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大菩薩峠 2023.2.13~2023.3.8

2月13日(月)朝の散歩の帰りに降り出して、そのあとはずっと雨。朝も昼も白米だけにして、もくもく原稿を書きつづける。夕方まで。

 パニックを発症してからなのか、それ以前からそうだったのか、リラックスというのができなくなっている。原稿や読書、何かに没頭しているときは忘れていられるが、気楽なバラエティ番組を観たり、食事をしたり、気持ちに隙間が生まれると、そこに自分の、ときには買いものすらまともにできない惨状のことが忍び込む。不安の発作が起きて、息が苦しくなる。それが怖くて、ちょっとでも手が空くとスマホを開いて、たいして興味もないニュースを見たり、漫画を一話だけ読んだりしてしまう。そうやって常に脳に刺激を加えつづけることでストレスが溜まるのだ、とわかっているのだが。

 そうやって読んだ『名探偵コナン』の、どの巻だったか、容疑者の一人が閉所恐怖症の当事者だった。彼は壊れたエレベーターに丸一日閉じ込められたことがきっかけで発症した。妻は、彼を狭い山小屋に一日監禁する、という荒療治で、恐怖症を克服させようとした。けっきょくパニックに陥った彼が逆上して、悲惨な事件が起きてしまうのだが、実際、そういう荒療治ってどのくらい効果があるんだろう、と想像するだけで手汗が出てきた、ので、考えるのをやめる……。

 普段は朝と夕方、だいたい一日二度散歩をしているのだが、今日は雨なので夕方は出ず。鱈のホイル焼きを作って、近所のイタリアンのテイクアウト(半額)といっしょに食う。風呂のなかで『悪魔の詩』を進読。明日には読了できそう。


2月14日(火)曇。夜中に目が覚めて、明け方まで眠れず。寝不足でやや吐き気がしながら起きる。しばらくは身体を起こすのもいやなほどだったが、気持ちが楽になる薬を飲んで、むりやり朝食を詰め込んだら楽になった。

 今夜は近所のオーガニック弁当屋の良い弁当を予約している、ので、ドサドサ捗らせる日。昼食(インスタントのカレーメシ)を挟んで、散歩もせずにずっと書きつづける。

 夕方外出、図書館の返却ボックスに『悪魔の詩』を放りこんで良い弁当を買う。腰が抜けるほど美味かった。食いながらU-NEXTで『ドライブ・マイ・カー』を観。

 あのラストシーンは何だったのか、本篇からの飛距離がすごい。オープンエンド、というか、テキストなら「彼らはそれからずっと幸せに暮らしました」で済むところを映像でやるには、こうやって、何かしら舞台と出来事をつくらなければならない。

 それでいうと芥川の「羅生門」も、末尾は「下人の行方は、誰も知らない。」になってるけど、あれを映像化するなら、初出時の「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあつた。」をもとに、京都に向かう、もしくは京都で強盗を働く下人の姿を映す、みたいな、ずいぶん散文的な終わりかたになる。

 靄のなかで惑わせて終わらせられる、のが小説はええですよね。小説ではないけど、定家の「見渡せば花も紅葉もなかりけり 裏の苫屋の秋の夕暮」とかもそう。その場には存在しない花や紅葉に言及することで、何もない秋の寂しさが強調されるけど、絵や映像でこれをやるには、花や紅葉があるときの状態を示すか、言葉で説明しなければならない。

『ドライブ・マイ・カー』、原作は未読なのだけど、どうなってるのかしらん。


2月15日(水)曇りのち晴。映画を観てそのまま寝ていた。遅く起き、シャワーを浴びて昨日の日記を書く。それから散歩。また遠くまで行き、惣菜パンを買う。帰路、すこしパニックの予兆。うんざりする。

 暗くなったころに今日の作業を切り上げ、夕食の支度。スーパーで、使ったことのないカレールーを買ったのだが、よく見るとヴィーガン対応のやつだった。肉(の旨味)がなくても美味しく食べられるよう研究を重ねて開発されたヴィーガン対応の食材に肉をぶちこんで食うのがいちばん美味いんだよ、とサイコパスぶったツイートを見たことがあって、それ以来、ヴィーガンではない私がヴィーガン対応食材を買うことにやや抵抗があった、のだが、たしかにめちゃ美味かった。

