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大菩薩峠 2023.1.15~2023.2.10

1月15日(日)曇ったり降ったり。午前は『悪魔の詩』の上巻を進読。昼ごろに外出。乾燥か、花粉が飛びはじめてるのか、ひどく目が痒い。

 飯田橋へ行き、十一月に閉館したギンレイホールの前を通りがかる。五年間バイトした場所。まだ取り壊しははじまっていないようで、休館の貼り紙とか、最後にスタッフが書いたらしい別れのメッセージなんかも残っている。いつも座ってた窓口を外から見ておセンチになった。

 用事を済ませて帰宅、千葉雅也『オーバーヒート』の表題作。淫らな描写は巧みだけどレトリックに淫してはいない。上手いなあ。


1月16日(月)雨。冷たい空気。小雨のなかをすこし散歩して、白米と生野菜の朝食。それから始業した。新しい長篇の書き出しがぜんぜん思い浮かばず、書いては消し書いては消し、けっきょく書き出せないままにプロットに手を入れ続ける。

 夜、UFOに賞味期限切れの納豆を突っこんで食いながら『アンソニーのハッピー・モーテル』を観。冷凍庫のなかでブルブル震えるクマール! ゲラゲラだ。


1月17日(火)一日曇、夜に雨。夜までずっと今日が十八日だと思っていた。早乙女ぐりこが昨夜、一月前半の日記を公開している。恋人が〈10億年ぶりに〉できて、これまで(私が早乙女の日記を読みはじめて以来)ずっといちばん親密だった、しかしお互いに恋人や生涯のパートナーとしては相手を見ていなかったT氏に別れを告げた。

 起き抜けにそれを読んですぐ、早乙女ぐりこという書き手のことを教えてくれた人に〈T氏!〉とシェアする。十二月には「俺と飲むより鎌倉殿の続き観たいんじゃないの」とイヤミを言っていたT氏、一月四日に会ったときには『鎌倉殿の13人』の総集編を二度観たと楽しげに話し、「その時間に本編を観るべきだと思う」と書かれたりしているT氏!

 ここまで彼に肩入れして読んできたわけではない、のだが、「T氏、長らくの登板おつかれさまでした。今までありがとう。」ときっぱり退場させられていく後ろ姿に、自分なりに真剣な恋をしていたのに、アルベルチーヌとの恋愛を展開させるための噛ませ犬として扱われていたアンドレを重ねてしまう。強火のアンドレ推しだったからなのか、単純に主要登場人物が作品から消えていく名残惜しさなのか、T氏に親身な気持ち。

 会ったことのない人の日記を読むことは、その人生をコンテンツとして楽しむことだ。不特定多数に向けて日記を後悔するのは、その消費を受け入れることだ。しかし、私が実在の人物であるのと同じように、早乙女もT氏も実在していて、自分にとってはコンテンツではない人生を生きている、ということを、ときどき忘れそうになる。日記やエッセイマンガやPodcastや、自分の人生を題材にした作品はSNSを覗けばいくらでも転がっていて、その先に一つずつ生きてる人の人生があるのだ、と、無数の声の実在に改めて気づかされたかんじ。

 アリアナ・グランデのThank U, Nextで歌われた元恋人たちは、「彼女の幸せを願ってる」みたいなことを言っていたし、歌詞で言及されなかった元恋人、も、戸惑いつつも肯定的なコメントを口にしていた。T氏は早乙女の日記をどう読むんだろうな。

 早乙女の新しい恋人は、「自分のことを文章に書いてかまわないと、早乙女ぐりこが自分のことをどんなふうに書くのか知りたい」と言っているという。私なら、恋人にこう宣言されてしまったら、今後の恋人の行動をすべて、日記に書けるか否か、を考えながら見てしまいそうだ。それは、もし逆の立場で、自分が他人の日記に登場することを知っていたら、日記に書かれ、それが知らん人に読まれることまで意識しながら行動してしまいそうだからだ。

 いつだったか、子供の写真をSNSに投稿したいからと顔が見切れるような構図でばかり撮ってたら、お母さんはわたしの顔きらいなの……?と言われてめちゃ反省した、みたいなツイートを見た。書くこと、が私にとっては大きな比重を占めていて、だからこそ、生活を書くことに奉仕させてはならない、と思っている。私はそう思っているが、植本一子みたいにすべて書くのも恰好良いし、けっきょくはそれぞれの書き手の作風と覚悟と周囲の理解の問題なのだろう。

 しかしどうも、四日に会ったときに早乙女に言われた(かどうかは知らないが)とおりにせっせと『鎌倉殿』の本篇を観るT氏、のことを考えてしまう。別れを告げられるまでの十日あまりでは、全篇を観てはいないだろう。T氏が観る『鎌倉殿』は今後、早乙女との別れの記憶にひたされているのだ。寂しいことだ。


1月18日(水)曇。スーパーの開店時間までウロウロ散歩して、買いものをしてから始業。

 昼、朝食の残りを片づけてから『大菩薩峠』の二巻を起読。お君と米友(とムク犬)は流しの見世物の集団の一員として江戸に入った。お君は楽師として演奏をし、米友は顔を黒塗りして〈印度人〉として槍術を見せていたのだが、その変装が、たまたま客として見世物小屋に来ていた道庵先生(酔っぱらいの医者で、各地でお松や竜之助、そして米友の治療をした)に見破られて逃げ出す。

 しかしこの〈印度人〉、ガンジス川の岸辺で生まれ、身の丈は四尺一寸、その槍で虎を三十八頭、豹を二十五頭、その他猛獣毒蛇を数知れず屠り、ヒマラヤ山麓で猛虎に右腿を噛まれながらもその口から尻まで槍で貫いて殺したことで国王に認められ〈金銀のメタル〉を下賜された、という盛りに盛った設定で、中里介山、これ考えるとき楽しかっただろうなあ。

 けっきょくお君(とムク)は一座に戻って巡業に出、米友は、お絹が甲府で出会った忠作少年といっしょに立ち上げた金貸しの下男として働きはじめる。私にとっての主人公ことお君の一行、なかなかメンバーが固定されないな。

 夜、『余命1ヶ月の花嫁』の文庫を読む。難病を題材にした本、これまでに読んだものだと『世界の中心で、愛をさけぶ』や『君の膵臓を食べたい』も、私にとってはテキストにすぎないという点ではすべて同じ。しかし本書は、ここに書かれているのは事実だという一点において、すさまじい重みを感じる。それはちょうど昨日、早乙女ぐりこの日記を読んで考えたこととつながっているような。映画の予告篇で〈感動の実話!〉みたいな惹句を見ると鼻白んでしまうのだが、しかし実話であるというのは絶対的に強いんだよな。31/532


1月19日(木)曇。朝起きて、クリームパスタを作る。やや便意があったものの散歩に出た、ら、五分かそこらで耐えきれなくなって逃げ帰った。

 長篇の書き出しがようやく定まり、ぐんぐん書いていく。夜はジェノベーゼのリゾットを作る。リゾットは生米から作る派なのだが、米を一合使ったらあまりにも多く、満腹で身動きが取れなくなり、そのまま今日は終了。風呂にも入らない。31/532


1月20日(金)晴。起きてすぐ風呂に入り、『悪魔の詩』を進読。上巻の百ページを越えたあたり(字のちいさい二段組みなので、すでに薄手の長篇くらい読んでる)でようやくチューニングが合ってきて、めっぽう楽しい。そのあとは今日もカリコリ書き進めていく。

