11月23日(水)一日中雨。遅く起きる。睡眠が長く、寝起きも悪い日が続いている。外では雨が降っていて、部屋が寒い。ゆっくり起き、寝る前に食ったカップ麺がまだ胃のなかにいるので、朝食はスープだけ。
鳥取県立美術館がウォーホル作品を買った件、NHKのニュースサイトでも〈地方潮流〉というシリーズのなかで言及されていた。おおむね既報のものがほとんどだった、が、美術館予定地近くの中華料理店が、キャンベルのスープ缶(赤白のツートンカラー)にちなんで、〈トマトベースのスープに麺状のクリームチーズを乗せたメニューを考案した〉とのこと。「ウォーホル作品が倉吉市に来るというのはすごいこと。料理で盛り上げたい」と言う店主が、スープ缶のTシャツを着て笑顔で電動絞り器を構えてる写真があって、この写真がポップアートだよ、となった。
集中してたらもう十九時、かなり冷えてきたので、大学の後輩であり大学院の先輩である友人からもらった赤外線ヒーターをつけてモロッコ対クロアチア。お互いの良さをつぶし合う渋い展開の試合でスコアレスドローだった。
試合終了後に炒飯を作り、食いながら今度は日本対ドイツ。森保監督の采配が奏功して後半に逆転、二対一で日本が勝った。さすがに興奮してしまう。
後半、浅野拓磨がリュディガーに挑発されていたが、そのあとで逆転ゴールを決めた浅野は挑発し返したりもせず、日本的なお行儀の良さだな、と思ったが、そもそも先に(ドイツの監督について訊かれて)「ハンジ・フリック? 何それ?」と挑発したのは浅野なのだった。
11月24日(木)快晴、午後すこしずつ雲が増えていく。ザッとシャワーを浴びてから洗濯機を回し、散歩に出る。スーパーでゼスプリのキウイのフィギュア付きのパックを見つけ、思わず買ってしまった。
午後、はじめての編集者とオンラインで打ち合わせ。あまり良い話ができず。そもそも送った原稿の返事に、どっかでランチでもしながらお話しましょう、と書いてきたので、じつはパニック障碍で飲食店とか行けなくて、オンラインならぜひ!と返したところ、コロナ禍で人と会うのは気が重いというの、わかります、じゃあまたいつか!と返事がきて、精神疾患に対する無理解なのか、こっちがテキトーな病名を挙げて逃げようとしてると思ったのか、いずれにせよモヤモヤしたのだった。
送った作品は外国が舞台で、女性が語り手だったのだが、これを日本人男性である水原さんが書く意味あります……?と問われ、言葉に詰まる。その作品の話はすぐ終わり、あとは編集者が自身の文学観を語るのを聞いていた。無理に外国舞台で書こうとしないでいいんで、『死の棘』みたいな私小説を水原さんと、一緒につくっていきたいんです、と力説された。無理してるつもりはなかったんだけどな。
ZOOMの時間制限で終了、気散じに洗濯機を回そうとしたら、プラ製の柔軟剤のボトルを落として割ってしまう。良くないことは続くものだ。フローラルな香りにつつまれて、床に広がったものを拭きながら、しかし最近、良いことはぜんぜんないな、とみじめな気持ちになる。
夕食に肉じゃがを作っていたら、疲れからか、右手の薬指の先をピーラーで削ってしまった。痛いのは嫌いなのだが、私はこういうときにリアクションが鈍くなりがちで、血が沸き出してくるのをしばらく見下ろして、垂れ落ちそうになってようやく動き出す。流水で洗って、傷の近くを押して血を絞り、キズパワーパッドを貼ろうとしたが、拭いても拭いても血が溢れて難儀する。諦めて普通の絆創膏を貼り、数分ごとに貼り替えながら肉じゃがを作って、完成したあたりでようやく出血が穏やかになってきたのですかさずキズパワーパッドを貼った。良くないことは続くものだ、ほんとに。
11月25日(金)快晴。一日作業。
ウォーホルの「ブリロの箱」の件について、平井鳥取県知事が定例会見で言及している。作品を保有しつづけることの是非を来場者に投票してもらったらいいんじゃないか、とのこと。しかし県の予算のつかいかたについて、県外からの客を含む来場者に投票を募る、というのは、あまり適切ではないような。
県では五億円の美術品取得基金を準備していて、毎年度末に、その年につかったぶんを一般会計の補正予算から補充している。今年度も、「箱」を含めて約四億五千万円使ったらしいが、この件が議論を呼んだことで、「(これ以上)議論を呼ぶような作品購入はちょっと待ってくれという考え」(山陰中央新報の文字起こし)で、今年度は補充しない、とのこと。待ってくれ、という気持ちはわかるけど、購入した作品が議論を呼んだことを理由にほかの作品の購入を(実質的に)停止させる、というのも、かなり問題のある運用なのでは。
夜はウェールズ対イランをPCで観ながらカレーを作った、が、サッカーに気を取られて肉を入れるのを忘れてしまった。何をやってるんだ。
11月26日(土)朝は雨、一時は豪雨になったが、そのあとは曇。鳩山由紀夫と石原慎太郎と鼎談する夢を見た。「甘露」が映画化されている世界線で、鳩山が「でもきみは、あの映画、あんまり納得いってないでしょう?」と言ってきて、私は「いや、観てないんでね」と返し、石原が「おれは良いと思ったけどな」と言う、というやりとりだけ憶えている。何だったんだ。
石原は芥川賞の選考委員として「甘露」を読んで、選評ではあまり褒めてなかったけど、選考会では一人だけあの作品を擁護してたんですよ、と、当時の担当者に言われて救われた気持ちになったことを思い出す。
11月27日(日)快晴。朝、作業をしてたらなぞの吐き気で苦しくなり、しばらく伏せる。昼にとうもろこしパンを食ったらだいぶ楽になった。胃酸過多だったのかな。
そのあと三十分ほど散歩して、果物を食いながらずんずん仕事をすすめる。夕方、今日のノルマを終えたので住宅街のなかをウロウロして、ファミマででかいペプシの引換券を使う。夜は冷蔵庫のあまりもので卵とじ丼を作り、でかいペプシを飲みながら日本対コスタリカを、森保監督の日本代表はこういうチームだった、となりながら観た。
11月28日(月)曇、寒い一日。洗濯物がたまっているので回して外出。午後のカウンセリングで話すことを考えつつ散歩する。散歩の距離を伸ばすときに、パニックの予兆に耐えながら何度かその道を歩いて心身を馴らす、というやりかたをしてきていて、こないだは地下鉄にも乗れた、これを重ねれば良くなっていくだろう、と思えるのだが、地下鉄くらいならまだしも、新幹線や飛行機では、何度も乗って馴らす、というのは難しい。前回そういう相談をしたとき、そこはまあ、難しいですよね、でも今は徒歩で行ける場所を拡大していこうとしてる段階で、そこまで考えなくてもいいのでは、と言われて、それはそうだなあ、と思ったのだが、どうなるのかしらん。あんまり考えすぎてもよくない、とはわかってるのだが。
カウンセリングの一時間以外はずっと作業をしていた。夜、また散歩して、今日は親子丼にする。食いながらカメルーン対セルビアを観、つぎの韓国対ガーナの途中で寝。
11月29日(火)曇、夜には雨になる。朝から頭が痛い。
遅めに起きて風呂に入り、味噌汁と目玉焼きで朝食。昼ごろまでのんびりしてから始業した、が、頭痛に耐えられず、早めの夕方にロキソニンを飲んで閉店。タラとブラックタイガーのホイル焼きで夕食として、十九時ごろには寝た。
二十三時に目が覚めたときはかなり薬が効いて、頭痛は落ち着いていた。宮台真司が勤務先の都立大学で襲撃されて大怪我を負ったそう。後ろから殴られ、首の辺りを斬りつけられたが、受け答えもできる程度で、命に別状はない、とのこと。犯人は今も逃走中。怖いな。
眠気が吹っ飛んでしまったので、ひとしきり作業してからウェールズ対イングランド。前半のなかばくらいからはスマホでアメリカ対イランを流して同時に観た、が、どうも意識が拡散して、どっちにも集中できなかったな。朝の六時ごろ試合終了、さすがに眠い。
11月30日(水)曇、夕方ごろにすこし雨。生活リズムが乱れてるからか、吐き気がする。ここまでひどいのは久しぶりだ。ちょっと無理して散歩に出る。
リイド社の文庫版『ゴルゴ13』、杉森昌武(〈ゴルゴ13研究家兼デューク東郷研究所所長、『THEゴルゴ学』(小学館)編集総監督〉という肩書き)による解説が思い入れたっぷりで、あまり良い文章ではないのについ読んでしまう。
今日読んだ第五巻の解説にこんな一節があった。「ゴルゴに惚れて後を慕っていくフィニーだったが、こんな男を追いかけても待っているのは悲劇に決まっている。そのフィニーが、ゴルゴのことを知り合いに、「あたしと同じくずよ」と語っているシーンがおもしろい。フィニーはくずかもしれないが、ゴルゴはくずどころか、ダイヤモンドといってもいいくらいに、優れた人間なのだが。」ゴルゴに対するなぞの信奉! そのくせ第一巻の解説では、ゴルゴの言動を「若いというか、ドジというか……。」とか、「依頼人から現金を受け取った時、「領収書はいらないだろうね?」というギャグをかましているが、これもいただけない。」とか、どうも、数十年後のゴルゴを知ってる立場から、当時の彼の未熟さを言い立てたりしている。
研究者というのは、対象(のありかた)を分析してその性質を体系化するものだけど、杉森がやってるのは、対象(のありかた)を分析してその価値を判断することで、これはむしろ批評家の仕事だ。
12月1日(木)朝小雨、そのあとは曇。昨夜は試合を観なかった。しかし起きてからずっと吐き気がして、しんどい。朝の散歩も比較的短距離にして帰宅、ウンウンうなりつつ始業。昼食はふりかけごはん(ドラえもんのふりかけを買ったのだ)だけにして、休憩もほとんど取らずに進めていく。
今月の中旬までかかりそうだった大きめの仕事が、思いのほか早く終わりそう。夕食に海老クリームパスタを作って『ガイアの夜明け』の録画してたやつを観ながら食う。そのあと、午前四時からの日本対スペインにそなえて早めに布団に入った。
12月2日(金)曇、午後は晴。三時四十五分、アラームが鳴ってすぐ起きる。日本対スペイン。前半早い時間で先制されたときは、スペインに七対〇で負けたコスタリカみたいになるのでは、と思ったが、なんとかしのいで後半、攻撃的なカードを切って、開始五分かそこらでドドドと逆転、結局二対一の勝利。すごいなあ。スペインのルイス・エンリケ監督は試合後、日本代表を讃えつつ、「日本が私たちを上回ったのは5〜10分間だった」と言っていて、ほんとうにそうだった。強いチームが勝つのではなく、勝ったチームが強いのでもなく、勝敗には、その試合でどちらが多く点を入れたか、という意味しかない。
私は四月一日、組み合わせ抽選があった日(コスタリカ対ニュージーランドの大陸間プレーオフの開催前で、まだどっちが出場するかわからなかった)の日記で、「死の組!という報道もあったが、二強二弱は死の組ではない」などと書いている。いやすいませんでした。
選手や監督のインタビューを観てすぐ寝、九時半ごろ起きる。朝のうちに大きめの仕事の報告書を仕上げる。これでようやく自分の原稿に集中できそう。
12月3日(土)曇。神保町の東京堂書店で鈴木成一フェアをやっていて、『蹴爪』が大量に平積みされている、という中途半端にリアリティのある夢を見た。
夜、して信田さよ子『愛情という名の支配』を起読。兄の暴力に耐えていた幼少期の記憶がフラッシュバックして、ややしんどくなってきたので『愛情という名の支配』を閉じ、『刃牙』にする。暴力のことを考えてしんどくなったのに『刃牙』の暴力は読める、というのは、どういう機序なのか。
キムチ炒飯を作って『ガイアの夜明け』を観ながら食い、はやめに明かりを消した。しかし十分くらいうとうとしただけで目が冴えて、日付が変わったのでオランダ対アメリカ。オランダを観るのは今大会はじめてだけど、やっぱり上手い。観終わるといいかんじに眠くなった。
12月4日(日)午前は快晴にちかい晴、だんだん曇る。ずいぶん遅くまで寝ていた。昼前までのんびり読書をして、短距離散歩のあと始業。夕方まで原稿をやって、また本を読み、夜は試合を観る。よい日曜日。
12月5日(月)曇、午後は雨。ひどく寒い。スキンヘッドにして以来、風呂上がりに髪を乾かす習慣が絶えていたのだが、だんだん伸びてきて、長時間湿ったままになっている。その状態で朝の散歩に出たせいで凍えてしまった。帰宅したら乾かそう、と思っていたのだが、帰宅するころには自然に乾いており、ただ凍えただけ……。
