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何も読まない 2023.11.10~2024.1.10

11月10日(金)雨。朝の散歩の途中で降り出す。作業の日、と思ったが、低気圧で頭回らず。

 あまり捗らないままに昼、二時ごろの止み間に、ACミランのレプリカユニに上着を引っかけて散歩に出。すぐにでも降り出しそうだから家から徒歩二、三分圏内をうろつきまわっていた、ら、向こうからやってきた、浦和レッズのレプリカユニ姿の小学校中学年くらいの少年がこちらを──というか、ミランのユニフォームを凝視してることに気づく。私もすれ違う人がサッカーのユニを着てるとどのチームのどのシーズンのモデルか確認しちゃう癖があるので、ほら、という感じで上着をバッと開いて見せる。驚いたように笑って少年も、自分のシャツの裾を引っ張って、レッズのユニをよく見せてくれた。お互いに最新シーズンのモデル。何か言葉を交わしたわけでもなく、ただ互いの服を見せ合った、というだけなのだが、うれしくなった。今日こうやって、はじめてこの服(日記を書いてる今も着てる)で外出してすぐに少年と何か通じ合ったこと、この先数年は反芻してよろこび続ける気がする。

 歩いてるうちにまた雨が降り出して、帰宅したあとどんどん強くなる。気持ちは上向いたが気圧はいかんともしがたく、今日の進捗は数枚。夜八時から小説家数人とLINEでおしゃべり。十二時前まで四時間弱、もうずいぶん、打ち合わせやカウンセリングのような対外的なものをのぞけば、家族(と古川真人)としか長時間の会話をしてなかった、ので、ああおれはまだ人としゃべれるんだ、と人里に降りてきた鬼のような気持ちになる。楽しくて目が冴えてしまい眠れず、いま午前二時。

 

11月11日(土)曇。誰かに『大菩薩峠』のあらすじを説明する夢を見た。詳しくは思い出せないが、それで最後はどうなるの、竜之助死ぬ?と訊かれて、イヤあの作品に最後というのはないんですよ、未完なんでね、竜之助は死なないし最後は登場人物の一人が、あのキリシタンめ!と吐き捨てるところでいきなり終わる、と答えた、のは憶えてる。夢のわりに私はけっこう正確に説明してたな。昨夜のLINEが楽しすぎて、夢のなかで続きをやってたのかもしれない。

 朝はカレーを食って昼、散歩に出。花を買って図書館に寄った、ら、貸出カウンターのおねいさんが、花、いいですね、と声をかけてくれる。花は心をゆたかにするのだ。

 作業に手を着けねば、と思いつつどうも億劫で、『ゴルゴ13』などを読んでしまう。夜もカレー。保存用のレトルトの賞味期限がいっぺんにきたので、最近ほとんど毎日カレー。

 

11月12日(日)曇。昨夜はかなりの夜更かしで、今日も遅くまで寝ていた。昼ごろまでゴロゴロ読書をして、U-NEXTで昨夜のレッチェ対ミランを観、レトルトのまぐろカレーを食いながら昨日のサンロッカーズ渋谷対横浜BCを観。ダブルヘッダー。そのあとは読書を、夜までもくもくと。一昨日LINEで話した同業者たちが、みなさんめちゃくちゃ文芸誌を読んでるし授賞式なんかのパーティに出ていろんな人と社交をしていて、なんかちょっと焦ったのだった。今の私は外に出て人と会うのは難しいけど、文芸誌は読める。やっていきましょう、という気持ち。

 

11月13日(月)快晴、寒い。昨夜も夜更かし、今日も九時起き。朝の散歩であまりに寒く、帰ってすぐ手袋やニット類を引っぱり出す。とつぜん冬になった、というか、十一月の中ごろというのは本来こんなもんで、こないだまでが異常だったんだよな。寒くなったからなのか、奥歯がキリキリと痛む。今年はじめて床暖房を入れた。

 昼食は白米を一杯だけにして、二時ごろ散歩。作業進めたいから軽めに、と思って出た、ら、五分くらいの、今までも何度も歩いた道で、とつぜんすべてが新しく見える。新しく、というか、数年ぶりに訪れた街で、街路や雰囲気は変わらないのに店や建物が入れ替わっているのを見たときの違和感、というか。デジャヴの対義語って何だっけ、と調べてみたら、ジャメヴ(未視感)だ。しかしこれは、こうやって近所をウロウロ散歩するようになったのはパニック障碍のリハビリのためなのだけど、精神が参っていて街並みに気を払う余裕がなかった、のが、だんだん回復してきたからいろんなものが新鮮に見えているのではないか。

 なんだか機嫌が良くなってずんずん歩き、市ヶ谷のDNPプラザで大辻清司の展示(武蔵野美術大学でやってた大辻清司展で展示された写真をどのようにプリントしたか、についての、「大辻清治「フォトアーカイブの新たな視座」を支えた技術」という、いかにもDNPの施設らしい、しかしいささかニッチな展示)を観。展示、といっても、ロビーの一角だけの小規模なものだったが、スタッフのおいちゃんがいろいろ説明してくれて、十五分ほど。けっきょく一時間以上散歩した。

 満足とともに帰って午後の作業。夕方まで集中してふと、この短篇の全体のスケール感が見えた!という感覚が得られた。

 

11月14日(火)快晴。引き続き歯痛。ダウナーな日。食事中も机に向かって、ダラダラ夜の十一時まで作業をしてしまった。こういう働きかたは明日に響くんだよな。

 

11月15日(水)曇。思いのほか響かず、歯痛も昨日よりマシ。

 夜、早乙女ぐりこ『ハローグッバイ』。マッチングアプリで会った男と即日寝て交際をはじめた、初秋の三日間の日記。プロローグに、〈私は欲張りで自己中心的な人間だから、これまでの人生で、何としても手に入れたいと思ったものはいつだって最速で手に入れてきたんだよ〉と〈隣にいる人〉(誰とは明記されていないが、まあ新しい恋人なのだろう)に伝えた、という場面が描かれている。あの出会いをこういうふうに美化してしまえる、のが、恋愛の最初期の自己陶酔をよく表していて、たまらない。

 夜七時から、ポテチを(二袋も!)食いながら男子バスケ・イーストアジアスーパーリーグの琉球対メラルコボルツ(フィリピン)。あとは寝るまで読書読書。

 

11月16日(木)快晴。朝から動悸と息苦しさ、今日はだめな日、と確信して、ゆっくり過ごすことにした、のに、なんだか作業をしてしまう。夜、男子サッカーの日本対ミャンマーを観。最近の日本代表は妙に強くて、こんな時期にピークを持ってきてしまって、アジアカップやワールドカップの時期には息切れしてるのでは、と心配になる。夜中に雨が降り出し、低気圧でやや頭痛。

 

11月17日(金)雨、午後は止む。タフな低気圧。飛行機の夢を見た。羽田空港からモノレールに乗った、と思ったら、ジェットコースターみたいに足がぶらぶらして顔に風が直接当たる、スピンとかもする乗りもので、アッこれは、こんなはずがない、これは嘘だ、夢だッ!となって八時ごろ起きる。夢見が悪かったからか気圧性なのか気温が低いからか、歯痛が波及したのかパニック障碍のためか鬱なのか、原因がいくつも思い当たる頭痛と息苦しさ。どれが効くのかわからないのでとりあえず低気圧に効く漢方を飲んで、雨なので朝の散歩もできないしすぐ始業した。

 夜は京樽の寿司を食いながら、録画してたぐるナイの、ゴチに比江島慎・松田力也両選手が参加した二時間スペシャルを観。ぐるナイを観るなんて、それも最初から最後まで観るなんてたぶん十年ぶりとかだ。

 