 昼食に炒飯を作って(焦がして)から『大菩薩峠』。忠作に集金を命じられた米友、帰り道で夜鷹に絡まれて逃げるとき、大金の入った財布を落としてしまう。が、翌日、その夜鷹が、財布をそっくり返してくれた。忠作はいかにもいけすかない、十四、五歳なのに大人ぶったいやなやつで、それにひきかえ、〈二十文か三十文の金〉で身体を売る夜鷹の正直さよ、と情緒が乱れていき、もうこんな金貸しの敷居をまたぎたくもない、「金は持って来たぞ、そうら、たしかにお返し申すぞ!」と叫んで財布を家のなかに放り投げて逃げ出す。何をやってるんや。

 いっぽう、お君が同行する見世物の一座は、甲府の街で小屋を張る。親方のお角とつかのま母子のようなまじわりをしたものの、木戸番が傲慢なお役人と諍いを起こし、それが広がって小屋は焼失、お角は捕らわれ、死人も出る大騒動になってしまう。この辺の文章はほんとうに扇情的というか、収拾のつかないドタバタを伝える講談の口調だ。いいなあ。

 騒動で気絶したお君は役人の手の者に連れ去られ、しかし愛犬ムクと、たまたま通りがかった兵馬とに救われた。二人はしばらく行動をともにした、が、兵馬はなにより仇討ちをしなければならないのに、お君といつまでも一緒にいるわけにもいかない。去っていく兵馬の背中を見送ったあと、「お君には兵馬の面影が胸を掻きむしるほどに迫って来て、一人では居ても立ってもいられなくなりました。」とあり、ちょうどいま、これを書き写しているときに聴いているのがYMOの「君に、胸キュン。」だったもので、胸キュンかあ、としみじみしてしまう。

 兵馬は白根の街角で、生首がふたつ晒されているのを見る。私の母が山梨県白根町の生まれで、何度か行ったことがあるので、ちょっとうれしくなった。その首は竜之助が、悪徳旗本・神尾主膳の名をかたって悪さをしようとした二人の武士をバッサリ殺したものらしい。竜之助は偽主膳たちの駕籠に乗って甲府に向かったという。ようやく仇の足取りをつかんだ兵馬、すぐに白根をあとにする。私の母の故郷は生首が晒されていただけの土地……。

 甲府に着いた兵馬は、竜之助が主膳の屋敷に入った、ところまで突き止めて手がかりを失う。しかし闇夜に紛れて主膳の屋敷に忍び込もうとすると、七兵衛とがんりきらしい二人が千両箱みたいなものを盗み出している。そして二人を追ってきた屋敷の者に、なぜか兵馬が捕らわれて、牢屋に放りこまれてしまった。

 そのころ江戸では、貧窮組というのが流行していた。困窮した町民たちが集団で街を練り歩き、金持ちの玄関先で酒や食い物をねだり、それを路上で煮炊きして食う、という、統制の行き届いた打ち壊し、みたいなものかしらん。この貧窮組が、忠作とお絹の店に押しかける。

 忠作はなんせ金にうるさいから、「貧乏な奴は日ごろの心がけが悪いんだ、有る時は有るに任せて使ってしまい、無くなると有る奴を嫉んで、あんな騒ぎを持ち上げる(…)鐚一文もあんなのに出すのは御免だ」と言う。宵越しの金は持たぬ、というのが江戸っ子の気風をどれだけ言いあててるのかは知らないけど、こまっしゃくれた小僧の言いそうなことではある。

 しかし小僧にそんな正論をぶつけられたほうはたまらない。「やい、ふざけやがるな、貧窮組を何だと思ってるんだ、ぐずぐず吐すとこっちにも了簡があるぞ」と威圧したものの、「皆さんの方に了簡がおあんなさるなら、了簡通りになさいまし」といなされる。「べらぼうめ、了簡通りにしなくってどうするものか」、「金があるからといってあんまり大きな面をするない」と逆上し、忠作の家屋敷を破壊しはじめる。

 売り言葉に買い言葉、ではあるのだが、「私共は、皆さんが貸せとおっしゃるから貸して上げるだけの商売でございます、なにも皆さんに筋の立たない金を差上げる由がございませんから」と言う忠作のほうに理があるように感じる。ノブレス・オブリージュみたいなものか。貧窮組はあちこちでそういう騒ぎを起こし、しかしその騒動に乗じて屋敷から金品を盗む二人組の盗賊まで現れて、ドタバタしている。

 午後ももくもく執筆。暗くなった夜に散歩して、スーパーで安くなった弁当を買う。『悪魔の詩』を読みながら食って、そのあとは日記を書いたりのんびり過ごした。76/532


1月21日(土)やや雲のある晴。具合が悪く、ずっと伏せっている。頭に負荷のかからない漫画とかで意識を散らして耐える時間。午後、相変わらず吐き気がひどいけどパーッとやろう、とウーバーイーツで頼んだ良い台湾料理を、各品ひとくちずつ食べたくらいで限界がくる。何も喉を通らない。なんとかして気分を変えたくて散歩に出た、が、いっこうに良くならず。夜まで鬱々として過ごし、眠れず。76/532


1月22日(日)曇。タフな頭痛。起きてからもしばらく動けず、昨日のつづきで鬱々としている。

 午後、大学院時代の先輩とLINEでビデオ通話。お菓子を食いながら楽しく話す。こうやって友人と邪気のないおしゃべりをする時間、久しぶりだな、と思ったら、前回この人とビデオ通話をして以来だった。

 そのあと、床暖房をして伏せってるうちに三十分ほど寝ていた。夜はレトルトのビーフルンダンを食って、早めに入浴。そのあといきなり思い立ち、U-NEXTで『ブリジット・ジョーンズの日記』を観。とにかくヒュー・グラントの顔が良い。76/532


1月23日(月)朝は小雨、午後は止む。また遅くまで起きていて、寝起きが悪い。心身の不調がひどく、ロキソニンと気持ちが楽になる薬を飲む。それから洗濯ものを畳んで散歩に出。小雨のなかを十分強の距離まで歩く。だんだん薬が効いてきて、パニックの予兆が薄れていく。帰宅して家事をちょっとやって、始業するころには頭痛もかなり楽になっている。とくにロキソニンは依存性があるから、あんまり頼りすぎるのは危険だけど、こうやって上手くつかっていきたい。

 ヒュー・グラントは、『ノッティング・ヒルの恋人』の撮影中にパニック障碍を発症したという。同作は一九九九年の公開だから、二〇〇一年の『ブリジット・ジョーンズ』のときも闘病中だったのだろう。グラント、武尊、宮本輝、他人の事例は私のつらさにまったく関係ない、と思いつつ、著名なパニック障害当事者についての文章を読んで自分を励ます日々だ。

 午後一時からオンラインでカウンセリング。話していて気づいたのだが、私はとにかく何もしない時間というのを恐れていて、ちょっとでも時間があればスマホでニュースを見たり漫画を一話だけ読んだりしていて、そりゃ気持ちに余裕もなくなるよな。日常に余裕をもつこと、と言うとあまりにも当たり前なのだが、そんな当たり前のことを今までできていなかったのだ。そう気づいたからといって、すぐに何もかもが改善するものではないだろうけど、その端緒になればいい。

 午後はゴリゴリ書き進めていく。カウンセリングのおかげか、単に朝の薬がまだ効いているのか、調子良く筆が進む。ヒュー・グラントは精神安定剤を飲んで仕事をして、『ブリジット・ジョーンズ』の良い演技をしていた。私もひとまず、生活が安定するまではそうやって、薬の力を借りながらやっていってもいいかもしれない。

 夜はスーパーの割引寿司などを食いつつ『ブリジット・ジョーンズの日記』の二作目。とにかくヒュー・グラントの顔が良い。76/532


1月24日(火)。大寒波の日。朝は小雨、昼までにいったん晴れる。夜は雪、という予報だったが、外に出てないので、降ったかどうか。遅くまで眠れず、早朝に頭痛で目が覚め、二度寝する。九時すぎに起きたころには頭痛は弱まっていて、洗濯ものを畳んでいるうちに気にならなくなっていった。

