝てしまって、日付が変わるころにもぞもぞベッドに移動した。137/422


2月23日(水)晴。花粉がすごい。アマゾンで鼻炎薬を注文。今期のぶんをまとめて三箱買おうとしたら、濫用を防ぐために一箱ずつしか買えない。

 花粉で頭がぼやけていて、作業なかなか捗らず。ずっとスイッチが入らないまま、夕方ごろ買い物がてら散歩。夜は胡麻担々鍋。それから『世界さまぁ〜リゾート』のYouTubeを観た。137/422


2月24日(木)晴。乾燥している。朝の散歩中、とつぜんの便意。飲食店がたくさん入ってる雑居ビルでトイレをつかう。

 夕方、作業を終えてプルーストを進読。ドレフュス事件についての議論めいた会話が続き、あまり頭に入ってこないこともあり、どうしても祖母の死がはじまるのを待ちながら読んでしまう。

 しかしウクライナ情勢のことが気になり、あまり読み進められず。キエフに爆撃。ウクライナ人の知り合いはいない、が、露文専攻だった人とか、EUやNATOの国の出身者とかが、少ないながら知人にいる。駐日ジョージア大使のTwitterアカウントもフォローしてる。そういう人たちが投稿してるあれやこれやを、一、二時間見つづける。ジョージアは二〇〇八年にロシアに侵攻され、ウクライナ同様国土の一部を実効支配されていることもあり、大使の投稿のひとつひとつに実感がこもっている。155/422


2月25日(金)晴。三週間ぶり、最後の出勤日。窓辺に猫タワーを置いてる家や、平日はいつもすれ違う朝から疲れた顔のおじさんや、〈一報通行逆走注意〉と誤字った電柱の貼り紙も、今日で最後と思うとおセンチになってしまうな。毎朝の(ここ一ヶ月はほとんど有休だったけど)この道から私が一人消えるだけで、明日からの景色は今日と何も変わらない。

 退職にあたって提出する書類をいくつか書く。昼休みはプルーストを読まず、前部署へ向かう。挨拶をするつもり、が、途中でばったりあった知人と話しこみ、気がつけば休憩も終わり近く、急いで戻る。

 けっこうやりとりのあった上役がお茶をくださる。退勤、スタッフ証を返却。帰り際、日英バイリンガルの上司が、It was very nice working with you.と言ってくれた、のだが、ずっと日本語でしゃべってたのにいきなり英語に切りかえるもんだから聞きとれず、ンッなんですか、と聞き返して、もう一回言わせてしまった。

 帰宅して、今日がしめきりの地元紙のコラムに、今日が最終出勤だった、というようなことを書いて送稿。退勤直後に書いたからか、やたらとエモい文章になった。

 それから二十分ほど散歩。家に着き、まあひとまず、雇い止めという経緯や心身の健康状態や貯金額や、あれやこれやはいろいろあるけれども、何はともあれ曲がりなりにも専業作家になったので、ウーバーイーツで美味い中華をたくさん頼んでパーッとやる。頼みすぎてけっこう残した。

 それから床暖房をしてごろごろ。スマホでサッカーニュースを見る、つもりだったのだが、ウクライナ情勢がサッカー界にも影を落としている。サンクトペテルブルグで開催予定だったCLの決勝戦がパリちかくのサン=ドニに変更されたこと。シャルケがユニフォームの胸からメインスポンサーのガスプロムのロゴを外したこと。各国にいるウクライナ人選手が、それぞれのやりかた──SNSを使ったり、アンダーシャツにメッセージを書きこんだり──でそれぞれの意見を表明している。