11月18日(土)朝は快晴、午後は雲がち、ときどき日射し。隣との間の壁が透明なマンションで、隣室の女性(顔は見えず)が漫画版の『金田一少年の事件簿』の剣持警部とセックスをしているのを覗き見る、というよくわからんが何かしらの抑圧を感じる夢を見て三時過ぎに目が覚め、そのまま眠れず。

 朝の散歩はなんだかだいぶ遠くまで歩いた。市ヶ谷の無印で買いものをして住宅街をウロウロしてた、ら、√K Contemporaryというギャラリーで堀江栞展「かさぶたは、時おり剥がれる」をやっていて、しかも今日が初日でちょうど五分前にオープンしたところ、という異様に良いタイミングだった、ので入る。こないだDNPプラザの地下、ロビーの隅みたいなところの展示は観たけど、こういうちゃんとしたギャラリーというのは、ふらっと入ってふらっと出る、みたいなのが難しい感じがしてちょっと緊張しつつ。

 入ってみるとなんせ初日のオープン直後なので取材が入っていて、ちょうど堀江さんの姿を撮影しているところ。照明の都合上、二階の明かりを消してる時間があって、ギャラリーのスタッフが、ご迷惑おかけします、と小さいペットボトルのお茶をくれ、五分くらいおしゃべり。一階と二階をウロウロ行き来しつつ、けっきょく三十分ほどいた。

 堀江の絵には明るい印象をもっていた、それは画面の暗さのわりに描かれてる人や動物、ものの身体の細部が、どこかから、弱くとも光が当たっているようにしっかり見えたからだと思う。それが今回は輪郭もパーツも淡く、鮮やかなのにどこか遠のいたような、じっと見ることを求められているような感覚。いくつもの顔が並んだなかから、なんとなくシンパシーを感じる顔を探しつつ観る。私は#601でした。

 帰宅して一日作業。夕方スーパーで食材を買い込み、担々鍋を食いながら『憧れの地に家を買おう』のタイ回を観。テレビを消そうとしたらちょうど『ブラタモリ』の目白回がはじまって、それもついつい観。『ブラタモリ』、たまにしか観ないけど、街歩きと歴史雑学、私の好きな要素が重なっていていつも引き込まれる。早稲田に住んでいたころは目白あたりもよく歩いていた、ので、懐かしく思いつつ。

 

11月19日(日)快晴。ぐっすり寝ていた。昨日の鍋の残りを食い、『ねほりんぱほりん』のブラック企業採用担当者回。散歩もせずにもくもく作業。やっつけるべきことが重なっている。

 夜はまた鍋をつくって食いながら、録画してた『ガイアの夜明け』を観。そのあと古川真人から電話。花粉症なのか、たびたびくしゃみをしている。三十分ほど話した。

 

11月20日(月)快晴。朝食は昨日の鍋の残り、昼食はそこにうどんを突っこんだものを食い、夜はまた別の鍋を作る。寒くなってきたので鍋の日々だ。

 食いながら『奇跡のレッスン』のトム・ホーバス回を録画してたやつを観。藤村女子高校バスケ部をホーバスが一週間(といっても、途中でホーバスが二週間ほど仕事のため離脱していた、ので、三週間のうち最初の数日と最後の数日)指導する、という企画。バスケをそれなりに観るようになって、ルールはなんとなく把握してきた、けど、パスの受けかたや守備の決まりごとみたいな、プレイヤー目線の基礎的な技術やセオリー、は知らなかったな。

 選手からの、自分のミスでチームの空気が悪くなったときどうすればいいか、という質問に、ホーバスはこう答える。「ヘッドダウンしないこと。「今あんまりうまくいかないからシュートを打たない」、あれはだめだよ」。シュートがなかなか入らない状況を打開するにはシュートを決めるのが一番で、そのためには打たなければならない。アドバイスとしてはオーソドックスで、バスケットLIVEとかで中継を観ていても、シュートタッチが悪くてなかなかスリーポイントが入らない選手について解説者が、とにかく打ち続けることですね、実力は確かな選手なので、入るまで打つこと、一度入れば調子良くなりますから、と言っていた。ヘッドダウンしないこと。頭を下げていてはゴールを見ることもできないのだ。

 

11月21日(火)快晴。朝風呂を浴びて作業。朝も昼も昨日の鍋の残りを食って、やや集中は途切れつつ夕方まで。昼の散歩のとき、毎週火・水曜が定休日の美味いパン屋に水曜に行って、アッ今日休みか、と引き返す、というのを月に一度ほどやっていて、今日も(火曜だけど)アッ休みだ、と帰った。

 

11月22日(水)晴。四時ごろに起きて眠れず、布団から出て原稿。しかしどうも捗らず。八時過ぎに諦めて散歩に出。ちょっと寝てまた作業、夜まで。

 

11月23日(木)雲の多い晴。朝Twitterで、早乙女ぐりこが二ヵ月前にできたばかりの恋人と別れた、というようなことをつぶやいているのを見る。氏はその前の恋人とも二ヵ月で別れ、その二ヵ月の日記も同人誌にしていた。元恋人も直近の恋人も、今後は氏の日記に、回想でしか出てこないだろう。

 そういえば、私が図書館で働いてたころの、同僚に恋してた同僚改め同僚とつきあいはじめた同僚、のLINEの登録名がいつの間にか、その(恋人になった)同僚と同じ苗字になっていた。私が退職して会わなくなってからも彼女たちは交際を続けて、どうやら結婚もしたらしい。当たり前のことではあるが、私(たち)の日記から退場したあとも彼らの人生はずっと続いている。でも、早乙女と別れた男たち、のことを想像してみようにも、私が知っているのは早乙女の日記に描かれた、一方的にキャラクタライズされた姿だけなので、小説の登場人物のその後を想像するみたいに曖昧だ。

 早乙女は今回の別れのあと、このことを同人誌にするならこんな題で、ということを知人たちとつぶやいてもいて、この芸風でいつまでやっていくのだろう、となる。本人にとっては芸のつもりなんてなく、そういうふうな生きかたをしてるだけ、なのだろうけど。前の恋人との日々を描いた『恋の遺影』のなかに早乙女は、〈書くために愛しているわけではなくて、書くことと愛することを人生の中に両立させたいと思っている〉と書いていた。その実践がこの、短期間で恋のはじまりと終わりを繰り返してそれを書くこと、だとしたら、業を感じる、というかなんというか、修羅の道だ。

 午前は軽めに作業して、昼前に散歩に出、帰り際にマックで期間限定のエビのやつをモバイルオーダー。ちょっと歩いて店に行った、ら、ちょうど食事時ですさまじく混んでいる。十代のころ札幌・すすきの交差点のマックでバイトしてたけど、夜から朝のシフトだったし当時はモバイルオーダーとかウーバーイーツのような、店に来てない人の注文を受けるサービスがはじまる前で、いまこのフロアにいるやつらを片付ければ終わり!みたいなわかりやすさがあった。今のマッククルーはいつ仕事が飛んでくるかわからない状況で働いてるんだよな、と(自分がモバイルオーダーしときながら)同情するような気持ち。

 

11月24日(金)晴。ぐっすり寝ていた。散歩をしてから、明日しめきりの地元紙のコラムに着手。

 仕上がらないまま二時過ぎに散歩に出、良いパン屋へ。いつも三時ごろに完売になる店で、私が入ったとき残り二つになっていたので、これで完売じゃ、と思って、これとこれください、と言ったところ、アッそうだ、と店員のおねいさんがバックヤードに入ってパンを持ってくる。