 肩に温熱シートを貼って始業。わりあい調子よく作業をすすめて、カットフルーツとヨーグルトの昼食。二時間ほど昼寝して、そのあとは夕方まで原稿。早めに風呂に入って『「社会正義」はいつも正しい』を読み、夜は『ブリジット・ジョーンズの日記』の三作目。ヒュー・グラントが出ていない……。76/532


1月25日(水)晴。極寒の朝。散歩に出たのだが、手袋を忘れ、指が痛いほどに冷たい。ビルの日陰に、昨夜の名残らしい雪が固まっていた。雪を踏む音が好きだ。

 地元紙のコラムの締め切りを午前のうちに送稿して『大菩薩峠』を進読。米友は財布を拾ってくれた夜鷹の宿にいったん身を寄せる、が、すぐに商家の留守居番におさまる。

 お松は徳島藩の江戸屋敷で女中をやっていたが、兵馬が甲州で捕らわれたと聞いていてもたってもいられない。「深いようで浅い二人の縁、浅いようで深い二人の間、お松にはそれをどうしてよいのかわからない。兄妹のようにして永らく一緒にいたけれど、どうも物足りない。兵馬その人に不足はないけれど、自分よりは仇討の方をだいじがる兵馬が、お松にはどうしても物足りないのでした。」恋ですね。甲州に駆けつけようにも女中の身では難しく、彼女は、七兵衛に誘拐される、というかたちで屋敷を出ることにした。

 七兵衛は旧知の仲であるがんりきに、甲州行きの準備が整うまでお松を預けることにした。がんりきは上野で床屋を経営している。片腕を失っているからあまり現場には出ないが、人をつかってそれなりに繁昌しているよう。いやほんと、読み進めるごとに登場人物の境遇が目まぐるしく移り変わっていくな。

 がんりきはトラブルの仲裁をしてくれた堂庵先生に、お松を匿ってくれないか打診する。そこへたまたま、お君が所属していた見世物一座の頭領だったお角が入ってくる。甲府での大騒動で離散した一座を再興しようと奔走していたが、お君だけが見つかっていないそう。

 がんりきとお角は、過去を知ってる者どうし、鍋をつつきながら慰めあって、ちょっといい感じになっている。ほろ酔いで店から出たところに通りがかったのがお絹だった。彼女にとってがんりきは、竜之助との旅に混ざってきたときからあまり良い感情を抱いてはいなかった、竜之助に腕を斬られて哀れではあるけど、旅の途中なにかと粉をかけてきて、思い出すだにいけ好かない、そんな男が誰か知らんが女とよろしくやっている、一度は自分を口説こうとしたくせに!と嫉妬している。がんりきもモテるんだなあ。

 盗み聞きしてると、どうやらがんりきが堂庵先生に〈娘〉を預けているらしい、とわかる。それで堂庵のところに行ってみると、その〈娘〉というのは、かつてお絹が世話をしていたお松だった! 今日読んだところだけでも、すさまじい偶然の(宿命の)連鎖だ。

 お絹はお松を引き取って、甲州行きの通行手形の申請をしたが、なかなか交付されない。そこへやってきたのがお角で、お松の伯父さん(七兵衛)が甲州行きの準備を整えたから、ということで堂庵のところに迎えに行ったら、お松はここにいる、と聞かされたらしい。お絹はなんせお角が嫌いだから、そんな娘知りません、みたいな態度を取って、そのくせお松に茶を運んでこさせたり、かつてお角が忠作から金を借りたときの証文を持ち出したりと挑発しまくる。火事と喧嘩は江戸の華だ。飛びこんできた七兵衛の仲介でお角は身を引き、七兵衛とお絹がお松を甲州まで連れていくことになった。

 午後、小さいフランスパンを食ってからZOOMで打ち合わせをして、あとはずっと作業。夜になってから散歩、札幌にいたころを思い出す底冷えだ。気持ちいいな。118/532


1月26日(木)快晴。朝食はヨーグルトだけ。散歩がてら百均に行き、紙やすりを買う。セブンイレブンが北海道フェアをやっているので、家から徒歩二分の距離でキリンガラナやリボンナポリンが買えてしまう。たいへんに素晴らしいことだ。

 きのうコラムと打ち合わせに時間を取られていたぶん、今日は長篇をゴリゴリ進めていく。午後、気分転換に木製のカッティングボード(ナイフの傷が多く、黒ずんできていた)を紙やすりで削ってきれいにした。

 夕方、図書館に行き、そのあとは『「社会正義」はいつも正しい』を進読。区切りまで読んで眠くなるまで作業。118/532


1月27日(金)曇。朝の寒さがやわらいでいる。寒波は過ぎたのだろうか。散歩に出、近所のブックカフェでテイクアウト。午前は買ったものをいただきつつ作業。

 昼休みに『大菩薩峠』。再結成したお角の見世物の一座を、お君の行方を案じた米友が訪れる。しかしお絹とのキャットファイトで苛立っていたお角にけんもほろろに追い返されて、橋のうえで荒ぶっていると、たまたま通りがかった七兵衛が声をかけてくる。親身になって話すうち、女二人で甲州に向かおうとするお絹とお松の用心棒を米友が務めることになった。

 本作の人物たち、かなり広範囲を移動し続けているが、一人旅、ということがほとんどない。竜之助─兵馬のペア以外、だいたいの組み合わせが描かれてきたのではないか。因縁の糸のあやなす織物でもって、序文にある〈カルマ曼荼羅〉を描こうとしている、ということか。だとしたら、最も大きな因縁をはらんだ竜之助と兵馬がいつ交わるか、が重要になってくるし、そう考えるとやっぱり、本作の主人公はお君じゃなくて竜之助なんだよなあ。

 お角は、お絹を追おうとするがんりきを江戸につなぎとめていた、が、一座の様子を見に行った隙に、がんりきはお絹の家に押しかける。しかしすでにもぬけの空だった。慌てて旅支度をするところにお角が帰ってきて、二人は痴話げんかをはじめる。「さあ、わたしに恥を掻かせたあの後家さんの尻を追って行きたいんだろう、どこへでもおいで、グルになってわたしを出し抜こうとしたって、わたしの眼の黒いうちは……」。かつては素性の知れないお君と米友を一座に迎えたお角、会うもはぐれるも流しの浮世、みたいな価値観かと思いきや、かなり執着のつよい人間だ。これほど情に厚いからこそ、くせ者揃いだろう一座を率いることができるのかもな。

 とはいえ、その執着は恋情のようなものではない、とも念を押されている。「お角にとっては、がんりきがそれほどに可愛ゆいわけではなく、お絹という女が憎らしくてたまらないのです。あんな古証文を突きつけて人をばかにした上に、またがんりきと一緒になってこれ見よがしの振舞でもされた日には、意地も我慢もあったものではない」という一念で、飛び出していったがんりきを追って危険な甲州行の旅に出る。

 その甲州では、気さくな人格者の駒井能登守が、新しい勤番として江戸から赴任してきた。通行手形を持ってないお角を目こぼししてやったり、渡河人足と喧嘩して大怪我をさせた米友に大岡裁きをしてみせたりと、その人徳が強調して描かれる。これからどうなるのやら、そういえば、ここまでぜんぜん竜之助が出てきてない。

 夕方に一時間ほど散歩、ドラッグストアでクナイプのハンドクリームなどを買う。夜はペペロンチーノ(ベーコンを入れ忘れた)にして、あとは寝るまで『「社会正義」』と『悪魔の詩』。158/532


