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二人のおばさんの死

 バス停を降りた目の前にその店はあった。古い街道沿いには個人経営のこぢんまりした店が、商店街というほどのまとまりもなく並んでいた。家々は商いをしていたころのたたずまいを残したままシャッターを閉め切り、ひっそりとした生活臭をただよわせていた。営業を続けている店も、古い白熱灯の(LEDが出はじめたころだった)光の下、商品のほとんどがうっすら埃をかぶっていて、子供たちのための算数ドリルやお菓子の包装だけが鮮やかだった。

 いつも駄菓子を買っていたその店を、私たちは〈たばこ屋さん〉と呼んでいた。実際に店先には、赤地に白抜きで〈たばこ〉と書かれた看板が掲げられていたのだから、煙草を売ってはいたはずだ。でも、そこで煙草を買う人を私は見たことがなかった。自分が煙草を吸うような年齢になった今にして思えば、子供たちがたむろして騒いでいるような店で煙草を買う気にはなれない。とはいえもちろん、ほんとうに誰も買わないなら煙草を売るはずもなく、きっと私たちが学校に行っている昼間は、あの店を飛び交う声や匂いはまったく違っていた。私たちは煙草の残り香を嗅いでいたかもしれないが、それもお菓子の甘ったるい匂いに紛れて、記憶のなかから散ってしまった。

 私たちはバスを降りてすぐその店に駆け込み、十円のスナック菓子だのちいさいヨーグルトだのジュースの粉末だのを買ってコンクリートの床に座って食べていた(粉末を水で溶かすなんてお行儀の良いことはせず、口に直接注いでじゃりじゃりと噛んだ)。店のおばさんはレジにもたれかかって、そんな私たちを退屈そうに見下ろしていた。話しかければ答えてくれることもあったが、いつも彼女が「さあ、知らんわ」と言って会話が終わる。それでも彼女は、お釣りを渡したあともレジから離れなかった。半年に一度くらいは、これ食べ、と言って賞味期限間近のお菓子をくれることもあったが、やたら硬い梅干しとかわさび味の何かとかで、じゃんけんで負けたやつが食べて「まっずーい!」と叫び、そういうときだけおばさんは笑った。

 おばさん──といってもかなりの高齢だった──はときどき、読んでいる途中の本のページに指を挟んで出てきた。必ずカバーがかけられていたから、何を読んでいたのかはわからない。私も本を読むのが好きだったが、彼女とそういう話をしたことはない。彼女はプルーストを読んだだろうか。

『失われた時を求めて』三巻は「スワン夫人をめぐって」と題されていて、スワン夫人の娘であるジルベルトへの〈私〉の恋の顛末と、そこからじんわりとにじみ出し、恋の終わりのあとも溶け残るスワン夫人への執着が語られる。前巻を読んだ私たちの目には、その終盤にはじまり、本巻で次第に高まり、すれ違い、あえなく終わっていく〈私〉の恋は、スワンとオデットの恋のリフレインとして映る。「スワンは、長いあいだ恋に幻想をいだいて生きてきたせいで、多くの女性に安楽な暮らしをさせてその幸福が増大するのを見てきたが、相手からはなんの感謝も愛情も示してもらえなかった男のひとりである」というのが、語り手によるスワンの恋愛遍歴の総括だ。恋とはもはや相手の反応すら無関係にただ主観的な感情なのだ、というのが本作ここまでに通底する恋愛観で、その恋愛観に忠実であれば、恋の帰結は当然のように空虚なものになる。そしてひたすらに主観的な営為だからこそ、〈私〉の恋の終わりは未練がましい。「ジルベルトに手紙を書くなり口で言うなりして何度こう警告しかけたことか。「用心したまえ、もう決心はついて、ぼくがとるのは最後の行動だ。きみに会うのはこれが最後だ。そのうちきみのことはもう愛さなくなるよ!」」スワンも前巻の恋の終わりに、いかに自分がもうオデットの愛を必要としていないかをうるさいほどに強調して、ついでに恋の舞台であるヴェルデュラン夫人のサロンやその主人まで悪しざまに罵っていた。そういえばボンタン夫人が、重要な存在だと認識してもらうために毎週のサロンに隔週でしか参加しない、という本巻の小挿話は、恋愛における〈私〉やスワンの戦略とよく似ている。しかし、〈私〉が間髪入れず自らを嘲笑しているように、「そんなことをしてどうなるというのか」。彼らの恋はひたすらに自己中心的な懊悩として終わる。