 大きい気泡が入っちゃってるんですけど、五十円引きにするんで、よかったら。

 そう言われるとどうも、いりません、と断るのも躊躇われて、けっきょくぜんぶ買ってしまった。

 夕方ごろ、ようやくコラムを書き上げる。明日まで寝かせておくこととして今日は閉店、ここ最近毎日ちょっとずつ読んでた柳広司『二度読んだ本を三度読む』を最後まで読む。かつて何度も読んだ本をまた読む、というのは、私も〈夢水清志郎〉や〈黒ねこサンゴロウ〉でやったことで、たいへん興味を持って読んだ、のだが、これは良くなかった。対象とする作品を紹介することより自分の芸を見せることに一生懸命になっている、し、政権批判や時事的な問題への目配せ(それ自体は同意できるものが多い)をやりすぎていて、作品の魅力がぜんぜん伝わってこない。いやはや。

 

11月25日(土)曇。寒い一日。山で熊と戦う夢を見た。そのへんに落ちてた棒きれで熊の鼻面を叩いて崖に追い込み、少し下の木の根元に追い落とした。崖っぷちに一抱えもある石を根で抱き込んだ木があったのでその石を何度も蹴った、ら、木といっしょに石が転がり落ちていき、熊を巻き込んで崖の底まで落ちていった。私は安心して、近くの宿泊施設に戻った(私は中学生くらいで、高原自然の家、みたいな場所で宿泊研修をしていたのだ)。熊は心の病のメタファーで、だから熊に勝ったというのは私が回復していく予兆なのだ!とすぐに考える。夢判断とかでどう言われてるかは知らないけど、私にとっては明確に吉夢だった。

 散歩をして、スタバでジンジャーブレッドティーラテをテイクアウトして帰宅。もくもく作業。二時に散歩に出、公園で筒井康隆『読書の極意と掟』を進読した、が、十一月もそろそろ終わるのにまだ蚊がいた。哀蚊を見るたびに太宰の短篇が頭に浮かび、祖母が寒い夜の布団のなか、語り手の足を太腿で挟んで温めてくれた、という描写のことを思い出す。語り手の祖母は、哀蚊は不憫だから蚊取り線香は焚かない、というようなことを言っていたが、私はあまりの鬱陶しさに哀蚊を潰してしまった。哀蚊はわしじゃ、ということもたしか祖母は言っていたことを潰してから思い出す。しかしこういう時期の蚊に刺されると、盛夏の蚊より格段に痒いのだ。

 帰宅して、昨日書いたコラムを送稿する。そのあとももくもく作業、夜まで。二十一時半からU-NEXTでプレミアリーグのマンチェスター・シティ対リヴァプール。終わったころには脳も目も疲れ切っている。

 

11月26日(日)夕方まで小雨、夜は曇。低気圧を感じつつ目覚める。北海道新聞のために、澤直哉『架空線』についての書評エッセイを書く。たいへん感銘を受けたから書くことが多いし午前のうちに終わるかな、と思っていたが、私が感銘を受けるのはだいたい言葉にしづらいものを受け取ったときで、八百字というのはそれを書くにはいかにも短い。やや難渋しつつ、それでも二時の散歩までには完成。

 そのあと、これも北海道新聞の書評のために、陣野俊史『ジダン研究』を起読。陣野さんの文章、なんかめちゃくちゃ好きなんですよね。はじめて読んだとき(新潮文庫の佐藤友哉『子供たち怒る怒る怒る』の解説)からそうだった。グルーヴが合うというか、ずっと読んでいられる。というのはわりと、私が水原涼の文章に対して感じることでもある。陣野さんと水原の文章が似てるというわけでもないのだけど。

 

11月27日(月)快晴。遅くまで寝ていた。午後、オンラインでカウンセリング。気分良く散歩ができる数日と、動悸がひどくて何も手に着かない数日が交互にくる、という話をしたところ、〈ナチュラルペンデュレーション〉という概念を教えてくれる。人というのはそうやって揺れ動きながら生きるものだし、人間の心や身体は平常な状態になろうとするものだから、揺れ動きながら良くなっていく。だから何も悪いことではないんですよ、もちろんそのときは辛いでしょうけど……、とのこと。

 とにかく私のいろいろな症状は、自律神経がバグを起こしていることに起因する。人間は大脳新皮質で論理的な思考し、その結果が言語として表現される。それに対して、自律神経を司っているのは脳幹であって、だからいまあなたの身体に起きている反応──動悸や手汗──は、いわば脳幹の言葉なんです、と話を聞いて、なんだかいろいろ腑に落ちる。だからつらいときは、もちろん無理はしなくていいのだけど、余裕がありそうならその〈言葉〉を聞いてみるのがいい。振り子みたいに身体の状態が揺れるのは自然なことなのだから、心配しないで振り子のなかにいればいい。

 腹落ちの感覚を得られること、が私にはかなり重要で、自分の心身に何が起きているのか、を完璧に把握すれば、パニック障碍も治るような気がしている。

 

11月28日(火)雲の多い晴。暖かい一日。散歩もせず、キウイ(福岡の、〈甘うい〉というなぞの品種)だけ食って始業、夜まで集中。大きめの案件をひとつやっつける。私の名前が出るようなものではないのだが、けっこうやりがいがあるので、楽しい仕事。

 

11月29日(水)快晴。昨夜あまり眠れず、今日も寝不足。一日作業、閉店してからも『ジダン研究』、脳がしおしおになるまで。

 

11月30日(木)快晴。朝の散歩で近所の神社に行く。境内には小さな社やお稲荷さんがいくつかあって、そのなかに、出世に御利益がある、というのがあるのに気づく。私も出世したいのでお参り。入れ替わるように参拝に来た中年女性が、けっこう遠くまで聞こえる声で、どうか、どうかお願いします、と祈りながら男性の名前を呼びはじめ、こわかった。夫とか息子なのかしら。他人の必死な様子を見るのはスポーツだけでいい。

 

12月1日(金)雲の多い晴。長時間寝た、が、寝不足の気持ちで目覚める。ウェルチのぶどうジュースを飲んで始業、短篇を進める。

 昼の散歩でかつての職場への通勤ルートを歩く。その途上の、窓辺に愛猫のイラスト看板を提げてる家、私が働いていたころは三匹飼っていたが、その後四匹に増え、そして今日、新しい一枚が増えていた。猫というのは増殖するものだ。私の両親も、私が進学して夫婦ふたりになってすぐ猫を飼いはじめた、が、二年後には四匹に増えていた。

 そのあとはじめて行く公園で筒井康隆を進読。〈球技禁止〉の看板の下に小さいバスケットボールが落ちていた、ので、ちょっとリフティングして遊ぶ。小学校のころはサッカーをやっていたのだが、私は足の速さと体幹の強さでプレーするタイプで、テクニックは皆無だった。リフティングもめちゃくちゃ下手で、四年生のときの十八回が最高。今日は五回しかできなかった。まあスニーカーだし、寒くてポケットに手を入れてたし、と言い訳しながら帰り、また作業。

 夜、Twitterを見ていて、三木卓の逝去を知る。『K』という小説がとても好きで、悼むこと、を考えるとき必ず『K』のことを考える。著者自身を投影した〈ぼく〉と、ちょっと一風変わった女性である〈K〉の生涯。大学生のころ、三木卓という名前も知らずに(〈がまくんとかえるくん〉シリーズは幼少期に愛読してたけど、訳者が誰か、そもそも誰が書いたのか、すら当時は意識してなかった)新刊棚から手に取ったのが『K』で、と思って奥付を見ると二〇一二年刊、もう十年以上前。その後ほかの著書も読みはした、が、訃報に触れて最初に思ったのは、あの〈ぼく〉が死んだのか、ということだった。八十八歳、老衰。好きな書き手の死は悲しいことだ、が、今この日記を書きながら、〈ぼく〉が〈K〉と同じ場所に行ったのだ、ということを、なんだかうれしく思っている。

 