1月28日(土)晴、だんだん曇る。朝食後は読書をして、昼前に散歩がてら図書館へ。あまり具合が良くなく、二時間半ほど昼寝。寝不足だったわけではないと思うがぐっすり寝、起きてから一時間ほど朦朧としている。

 そのあと冷蔵庫の賞味期限が近い食材を突っこんだキムチ鍋をつくり、『ガイアの夜明け』の三越回を観てから、養老先生がラオスに虫取りに行く番組をぼんやり観。158/532


1月29日(日)晴。のんびり読書。ようやく『「社会正義」』を読了、それから〈夢水清志郎〉の五巻、『踊る夜光怪人』。亜衣たちは二年生になり、文芸部も代替わりをして、自称〈純文学志向〉のカマキリ先輩が部長になっている。二巻の『亡霊は夜歩く』では、締め切りまでに死ぬ気で〈売れる作品〉を書け!と発破をかける当時の部長に抗議していたカマキリ先輩、本巻では、「きみたちには、つぎの二つが絶対条件となってくる。すなわち、一つはしめきりを守ること。二つめが、売れるおもしろい作品を書くこと。」と言い放つ。立場が人を変えるのだ。

 純文学志向の人間として先輩の変心は悲しい、と思ってたらレーチが、「しめきりにあわせて書いたものは、ただのことばを羅列したものであって、詩とはよべない。」と言い切った。亜衣じゃなくてもレーチに惚れますよこれは。そう言いながら〈かべぎわに積まれた雑誌の上に寝ころがる〉のも潔いですね。

 そしてカマキリ部長は、「二Hのチョンチョンにとんがったえんぴつで、カリカリと原稿用紙に字をきざんでいた。(二Hなんてかたいえんぴつを使っているので、まさに“きざむ”って感じ。)」この描写は憶えてる。小学校高学年のときに本巻を読んだ私は、中学校の進学祝いに筆記用具を買ってあげるよ、という親戚に、二Hの鉛筆をおねだりした。中学生になって嬉々としてシャーペンをつかいはじめた同級生を尻目に、私はチョンチョンにとがらせた固い鉛筆で文字を刻んで、ひとり悦に入っていた。

 いまどんなのを書いてるのか、と訊かれたカマキリ部長は、地元に伝わる斎藤宗歩という錬金術師(といいつつ、実際には手品をつかって人々から金を巻き上げていた)の伝承を語る。「で、ぼくは、人をだましつづけた宗歩が、いかに改心していったかを書きたいんだ。人とかかわることなく、自分の欲望だけに生きてきた宗歩。多くの富を手に入れたが、けっきょくは、友だちも家族も手にすることはできなかった。そんな人間の弱さとか、みにくさとか、そういう、なんていうか、こてこての純文学を……。」良い題材ですね。純文学志向でありながら、部長という立場に強いられるように部員の尻を叩き、それでも自分はこんな〈こてこての純文学〉を書こうとする。カマキリ先輩の葛藤を感じる。良いものを書いてほしい。

 とはいえ彼も、夜光怪人の事件に自ら巻き込まれていって、しめきり前日に「いまだけは、しめきりをわすれようじゃないか。」などと言い放つ。「じゃあ、しめきり、のばしてくれるんですね!」「やぶさかではない!」夏休み前の終業式の日に発刊する号なのだから、前部長が吠えていた「印刷屋さんと学園祭初日は、待ってくれないのよ!」という台詞は今回も当てはまると思うのだが、いいのだろうか。

 私はこの箇所ではじめて〈やぶさかではない〉という表現を知った。〈やぶさか〉を、当時持っていた子供用の辞書で引くと、たしか、物惜しみすること、けちなこと、みたいな意味しか出てこず「しめきり、のばしてくれるんですね!」という問いにたいして「けちじゃない!」ってどういうこと……?となり、親に尋ねたところ、「いいよ!くらいの意味だよ」と言われて、ますますよくわからなくなったのだった。いま広辞苑を見ると、それに加えて、〈未練なさま。思い切りの悪いさま〉、〈(「…に─ない」の形で)…する努力を惜しまない。快く…する〉とある。これが子供用の辞書にも載ってれば……。

 そのちょっとあと、引き返すかどうか訊かれたカマキリ部長は「愚問だね。」と即答し、一行はさらに深みに降りていく。〈愚問〉も辞書で調べた。裏表紙で対象年齢を〈小学上級から〉と示された本の登場人物が、小学生にはニュアンスの取りづらい発言をしているのは、(私が物を知らない子供だっただけかもしれないけど)彼が〈純文学志向〉の人間であることを示しているのだろうか。

 そもそも私が〈純文学〉という言葉を知ったのも本作からだった。本巻では、ここまで引用してきた箇所のほかに、(原稿の進捗を訊かれて)「純文学をあまく見てもらってはこまるね、レーチくん。純文学がそんなにかんたんにできるはずないだろ。」と言ったり、洞窟の奥で夜光怪人と出くわしたとき、怪人の前に立ちはだかって逃げる時間を稼いでくれた犬のジュン爺を見て、「ぼくは、ジュン翁を主人公にした純文学を書くぞ!(…)少年とジュン翁の心の交流をえがいた純文学だ。題名は『名犬ジュン翁』。」と宣言したり、しかしそのジュン翁が自分たちを追い抜いて逃げていき、今の感動が誤解にすぎなかったことがわかって「やはり、ジュン翁で純文学はむりみたいだな……。」と落胆したりする。純文学は人間の弱さや醜さを描く、簡単にはできあがらないものであり、その主人公になるというのはハチ公みたいな銅像を建てられるようなもの。こ、ということか。そういえば、水原涼の「甘露」という小説は文學界新人賞の選評で、〈小説「ぽい感じ」〉を狙いすぎてる、と指摘されていたが、その〈感じ〉は、カマキリ部長の言葉でつちかわれたものかもしれない(違います)。

 けっきょく、事件が解決する前に締め切りが過ぎ(亜衣は原稿を仕上げたらしいが、ほかの部員が間に合ったかどうかは示されない)、夏休みがはじまった。亜衣は今度は「そろそろ、夏休み中のしめきりを気にしなくてはいけない」と考えている。休み前の締め切りが終業式の一週間前だったから、長く見積もってもつぎの締め切りまで二ヵ月もない。中学の文芸部が年に五冊出すというのが、そもそも構造的に無理があるのだ。

 前巻には羽衣母さんの一人称で語られる章があったが、本巻では、レーチが亜衣を夏祭りに誘おうと電話の前で逡巡する章が挿入されている。ふだんは無頼派ぶった態度のレーチが、この章では年相応に思い悩んでいる。「現実社会では、ぼくは自分のことを「おれ」とよんでいるけど、思考の中では「ぼく」──まだ自信のない成長過程のガキだ。じっさいに自分のことを思考の中で「おれ」とよべるようになったとき、ぼくはきっと、一人前になったような気がするんだろう。」当時、学校では〈おれ〉を使い、家では〈ぼく〉を使っていた私は、思考のなかでは〈おれ〉だった。自分がレーチより〈一人前〉のような気がしてちょっと嬉しかった、が、いま読むと、レーチのこの自省のありようはすでに大人びていて、勝ち誇る私のほうが子供じみていたな。

『最終兵器彼女』の視点人物であるシュウジは、ふだんは〈オレ〉という一人称をつかっているが、モノローグのなかでは常に〈ぼく〉だった。作品序盤、彼は恋人のちせと口げんかをしながら、つい「ぼくだって女とつきあう気なんて、全然なかったんだ!」と言ってしまい、ちせは目を丸くして「ぼく?」と繰り返す。シュウジはすぐに「だってよ……、子供ん時からずっと使ってんだ。そんなに器用に変えらんねーよ…」と言うが、これもレーチと同じで、シュウジがまだ〈成長過程〉であることを示している。