 そしてTwitterで、ACミランの公式アカウントが、ジャンルイジ・ドンナルンマの二十三歳の誕生日を祝っていた。しかしジャンルイジは去年の夏、下部組織からずっと所属していたミランを去ってPSGに移籍していった。毎年のように移籍の噂があり、それでもミランへの愛を語って残留し続けていた、のに、ちょうど契約が切れたタイミングで退団し(サッカーでは、契約満了より前に、移籍先のクラブが違約金を払って選手を引き抜くことが多く、フリー移籍は、それまでいたクラブに違約金という収入を残さずに去るということなので、やや印象が悪い)、その夏のEUROでMVPの大活躍をして、そのくせPSGではレギュラーになれず、ミランではジャンルイジのかわりに獲得したマイク・メニャンが大活躍、というかんじで、とにかくミランサポーターはジャンルイジのことを嫌っていて、メニャンがいるのでもはや未練もなく、あんのじょう、というか、コメント欄にはState scherzando vero?(ふざけてんだよな?)、Cancellate(消せ)、vaffanculo(ファックオフ)、Vergognatevi, cancellate subito il post(恥を知れ、すぐ削除しろ)、Chi é sto scemo?(誰だこいつ)、uomo di merda(くそ野郎)、と書き写しててうんざりする言葉が並んでいる。罵倒語の勉強になりますね。なかにはtutta milano ti vuole bene(ミラノのすべてがあなたを愛してる)というのもあるが、もうなんか、そんな投稿は空気読めてないんじゃ、くらいに非難一色。まいっちゃうな。パドヴァに移籍して、セリエCとはいえすぐ主力になった兄アントニオの動向も追ってる身としては、はたしてどちらのドンナルンマが幸せなのだろう、と考えてしまう。155/422


2月26日(土)晴。朝起きてすぐ作業開始。二、三時間ほど。それから昨夜の中華の残りで朝食として(残りものなのに満腹になった)、また作業に戻る。専業になったからって、いきなりがんばりすぎではないか。

 昼休みにプルーストを進読。「正真正銘の美はきわめて特殊で斬新なものであるから、ただちにそれを美とは認識できない」。三巻『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』のなかで、語り手はベートーヴェンの四重奏曲を題材に、天才について考えていた。四重奏曲が書かれてから、それを受容する聴衆が育つまで五十年の歳月が必要だった。それは、望んでいたほどの同時代的な評価を得られなかったプルーストが自らに言い聞かせているような言葉だった。本巻のこの一文も、その例のひとつのような気がする。213/422


2月27日(日)晴。遅く起き、ぼうっとする。昨日がんばりすぎたのではないか。ごろごろしながら『双星の陰陽師』を読む。バトル漫画は目が覚めますね。

 昼休みにプルースト。ヴィルパリジ夫人のサロンに集う人々が、みんなそれぞれのコードに沿って真剣に社交をやっている、のだが、みんなそれぞれみみっちい。プルーストは人間のみみっちさを描くのも上手いな。

 シャルリュス男爵との、(たぶん)今後の伏線、に満ちた会話。シャルリュスは、自身の〈精神的遺産〉を「手にする人、私がその人生を導いてますます高めてゆける人、それはあなたかもしれない。そうなれば私の人生もさらに高いものとなろう」と〈私〉と腕を組んで歩きながら言う。こんなに買ってたのだな。訳者はこれをシャルリュスの同性愛の発露として捉えているが、だとしたら、次の巻で〈私〉に帽子をめちゃくちゃにされるシャルリュスは悲しい。

 語り手は家に帰り着き、ついに祖母の不調に話題が移る。三十八度三分の体温、飲めば飲むほど効果の落ちる解熱剤。ワクチンの副反応のことなどを考える。そして尿毒症におちいった祖母は、デュ・ブルボン医師の見立てによれば、尿に〈精神性蛋白〉というのが混じっている。「だれでも体調不良のときは微量の蛋白ぐらい出ているものですが、医者がそれを指摘すると、さっそく慢性になってしまう。医者が薬で治すことのできる(すくなくとも、ときどきそれで治った例があると言われている)疾患の場合でも、医者は、どんな細菌よりも計り知れないほど有毒な病原体、つまり自分は病気だという考えを接種して、健康な人に多数の疾患をつくりだす。そんな想いこみは、どんな体質の人にも協力にはたらくものですが、神経症の人にはとりわけ効果的な作用をおよぼすのです」。私のパニックは、心療内科で「あなたはまちがいなくパニック障碍」「どうせ三十分もすれば楽になるんだから耐えればいい」みたいなことを言われてからひどくなった。から、この台詞はなんか胸に響く。