 食いながら録画してたスーパーボウルを観て白熱。リアーナのハーフタイムショーも良かったですね。そのまま今日も風呂に入らず寝た。


2月16日(木)快晴。やや吐き気。カレーを少量食って散歩に出、また一時間ほど歩く。

 昼食に昨日の惣菜パンの残りを片づけ、『大菩薩峠』の三巻を起読。前巻の最終章「慢心和尚の巻」は途中で終わっていて、その続きから。

 前巻で尼寺に入った〈素敵な別嬪〉は、やっぱりお君だった、ということが本巻の冒頭で明かされる。能登守が失脚し、江戸に逃げ帰ったあと、残されたお君が安否不明のところで巻を区切る、というのは、編集者の意図を感じますね。

 お君はどうやら、能登守の手の者に薬を盛られて昏倒したところを、長持に運ばれて尼寺に送られたそう。お君は妊娠していた。気さくな人格者として登場した能登守、お君の出自が失脚の原因になったとはいえ、とつぜん下衆になったな……。尼寺としても、妊婦を置いておくことは難しい。それで恵林寺の慢心和尚に相談し、和尚は自分の寺に身を寄せる兵馬を護衛として、お君を江戸に送ることにする。

 道中で泊まった宿には偶然にもお角と〈がんりき〉が逗留していた。宿の主人が長い不在で、番頭も病に倒れ、リーダー気質のあるお角が(勝手に)宿を差配している。宿には若い侍も泊まっている。江戸を目指そうとするその侍を、お角の頼みでがんりきが護衛することになる。道中、がんりきはそのお侍の正体が男装したお松だと見抜く。がんりきの導きで二人は関所を避けて峠を越えた。能登守との関係によって人間性が変わり、そのせいで仲間を失い、妊娠したところで捨てられたお君、本巻の五百五十ページあまりの間にどうなっていくのか……。

 午後、散歩。かつての通勤ルートを歩く。しかし途中でパニック発作の予兆に堪えきれなくなる。往路とは道を変え、必死に堪えながら歩いていたら、「よろしくお願いしまーす!」とビラを差し出され、反射的に受け取る。日本第一党の人だった。信号を渡ってから振り返ると、どうも誰に渡すか選んでいるよう。排外主義的な文言の並んだビラだから、日本人にだけ配ろうとしているのかもしれない。主張自体はきわめて醜悪なのだが、ビラを配っていた男性(〈本人〉の襷をつけていた)は明るい口調で、人当たりの良い雰囲気。態度だけでいえば、無気力な表情でぼそっと「おねがいします」と呟きながらビラを突き出す人(そういう無所属の区議会議員が、かつて同じ場所でビラを配っていたのだ)よりよほど好感が持てる。無愛想な人格者もにこやかな差別主義者もいる、というだけのことなのだが、それと同様に、日本人と見わけのつかない外国人だっていることを、彼らは想像できないのだろうか。

 受け取ってしまったビラを、持ち歩くのも嫌だったが、かといって突っ返すのもトラブルの元だし、やむなく持ち帰ってすぐ捨てた。そのあとも作業。茄子の煮浸しをつくってカレーと食って、夜まで原稿をやって、すこし散歩。スポーツドリンクとかゼリー飲料をドサドサ買って帰り、すぐ寝た。37/558


2月17日(金)早く起きたが頭の芯のあたりが痛く、起き上がるまでに時間がかかる。そのあとだんだん痛みが強まって、仕事が手に着かない。やむなく今日は朝で閉店、本休日とする。『ふしぎな中国』を進読、しかし、午後には痛みが耐えられなくなり、ロキソニンを飲んだ、ら、三十分ほどで楽になる。