年内に仕上げる予定の短篇の作業をはじめた。アイデアが浮かんだときは五十枚くらいと思っていたが、どうも七、八十枚になりそう。今日は書き出しまではせず、設計図を練るところまでやって終業。
カレーを作って『愛情という名の支配』を読了、すこしうとうとして日本対クロアチア。百二十分で決着のつかないタフな試合だった、が、PK戦で負けた。ロベルト・バッジョは「PKを外すことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだ」と言っていて、それはほんとうにそのとおりなのだが、相手GKの読みが冴えていたにしても、四人蹴って三人止められては勝てない。
12月6日(火)朝は弱い雨、そのあと止んでずっと曇。起きたら十時が近い、が、昨夜が遅かったから、六時間ちょいしか寝てないのか。
昨日のメモ(原稿用紙で六枚くらい)を見返して手を入れ、書き出しを思案。あんまりいいのが浮かばなかった、のでふと思いついてサリンジャー「バナナフィッシュにうってつけの日」を読んだ、ら、やる気と一緒に書き出しも沸いてきた。
早めに風呂に入り、はやみねかおる『そして五人がいなくなる』を起読。〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉シリーズの第一巻。小学生のころ夢中になって読んでいた。元文学青年である父のもとに生まれた四人きょうだいの末っ子だったので、家には、上の三人が買い与えられた蔵書がふんだんにあった。県立図書館から子供の足でも歩いてすぐのところに住んでいたこともあり、私は十歳くらいになるまで、自分で選んだ本を買う、という経験をしたことがない。そんな私がはじめて買った本がこれだった。なんとなく思い出して調べてみると、完結してはいないものの、シリーズの刊行は二〇一五年で止まっているらしく、今なら最新刊まで読める、と思いついたのだった。
十数年ぶりとはいえ内容をかなり憶えていて、アーここに謎解きの手がかりがある!みたいなことを考えながら読む。〈トリプルアクセル・フリーフォール・ダブルループコースター〉の語感の良さとか、ほんとうに懐かしい(そういう名前のジェットコースターが、本巻の事件の現場になる遊園地の名物なのだ)。今読むといろいろと、なるほどここで語彙の運用を切り替えてホラーの雰囲気を演出してるのか、とか、登場人物紹介で主人公の母親が〈おおらかでやさしくて世話好きな、いまではめずらしい日本の母。〉と紹介されてるのは良い表現ではないな、とか、三つ子の三女である美衣が日英独仏、四ヶ国語の新聞を毎日読んでるのめっちゃすげえ、とか、いろいろと当時は見えなかったところが見えてきて、その私の変化自体が面白い。
遊園地で最初の事件を目撃したあと、家で母親のカレーを食べながら、語り手である長女の亜衣はこう述懐する。「羽衣母さんのカレーは、とろみが少なくて、ごはんにしみこむ。白いごはんに、しゃぶしゃぶのルーがかかっている感じ。小麦粉をあまり使ってないからだ。」はじめてこの一節を読んで以降、三十三歳になったいまも、カレーはしゃぶしゃぶのが好きだ。しかし羽衣母さんは小麦粉からルーを作ってたのか。そのたいへんさも、中学生のころはわからなかったな。
半分くらい読んで昨日のカレー(二日目なのでしゃぶしゃぶではない)を食った。
12月7日(水)快晴。秋晴れ、というか、もう冬か。ずいぶんと寒い日。カリコリ書きつづける。この作品は手書きをして、それをWordに打ち込んで、翌日それを推敲してからつづきをまた手書きして、というやりかたをしていて、よく考えたらけっこう手間がかかるな。その手間が重要なんですが。
夕方すぎにもう入浴、『そして五人がいなくなる』を進読。教授(三姉妹は夢水をこう呼んでいる)が食にいじきたないのはなんとなく憶えていたが、誘拐された子の家を訪れたとき、群がるマスコミに取材状況を尋ねるために〈いちばん美人のレポーター〉に声をかけたり、その家で水をぶっかけられて不機嫌になったけど〈小がらで髪の長い、きれいな人〉に呼び止められた〈とたんに、教授のきげんがよくなった〉りと、女好き、という設定もあったのは忘れてたな。
そのくせ私は、伯爵(今回の犯人)に誘拐予告を出された加藤少年が、遊園地のバーガーショップでチーズバーガーを三つ食い、すぐにトイレに行くのを見た次女の真衣が、〈食べたら、だす──じつに本能的な行動ね〉と考えた、のは憶えている。あとは謎を解いた教授がヒントとして「もうちょっとキーワードをあげるとね、『受動態と能動態』さ。」と言い、真衣が「『柔道やって、のどが痛い。』って、どういう意味よ?」と聞きかえす、のも、当時ゲラゲラ笑いながら読んだからかよく憶えている。
幼少期の私が何に惹かれ、何を二十年後まで記憶に留めているか、というのは、私の思考/嗜好の様式、その変化と深く関わっている気がする、と自分がこの日記で列挙したものを見返すと、おおむね〈言葉〉と〈食〉ですね。逆に、当時は気にも留めなかったジェンダーのところが、今は目につくようになった。なるほどなあ。
夜は中華風の鱈鍋を作って、日本代表の帰国会見を観ながら食う。今日は試合もないし、早めに明かりを消して寝。
12月8日(木)快晴。すこし暖かい。
一日作業。夜はまた鍋にして、食べながら『100分de名著』の中井久夫特集の初回。斎藤環(が参照している中井)が、症状が寛解に近づいていく過程では、悪夢とか身体の不調とか、一見すると悪化してるような状態になる、と言っていて、それは、カウンセリングでトラウマが整理されはじめたことでまた少しパニックの揺り戻しを感じている私も同じだ。このつらさは寛解にいたる過程なのだ。そう思わないとやってられない。
12月9日(金)快晴。三時過ぎに目が覚め、ぜんぜん眠り足りないのに目が冴えてしまい、諦めて読書。六時ごろにまた寝て、九時過ぎに起きる。寝不足であまり具合良くなし。どういう流れだったのか、イブラヒモビッチに何か言われて「うるせえこのデカっ鼻!」と言い返してやったらイブラが豪快に笑った、みたいな夢を見た。
昼食に昨日の鍋の残りをさらって、『亡霊は夜歩く』を起読した。〈夢水清志郎〉の二巻。三十ページにこういうやりとりがある。教授の家を尋ねてきた上越警部が、唐突に「夢水さん、あんた、いま、ひまかね?」と尋ね、教授がこう答える。「ひまじゃないですよ。このあいだ買った五千ピースのジグソーパズルは、まだ半分もできてないし、『大菩薩峠』も読みかけ、近所ののらねこのノミ取りも、まだぜんぶおわってないんです。」そのやりとりを聞いた亜衣はこう考える。「世間ではそういうのを、ひまな状態っていうんだけど、教授はぜんぜんわかってない。」
警部に捜査協力を依頼されて、教授は、「わかりました。さっそく今日から、がんばってジグソーパズルを仕上げて、『大菩薩峠』を読み終え、ねこのノミ取りを完了させましょう。」と請け合った。それが〈二学期がはじまって三回めの日曜日〉のこと。そして本巻の事件が〈十月の最初の水曜日に、はなやかに幕をあける〉前に、〈教授はがんばって、ジグソーパズルと『大菩薩峠』とノミ取りを完了させた〉。
この一節で、私は『大菩薩峠』を知ったのだった。自分の意志で本を選んで読みはじめたばかりの私に『大菩薩峠』は、暇で怠惰で頭脳明晰、なんでか知らんが働かなくても生きていけるから趣味三昧の人間──〈高等遊民〉という言葉を当時は知らなかった──が読むものとして認識された。『大菩薩峠』に言及されるのはこれだけで、本巻の主題には関係ない、教授のだらしなさを表すアイテムでしかない。読了する前に忘れてしまっても良さそうなのに、私はこの見慣れない四文字をずっと記憶に留めていた。
発表当時はいざ知らず、平成の小学生が『大菩薩峠』という作品に触れる機会は滅多にない。長じてからも、なんせ長くて読む機会がなかった。大学の図書館で全二十巻のちくま文庫版が並んでるのを見たり、「夏休み何か予定ある?」「『大菩薩峠』でも読むかな」「どんだけ暇だよ!」みたいな会話をしたりした記憶はある。
『亡霊は夜歩く』を最後に読んだのは中学生のころで、文脈的に『大菩薩峠』はやたら長い作品なんだろうな、くらいにしか思ってなかったが、四百五十ページ前後の文庫二十冊、と考えると、〈二学期がはじまって三回めの日曜日〉から〈十月の最初の水曜日〉までに読み切るというのは、それまでにどのくらい読んでたかはわからないけど、とにかくすごいペースではないか。
中学のころはたしか八月二十五日あたりが夏休み明けの登校日だったから、今年のカレンダーでいえば、〈二学期がはじまって三回めの日曜日〉は九月十一日、〈十月の最初の水曜日〉は五日だ。二十五日間しかない。教授と同じペースで読んでみるのも面白いかも!と思って計算してみたが、これではほかの仕事がぜんぜんできないな。それなのに教授は五千ピースのジグソーパズルものらねこのノミ取りもやっていて、これは確かにひまじゃない。
本巻では、語り手の亜衣といいかんじになる中井麗一が初登場している。亜衣と同じ文芸部員で、詩人を自称しているが作品を書いたことはなく、「おれの存在そのものが詩なの。」とうそぶいている。憧れたなあ。それにひきかえこのおれは、小説なんか書いちゃって……。
午後の作業はあまり捗らず、遅くまでカリコリしていた。もうちょっと頑張りましょう。
鳥取県立美術館の「ブリロの箱」収蔵問題で、開館から三年ほど同作を中心にした展示をやって、〈作品を鑑賞した県民や来客者等からの投票など、作品に対する評価・反応を率直に聴取〉し、その〈反応を踏まえ、今後の取り扱いを再検討〉する、という取扱方針案が、十二月二日の県総務教育常任委員会に提出されている(引用は県HPで公開されてる同委員会資料より)。
これは平井鳥取県知事が、十一月十七日の定例会見で言っていたことを受けたものだろう。「例えば、美術館が開館をして、そこでキュレーター(学芸員などの学術的専門職員)が、これはこういう意図で、この美術館にはふさわしいと思って購入したという意図があると思います。それで、それに即した展示をつくられる、それが美術館完成の後だと思います。それで、その後ですね、このブリロの箱という美術品を鳥取県が保有し続けて、展示し続けることが、是か非かというのを、例えば来館者とか、あるいは県民の皆さんで、これを御覧いただいた方々、実際にその場で、現場で展示を御覧いただいた方々で、何だったら投票してもらって、3年ぐらいかけて判定してもらったほうがいいんじゃないだろうかと。」
この発言がニュースになってるのを読んだとき、私は、県の美術品取得基金の補充を凍結すること、を問題視していた。が、県HPの会見録で全文を読んでみると、基金の残額は五千万円ほどあり、毎年(郷土作家の作品を買うだけなら)使ってるのは二、三千万円におさまる、だから例年通りの購入をするには問題ないし、ウォーホルについての議論(県立美術館のなかった鳥取でこの議論が起きていることに知事はおおきな価値を見出している)にフォーカスするためにも、一、二年は大きな買いものは控えて、議論が落ち着いたらまた補充すればいい、というニュアンスだった。なるほどなあ。
県HPでは県民説明会で出た意見の概要もまとめられていて、発言した人は賛否半々くらいの印象。「県議会であんな箱一つで5千万円なんちゅ高いだと県議が言ったと新聞が書いたが」みたいに、ときどき鳥取弁が出てくるのが懐かしかったですね。
12月10日(土)快晴。三時すぎに目が覚める。クロアチア対ブラジル、観なかったのが悔やまれるほどの良い試合だったそう。四時からのオランダ対アルゼンチンを観、こちらも良い試合だったので、アルゼンチンの勝利でPK戦が終わった七時ごろに寝。昼前に起きた。
午後、『亡霊は夜歩く』を読了。亜衣とレーチ以外の文芸部員のことはまったく憶えていなかったのだが、当時と違って自分も小説を書く者として読むからか、部活風景の描写がめっぽう面白かった。一冊五十円で頒布している部誌は『それがわたしにとって何だというのでしょう?』という、亜衣いわく〈ニヒルな誌名〉で、略して『それわた』。年に五回というペースで二十年出し続けてるらしい。長期休暇もあることを考えると、ほぼ二ヵ月に一冊だ。これでは常に締め切りに追われてるようなものではないか。