12月2日(土)快晴。今日は一歩も出ない日。作業はそこそこにして、バスケットLIVEで一昨日の島根対千葉を観、間髪入れずに昨日の島根対千葉も観。ダブルヘッダー。二試合目の後半ハーフタイム中に古川真人から電話がきた。一時間強。年の瀬ということもあり、来年はこういうふうな仕事ができたらいいなあ、と展望を言いあう。私は、そろそろ本が出したいです、みたいなことを話したが、去年も同じこと言ってたような。

 

12月3日(日)快晴。朝食に非常用の保存食の缶カレー(賞味期限切れ)を食って散歩に出。スタバのピスタチオのやつを買って帰った。

 午後、コンサドーレ札幌対浦和レッズ、札幌の小野伸二のラストゲームを観。J1での出場は一年七ヶ月ぶり、先発出場は二〇一二年以来!とのこと。しかし前半二十二分、怪我とかトラブルもなかったけど交代。試合を中断して、両チームの選手が退場していく小野に挨拶をしていた。ややジンとする。が、札幌は〇─二で負けて、小野の引退を飾れず。そういうものだ。

 

12月4日(月)晴。朝から具合良くなし。天気は良いけど散歩はスキップ、服薬して始業。『ジダン研究』の書評を書いていく。しかしどうも頭回らず。副作用の眠気もあって、捗らないまま、とにかく思い浮かんだ言葉を箇条書きしていく。

 昼の散歩をしたら頭がリセットされたのか、午前中に並べた言葉を見てるうちに書くべきことが見えてきて、ゴリゴリ進筆。夕方ごろに仕上がる。即送稿、ちょっとだけ外を走り、スーパーのおいなりさんなどを食った。

 

12月5日(火)曇、ものすごく寒い。十時前に散歩に出た、ら、身体の芯まで凍える寒さ。一日作業した、が、どうも捗らず。

 私は休みかたが下手だ。一日八時間で週五日、計四十時間、が一般的な働きかただとしたら、私は一日五時間くらいしか仕事をしておらず、だから週に八日働かなければならないのだがそんなことは不可能なので、焦りばかりが募って、休んでいてもサボってるような罪悪感で落ち着かない。そもそも一日五時間というのも実際に計ったわけではなく、おれの仕事の価値なんてふつうの人の六割程度だ、みたいな無意味な卑下によるものだ。と書いてるといかに自分の認知が歪んでいるかがよくわかるな。

 夕方、六時にはもう風呂に入って、そのあとおでんをつくる。食いながら『おんな酒場放浪記』を観。画面のなかも寒そうな十二月で、おねいさんがおでんを食っていた。縁まで注がれた日本酒を、卓に置いたまま口をつけて啜る。私は下戸だからああいう飲みかたをすることは一生ないのだなあ、と思ったがそういえば、私は日本酒だけはちょっと飲める。ビールはひと缶も飲みきれずに意識を失ったりするのだが、日本酒は熱燗で一合飲んだこともある……と書いていて思ったのだが、単にビールを飲んだ日はアルコール分解酵素のコンディションが悪く、日本酒のときは人生でいちばん活きが良かった、というだけのことかもしれない。酒を飲んだ経験が少なすぎて、一度の経験を一般化して考えてしまう。

 

12月6日(水)快晴。今日はわりに暖かく、朝の散歩のときも凍えず。終業後にジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』を起読。脳がしおしおになるまで読んだ。

 

12月7日(木)快晴。昨夜二時ごろまで起きていて、寝不足。十一時からオンラインで打ち合わせ。雑談も合わせて一時間ほど。編集氏の仕事納め(二十八日)までに推敲する、ということになった。これで十二月の予定はすべて決まった。窒息しない程度にやることが詰まっていて、いい感じ。

 やや疲れたので『ゴルゴ13』を読む。夕食に鍋を作って、食いながら『ガイアの夜明け』の婚活回を観、昨日のアルバルク東京対群馬を観。ハイレベルな良い試合。眠気がひどかったががんばって風呂に入った、ことで目が冴えてしまい、夜中の一時を過ぎてからあまりの口さびしさに、うどんをひと玉チンして醤油をかけただけ、という限界めしを食う。

 

12月8日(金)晴。寝不足気味。今日は外に出ない日で、起床即始業。朝食は抜き、昼も夜も昨日の鍋に具を追加したものを食い、昼の散歩もなし。夕方まで集中、まだちょっと体力を残した状態で今日は閉店。寝る前にザクロを食った。

 

12月9日(土)晴。今日も外に出なかった。半日作業して、バスケットLIVEで宇都宮対川崎。ずっと競り合った展開で、オーバータイムの熱戦の末に宇都宮が勝つ。たいへん滾った。そのあと名古屋D対千葉の試合も観。ダブルヘッダー。こちらはいまいちぴりっとしない展開で、三十点以上の大差で千葉。

 

12月10日(日)晴。今日は本休日。インスタントのわかめスープと白米で朝食として、ちょっと新聞を取りに郵便受けまで、と、ヒートテックにウルトラライトダウンを重ねただけの恰好で一階に降りた、が、そのまま散歩に出。下にチノパンを履いてたので外見上は何の問題もなかった、はず。そのあとも、読書をしたり散歩をしたり昼寝をしたりバスケを観たり。

 

12月11日(月)曇。伏せっていた。

 

12月12日(火)雨。具合悪し。作業は一、二時間程度で、あとはずっと読書の日。『文學界』の最新号からいくつか。辛島デイヴィッド「バスケ幻想(バブル)の崩壊?」が良かった。とにかくゴキゲンな感じ。今年になってから観はじめた、辛島のいう〈大人になってから入信する人〉として、とにかくバスケを(そのままならない部分も含めて)楽しむ〈生涯信者〉の姿はちょっとうらやましい。一年前の私なら書き込まれているバスケ用語の半分が意味不明だっただろう。読むのが今で良かった。

 矢野利裕「ジャニーズの感触──むしろ芸能スキャンダルとして」も。著者はは東京新聞の〈弱者に寄り添った報道を続けることを約束します〉という声明について、それは過去を切り離してるだけだ、と指摘しているが、実際、この〈報道を続ける〉という表現には、自分たちは今までも〈弱者に寄り添った報道〉をしてきた、という主張がふくまれている。著者は過去の検証なき切り離しを〈ジャーナリスティックな姿勢〉と批判したうえで、ジャニーズについての本を単著・共著ともに複数上梓している自身が、どのようにしてジャニーズを書いてきたか、を検証している。言論人が自分の過去の発言を批判的に検証して、〈自分のなかに男性間におけるセクシャルな行為に対する致命的な軽視があった〉ことを認める、というのは、めちゃくちゃ勇気のいることだと思う。

 そのあと著者は、東山紀之氏が最初の会見で、〈ジャニーズ〉という名称を変更しない、と表明したときの発言を引用する。

 

 僕が思いましたのは、ジャニーズというのはもちろん創業者の名前であり初代のグループでもありますが、なにより大事なのはやはり、これまでタレントさんが培ってきたエネルギーであるとかプライドだと思うので、その表現のひとつでもいいんじゃないかとは思います。

 

 で、〈この「エネルギー」とか「プライド」とか呼ばれているものの背後に性加害/性被害があった、というのがこのたびの問題である〉と指摘して、そのうえで、事務所名の維持、という、悪手であることはあきらかな判断を彼らがした(のちに変更)ことには、過去を切り離すのではなく真摯に向きあう、という意味がふくまれうる、と述べている。

 それは確かにそうだ、と思いつつ、名称変更は何よりもまず、加害者の名前を目にし耳にすることが被害者にフラッシュバックを誘発しかねない、というのが理由だったように私は記憶している(し、幼少期の十年ほど兄の暴力を受け続けていた者として、その感覚には強く共感していて、この件について考えるときに重視している)。