 しかしシュウジは最終話に至っても、一人称は〈オレ〉、モノローグは〈ぼく〉のままだった。けっきょく一人称が何だろうと、そこに深い内省があれば十分に〈一人前〉なのだ。だからレーチ、大丈夫だよ、となる。おれに言われるまでもないか。158/532


1月30日(月)晴、午後は曇。残ってたキムチ鍋に具材を追加して片づける。具合悪いのを耐えつつ散歩して『大菩薩峠』を進読。甲州にやってきたお絹とお松と米友は、宿で能登守との知遇を得る。能登守はお松がかつて仕えていた神尾主膳の上役に当たる人なので、お絹はお松に、宿にいる間は能登守の身のまわりの世話をするよう指示する。能登守は、たいしてあれこれ指示するでもなく、病弱のため江戸に残してきた妻に手紙を書いたから、これを飛脚に預けるよう、宿の主人に渡してくれ、とかんたんな雑用を任せるだけだった。人間ができている。

 しかしお松からその手紙を見せられたお絹は、表書きの宛名の筆跡を見るだけで〈むらむらと変な心が起〉ってくる。能登守は若くて顔が良い、だからその妻もさぞ綺麗だろう、「お安くない夫婦の間の音信をこのわたしたちに見せつける能登守の仕打を憎いと思いました。」お絹は痕跡の残らないよう慎重に開封して丁寧に書き写し、いずれ〈能登守を困らせてやるようないたずらができまいか〉と画策する。やべーやつだ。

 お松が来ていることを知った主膳が迎えを寄越してくれることになり、お絹は、ここまで護衛としてついてきた米友に金一封を渡して別れを告げる。不承不承離脱して、米友は一人でお君を探しに行った。

 そのお君は兵馬を探して山に入り、疲れきって倒れたところを馬大尽の伊太夫の家で働く幸内に拾われる。その家の令嬢の、幼いころに顔に大火傷を負ったお銀が彼女を可愛がってくれる。ムク犬や米友、異形の者たちがお君という主人公の周りを固めている、という私の見立てでいうと、お銀も、今後お君の物語で重要な役回りを演じそう。

 お君とお銀がいっしょにいるところに、たまたま馬に乗った能登守が通りがかり、古井戸に落ちそうになっていたところをムクが駆けつけて助ける。能登守はお君の顔が妻に似ている、と驚いている。本作、すでにお浜に瓜二つのお豊が登場していて、生き写しの女たちはこれで二組目。最近甲府の街では辻斬りが頻発しているそうで、その噂話が語られる。これはひょっとして竜之助なのでは……。

 午後も散歩。数ヶ月ぶりの距離まで行く。一年前の今ごろは、私はまだバイトをしていた。週に五日通勤して、ついでにいろんな店に寄り、外食もしていた。楽しかったな。当時の職場まで行くことはできなかった、が、当時の通勤ルートを三分の一くらいの距離歩く。何度も前を通り、具合の悪い朝や疲弊した夜に、外から見るだけでほっとできた猫のいる家の前も通った。今日は猫の姿は見えなかった、が、そこを通れた、というだけで懐かしく、うれしくなってしまう。スーパーで肉寿司などを買って帰る。満腹になってしばらく打ち上がり、まだ六時前だけど風呂に入る。そのあとU-NEXTで『ムーンライズ・キングダム』。私はこういう少年少女の初期衝動に弱い。223/532


1月31日(火)晴のち曇。早起きして、昨夜映画のあとに仕込んだおでんを食って暖まる。散歩もふだんより一時間以上早く、近所の小学校の登校時間だった。駅の近くを歩く人の表情もふだんと違うような。

 昼休みに『大菩薩峠』。ようやく竜之助が登場。彼は神尾主膳の食客として、主膳の別宅に仮寓している。伊太夫の家には千年ちかく前の名刀があったのだが、幸内を主膳の手の者が襲って奪い取り、竜之助に渡す。昨日読んだところの終わりあたりでは、辻斬りの下手人は能登守なのでは、という雰囲気だったが、今日の最初のあたりでは、主膳が竜之助に、その刀の斬れ味を試すよう促している。

いっぽう米友は八幡宮の灯火の番をしていて、そこへある夜、辻斬りに襲われそうになった七兵衛がやってくる。さらに翌朝、七兵衛が去って米友が寝入ってるところへ、お君とお銀がお参りに来る、が、米友と会うことはない。お銀はおみくじで大吉を引くが、「大吉は凶に帰る」と示唆的なことを言い、おみくじを〈ピリー〉と破ってしまう。

 帰りしな、二人は能登守の屋敷へ。お銀は屋敷の前で待ち、お君だけが能登守に謁見する。すると能登守、お君を自分の屋敷で雇いたい、と伊太夫にオファーしたのに断られた、と言う。お君は何も聞いておらず、どうやら、能登守のお君への執心に嫉妬したお銀が握りつぶしたものらしい。いっぽう外で待つお銀は、能登守の家の下男たちに絡まれ、攫われそうになったところを、主膳配下の市五郎(甲府でお角の一座が離散することになった大騒動の原因をつくったお役人)に救われた。それを縁に市五郎は伊太夫の家との伝手ができた、が、どうやら、下男どもがお銀に絡んだのは市五郎の差し金だったらしい。

 伊太夫の信頼を得た市五郎は、主人である神尾主膳とお銀の縁談をもちかける。お銀の嫉妬、市五郎の策略、このあたりは陰湿な感じで好ましい。けっきょくお銀は嫁ぐことになり、お君は能登守の屋敷で働くことになり、二人は喧嘩別れしてしまった。主人公パーティの一員になると(私が)目していたお銀との、あっけない別れ。いや、しかし、お銀はきっとお君のもとに戻ってくるのでは、と、私はまだ二人の別れを信じられていない。

 なんで私がここまでお君に肩入れしてるか、というと、もちろん被差別民出身の流しの芸人という設定や、ムクや米友、お銀という、彼女の周りの人物が魅力的だからなのだが、彼女には大きな目的が設定されていないから、かもしれない。

 本作はめちゃくちゃ登場人物が多いのだが、主に、竜之助・兵馬・お松・お君、という四人の主要登場人物がいる気がしている。ほかの人物(七兵衛とかお角とか)は、もちろん個々の思惑はありつつも、この四人の周りに衛星みたいに付き従って物語を転がしていくイメージだ。

 で、たとえば竜之助に兄を殺された兵馬や、祖父を殺されたお松は、個々の局面に応じてさまざまな立ち回りをしつつ、竜之助への仇討ち、という大目標は(彼らがそれを強く意識しているかはべつにして)変わらない。しかしお君と竜之助には、この旅を通して果たすべき目的、がない。二人が旅をはじめたのは、竜之助は兵馬の兄を殺してその妻であるお浜に誘われたからだし、お君は強盗事件の犯人だと疑われたからだ。強いて目的を言語化するなら〈逃げること〉だし、それはつまり、お浜が竜之助に囁いていたように、「逃げて二人は生きましょう」ということだ。生きるための旅。復讐譚のようにはじまった本作だが、実際には生きるための物語だ、と考えると、過剰なほどの長大さも当然かもしれない。つまり、『失われた時を求めて』と同じく、これは人生についての小説なのだ。

 午後、木製の、ちょっとカビっぽい黒ずみのある箸を紙やすりで削る。全部で八膳、十六本あるので、なかなか手間がかかったが、良い気分転換になった。こないだ包丁も研いだ、カッティングボードも削った、こうやって身のまわりの道具の状態に気を配れるようになった、というのも、多少は心身が回復してきた証なのかもしれない。283/532