 午後、図書館で予約した本が準備できてたので散歩がてら借りに出る。図書館のあと書店を二軒はしごして、けっきょく何も買わずに帰宅。多少は作業を進めたが、昨日の反動で半休日だった。300/422


2月28日(月)晴。朝、散歩がてら近所のコンビニに行き、朝と昼に食べるものを買う。散歩っても十分足らずだ。帰って野沢菜の茶漬けをかっ込み作業開始。一時間強ですこし集中が途切れた、ので、午前ののこりは家の掃除とか洗濯をして過ごす。

 昼休みにプルーストを読み進める。祖母の発作。私は某誌のプルースト企画で七巻だけを読み、語り手が、祖母の死を忘れてしまっているようだ、というようなことを書いた。もし岩波文庫版が、原書では『ゲルマントのほう』の〈一〉と〈二〉に分割されていた祖母の死を六巻の後半にまとめる、という方針をとっていなければ、私は、病みついた祖母が死んでいくところから七巻を読みはじめた。だとしたらきっと、私が寄稿したテキストは、まったく違ったものになっていただろうな。

 プルーストを区切りまで読んでから『双星の陰陽師』を進読。著者は本作を〈素手喧嘩〉(ステゴロ)漫画と位置づけていて、基本は異能バトルなんですが、能力そのもので攻撃する、というよりは、バフをかけるというか、身体能力を強化してぶん殴る、とか、目にも止まらない速度で移動したり空を飛んだりして蹴り飛ばす、みたいな、人間の肉体同士の戦い、をギリギリ保ってるから好きなのかしらん。しかし私は、現実で暴力的なことに行き会うのは大嫌いだし、格闘技とかもぜんぜん観ない、のに、こういう作品を読むのは好き、なのはなぜなんでしょうね。

 夕食はいなげやの惣菜、しかしなんか食べきれず。半分くらい残してまた作業に戻り、区切りまで終わったころには空腹になってたのでぜんぶ食った。336/422


3月1日(火)曇。花粉がひどい。去年の六月くらいからずっと取っ組んでたものがようやく終わった。水原涼としての仕事ではなく、これが今後、小説家としての私のキャリアに活きてくるか、なんてことはわからないが、さすがにけっこう感慨ぶかいものがある。

 ということでウーバーイーツで良い中華を頼んでパーッとやる、つもりが、ついウクライナ情勢のニュースを見続けてしまい、パーッという気分になれず。モソモソ食いながら募金した。336/422


3月2日(水)曇。自分のくしゃみで目覚める。春だ。朝すこし作業して、三度目の接種のため区役所の出張所へ。一、二度目は、私は大学図書館のスタッフだったので、大学拠点接種、というのを受けられた。三回目に関しても、大学から接種のお知らせが来ていた、のだが、退職した私は対象外。一、二度目を大学で受けた卒業生、であれば三度目も受けられるらしいのだが、子会社のアルバイトまではカバーしてくれなかった。いいんですが。

 平日の朝十時、接種しにきた人のほとんどが高齢で、一、二度目は十代か二十代の人ばっかだったので、対照的でおもしろい。

 接種の待ち時間と帰宅後にすこしプルースト。祖母が死んだ。ここまでの長大さに比してどこかあっけないように感じた、のは、私がこのシーンを待ち望んでここまでの六巻を読んできたからだろうか。

〈私〉は、祖母の娘である母が、そして祖母自身が、その病に冒され変わり果てた顔を正視することがないよう心を砕く。祖母の頭をショールで覆い、フランソワーズの手から鏡を奪い取る。そういえば、私が最後に見た祖母は寝たきりのうえ半身不随で、もうしゃべりもできず、叫ぶような大声で呼びかけられればうなるような声で返事をするしかできない状態だった。こんな姿は見たくなかった、と私は、自分の心の平安のためだけに思ったことを思い出す。