 矢野さんのこの論考に乗っかれなかったのは、ここに限らず、情報の読みかたが私のそれとややズレてるように感じられたから、なのだろう。著者はこのあとの議論の前提として、ジャニー喜多川の東京高裁での発言を、本心を語ったもの、といったん鵜呑みにしてる感じがある。〈信頼していたつもりだったのに「セクハラ」を訴えられたこと。愛情を注いでいたつもりだったのに、それを暴力だと指摘されたこと。ジャニー喜多川は、それらのことについて「お互いにさびしいことだ」と言っている。ジャニーズとはそのような濃密な人間関係を形成する場所だったのだろう。〉しかし報道されている喜多川の行為は、愛情ではなく性欲の発露でしかなく、少年たちを慈しみ育てることと地続きの行動だとは(さすがに)言いがたい。

 著者はおそらく、論考の後半で言及していた〈当事者の会の平本淳也の言動〉を読み解くことで、標題の〈感触〉を得たのだろう、と思う。平本は、フラッシュバックによる不眠や心療内科への通院を公言すると同時に、ジャニーズへの愛情も吐露している。著者は平本のこの態度を参照したうえで、〈いくら許しがたい人物であっても、その敵対感情や敵対関係をぐずぐずにしてしまうのが芸能というものである〉し、ファンと演者の関係性がそもそも〈愛情と暴力性と差別意識がぐずぐずに混じったようなもの〉であり、それが〈芸能〉が内包する罪深さである、と指摘する。

〈芸能〉は氏が考え続けてきた主題のひとつだ。『今日よりもマシな明日』のなかで彼は、〈芸能〉の舞台で求められるのは〈自分ならざる者を精一杯に生きる振る舞いである〉と指摘していた。同書をめぐる論争のなかでは〈《芸》としての批評〉に〈僕が求めるのは、「真剣」「必死」「一生懸命」という態度であり、かつ、そこから生まれる非—意志的なポイントに生じる《おかしさ》です〉とも表明している。ここでいう〈おかしさ〉とは〈奇怪さと滑稽さ〉のことだ。吉井和哉がメカラウロコ・15の最後に「ずっと歌っててください」とだけ言い残し、誰にも聞こえない声で「ありがとう」と囁いてからステージを去るのを動画サイトで観ながら泣きそうになっていたとき、ビキニパンツ姿の山本圭壱が全身に油を塗って床を滑ってるのを観ながらゲラゲラ笑っていたとき、ボストンバッグに身体を押し込むエスパー伊東をハラハラしながら観ていたとき、私はまちがいなく、〈愛情と暴力性と差別意識〉をもって、〈「真剣」「必死」「一生懸命」〉な彼らの姿を消費していた。だから矢野さんのこの一連の指摘は、自分の無意識を言いあてられたような感じがした。

 で、『文學界』の論考で氏は、当事者の会が一貫して、ジャーナリストや第三者委員会の提言する解体的出直しや事務所の解散ではなく、〈補償・救済につながる「和解」を求めている〉こと、を指摘する。〈一部のジャーナリスティックな言葉は、このような側面を見落としているのではないか。ジャーナリストは図式的な役割をこなすばかりで、憎しみも愛情も入り混じった場所で起こったことについて、それを社会が放置してきたことについて、その厄介さについては実はあまり関心を払っていないのではないか〉。氏がここで〈和解〉を強調しているのは、平本たち当事者の、ジャニーズへの愛憎いりまじる感情のうち、〈愛〉により着目している(それがこの論考の発端でもある)からだろう。しかし、当事者の会にとって重要なのは〈和解〉ではなく、その先にある〈補償・救済〉のほうなのでは、とも思う。矢野さんが引用している、ジュリー藤島の株主続投を「やめてどっかに行ってしまうよりもはるかに良かった」と評価したり、「社名を変えて救済できるなら変えてください。(中略)救済・補償に結びつかないのであれば、逆になにもしないでください、という気持ちです」と主張する平本の一連の発言も、その目的に有効かどうか、を問うているのであって、ジャニーズ事務所という企業の今後、は重視されていないような。

 だから、この態度を〈周囲よりも当事者の会のほうがジャニーズに対して理解的・譲歩的なところがある〉という矢野さんのまとめには同意しがたい。どうしても私は、〈芸能スキャンダルとして〉ではなく、芸能界の大物がその権力と影響力を笠に着て少年たちをレイプした事件としてしかこの件を見られない。それはつまり私が、『ザ! 鉄腕! DASH!!』や『SMAP×SMAP』、『学校へ行こう!』を毎週楽しみに観ていた、そのなかで繰り返し語られていただろう〈ジャニーさん〉への感謝や愛情の言葉を、すべてグルーミングの結果だと断じているといことでもある。私はまだ、矢野さんの批判する〈ジャーナリスティックな言葉〉の影響下にある、ということかもしれない。長くジャニーズ(をふくむ芸能)を批評の対象のひとつとしてきた矢野さんと、BBCの番組を観るまでジャニーズ事務所の内情に興味がなく、喜多川の性加害も知らなかった私との、当事者意識の違い、もたぶんある。

 どうにもモヤモヤしてしま、長々と日記を書いている。それは矢野さんの論考によって呼び起こされたモヤモヤで、たぶんそうやって、読み手の認識のじつは未整理なままの部分を指さすことこそ、著者の目指すところでもあったのだろう。おそらくそのために、矢野さんはこの論考を(彼にしては珍しく)やや偏った立ち位置から論じているのだろう。

 

12月12日(水)快晴。一日作業。夕方から豆乳鍋を作り、食いながら男子バスケ天皇杯の横浜BC対渋谷を観。今ひとつぴりっとしない展開で(というか土日に観た宇都宮対川崎の二連戦が好ゲームすぎて私のなかの基準が上がってしまったのかもしれない)横浜が勝ち、立て続けに名古屋D対宇都宮を観。こちらも試合としては白熱した感じではなかった、のだが、ラスト三十秒で出てきた田臥勇太がレイアップを決め、本人やチームメイトはもちろん、アウェイなのにけっこう大勢いた宇都宮ブースターも大はしゃぎで、観てるこっちまでうれしくなる。愛されてるんだなあ。日本人初のNBAプレイヤー、日本バスケ界のレジェンド、ということは知ってたけど、プレーする姿を観るのははじめてだった。

 

12月14日(木)快晴。昼まで集中。昼食に昨夜の鍋を温めて、食いながら昨日の天皇杯、A東京対長崎を観。昼寝のあとも夕方まで。それから天皇杯のもう一試合、川崎対群馬を観。これで昨日の天皇杯は四試合すべて観た。二日連続のダブルヘッダーでやや疲れている。

 

12月15日(金)曇。寒い。八木沢佑、という筆名でいっしょに同人誌をやっている、北海道大学文芸部以来の友人に石垣島を連れ回され(石垣島、と私は認識していたのだが、街並みは鳥取の、桜土手と呼ばれる遊歩道周辺に似ていた)、あちこちのタワマンのエレベーターに乗せられてパニック発作を起こす、という悪夢を見。八木沢はずっとニタニタしていて、私が発作を起こすとフッとかき消えて、降りるとまたニタニタしながら現れる。札幌芸術の森美術館に八木沢といっしょに行って、野外美術館(起伏のある森のあちこちに数十作品が常設展示されている)を半日かけて歩きながら、置かれている作品ひとつひとつについて、作家の意図をでっち上げて解説しあう、という遊びをやったときのことを思い出す。あれは楽しかったなあ。

 しかし夢のなかで発作を起こし続けたせいか、朝起きると全身がこわばって息苦しい。希死念慮、ではなく、とにかくこのしんどさをぜんぶ終わらせたい、みたいな気持ちが常にあって、しかし一般的にそれを希死念慮というのだ、ということもわかっている、ので、今日は無理せず療養日、と思っていたが、けっきょく原稿を二、三枚進めた。

 それ以外はバスケも観ず、ゆっくり読書。金達寿『朝鮮』を読んだり、山本文緒『恋愛中毒』を読んだり、眉月じゅん『恋は雨上がりのように』の最終巻も。最終ページにほんの三行、あとがきが添えられていた。

 

読者のみなさんがあきらや店長を応援してくださったように、

このマンガのキャラたち全員があなたの人生を応援しています。

読んでくださってありがとうございました!