2月1日(水)晴のち曇。今日はすこし暖かい。起きてすぐはやや具合悪く、朝食もあまり食べられず。昨日ほど歩けないかもな、と思いながら外に出たのだが、結局一時間以上歩き回り、半年ぶりくらいの距離まで行けた。歩きながらパニックのことを考える時間も減って、良い感じ。しかし、歩ける距離が順調に伸びてくると、登山家が山頂に石を積むように、今日はここまで来られたぞ!とコンビニでちょっとしたお菓子なんかを買ってしまう。控えないと。

 天気の良いなかを歩き回ったから、コートのなかはけっこう汗ばんでいて、帰宅してすこし休む。それから始業。私は原稿を書く前に、前日に書いたものを推敲することにしているのだが、毎日十数枚書いてると、毎日十数枚推敲してからようやく今日の原稿に取っかかることになる。

 午前の遅い時間にようやく推敲を終え、数枚書いて昼休み、〈夢水清志郎〉六巻『機巧館のかぞえ唄』。本巻もあまりトリックは憶えておらず、全体の企みに、新鮮に驚きながら読む。

 とはいえ憶えているところも多かった。作中で亜衣たちは、大御所ミステリー作家・平井龍太郎のデビュー五十周年パーティに出席する。平井が暮らす大豪邸で開かれたパーティで、平井はこうスピーチする。「わたしが『通信士(Two・Sin・See)』でデビューしてから、はやいもので五十年がたちました。そのあいだ、紙の上のこととはいえ、ずいぶんたくさんの人を殺してきました。それは、何度も死刑になってもおかしくはないくらいの大量殺人です。」このジョークは憧れたですね。小説家としての強烈な自負と諧謔。小説を読むのは楽しい、と気づきはじめた小学生の私は、自分が惹かれている世界の頂点みたいなものとして、彼を見ていたような。平井みたいな小説家になりたいですね。商業的にも。

 今読むと『通信士』とか『発奮と冨(Happen・To・Me)』とか、平井のタイトルのつけかた、ちょっと森博嗣の『夢・出逢い・魔性 You May Die in My Show』みたいだな、と思ったが、『夢〜』は二〇〇〇年、『機巧館』は一九九八年で、こっちのほうが早いのだった。〈夢水清志郎〉は随所にパロディがちりばめられた作品だというから、何かほかの元ネタがあるのかもしれないな。

 トリックは憶えていなかった、が、プロローグ的に置かれた「怪談」のなかで、教授がみんなの話す怪談を〈事件〉として解き明かしてしまうのに対して亜衣が、「怪談ってのは、不条理のこわさってものが魅力なんだ。それを、なんでもかんでも論理的に推理してしまったら、趣ってものがないじゃない! ああ、日本の“わび”や“さび”は、どこへいってしまったの……。」と嘆き、教授が「え、わさび? わさびは、お刺身を食べるときに使うよ。」とすっとぼけてみせた、のは憶えてる。パーティに招待された教授が「パーチィーだ!」とはしゃぐのは、これを読んで以降私も「パーチィー」と言うようになったから憶えてるし、会場の豪華な装飾や料理を見た亜衣が「あの氷の彫刻が、一つ二万円くらい。まわりの花が、一万……いや、これも二万円くらい。そして、料理は十万……いや、もっともっとするんだろう。そんなテーブルが、ざっと見回しても五十をかるくこえているな。」と考え、「この段階で、わたしの『貧乏性な計算機』は、桁数がたりなくなってしまった。」とオチをつけた、のも憶えている。わさび、パーチィー、貧乏性な計算機、と、いずれも言葉遊びみたいなものばかりだ。私の記憶の特徴。

 エピローグ「さよなら天使(エンジェル)」の、布おむつと紙おむつのちがいを力説する上越警部の台詞もなんとなく記憶にあった。「紙おむつは、吸水性もよく、とても便利なものだよ。だけどね、あまりに吸水性がいいから、赤ちゃんは、おもらししたことに自分で気づかないのさ。布おむつだと、もらしたらべたべたして、すぐに泣き出すだろ。だから、布おむつを使ってる子のほうが、おむつばなれがはやいんだよ。」二人の子供を育て上げた実感からの言葉だ、と亜衣は解釈しているが、これは、二槽式の洗濯を求める一太郎(亜衣たちの父)と同じ、合理的で過剰な美学だ。男子っていつもそう!

 夜、中華鍋の準備をしてから、着替えて外を走る。久しぶりなので十分弱。自分の身体の使いかたを、すっかり忘れてしまっている。283/532


2月2日(木)明るい曇。食欲がないので朝食はプロテインだけにして、散歩。帰宅して、昨夜の鍋に白菜を追加して食った、ら、食い過ぎて気持ち悪くなる。

 昼休みに『大菩薩峠』。兵馬に胸キュンしていたはずのお君は、能登守の身のまわりの世話をしているうちに心が移ってしまっていた。「お君はこうして能登守のために乱れた鬢の毛を撫でつけながら、その鏡にうつる殿様のお顔を見ると、恥かしくさで手先がふるえて、自分の面が火のようにほてるのに堪えられません。」竜之助への復讐を最優先する兵馬より、いっしんに気持ちを向けてくれる能登守に惹かれてしまう、というのは、そりゃそうだよな。大目標がない、ということは、つまり自由ということだ。

 竜之助は夜な夜な辻斬りに出ている。襲われたまま主膳の別宅に捕らえられていた幸内は、主膳が泥酔した隙をついて脱出し、力尽きて倒れているところをムクと米友に救われる。米友は、主膳に飲まされた毒薬で気を失った幸内を背負い、ムクが導くままに能登守の家──お君のいる家へ向かった。

 能登守の家では、本格的に能登守とお君の気持ちが通じ合っている。能登守には江戸に残してきた妻がいるのだが、一定の地位にある男は妾を囲うのが当然の時代だ。「わたしは恋しい恋しいお殿様のお側で、お殿様の御寵愛を一身に集めてしまいました、わたしのお殿様は世間のお殿様のような浮気ごころで、わたしを御寵愛あそばすのではありません。奥方様よりもわたしを可愛がって下さるのです。わたし、もうお殿様が恋しくて恋しくて仕方がない、わたしの胸がこんなにわくわくしてじっとしてはいられない」とのこと。被差別民に生まれ、盗っ人として街を追われて流れに流れたお君が、こうして安息の地を見いだせたらしいのはうれしい、が、恋というのは人の感情を凡庸にするものなんだなあ。

 そこへムクに連れられた米友と幸内がやってくる。しかしそのころ、能登守の家には別の侵入者もいる。牢から脱獄してきた三人組で、そのうち一人が兵馬だった。一時はお君といいかんじになってた兵馬が、お君が能登守と結ばれようとするその瞬間に闖入してくる。ラブコメじゃないですか! しかし修羅場にはならなかった。

 夕方まで作業をして、ウーバーイーツでマックのアジアンのやつを頼む。油淋鶏チキンが素晴らしい。食いながらカーリングのコンサドーレ対北見協会試合を観。ルールをちゃんと把握してるわけではないのだが、分かる範囲だけでもめっぽう面白い。342/532


2月3日(金)曇。遅くまで寝ていた。洗濯ものを片づけて、朝食は摂らずに始業、二時間ほどカリコリして、早めの昼食に焼きそばを作った。

 満腹になって『大菩薩峠』。お銀は意識を失ったままの幸内を献身的に世話して、二人の関係を怪しむ噂が立つ。嫁入り前に噂が立つようなことは困る、と咎める父親に反発して家出したお銀は、夜道でばったり会った(じつは後をつけてきていた)主膳に保護され、彼の別宅へ。

