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何も読まない 2024.11.19〜2025.1.28

11月19日(火)晴。今日は散歩をしない日。

 昨日の疲れが残っていて、頭の巡りは今ひとつで、どうも捗らず。正午から整体へ。一時間ほどの治療の後半、鍼の効果が行き渡るまで三十分ほど刺したまま置いておく、という時間があって、先生はその間べつの患者の処置をしている。隣の診察台とはカーテンで隔てられてるだけなので会話がよく聞こえるのだが、噂話をする人や愚痴る人、診察や治療の内容についてあれこれ尋ねる人(私はこのタイプ)がいて、今日は愚痴の人だった。

 今日の隣人に限らず愚痴の人はけっこう、これってわたしは悪くないでしょう、と先生に同意を求めることが多い。人は自分を被害者側に置きたがるものだし、悪意を承認させることで共犯関係を作ろうとしてもいるのだろう。先生も、私の処置をしてるときとは会話のモードを変えていて、鍼灸師というのは感情労働なのだなあ、となる。

 夜、バスケを一試合観てから、DAZNで九時キックオフの男子サッカー中国対日本。試合中、観客の一人が乱入してきた。ピッチ・インヴェーダーというのは目立つことが目的の人が多いから、近年では彼らの姿を映さないのが主流で、戸惑ったように表情でどこかを見る選手の顔がアップになり、実況が「観客がピッチに入ってきたようです」と言うのを聞いて事態を知ることが多い。が、今日は、ピッチ全体を映すアングルで明瞭に見えなかったとはいえ、画面に乱入者の姿が映っていた。上半身裸のようではあったが、下は履いていた。

 あとでニュースを見ると、身体に中国語っぽい漢字が書かれている。私は中国語ができないので意味がわからなかったのだが、THE ANSWERというウェブメディアの、「サッカー日本戦に中国サポ乱入、大ブーイング…中国からも批判相次ぐ「何の意味がある」「迷惑な人」」という記事によると、〈身体には「生如螻蟻、当立鴻鷂之志(虫けらのように生きながらも、遠大な志を持て)」の文字が書かれていた〉そう。これは良い言葉ですね。宣伝のために乱入するYouTuberには嫌悪感しかないのだが、こういう乱入者は、めちゃ迷惑ではあるにせよ嫌いになれない。

 彼はいったいなぜこの言葉を身体に書き、なぜこの試合で乱入することになったのか。彼のこれまでの人生のことを考える。おそらく私が彼の姿を目にするのは今日が最初で最後だろうが、捕らえられた彼の人生は今後も続く。その日々をどうやって過ごし、今日のできごとをどう振り返るのか。

 ピッチ・インヴェーダーのそれまでとその後の人生、のことを考えたくて私は「クイーンズ・ロード・フィールド」を書いたのだった。その後もまだ考え続けているが、同じネタで二度は書けないな。

 

11月20日(水)雨。雨なので朝の散歩は最寄りのコンビニまでの短距離とする。昨日あんまり働かなかった、ので今日はごりごりやる日。とはいえ低気圧なので、あまり無理はせず。しばらくは水原涼名義ではない仕事が続く。それでも仕事のペースや時間を自分で決められるのだから、ありがたいことだ。

 ということであまり長時間はやらず、アンドルー・チェイキン『人類、月に立つ』(NHK出版)の上巻を進読。毎日読んでるのだけど隙間時間や退勤後のくたびれた頭で状態で読んでいてなかなか進まず、一ヶ月近くかけてようやく読了。

 もともと村上春樹『村上ラヂオ』(新潮文庫)で言及されていて知った本。氏は「ワイルドな光景」という題の、トイレにまつわる一篇のなかで、アポロ船内での大きいほうのトイレ事情についてのエピソードを紹介している。接着剤つきのビニール袋をお尻に貼りつけ、出てきたものは(なんせ無重力では自然に落ちたりしないので)ビニール越しに指で掴んで引っぱり出し、さらに殺菌剤(村上は〈殺虫剤〉と書いている)を袋に入れてよく揉み込む。それをごく狭い、ほんのわずかの空気も漏れないよう設計された空間のなかでやるのだから、〈熟睡していても目が覚めるほどの臭気だった〉(P.142)という。たしかにそれは壮絶で、想像するだけでげんなりしちゃう、のだが、この本を読んでそこを紹介するんかい、となった。たぶん本を紹介するつもりで書いてるのではなく、即興的にトイレについて書いてたら最近読んだ本の一節を思い出した、という感じなのだろう。

『人類、月に立つ』では、小さいほうをするときのことも紹介されていた。先端にホースをはめて(アポロ計画の宇宙飛行士は男性しかいなかった)宇宙空間に放出するのだそう。真っ最中にホースがすっぽ抜けると、黄金色の無数の雫がふわふわと宇宙船内に舞い散っていく。村上も書いてるとおり、こういうのを読んでいると、〈「うーん、べつに月になんか行かなくったっていいや」と思う。〉(P.133)が、さすがに今は違うやりかたが編み出されててほしいな。

 本書でいちばん印象的だったのは、宇宙飛行士たちの地上での時間についての記述がめちゃ長いことだった。彼らはふだん、月着陸船や宇宙服の開発に携わり、訓練をし、地質学とか軌道力学とかの講義を受けていて、宇宙で過ごす時間は、そのなかでも月に向かって戻ってくる時間というのはごく短い。たとえば、俳優の仕事、といえば舞台上やカメラの前で演じているところを真っ先に思い浮かべてしまうが、そうやって光の当たる場面というのは、原作に目を通したり台詞を憶えたり監督や共演者と演技をすりあわせたりの、長い長い下準備に支えられている。小説家だって実際に文章を書いてない時間が重要だっていいますもんね。

 ほかに印象に残ったのは、初の月周回飛行を果たしたアポロ八号の船長、フランク・ボーマンのエピソード。同僚やマスコミ、家族の大歓迎とともに出迎えられたボーマンは、人類史上もっとも遠い長旅から家に帰ってすぐ、犬が食べ残した餌が部屋の隅に置きっぱなしになっているのを見て、息子たちに向き直る。〈「なんでかたづけないんだ?約束はわかってるだろう」〉(P.199)人類が月に立つ、というのは、三十八万キロ彼方の星と乾いた犬の餌の間を行き来することなのだ。

 良い本だったなあ、と、なんだか満足感とともに本を閉じたのだが、まだ半分だ。

 

11月21日(木)雨。中篇原稿。休憩のたびにちょっとずつ近藤大介『進撃の「ガチ中華」』(講談社)を読む。東京のガチ中華の店を食べ歩く、という本。実際に店で食べるところよりも、著者の中国での思い出話のほうが面白かった。たとえば一九九六年、雲南省・麗江市のレストランで食事中にマグニチュード七の、のちに麗江自身と呼ばれる激しい揺れに襲われ、燃え上がった建物から命からがら逃げ出して、慰問にやってきた(中国の)副首相の専用機に載せてもらって、省都の昆明まで避難したとき、人心地ついて最初に食べたのが汽鍋鶏という薬膳スープの米麺で、だから四半世紀あまり経った今でも、米麺は汽鍋鶏で食べたい──というエピソード(P.176-177)とか。食レポよりおじさんの思い出話のほうが面白い、というのはけっこう稀有なことなのではないか。

 夕食に麻婆茄子を作り、十九時からの男子バスケ日本対モンゴルを観。スタメンの五人の時間帯は圧倒していた、が、ベンチメンバーの時間は拮抗して(というか追いつかれたりしてたのでやや上回られて)いた、が、後半は地力差と西田優大の活躍で大差で日本が勝った。

 

11月22日(金)快晴。どうも今日は頭の巡りが悪い。小説がわりと重要な場面(しかし重要でない場面ってあるのか)に差しかかっていることもあり、難航する。それでも進んだので良しとしよう。

 返却期限を過ぎていた(すみません)三宅香帆『娘が母を殺すには?』(PLANETS)を起読。ちょっとしか読めなかった。

 昨日の『進撃のガチ中華』に触発されて、夕飯は中華のテイクアウト。いつも中華のテイクアウトやウーバーイーツで届いたものはだいたい食べきれずに翌朝に残してるのに、今日は完食してしまい、満腹で打ち上がる。

 

11月23日(土)快晴。昨夜の中華で大量の唐辛子を食った、のでやや下痢気味。『進撃の「ガチ中華」』に、〈四川料理は尻で食う〉というフレーズがあったことなどを思い出す。

 午後、NHKでサッカー天皇杯決勝、G大阪対神戸を観。どちらも攻撃に特徴のあるチーム、と思っていたのだが、守備の締まった良い試合でした。

 そのあと『娘が母を殺すには?』を最後まで。さんざん描かれ論じられてきた〈息子による父殺し〉ではなく、〈娘の母殺し〉を主に現代日本のフィクションを素材に考える本。母殺し、は本書では、〈「母の規範を手放すこと」〉(P.25)と定義される。ではどうすれば母の規範を手放せるのか、という問いに対する本書の結論は、母の規範から脱出して他者を欲望すること、だった。

 

 その規範を与えたのがたまたま母だったから、小さいころは絶対的に思えただけで。一度母を相対化してしまえば、母の規範を手放すことは、きっとできる。簡単ではないかもしれないが。

 母への愛着は、そう簡単には捨てられないかもしれない。本書で見てきたように、母娘の間には、どろどろとしたヘドロのような、コンプレックスの渦巻く川が流れている。そこから抜け出すのは、容易ではないかもしれない。しかし、だからこそ母への愛着に対抗できるのは、別の何かへの愛着しかないのではないかとも思う。目には目を、愛着には愛着を。

 母よりも優先順位の高い何かを──見つけるしかない。

 それこそが「母殺し」の旅なのだと、私は考えている。

P.211-212

 

 それはそう、というか、それは母親との関係に葛藤を抱いている人にとっての前提なのでは?

 個々の作品の読解も、いまいち乗っかれず。たとえば本書は、医学部への進学を強要してきた母親を殺害した娘を取材したノンフィクションである齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)を参照することで語り起こされるのだが、三宅は、犯人女性の手記の〈私の行為は決して母から許されませんが、残りの人生をかけてお詫びをし続けます。〉という一節を引用して、〈自分で母を殺しておきながら、その行為を「母から許されない」と述べている点には、やや違和感を覚えはしないだろうか?〉(P.16)と問いかける。三宅は〈彼女は、世間でもなく、道徳倫理でもなく、家族でもなく、「母」が許さないとわざわざ述べたのだ。〉(P.16)と強調しているが、しかし、この記述は、被害者が加害者を許さない、という以上の意味はないんじゃないかしら。

 次の章では萩尾望都『残酷な神が支配する』(小学館)が取り上げられる。主人公の少年ジェルミは、義父の性的虐待に耐えかね、車に細工して義父を殺そうとしたが、母であるサンドラまでいっしょに死なせてしまった。ジェルミは苦悩し、〈「サンドラがあの朝車に乗る前に告白してれば 止められたんだ」「…いえない! 知ったら…彼女はぼくをゆるさない……!」〉と述懐する。それを引用して三宅は、〈萩尾はジェルミという少年の身体に、娘の母に対する葛藤を忍ばせていたのだ。〉(P.53)と指摘する。しかし息子が自分の夫を殺そうとしてたと知ったら、それは許さないでしょう。

 いずれの例でも三宅は、犯人が手記のなかで書く〈母〉やジェルミの言う〈サンドラ〉を、彼らがつかう母親の呼称としての〈母〉(〈サンドラ〉)と規範の象徴である概念上の〈母〉に切り分けて、後者のみに注目しているのだろう。自分の議論に寄与しない要素はバッサリ捨象する、というのは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でも繰り返されていた操作だ。

 それが象徴的に表れるのが『大豆田とわ子と三人の元夫』の、主人公とわ子の親友かごめの発言の分析だ。

 

八作「(思い出すように)かごめちゃん、昔言ってたよ。とわ子は友達じゃないんだよ。家族なんだよねって」

とわ子「……へえ」

八作「とわ子はわたしのお父さんでお母さんで、きょうだいなんだよね。だから甘え過ぎちゃうんだよって」

 

 という、とわ子と最初の夫八作の会話を引用して、三宅はこう書く。

 

 そして、とわ子の娘の唄もまた、とわ子の傍にいると「甘え過ぎてしまう」からと、実家を出ることを決意する。

 とわ子は他人を甘やかし、「許しすぎる母」として描かれているのだ。

 P.166

 

 かごめがとわ子を表現していた、〈わたしのお父さんでお母さんで、きょうだいなんだよね〉という言葉は、たしかに三宅の言うような、甘やかしと許し、を表してはいるだろう。そのことは唄の独り立ちで補強されてもいる。