2018.3.19 眉月じゅん

 

 じっさい私はこの全十巻の作品を読みながら、あきらや店長が、幸せでもそうでなくとも、彼らにとって良い結末を迎えられればいい、と思っていたし、応援もしていた。何はともあれそれぞれが前を向いて終わった作品の末尾で、私が彼らを見ていたように彼らも私の人生を応援してくれている、と言われて、なんだかジンとしてしまった。

 

12月16日(土)曇。午前は作業。テレビをつけるとちょうどバスケの皇后杯準決勝のENEOS対シャンソンがはじまったところだったので、酒のつまみを(下戸なのに)食いながら観。ENEOSが強すぎる。そのあとBリーグの千葉対渋谷。オーバータイムの熱戦で渋谷が勝った。昂ぶりました。

 

12月17日(日)快晴。遅くまで寝。朝からおでんを作る。夕方、十二月後半のわりに暖かかったので、ベランダに椅子を出して読書。冬野梅子『まじめな会社員』全四巻を読了した。なんかずっと、知らん人の愚痴を聞かされ続けてるような感じだった。〈まじめに頑張ってる人から圧倒的共感!〉と一巻の帯にあったのだが、まじめに頑張ってる人がこの作品に圧倒的共感してしまうということ自体が現代社会のろくでもなさを表している、と皮肉交じりに考えてしまう。しかしぜんぜん共感できなかったおれは……。

 最後まで主人公は色恋のことを考えていて、『恋愛中毒』の語り手もそうだったけど、人生において恋愛という営みのプライオリティを高く設定してる人、が苦手なのかもしれない。現実の人間でもそうだな。

 日が暮れたらさすがに寒くなり、オノ・ナツメ『僕らが恋をしたのは』の途中で中に入る。夜、温めたおでんにうどんを突っこんで食いながらACミラン対モンツァ。ミランが三—〇で勝ち、ごきげんになって、セブンの麻婆炒飯も食べちゃった。

 

12月18日(月)快晴。伏せっていた。

 

12月19日(火)曇、寒い。極寒、と書きそうになったが最低五度、最高八度の、札幌にいたころなら暖かいと感じていた気温だ。夢見があまり良くなく、何度か目覚めて八時に起きる。体調はやや改善、散歩して作業の日。

 スズキロクさんが昨夜の「のん記」で、『ニッポン無責任時代』のことを描いていた。夫が観ようとしているところに妻がやってきて、「妻にぴったりですね。観ます観ます」と言い、おもむろに「つっまは〜♪ この世でいっちばん♪」と歌いだす。それを受けて夫が、「無責任〜と言われたつ〜ま♪」と続ける。植木等の主題歌「無責任一代男」の替え歌。そういえば私は大学生だったころ、よくこの歌をカラオケで歌っていたし、当時の私はこの、〈おれはこの世でいちばん 無責任と言われた男 ガキのころから調子よく 楽して儲けるスタイル〉とはじまって、〈コツコツやるやつぁ、ご苦労さん!〉と終わる歌がよく似合うような人間だった気がする。〈人生で大事なことは タイミングにC調に無責任〉、という言葉を、座右の銘というほどではないにせよ、けっこう信じてもいたのだった。またこのマインドでいこう、と、なんか心が改められた感じ。

 しかしロクさん、もう五年近く毎日、新型コロナで寝込んでる日にすら休まず「のん記」を発表し続けていて、これこそ〈コツコツやるやつ〉なような気もするが、あんな歌を唄ってた植木は実は生真面目な人だった、というのもどっかで聞いたことがあるな。おれもコツコツ無責任に、C調で生きていきたい。

 

12月20日(水)晴、寒さはひかえめ。未明に目覚め、そのまま眠れず始業。今日で短篇を仕上げるぞ、と思っていたのに、きれいに締めたがりすぎなのか、捗らず。二、三枚で午前を終える。

 昼の散歩をして午後も集中していると、四時ごろにいきなり書き上がる。けっきょく八十枚くらいになった今回の原稿でも、八百枚の長篇でも、終わるときはいつも突然だ。私はふだん、一段落書くたびにその段落を読み返して次の段落の書き出しを決めて、その積み重ねが一篇になる、みたいな書きかたをしている。だから完成を悟るのは最後の一文を書き終えたときではなく最後の段落を読んだときだ。結果的に最後の一文になったフレーズを書いて句点を打って、その文に至るパラグラフを読み返して、アッこれで終わりなのか、と呆気にとられる。書いてる人は誰でもそういうものなのか、単にこれが私のスタイルということなのか、先を見通せないまま書いてる未熟さ、ということなのかもしれないが、この瞬間は、小説家の仕事のなかでは推敲の次に好きだ。

 

12月21日(木)晴。今日は引きこもる日で、起きてすぐ始業。昨日書き上げた短篇の手直し。五十枚弱のつもりで書きはじめたのが八十枚弱になった、ので、序盤と終盤でややトーンが変わっていて、調整に手間取る。

 夜はセブンの鍋焼きチゲうどんを食いながら昨日の琉球対長崎を観。たいへん美味かったので買い置きの麺を替え玉にして腹いっぱいになる。試合は故障者が多くてベンチ入りメンバーが九人だけ(ふつうは十二人)の琉球がリードする展開で、私は琉球が好きなので喜んでいた、ら、最終盤に逆転されて負けた。くやしい。なんで私が琉球好きかというとたぶん、昨シーズンの優勝チームだからだ。そういえば私は、Jリーグの最初期に強豪だったヴェルディが好きになって、テレビで観た試合でヴェルディに勝ったジュビロのことが嫌いになり、次にテレビで観た試合でジュビロに勝ったマリノスを好きになって、そのまま大人になるまでマリノスファンを続けていた。イタリア代表やACミランが好きなのも、私が主体的にサッカーを観るようになった二〇〇六年にこの二チームが世界大会で優勝したのを観たからだ。そして今年になってから観はじめたバスケでは、優勝チームである琉球を推している。強いものが好きなのかおれは……。

 

12月22日(金)晴。今日は二十五日が締め切りの地元紙のコラム。書き上げて、午後四時からオンラインでカウンセリングを受ける。不安を感じる状況を想像して自分を慣らしていく、みたいなワークをやって、やや疲弊。終わったあとはぐったりして、無気力に本を読む。

 

2月23日(土)快晴。引きこもる日。夜中に起きて、二時間ほど読書して寝直し、九時ごろ起きる。二十八日が中篇の推敲の締切なので、やや急いで作業する。初稿にワンシーン加筆した上で全体を短くする、というのがミッションのため、削れそうなところを探しつつ。削るための推敲というのは、良い作品がさらにシャープになっていく!となって楽しいのだが、削れば削るほど原稿料が減っていく。

 三時からバスケットLIVEで宇都宮対島根を観、すぐに群馬対琉球の見逃し配信も観、さらにU-NEXTでフロジノーネ対ユヴェントスまで観。トリプルヘッダー! スポーツ好きとはいえ三試合、八時間ほど観てると疲れ切っていて、歯を磨くだけで精いっぱい。

 

12月24日(日)曇。昨日テレビを観すぎたせいかやや不調。

 半日作業をして午後三時から、今日も宇都宮対島根。終わったあとちょっと寝て、漫画を何冊か読んで群馬対琉球も観はじめた、が、もう十一時を過ぎていて眠気がひどく、途中まで観て止めて寝。

 