案の定、というか、学園祭に間に合わせるために渡辺部長が発破をかけている。「印刷屋さんと学園祭初日は、待ってくれないのよ! 睡眠時間なんかいらないわ。死ぬ気で原稿を仕上げなさい!」とか、「一年生はしかたがないとしても、二年、三年は、ただ原稿を仕上げるだけじゃダメなのよ。“売れる作品”を書くのよ、“売れる作品”を!」とか。それに対して二年の〈カマキリ先輩〉が言い返す。「締め切りでせかされたうえに、“売れる作品”を要求されては、ぼくのような純文学志向の人間には、納得できない面もあるんですが……。」私も純文学志向の人間なもので、そうだそうだ、と野次を飛ばしながら読んでたら、その言葉を遮って渡辺部長は言う。「そういうせりふはね、お金がいっぱいある人の使うせりふなの! 『それわた』が売れなきゃ、だれが、ワープロの電気代や紙代や、リボン代や、製本代をだしてくれるのよ!(…)文学しようと思っちゃダメ! 時代はエンターテインメントよ!」あまりにも耳が痛い。
12月11日(日)晴のち曇。何か悪夢を見た気がするが、憶えていない。函館・スナッフルズのチーズオムレット(近所のスーパーで売ってたのだ)で朝食とする。たいして忙しくもないはずなのに、ひどく疲れている。
遅い昼食に大量のクリームパスタを作って食う。そのあと散歩がてら図書館に行った、のだが、食い過ぎて気持ち悪く、なんとか堪えながら貸出を終えて出ようとすると、出口の無断持ち出し防止のゲートが鳴る。カウンターに連行され、鞄の本が貸し出し済であることを確認して釈放。誤作動だったらしい。さっきまで発作が出そうだったのに、イレギュラーなことが起きたせいか、不調を忘れて一日過ごす。
12月12日(月)快晴。また嫌な夢を見た。編集者の、これを日本人男性である水原さんが書く意味あります?とか、無理に外国舞台で書かなくてもいいんで、とかの言葉がずっと響いている。没にされたことは何度もあるが、国籍や性別を理由にされたのははじめてだった。まあ人間と人間がやる仕事なので、そういうこともあるのだろう。原稿の掲載可否の連絡をくれない人もいたし、原稿料の不払いもあった。選択と集中、の、選択されなかったほうの気持ち。なんにせよ、私は自分が良いと信じるものを書いていくしかないのだ。
昼休み、中里介山『大菩薩峠』を起読。複数の出版社から複数のバージョンが出ていて、いちばん手に取りやすいのはたぶん一九九六年に刊行されたちくま文庫版の全二十巻だろう。初出連載時と単行本ではかなり異同がある(単行本では連載されたものの三分の二くらいの長さになってる)らしく、その連載版も論創社から全九巻で出ている。
私がプルースト企画で吉川一義訳の岩波文庫版を読んでいたのは、その発端になった文學界の企画で指定されたからだ。依頼時点では(今も)吉川訳が、最新の完結した個人訳だった。それでいうと、刊行がいちばん新しいのは論創社版だ。でも、吉川訳は、基本的にプルーストが最後に手を入れたバージョンを底本としていた。それを考えると、中里生前最後の刊本を底本としたもの、にしたほうが良いのか?などと考える。けっきょく、筑摩書房から文庫版と同時に刊行された全十巻の愛蔵版にした。
主人公の机竜之助、登場するなり、甲州と武蔵を隔てる大菩薩峠の茶屋でおじいさんと幼い孫娘の二人連れを見かけ、おじいさんを呼び出していきなり斬り殺す。なんでや! 竜之助は剣術道場の若先生で、山上の神社でやる大規模な奉納試合に出場することになっていて、その対戦相手が別の流派の師範である宇津木文之丞。で、文之丞の妻お浜が、文之丞の妹を名乗って竜之助の道場を訪れ、勝ちを譲ることを懇願する。にべもなく断った竜之助は、その夜、義弟の与八に命じてお浜を拉致させ、水車小屋でレイプする。なんでや! そのことを知った文之丞はお浜を離縁してしまう。なんでや! 奉納試合は木刀で打ち合うのだが、なんせこういう経緯なので文之丞は明確な殺意をもって竜之助と相対し、そのことを察知した竜之助は文之丞を打ち殺す。ほかの試合を観もせずにその場をあとにした竜之助の前にお浜が現れ、復讐か、と思ってたら、このままでは夫の門弟たちがあなたを殺しにくる、だから一緒に逃げましょう、とすがりつく。なんでや! 本作ここまで、なんでや!となることばかりだが、これが江戸時代の価値観なのだろうか。
冒頭のカメラワークがちょっと面白くて、まず大菩薩峠の風景描写、そこでひと休みする〈商人〉たちの会話を描き、そのあと彼らが近づいてくる〈武士〉に気づいてその場を離れ、しばらく〈武士〉の視点で描いてから、彼が見かけた〈老巡礼〉に視点が移り、老巡礼が武士にいきなり斬り殺されたところで、老巡礼の旅の連れである孫の〈少女〉に移り、最後にその場に通りがかって孫娘を慰める〈旅の人〉に移ってこのシーンが終わる。私は〈武士〉が本作の主人公だと知ってるから彼にフォーカスして読んでいたが、何も知らずに読んでたら、〈少女〉が〈旅の人〉の協力を受けて〈武士〉に復讐する物語がはじまると思うのではないか。連載を読んでた読者はどうだっただろう。竜之助はかなり非道な人間として登場する。これがどう転がっていくのかな。全十巻の第一巻のまだ一割も読んでない、ということは、全体の一パーセント未満なので、まだなんともわからない。
午後もすこし作業をして、コリンナ・ベルツ監督の『ゲルハルト・リヒター ペインティング』を観。ドイツ赤軍メンバーの獄死をモチーフにした一九八九年の連作〈1977年10月18日〉について、監督に「難しい題材だった」と問われて、リヒターはこう答える。「まあ やったよ 仕事だから/とにかく手をつける 行動する それが大事だ/苦労しても完成させる/力が及ばなくても 何もしないよりはいい」
ほんとうにそうだ。リヒターの多作ぶりとその幅の広さは、この〈とにかく手をつける〉という姿勢に支えられてるのだな。高橋たか子は『誘惑者』を、そのモチーフである三原山の自殺事件を知ってから十年後に書いた。時間をおいたのは、自分はこの小説を書くには力が足りない、と直感したからだ、という。私も、どうにも書きこなせなくて着想段階で留まってるものがいくつかあって、高橋のこの立場に共感していた、のだが、この映画を観た直後の今は、とにかくやるのだ、みたいな気持ちになっている。30/502
12月13日(火)午前は小雨、午後は晴。気圧も低く、めちゃ寒い。ほぼ雨が止んだ十時ごろに散歩に出たが、寒すぎて短距離で引き返す。
それから昨日の日記に『大菩薩峠』のところを加筆。昨日は〈ここに大佛次郎の話〉とだけ書いて寝てしまった。昨夜までの私は『大菩薩峠』の著者を大佛次郎だと思っていたのだ。今朝加筆しようとしてWikipediaで〈大佛次郎〉の項目を開き、〈大菩薩峠〉でページ内検索したら一件もヒットせず、なんでや!と思って〈大菩薩峠(小説)〉の項目を開くと、著者が〈中里介山〉となっていたのだった。
この企画を検討するときに各出版社の『大菩薩峠』の紹介ページを開いたし、図書館で各バージョンを取り寄せて借り、昨日は冒頭三十ページを読みもした、のに、今まで間違いに気づかなかった。びっくりするなあ。〈大佛〉と〈大菩薩〉がなんか似てるから混同したのだろうか。過去の日記の〈大佛次郎〉をイソイソと書き換えて始業。リヒター映画に鼓舞されて、しんどくてもとにかく書くのだ!と気持ちが盛り上がっている。
昼休みに『大菩薩峠』。なんでや!となることの多い本作、竜之助もお浜も行動原理がまだ見えないなか、与八がいちばん理性的に感じられる。でも、もともと捨て子で、竜之助の父親に拾われて育った与八は、地の文で〈馬鹿の与八〉と呼ばれている。彼の思考は筋道立っていて、常識もある、と私は思ったが、この常識は、江戸時代や二十世紀前半期には通用しないのだろうか。
文之丞の弟の兵馬が復讐を誓ったところで四年後に飛び、竜之助とお浜が江戸で夫婦になっていることが示される。当然というか、竜之助は日陰者で、そのことをお浜にネチネチ言われているのだが、じゃあなんでついてきたんだ……?
口論を厭って外に飛び出した竜之助がたまたま覗いた剣術道場で兵馬が修業をしていて、その稽古風景を見ていてふと思い立ち、他流試合を申し込む。仇と知らずに二人は立ち会う。一ヶ月後、出稽古に向かう途中で雨に降られた兵馬が軒先を借りた家で出会ったお松は、かつて竜之助が斬り殺した老巡礼の孫娘だった。本作、こういう偶然が随所にちりばめられている。
午後、ちょっと図書館までのつもりで散歩をしていたら、なんかいろいろ考え込んでしまい、寒いなかを四十分ほど歩き回っていた。夕方に米を炊いて、明日は朝四時から試合があるので、早く布団に入る。64/502
12月14日(木)晴。三時五十分に起きてアルゼンチン対クロアチア。今大会、ジャッジに納得いかないことが多く、それはVARが私の感覚と合わないのかしらん、と思ってたのだが、この試合のPK判定も理解できなかった。選手より目立つ審判は二流、という格言を思い出してしまう。サッカーのビデオ判定が取り沙汰されはじめた二〇〇八年ごろ、導入の是非について友人と議論したことがあった。私は厳密性を求めすぎると野暮になるから反対派、彼は誤審が減るんだからと賛成派だった。いまは過渡期とはいえ、今大会で導入された半自動VARは、試合を壊してばかりいる気がする。
アルゼンチンが勝ったのを見届けて寝、遅く起きる。しかしどうも具合良くなし。午前は編集者とのオンライン打ち合わせの準備。
昼休みに『大菩薩峠』を進読。机竜之助は偽名をつかって新徴組(のちの新撰組)に身を置いている。新徴組が敵役と間違えて襲撃したのがたまたま兵馬の師匠だったり、また偶然が物語を駆動させていく。その殺陣の場面の文章が良い。「一太刀を以て前後の敵を一時に斬る、これを鬼神の働きと言わずして何と言おう、高橋伊勢守がこの時はもうすっかり島田の手腕に敬服してしまって、ここは剣ではない禅であると、生涯歎称して已まなかったとのこと。/机竜之助は何をしている。心おくれたか、逃げ出したか。いやいや、まださいぜんのところに立っている。竜之助が出なければ、残るところは大将の土方歳三ただ一人です。」
三日前に読んだ、お浜が竜之助に一緒に逃げようとすがりつく場面も、「「ああ人が来ます、敵が来ます」/竜之助は勇躍する。/「逃げましょう、逃げましょう、死ぬのはいやいや、逃げて二人は生きましょう」」という書きかたで、地の文の敬体も相まって、張り扇で釈台を叩く音が聞こえそうな歯切れのよい講談調になっている。
午後、ZOOMで打ち合わせ。すでに何度かいっしょに仕事をしてきた、信頼できる読み手で、今日は良い話ができた。105/502
12月15日(木)快晴。四時からのモロッコ対フランスを観るつもりだったのだが、起きられず。下馬評通り、というべきかフランスが勝ったそう。友人が、カフェイン過敏症になったのにコーヒーは好きでつい飲んでしまい、動悸と吐き気で気持ち悪い、とツイートしているのを見る。たしか純喫茶巡りが趣味だと言っていて、それぞれの地元の良い喫茶店の話で盛り上がったりしたこともある。私もコーヒー好きだったのに、最近は一杯で気持ち悪くなることがあり、ストレスで胃が荒れてるのかと思ってたけど、カフェイン過敏症もあるのかしらん。どうも有効な治療法がなく、摂取を控えるしかないそう。私にとっては、旅行とか、喫茶店での読書とか、映画館や美術館とかがそうだったのだが、それによって呼吸のリズムを整えていたこと、がだめになるのは苦しい。おたがいバンバっていきましょうね、となる。
昼休みに『大菩薩峠』。竜之助はお浜を殺して出奔する。兵馬からの果たし状が届き、このままでは義弟も竜之助に殺されてしまう、と恐れたお浜が竜之助を刺そうとしたからだ。とはいえ本作、お浜の精神に負荷をかけすぎではないか。おなじく竜之助に祖父を殺され、親戚の奸計で京の遊郭に売られたお松もそうだけど、本作ここまで、女性は男たちの(サムライの?)物語に翻弄されるものとして提示されている。この価値観は、舞台である江戸時代の、なのか、書かれ読まれた昭和戦前期の、なのか、著者である中里介山の、なのか。
出奔した竜之助は、どういう仏心を起こしたものか、立ち寄った茶店で、お浜に瓜二つのお豊という女性が駕籠舁きに絡まれているのを助ける。「自分を誤ったのがあの女の罪か、あの女を誤らせたのが自分の罪か」。お豊は別の男と心中をしに行くところなのだが、いかにも今後竜之助と因縁ができそう。
夕食は牛肉のしぐれ煮、に、冷蔵庫の野菜をドサドサ突っこんでごった煮にして、あと芝海老の中華炒めを作る。満腹になって入浴して、〈名探偵夢水清志郎シリーズ〉三巻、『消える総生島』。孤島ミステリだ!