 しかし、ドラマというのは決まった時間のなかにすべての要素を入れ込まなければならないから、台詞の一つ一つは厳密に精査されるはずだ(八作はちょっとしゃべりかたがゆっくりしてたからなおさら)。しかし脚本家の坂本裕二はあえてここで、〈お母さんみたいなものなんだよね〉とかではなく、〈お父さんでお母さんで、きょうだいなんだよね〉と言わせた。単純な〈母〉性ではない、ということだ。三宅はその意図を考慮せず、〈お母さん〉という単語だけに反応しているように見える。

 全体の議論は筋が通ってるような気がするし、同意できるところも多い、のだが、その傍証として参照される作品の読解が(私が既読の作品については)ことごとく私と違っていた。

 あるいは、コナリミサト『凪のお暇』(秋田書店)についての一節。

 

『凪のお暇』10巻にて注目すべきは、凪の父である武が失踪したことにスポットライトが当たっている点だ。

 つまり、母娘問題の根幹は──父の逃走にある、と『凪のお暇』は告げている。

P.148

 

 私は『凪のお暇』を未読なので、同作の読解については何も言えない、のだが、作中で父の失踪を大きく扱うことと、それが母娘関係の根幹であると作品(作者)が主張すること、の間には検証するべき点がいくつもあるはずだ。三宅はそれをすっ飛ばしてこう断言してしまう。すさまじい短絡、というか、『なぜ働いていると』のときも思ったことだけど、本書でも、議論や検討をスキップして結論を提示するところ、にダッシュや三点リーダーが置かれてるな。

 あとがきに、自分にとっては読書にのめり込むことが〈母殺し〉だった、と書いてあった。母親の規範から逃れるために本を読んだ、というのは、『なぜ働いていると』のなかで、読書というのは自分の想定していない文脈に出会えるものだ、と書いていたのと通ずるところがある。その意味でたしかに、二冊は背中合わせになっている。しかしどちらもあまり説得力を感じられない、というか、自明のことを本の結論として設定して、その低い目標に恣意的な読みで接近していく二冊だった、ように私には感じられた。自明のことを言語化する、というのも重要な仕事ではある。

 悪さばかりが目に付くのは読み手の実力不足であるかもしれない。本書はたいへん世評が高いので、たぶん私には見えない良さがあるのだろう。そのへんも感得できるようになりたい。

 

11月24日(日)快晴。朝の散歩の途中で、便意が堪えきれず引き返す。帰宅して出すものを出しながら『人類、月に立つ』のことを考える。この星に重力があってほんとうによかった。

 十三時から、B2鹿児島対福岡。夜はもらいものの調味料を使ってココナツカレーを作る。食いながらABEMAの配信で男子バスケのグアム対日本を観。比江島慎がこれで代表引退かもしれない、ということで、ややエモーショナルな感じだった。

 

11月25日(月)快晴。朝の散歩のあとはもくもく作業。地元紙のコラムをやったあと、無記名の仕事。

 集中してたら午後二時の散歩の時間を逃す。四時前に、ジムに通ってたころつかってたフットサルシューズを出してジョグに出。朝の散歩のとき、中学の陸上部で四百メートル走をやっていたころの、ラスト百メートルの身体がバラバラになりそうな感覚、それまでの三百メートルをどう走ってきたかが身体感覚として立ちあらわれる瞬間の快感、を思い出したのだ。とはいえ体力がどん底まで落ちているので、近所をぐるっと一周、十分弱。気持ちのよい疲弊。

 よいリフレッシュになった、ので夜まで集中。今日は三食昨日のカレーを食べた。

 

11月26日(火)晴のち曇、朝の散歩はせず。今日は捗った。午後二時すぎにジョグに出。昨日と同じコースで、iPhoneのマップで距離を見ると、ちょうど一キロといったところ。

 夕方まで集中して、長谷川あかりレシピの豚肉のトマト醤油シチューを作る。一時間半煮込む工程があるので、面倒な事務作業を崩しながら、ときどき鍋の様子を見に行く。完成したので退勤、食いながらバスケを一試合。

 

11月27日(水)晴。一日作業。

 二時すぎにジョグに出る。一キロちょい、十分ほど。そういえば、以前は昼散歩で一時間ほど使ってたのを十分程度のジョグに置きかえた、のは、つまり五十分くらいを捻出できるということだから、時間効率の点では良かったかもしれない(と書くとなんかタイパ思考って感じがするけども)。カロリー消費的にはどっちが良いのかわからないが、帰宅時のへたばり加減はジョグのほうが強く、充実感もある。継続していきたい。

 高校のころから外を走る習慣をつけようとしては挫折する、というのを何度かやっている。だいたい毎回、天気や体調が悪い日に、今日は休もう、と走らず、翌日以降もなんとなく出ない、みたいな感じで途切れている。

 夜、マックのグラコロ(今日が初日)と朝買った中華弁当を食いながらバスケを一試合。

 

11月28日(木)快晴。今日は歯医者とカウンセリングのダブルヘッダーなので、朝からややナーバス。

 起きてすぐ、夜の間に洗濯乾燥にかけたものを取り出したのだが、ぜんぶ(エアリズムでさえ)乾いておらず、物干し台に移す。さすがにこれはストレスなので嫌々フィルター掃除をする。製造元のサイトには、サポートセンターに頼め、としか書いてなかったので、DIY動画を観て予習してからフィルター回りを、分解、というほどでもないが、部品を一つ二つ外す。と、アルミフィンの上に埃が固まって、五ミリくらいの層になっていた。動画では高圧洗浄機を使っていたが、私は爪で剥がして歯ブラシでこする、という原始的なやりかた。アルミフィンを傷つけたりその奥に埃を押しこんだりしたくないので、完璧に除去はしなかったが、だいぶ奇麗になった。どうなるか。

 歯医者で治療中に目眩を起こす。パニック発作というよりは、単純に栄養が足りてないかんじ。数分休んだら回復したので再開してもらって、その後は大過なく修了。カウンセリングで早速その話をした。

 歯医者とカウンセリングがあったので、作業の時間は短め。ジョグもしなかった。夜、韓国料理のテイクアウトを食いながらバスケを一試合。十一月三日の宇都宮対島根。しかし前半終わって四十四対四十四、というところで眠気ががまんできず。歯磨きもせずに寝てしまう。

 

11月29日(金)快晴。十一時から整体、作業は昼から。鍼治療を受けた日は運動は控えめに、ということなので、今日もジョグはしない。

 夜、お菓子を食いながらバスケットLIVEで福岡対青森を観。平日の夜だけど青森からの観客もまあまあいた。すごいなあ。私はこれまで神戸、鳥取、札幌、東京、に住んできて、それぞれの土地で(神戸時代は親に連れられて)スポーツを現地観戦してきたが、試合を観るために遠征、というのはしたことがない。元気になったらやってみたいな。元気になったらやりたいことがたくさんある。

 

11月30日(土)快晴。午後二時すぎにジョグに出。いつものコースを逆回りした、のだが、二日休んだからなのかちょっとキツかった。キツい、というか、息が上がるのが早かった。私は中学校のころ陸上部員で、三年のときには四百メートル走をやっていた。それでつい四百メートルトラックを基準に距離を考える癖がある。今日走ったコースは一キロ強なので二周半。と考えると、顧問にウォーミングアップでトラック二周を命じられたときの面倒くさい感じも蘇ってくる。かったりいなあ、とぼやきながら、それでも二周を、たいして息も切らさずに走っていたのだった。あれから二十年経った!

 帰宅してシャワーを浴び、バスケットLIVEで福岡対青森を観。福岡が勝って十一連勝。しかしどうも、試合の立ち上がりに毎度苦戦している。

 試合後は夕飯まで読書。今日は長谷川あかりレシピでスペアリブと長芋のせいろ蒸しを作った。食いながら、一昨日前半だけ観てた宇都宮対島根を観。B1の試合は強度が高い。

 

12月1日(日)快晴。朝の散歩がてら皿を買いに行く。昨日のせいろ蒸しでちょうどいいサイズの耐熱皿がなく、小ぶりの平皿を使ったらこぼれてしまったのだ。家を出る前に測ったせいろの内径が十九センチだったので十九センチの皿を買った、のだが、帰って試してみると入らなかった。当たり前ではないか。買いもの失敗。まあこういうこともある。ビートルズを聴きながら十分ほど落ち込んで始業。

 しかしいまいち捗らず。スーパーの炒飯を昼飯に食った、が、それもあまり美味くなし。こういうこともある……。

 午後二時、ポケットに図書館の貸出カードを突っこんでジョグに出る。いつものコースを走ったあとで図書館へ。息はなんとか平静に戻ったが、中学のころから着てるトレーニングウェアに走ったあとのボサボサの髪、という、どうも清潔感がない恰好だった。

 今日はあんまり良くない日なので、そのあとはもう作業はせず、眠くなるまでずっと読書。

 

12月2日(月)快晴。朝の散歩はせず、冷凍のスープストックのポタージュをチンして始業。原稿原稿。

 昼のジョグをしなかったので、夕方に長めの散歩。昨日の店で皿(今度は十四センチ)を買う。帰宅してまた作業、十時ごろまで。

 

12月3日(火)快晴。なんだか疲れがたまっているので、今日は本休日とする。朝の散歩で大量の果物を買った。一日読書。

 夜、バスケットLIVEで十一月三日のレバンガ北海道対横浜BCを観。いい試合だったですね。北海道のドワイト・ラモス選手が、シュート時にファールを受けて顔を押さえながら仰向けに倒れ、ザワつく観客をよそに、その手でスッと髪をかき上げた瞬間、胸が高鳴る。これが“推し”ってこと……? 札幌に七年住んでいた、NBL時代にレバンガの試合を観に行った者として、レバンガにはなんとなく親近感を抱いていたこともあり、ついファンクラブの会費なんかも調べてしまう。しかし今の私は健康上の理由で札幌まで(東京開催でも)試合を観に行くこともできない、ので、さすがに入会はしない。でもTシャツくらいは買っちゃいそうだな。

 

12月4日(水)晴。早寝早起き。昨日下味をつけてたスペアリブを蒸して食い、散歩に出。一日作業、バスケを一試合。夕飯はセブンのシュクメルリにした。

 

12月5日(木)晴。セブンで使えるイカの姿揚げの割引券を持っているのだが最寄りの店舗になかった、ので、朝の散歩ついでにハシゴする。六軒くらい回ったがどこにもなく、諦める。

 午後二時にジョグ。走りはじめて今日で(中断もありつつ)十日目。効果を実感するにはもうちょっと続けなければな。

 昨日食べたセブンのシュクメルリはエリックサウスが監修していた、のだが、そのエリックサウスの稲田俊輔氏がTwitterにシュクメルリのレシピをアップしているのを見つけた、ので、夕飯に作ってみる。調味料も手数も少なく、これでほんとにできるのか、と思ってたのだが、オーブンから出してみると、昨日食ったのと遜色のないシュクメルリができていた!

 

12月6日(金)快晴。午前にオンラインで打ち合わせ、午後は原稿。没頭していて、気づいたら夕方になっていた。外を短距離、負荷を高めようとスピードを上げてジョグ。

 夜、通販で届いた冷凍の抹茶うどん(と書こうとしたら変換候補に〈マッチャ〉と出てきて、マッチャさん……となった)を茹で、スーパーのかき揚げを乗っけて食った。

 

2月7日(土)晴。寝不足で頭が回らないので休養日。ベッドでウトウトしたりスマホで漫画を読んだりして十時半ごろ外出、十分ほどの散歩。

 十三時過ぎからNHKでJ1昇格プレーオフ決勝、岡山対仙台を観。知らない選手ばかりだったが、来季のカテゴリを決める大事な試合なので強度が高く、面白かった。末吉塁のめちゃ上手いシュートで先制した岡山が、後半に投入したルカオ(体格も技術もJ2のレベルではなかった)の活躍で試合を決めた。岡山はJ2の強豪ではあったけど、昇格ははじめて。試合後のセレモニーでは涙を流している選手も多くて、なんだかもらい泣きしそうになる。

 ACミランとか代表戦とか、トップレベルの試合ばかり観たくなるものだけど、下位カテゴリでもそれぞれの人生をかけた戦いが繰り広げられているのだよな。おれも彼らみたいに涙を流せるほど必死に戦っているだろうか。湘南ベルマーレのクラブスローガンは〈たのしめてるか。〉というもので、ユニフォームでもエンブレムの下でそう問いかけている。はじめて見たときはなんというか、放っといてくれや、と反感を抱いていたものだったけど、最近ときどきこの問いが頭によぎる。今日観た二チームは、勝ち負けがあるものなので試合後の表情は明暗がわかれていたけど、どちらもサッカーを楽しんでいた。おれもがんばろう、となった。スポーツの正しい効能だ。

 