12月25日(月)よく晴れた寒いクリスマス。五時ごろに起きて凍えながら作業。全体を推敲しながら読み返すやつを今日中に終わらせるつもりだったのを、朝のうちにやっつけた。そのあとももくもく作業。推敲したものをテキストファイルに反映させて、加筆箇所を書いていく。

 

12月26日(火)快晴。午後のp散歩は短距離で。この時間(午後二時ごろ)になると朝の薬が抜けてくるのか、具合悪くなりがち。帰宅して少し休み、また作業。夕方まで。ちょっと本を読んでから炒飯を作り、腹を満たしてから、中篇の加筆。二十七日を目処に、と思っていたのだが、昨日のうちに着手していたこともあり、夕方までに終える。

 

12月27日(水)曇。起床は遅め。シャワーを浴びて神楽坂・コパンのケーキを食って散歩に出。神楽坂駅改札、赤城神社、スーパー。今日のタスクはもうやっつけている、ので、今日は一日あそんで暮らしたところでもう勝ち確定じゃい、といいつつ作業。

 昼の散歩は短時間、寒いので公園で読書もせず、五分ほど。近所の工事現場で交通整理をしているおいちゃんが、アレッ忘れものかい、みたいな顔をして見てくるが、もう終わりました。

 午後、楽天で注文してたバスケットボールが届く。家にボールのある暮らし、というのは高校以来のことで、なんだかうれしい。マンションなのでドリブルとかはできませんが……。

 

12月28日(木)朝は曇、だんだん晴れる。寒い日。四時ごろに目が覚め、眠れず。年越しそば(毎年にしんそばを食べてる)の材料を買い込む。

 ときどき気晴らしにボールを投げ上げたりしつつ作業。午後五時ごろまで集中して、ようやく編集者と合意していた枚数におさまった。即送稿。これで私も仕事納め!と喜んでいたら、地元紙からコラムのゲラが届く。一月五日までにご返信ください、とのことだったが、年越したいもんでもないので即戻す。今度こそ仕事納め!と思いつつ、もうメールこないよね、とビクビクしている。

 

12月29日(金)晴。伏せっていた。

 

12月30日(土)晴。朝は頭痛だったが、今日はロキソニンがよく効いた。昼まで作業、午後からバスケットLIVEで昨日の川崎対名古屋Dを観、そのままさらに三試合。渋谷対群馬、千葉対三遠、横浜BC対三河、のそれぞれ二連戦の一戦目。疲れ切った、が、なんでおれはこんなに疲れ切るまでバスケを観てるんだ。

 

12月31日(日)朝は雨、そのあとは曇。起きてすぐブックオフオンラインに買取申込してたのの集荷がくる。そのあと家の掃除をして、またバスケ。昨日の川崎対名古屋Dを観、渋谷対群馬、横浜BC対三河、の二戦目。トリプルヘッダー。終わったころにはちょうど紅白がはじまる時間になっていた。

 ダラダラ観ながら途中でにしんそばを作る。今年もあいみょんの出演時には大音量で「マッチョドラゴン」を流した。あいみょん、数年前に「マリーゴールド」をワンフレーズ聴いたときの衝撃をいまだに引きずって、それ以降一度も聴けずにいるのだから、すごいミュージシャンなのだと思う。

 SNSを見たり漫画を読んだり、小腹が空いてカップ麺を食ったりしつつ、けっきょく一度もチャンネルを変えずに紅白を最後まで観、『行く年来る年』を観ながら年越し。二〇二三年、最初に読んだのはマーティン・ウィンドロウ『マンブル、ぼくの肩が好きなフクロウ』、最後に読んだのは天王寺大・郷力也『ミナミの帝王』五十六巻でした。クウィープ!

 

1月1日(月)晴。新年。午前は布団のなかでゴロゴロしながら読書。午後、男子サッカーの日本対タイ。ぞっとするほどレベルが低く、前半だけで飽きる。もう観るのは公式戦だけでいいかな、となり、後半は観なかった(のだが、メンバーを代えたことで攻撃が活性化して五─〇で日本が勝ったそう)。

 サッカーのお口直しに、バスケットLIVEで三十日の長崎対広島を観。ハーフタイムごろ地震。揺れは小さかったがずいぶん長く続く。当初はたいしたことなさそうに感じられて、しかしそれが長く続いたことでただごとじゃないと気づく、のが、東日本大震災とちょっと似ていた。当時住んでいた札幌は震度四程度だった。家でのんびりしてるときだったから、それほど激しい揺れじゃないし床に積んでる本も崩れなさそうだし、とゲームを続けていた、のだが、ずっと揺れがおさまらなかったことで、これ震源ちかくではかなりの被害なのでは、と思い、一時停止してテレビをつけたのだった。

 そのことを思い出しつつバスケを中断して、NHKで情報収集。輪島の大きな火事、家を押しつぶして倒れたビル、川を遡る波。アナウンサーが激しい口調で避難を呼びかけている。東日本大震災のとき、パニックを誘発しないために冷静な口調で呼びかけたところ、こんなに落ち着いた言いかたならまあ大丈夫なんだろう、と避難しない人も多かった、その反省から強い口調をつかうことにしたそう。気の滅入る年明け。

 

1月2日(火)曇、すこし雨。お雑煮を食い、駅伝(雨も降ってきてめちゃ寒そう)をちょっと観て読書、今年の一冊目としてハラルト・シュテンプケ『鼻行類』を読む。

 昨日の地震のニュースをいろいろ観、バスケ。大晦日の長崎対広島。二日続けて広島が勝った。勝ちじゃけえ!とヘッドコーチのカイル・ミリングが言うのがたいへん良い。氏の決めぜりふらしく、オフィシャルグッズらしいタオルにも書いてあった。今日は長崎まで来たファンへのコメントを求められて、「来てくれてありがとう、たくさん元気もらいました。長崎ファン、素晴らしいです! We can... 良いお年を! and... 来週、二〇二四、uhh... 歳! 勝ちじゃけえ!」と言っていた。〈年〉を〈歳〉に言い間違えるの、わかるぞ、となる。

 夕方、羽田空港で飛行機事故の報。新千歳空港から飛んできたJAL機が、昨日の震災の支援物資を新潟に運ぼうとしていた海保機とぶつかって炎上したそう。新千歳発羽田行のJAL機、札幌に住んでたころ何度も乗ったから、その乗客が辿ったルートとか、見ていた景色なんかも想像できてしまう。六花亭の、白地に北海道の花がいくつも描かれた定番の紙袋が、たぶん機内にはたくさんあって、それがぜんぶ燃えたのだ。と書きながら気が滅入ってきたので考えるのをやめる。二日続けていやなニュース。

 

1月3日(水)曇。昨日よりさらに寒いかんじ。起きてからしばらく読書。午後、昨日の『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』の録画を観ていたら、ちょうどバスケ対決のクライマックス(ENEOSの宮崎選手がディープスリーを放ったところ)で緊急ニュースが入る。羽田の事故の速報。CMが入って番組に戻った、と思ったら、次のサッカー対決がはじまっていた。公式Twitterによると、〈一部地域の方は、緊急報道対応のため、バスケットボール対決を最後まで放送できませんでした〉とのこと。延長とかじゃなくてその箇所だけカットする、という対応ははじめて見た。

 

1月4日(木)曇ったり晴れたり。昼飯を食いつつ、録画してた『ラーメンを食べる。』の千歳船橋・MAIKAGURA回を観。良かった。BGMもナレーションもなく、ただラーメン屋がラーメンを作ってタレントがそれを食べる、というストイックなつくり。そのあとベランダで髪を切った。

 

1月5日(金)快晴。こわい夢を見て五時ごろ起きる。近所の車通りの少ない道で夜、和装の女児ふたりがケタケタ笑いながら車の前に飛び出していく、というシーンだけ憶えている。女児の一人が飛び出す寸前に笑顔のまま私の顔をちらりと見た、そのときのゾッとする感じ。あの笑いのなかの幾分かは、自分たちの姿を起きてからもずっと記憶にとどめてしまう私にも向けられていたような気がする。