 痛みが落ち着いたあとは速度もあがり、ぐんぐん進読。寿司を買いにスーパーまで歩き、ついでに美味い惣菜屋さんでドサドサ買った。

 帰宅しても読みつづけ、夕方U-NEXTでガス・ヴァン・サントの『エレファント』。ラストシーンがこわすぎる。我的いちばんこわい映画のラストシーンは『ダゲレオタイプの女』だったのだが、それに次ぐこわさ。『エレファント』のあとは間髪入れずに同じ主題のマイケル・ムーア『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観、ヘヴィーな気持ちで寝。37/558


2月18日(土)晴。花粉症の薬を飲みはじめた。あまり具合良くなく、無理に散歩に出。スタバで期間限定のソイラテをテイクアウトし、家で飲みながらすこし作業。しかしそのあとは頭痛と吐き気で何もできず、けっきょく今日も読書の日にする。

 昼休みに『大菩薩峠』。男装したお松は、兵馬が名乗っていた〈和田静馬〉という偽名を勝手につかっていたのだが、たまたま本物の和田静馬=兵馬がちかくで投宿していたせいで、御用改めのお役人に怪しまれてしまう。そこへがんりきがやって来て、とにかく逃げるぞ、と手を引いて外に出た、ところでがんりきも何者かに襲われて逃げ出し、お松はなぞの馬子に連れられてその場を去っていく。

 本作、闇討ちが多いし、夜の暗闇のなかに隠れて正体がわからない人物もたびたび出てくる。私が本作を読んでいる二〇二三年に比べて、本作が発表された大正から昭和の、本作の舞台である江戸幕末の夜はほんとうに暗かっただろう。

 大正から昭和の読者にとってもやっぱり、ガス灯すら開発される前の江戸時代は暗かった。そして江戸の街中ならまだしも、甲州との間の峠なんて、一歩外に出ればもう、提灯の光の及ぶ範囲しか見えない。その光は、ときには木や岩に当たってくろぐろとした影を作る。夜の山の闇よりも提灯の光が投げかける影のほうが暗く、誰かが身を潜めているように感じられる、のは、私が眩しいほどにライトアップされた街に慣れてしまっているからだろうか。

 能登守は江戸に戻ってきたものの、病身の妻は実家に引き取られたという。「未来の若年寄から老中を以て望みをかけられたほどの若い人才が、ほんの一人の女のために身を誤ったとすれば、悲しみても余りあることであります。」とか、「一死よりも名誉を重んじ、一命よりも門地を尚ぶ習慣の空気に生い立ちながら、みすみすこういうことをしでかした能登守には、魔が附いたと見るよりほかはないのであります。それほどの馬鹿でもなかったはずの人が、これより上の恥辱はないほどの恥辱を以て、生きながら葬られたことは、ひとごとながら浅ましさに堪えられないほどのことであります。」とか、地の文は、お君という被差別民出身の女に熱を上げたことを糾弾するような口ぶり。

 なんというか、私はこういう、身分違いの恋が実を結ぶ物語、に慣れすぎていてへんな感じがするのだが、当然のことながら、実際には身分違いの恋というのはだいたい破れるものなんだよな。

 能登守は身分を失って本名の甚三郎に戻り、かつての学友で、兵馬の脱獄仲間である南条と再会する。蒸気機関をつかった独自の砲艦を開発しようとする甚三郎、なんとも生き生きしていて、失脚したあとのほうが元気になっているではないか。

 いっぽう、自分の出自が原因で能登守が失脚し、身重の状態で離縁されたお君は、江戸・王子の扇屋に匿われながら、まだ能登守への思いを抱きつづけている。甚三郎のところに手紙を届けてきた兵馬に、「殿様のお言葉一つによって、わたくしはこの場で死にまする」などと口走る。恋というのは人を捨て鉢にするものだ。お君がすっかり大人になってしまった。

 しかし兵馬も、「殺してよい時はこの兵馬が殺して上げる、それまでは不足ながら万事を拙者にお任せ下さい」などと言っていて、お君を江戸に送ったらすぐに仇討ちのために甲州に戻ろう、と考えていたくせに、最後はおれがおまえを殺してやる、というのは、これは愛の言葉なのでは……? 再会した南条にも、じゃあ兵馬がお君を娶ってしまえばええ、などと言われてドギマギしている。88/558