 語り手の祖母は、死病の痛苦に耐えかねて、自死をこころみたのか、とつぜん窓を開ける。その事件を最後に、祖母の目つきはすっかり変わってしまった。「それはもはや昔の祖母のまなざしではなく、くどくど繰り言をいう老婆の陰鬱な目つきであった」。年老いて自殺するほどものがなしいことはない。が、この衝動的な行動は、きっと、自らを病苦から自由にするための行動だ。死ぬよりつらい苦痛、という紋切り型を、ほんとうに感じてしまった者にとって、自殺はきわめて合理的な行動だ。あるいは祖母はこの行動を、成功し(てしまっ)たほうが幸せだったんじゃないか。いやしかし、自殺に幸せなんてあり得るのか?

 祖母はモルヒネを投与され、瀉血のために顔に何匹もヒルをぶら下げられる。苦しみのなかに生き長らえさせる、というこの仕打ち! 人は愛する人を亡くそうとするとき、どんな手を尽くしても生きていてほしいと思う。時には本人の苦痛のことを無視してしまえるほどに、その愛は強引だ。「祖母のうちに居座った病いに向けて私たちの放つ攻撃はことごとく的をはずし、その攻撃を受けるのは祖母であり、そのあいだに立つ祖母の哀れな身体であり、本人は弱々しいうめき声をあげて苦痛を訴えるほかない」。著者にとってはすでに遠い過去のこととはいえ、これを書きつけるのは勇気のいることだろう。しかしそれを超えた先でしか生まれない文学はある。

 祖母は語り手の目に〈獣としか言えぬもの〉と成り果てて、うなり、もがき、苦しみながら死んでいった。私の祖母は、四人いた祖父母の死はどうだったのだろう。語り手の祖母のように家族に看取られることなく、病院やホスピスで死なれていった四つの死。家族なのに、私は彼らの死の風景を何も知らない。語り手は、死を目前にした祖母の額に口づけた。「私の唇が祖母にふれたとき、その両手がびくっと動き、全身に長い身震いが走った。(…)突然、祖母がなかば身をおこし、おのが命を守ろうとする人のように激しくあがいた。」そして祖母は死んだ。〈私〉は、自分の口づけが祖母に死を運んでしまったのだと考えなかっただろうか? かつて私が書いた「干潮」という短篇の終わりに、語り手の〈私〉は、祖母の通夜の開けた朝、冷たく冷えきった祖母の額に口づけをしていた。そうすることで彼は、祖母の死を、悲しみを抱くことなく受け入れた。祖母を見送る二人の〈私〉の死出の口づけ。『失われた時を求めて』のなかに、自分がかつて書いた小説と似た描写を見つけると、なんというかドキッとする。しかしこれも、まあ、先月の「お祖母さまがいなくては、ぼくは生きてゆけません。」と同じ、単なる偶然だ。

 本文を読了。私はまず七巻を読み、そのあとで、一巻から順に六巻まで読んできた。その間、かつて読んだ七巻が、常に参照点として、しかし離れた場所にあった。私は一巻から一ページずつにじり寄っていき、いまようやく繋がった。というか〈私〉、こうやって祖母の死を見送った流れで七巻冒頭でアルベルチーヌと、気のない感じでいちゃつくのか。もの悲しいな。

 夕方ごろから腕が痛くなってきた、が、熱は三十七度程度で、ややポーッとしつつ、普段の具合の悪さよりひどいかんじではないな。お茶をガブガブ飲みながら佐藤聖一『1からわかる障害者の図書館サービス』。著者は視覚障碍の当事者らしく、冷静な筆致のなかからときどき切実さが滲み出る。図書館に限らず、障碍者サービスはボランティアの善意に頼っているところが大きい。著者は、ボランティアのスタッフに感謝を捧げつつ、相応の賃金なり報償費が支払われるべきだ、と主張する。「たとえ音訳者の手配を図書館がしていたとしても実際に音訳する人がボランティアであると、利用者には「やってもらっている」「ありがとうございます」という思いが生じます。しかし、なぜ図書館を利用するのに必要以上の感謝をしなくてはならないのでしょうか」。人々がストレスなく図書館を利用できるようにつとめること、は設置者の義務であり、〈善意〉で行われることではない。