 何の気なしにテレビをつけると、ちょうどNHKの『犬のおしごと』という十五分番組がはじまったところで、そのまま観。カナダのリゾートホテル(ペット宿泊可)でゲストをもてなす、というのが今回の犬のおしごとで、ええなあ、となる。『犬のおしごと』、はじめて観たし途中からだったからよくわからないのだが、どうやら犬がほかの犬の職場を見学する、というコンセプトらしく、カメラは犬の目の高さで固定され、椅子に飛びあがるアクションをしてみせたりもする。

 ナレーションがなんだか親しみの持てる語りで、犬の一人称だからかな、と思ってたら、荒川良々だった。ツルピカさん! 取引先に恫喝され、部下にばかにされ、家にも居場所がなかったツルピカさんが、犬として第二の生を得てのびのびしている、と考えてうれしくなる。

 午後、マクドナルドの今日はじまったゴジラバーガーというよくわからんがうまいのを食いながら、録画してた『ガイアの夜明け』のふるさと納税回を観、Bリーグの広島対秋田を観。今日も広島が勝ち、カイル・ミリングが「勝ちじゃけえ!」と叫んでいた。

 

1月6日(土)快晴、暖かい日。半日作業をして午後、バスケットLIVEでアルバルク東京対川崎の一戦目を観。今シーズン限りの現役引退を発表している川崎のニック・ファジーカスが、早い時間のうちに足を痛めたらしくアリーナから出ていって、試合が終わっても戻らず、心配。とはいえ試合は盛り上がり、東京が勝った、が、勝ちじゃけえ、と、東京のアドマイティスHCは言わないのだ。

 

1月7日(日)曇。七時ごろに一度起きた、が、また寝直して十時起き。ボンヤリしたまま正月の、『とんねるずのスポーツ王は俺だ!!』のうちバスケ対決の最終盤で緊急ニュースがはじまって放送されずじまいだったためバスケ対決のところだけ再放送されたもの、を録画してたやつを観。宮崎選手のディープスリー、めちゃ外れてた。

 それから七草がゆを食いつつ『おんな酒場放浪記』の、いつもは一人で酒場に行く出演者たち(倉本康子、寺澤ひろみ、日比麻音子)が一堂に会して新年会をやる、というのを観。お互いの腹の底を探り合ってるうちに終わる。一時間番組のうち、前半三十分がこの新年会、後半が通常の居酒屋訪問回二本(再放送)、という構成で、ほんとは一時間ぜんぶ新年会のつもりで企画したのに撮れ高がなさすぎてこうなったのでは……?となる。倉本さんも寺澤さんも後半の、一人で酒場に行くときのほうが楽しそうだった。

 考えてみれば、一見さんは入りづらそうな店に女性が一人でフラッと入り、店主や常連客とコミュニケーションを取る、というあの番組において、彼女たちは外部から共同体に闖入する異人(マレビト)にほかならない。その土地に馴染まないように見える存在が前触れなく来訪し、カメラと照明という(文字通りの)光=祝福を与える。折口民俗学ではマレビトというのは常世からやって来た祖霊、つまりご先祖さまだけど、『おんな酒場放浪記』においては共同体の構成員(おおむね中高年男性である常連客)より若い異性だ、というのが特徴的なところ。そして異人というのはそもそもが社会集団の構成員とは異質な存在なのだから、彼女たちが集まって共同体をつくろうという試みは、はじめから失敗が約束されていたのかもしれない。

 そのあと昨日の京都対千葉を観、ちょうど東京対川崎の二戦目がはじまるところだったのでリアタイ視聴。ファジーカスは左膝の靱帯を損傷したそう。全治は未定と発表されていて、もしかしたら昨日の試合が現役最終戦になるかもしれない、そうじゃなくても、NICK THE LASTと銘打った今シーズン、対戦せずじまいに終わるチームもあるかもしれない、と思うとなんだかいたたまれない。去年の今ごろはバスケに興味がなく、ファジーカスの存在すら知らなかったのにな。

 観終わってスマホでニュースを読んでたら、今日の試合で宇都宮の田臥勇太選手が躍動した、というのを見てしまう。田臥さんはだいたい宇都宮が大差でリードしてる展開で出るので、なとなく結果は想像がつきつつ、田臥さんが躍動してるのは目撃したい、ということで、明日観ることにする。明日の予定でウキウキする、というのはなんだかずいぶん久しぶりのような気がして、うれしい。

 

1月8日(月)晴れたが寒い。昼前に散歩をし、果物屋で三パック千円になってたいちごを買う。

 夕方から、まんをじして昨日の宇都宮対大阪を、と思ったが、昨日のは土日の二連戦のうち二試合目なので、まずは一昨日の一試合目を観。ハーフタイムに鍋焼きのチゲうどんを作って食いつつ(最近セブンの冷凍の鍋焼きうどんを常備しているのだ)。田臥さんは出ず。間髪入れずに二試合目を観はじめた、が、どうも眠気が我慢できず、前半が終わったところで、まだ田臥さんは出てないけど寝。

 

1月9日(火)快晴、今日も寒い。夕食にカレーを作り、食いながら昨日の続きの宇都宮対大阪。田臥さんは第三クォーターと第四クォーターに出てきて、良いスティールやレイアップ、狙い澄ましたトラベリング誘発、かわいげのあるファンブルなどをしていた。躍動!

 田臥さん、試合前やハーフタイムのウォーミングアップでも、シュート練習が中心の他の選手とは違う柔軟ぽい動きをしていたり、試合中も立ち上がってそのへんを歩いたりしていて、自由な感じ。自由、というか、四十歳を過ぎても現役であり続けるためには、自分の心身に最適化された調整が求められる、ということなのだろう。

 大差がついた試合のクローザーというのはどの競技でも難しいミッションで、それをこうやって観客を沸かせながら遂行するというのはすごいことだ。この試合で宇都宮が勝つのは想像がついていたし、氏が躍動するのも昨日のニュースで(日刊スポーツの「【バスケ】レジェンド田臥勇太が連勝締めくくり! 宇都宮のファンは大喜び」という見出しと、満面の笑みでボールを抱きしめる田臥さんを捉えたサムネイル写真を)見て知っていた、のだが、実際にこうやって躍動してるのを観ると、改めてうれしい。もともとバスケに興味なんてなく、氏の全盛期もぜんぜん知らないのにな、と、ファジーカスについて考えたのと同じことを考える。

 

1月10日(水)晴のち曇。南側と西側の窓からの光が暖かく、曇りがちになるまで暖房を切っていた。

 夕食に昨日のカレーを温めて、十九時からの男子バスケ・イーストアジアスーパーリーグの千葉対安養。千葉でいちばん推してる(オールスターでも票を入れた)西村文男選手が躍動して、スリーポイントシュート八本、二十四得点、というキャリアハイ。レギュラーシーズンの試合ではなくEASLという、国内での注目度はあまり高くないミッドウィークの試合で躍動する、というのが、これぞおれたちの文男!という感じでうれしくなる。昨日の田臥さんといい、ベテランがイキイキしてるのを観るのは良いものだ。

 そういえばニック・ファジーカス、検査の結果、全治は六週間だそうで、今シーズン中に復帰できるそう。ホッとした。

 夜、メンタルに響くので少しずつ読み進めてた『心的外傷と回復』を読了して、こまごま書き写す。ややダウナーになりつつ、しかし回復までの過程が整理されているもの(のうち私にとって重要なところ)を書き写すというのは、自分がこれから登ろうとしてる崖にすでにボルトが打たれてるのを見つけるような感じで、ちょっと心強くもある。 

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