 翌朝主膳が、幸内を攫って名刀を奪い、彼に毒を盛ったのは自分だ、昨夜も、奪還された幸内の口を封じるために、伊太夫の家に忍び込んで、お銀を尾行する前に彼の息の根を止めてきてやった、と告げる。同じ毒を飲ませようと迫る主膳から逃げ、屋敷のなかを迷ううち、お銀は竜之助の部屋に迷い込んだ。助けを求めるお銀、事情がよくわかっとらん竜之助、腕の立つ竜之助を敵に回したくない主膳、その場はどうにかおさまった。

 竜之助はお銀との会話のなかで、自分は武蔵の国から来た、と言う。「道のりにしてはいくらもないけれど、おれには帰れぬ、帰ってくれと言う者もないけれど。ああ、子供が一人いる、親の無い子供が泣いている」。思わせぶりっこだ。そういえば竜之助はお豊を口説くときにも、あなたを見てると死んだ妻を思い出す、と(自分が殺したのに)言っていた。女を口説くときに家族をダシにするのはろくなやつじゃねえよ。しかし彼は目が見えないから火傷で爛れた顔を恐れることはなく、お銀は彼のそばで心安らぐ。

 いっぽうお君は、正式に能登守のお妾になる。屋敷のなかでも良い部屋に移り、おつきの者を使う。豪華な着物を身につけ、成人の証として眉を落とし、そしてなにより所作が変わった。「笑えば人を魅するような妖艶な色が出て来ました。そして何事を差置いても、その色艶に修飾を加えることが、お君の第一の勤めとなりました。」妾というのは主人を心身ともに満足させることが仕事で、お君は能登守の期待に十分に応えている。これまでのお君の苦労を思えば、こうして何不自由ない生活をできているのはうれしい、が、彼女を主人公としてこの物語を読んでいる私にとって、こんなところでお妾におさまっているのはどうにも寂しいことだ。

「この際において、お君は心の中のいずこにも、宇治山田の米友を考えている余裕はありません。」という記述でふと思い出したのはFFⅨで、死んだ母親の後を継いで女王になろうとするダガーを見るときのジタンの気持ちだ。いっしょに旅をしてきて憎からず思っているのに、その感情を名指す言葉が見つからない。晴れて王女になったダガーに何かもっともらしいことを言おうとしても、出てくる言葉はどれも自分の本心でないように感じられて黙り込んでしまう。

 お君と米友は、「わたしが出世したから、それで嫉くんだろう」「お前は殿様という人から(…)慰み物になっているんだ、それをおまえは出世だと心得ているんだ」と売り言葉に買い言葉で喧嘩別れしてしまう。お君(とムク)・米友・お銀という、私にとっての主人公パーティは完全に離散してしまった。

 それと対比するように、お松が、探し求めていた兵馬が能登守の屋敷にいると知って訪ねてくる。旧知の仲であるお君の手引きで、お松は兵馬の部屋へ。やっと再会した! しかし私は、ジタンが(きっかけはあまり喜ばしいものではないにせよ)再びダガーと冒険の旅に出られたように、お君もいずれ米友たちと再会すると信じている。

 そのあとは夜までずっと作業。夕食は鍋焼きうどんをコトコトした。今日はかなり捗った、が、散歩もせず、徒歩一分のスーパーまで焼きそばにつかう卵を買いに行った以外は、夕刊を取りに郵便受けまで降りただけ。一昨日のランニングの筋肉痛がようやくきた。401/532


2月4日(土)雲の多い晴。昨日背もたれのない椅子で夜まで作業してたせいか、腰痛がひどい。何をしてても痛いので、温湿布を貼ってごまかす。今日は読書の日。午前中は『悪魔の詩』の下巻。

 昼食に昨日が賞味期限の野菜をガタガタ炒めてから『大菩薩峠』。ついてきたムクを追い返して、一人で歩く米友はお角と再会した、が、すぐまた別れる。本作、けっこうこうやって、一瞬だけ会って絆を保つ、みたいな場面が多い印象だ。

 がんりきは神尾主膳の家で開かれる賭場の常連になっていて、いつも勝ちまくっており、ついに主膳から、幸内を攫って奪ったあの名刀を巻き上げた。

 甲府の街は、目前に迫った八幡様の御前の流鏑馬で盛り上がっている。主膳はどこかから雇った手練れを、能登守は兵馬を自家の代表として出場させた。大きなイベントだから仮設の桟敷もでき、食べ物の屋台もあれば賭場も開かれる。そういう場は盗賊にとっても恰好の稼ぎ処だから、七兵衛とがんりきの二人組も悪さをしにやってきた。

 流鏑馬自体は大きな混乱もなく終わったのだが、人々が引き揚げようとしたところで、賭場から、名刀を握りしめた半裸のがんりきが飛び出してきた。流血沙汰の大騒動に人々は興奮するが、七兵衛らしい男の助けもあってがんりきは上手いこと逃げ出した。

 その夜、兵馬は、二挺の駕籠が、提灯を持った一行に囲まれて歩いているのを見かける。提灯の文字をよく見ると、そこに書いてあるのは兄の妻──竜之助に殺されたお浜の実家の屋号だった。状況が分からないながらついていくと、たしかに駕籠は兄嫁の実家へと入っていく。さすがに塀のなかまでは追いかけられず、混乱したまま見送る。

 駕籠に乗っていたのは竜之助とお銀だった。二人を扱いかねた主膳は、二人が親密になったのを察して、まとめて厄介払いしようと適当な家に送ったらしい。「竜之助は曾てその悪縁のためにお浜を手にかけて殺しました。その人の家へ、別の悪縁につながる女と共に来るということは、それは戦慄すべきほどの不思議であります。」ほんとうにそうだ。

 しかし、自分の顔を見ることがない竜之助を〈火に油を加えたような愛し方〉で愛するお銀、いたいけだなあ。お浜の実家の人々も、やって来たのが娘の仇とは知らずに世話をする。

 翌朝、竜之助はお銀といっしょに家の裏山に上がり、墓場の草のなかにごろりと横になる。「こんなところで死にたいな」とつぶやいていて、なんともくつろいでいる、が、ひょんなことから、ここがかつて殺したお浜の眠る場所であり、自分たちが身を寄せたのがその実家なのだ、と悟る。その夜から、お銀との愛で一時はおさまっていた竜之助の辻斬りが再開してしまった……。

 午後は『自転しながら公転する』。夜、HIGASHIYAの干し柿に白餡とバターを挟んだやつを食い、あまりの美味さに涙がこぼれる。美味いもんを美味いと思えるのが生きてるってことなんだよ。463/532


2月5日(日)晴。深夜にふと目が覚め、足のほうに枕を動かして寝直す。朝は直射日光が顔に当たって起きた。

 九時から、無印のコアラパンをぱくつきながらカーリング日本選手権の男子決勝。〈氷上のチェス〉と呼ばれたり、ビリヤードみたいに見える瞬間もありつつ、解説の元選手たちが「男子はパワー」「やはりこのパワーが男子カーリングの特徴」と言い、勝ったSC軽井沢クラブの選手たちは声を揃えて「ファイヤー!」と叫んだりと、なかやまきんに君みたい。

 昼は冷凍のチンするパスタを食って『大菩薩峠』。恵林寺に身を寄せた兵馬は、住職の慢心和尚に仇討ちのむなしさを説かれ、涙を流して逡巡する。「いっそのこと、刀も投げ出し、お松を連れてどこかへ行ってしまおうかしら。そうして小店でも開いて、町人になってしまおうかしら」と考えている。そのほうが幸せそうだなあ、と思いながら読んでいたら、地の文は、「慢心和尚という坊主が、よけいなことを言ったおかげで、せっかくの兵馬の若い心持をこんな方へ向けてしまったとすれば、不届きな坊主であります。」と、兵馬は復讐を成し遂げるべき、と考えているらしい。ここらへんの価値観、大正時代の初出の読者はどう読んでたんだろう。