12月8日(日)晴。昼前に一時間ほど散歩、作業をやって軽めのジョグ。バスケも一試合観、そのあとは読書。作業もしたけどしっかり休めた週末だった。

 今日の宇都宮対横浜BCの試合で、宇都宮の田臥勇太が今季初出場をしたらしい。大量リードした第四クォーター途中の出場で、勝敗を左右する仕事をしたわけではない、が、レイアップで今季初得点を記録した。試合後、宇都宮のインスタでそのシュート時の写真が公開されていた。横浜の森井健太がディフェンスに入っていて、その写真では指先からボールを離す瞬間の田臥さんの腹に森井さんの手がかかっている。ファールを取られてもおかしくないタイトな守備だ。そういうとき、ほかの選手なら(ファールをアピールする意味も込めて)苦しげに歯を食いしばっていることが多いのだけど、田臥さんは誰もそこにいないような涼しい顔でボールだけを、あるいはゴールだけを見つめている。小柄なポイントガードとはいえ田臥さんよりは五センチ高い、かつてはU-18の日本代表でもあった森井さんのディフェンスがユルいはずがなく、しかしその圧力を重圧に感じないくらいに練習と実戦を繰り返してきたのだろう。私は田臥さんの全盛期のプレーをリアルタイムでは観られなかった、が、この一枚の写真にその積み重ねのすさまじさが映っているようで感銘を受けた。

 

12月9日(月)快晴。原稿原稿。

 夕飯はシンガポール土産のパウダーを使ってカレーを作る。めちゃ辛かった。食いながらバスケを一試合。

 

12月10日(火)快晴。寝不足。

 今日は無記名の仕事を進める日。区切りまでやって、十二時から整体へ。だいぶ心身に疲れがたまっている、と指摘される。ここから二月くらいまでけっこう忙しくなりそうです、と話したところ、ストレスに効くという耳つぼをしてくれた。

 今日は三食カレーだった。夕食時にバスケを一試合観。試合後にウトウトしてた、ら、古川真人から電話。氏が新刊の刊行記念対談をやった、という話の流れで、水原さんは対談とかイベントいっしょにしたい人いますか、と訊かれる。「古川さんっすね」と言って断られてから、青春恋愛日本映画を撮ってる人、と考えて、今泉力哉の名を挙げる。私の作品を気に入ってくれれば映画化の可能性もあるんでね、と言った。メディアミックスにつなげる、と考えると、漫画家もいいですよね、私が面識ある人だと森泉岳土さんは小説のコミカライズもやってるし……。そういうことを話すと、アーそれは策士ですね、そうやって作品を世に広げていくのか……と感心してるのか煽ってるのかわからんことを言われた。お互い思いつきで話したことではあるけどたしかに、われわれは作品を世に広げたいのだし、メディアミックスというのはたいへん有効な方策だ。がんばっていこうな、と、前向きな感じで電話を切った。

 

12月11日(水)晴。朝の散歩のあと、郵便受けから東京新聞の朝刊を取り、部屋まで階段を上がる間に一面の記事をザッと読む。コラム欄「筆洗」を、ふだんは偉そうなおじさんの説教なのでだいたい反感とともに読むのだけど、今日はなんだか感銘を受けつつ読んだ。

 

『ジャングル・ブック』などの英国作家、詩人のラドヤード・キプリングにも不遇な時代があった。1889年、米国に渡ったキプリングはある新聞社に短編小説を持ち込んだ▼作品を読んだ編集者は採用を断った。「英語の文章になっていませんな。アマチュアでは困ります」。あまりの言葉だが、キプリングはその18年後、ノーベル文学賞を受賞する。あの編集者はばつが悪かったことだろう▼逸話が教えてくれるのは人の評価は必ずしも当てにならないものだし、機会を得て、大きく花開く才能もあるということか。プロ野球の現役選手を対象にした「現役ドラフト」はまさにそういう機会だろう。今年も行われ、全12球団で計13選手の入れ替えが決まった▼出場機会に恵まれなかった選手がこのドラフトによって所属球団を変え、新天地での飛躍を目指す。埋もれかねない才能を救い上げる制度がうれしい▼環境の変化や新たな指導者との出会いなどで成績を大幅に向上させる選手は必ずいる。そういう選手が移籍先で力を発揮する物語を見ればこちらも励まされるものだ。再チャレンジややり直しの難しい時代でもある▼無論、ただ移籍するだけでは才能は開花しまい。米作家のスコット・フィッツジェラルドは作品を採用しないという122通の通知を部屋に張り、励みとしたそうだ。機会を得た選手の再生の物語を待つ。

 

 これを読んで思い出したのはヴィッセル神戸の武藤嘉紀選手のことで、昨日行われたJリーグアワードで、氏は今季のMVPを受賞した。

 

 漆黒のタキシード姿の武藤は受賞後のスピーチで「僕自身、一見華やかな経歴に見えますが──」と断りを入れた上で、自身のキャリアにこう言及した。「数多くの怪我や挫折、紆余曲折を経ていまがあります。ヨーロッパでは1年以上もベンチにすら入ることができず、家を出るときのドアがとても重たく、帰り道には泣きながらMrs. GREEN APPLEさんの『僕のこと』を熱唱して運転した日も鮮明に覚えています。そんな苦しい経験、逃げ出したくなるような経験が僕を人として、サッカー選手として強くしてくれたといまでは感謝しています」

「ヴィッセル神戸MF武藤嘉紀のMVP秘話…「パパ、東京のチームに来れないの?」最愛の家族からの1本の電話」(「本格スポーツ議論ニュースサイト「RONSPO」」)

 

 武藤は慶應大学在学中に特別指定選手としてFC東京に加入して、プロ一年目でベストイレブンになり、鳴り物入りで渡ったドイツのマインツでは、二度の右膝靱帯断裂に苦しみながらも主力の一人として活躍していた。イングランドのニューカッスルにステップアップを果たした、が、記事で語っていたように、そこで長く苦しむことになる。二年で二十八試合出場、二ゴールにとどまり、三年目にはスペインのエイバルにレンタル移籍して一定の出場機会を得はしたが得点は少なく、けっきょくそのシーズン後にニューカッスルに戻ったものの契約を解除してJリーグの神戸に移籍した。そこで輝きを取り戻し、昨シーズンはベストイレブンに選出、そして今季はMVPを受賞。置かれた場所で咲きなさい、という言葉があるけど、咲ける場所を見つけることのほうが(スポーツ選手のようなキャリアの短い職業ではとくに)重要だ。

 武藤もキプリングもフィッツジェラルドも苦しんだ。不遇の時代というのがない人間のほうがたぶん少なく、それぞれに努力を続けて成功を掴んだ。だからおれも……と、この手の話題を見ると必ず思うことを今回も思った。

 

12月12日(木)快晴。今日はいつも以上に時っ感タイマーが効いて、だいぶ捗った。

 夕方、といっても六時を過ぎればもう真っ暗な外をちょっと走り、帰ってからおでんを作る。食いながらバスケを一試合。

 

12月13日(金)曇。朝のスーパーで、半額で五百円くらいになってた鶏肉を買った、のだが、レシートには値引き前の値段も表示されていて、これ定価だと千円もするのか!と(当たり前のことではあるのだけど)改めて物価高を実感した。

 原稿原稿。ちょっと難しいところに差しかかった、ので慎重に、あまり枚数は捗らなかったが、じっくりと岩を崩していくかんじ。

 夕方、またもらいもののスパイスでカレーを作りはじめた、ら、トマトを買い忘れてたことに気づき、火を止めて最寄りのスーパーに走る。無事に完成、食いながらバスケットLIVEで十二月一日の千葉対琉球を観。今日も琉球が勝ちそうな時間がありつつ千葉が個の力、というか富樫さんの活躍で試合を決めた、みたいな展開で、もうそれはわかったから……となる。

 もうそれはわかったから……となるのはたぶん、私がそこまで千葉推しではない、というのに加えて、富樫さんに代わる存在がいない、というのも大きいような。たとえば今日の対戦相手の琉球だと、脇真大や荒川颯という、若手や昨シーズンはプレータイムが少なかった選手が活躍してるし、昨季からロスターがほとんど変わらなかった宇都宮も、プロ一年目の小川敦也選手(昨季は特別指定選手)が、今季は存在感を増している。その点千葉は、昨季はあまり出番のなかった若手ポイントガードの大倉颯太を放出して、渡邊雄太を筆頭に即戦力を補強、彼らと昨季からの主力の活躍で勝つ、というチーム作り。すべてのコンペティションで優勝することが目標の強豪であればそういうやりかたをするのも当然だし、誰かが悪いわけではないが、スターを集めたチームが強い、というのは当たり前のことで、面白みに欠けるというか。このへん、レアル・マドリードやパリ・サンジェルマンあたりへの反感にも似てる気がする。なんだかんだ言って強いし面白いバスケットをするので観ちゃうんですが。しかし最近バスケばっか観てるな。

 

12月14日(土)晴。午前はノンビリして、昼すぎにジョグをやってスイッチを入れる。原稿原稿。

 午後、バスケを二試合観。そのあとは日付が変わるまで読書。五冊も延滞してるのだ。

 

12月15日(日)晴。午前は読書、午後にバスケを一試合。午後四時半にようやく始業、十時すぎまで。ちょっと外を走り、風呂には入らずパタリと寝。

 

12月16日(月)晴。疲れが溜まっている。チョコを一かけとナツメで朝食として、朝の散歩をして原稿。

 昼食はセブンのメンチカツカレーというのを食う。不味くはないのだが、カツカレーが食いたくなった。そのあと、ちょっと足首が痛いので今日はジョグはお休みとして筋トレ。かるめにまとめた。

 夜まで没頭して脳がしおしおになった、ので米を炊き、ミニサイズのインスタントうどんを食って、出汁に米を突っこんで食う。しかしまだ腹が減っていたので、同じものをもう一度食い、冷蔵庫にあった、カレーに使ったトマトがひと玉余ってたのも食ってようやく落ち着く。ミニトマトではないトマトを、切りもせずヘタも取らずまるごと囓る、というのは、考えてみればたぶん小学生のころ、当時はまだ矍鑠としていた祖母が世話をしていた畑のトマトを勝手に取って、Tシャツの裾でゴシゴシして囓って以来なのではないか、と不意に気づいておセンチになった。

 

12月17日(火)晴。頭痛がひどいので朝食もなし、散歩もスキップして始業。あまり捗らず。昼にはロキソニンが効いて、首痛も頭痛も控えめになっていた。

 Amazonで頼んでた本の配達完了の通知が来た、のでマンションの入口まで降りる。しかし郵便受けには新聞しか入っていなかった。どういうことだ、と思っていると、ひとつ上段の、お向かいの部屋の郵便受けが、郵便物を乱暴に突っこんだ勢いで開いていて(お向かいさんは郵便受けの鍵を閉めないのだ)、Amazonの梱包物に印字された私の名前が見えた。こういうことが多いからAmazonは嫌なんだよな。それで何かの本を紹介する機会があるときは、Amazonのリンクを貼れば見た人がすぐに買えるから便利、と知りつつ、版元のサイトの商品ページを貼ることにしているのだ。今回はAmazon限定附録がついてくるのでやむなく使い、ほんとに嫌い!となった。

 夕飯に麻辣火鍋を作る。食いながらバスケを一試合。試合後にまたちょっと作業をやって、無記名の仕事がひとまず終わり。毎年の十一月から十二月にかけてこの仕事をやっていて、去年まではほかの作業がぜんぜんできなかったのだが、今年はなんとか時間と体力を捻出して、自分の原稿も進められた。とはいえ原稿の進捗は中くらいといったところで、読書もあまり捗らず。ほぼ毎日バスケを一試合(試合後のインタビューとかもふくめて二時間半くらい)観てることを思えば悪くはないか。

 夜、作家仲間四人と電話。うち二人ははじめて話したけど、作品は知ってるのであまり初対面という感じがしない。どっちも気の好い人だった。二時間弱しゃべる。楽しかったなあ!