 ヴィエト・タン・ウェン編『ザ・ディスプレイスト』のなかで、イラン・イラク戦争で難民になったディナ・ナイェリーは、逃げ出した先で〈同化〉を求められることへのいらだちを表明している。難民として異国に降り立った者の多くは、新しい言語を学び、身に馴染んだ習慣を手放し、慣れない仕事をし、時には違う神を拝む。彼らは〈よい移民〉であることを期待され、そうしなければいつまでも異物視されつづける。しかし、誰がそんなことを望んだのか。「安全なところに生まれた人は、危機に瀕した人がノックしたら扉をあける義務がある」とナイェリーは書いていた。命の危険におびえず快適に生きること、は、人間として生まれた者の当然の権利だ。

 障碍者と難民、は、まったくちがう主題ではあるが、コミュニティにおける少数派であり、それゆえに、〈必要以上の感謝〉を強いられる。〈よい移民〉、〈よい障碍者〉。考え込んでしまい、これは知恵熱なのか副反応の発熱なのか。食欲なく、夕食は近所のオーガニック弁当が半額になってたやつだったのだが、一気に食べられず、一時間くらいだらだら突っつきつづけてようやく完食。379/422


3月3日(木)曇。ワクチン接種二日目。今日も三十七度くらい。二十四時間経ってこれくらいなので、どうも今回の副反応はかなり軽いもよう。前回は、弱毒化したワクチンなのに感染してこのまま死ぬのでは、くらいにつらかったので、ほっとした。しかし今日の私は休むのが仕事、なので、今日は本休日とする。

 布団のなかで『ゲルマントのほう Ⅱ』、訳者あとがき。本巻前半の社交会で話題の中心となるドレフュス事件について、何度かWikipediaとかを見ながら読んでたのだが、ついぞ理解しきれなかった。訳者は、「プルーストが本巻において示そうとしたのは、フランス社会を二分した冤罪事件の渦中にある人びとの主義主張を決定づけるのは、事件の真相解明ではなく、所属階級の利害でもなく、各個人の我執や思惑や本性であることだ」と指摘している。事件そのもの、ではなく、その周辺で事件について語る人々の心性を描き/暴き出すこと。ドレフュス事件の全容、を捉えようと読んでた私は、考察がもう何歩も足りなかったな。

 と反省しながら読み進めてたら、シャルリュス男爵の倒錯した「快楽のメカニズムは、最終巻『見出された時』でベッドに縛られて鞭打たれる男爵の末路をすでに暗示しているのである」といきなりすげえネタバレを食らう。なんちゅう末路だ。

 そして本巻で祖母が発作を起こして倒れたシャンゼリゼ公園についての考察が素晴らしい。〈シャンゼリゼ〉はギリシャ神話の英雄の魂が暮らす〈死後の楽園〉を意味する、と指摘したうえで、本巻までに繰り返し描写されたシャンゼリゼ公園と、その一隅にある月桂樹の茂みを振り返りつつ、プルーストがそこを〈生と死と永遠とが交錯するトポス〉として提示する手つきを分析している。圧倒されて読了した。

 それから川勝徳重『アントロポセンの犬泥棒』。これもすごく良い。そのへんでだんだん熱が上がってきて三十七度台後半。今日は読書は終わり。甘辛ヤンニョムチキンカップヌードル、といいつつめっちゃ辛いのを食べて夕食とした。422/422


3月4日(金)晴。退職の挨拶のため旧職場へ。五年の勤務の間に一度異動をしたので、二つの部署とその関係先、に菓子を持っていかねばならぬ、ということで、職場ちかくのちょっとお高いケーキ屋で買ったらたいへんお高くなった。挨拶を済ませ、保険証とかを返却。帰宅してからはプルーストを再起読。184/422