 兵馬はお松に会いたいと思う、が、脱獄囚である彼は正面から主膳の邸を訪れることができない。邸の外で歯噛みしているところに、ムクが現れた。お君が能登守にぞっこんになったせいでムクの世話は下女たちに任され、しかし彼女たちには愛情がない。叱られ、罵られ、給餌もブラッシングも満足にしてもられず、薄汚れてしまっている……。そんなムクに兵馬はお松への手紙を託す、が、お松はお絹の妨害にあって外に出られない。

 お君はといえば、変わらず能登守とは仲睦まじいものの、被差別民であるという出自がどこからか知れて、悪い噂になっている。その噂を流したのはどうやら、かつて伊勢でお玉と名乗っていたころのお君を見たことのある神尾主膳だったらしい。主膳は城での寄合の席でそのことを暴露した。

 権威の失墜した能登守は引きこもり、噂を知った市民たちは彼の邸に石を投げるようになった。そしてある日能登守は甲府を引き揚げ、江戸に帰ってしまう。お君の行方は知れないが、主を失った邸には幽霊が出るようになったという。「若い美しい凄いお化けで、手に三味線を持っているということです。/それが肩先を斬られて血みどろになって、井戸の中から出てきて、屋敷をさがし歩いては泣くということであります。」

 いっぽう、お君のもとを飛び出した米友は、江戸を目指す途上で与八と会う。竜之助の義弟で、竜之助がお浜をレイプする片棒をかつがされ、語り手には〈馬鹿の与八〉と侮られていた与八! 二人はお互い堂庵先生に会いに江戸に向かっていることがわかり、旅の道連れになった。

 本文を読了。最後の場面で、恵林寺の坊主たちが、ちかくの尼寺に〈素敵な別嬪が来た〉と噂している。これがお君なのか、どうか。

 十五時から、今度は女子の決勝、ロコ・ソラーレとSC軽井沢クラブ。男子決勝と同じ解説陣が、「女子のパワーではこの局面は……」みたいなことを言う。智力とテクニックが重要で、あまり性別に左右されない競技のイメージだったけど、最後はパワーで男女の違いが出るのか。おやつにペヤングと冷凍のチンするハンバーグを食って読書をし、夕食はまたカップ麺。インスタント食品ばっかりの日。501/532


2月6日(月)晴。日中は窓を開けてても寒くない。早めに起きて、朝食も散歩もスキップして始業。土日は休んでいた長篇を再開。今日も良いペースだ。昼過ぎに散歩に出る。

 一時間ほど歩いて帰り、パンを食って『大菩薩峠』。註や解説を読んで、すぐに再起読。

 夜になってランニングに出る。近所をぐるっと一周、十五分ほど走った。一時は布団からも出られないほどひどい状態だったこともあって、体力が人生最低レベルまで落ちている。私が住むマンションにはエレベーターがないので、走ったあと四階の自室まで上がるのがけっこうたいへんだった。この感覚も懐かしくてうれしい。ちょっとずつ立て直していこう。191/532


2月7日(火)朝は日射しもあったが、午後はずっと曇。昨夜かなり遅くまで起きてたせいで、今日も九時過ぎまで寝ていた。一日一歩も外に出ず。

 夜はカップ焼きそばとか、冷凍のチンするビャンビャン麺なんかを食らい、風呂にも入らずに寝。389/532


2月8日(水)曇、夜は小雨。ぐっすり寝ていた。起きて一時間ほど作業、重い腰を上げてシャワーを浴びる。そのあと散歩。パニックがひどくなってからいちばん遠くまで歩いた。八幡さまにお参りをして帰る。そういえば今年は正月に神社に行かなかったので、これが初詣ということになるのかしらん。

 和月伸宏『GUN BLAZE WEST』の冒頭、幼少期の主人公ビューと流れ者のガンマンであるマーカスは、西の果ての伝説の地を目指す約束をし、特訓をはじめる。ビューが通う学校の「終業ベルを合図にスタートして/夕陽が沈むまでこの道を/西を目指して走るんだ」。目標地点はずっと遠くにかすかに見える巨大な岩。「うわ、遠ッ!!」と驚くビューにマーカスは、簡単に達成できては特訓にならない、と言って、こう続ける。「だから/こうやって、毎日、走れた地点に石で目印を置いて/明日はこの石の少しでも先/明後日はその石のさらに先」。マーカスが姿を消したあともビューは日々その特訓を続け、達成できるまでに五年がかかった。岩の上に立って日没を見送るビューのうしろには、村から数十センチごとに石が並んでいた。

 和月作品でいちばん好きなのだがあえなく三巻で打ち切られたこの作品のことを、私はパニック障碍を発症してからたびたび思い出す。マンションのあるブロックを一周するだけでも精いっぱいだったころから、さすがに数十センチではないが、次の電柱まで、次の交差点まで、と少しずつ距離を伸ばして、今日も遠くまで歩けた。昨日みたいに一歩も外出しない日もあるし後退することも多く、ビューみたいに日進月歩はできてない、が、とにかく、わずかずつでも向上したいのだ。

 夕方、早めに終業して今日が返却期限の『自転しながら公転する』を最後まで。読み終わるころ雨の音。止んだ隙に返却しに行き、そのままちょっと走る。帰ってから『ねほりんぱほりん』の元K-POPアイドル練習生回。ゲストの一人が、でかい夢を持ったら壊れても一つ一つのピースはでかい、と言っていて、ほんとにそうだな……と感じ入った。501/532


2月9日(木)快晴。だんだん春に近づいてきた、と思ったら、夕方以降ひどく寒くなる。起きてすこし作業、そのあと散歩。今日も昨日より遠くへ。一時間ほど歩いて帰宅、作業を再開。長篇は半ばを過ぎて、面白くなってきている。

 昼食に野菜類をザッと炒めて、今月の大菩薩峠文章を起筆。夜は早めの時間に鍋をつくってたらふく食い、そのあとも作業をして、夜遅くまで読書。ふと古書店のサイトで『大菩薩峠』の筑摩書房愛蔵版を調べてみると、帯の背の惹句は、一巻〈時代小説の底知れない力〉、二巻〈現代を撃つ必読の巨篇〉、三巻〈時代を超える奥深い感動!〉、四巻〈心にしみ透る人の世の哀しさ〉、五巻〈時代小説史上不滅の最高峰〉、六巻〈雄渾無比──必読の名作〉、七巻〈感動深まる不滅の傑作〉、八巻〈時代小説の最高傑作!〉、九巻〈感動極まる不滅の大作〉、十巻〈必読の巨篇 最終巻〉だったらしい。巨篇、最高峰、名作、傑作、大作、と大盤振る舞いだ、が、さすがに七巻と九巻は似すぎではないか。


2月10日(土)雪! 寒さで目が覚め、窓の外を見るとパラパラ舞っていた。鳥取育ちの元札幌市民として、こんなもん雪に入んないっすよ、とうそぶいてみたくもなるのだが、雪は雪だ。雪を見ると心がほっとする。

 新聞を取りに行った以外は部屋に籠もり、もくもく大菩薩峠文章を進筆するが、捗らず。どうにも集中が続かない、なんせ部屋もめちゃ寒いし、などと思っていたら、昼ごろには隣家の屋根に雪が積もりはじめた。

 気分転換にU-NEXTでノア・バームバック監督の『イカとクジラ』。素晴らしかったですね。主役の一人であるバーナードは落ち目の小説家なのだが、なんというかこじらせた純文学作家の末路という感じで、自分の未来を見るようで胃がヒュッとなった。


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