 

12月18日(水)快晴。もくもく作業。昼にバスケを一試合、夜にも一試合。

 

12月19日(木)朝は雨、だんだん晴れる。午前一時半ごろ目が覚める。しばらくして雨の音。なんだか寝られず、三時半にようやく再入眠。

 知らん人らと合同で脱出ゲームをやってる夢を見た。メンバーのなかに一人、こういう遊びのお約束を無視してみせるのが面白いと思ってるタイプの人がいて、そもそもおれらを閉じ込めて何のメリットがあんの?とか、こんな薄い壁かんたんに壊せるだろ、とか言って、まあそれはそうだけどそんなこと言ったらサッカーだってなんで手つかわんのって話じゃろがい!と心のなかで言い返した。夢の中でさえすぐサッカーの話をする。

 十一時から歯医者。前回治療中に目眩を起こした、ので先生がたびたび、ご気分だいじょうぶですか、と気づかってくれる。今日やったところは虫歯が軽かったのか、わりに短時間で終わった。ひと安心。

 今日は早めに閉店、『人類、月に立つ』の下巻を進読。本書を知った経緯のせいで、どうもトイレについての記述が気にかかる。月に向かう途中で酸素タンクが爆発して命からがら生還してきたアポロ十三号では、電力を極限まで節約するために、通常の尿廃棄システムが使えなくなった。それで船内のあらゆる袋や容器に尿を溜めて保管することになったのだが、生きのびるために必死だった三人の飛行士たちは、宇宙服の採尿ホースをつけっぱなしで作業に追われていた。〈ようやく作業から解放されたときには、長時間尿につかったままの局部が感染症にかかりやすい状態になっていた。木曜の夜には、ヘイズは尿路感染症を発症していた。ただし、彼自身はそれに気づいていなかった。ただ、排尿のたびに焼けるような痛みがあることには気づいていた。〉(P.66)地球から遠く離れた場所で窒息死することを考えれば尿路感染症で済んで良かった、とは思うがしかし、宇宙飛行士という職業のことを考えるとき、私の股間にもぶら下がってるこれの先端を長時間おしっこにつけっぱなしにしておく可能性のことなんて思いつきもしなかったな。

 あるいは十六号では、十五号のパイロットが不整脈を起こしたのはカリウム不足が原因だ、と考えた医師たちによって、カリウムを添加したオレンジジュースを飲みつづけるように指示されていた。しかしオレンジを摂りすぎたせいで胃酸過多になり、環境制御システムでも脱臭が追いつかないほど屁が出るようになった。月面探査を行う仲間を送り出したあとの司令船のパイロットは、一人ですべての作業をしなければならないのだが、十六号はちょっとしたトラブルでその時間が予定より短縮されてしまった。〈なんとか食事をとれるのは、トイレに行くためにどうしても作業を中断しなければならないときに限られてしまったのだ。かくして、前には採尿ホース、うしろには蠅取り紙方式の粘着テープのついた排便袋を取りつけたまま、ビニール袋入りのオレンジジュースをすするはめになった。「勇猛果敢な月探検家」のイメージとは、あまりにもかけ離れている。〉(P.279)地上三十八万キロの便所飯! フロンティアを開拓するというのはこういう苦しみをともなうものなのだなあ。

 もちろん排便排尿で参っちゃう話はごく一部で、二時間延期した打ち上げを司令船のなかで待つ間にうたた寝していびきまでかいちゃう十七号のロン・エヴァンスの豪胆さ(P.297)とか、もし過去に戻って何号に乗るか選べるなら、事故で死に瀕するとわかっていても、期待されたとおりのことをするだけで済んだ他の号ではなく、〈月着陸でも与えられない方法で自分を試すことにな〉る十三号を選ぶ、と言った十三号船長ジム・ラヴェルのフロンティアスピリット(P.444-445)とかは、いかにも〈勇猛果敢な月探検家〉らしいエピソードだ。

 でも、なにより印象に残ったのは彼らの人間くささを紹介する記述だった。月ミッション中に確定申告の期限があるのを忘れててめちゃ焦ったけど、その時期に国外にいた人は自動的に期限が延長されると知って安心する(P.420註8)とか、浮気性の宇宙飛行士がいたが全米の期待を背負っていた彼らの不祥事が報じられることはなかった(P.94)とか、アポロ計画の記念切手を月に持っていき、宇宙船内でサインしたものを売って大金を得て左遷された(P.294-295)とか。彼らは英雄伝説の登場人物のような気がしていたが、あくまでも生身の人間なのだ。

 

12月20日(金)晴。十時から整体。前回より顔色いいですねえ、と言われる。

 夕方まで作業。深夜に外を歩いた。

 

12月21日(土)晴。午前のうちに二時間ほど作業。午後二時前に防災設備点検の人が来た。

 夕飯は長谷川あかり『米とおかず』(光文社)に載ってたサバ缶パエリアと、テキトウ具材のコンソメ煮込みを作る。食いながらバスケを一試合。

 

12月22日(日)快晴。午前は読書、午後にバスケを一試合。

 それから夜まで読書。脳がしおしおになったあとも、『ゴルゴ13』とかの脳の負荷がちいさいものを読みつづける。

 

12月23日(月)快晴。原稿原稿。暗くなるまで作業して、朝コンビニで安くなってた弁当をチンするだけの夕食。自炊せずの一日だった、が、まあこんな日もある。

 食ってたら古川真人から電話。一時間半ほど話す。そのあとはなんだか寝つかれず、日付が変わるころまで読書をしていた。

 

12月24日(火)快晴。

 私はプールつきの庭のある大豪邸に住んでいて、その庭で、コンシェルジュがシュラスコを切り分けてくれるようなガーデンパーティを開いた。五十人くらい集まってくれたけどだんだん人が減って、日付が変わるころには十人くらいになっていた。『FINAL FANTASY Ⅹ』の旅の仲間たち(七人)、中年の日本人女性(知らん人)と、谷川俊太郎と八村塁(私の夢に出てくるバスケ選手がみんなそうであるように、百七十二センチの私と似たような身長)、そして私。

 FF10の七人はプールサイドでドラム缶のキャンプファイヤーを囲んで、ちょうどFF10のオープニングの、ザナルカンド遺跡のシーンみたいに話している。知らない女は残った肉をひとりで食い続けている。

 私は谷川・八村と三人で、文学とバスケの交点について激論を交わしている。話の流れで谷川が、ぼくはたくさん本を出したし映像作品にも出演してきた、歌詞も書いたし翻訳もした、栞やTシャツとかのグッズまで作ってもらった、でも、自分のアクスタというのはまだなんだよね、と言い出した。私は、じゃあいま谷川さんのアクスタ作りましょ、スマホで撮ってアプリで申し込むだけでいいんで、と言った。それを聞いて八村が、おれもおれも!と気取ったポーズを取りはじめ、谷川もはしゃいでそれに合わせる。走るようなポーズで跳ねる谷川(めちゃブレてる)、お揃いのサングラスをかけて背中合わせで腕を組む二人、テーブルに肘ついて顎乗せて上目づかいの二人、靴を脱いでジャンプして〈!〉と〈?〉のかたちになる八村と谷川。

 満足した二人が帰っていき、女はまだ肉を食い続け、FF10の七人はまだ旅の記憶を語りあい、私は一人で残った酒を飲みながら、画像をトリミングしたり傾きを直したり色味を調整したりしている。〈!〉になるよう気をつけの姿勢で跳ねる八村と、その隣で〈?〉のかたちに身体を丸める谷川の輪郭を指でなぞりながら、いい写真だな、と思う。この写真はSNSに上げたり他の参加者に送ったりせず、自分たち三人だけのものにしよう、と思ったところで目が覚めた。

 まだ五時半で、外は真っ暗だった。急いで開いたスマホの画像フォルダに二人の、というかパーティの夜の写真は一枚もなく、なんとか記憶に留めようとしたけど背景とか着てる服とかの印象がぐんぐん曖昧になっていき、こうして夜に日記を書くころには、薄れていく記憶に焦りながら誤字もそのままにメモした、〈靴脱いめジャンプして!?のなたちになる鉢村類と谷川俊太郎〉という言葉しか残っていない。今この文章を書きながら私が想像する二人はたぶん、実際に私が見たのとは違っているのだろう。

 一日作業。夕方から、バスケットLIVEで十二月十四日の千葉対群馬を観。怪我で主力を欠いた千葉が、試合冒頭は良かったもののだんだん群馬に迫られて、しかし最後は競り勝った。終わったあとは日記を書く。日記を書きはじめてから、そういえばなんか印象的な夢を見たんだった、とメモの存在を思い出した。

 

12月25日(水)快晴。午前は日本海新聞のコラム。Wordを開くまではまったくのノープランだった、が、思いついてからは短時間で書けた。これで連載も四十九回目、ということで、慣れてきているのだろう。危険な兆候。

 正午から歯のクリーニング。それほど普段の歯磨きを丁寧にやってるわけではない(やりなさい)のだが、前回より状態が良くなってますね、と担当のおねいさんに褒められる。褒めて伸ばすタイプの人なのかもしれない。

 夕飯にシュクメルリを作り、食いながらバスケットLIVEで十二月十五日の千葉対群馬を観。千葉が今シーズンから使ってる新本拠地ららアリーナではじめて負けた。さすがに主力三人を怪我で欠いてエースの富樫さんも試合中に脚を痛めたら勝てない。群馬のディフェンスもめちゃハードで良かったな。私は守備のチームが好きなので、楽しい試合だった。

 

12月26日(木)快晴。捗らず。夕方までやったが、進捗は一、二枚。こんな日もある。

 十六時前に退勤、カウンセリング。ちょっとタフなセッションだった。作業をする元気はなく、『ゴルゴ13』を一話読んでメンタルの均衡を取り戻す。

 

12月27日(金)快晴。一日作業、十九時を過ぎたところで夕飯の仕度。もらいもののスパイスでカレーを作る。食いながらも読書を続けて、十一時すぎに風呂に入った。

 

12月28日(土)晴。世間は仕事納めで、朝の散歩もなんだかノンビリした気持ち。帰宅して始業、と思ったが、どうも年末気分がはじまってしまい、身が入らず。これはいけません。ゴロゴロしてしまう。

 ダラダラ読書をして午後四時、B2の神戸対福岡を観。前回対戦時はジョシュア・スミス(推し)のシーズンハイの得点もあって二連勝、今回も余裕なのでは、くらいに思っていたのだが、リードチェンジを繰り返すタフな試合だった。ジャッジはいまいちだったが……。ともあれ、最大でも八点差の接戦の末に、応援してるチームがすごいシュート(西川貴之選手のステフィン・カリーみたいなディープスリー!)で逆転勝利、というたいへん劇的な終幕。たかぶった。

 昨日で図書館が年末年始の休館に入った。私はいま四冊延滞していて、うち二つは十二月十日が返却期限の本。すみません。試合のあとはずっと読書。

 

12月29日(日)晴。午前は読書。午後二時からバスケットLIVEで神戸対福岡を観。昨日と今日の試合は西宮市中央体育館で開催されたのだけど、去年の夏まで〈西宮ストークス〉というチーム名で、昨シーズンから神戸に本拠地を移したストークスが、来年の四月に新アリーナができることもあって、この週末の二試合は、西宮で行うラストマッチ、と銘打たれていた。拡大期にあるBリーグ(とりわけB1)では今後、ここみたいなレトロな市民体育館で試合をすることはなくなっていくのだろう。床に張りめぐらされた他競技のテープとか、演出のために真っ暗にすることができない制約とか、いかにもバブル期に潤沢な予算を突っこんだっぽいマッシヴな建築とか、選手や現地観戦の人たちがどう思ってるかは知らないけど、配信でしか観てない私はけっこう好きなのだ。

 ホームもアウェーもないようなガラガラの二階自由席(二五〇〇円)とかで魔法瓶のコーヒーを二時間かけてすすりながら、両チームの良いプレーに拍手をしたり、気が向いたらチアリーダーに煽られるままにウェーブに参加したりして、どっちが勝っても喜ばないしかわりにどっちが負けても悲しまない、そういう観客に私はなりたい……。

 しかし今日は福岡を応援していて、福岡は負けた。連勝は十九で止まった、が、依然として西地区首位。バンバってほしい。

 

12月30日(月)晴。朝の散歩でコンビニに寄り、あんパンを買う。帰宅してコーヒーを淹れる。『太陽にほえろ!』に出てくる刑事が、電柱の陰であんパンを缶コーヒーで流し込みながら張り込みをする、みたいな場面があるそうで、そのドラマや該当シーンの映像を観たことがない、たぶんテキストで読んだだけの私は数年前まで、張り込み中のお友はコーヒーとあんパン、というふうに記憶していた。それでよくこの組み合わせで食べるし、そのたびに、電柱の陰からこっちを睨め上げる松田優作を思い浮かべる。しかし彼が私を見張ってるということは私は容疑者で、コーヒーとあんパンを食ってる側ではない。

 と、ここまで書いて調べてみると、『太陽にほえろ!』で松田優作とかが食ってたのはあんパンとテトラパックの牛乳らしい。私の単純な記憶違い、というか、単に私がコーヒーとあんこの組み合わせが好きというだけのことだったようだ。しかしたぶん、この間違いに気づいても、今後もずっと私はコーヒーとあんパンを食うときに『大陽にほえろ!』のことを思い出すのだろう。

 一日作業。年末までにやっつけるつもりだった原稿、終わらなさそう。とはいえ明日明後日はのんびりしたいな。

 

12月31日(火)快晴。ぐっすり寝。大晦日なので仕事をしない日。ちょっと原稿の見直しをするだけにした。

 昼食に保存食のなべやきうどんを食い、りくろーおじさんのチーズケーキも食い。午後は読書。今年最後に読む本、を一昨日くらいから考えていて、けっきょくアティーク・ラヒーミー『悲しみを聴く石』(関口涼子訳、白水社)にした。これで今年の読書はおしまい。読書記録を見返してみると、最初に読んだのがハラルト・シュテンプケ『鼻行類』(日髙敏隆・羽田節子訳、平凡社ライブラリー)、最後が『悲しみを聴く石』だった。