ミステリ映画のオーディションに受かった三つ子は、年末に一週間の予定で絶海の孤島・総生島に滞在することになる。三つ子の両親も旅行に出るから、ふだんの生活をすべて彼らに依存してる教授は、その間ひとりでなんとかしなければならない。それを知った教授は、「じゃあ、あしたからの朝食と昼食と夕食とおやつと夜食と、せんたくと風呂の用意は……。」と言い放つ。おまえの旅行中おれのめしはどうするんだ、というのは、モラハラ夫の典型的な台詞だが、隣家の中学一年生にこれを言えるメンタルはすごいな。小学生のころは、いやあ教授らしいなあ!とむしろ喜んで読んでいたものだが、私もまっとうな大人になってしまった。
けっきょくうまいことやって教授も島に行くことになった。総生島には洋館があり、執事の波虎が常駐していた。彼の初登場シーンに、「「ようこそ、おこしくださいました。」/黒い背広を着た波虎さんが、ていねいにおじぎをした。」という描写がある。本作はほとんどの漢字にルビが振られているので、この〈波虎〉にも〈ばとら〉と小さく添えられていた。小学生のころ、帰りのバスでこの本を読んでいたら、席の横に立ってたサッカー部の先輩が、私の手元を見下ろして、「波虎? バトラーか。執事だな」と言った、ことを今も憶えている。私は当時butlerという英単語を知らなかったから、その見開きには波虎が執事であることは書いていないにもかかわらず彼の設定を言いあてた先輩を、すげー人だ、と思ったのだった。しかし今思えば、音が似てるとしても〈波虎〉=〈butler〉とすぐに気づいて、それをあんなに自信を持って口にすることなんてできるだろうか。もしかして、彼もこのシリーズを読んでいて、後輩の前でちょっとかっこつけてしまったのでは……?
事件が解決して、三つ子と教授は家に帰る。年が明け、元日の朝に年賀状を仕分けしていると、レーチから亜衣に、〈「めでたい!」とだけ書かれた、そっけない年賀状〉が届いていた。生きていると同僚の退職だの友人の結婚だので寄せ書きをする機会がけっこうあって、私はそういうときだいたい「めでたい!」とか「やったね!」とかをでかい字で書いて済ますのだが、ここに由来があったのか。ちょっとレーチに憧れすぎですね。137/502
12月16日(金)快晴。今日はわりあい体調が良い。昨日のごった煮を朝食にして、洗濯機を回して散歩、といっても、洗濯が終わる直前に出たもので、図書館で本を借りてすぐ引き返した。今日も原稿。いい感じに流れている。
昼休み、賞味期限が切れそうな納豆と卵を食って『大菩薩峠』。京都にやってきた竜之助、遊郭で会ったお松に(自分が殺した巡礼の孫とは知らず)酔って絡み、刀を振り回して大立ち回りをして記憶を失う。屋外で目覚め、着物が破れてたから通りすがりの人を脅して剥ぎ取り、腹が減って入った饅頭屋では金が足りずに名刀を抵当にする。なんちゅう情けなさだ。それにひきかえ兵馬のたくましさ、お松のけなげさと彼女を遊郭から救おうと尽力する七兵衛のひたむきさ(もともと盗賊なのに)、などと考えてしまう。主人公が聖人君子である必要はもちろんないのだが、ここまで品性下劣な人間である、というのは、なかなか稀有なことなのではないか。
原稿、うまくいけば仕事納めまでに編集者に送りつけられそう。とはいえ急ぎすぎないようにせねば。187/502
12月17日(土)曇、夜は雨。冬の寒さ。窓をすべて開けて換気をしていたら、PCがひどく冷たい。
昼過ぎに古川真人からLINEが届く。テキストですこしやりとりをしてから電話。古川は酔うと人に電話をかける習性があるので、こんな昼間っから飲んでるんすか、と訊くと、いやあ、誰かつかまったら飲もうと思ってましてね、という答えの向こうで、プシュッと気持ちの良い音がした。酔うから電話をするのか、電話をするから酔うのか。
おしゃべりしてるうちに二時間以上経っていた。集中なんて切れてしまい、今日は閉店。早めに風呂に入り、親子丼を作って、バスケの皇后杯の準決勝を観ながら食べる。作りすぎたのを、明日に残しとけばよかった、と気づいたのはちょっと無理して完食してからで、満腹でしばらく打ち上がる。
そのまま寝て、日付が変わる直前にアラームで起き、三位決定戦のクロアチア対モロッコ。モドリッチの子供が可愛かった。187/502
12月18日(日)晴。壜に入った良いマヨネーズをつかって卵サンドの朝食。今日も窓を全開にして厚着で作業。
遅めの昼に『大菩薩峠』。京にもいられなくなった竜之助、今度は奈良・三輪の道場に身を寄せる。そして心中でひとり生き残ってしまったお豊が、親戚の伝手などをたどって、その道場に預けられてきた。そんな偶然ある?
お豊の横顔を見ながら、竜之助はしみじみと言う。「拙者には兄弟はないが、どうやら死んだ家内にでも会うような……そなた様を見てから、そんな気分も致すのじゃ」いやアンタが殺したんじゃろがい!と、当時の読者も突っこんだだろうか。
二人のやりとりの間に、語り手は地の文でこう述べる。「どうかすると、世間には竜之助のような男を死ぬほど好く女があります──好かれる方も気がつかず、好く方もどこがよいかわからないうちに、ふいと離れられないものになってしまう。」危うさにこそ惹かれる、というのはいつの時代にもあるものだ、が、そういえば、『失われた時を求めて』にはこういうタイプの恋愛はなかったな。
このお豊に懸想してるのがいかにも噛ませ犬っぽい、地元の金持ちのどら息子・金蔵で、お豊を覗こうとしたところを竜之助にやっつけられて逆恨みする。しかし金蔵は考えなしな感じで描かれてはいるが、『失われた時を求めて』を読んだあとでは、こういういかにもシンプルな行動原理の人間にでも、複雑な内面というのがあるのだろうかな、と考えてしまう。
そのあとバスケの皇后杯の決勝。九連覇中のENEOSと、その五度の決勝の対戦相手だったデンソーの試合で、けっきょくENEOSの十連覇で終わる。渡嘉敷さんがすごかった。あとはのんびり読書などをして、キムチ炒飯で早めの夕食。いったん寝て十二時前に起きてサッカーの決勝戦、アルゼンチン対フランス。こっちもすごい試合だった。メッシがついに!という、終わってみれば彼のための大会だったな。218/502
12月19日(月)快晴。試合後のインタビューや表彰式まで観、けっきょく寝たのは四時ごろで、九時過ぎに起きた。午前中にカウンセリング。
昼まで休んでゆっくり作業。夜、トマトのジェノベーゼを食いながらニュースを観。新潟で大雪とのこと。「ふるさとの雪で漁船が沈むのをわたしに告げて電話が終わる」という吉田恭大の歌を、大雪のニュースを見るたびに思い出してしまうの、やめたい。昨日夜更かししたこともあって、めちゃ眠くなって、二十一時には寝。218/502
12月20日(火)快晴。十二時間くらい寝ていた。寝過ぎたからかあんまり腹が減ってないので何も食わずに始業。原稿はそろそろ終盤にさしかかっていて、良い小説を書けている、という手触りを感じる。うれしい。
昼は蟹鍋として、もくもく食いながら 『100分de名著』の中井久夫特集の三回目。今回取り上げられていたのは『治療文化論』で、今の私に必要なことが語られていた。読んでみましょう。
夕方に終業して、昼の鍋の残りに肉やサリ麺などを突っこむ。一日家に籠もって良い小説を書き、自分で作っためしを食い、その合間に良い本(今日は巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』)をちょこちょこ読み進める。こういうのを一生続けていきたいですね。218/502
12月21日(水)曇。今日も寒い。最近やや悪化していて、家から遠くまで行くのが難しい、から、そのぶん、家の近くでも長時間歩き回るようにしている。一進一退でもせめて、退の幅をちいさくするように。
昼休みに『大菩薩峠』。兵馬が宝蔵院流の槍術を習おうと、その伝承者である植田丹後守の道場を訪れる。宝蔵院流槍術、というと、時代ものを読みつけてないもので、どうしても『バガボンド』を思い出してしまうな。あれは江戸時代のはじめの話で、出てくるのは創始者の胤栄と二代目の胤舜だった。『大菩薩峠』は幕末だから、丹後守は彼らの遠い弟子ということか。
一方竜之助は、旅籠で隣室になった天誅組という無頼者の集団と諍いを起こし、表に出て決闘だ!みたいな展開になる。兵馬側の登場人物はみんなできた人なのにたいして、竜之助側はのきなみ血の気が多い。しかし竜之助、仲裁に入った天誅組の首魁の人柄に感じ入り、行動を共にすることを決める。
そのころお豊は、金蔵に誘拐されて、あれこれあって逃げ出したはいいもののまた追いつかれ、いっしょに紀州に行こう!と必死にかき口説かれる。いかにも哀れっぽく訴える金蔵と、それをいなそうとしながらも次第に押し流されていくお豊のやりとりが、竜之助がお浜を殺した場面とかよりも紙幅を割かれている、のは、興味ぶかいところ。チャンバラ小説に見えて、本質はこういう浪花節的なところにあるのかもしれない。
夜は火鍋を食いながら『憧れの地に家を買おう』のバスク回を観る、が、鍋が辛すぎて番組がぜんぜん頭に入ってこない。247/502
12月22日(木)冷たい雨、午後は曇。気圧が低い。
『大菩薩峠』、今度は金蔵の故郷である和歌山・竜神の温泉郷に舞台を移す。江戸から大阪、紀伊半島の南まで、本作はロードノベルでもあるんだな。
天誅組に同行していた竜之助は、追っ手(そのなかに兵馬もいる)の攻撃に遭い、眼に傷を負った。山中に逃亡した竜之助は、金蔵の妻として温泉宿で働くお豊とばったり再会する。さらにはお松を連れた七兵衛も(そういう記述はなかった気がするが、いつの間にかお松を身請けしたらしい)同じ場所を目指している。偶然が取り結ぶ悪縁だ。
雨が止んだからかやや具合がよくなり、着々と書いてたら突然、アッこの文で終わりだ!という瞬間が来て、いきなり小説が完成した。びっくりした……。けっきょく六十九枚の、長めの短篇、といったところ。完成祝いにスーパーの寿司でパーッとやる。280/502
12月23日(金)快晴、とても寒い。今日は昨日完成させた短篇の推敲。一日で集中して、と思いつつ、しっかり昼休みを取って『大菩薩峠』を読み進める。
金蔵、お豊が兵馬と不倫してると思い込んで狂乱し、自分の実家でもある旅籠のなかで暴れ回って火を放つ。執着ってのは怖いもんだな。『失われた時を求めて』も執着についての小説だったが、シャルリュス男爵のそれを除いて、基本的にその執着の表現は精神的なもの、ねちっこい言葉に留まっていて、物理的な破壊にまでは及んでなかったような。語り手がシャルリュスの帽子を壊したくらいか。内面に重きを置いたプルーストと、フィジカルな描写に力を入れた中里介山、と対比するのは図式的すぎるか。
竜之助の眼は、完全に失明したわけではなさそうだが、「拙者にはこうなるが天罰じゃ、当然の罰で眼が見えなくなったのじゃ、これは憖(なま)じい治さんがよかろうと思う」となんだか自信を失っている。
章が変わって、次の舞台は伊勢の古市という遊郭の街。毛むくじゃらの忠実な犬ムクを連れた被差別民出身の美しい女芸人お玉が登場する。その設定や性格、(遊郭の中二階、という象徴的な場所で)自殺したお豊に遺書と現金を託され、盗っ人と思われて逃げ出す、「わたし、逃げるわ、何も悪いことをしないのに捉まっては合わないから逃げるわ、あとでわかるでしょうから逃げるわ」、そして追っ手を食い止めるムクの忠心!と、なんだか完全に主人公の描きかたではないか。
午後のなかばごろ推敲を終了。すこし散歩をして、のんびり読書。夜はカレーを、いつも使ってるルーの、今日は辛口で作った。315/502
12月24日(土)よく晴れていた。寝起きにルタオのチーズケーキを食い、あまりの美味さに呆然とする。窓から見える近所のルーフバルコニーで、猫と人間がのんびりしている。猫は自分の身体を舐めないためのカラーを首につけていて、朝の光を反射している。