 恋の終わりのあと、オデットはスワン夫人となり、ヴェルデュラン夫人のそれを模倣して自身のサロンをつくる。しかし、英語かぶれの台詞回しや言葉のはしばしに、(註で容赦なく指摘されるように)教養のなさがにじみ出る。それでもオデットは、彼女なりのやりかたでサロンを主宰し、娘の友人たちを歓待する。前巻ではスワンとの〈恋の国歌〉として鮮やかに描かれたヴァントゥイユのソナタを、オデットは語り手たちの前で弾く。印象的な場面だ。耳を傾けながら、〈私〉は天才について考え続ける。「ベートーヴェンの四重奏曲(…)それ自体が、五十年の歳月をかけてベートーヴェンの四重奏曲の聴衆を生み出し、増やしてきたのであり、あらゆる傑作と同様、そのようにして芸術家たちの価値を進歩させたとはいわないまでも少なくともそれを受容する聴衆を進歩させたのである」。真に優れた作品は鑑賞者にアップデートを促す。藤井光はフォークナーやポー、メルヴィルなど、本国ではなく他国で、あるいは没後に評価が高まり、現在では世界文学の古典として読まれている作家たちについてこう語っている。「そういう作家の特徴って何だろうと考えてみると、目の前の読者に対して書いていないんですよね。自分が今書いている言葉を拾うのは果たして未来の読者か、それとも死者か、というような態度で執筆している。」[i]ベートーヴェンは曲を、五十年後の聴衆に向けて作った。それは単純に時間や空間のへだたりのことではなく、五十年後の、自分の作品のよさを感受できる聴衆に向けて、ということだ。訳者はあとがきで、この一節を引用して「自分が望むほどの評価を得られなかったプルーストが自分に言い聞かせた文言にも聞こえる」と書いている。そういえば本文中に、「すでに見たようにそもそもスワンには昔から、自分の社交界での地位を利用してある種の状況下でさらに自分に都合のいい地位を手に入れるという趣味があった(いまやその趣味をもっと永続的に適用しているだけの話である)。」という一節があり、訳者はそこに、「スワンには社交界の地位を利用してさまざまな女をものにする趣味があり(…)、その趣味の永続化がオデットとの結婚だという意味。」と註を附していた。訳者は、そしてきっとプルーストはこの箇所を、にやにや笑いを浮かべながら書いた。ささいなおかしみを見逃さずに訳出し、さらに囃したてまでする、あるいはプルーストは、こういう読者に向けて書いたのではないか。

〈私〉はスワンやベルゴットとの交友を通じて、ノルポワ氏の真摯な酷評(作品に、そしてその著者に誠実にならなければ、あんなに長々しく酷評をできるものではない)に触発されるようにして、真剣に〈仕事〉に取りかかろうとする。しかしあれこれと理由をつけて、ぜんぜん仕事をはじめない。はじめないばかりか、「いよいよ仕事にとりかかろうとする決心がさほど決定的なものでなかったら、私もすぐにも始める努力をしたかもしれない」などと意味のわからないことを言い出す始末だ。プルーストはどうだったのだろう? 彼はどうやって最初の小説を書きはじめたのか。祖母に皮肉めいた発破をかけられてヘソを曲げ、けっきょく書きはじめなかった〈私〉が、一生をかけて取り組むべき小説を見つける日は来るのだろうか。その日が祖母の死より前であればいい。七巻を先に読み、すでに死んだ人として祖母を知った私は、彼女の言葉のすべてを遺言として読んでしまう。

 ジルベルトとの恋の終わり間近に何気なく書きつけられた、「シャンゼリゼで馴染みだった大麦飴売りのおばさんの死」というフレーズに目が止まったのもそのせいかもしれない。「すでにほとんど忘れ去られた死者」であるおばさんの死。しかしそのおばさんはかつて語り手が、ジルベルトの「最愛の顔をどんなに想い出そうとしても不可能なのに、回転木馬のおじさんや大麦飴を売るおばさんのなんの役にも立たないのに目をひく顔が、私の記憶のなかに変更の余地なき正確さで刻まれていた」と言及した人物だった。〈私〉はその顔をいつの間にか忘れ、代わりにジルベルトの顔を、彼女との日々を記憶に刻みつけ、そしておばさんは、恋の終わりにひっそりと死んでいった。

 中学までバス通学をしていた私は、同級生よりもすこし長くその店に通った。梅干しとかわさび味のお菓子の美味しさも憶え、友人にそそのかされて煙草や酒におずおずと手を出して後悔しては、彼らがとっくに卒業した十円のお菓子を買い、床に座り込みこそしなかったが、バス停のベンチに腰かけて食べた。おばさんは相変わらずレジに寄りかかって、店の中から私の様子を眺めていた。半年に一度ほど、いつ憶えたのか私の名を呼んで、売れ残ったお菓子を渡してくれた。私を見上げる背中は丸まり、彼女の足音には杖の音が混じるようになった。最後の三年をかけて、彼女の身体は急速に衰えていき、高校に入学して通学ルートの変わった私は、ぱたりとたばこ屋に行かなくなった。

 もう十数年、私はあの店に行っていない。おばさんはあのころすでに年老いていた。〈私〉はいつどこで大麦飴売りの女性の死のことを知ったのだろう? 私は、女性の死を告げる〈私〉の手紙で、たばこ屋のおばさんの死を知った気がしている。


[i] 小野正嗣、沼野恭子、野崎歓、辛島デイヴィッド「21世紀の暫定名著 海外文学篇」(『群像』2016年1月号)72ページ


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