 夜は例年と同じく、紅白を流しながら読書をしつつ、知ってる名前が聞こえたときだけテレビを観る、みたいな過ごしかた。これも例年どおりではあるのだけど、水森かおり(ドミノ倒し)や三山ひろし(剣玉)の、歌と関係のないコンテンツで視聴者の気を引いていて、歌番組なのに歌がBGMに堕している、そして歌手がそれを受け入れている様子、の異様さに何かおぞましいものを感じる。

 今年はやっぱりB'zがすごかったですね。紅白というのは、番組の強固な枠に出演者を順繰りにあてがっていく、という、いっさいの逸脱が許されない進行(そのコンセプトを可視化したのが『爆笑レッドカーペット』や『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』の、ネタを終えた出演者が強制的に退場させられるシステム)なのに、彼らだけは場を支配していた。

 例年通りあいみょんのときだけテレビの前から逃げ、大音量で「マッチョドラゴン」を流しながら年越し蕎麦を茹でる。今年もにしんそば。紅白を最後まで観、『行く年来る年』もちょっと観、年が明けたあとでテレビを消して、歯を磨いて寝。どうにかこうにか二〇二四年も生き抜きました。

 

1月1日(水)晴。昼まで読書をしてからようやく郵便受けまで降りて新聞と年賀状を取ってきた。年賀状は仕事関係のだけ。中学くらいで自分からは出さなくなって、そろそろ二十年経った。さすがにもう業務上の以外は来なくなって、気が楽。

 午後、今年最初の一冊として佐川光晴『牛を屠る』(双葉文庫)を読む。一昨年はマーティン・ウィンドロウ『マンブル、ぼくの肩が好きなフクロウ』(宇丹貴代実訳、河出書房新社)、去年は『鼻行類』と、二年続けて一冊目が動物ものだった、ので今年もそれを踏襲した。

 十三、四年ぶりの再読。良かったなあ。誇らしく働くとはどういうことか、みたいな本で、おれも仕事をバンバろう、となる。初読時はまだ自分が学生だという意識で読んでいたのだけど、今は小説家としての自負がつよい、というのがこの十三、四年の大きな変化だ。それで(屠殺場のディテールより)仕事への向き合いかたに目が引かれるのだろう。

 夕方、バスケを一試合観。試合後は眠くなってたけど起きて、日記を書いたりして、今から風呂。良い一年にしたい。

 

1月2日(木)快晴。初夢は憶えていない。起き抜けの私がメモしなかった、ということは、ほんとにすぐ忘れてしまったのか、書きとめるほど面白い内容じゃなかったか、残しときたくない悪夢だったのだろう。

 起き抜けにちょっと作業。いちおうこれが仕事はじめではあるのだが、一時間くらいしかやってないので、働いたぞ、という充実感はなし。離陸というのはこのくらいゆるやかに、搭乗客が気づかないくらいにおこなわれるのがよい。中篇の見直し、今後の流れの確認、数行進筆。

 そのあとは読書。夜、バスケットLIVEで十二月二十一日の大阪対千葉を観。前半のオフィシャルタイムアウトまで観、眠くなったので止めた。

 

1月3日(金)曇、やや気圧低め。起きてすぐ、大阪対千葉を最後まで観。大阪も守備が良かった。というか、リーグ屈指のスター集団を相手にするチームはどうしたって守備をハードにやらざるを得ない、ということなのだろう。そしてさすがの千葉も主力を二人欠いていては守備を切り崩せない。

 そこから休みなく三試合。今日は三試合半、トリプルハーフヘッダーだった。終わったあとはさすがに全身が凝り固まっている。

 

1月4日(土)快晴。朝の散歩でマックに行き、福袋を受け取る。一日読書。午後はベランダに椅子を出し、もこもこのダウンを着て読む。しかしさすがに手がかじかむ。

 夜、バスケを一試合。それから二〇二三年一月のBリーグオールスターのハイライトを観る。富山時代のジョシュア・スミス(推し)が唯一出場したオールスターなのだ。スミスはスリーポイントシュートを二本決めたり、チームメイトのコメディプレーに笑ったりしていた。五分ほどのハイライトなのでやや物足りない感じもあったが、それでも、推しが楽しそうなのはうれしいことだ。

 

1月5日(日)晴。実家から届いた餅と小豆のお雑煮。私が物心つく前から同じとこ(我が家の田圃)で作った餅米と同じ蒸し器、同じ餅つき機を使い、数人が欠けたとはいえ同じ人らが作っている、ので当たり前なのだが、実家の味がした。

 半日作業をやって、午後三時からバスケットLIVEで福岡対奈良の二試合目。今日の奈良は今シーズンのベストゲームなんじゃないかってくらい調子よく、福岡はあまり良くなく押し負けた。

 試合が終わったところで、午後二時(つまり福岡の試合の一時間前)からやっていた滋賀対三遠の第三クォーターの途中で選手が倒れて救急搬送され、今もまだ試合が中断している、というツイートを見かける。滋賀のハビエル・カーターが、相手との接触もなくとつぜん倒れ、痙攣までしていたそう。その配信を観る。会場は静まりかえって、選手やスタッフの姿はなく、〈ただいま試合が中断しています〉の文字が表示されていた。やがてレフェリーが出てきて、試合が中止になった、とアナウンスがされ、滋賀の球団代表の原毅人氏がコート中央で事情の説明を行った。カーターは救急搬送されるときに意識を取り戻し、アリーナを出るときには会話もできていたそう。ただ、選手たちのメンタルの動揺は大きく、試合はここで終わらせることにした。この試合の扱いについては後日発表があるそう。それからほどなくして配信も終わった。

 なんだか気が気じゃなかった、のは、どうしても松田直樹のことを思い出してしまったからだ。松田は二〇一一年、松本山雅での練習中にとつぜん倒れ、意識を取り戻すことなく二日後に亡くなった。いちばん好きなサッカー選手の急死が三十四歳だったこと、が、私が三十代前半でメンタルを病んだ原因のひとつだった、と思っている。

 ともあれ、カーターはすぐに意識を取り戻した。とにかくホッとした。

 サッカーだと、デンマーク代表のクリスティアン・エリクセンが、二〇二一年のEUROの試合中に心停止で倒れたことがある。彼もピッチ上でAEDの救命措置を受けて意識を取り戻し、その大会はさすがに欠場したものの、植え込み型除細動器(ICD)を装着して(当時はインテルに所属していたが、イタリア・セリエAはICDを装着してのプレーを禁止してるのでイングランドのブレントフォードに移籍して)半年後に復帰した。二〇二四年のEUROで彼のプレーを観たときはなんだかエモーショナルな気持ちになったものだった(しかし私はそのことをぜんぜん日記に書いてないな)。命はつねにスポーツより重要、なので、一命を取り留めたということしかわかってない段階でカーターの復帰を期待するのは早すぎる。でも、彼もまたバスケットができるようになればいい。

 見逃し配信で滋賀対三遠の、試合が中断する直前の場面を観る。カーターが倒れる瞬間は映っていなかった。いまこの日記を書きながらもう一度その場面を観ようと思ったが、見逃し配信の動画は編集されていて、試合は前半終了時点までしか収録されておらず、第三クォーターの九分弱と問題の場面、対応が協議されていた一時間ほどが飛ばされて、最後の主審と原氏の説明だけが残されている。

 この試合の扱いはどうなるのかな。無効試合にすると総ゲーム数に差が出てしまうし、第三クォーター残り一分十二秒時点で滋賀が二点差でリードしている、というところまでやった試合がゼロになるのは不公平感も出そう。Jリーグでは、と私がそれなりに知ってるサッカーを参照してみると、試合の中断の例はけっこうあるけど、すべて天候によるものだった。リーグ発足当初は最初からやり直すことになっていたが、二〇一〇年以降は、九十分の再試合、中断時点からの再開、中断時点での試合の成立、の三つのなかからチェアマンが決定する、ということになっている。あとは、レフェリーによる競技規則の適用ミスが試合の結果に影響を与えたから、その誤審が発生した時点から(それ以降の結果を無効にして)再開、という例もあった。

 今回の試合は、まず〈中断〉がアナウンスされて、のちに〈中止〉が決定された。Bリーグ規約を見てみると、第五十五条の二〔試合の一時的な中断の決定〕のなかに、〈試合の一時的な中断は、審判員が、ゲームディレクターおよびホームクラブの実行委員の意見を尊重して決定する〉とあり、その要件のひとつとして、〈来場者、関係者および選手等に心肺蘇生等の救護が必要な場合〉というのがあった。で、第五十五条〔試合の中止の決定〕によると、〈試合の中止は、審判員が、ゲームディレクター・ミーティングを経て、Bリーグとの協議のうえで決定する〉とある。意志決定のプロセスがちょっと違ってるから時間がかかったのかな。で、第五十六条〔不可抗力による開催不能または中止〕には、〈公式試合が、悪天候、地震等の天変地異または公共交通機関の不通その他いずれのチームの責にも帰すべからざる事由(以下「不可抗力」という)により開催不能または中止となった場合には、当該試合の取り扱いについては、次の各号からチェアマンが決定する。/① 40分間の再試合/② 中止時点からの再開試合/③ 中止時点での試合成立〉とある。今回の事例が〈不可抗力による開催不能または中止〉に該当するなら、試合の取り扱いはJリーグと同じっぽい。

 選手の急病は、片方のチームだけに起きたこととはいえ、〈いずれのチームの責にも帰すべからざる事由〉のような気がするが、どうなんだろうな。仮にこれが滋賀の責に帰されると判断されるのであれば、第五十七条〔敗戦とみなす場合〕の規定に従って、〈帰責事由あるチームは、原則として0対20で敗戦したものとみなす〉ということになる。そしてこのスコアは、帰責事由のないチーム(三遠)の平均得点数の算定からは除外されるそう。

 選手が試合中に倒れるなんて事態は起きないほうが良い、のはもちろんだけど、こういう事態にも対応できるよう綿密に規約が定められているのはなんだか気持ちの良いことだな。なんというかこう、家具が部屋の間取りに、本が本棚の隙間にきっちり収まったときの快感、に似てるような。

 松田直樹が倒れたグラウンドにはAEDが設置されておらず、その出来事をきっかけに日本サッカー界では、練習場や試合会場のAEDの設置が義務づけられた。Bリーグ規約の第四十六条〔選手の健康管理およびドクター〕でも、〈ホームクラブは、すべての試合においてアリーナ内にAEDを備えなければならない〉とある。第五十八条の二〔大会ドクター〕には、〈ホームクラブには、選手や来場者の傷病対応のため、開場時間から試合終了30分後までの時間帯において会場内にドクターを1名配置する〉ことも定められていた。カーターの処置は専門家によって迅速に行われたのだろう。ふと調べてみると、試合が行われたアリーナは滋賀医科大学の道路を挟んで正面にある、が、彼が滋賀医大の附属病院に運ばれたのかどうかはわからない。

 ともあれひと安心して、気分転換、というわけではないが、パーッとやりたくて十二月二十八日の千葉対島根を観はじめる。これがめちゃ良い試合だった。ダブルオーバータイム! そして最後は四点差で島根が逃げ切った。千葉、主力二人が負傷離脱したことで、スターパワーで殴り勝つ、みたいな試合ができなくなっている。それで、今シーズンほとんどプレータイムを与えられていなかった菅野ブルースがチャンスを得ている。千葉は昨季からの主力と即戦力の新加入選手の個の力で勝ってる、強い選手を集めたチームが強いのは当然じゃないか、と私は批判的に書いたけど、菅野さんや、シーズン序盤はいまいちフィットしてなかったマイケル・オウの存在感が増してきていて、今の千葉のほうが観ていて面白い。

 

1月6日(月)晴のち雨。原稿原稿。

 夕方までやって、長谷川あかりレシピで豚こま肉のクミン揚げ焼きを作る。温めるだけの静岡風おでんと千切りキャベツ、白米で夕食。食いながら十二月二十八日のレバンガ対三河を観。エスコンフィールドで行われた試合で、Bリーグ史上最多の一万九千人の観客が入ったそう。コート脇にクリスマスツリーっぽい装飾があったり、選手入場のBGMが生演奏だったりと、運営の意気込みを感じる演出(試合前にはドワイト・ラモス(推し)がランボルギーニで入場してもいたらしい)。絶対に勝ちたい試合だった、が、二桁点差で負けた。北海道で七年暮らしたもので、行ったことのないエスコンフィールドにも里心のようなものを感じている、のでちょっと悔しい。

 実況の人が、過去にはNBAの公式戦が東京ドームで行われたこともありましたがBリーグの試合が野球場で開催されるのは史上初!と言っていて、NBAの公式戦が東京ドームで……?となって調べてみると、一九九六年(オーランド・マジック対ニュージャージー・ネッツ)と一九九九年(サクラメント・キングス対ミネソタ・ティンバーウルヴズ)、いずれもシーズン序盤の十一月上旬(九九年は開幕節)に、それぞれ二試合行われて、四試合とも三万人を越える観客が入ったそう。シーズン序盤にそんな長距離移動をするというのは身体の負担が大きそうだけど、いいんですかね。