昨日の日記を書き、それから矢野利裕『学校するからだ』。自身もふくめて登場人物(という言葉をあえて使うが)たちを、きわめて明快なキャラクターとして造形していて、それは小説としてはとても楽しいことなのだけど、そうやって形を整えるのは、「学校をめぐる言説のなかで抜け落ちてしまうものを拾い集めたい」というアティチュードとそぐわないような……などと考えてしまい、しかしその人物たちの描きかたがバツグンに面白いのでもう何でもええわ、となる。帯文には「ブラックでも青春でもない!」とあるけど、誰より語り手が青春しているではないか。
サッカー部の顧問として、部員の前で何か話したあと、「h-ぁいじょうsh(無声音-ス)」みたいなことを言って締めくくる。「以上!」だとしまりが悪い、「はい、以上です」だと威厳がない、滑舌もあんまりよくない、ということで生み出された「h-ぁいじょうsh(無声音-ス)」。言語化できないバランス感覚の精妙さ。
そういえば、小学生のころ飛び飛びで何冊か読んだ『スラムダンク』のなかで、試合のあとの挨拶をするとき、選手たちが「あ(りがとうございま)したっ!」と叫ぶ、という場面があった(手元にないので、正確な表記は違ったかも)。自分の口のなかで発音してみて、たしかに〈あ〉と〈したっ〉の間に舌が動いてはいるけど、〈りがとうございま〉なんて明瞭な発音じゃないよな、と思ったのだった。井上雄彦も「あr-ぃyぁっしたっ!」とか書いたらよかったんだな、と思ったが、それだとぜんぜん意味わからんか。315/502
12月25日(日)今日も晴。起きてからしばらくぼーっとしていた。昼前になって、今日締め切りやわ、と思い出して始業。地元紙のコラム。夕方ごろようやく完成、即送稿。夜は淸水眞弓『花冷え』を読んだ。角川歴彦の逮捕をきっかけに知った本だったのだが、ゴシップ的な興味で読みはじめたのがもったいないほど良い作品だった。315/502
12月26日(月)快晴。今日も良い天気で、昨日までの寒波は過ぎたらしい。あまり空腹でなかったのでパン一個で朝食として、すこし散歩。帰宅して軽めに作業する。
昼休みに『大菩薩峠』。お玉の協力者、子供ほどの身の丈におじさんの顔、筋骨隆々で、長い竿を武器として操る米友が登場した。異形の協力者、というのも、お玉、主人公力高くない?お玉が主人公で良くない?となる。竜之助があんまり(私にとって)魅力的じゃないからか、脇役が輝いている。それも中里の掌の上かしらん。
お玉は、現金は逃げ出すときに置いてきてしまったが、なんとか手紙を宛先である竜之助に届ける。わたしはもうこの世に望みがないから死んでしまうが、あなたはこの金で目を治してください、くらいの内容。しかし受け取った竜之助は、「死ぬ者は勝手に死ぬ……」と素っ気ない。その薄情さに憤ったお玉が立ち去ろうとすると、竜之助は「まあ待ってくれ」と呼び止めて、お豊と最後に会ったときにもらったとおぼしき銀の簪を差し出した。これって『もののけ姫』の、アシタカが村の娘に贈られた小刀をサンに渡したのと同じでは、と思い、なんか前にも昼休みに似たようなことを考えたな……となる。半年前の四月二十九日、プルーストの語り手が、ジルベルトにプレゼントされたトルコ石のブックカバーと瑪瑙石を、キスを許されたうれしさのあまりアルベルチーヌに差し出していたのだった。その場面は岩波文庫版の八巻『ソドムとゴモラ Ⅰ』に収録されていたが、原書の刊行は一九二一年で、竜之助がお玉に簪を渡した場面(がふくまれる〈間の山の巻〉)の初出は一九一七年。同時代の作品なんだよな。プルーストと中里介山、そして時代を隔てた宮崎駿。ここらへん、比較文学のちゃんとしたひとがちゃんとしたことをどこかで書いてるかもしれない。
マーロウの期間限定のプリンをおやつに食ってから原稿をやり、早めに風呂に入った。夜は大量のキムチ炒飯で満腹になる。346/502
12月27日(火)今日も快晴。暖かい、とまでは言わないけど、昼間は窓全開でも気持ち良い。最近散歩の距離が縮まっていたのだが、久しぶりにやや長めの距離を歩く(といっても家から五分の距離だったのが十分の距離になった、くらいですが)。うれしくてそのまま三十分ほど歩き回る。
年越しは毎年にしんそばを作っているのだが、今年は出来合いの甘露煮ではなく身欠きにしんを買った。甘露煮の作りかたを探したところ、築地の名店の料理長のレシピが見つかり、読んでみると「五〜七日間じっくり煮る」とあって、これでは年越しそばに間に合わないではないか。346/502
12月28日(水)晴。昨日までと違って、ちょっと雲が出ている。書評を書いて送稿、たぶんこれが年内最後の原稿。自分は年に千枚くらい書く、と三島由紀夫がどこかで言っていて、円城塔さんも、ものかきが食っていくには年産四十万字くらい必要、とツイートしていた。それでいうと、今年の私は小説だけで千五百枚くらい書いたので生産量は十分、なのだが、ほとんど長篇だったこともあってまだ世に出ておらず、つまり金になっていない。いやはや。
柿内正午『プルーストを読む生活』を起読。著者は、私が自サイトでプルーストについての文章や日記を公開するきっかけになった文學界の二〇二一年十月(プルースト特集)で保坂和志と対談をしていたし、先行例として認識はしていたのだが、ようやく手に取ったもの。
「小説とは、それが読まれる時間の中にだけ立ち現れる時間芸術だ。音楽や映画と同じように、読んでいる時間の中にしか小説はない。」と書かれていて、私と小説観がまったく違う。読んでないときに立ち現れてくる小説もある、と私は考えている。むしろ、読了からずっと時間が経って、日常のふとした瞬間にふっと思い出される、のこそが幸せだと思う。小説観の違う人が同じ(めちゃくちゃ長い)作品をどう読んだのか、とても興味深く読む。
百ページほど読んでから『大菩薩峠』。厚い本から厚い本に持ち替えただけだ。紀伊半島でのあれこれに一段落ついて、人物たちは皆それぞれの理由で再び東、江戸を目指す。
虚無僧に変装した竜之助は、お玉や米友とはぐれたムク犬とばったり出会い、「よし、おれの眼の見える間は跟(つ)いて来い、眼が悪くなった時は、先に立っておれの導きをしろ」といっしょに歩きはじめる。「犬が竜之助を慕うのか、竜之助が犬を愛するのか、桑名の城下、他生の縁で犬と人とに好みが出来ました。この二つがどこまで行って、どこで別れることであるやら。」と地の文もいう。お玉の従者として彼女の主人公性を支えていた(と私が思った)ムク犬が今度は竜之助に付き従う、というのは、ここからしばらく竜之助を中心にエピソードが転がっていくのかしらん、と思ってたら、同じページですぐに、「浜松へ入って、ふと気がつくと、いつのまにかムク犬がいないのです。」とあっけなく別れてしまった。
虚無僧は深編笠を被り、尺八を吹いて喜捨を乞いながら巡礼をするものなので、顔を隠して旅をしながら路銀を稼ぐのに都合が良いんだな。と思ってたら竜之助は旅の途中、知らん武士に、こっち来てなんか吹け、と言われてノコノコついていく。でも定番の簡単な曲しか吹けないもので、武士の一人が「その尺八を貸せ」と巧みな演奏で座を盛り上げ、「その方へのお礼ではない、尺八の借賃じゃ、取っておけ」とおひねりを突き出してくる。コケにされたと思ったのか、竜之助、尺八を貸したかわりに「あの竹刀を一本お借り申したい」「竹刀を? それは異な望み、虚無僧が竹刀を持って何をする」「お前の頭を打ってみたい」といきなり喧嘩を売る。なんのために変装してるんや。地の文も、「ああいけない、こんなことを言い出さねばよかった。ここで堪忍したところが竜之助の器量が下るわけでもあるまい、またこの人々相手に腕立てをしてみたところで、その器量が上るわけでもあるまいに。」とあきれ顔だ。
夜、身欠きにしんを戻すために米のとぎ汁に浸けて、ペペロンチーノを作る。そのあと、中高の友人たちとオンライン忘年会。数年ぶりの人もいる。最初は楽しく話していたのだが、だんだん酒の回ってきた一人が、まとめサイトとネットニュースを論拠とした人種差別&排外主義&女性蔑視全部盛りのヘイトスピーチをおっぱじめる。それは差別だろ、と指摘されても、おれは保守だからよ、と胸を張ってみせていて、こういう人が杉田水脈を当選させてるんだな……となった(彼は鳥取在住で、杉田は比例中国ブロック選出)。うんざりしたので離脱。仕事の打ち合わせも一対一が多いし、複数人でおしゃべりするのは久しぶりで、なんか疲れてしまった。377/502
12月29日(木)晴。年内最後の原稿提出をしたので、いくつかメールのやりとりはしつつも、年末の雰囲気。今日も原稿をやったし、明日も明後日もやるのだろうから、仕事納め、という感じではないが、とはいえ、次の締め切りまで時間もあるし、のんびりやる。
昼食にお粥をつくって『大菩薩峠』。竜之助は完全に目が見えなくなってしまい、行き合ったお絹という女に手を引かれて東を目指す。一方米友は、盗っ人の濡れ衣で処刑(崖から突き落とす!)されたものの一命を取り留め、はぐれたお玉を探してさまよう。七兵衛は〈がんりき〉という怪しい盗賊と組んで悪さをしようとするが、お絹と行動を共にする竜之助を見かけ、彼を殺そうと動き出す。主要登場人物がそれぞれの場所でそれぞれに行動していて、全体を把握するのがたいへんだ。
お玉(本名はお君)はお松といっしょに船で江戸を目指していたが、船酔いがひどいので途中で下船、徒歩で東に向かおうとしたが慣れない道で何度も迷い、絶望して自殺しようとした、ところであのムク犬が現れて元気を取り戻す。私にとってこのムク犬は今や主人公を証する印のようなものになっていて、やっぱりこれはお玉の物語なんや!となった。
お玉、ここからは地の文でも〈お君〉と呼ばれる彼女は、もともと芸人なので、三味線が一本あれば路銀には困らない。ここらへんは、尺八もおぼつかず、武士と不要な喧嘩をする竜之助とは対称的な描きかただ。そしてお君とムク犬は、今度は米友が兵馬と喧嘩をしてるところに行きあう。お君と兵馬は面識があるから、彼女に免じて兵馬は刀を引っこめて去っていった。これでお君と米友、ムク犬という、(私にとっての)主人公パーティが揃った!とうれしくなった。
午後は〈夢水清志郎〉の四巻、『魔女の隠れ里』。第Ⅰ部、〈休憩〉、第Ⅱ部の三つのパートに分かれていたが、どれもトリックはおおむね憶えていた。それは、私の記憶力が良いとか、初読時は小学生で脳がやわらかかったとかじゃなく、単に何度も読んだからだ。
私が通っていた小学校では、五年生の冬に〈雪の学校〉と称して氷ノ山でスキー合宿をしていた。その筋肉痛も残ってるうちに読んだから、『魔女の隠れ里』の第Ⅰ部「消える足跡と幽霊のシュプール」の、A高原でスキーをする描写が、すごく解像度高く読めた、ことも憶えている。
〈雪霊の藪〉伝説の謎を解いた教授は、謎が解けたからといって藪を切り払ってはいけない、と言う。「雪霊の藪は、大昔からA高原にあった。人は尊敬の念を込めて伝説をつくった。いいかい、そのころの人たちは、自然と共存していこうとしていたんだ。藪を切りはらうことは、共存することにはならない(…)この厳しい自然の中で、人間は自然とともに生きていこうとした。本能的に知ってたんだろうね、自然を人間の都合のいいように変えてはいけないってことを(…)雪霊の藪を切りはらってはいけない──これが、ぼくの謎解きと忠告だよ」
その言葉を聞いて、語り手の亜衣はこう述懐する。「今のわたしには、難しい言葉だった。でも、いつかわたしが大きくなったとき、教授の言葉が理解できそうな気がした。」
スキーの描写もトリックも憶えていたが、教授の台詞と亜衣の受け止めは完全に忘れていた。亜衣より幼かった当時の私にとっても難しい言葉だったのだろう。すっかり大きくなった私は教授の言わんとしていることを理解できた、が、そう自覚するのは雪の溶けたスキー場みたいに寂しいことだった。
二つ目のパート〈休憩〉は、謎解きだけじゃなく、羽衣の夫(三姉妹の父親)一太郎の、洗濯槽は大きいほうがよく、脱水槽は小さいほうがよい、だから自分は全自動洗濯機を認めない、という信念にしたがって二槽式の洗濯機を使っている、というのも憶えていた。当時は、二槽式の洗濯機ってのも世の中にはあるんだなあ、くらいに読んでいたが、今では、自分の信念のために配偶者に面倒強いるやつは駄目、と考えるようになった。価値観がアップデートされたのは良いこと、なのだが、狭量になっているということでもある。そういえば羽衣母さんはカレールーを小麦粉から手作りしていたが、それも一太郎の〈信念〉によるものなのかもしれないな。