3月5日(土)晴。遅い時間まで布団にいる。古井由吉は退職後、しばらく何もせずに過ごしたらしい。毎月一作ずつ書けば食っていける、という見込みで辞めた、のに、書きもせずに散歩したり本読んだりしてて、しかし二、三週間後、こうしてる今も無給なんだよなあ、と気づいて書きはじめた、みたいなことをどこかに書いていた。私も退職後一週間経った。その前の三週間くらいも、二月二十五日を除けばずっと有休だった。しかし今はもう無給なんだよなあ。そう思ったわけではないがプルーストをゴリゴリ進読。どっちにしろこれも、原稿料にはならない作業だ。

 午後二時、信田さよ子の原宿カウンセリングセンター所長退職記念講義をZOOMで観。アダルト・チルドレンの原因になった(母)親のことを、赦すのではなく理解し、説明可能なものとすること。感銘を受ける。そして後半は上野千鶴子との対談だったのだが、信田の語りのモードが前半とまったく違っている。対話の人なんだな。HCCで、苦しみを抱えるクライエントを前に実践者/経営者として働きつづけてきた信田と、その苦しみを生む社会そのものを対象にアカデミズムの世界で考えつづけてきた上野の、スタンスの違い、が鮮明で、興味深かった。

 対談終了後、上野が、退職ということで信田さんにプレゼントを!と言ってカメラから外れ、しばらくして信田側のカメラのなかに、でかい花束を持ってヌッと現れた。髪型は違うけど二人とも紫色に染めていて、花束も紫色で、画面のなかで二人はニコニコ笑っている。なんかほっこりしてしまった。そういえば沼野充義最終講義のときも、終わったあとに同僚の柳原孝敦がニコニコしながら花束を持ってカメラにインしてきてほっこりしたな。

 プルーストを再読了。夕方、去年のふるさと納税で買ったハリオのボトルを落として割ってしまう。淹れたてのほうじ茶がたっぷり入っており、靴下を履いてた足に軽めの火傷。床に積んでた本がいっさい濡れてなかったのが不幸中の幸い。

 掃除を終えて休んでいると母から、実家の猫が十三歳で死んだと連絡。虫の知らせみたいなものは信じていない、のだが、さっきボトルが割れたことと猫の死を、どうしてもむすびつけてしまう。私が進学で実家を出たあとで飼いはじめた猫で、いっしょに暮らしたことはない。のだが、はじめての帰省のときの、こちらを警戒して、近づくと逃げ出していた子猫が、半年や、ときには二年の間隔が空いていたのに、会うたびに私に慣れて、本を読んでたら膝に乗っかってきたりするようになった。パンデミックのせいでもう二年以上帰省できておらず、私が最後に見たのは、多少衰えたとはいえまだまだ元気に餌をがっついていた姿で、そのことは、私にとってだけ救いだ。

 昔書いた「甘露」という小説のなかで、語り手は実家の飼い猫の首を絞めた。私自身が猫の首を絞めたことはないし、執筆から十年以上経った今、猫が腎臓を病んで死んだことと私の作品の間には何の関係もない。それでも、私は、私を投影した語り手を、猫に死をもたらす(すんでのところで失敗したが)者として造形した。

 私はかつて、祖母の余命宣告をうけて「日暮れの声」を書き、発表した。そしてその三ヶ月後、祖母は死んだ。私は私の作品が祖母の死を引き寄せたような錯覚を抱き、そのことを「鳥たちbirds」に書いた。この猫の死も、私は遠からず小説にするような気がしている。

 気持ちが昂ぶってどうにも寝られず、講談社の漫画アプリで、『一瀬グレン、16歳の破滅』とか『私がモテてどうすんだ』とか『犯人たちの事件簿』とかをたぶん十冊分くらい読み耽り、三時すぎに洗濯機を回した。422/422


3月6日(日)晴。起きてすぐ、ハリオのボトルを注文。それからもぞもぞ起きだし、食器を洗って風呂に入る。一日プルースト文章の作業。夕方、図書館に行って本を借りて帰る。それからカレーを食。なんか一日中熱っぽいのは、昨日の夜更かしのせいか、今さら副反応なのかしらん。