 

1月7日(火)雨のち曇。原稿原稿。

 夕方、スマホを見ると、滋賀レイクスがハビエル・カーターのインジュアリーリスト入りを発表していた。心機能の精密検査の必要があるため、とのこと。入院してるけどあくまでも検査のためで、意識も明瞭だし容態も安定している、と書き添えられていた。

 そして当該試合はやっぱり〈不可抗力による中止〉ということで、四十分間の再試合をすることになった。ただ、その日程を一月二十日までに調整できなかった場合は試合不成立ということになり、成績には反映されないそう。

 そうすると総ゲーム数に差が出ることになる、が、順位は勝利数ではなく〈勝率(勝ち試合数÷成立した試合数)によって決定〉する、と規約の第九条〔Bリーグチャンピオンシップ・B2プレーオフ進出クラブの決定方法〕で定められていて、全チームの試合数が揃ってなくても順位が決められるよう制度設計されていた。なるほどなあ、とまた感心しちゃう。

 勝率で順位を決めるから試合数が揃ってなくてもいい、のはプロ野球も同じだけど、勝ち点で順位を決めるJリーグはそのへんどうなってるのかしらん、と思って調べてみると、Jリーグ規約第六十四条で〔中止試合のみなし開催〕というのが定められていた。代替試合(再試合や再開試合)を行わないと判断された場合、その試合は開催されたものとみなして、試合の中止がどちらのチームの責に帰すべき事由によるものか、で双方に勝ち点を付与する。①どちらの責任でもない場合は〇対〇の引き分け、②一方のチームの責任であればそのチームが〇対三で敗戦、もう一方(責任ないほう)が三対〇で勝利、③双方に責任がある場合は双方が〇対三で敗戦(!)ということになっている。しかし今のところ、この規定が適用されたのは、荒天や地震、噴火、そして新型コロナによる中止だけで、いずれも①のパターンだったよう。

 

1月8日(水)快晴。起きてすぐ、ベッドのなかで伸びをしたら肩の筋肉が攣った。一日作業。

 

1月9日(木)快晴。十一時に歯医者。そのあとは七時すぎまで作業。

 夕食はコンビニで割引になってたイカカツ丼と、ちょっと足りなかったので昨日炊いた鱈ご飯を食う。九時ごろ外を走り、帰って風呂に入る。それから立木康介を三十ページ。

 

1月10日(金)快晴。十時に今年はじめての整体へ。疲れてますねえ、と言われる。あとから来た患者さんがめちゃおしゃべりする人で、年明け早々こういう契約のオファーがあったんだけどどう考えても先方に有利な条件で、そこについて交渉しようとしてもぜんぜん譲ろうとしない、向こうも個人事業主で以前から付き合いがある人だったんだけど、当初は一、二枚のシンプルな契約書だったのに顧問弁護士をつけるようになってから十枚とかの長い、WIN-WINではなく自分の利益を最大化するような文言を巧妙に紛れ込ませた契約書を作るようになっちゃって、それでもう切っちまいたいんですけど先生、どう思います?みたいな相談をしている。整体師に訊くことではなかろうもん。

 話の流れで先生が、「わたしは流れっていうものを重視していて、流れが悪いときは何をやっても事態は動かないものだし、逆に良い流れが来ていればやることなすこと上手くいくと思ってるんですね、だから流れを見逃さないように、しっかりとものごとを見ていたいと思うんです」と言っていて、なんだか感銘を受けた。

 患者はそれに対して、「いやでも、自分が動かないと物事は停滞したままですよね」と反論した。先生はちょっと持論を修正して、「そうですねえ、適切な動きかたってのがありますもんねえ」と返した。そのあとはすぐに、ここ押すと痛いですか、と治療についての話題に移ったのだが、たいへんな仕事だな……と思いながら聞いていた。

 次に来た別の患者(担当の先生も違う人)は、年始の挨拶をするなり、「中居くんたいへんなことになりましたね!」となんだか嬉しそうに言って、先生が、たぶん気持ちよく喋らせようと「そのニュース追ってないんですよ」と返すと、嬉々として経緯の説明をはじめた。「フジテレビの○○って若くて可愛い女子アナがいるんですけどね、その子と密会して、あとでミートゥー?っていうんでしたっけ、それをやられて、一億ちかく取られたあげく、今度は週刊誌にタレ込まれたんですよ」という、トップスターである中居正広が何かの陰謀によってその地位から追い落とされようとしている、みたいな把握のしかたをしているらしかった。いやはや。その人の話の途中で私の治療が終わったので、どういう着地点だったのかはわからない。

 そのあとは夜までカリコリ、と思ったが、どうも鍼の揺り戻しのような感じで調子上がらず。夕飯にラーメンを茹で、おでんと白米と食いながら、バスケットLIVEで十二月三十日の滋賀対越谷。これが二〇二四年最終戦で、ようやくバスケットにおいても年を越せる(バスケットにおける年越しとは)。

 

1月11日(土)快晴。

 でかいホテル。四階に大広間があり、五階から上が客室になっていて、さらに上、三十四階に日本サッカー協会(JFA)が入居している。私は吉田麻也選手(実際は百八十九センチあるけど、そのときは百七十二センチの私と同じくらいの体格だった)といっしょにエレベーターに乗っていた。ガラス張りの、外がよく見えるエレベーターだった(外の景色は見ないようにしてたので憶えていない)。

 JFAに用があるという吉田さんに、よかったらきみも顔出すかい、と訊かれるが、三十四階の高さまで外が見えるようなエレベーターで運ばれるのは怖い、と感じて断った。あそう、じゃあまた今度ね、と彼は言い、私は四階で降りて大広間へ。

 さっきまで私や吉田さん、サッカーの男子日本代表選手や友人たちで食事をしていたその部屋も今はがらんとしていて、中学の同級生(卒業以来ほとんど会ってないが、今は鳥取でデザイナーをしてる人)が一人で本を読んでいた。彼女は、わたし最近、漫画描いてんだよね、と薄いコピー本を差し出してくる。『あずまんが大王』の劣化コピーみたいな、ぜんぜん面白くない四コマ漫画。私は、これはあれかい、よつばと?よつばとをやろうとしたのかい?とめちゃくちゃ鬱陶しいことを言った。そこで目が覚める。

 そのまま寝られず、ウトウトして悪夢を見て起きるのを朝まで繰り返す。明るくなったころ諦めてベッドから出、昨日買った白子で味噌汁をつくる。ここ一ヶ月くらい、スーパーの海鮮コーナーに行くたびに探していたのだが、色の良いものがなく、昨日ようやく良いのが入っていたのだ。

 五時まで作業して、B2の福井対福岡を観。福井は二〇二二年設立、二〇二三年の夏にBリーグ(B3)に参加して即優勝、一年でB2に上がってきて、いま東地区の二位と躍進している。強豪のA千葉に勝ったりもしていて、全体二位を争ってる福岡としてはかなり重要な試合。前半は拮抗していたのだが、第三クォーターで(何が起きたかちょっとわかんないくらい)一気に突き放して大差で勝った。こういう日もある。

 試合後二時間ほど昼寝して、日付が変わるまで読書。

 

1月12日(日)曇。昨日の三遠対仙台で、三遠の大野HCがテクニカルファウル二つで退場、というひと幕があった。原因はわからないのだが、現地で観てた人のポストには、三遠のコーチたちが、差別はだめだろ、と言っていた、ともあって、仙台の選手が三遠の黒人選手にNワードを言ったのではないか、という憶測が広がっている。バスケットLIVEでその試合の見逃し配信を観てみると、たしかにそういう解釈が有力な気がするが、何もわからない(審判による映像の確認や事情説明もなく、実況の人たちも状況を把握できていないようだった)。

 その場面やその後の試合の荒れようを寝る前に観て、どうも眠れず。けっきょく四時ごろにようやく寝た。

 半日作業。寝不足とタフな腹痛のためジョグはスキップして、午後二時からバスケットLIVEで福井対福岡を観。昨日は第三クォーターで突き放して大差で勝ったのだが、今日は第四クォーターで詰められて、ワンポゼッション差の辛勝。ハラハラしたなあ! こういう試合が楽しいんだ。福井は二日とも(少なくとも福岡のホームゲームより)たくさん観客が入っていた。福井県初のプロスポーツクラブである同チームは、男子ワールドカップが日本で開催された夏に誕生して、Bリーグ参戦初年度に九割を超える勝率でB3優勝、プレーオフも六戦全勝で勝ち抜いてB2に昇格した。そう考えると、新チームの立ち上げと好成績の影響で、福井ではワールドカップ以降のバスケブームが今も持続しているのかもしれない。

 

1月13日(月)快晴。午前は読書、昼に散歩して、三時間ほどぐっすり寝。ガバリと起きて夜まで作業。

 

1月14日(火)快晴。一日作業。午後五時半からオンラインで打ち合わせ。新しい締切が発生する。うれしい。

 そのあとジョグをして、バスケを一試合。試合後に京極夏彦『京極噺 六儀集』(ぴあ)を読んだ。

 

1月15日(水)晴。起きてすぐ、李恢成氏の訃報が昨日出ていたのに気づく。二〇一二年の一月か二月、氏の講演を取材する北海道新聞文化部の記者に誘われて、北海道立文学館の企画展「李恢成の文学 根生いの地から朝鮮半島・世界へ」を観に行った。地震の文学的来歴を振り返る講演を、氏はこう語り出した。「ぼくの名前は李恢成(イ・フェソン)。李恢成(り・かいせい)です」。その囁くような声を(すぐに聴衆の一人が手を挙げ、耳が遠いもんで、もっと大きい声で話してください、と言ったことも含めて)ずっと忘れられずにいる。

 展示に行った日のことは、毎日新聞で連載していたコラムで書いたことがある。その全文。

 

 根生いの地について

 

鳥取出身の小説家は数えるほどしかいない。小説を好んで読むようになって改めて感じたのは、鳥取を舞台にした作品の少なさだ。その数は、東京はもちろん、他の地方都市とも比べものにならない。舞台やテーマは著者の自由だし、彼らにとって他の土地に追求すべき題材があったということだろう。だとしても、自分が少年期を過ごした街の風景に、何冊本を読んでも出会えないのはどこか寂しい。

根生いの地、という表現にはじめて触れたのは、二〇一二年に北海道立文学館で開かれた「李恢成の文学 根生いの地から朝鮮半島・世界へ」という展覧会だった。作家本人による講演で彼は、自分という人間は樺太・真岡と札幌で生まれ育ち、北海道を離れた今もそれらの土地に根を張って小説を書き続けている、というようなことを言っていた。

僕にとって根生いの地は、三歳から一八歳まで過ごした鳥取の街だ。でもその頃の僕は、鳥取という土地からも、そこで育った自分自身からも切り離された、対岸の火事を眺めるような小説ばかり書いていた。編集者に渡しても没つづきで、いったい何を書けばいいのかわからない、そんなときに触れた彼の言葉は僕に、自分に書きうる小説のことを考えさせた。鳥取のことなら、商店街の錆びたシャッターの色も、砂丘を越えてくる潮風の匂いも、高校の裏山から見下ろす街の光も知っている。そのときの僕自身の感情も。

 三年後、僕は鳥取を舞台に、老いによって衰弱し、最期の時を迎えようとしていた祖母を主人公にした小説を書いた。その作品はようやく編集者に認められ、文芸誌に掲載された。デビューしてから四年半、根生いの地を書いたことで、僕はようやく小説家になれたように思う。

七月に刊行された単行本の収録作は、いずれも外国の島を舞台にした小説だ。鳥取でない土地が舞台の作品をさらに増やしてしまった。だけどその小説が、僕の根生いの地の匂いをまとっているとすれば嬉しい。

毎日新聞 二〇一八年八月六日夕刊

 

 けっこういい文章ではないか。ここには書いてないけど、企画展の図録も買って、何を書けばいいかわからなくなったときなんかに読み返して自分を鼓舞してきたのだ。

 その李恢成が死んだ。朝からおセンチになってしまった。

 散歩をして作業。夕飯にスペアリブを蒸し、食いながらバスケを一試合。眠気がひどく、明かりも消さずに寝てしまう。

 

1月16日(木)曇。ウィルキンソンの無料引換券があったので、朝の散歩でファミマに寄る。生茶を一本買ったら無料券がついてくる、というフェアをやっていたので、それもいっしょにレジに持っていく。ペットボトルを二本買い、うち一本には無料引換券を使って、もう一本は金を出したけど無料引換券が発行された、という状況で、六十代くらいのレジのおねいさん(平日の朝はいつもそのおねいさんがいて、ほかの店員や常連ぽいお客とかしましくおしゃべりしているのだ)が、あらもう一枚!と言った。これ目当てでして、フフ、すみません、と私が言うとおねいさんは、いいのよ、いいのよ、と優しく返してくれた。