美衣は朝のうちに〈ふつうの新聞が三紙、スポーツ新聞が二紙、経済新聞が一紙、英字新聞とフランス語の新聞が一紙ずつ〉、合計八紙を読む。彼女は、『そして五人がいなくなる』の時点では、数はわからないけど、〈日本語の新聞以外にも、英語とドイツ語とフランス語の新聞も、毎日読んで〉いたはずだ。
『五人』は中一の夏休み、『魔女』の〈休憩〉は、いつとは明示されないけど、第Ⅰ部(中一の三学期)と第Ⅱ部(中一の三月末)の間の出来事、と考えるのが自然だろう。夏から冬にかけて、美衣は独語新聞の購読をやめた、ということだ。中学に入って忙しくなり、ドイツ語を学ぶ時間が取れなくなったのかもしれないし、新聞ではない学びかたを選んだのかもしれない。あるいは、購読数の上限が決められていて、日本語の新聞を増やすためにドイツ語新聞を諦めた、という可能性もあるか。
第Ⅰ部で登場した雑誌編集者の伊藤が、第Ⅱ部でも教授と三姉妹をミステリの舞台に導く。教授の家に現れた伊藤は、三姉妹と顔を合わせてこう言う。「あれ、亜衣ちゃん、真衣ちゃん、美衣ちゃん。ごぶさたぶりやね」私はこれを読んで以来、久しぶりに会う人には「ごぶさたぶりやね」とエセ関西弁で言うようになったが、その都度この台詞を、それを聞いた亜衣の「ごぶさたぶり? 「おひさしぶり」と「ごぶさた」を、合わせた言葉かな。」という述懐を思い出していた。
次第に記憶も薄れていって、昨日のオンライン忘年会のときも「ごぶさたぶりやね」と言いはしたのだが、これは「ごぶさた」と「おひさしぶり」の合成語なんだんだよな、と、場面ではなく情報としてしか思い出さなかった。
大学院の授業中、芳川泰久教授が、大人になったら授業の内容は雑談しか憶えてないものだ、と言っていた。授業の内容を自分の知識のなかに組み込んでしまえば、あの先生がこう言ってた、というエピソードが解体されて、本筋から遊離したこと──つまり雑談だけがどこにも取り込まれずに残るからだ、と。私はそういう芳川先生の授業を、このワンエピソードしか憶えておらず、しかしそれは私が彼の授業内容を体系化できたということではなく、真面目に話聞いとらんかっただけだな。
今回の行き先は笙野之里という鄙びた村の旅館で、事件の予告を受けた上越警部も訪れていた。その旅館は、彼の尊敬する南雲警部(故人)が、現役時代に解決できなかった事件の舞台でもあるのだという。その警部の無念を晴らすために来たのか、と尋ねる亜衣に、警部は迷いながらもこう答える。「たしかに、それもあるかもしれんな。だけどね、お嬢ちゃん。わしは、ひとりの警察官として、純粋に笙野之里の事件を解決しようと思って来たんだよ」それを受けて亜衣は考える。「なるほど。やっぱり上越警部はプロだ。/わたしは、誰かのために仕事をしてるっていう人を信じない。仕事は自分のためにするっていうのが、本当のような気がする。」
英語圏の人と仕事をして、Thank you.と伝えると、(英語の授業でThank you.の返事として教えられたYou're welcome.ではなく)My pleasure.と返されることがある。感謝の気持ちに対して、You're welcome.だと、自分の行為の由来をYouに帰しているのに対して、My pleasure.は、自分のためにやってる、みたいなニュアンスがある。客に「すいませーん」と呼ばれた居酒屋の店員が「よろこんで!」と絶叫しながら駆けつけるのはグロテスクだが、My pleasure.にはなんというか、おれは自分のために仕事をしているんだ、という内発的なゴキゲンさがある。労働についてのこの感覚も、大きくなってから再読したから見えたことだ。
しかし〈誰かのために仕事をしてるっていう人を信じない〉と考える亜衣が「じゃあ警部は、その南雲警部さんのためにここへ来たんですか?」と訊くのは、子供が大人を試している感じがして、ちょっとこわいな。
途中でケンタッキーの、スヌーピーのマグカップがついたやつをウーバーイーツで頼んだり、一時間くらい昼寝をしたりしつつ、夜までかけて読み終えた。そのあと、いい感じに戻ったにしんを甘露煮にする。これ自体はただ調味料を合わせて煮込むだけなので、やってみるとけっこう簡単なものだ。来年もやりましょう。昼寝をしたりのんびり読書をしたり、冬休みらしい一日だったな。夜更かししてしまった。414/502
12月30日(金)快晴。今日もちょっと暖かいくらい。遅くまで寝ていた。午前中は作業をして過ごす。
年末年始に読むつもりの本を机のちかくに十冊くらい積んでいて、そうやって気合いを入れたときだいたいそうであるように、思ってたほど読めていない。そもそも私はいまカレンダー通りに出勤するタイプの仕事をしていないのだから、年末年始だからって休みというわけではない。わけではないが、二十四時間三百六十五日いつでも仕事をしうる、というのは、仕事をしてない時間はすべてサボり、みたいな無意味な罪悪感を抱いてしまいかねない。だから盆とか正月とか、まあこの時期くらいは……みたいなときに一週間くらい休暇を取ることにしていて、しかしなかなか、腰を据えて休む度胸がないんだよな。
午後、冬休み中に全話観られるかしら、と思いながらU-NEXTで『エルピス』を観はじめ、トイレや、飲みものを取りに行ったりする以外に休憩も挟まず、最終回まで観てしまう。眞栄田郷敦の目がギレンホールみたいでめちゃ良かった。観終わったころには午前二時、力尽きて寝。414/502
12月31日(土)雲の多い晴。朝から家でゆっくり。今日は作業もほどほどに、昨日の日記を書いたり、読書をしたり。新聞を取りに行った以外は家にこもる。
今年はパニック障碍と雇い止めという、理由としてはネガティヴなことばかりながらバイトを辞めて専業になり、司書の資格も取った。生活が大きく変化したが、何より心身の状態がひどい一年だった。体調の良い日もあった気がするが、それは日記にそう書いた記憶がうっすらあるから思い出せるだけで、今こうして振り返ると、一年間のほとんどが発作とその予兆、頭痛と吐き気に覆い隠されて、良い出来事が浮かんでこない。
仕事のことを振り返ると、「明日から今日まで」の自サイトでの連載が終わって、小説をぜんぶで千五百枚くらい書いて、イベントにも出、もちろんコラムやエッセイもいろいろ書いた。生産量でいえば悪くなかったのだが、主戦場であるはずの文芸誌(なんせ私は〈文学界では常連〉なのだ)に掲載されたものは一枚もない。これはいけません。
昨日阿川せんりが「今年こそは前に進みたいと言いつつも客観的には昨年同様停滞の一年でした。内的には進歩したつもりなので、来年こそは目に見える作品を、と思います。/それでは、よいお年をお迎えください。」とツイートしていて、おれもそれやわ、となった。北大文芸部の同期として知りあって、同人誌もいっしょにやり、相前後して商業デビューした私たちは、今年はおたがい停滞しながらも、それぞれにもがいていたのだ。来年もバンバって、おたがい飛躍の年にしましょうね、となった。
ここ数年の大晦日はだいたい紅白を観ていて、今年もなんとなく観。あいみょんという歌手の曲を、私はこれまでCMとかでワンフレーズ流れてるのを聴いたことしかなく、しかし私はこの人の曲をまともに聴いたら抗いようもなく好きになってしまう、という確信があり、二〇一八年に紅白に初出場したときからずっと、あいみょんの出番だけは観ない、というなぞの行動を繰り返している。今回あいみょんが歌ったのは「君はロックを聴かない」だそうで、もうタイトルからだめなんですよね。私がこんなタイトルの曲好きにならんはずがないじゃないですか、と、ほとんど憤りに近い感情である。
あいみょんが画面に映った瞬間にテレビの前を離れて、大音量で「マッチョドラゴン」を聴きながら年越し蕎麦を作った。身欠きにしんから甘露煮を作る、というのができたので、次の目標は顆粒だしを使わずにめんつゆを作る、というところかしら。いずれは蕎麦も手打ちで作りたいところだが、蕎麦打ちというのはきわめて精神的な営為であるので、まずは心身を健康に整えてからだな。
ズルズル啜りながら安全地帯。玉置浩二の顔立ちや歌唱中の表情のつくりかたが、『エルピス』に出てくる松本死刑囚に似ていた。似ている、といえば、『エルピス』でADの一人を演じてた篠原悠伸という役者さん、『花束みたいな恋をした』にも、たしか麦くんの友人として出ていた。どちらも役名が記憶に残らないくらいの役柄で、しかし彼の存在感だけは強く印象に刻まれている、というのはすごいことだ。
しかし『エルピス』、全十話を一気に観たので、連続ドラマというか、長篇映画(合計だいたい七時間半、というのは『サタンタンゴ』と同じくらいの長さだ)を観た感覚だった。『エルピス』は十週間にわたって一話ずつ、CMを挟みながら観ることを想定して作られた。でもそうやって飛び飛びに観ていたら、眞栄田郷敦演じる岸本が一話の序盤と最終話のエピローグでチーフプロデューサーの村井にナッツか何かを投げつけられるシーンとか、これも一話の序盤で村井が「フライデーボンボンはさ、パンチラなの。牛丼屋の紅ショウガ。なくてもぜんぜんいいんだよ。なくても世界は回る。だけどあるとうれしい。あるとこう人生が、こうほっこりする」とくだを巻き、そういうニュアンスの台詞を何度か口にしていたことが、最終話で浅川恵那と岸本の主役二人が牛丼を食いに行き、そこで岸本が浅川の牛丼に紅ショウガをたくさん載せてあげるシーンに繋がってる、みたいなのには気づかなかったかもしれない。もちろん私は一回だけ、それも後半はちょっと疲れながら観ていて、きっともっとたくさん仕込まれているだろうあれやこれに気づいていない。
例年の大晦日は、基本的に紅白を観つつ、知らん歌手のときはほかの特番も観る、みたいなことをやっていたのだが、今年は(あいみょん以外)ずっと紅白を観ていた。司会の桑子真帆さん、ふだん『クローズアップ現代』で真面目な顔をしているところしか観ていなかったのだが、今日は終始笑顔で、画面に映るたびにうれしくなってしまう。あいみょんさえ避けていれば安全、くらいに思っていたのに、思わぬ伏兵だった。ワールドカップ・カタール大会がメッシのための大会だったように、終わってみれば今回の紅白は桑子さんのための番組だった。414/502
1月1日(日)快晴。今年は良い年にしたい、と思いつつ、なかなかタフな頭痛で目覚める。「今日は昨日の続きで、明日は今日のあとにあり、すべての一日はゆるやかにつながっている。」というのは私がスズキロク『よりぬきのん記2021』の解説に書いた言葉だが、実際そのとおりで、べつに年が改まったからといってケロッと元気になったりはしないのだ。
たまらずロキソニンを飲み、親戚から送られてきた中華おせちを食ってひと休みしてると、だんだん楽になってきた、ので始業。まだ冬休みなので、あまり頑張りすぎないように。
そういえば『エルピス』、浅川恵那が深夜の情報バラエティ『フライデーボンボン』のなかで担当してるコーナーは〈エナーズ・アイ〉というのだけど、彼女の名前にちなんだコーナー名ならべつに〈エナズ・アイ〉でもいいはずだ。この長音記号はなぜ入れられたのだろう。
ワールドカップ・カタール大会のロゴは、FIFA WORLD CUP Qat_ar 2022みたいに、tとaが一文字分離れていて、tの右下とaの左下が線で結ばれていた。あれはたぶんアラビア文字の続け書きの筆跡を表現してるんじゃないか、と思うのだが、〈エナーズアイ〉はどうなのか、『エルピス』の第六話は同大会のカメルーン対セルビアの影響で通常より十五分繰り下げられて放送されたという(私は三対三で終わったその試合を、親子丼を食べながら観ていた)が、〈エナーズアイ〉の長音記号はQat_arの線と、まあ関係ないか。
昼休みに『大菩薩峠』を進読。がんりきは上手いこと竜之助とお絹に取り入って三人で東に向かっていた、が、甲州に入る峠でふと、前科者の証である腕の入れ墨を駕籠舁きたちに見られてしまう。すると竜之助がとつぜん刀を抜いて、がんりきのその腕をたたき斬る。この人はほんとうに何の前ぶれもなく刀を振るなあ!