 一日作業。昼食はグルテンフリーの麺を茹でたものにセブンのパスタソースを絡めたもの。この麺を以前ペペロンチーノにして失敗したので、今回はボロネーゼソースを買った、ら、それなりに食える味だった。とにかく麺の豆臭さを覆い隠すような味つけで食うのだ。

 午後二時にジョグ。いつものコースの後半、残り二百メートルを切ったあたりで緩やかな上り坂になっていて、そこでダッシュをして体力を使い切り、ゼロの状態で最後の百メートルを走ることでジョグの効果を高めようとしている。今日はそのダッシュの途中、ランニングハイ、というほどではないが、中学の陸上部だったころの、自分が動かそうとしている通りに身体が動いている感覚が得られた。気持ち良かったな。

 夕方、ちゃんこ風のおでんを作る。食いながらバスケットLIVEで一月四日の東京対渋谷を観。渋谷の守備がすごく良かった。イタリアのサッカーにはウノゼロという、鉄壁の守備を構築して最少得点で勝つことの美学を表す言葉がある。それで私は守備のチームが好きなのだ。

 

1月17日(金)晴。

 私にはいろんな大学に忍び込んで、登山家のドキュメンタリーや実録ものの映画を観る趣味がある。映画なのに実際にその場にいるような臨場感、没入感。万年雪の冷たい山頂で仰向けに寝転がる感覚が好きなのだけど、実際に登山をするのはたいへんなので、こうやって映画で代替している。一つの大学には登山映画は一つしかなく、誰かが観るとその映画は消滅してしまう。それで私は、同じ趣味の人たちと争うようにして各地の大学への潜入計画を立て、実行する。

 あるとき、〈埼京線で最恐線!〉というキャッチコピーの映画の情報が手に入る。埼京線沿線の法政大学のキャンパス(実在するかは知らない)がもうすぐ爆破解体されるのだが、プレハブみたいな小屋に、その妙なコピーの登山映画が保管されているという。

 豪雪で遅延した埼京線で法政大の最寄り駅に向かい、降りると(駅舎は鳥取大学前駅に似ていた)、駅前でプーチンと滝口悠生氏が連れ立って歩いているのと会った。ああ水原さん、と滝口さんが私に気づき、ちょっと立ち話をする。どうやらプーチンも〈最恐線〉映画の情報を手に入れて、滝口さんに案内してもらってここまで来たらしい。じゃあここで水原さんに引き継ごうかな、と滝口さんは、プーチンを私に押しつけてどこかへ行ってしまった。

 私はプーチンと手を繫いで(プーチンの手は真冬なのに温かかった)、雪を踏んで法政大に忍び込み、なんとかプレハブに到達する。映画はまだ消滅していなかった。二人で観。気がつくと私たちは手を繫いだまま映画のなかの山頂に立っていて、アイン、ツヴァイ、ドライ、となぜかドイツ語でタイミングを合わせて、やわらかい雪の上に仰向けになった。星が奇麗だったな。

 映画が終わるとプーチンは姿を消していて、外に出るとそこは鳥取大学附属中学校の前庭の松の木の下だった。振り返るとプレハブも雪も姿を消して、大人になってから見ると小さく感じられる二宮金次郎像(実際にはすぐ隣の、鳥大附属小学校の前庭にある)が、初夏の陽光に照らされている。そろそろ時間だぞー、と先生が教室を見て回っているのが校舎のなかから聞こえた。銅像の陰に隠れて聞き耳を立てると、どうやらもうすぐこの校舎を爆破することになっているらしい。

 附属小中学校は鳥大のキャンパスの端にあり、反対側の門の前に駅がある。坂を駆け上がり、無人のキャンパスを突っ切るうちに冬になっていた。雪深い駅前の雑踏へ。そこでプーチンと滝口悠生氏が連れ立って歩いているのに出くわした。じゃあここで水原さんに引き継ごうかな、と滝口さんはどこかへ去り、プーチンが手を繫いでくる。振り払おうとしても彼の力は強く、私はその熱い手で、まもなく爆破されるキャンパスへと引きずられていく。

 目が覚めて、夢の内容をメモする。今日は散歩はせずに始業。しかしどうも捗らなかったな……。作業に手を着けては集中できずサボる、のを一日中繰り返した。

 夜、豚ヒレ肉を長芋と蒸して食いながら、バスケを一試合。そのあとは読書をするつもりでベッドに本を持ちこんだ、が、数ページで閉じて寝てしまう。今日はこういう日だったということだ。

 

1月18日(土)快晴。一日作業。しかし体調が下降気味で、なんというか書いててジョイがない感じ。書き手ばかりが盛り上がってるのも独りよがりで良くないのだが、書き手が乗れないのも良くない。ということで二時間ほどで終わりにする。

 豆麺のパスタを食いながら、バスケットLIVEでBリーグオールスター初日のコンテストを観。スキルズチャレンジ、スリーポイントコンテスト、ダンクコンテスト。ときどきゲラゲラ笑いつつ。そのあとすぐにアジア・ライジングスターゲーム、という、アジア枠登録の選手と二十五歳以下の若手選手の選抜試合を観。ドワイト・ラモス(推し)、去年もアジアオールスターに選出されていたのだが、去年はあまり興味を持ってなかった。こういうのは目当ての選手がいるほうが楽しい。

 

1月19日(日)晴。明日が締切の北海道新聞の書評エッセイのために、橋本麻里、山本貴光『図書館を建てる、図書館で暮らす』(新潮社)を読む。『芸術新潮』の連載はぜんぶ読んでいたが、かなり大幅に加筆されている。自分も家を建てたくなる、し、逗子に住みたくなる本。読んでると小説が書きたくなる小説、が私はめちゃ好きなのだが、読んでると逗子に家をおっ建てたくなる本、もかなり好きかもしれない。

 今日はBリーグオールスター二日目。まずU-18選抜対抗戦を観る。U-18ということは全員が高校生で、まだ身体ができあがってない選手も多かった、が、(コメディタッチの本戦と違って)強度が高く、楽しめた。Bリーグの試合で観たことのある選手も二、三人いて、トップチームでは試合の趨勢が決したあとの数分しか出られないような選手も、U-18では絶対的エースとして活躍している。

 そのあと作業をやって、本戦は見逃し配信で。ほぼ全篇ギャグだったですね。こういうイベントは選手のキャラがわかってないと楽しめないものだ。昨シーズンはB1の強豪(その前のシーズンのCS出場チームと日本代表の主力選手の所属チーム)の試合を中心に観ていたので、オールスターやコンテストに出てるなかにも、一度もプレーを観たことのない選手がけっこういた。今季はB1はたぶん全クラブ一試合は観てるし、B2も福岡が今季まだ対戦してない福島以外のクラブを観た。私が観た試合に出場しなかった選手もいるし、ユースチームの選手のことは分からないが、それでも、この人知らんなあ、となることが減って、去年より楽しめた。

 

1月20日(月)快晴。三十分ほどウトウトしては悪夢で飛び起きる、のを朝まで繰り返す。十時から整体。全身が疲れ切っている、とのことで、二十分ほど延長して治療してくれた。

 今日は北海道新聞の書評エッセイのしめきり、なのだが、一日いまいち具合良くなし。あまり頭が回らず、行きつ戻りつしながら書いて、夕方にようやく仕上げる。

 豚ヒレが安くなっていたので、夕飯に長芋と蒸す。料理中、外からすごい雷鳴が聞こえる。日中はよく晴れていたのだが、天気予報を見ると夜に雨が降るそう。すでに窓を閉じていたので、その後の天気の変化はわからず。

 料理中に書評エッセイを送稿、晩めしを食いつつバスケを一試合。終わったあとはさすがに寝不足が響き、何もできずにパタリと寝。

 

1月21日(火)曇。朝の散歩で神社へ。お詣りをして境内を歩いていて、ふと遠くまで眺望が開けた瞬間、なんだか頭がスッと冴えたのを感じた。解放感。

 コンビニをハシゴして飲みものの無料引換券を二枚つかいながら、あれは何だったのか、と思い返すと、たぶんあの瞬間、何も考えていなかったのだと思う。ふだんものを考えるときは、言葉や音や映像が頭のなかを飛び交っているのだが、あのときはそれらがパタリと止んでいた。ただその場の景色だけと向き合っていた、というとなんだかシンプルだけど、とにかく、思考というものの一切を手放したのは数年ぶりのことのような気がする。しかしそのことにびっくりして、今のはなんだ!と考え出してしまったので、爽やかな時間は数歩で終わった。とはいえ、ほんの一瞬でもああいう感覚を思い出せたのは私にとって重要な気がする。少しずつでも精神の健全さを取り戻せているのだろう。

 原稿原稿。昨年末にやっつけるつもりだった中篇が、まだ終わっていない。焦らず焦らず。

 ハビエル・カーター選手ので中断、そのまま中止になっていた滋賀対三遠、再試合の調整が間に合わなかった(会場が確保できなかった)そうで、けっきょく行われないことになった。この一試合が最終順位に影響するかどうか。

 夜、バスケを一試合。試合後ウトウトしてたら、古川真人から、電話せんか、とLINEが来たが、眠いんで、と断る。そのまま明かりも消さずに寝。

 

1月22日(水)快晴。一日作業。休憩時間にスマホのメモを見返していると、十七日の〈最恐線〉映画のメモが出てきた。すっかり忘れていた、のでその日の日記に加筆。長々と書いたので良い気分転換になった。

 夕方、U-NEXTでオ・セヨン監督『成功したオタク』を観。推しが性犯罪者になったオタクであるオ氏が、自分と同じ境遇にある(元)オタクたちにインタビューしたドキュメンタリー。推しが罪を犯してもう推せなくなったオタクが、「推し活にお金を使うなら チキンを一羽分買う」と言っていたのが印象に残る(チキン一羽とアルバムが同じ値段だそう)。

 推し、という言葉を、私はこの日記でもわりに気軽に、何人ものバスケ選手について書いてきたが、あれはあくまでも、このチームではこの人がいちばん好ましい、ぐらいの意味で、私の人生をうるおす存在、というほどではない。推しのために(バスケットLIVEの会費以上には)課金してはいないし、試合を現地観戦したこともないのだ。

 そのあと、すしざんまいのカップラーメンという解せないものを食いつつ、バスケットLIVEで一月十日の広島対長崎を観。前半終了時点で長崎が二十点リード(二十七対四十七)していて、もう勝敗が決してしまった……と思っていたら、後半は広島が長崎の倍以上のスコア(五十一対二十四)で逆転勝利。何が起きたんだ……。びっくりして目が冴えたもんで、眠かったけど風呂に入れた。

 

1月23日(木)曇。昼まで伏せる。

 回復してきたので午後二時にジョグに出。いつもはフットサルシューズなのだが、今日は間違えてスニーカーで出てしまった。靴底が薄く(すり減ってもいる)、踵に衝撃が直接響く感じ。走るときは靴底の反発を前への推進力にするので、それがないとこんなにしんどいのか、という驚きがあった。

 そのあと、作業をしようかと思ったのだが、ぜんぜん言葉が出てこない。諦めて読書、森博嗣『追懐のコヨーテ』(講談社文庫)。何年か前、Twitterでこの本に言及しているツイートを見かけて、ちょっと興味を抱いて買った。日記を見返してみると、二〇二一年十二月二十五日にこういう記述がある。

 

Twitterで、森博嗣がエッセイ集『追憶のコヨーテ』のなかで「やる気というのは幻想、あるいは錯覚にすぎない。やるべきことに手をつけられないのは『今やれば有利だ』『怠けると損する』という判断ができない、単なる能力不足だ」と書いてた、というツイートが回ってきて、うるせえばーか!となって今日も本休日とする。森の理論は心身ともに健康な人しか想定してないんだろうな。

 

 パニック障碍が今より深刻だったころ(この日も、日本海新聞のコラムの締切だったのに、作業もできないほどしんどかった)のことで、心身ともに健康な人への反感が強い。そして本の題を間違ってますね、〈追憶〉ではなく〈追懐〉だ。その後、楽天ブックスで注文した本が届いても読まず、三年以上放置していた。改めて本書を読んでみると、たしかに「やる気が出ないのは、やる気がないのか、やる気を出す気がないのか。」という章(このシリーズは、二ページのショートエッセイが百萹、という構成をとっている)に、ツイートで言及されていたようなことが書かれており、うるせえばーか!となった。でもそのあとで、森はこういうことも書いている。

 

 もっとも、精神的な問題ばかりではない。躰がだるい、頭がぼうっとしている、といった肉体的な障害で、実行できない場合もある。だから、「やる気」よりは「体調」をコントロールする方がずっと重要だ。僕は、寒いとやる気が出ないので、まずは暖かくすることに気を遣っている。自分をよく観察し、コントロール方法を編み出そう。

P.27

 

 心身の健康のことも言及しているではないか。〈肉体的な障害〉の当事者である私としては、こっちのほうが重要な記述だった。私は森の主張を誤解したまま三年あまりを過ごしていたのか。キャッチーな部分だけが投稿され、拡散される、というのは、SNSの定石ではあるのだが、その弊害が分かりやすく表れた例だ。

 しかしそれはそれとして、森のエッセイはどうも鼻持ちならない感じがするんだよな。たとえば森は、早く引退したいのに依頼が多すぎて引退できないこと、めちゃ広い(五百メートルの鉄道を敷設できるくらいの)庭のある家に住んでいること、一日の仕事を三十分から一時間で終わらせて残りを趣味の時間に充てていること、それでも速いペースで本が出せる(以前は一週間で一冊書いたりしてたし、今も二週間くらいで書く)しめちゃ売れている、みたいな自慢めいたことを繰り返し書いている。そしてそれを、①自分の本でいちばん売れた『すべてがFになる』は九十万部くらいだ、②最高でも百万部に届かない自分はマイナー作家だ、③百万部というと一億円の印税が入る数字だ、④ここ十年で二十冊ほど書いた新書が合計で百万部くらいになった、という順序で書き、とどめのように、⑤僕の本の累計部数は千七百万部だ、と続ける(P.87)。こちらとしては、①そんなに売れたんかい、②九十万部のどこがマイナーやねん、③てことは『すべF』だけで九千万くらい稼いだんかい、④新書で一億稼いだんかい、⑤十七億かい!という順序で、たいへん反感を抱いた。たぶん森としては、単に事実を並べてるだけ、なのだろう。作品の自立性だけを目指していて、それを読んだ人がどう考えるかは顧慮しない、というのは、たいへん(私の思う)森博嗣的ではある。

 

1月24日(金)快晴、夜は雨。ふだんは大袋の千切りキャベツ(百九十八円)を買っているのだが、今朝はその三分の一くらいの量で百円のしかなかった。開店直後だし、大袋のスペース自体がなかったので、入荷できなかったのだろう。キャベツの高騰は耳にしてたけど、千切りの大袋はさほど値上がりしてなかったので油断していた。このスーパーでは一玉二百九十八円だったし、値段も少しずつ下がってきたという報道も見たから、しばらく我慢すればまた入荷するだろう。別のスーパーにも行ってみたがここでも在庫はなく、〈カット野菜(キャベツ原料)において、現在供給が不安定になっております。〉という掲示があった。

 昼から歯医者。治療後、また別のスーパーに行ってみたが千切りキャベツはなし。ベビーリーフを買って帰宅。疲れ切ったので午後休とする。夜にバスケを一試合。

 

1月25日(土)曇。今日は日本海新聞のコラムの締切。本を一冊読んで書こう、と思っていたので、朝から読書。午後二時前に読了、二時五分からティップオフの福岡対福島に間に合った。

 試合後にコラムを書く。夕方までかかった。

 夕飯は昨日スーパーで安くなってた肉を使って、豚こまの甘味噌絡め、豚ヒレの醤油蒸し。どちらも長谷川あかりレシピだ。蒸してる間にコラムも送稿した。

 食いながらバスケを一試合。あとは寝るまで読書。日付が変わるころ食器を洗い、日記を書く。今日は郵便受けより遠くには行かなかった、が、二試合観て本を二冊(漫画も二冊)読んで肉料理も二つ作って仕事もした、ので、なんだか充実した一日だったな。

 

1月26日(日)快晴。昼めしにスーパーで買ったカレーを食う。肉が入っていない、が、三百円という安さを考えれば、もはやこれが値段相応ということなのだろう。もう一サイクル、と思ったが、カレーを食いながら雑誌を読んでたらなんか仕事に戻るきっかけを逃して、今日はこれでおしまい。

 そのあとバスケを一試合観て、読書。読書をしていたら古川真人から、電話せんか、とLINEが来ていた。タイミングが合わず断る。

 夕飯にエビのビスク風カレーをつくり、食いながらまたバスケ。名古屋Dの加藤嵩都(推し)がディフェンスで躍動しており、うれしい。試合も名古屋の勝利。そのあと風呂に入り、田中克彦『ことばのエコロジー』(ちくま学芸文庫)も読了。夜中にまた小腹が空いて、一時半すぎにカップ麺を食った。

 

1月27日(月)曇。散歩はスキップして作業。

 昼めしに昨日のカレーを食いながら、バスケ選手のYouTubeを観る。究極の選択!生まれ変わるなら人間か人間以外か!尽くす愛か尽くされる愛か!みたいな、心底どうでもいいことを話しているのを観るのは脳を使わなくていい。しかしこればっかりになると脳が退化しちゃいそうだ。

 動画の本篇より、途中で挟まったドミノピザのCMのが印象に残る。チーズ三兄弟、という、ミルフィーユみたいに三種のチーズを挟んだ新商品。なんだかスキップできず、涎を垂らして最後まで観た。

 そのあとデカフェのコーヒーを入れ、賞味期限切れ(去年の八月!)のリポビタンDを飲んで作業。夕方ごろ、ひとまず中篇が完成した! もう二度か三度目の全面改稿、とはいえ、達成感があったですね。初稿から改稿のたびに良くなってきている。

 退勤して夕飯の仕度、豚こまのクミン揚げ焼きを作って、カレーと食いながらバスケットLIVEで一月十二日の越谷対千葉を観。食ったのにまだ空腹で、チーズ三兄弟を頼んでしまう。試合は第四クォーター終了時点で七十九対七十九、オーバータイムにもつれ込み、そして最後は、昨日は負傷欠場、今日もきっと万全じゃないだろうに強行出場して(あんのじょう精彩を欠いて)いた千葉のDJホグのターンオーバーから越谷・井上宗一郎の逆転スリーポイント! すごかったなあ。スタッツを見ると、とにかく越谷がリバウンドを取りまくった(オフェンスリバウンドは二十対四)のが勝因という感じかしら。良い試合だった。

 日本屈指の強豪である千葉とB2から昇格してきたばかりの越谷、なぜか毎試合ワンポゼッション差の接戦になっている。バスケは攻撃回数が多いから実力差が表れやすく、ジャイアントキリングが起きにくいスポーツだ、と前女子日本代表HCの恩塚亨氏が言っていた、が、相性の良し悪しはあるんだろう。

 たかぶって寝られず読書。ネイサン・レンツ『人体、なんでそうなった?』(久保美代子訳、化学同人)を読む。わりに分厚く、苦手な分野のことが書かれてもいるので、めちゃ分かりやすいのだけど時間がかかった。十時ごろから読んで、読了したのは二時半。

 

1月28日(火)晴。一時間ほど朝の散歩。

 昨日ひとつ大きいのをやっつけたし寝不足なので、今日はノンビリ作業の日。依頼されてる短篇の仕込み。

 昼、ジョグに出。終盤はまた、走ることの快を感じられた。走る前は面倒くさくてたまらないこともあるけど、走ったあとで「走らなければよかった」と思ったことはない、とどこかで村上春樹も書いていた(と誰かが引用するのをどこかで見かけた)気がする。あれは真理だなあ、と思いながらスマホで漫画を読んでたら、信濃川日出雄『山と食欲と私』(新潮社)の十六巻にもそういう場面があった。

 準備万端で迎えた登山の朝、主人公の鮎美はベッドから起き上がれずに煩悶している。〈昨日 あんなに 山に行きたかったのに/そこに嘘は 何一つないのです/朝になるとなぜか やる気が消えている/だるい 面倒くさい 寝ていたい……〉〈いいんだよ いいんだよ やめたって いいんだよ/義務じゃない 仕事じゃない 誰かに頼まれて 登るわけじゃない/自分で準備した 自分一人の登山計画を 「気が変わった」という 自分本位の理由で 自ら中止するだけの話〉(P.6-7)。この気持ちはすごくわかる。すべては自分一人の問題で、取りやめたところで誰に迷惑をかけることもない。そんな計画が存在したこともそれが頓挫したことも自分以外の誰も知らない。それなのに罪悪感がある。そこで鮎美が自分に言い聞かせた言葉が良かった。〈「登る私」と 「登らない私」…/どちらの 私でいたい か……〉(P.7)。

 やってもやめても誰にも影響がないのなら、自分の納得のいく落としどころを見つけるしかない。鮎美はここで、“山に登るかどうか”ではなく、“どんな自分でありたいか”という抽象化した問いを自分に投げかけることで答えを出した。そして飛び起き、〈ハイ 朝 ハイ 起きた!/やるぞ〜っ/よしよし よしよし/行こう 行こう〉〈着替え ろーっ〉〈食えーっ〉〈電車に 乗れ 〜っ〉〈山が 待ってる ぞ〜っ〉(P.8)と自分に発破をかけまくることで山に向かった。そして登れば気分が上向く。〈毎回 不思議に思うよ どうして私は こんなにチョロいの〉(P.9)。

 人間というのはたぶんそういうもので、〈やる気〉というのはすべて錯覚なのだ。〈やる気を出す工夫をするよりも、やる気のないまま「いやいやでもやる」ことの方がずっと簡単であり、勉強も仕事も、だいたいこれで上手くいくし、社会でも無事に生きていけるだろう。〉と森博嗣も言っていた(『追懐のコヨーテ』P.27)。森は〈趣味は、やらなくても良いものだからこそ、やる気がないとできない〉(同P.27)とも書いていたが……。

 ともあれ、図らずも、自分の行動の答え合わせをエッセイと漫画のなかに見出すことができて、なんだかうれしい。

 今日はソフィ・カル『限局性激痛』(青木真紀子、佐野ゆか訳、平凡社)を読んだ。これは素晴らしかったですね。ソフィは一九八四年、恋人をパリに置いて日本に留学して、最終日にニューデリーの空港で落ち合う約束をしていた。でも空港に恋人はおらず、事故で病院に行った、ソフィの父親(医者)に電話をすること、というメッセージだけが届く。そこまで読んで私はジョグに出た、のだが、走りながら、死別か……と考えていた。しかし帰ってから続きを読んでみると、父親は何も知らず、恋人に電話をしてみたところ、事故というのは爪に膿ができたくらいのことで、ほかに好きな人ができたからニューデリーには行かなかった、と告げられる。

 カルの作品は、その日を中心に、日本に向かい、滞在していた三ヶ月と、裏切りを知ってからの三ヶ月に分けられる。そして後半では、その日の記憶を日々振り返りながら、いろんな人に人生でいちばんつらかった出来事について尋ねた記録が並べられる。他者の〈激痛〉と並置することでカルの痛烈な体験も相対化される。日々、あの日に何が起きたか、を綴るカルのテキストが面白かったな。

 あの日の出来事、を繰り返し書きながら、その日に至った恋人との歴史を振り返ったり、裏切りを告げられたあと自分はどうしたか、を書いたりしている。記憶というのは振り返る時点によって移り変わっていくものだ。

『人体、なんでそうなった?』の記述を思い出す。人類が進化のなかで獲得してしまった、どう考えても不合理な特性について解説した本。脳(思考様式)のエラーに関して、こういう実験が紹介されていた。自動車事故の様子をスライドショーのように画像で示した映像を被験者に見せる。その映像にはいくつか空白の場面があり、その空白は、トラウマになりそうな場面(子供が泣き叫ぶところとか)やそうでない場面(救助のヘリが到着したところとか)であることが示される。二十四時間後、被験者たちに、その映像について尋ねる。〈参加者はみせられた場面を認識する能力については高い成績を収めた。けれども、映像全体の約四分の一で、実際にはみていない場面を“認識”した。参加者は、平凡な場面より、トラウマになりそうな場面を過剰に記憶している割合が高く、しかもその記憶に自信を持っていた。〉(P.210)

 記憶は時間とともに薄れていく。しかしそれと同時に、人はトラウマ的な出来事を、さらにトラウマ性を強めながら記憶に定着させてしまう。ソフィ・カルの記憶は、直後から時間が経つごとに、彼に恋した十歳から別れのあとの行動に至るまでの経緯のなかに整理され、そのなかで、〈事故〉が実際には爪の膿というちっぽけな怪我だったこと、ほんの三分の電話、四つの受け答えだけで彼との時間が終わったこと、という要素が抽出され、強調される。そうやって強まった痛手の記憶を彼女は、ほかの人の記憶と並置することで相対化して薄れさせていく。本のなかでは、カルのその日の記憶を綴る文字がしだいに薄れていく、というかたちで表現される。記憶がどう定着し、どう薄れ、どう終わっていくか。

 夜、キムチ豆乳鍋をつくり、食いながら一月十八日のB3岐阜対新潟を観。実況がなく、会場の音声だけの配信。これはこれで乙なものですね。試合中、古川真人から電話。こっちは飯食いながら試合観てるし向こうはへべれけで、一時間ほど話したのだが、何を話したんだったか思い出せない。観てる間に大差がついて、四十二対八十四の大差で新潟が勝った。

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