がんりきはお絹と二人で逃げていった。残された竜之助は目が見えないこともあって動き回りもできず、喉の渇きで気を失ってしまう。しかしすぐに行商の女たちに拾われて、そのなかのお徳という女と行動を共にする。
一方七兵衛は兵馬に付き従って東を目指している。二人はともに竜之助を仇として狙っているし、二人はお松という存在で(兵馬は恋心、七兵衛は親心で)結ばれてもいる。そして川を渡ろうとした二人は、入れ墨のある腕──斬り落とされたがんりきの腕が流れ着いているのを見つける。なんせ二人の仇はすぐ喧嘩とかするから、あいつはこっちにいるのでは、と上流に向かうことにする。
これほど広範囲を舞台にしていると、各地に散らばった主要人物それぞれの行動を追うだけだと話が拡散してしまうから、無数の偶然(物語的には〈宿命〉と呼ぶべきか)の力でもって彼らを一箇所に集めてでかいイベントを起こす必要があるのだな。
宿命、といえば、ひのなつ海『あかいろ交差点』という漫画は、現代の高校が舞台のラブストーリーなのだが、蒔田恵太と大原たまきという二人の主人公の小指は、(大原にしか見えない)赤い糸でつながっている。そんな糸なんかに人生を左右されるのがいやで大原は蒔田に冷たく接し、しかし蒔田の人間性に次第に心が溶かされていく。
赤い糸は、つながれた二人が恋愛関係をむすぶよう、何かと二人が行動を共にするように導いてくる。無意識に同じ場所に向かったり、片方が何かの係に立候補するともう片方も手を挙げてしまったり。〈運命〉という便利な言葉の理不尽を可視化したモチーフで、とはいえ蒔田と大原は、最後はいいかんじに結ばれて終わるのだろう、と思いながら読んでいる。この、とかくお互いをつなげたがる糸、というのは、たとえば街道を歩いてたらなんか人間の腕が流れ着いてるのを目撃しちゃうような偶然の導きと、すこし似ているような気がするが、そうでもないか。
午後、去年の日記にすこし加筆。昨日までの『エルピス』についての記述は、「村井が『フライデーボンボン』を牛丼屋の紅ショウガに喩えてた」くらいの書きかたをしてたのだが、せっかくだしちゃんと引用しよう、とU-NEXTで確認してから、瑛太の初登場シーンを二度繰り返し観てしまう。
それから新年一冊目としてマーティン・ウィンドロウ『マンブル、ぼくの肩が好きなフクロウ』。新年一冊目はこういうハートウォーミングなのが良いですね。クウィープ! 451/502
1月2日(月)晴、昼間にすこしだけ曇った。初夢は飛行機で帰省する夢だった。里心がついてる、というよりは、飛行機で帰省というのが、パニック障碍でできなくなったことの象徴になっているのだろう。鳥取くらいのんびりしたところで暮らせばきっとパニック障碍は寛解する、が、鳥取に移動するにはパニック障碍が寛解する必要がある。正夢になってほしい。
起き上がって軽めに作業して、朝食兼昼食としておせちを食べる。『マンブル』読了、散歩をしてからシチューを作ってはやめに入浴。
『フライデーボンボン』では、いかにも深夜番組らしく、若くて見栄えのよい女性が〈ボンボンガールズ〉というグループ名で何人かひな壇に座らされている。そのメンバー・あさみを岸本が口説いたのが『エルピス』の物語の発端だった。あさみはそのときの会話を録音して岸本の弱みを握り、有利に立ち回ろうとした。で第五話で岸本は、「バラすよ、きみがおれをはめようとしたこと。もうこの仕事、できなくなると思う」とあさみを脅して、番組内で冤罪事件についてのVTRを放映することに協力させようとする。
しかしあさみは、「でもわたし、あんがい今日の岸本さん、きらいじゃないですよ。燃えます、わりと」と言って、かつては駆け引きのコマに過ぎなかったはずの岸本を好きになってしまう。二人でホテルに入って、あさみがシャワーを浴びてる途中、岸本は浅川からの呼び出しを受けてファミレスに行ってしまった。アー残念だったね、と思って観ていたのだが、そのあとで岸本とあさみは交際をはじめていて、ホテルでシャワー浴びてたら他の女に会いに行きやがった、のに、いいの……?となったのだった。
いいの、というのは、私ならそんなやつとつきあいたくないな、ということなのだが、もちろん私がどう感じたかというのは、あさみが誰とつきあうかにはまったく関係ない。
けっきょくあさみは、岸本が事件の調査に忙殺されてろくにデートもせず、あげく会社をクビになったことで幻滅して別れたという。セックス目前でほかの女のところに走ったやつとは交際するけど、一緒に過ごす時間が少ないのは受け入れられない。そういう感情もまあ、あるか。とはいえ、それも浅川に言ったことなので、どこまで本心かはわからない。
もしあさみが、岸本があの日ホテルから出たのは浅川との調査のためだったということを知っていたとしたら(岸本が情けないかんじで釈明するのを、そんなシーンはなかったのに、観たように頭に思い描けてしまう)、あれはあさみから浅川への、おまえ(との調査)のせいで別れたんだ、という当てつけだったのかもしれないな。そういうことを漫然と考える。
岸本とあさみの恋愛風景はほとんど描かれていない。でも、下北沢のぼろいビルの屋上の、違法建築っぽいバラックでの蜜月のシーンが数分間だけ映されていて、それはなんだかすごく印象に残ってるんだよな。「もー、なんでここエレベーターないの?」「それが安いんだよね」「ねえこれ持って」「景色良くない?」「えー?」というやりとりとか、たぶんセックスのあと、あさみが岸本の顔のあちこちにキスしながらくすぐったいところを探すシーンとか。岸本はほんとうに幸せそうだった。
そのあと彼は調査にのめり込んで、友人に「まじ別人じゃん」と言われるほどにやつれ、浅川には「なんかほんと、感じ悪いよね、きみ最近」と呆れられるほどに性格も変わってしまう。家でご飯を食べながら、浅川がテレビで事件の続報を伝えるのを凝視して、あさみが誰かと電話をしているのにも気づかない。岸本はもっとあさみとの時間を大事にしていれば、心の均衡も保てていたのではないか。それだと冤罪は解決できなかったか。346/502
1月3日(火)快晴。まだ初詣に行ってない。
鳥取に住んでたころは、祖父母の家の近くのちいさな神社で初詣をしていた。ふだんは市内の違うエリアに住んでいたから、その神社に行くのは年に一度だけだった。明治神宮とかの行列とは比べものにならない、たぶん実家のある集落の住民だけが参るような、人に会うほうが珍しいくらいの静かな神社。鳥取で神社というと宇倍神社とか白兎神社だったが、初詣に行ったことはない。今年は卯年だからか、白兎神社が混んでるらしい。
札幌では初詣、しなかった気がするな。七年住んで一、二回、北海道神宮に行ったかもしれない、というくらい。明治時代に作られた街だから、身近な神社、みたいな感覚で参れる場所がなかったような。
朝食の途中でひどい吐き気に襲われて、そのあとは伏せる。読書すらできず、床でずっと耐えるだけの数時間のあと、夕方ようやくすこし回復。夜は録画してた『ブラタモリ』と『鶴瓶の家族に乾杯』のコラボ番組で、タモさんと鶴瓶さんが江ノ島に行く回。江ノ島、一度だけ行ったことがあるので、解像度高く観られた。346/502
1月4日(水)快晴。今日もなかなかタフな不調で、昼ごろまでベッドで身体をまるめて耐える。三十分ほど気絶するような昼寝をしてから峯岸みなみの『しくじり先生』を観て、今度は三時間ほど寝。だいぶ楽になっていた。ひと安心して、ウーバーイーツでマックの新しいやつを頼んでまたテレビ、『100分deフェミニズム』。ハーマン『心的外傷と回復』を読まなければ。読むものが増えた。346/502
1月5日(木)快晴。けっこうぐっすり眠れた。だいぶ回復して、吐き気も目眩もほどほど。すこし(十分くらいだけど)散歩もできた。また一から行動範囲を広げていきましょう。
始業前に斎藤環が書いた『100分de名著』の中井久夫回のテキストを読了。「分裂病の回復は登山でいうと、山を登る時でなく山を下りる時に似ています。」という中井の『最終講義』の一節を引いて、斎藤はこう書く。「この例えは、単なる比喩ではないと私は考えています。回復期には、山を自分の足で一歩ずつ下りるように、患者本人が回復の過程を理解することがとても大切です。」
私はパニック障碍という病気について、ぜったいにおまえのことを小説化して金を稼いでやる、という意識でなんとか耐えている。小説を書くには回復しなければならないし、その過程を理解して、記憶・記録する必要がある。いまはまだ(いまだに)私が耐える局面だけど、いずれ反攻してやるぞ、と、このテキストを読んで思えた。
昼休みに『大菩薩峠』の一巻を読了。竜之助は、お浜を殺した直後は「自分を誤ったのがあの女の罪か、あの女を誤らせたのが自分の罪か」と述懐していたが、本巻の終盤では、自身の女性遍歴をこう振り返っている。「おれは女というものではお浜において失敗(しくじ)った、お豊においては失敗らせた、東海道を下る旅、道づれになったお絹という女、あの女をもまた、おれはよくしてやったとは思わぬわい。おれは女に好かれるのでもない、また嫌われるのでもない、男と女との縁は、みんな、ひょっとした行きがかりだ、所詮男は女が無くては生きて行かれぬものか知ら、女はいつでも男があればそれによりかかりたいように出来ている。恋というのは刀と刀とを合せて火花の散るようなものよ、正宗の刀であろうと竹光のなまくらであろうと、相打てばきっと火が出る、一方が強ければ一方が折れる分のことだ。おれをここまでつれて来て湯に入れてくれる女、それはあの女の親切というものでもなければ色恋でもなんでもない、ちょうどあの女が夫を失うて淋しいところへ、おれが北から、その寂しさをおれの身体で埋めようというのだ、(…)おれには人の情を弄ぶことはできない、親切にされれば親切にほだされるわい。いっそ、おれは、あの女の許へ入夫して、これから先をあの女の世話になって、山の中で朽ちてしまおうか」。そんなふうに思ってたんですねえ。
川又堅碁がジェフを退団した。けっきょく今シーズンは二試合、どちらも試合終了間際の数分間の出場に終わっていた。私と生年月日が同じで、今年で三十四歳になる。もともと二〇一九年の冬、移籍先が決まらず、練習生としてジェフのトレーニングに参加して、ようやく契約にこぎつけた。一年目はそれなりに試合に出て六点取ったけど、二年目は怪我の影響で出場なし、三年目は十分足らずの出場で得点ゼロと結果を出せず、このまま引退してしまうのでは、と危惧しながらプレスリリースを開く。「一時期引退も頭によぎりましたが、また全力でプレーしゴールを決めるため、手術を決意しました。Jリーグのピッチに戻れるようリハビリから頑張ります。」と書かれていて、いやほんと、安心した……。お互いバンバっていこうな、と(なんせ同年同月同日生まれなもので、一面識もないのになれなれしく)思う。502/502
1月6日(金)晴。うっすら雲がかかっている。次は長篇を書く予定で、その下準備をもくもく続けつつ、休憩がてら、年末年始に読むつもりでぜんぜん読めなかった本を読んでいく。
十一月の文フリで、ODD ZINEのブースに、かつて水原涼に小説を書くよう促された、それが完成して同人誌を作ったから水原に渡してほしい、と訪れた人がいたらしい。で、主宰の太田靖久さんがそれを私に送ってくれた、ものをようやく手に取る。百目鬼祐壱『みりん、キッチンにて沈没』。そういう会話をしたことを、ぜんぜん憶えてないのだが、タイトルが良いので期待して読む。
中身もたいへんに良かったですね。あとがきでも作品の着想源に言及してるし、たしかにそのへんの影響を感じるけど、独自の文章というか、ヴォイスを持ってる書き手だ。表題作がいちばん好きだったが、「マッチ」が(あいみょんがだめなのと同じように)だめだった。私は青春恋愛日本小説をいつか書くぞ、ともくろんでいるのだが、「マッチ」は、自分がやりたい空気感を先にやられた感じがしたな。私も良いもん書かねば。
矢野利裕さんは『学校するからだ』のなかで、悩める中高生に「天下取っちまえ」とか「パンクバンドを組め!」とか言っっちゃった、と自虐的に書いていたが、私は二十代のころ、かつての矢野さんみたいなノリで「小説を書け!」と言っていた。そして矢野さんの発破がいまいち不発だったように、私に言われて小説を書きはじめたなんて人はいなかった、ので、こうして、その言葉が本のかたちを成して返ってきたのが、いたくうれしかった。
午後は『大菩薩峠』の再読。もともとかなりスピーディに読める作品ということもあり、すごい勢いでページをめくっていく。
『エルピス』は私にとって、『人にやさしく』、『GOOD LUCK!!』、山田孝之の『ウォーターボーイズ』、『オレンジデイズ』、『ゲゲゲの女房』に次いで六作目の連続ドラマだ、と、放映順を調べながら並べてるうちに、そういえば新之助時代の海老蔵(でもないのか、もう)が出てた『武蔵』も、たぶん何話か逃しながらも観たんだった、と思い出す。二〇〇三年の作品が多いな。マイブームだったんだろうか。
『エルピス』の、瑛太の初登場シーンをまた観。彼は『ウォーターボーイズ』でも『オレンジデイズ』でもメインキャストだった。瑛太がやってる店のある商店街に浅川が迷い込んだ時点で、紫の照明でめちゃ怪しい雰囲気になっていて、骨董屋の奥に座ってる瑛太のたたずまいもめちゃ怪しい。こういう怪しくて顔の良い役は斎藤工にやらせればいいんだよ、くらいに初見時は思ったものだが、斎藤工はきれいすぎるんですよね。浅川に顔を近づけて、「そもそも──あなた誰なんです」と浮かべるいびつな微笑み、そのときかすかに漏らす吐息のhの不気味さよ、あのhは瑛太にしか出せない。『エルピス』でいちばん好きなシーンだ。187/502
1月7日(土)晴。昨夜めちゃ寒いのに『プルーストを読む生活』を夜中まで読んでいて、手がかじかんだまま寝た。だから、というわけではないが、起きたときやや吐き気がして、とはいえ七日だし、と七草がゆを作ったところ、数口食べたところでもう喉を通らなくなる。参ったなあ。
昼ごろに楽になって、七草がゆの残りと、ウーバーイーツで頼んだ良い台湾料理。あまりにも美味く、満腹になるまで詰め込んでしまう。午前の不調は何だったんだろう。
何だったんだろう、といえば、冤罪事件の企画が潰されて傷心の浅川がヤケ酒を飲んでるところに、鈴木亮平演じる斎藤がやってきて、二人はよりを戻す(このときの鈴木の目が、演技とは思えないほど性欲ムンムンですごかった)のだが、浅川は彼のどこに惹かれたんだろう。顔と身体と、たぶん年収も素晴らしいのだろうが、初登場時から腹に一物がいくつもあるような人間として造形されていたこともあって、ぜんぜんわからん。
主役の男女ふたりが安易に恋愛関係に陥らないのが『エルピス』の良いところのひとつなのは間違いない、が、その裏で描かれるふたつの恋愛(浅川と斎藤、岸本とあさみ)は、けっこう雑というか、そこの感情はあまり掘り下げられていない。ふたつの恋、とりわけ浅川の斎藤への恋は、物語の前提として設定されている。「わたしはこの人を、好きになりすぎてしまった」という浅川のモノローグや「あんがい今日の岸本さん、きらいじゃないですよ。燃えます、わりと」というあさみの台詞で彼女たちの恋情が明示されるのは、繊細な描写をスキップして恋愛を生起させるためだ。
ジャンプとかマガジンのラブコメに対する褒め言葉として、〈ヒロインが主人公を好きになる過程がちゃんと描かれていた〉という定型文があるのだが(曲がりなりにも〈ラブ〉を名乗るなら恋愛の過程を描くのは当然だし、そうやって褒められてる作品でも、ただ主人公になんか一ついい台詞を吐かれただけでトゥンクとしてしまうのが多いのだが)、『エルピス』ではそこはあんまり重視されていなかった。と戸惑っているのは、私がこれまでに観たドラマが、だいたい青春恋愛か人情もの(と武蔵)で、こういう社会派の作品ははじめてだからか。327/502
1月8日(日)晴。夜まで『大菩薩峠』を進読。
浅川と斎藤、岸本とあさみの恋愛について、あんまり重視されていなかった、と昨日は書いたけど、軽視されていたわけではない。岸本の中学時代のいじめ問題とか、十分に主題化しうるのにさほど掘り下げられないままに終わった要素はほかにもたくさんある。
松本死刑囚は最終的に釈放されて、彼を親のように慕うチェリーさんと飯を食う。が、台詞のないその場面では、実際に松本の立場がどうなったのか示されていなかった。と思うのは、たとえば袴田巌氏も、死刑が執行停止され、釈放されはしたものの、再審が結審するまで死刑囚という身分は変わっていないからだ。袴田事件については、エンドロールで挙げられていた参考文献のなかで言及されているようだし、オープニング映像で〈このドラマは実在の複数の事件から着想を得たフィクションです〉と宣言されている、その〈事件〉のなかに含まれているだろう。
浅川たちが明るみに出した〈真犯人〉が逮捕されたかどうかもわからない。松本の逮捕につながる嘘の証言をした男(名前なんだっけ)も捕まっていない。黒幕の大門副総理も最後まで〈副総理〉と呼ばれていたし、岸本に協力しようとした大門亨(副総理の娘婿)が殺された事件がどうなったかもわからない。
この歯切れの悪さが良いんですよね。作中で言われていたとおり、警察が冤罪を認め、確定した死刑判決がひっくり返るケースはきわめて少ない、にも関わらず、本作では、確定死刑囚の釈放が実現している。いま並べ立てたような要素がスッキリ解決してしまったら、それはあまりにも都合が良すぎる。あるいは現実へのブリッジとして、未解決のどす黒さ、を残して終わったのかもしれない。実在の元総理の〈アンダーコントロール〉発言とか、久しぶりに観たけど、ほんとうに醜悪だったな。
寝る前に『グランド・ブダペスト・ホテル』を観。『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』的な脱力系お洒落コメディだと思い込んでいたのだが、あんなアドベンチャーだとは……。たいへんに良かった。479/502
1月9日(月)快晴。ウーバーイーツで頼んだ、一昨日と同じ店の台湾料理を昼に食い、午後に『プルーストを読む生活』を読了した。終盤で『ODD ZINE vol.3』の質問コーナーが、そのなかで私がほかの寄稿者に投げた「小説だけで食べていけてますか?」という問いが言及されていた。
並行して読んでいた太田靖久・友田とん『ふたりのアフタースクール』でもこの問いが言及されている。そもそも私は昨年末、板垣真任のブログで、『アフタースクール』のなかで水原の問いへの応答が示されている、と書かれていたのを読んで、すぐに積読の山から引き抜いたのだった。
『ODD ZINE』での太田さんの回答は「何をしていても「小説」だと思う。」だった。誌面ではそのひと言だけだったが、『アフタースクール』のなかで彼はこの回答を引用して、こう続ける。「小説家だったらホームレスでも王様でもいいと思うんですよ。(…)どんな手段で金を稼いでいてもそれが小説だって言えると思っています。(…)イベントを企画する、本屋と交渉する等々、全部が小説で全部がZINEだということ、これが人生だということ、全部イコールで結ばれるんだというのがわかってきた。」
板垣は、「自分が水原さんだったらその応答に10割うなずくかは分からない。」と書いているが、私は『ODD ZINE』で彼の回答を読んだときも、『アフタースクール』のこの箇所にも、あんまり頷けなかった。そういうロマンの話をしてるのではない。レーチが詩を書かずに「おれの存在そのものが詩なの。」とうそぶくのと同じで、論点をずらされたなあ、という印象だった。理念としては面白いし、子供のころは猛烈に憧れたものだけど。
しかしそれを言うなら、私は何を知りたくてあの問いを書いたのだったか。「食えてますよ」と言われても、そっすか羨ましいな、しか感じなかっただろうし、「食えてないです」という答えにも、だよね!と頷くだけだっただろう(具体的な数字を挙げてくれた伊藤健史さんの回答がいちばんうれしかった記憶がある)。『アフタースクール』のなかで太田さんが言っているとおり、そもそも「今の時代に純文学の作家になるなんて本当に酔狂なこと」で、「基本は経済的に見たらまったくもって割りに合わない」ことなのだ。
けっきょく私は、その号に寄稿した文章のなかで、食えてないから今でも新人賞への投稿を続けてる、ということがいいたくてあの問いを投げたのだろう。当時は毎年電撃文庫の新人賞に応募していた。けっきょく受賞はできなかったが、別のラノベレーベルの編集者とつながることができて、「ラノベを応募するのはもうやめて、書けたら私に送ってください」と言ってもらえたので、今では投稿はしていない。書けてないですが。
『エルピス』第八話で、協力者(と呼ぶのは躊躇われる、腹黒い人間)が送ってきた写真のなかで、瑛太が何かの本を読んでいて、何の本か気になったけど、ほんの一瞬だったしそれより先を観たい、とそのままにしていたのだった、と思い出す。一時停止して拡大するとぎりぎり読めて、佐藤紅緑『半人半獣』(東方社、一九四八年)らしかった。彼がこういう、ちょっとアングラっぽい雰囲気の題の本を読んでいる、というのは、つきすぎなくらい相応しいように思うが、いかんせん紅緑の作品を読んだことがないのでなんともいえない。この本について、『エルピス』のなかでは一瞬ちいさく映るだけで何か言及されるわけでもない。でも私はこの本のことを印象に残し、こうやって版元や出版年まで特定している。『亡霊は夜歩く』の二十数年後に『大菩薩峠』を読みはじめたように、いつか『半人半獣』を読むことがあるだろうか。
夕方すこし散歩して、茶葉蛋を仕込む。夜、手巻き寿司と昼の残りの台湾料理を食いながら『フレンチ・ディスパッチ』。これもたいへんに良かった。しかしオムニバス形式というのは、どのパートも食い足りない感じがしてしまうな。画家のエピソードとか、それだけで百分くらいの作品にできそう。
1月10日(火)晴。散歩してすぐ大菩薩峠文章を起筆。私はふだん、A4一枚に四百字詰原稿用紙で八枚分の文章が入るようなフォーマットを組んでものを書いている。改行の頻度にもよるが、だいたい三千字弱。大菩薩峠文章は、そのフォーマット一枚にぴったり入る長さ、で書いていこうと思う。全十巻の大長篇を一ヶ月に一冊ずつ、今年の十月まで。文學界のプルースト企画のアオリ文に「プルーストを読む経験は、/作家たちの日常をどのように変えるのか──」という一節があったが、『大菩薩峠』を読むことで、私の十ヶ月はどうなるのだろう。
夕食に(まだ残ってた)手巻き寿司などを食いつつ、今日は『ホテル・シュヴァリエ』と『ダージリン急行』。ウェス・アンダーソン・ナイツだ。
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