2月19日(日)曇。午前、スズキロクさんの『よりぬきのん記2022』が届く。今日も具合の悪さにかまけて読書。昨日も今日も、読書ができるということは、私にしてはけっこうマシなほうだ。とはいえ仕事をほとんどしない週末を過ごしてしまった、そのぶん明日から捗らせねば……。88/558


2月20日(月)晴、夜すこし雨。金曜からずっと頭の芯の痛みが続いている。今日はカウンセリングもあるので、早めにロキソニンを飲んだ。二時間ほど作業してカウンセリング。花粉症の薬の副作用でやたらと口のなかが乾き、たびたび声が掠れる。

 さいきん飛行機や新幹線に乗る夢をよく見ます、夢のなかではそういう乗りものに乗ることを楽しんですらいるのに、眠りから覚めればわたしは新幹線の駅や空港に行くことすらできない、それが歯がゆいです、というような話をしたところ、夢に出るのは脳のなかで記憶を適切に処理できてるということ、良い方向にむかっている兆候なんでしょうね、きっと正夢になりますよ、と言われ、不覚にも涙ぐんでしまう。

 カウンセリングを終え、大量の生野菜を食って『大菩薩峠』。主膳の邸に残されたムクは、余興として生きたまま皮を剥がれそうになる。主膳は屠殺を生業とする被差別民の男二人を呼んだ、が、ムクはすんでのところで逃げ出した。

 道庵は隣人とトラブルを起こして、三十日間手錠をつけて生活する、という罰を受ける。そこへ米友がやってきて使い走りを請け負い、その途上で井戸に落ちた子供を見つけて助け出した。その井戸はお松とお君が預けられた家のすぐちかくで、その騒ぎを覗き見て二人は米友が江戸にいると知った。

 甲州では、竜之助とお銀はまだお浜の実家に仮寓している。しかし折からの大雨で、お銀の外出中に洪水が起きた。水が引いてからお銀は竜之助を探してさ迷い、ムクと出会う。ムクは大水のとき、恵林寺から飛び出して竜之助を助けに行って、もろともに水に流されたところを、お角の配下の者に救われたのだった。それでお銀と竜之助は再会。

 兵馬はお君を人に預けて甲州入りするが、主膳の邸(兵馬はまだここに竜之助が匿われていると思ってる)は火事で焼け落ちていた。ムクの皮を剥ぐために呼ばれた二人の男が消息不明で、主膳に殺されたと思った仲間の被差別民たちが襲撃したらしかった。その混乱のなか、主膳とお絹は被差別民に攫われてしまう。これで竜之助の手がかりもなくなった。お君の出自を暴露された能登守、放火された神尾主膳と、甲州の権力者二人が相次いで差別の構造のなかで失脚してしまった。この構図はなにか、中里の意図を感じる。

 午後ももくもく作業をして、一時間ほど散歩。かつての出勤ルートを、今日は猫の家の二ブロック先まで歩き、そのあと住宅街のなかをウロウロする。こないだ日本第一党の人間がビラ配りをしてた交差点に、今日は無所属の人がいて、「しがらみなし!」と叫んでいた。150/558


2月21日(火)晴。本格的に花粉が飛びはじめたのか、朝から喉が痛く、声も掠れている。昨日より寒かったらしいが、郵便受けを見に行った以外は部屋にこもっていた。

 昼はサラダとクッキーで済ませ、今日は休憩もほどほどにしてずっと書いていた。そのあと夕食にブッラータチーズのリゾット。夜には脳がしおしおで、もう本を読んだりテレビを観たりする元気もない。ちょっと作業をがんばりすぎた。150/558


2月22日(水)快晴。自分のくしゃみで目が覚める。三十分ほど散歩して、誘惑に負けてさくらフラペチーノを買って帰った。

 昨日、あまり休憩せずにドドドドドと書いたら良い調子で捗った、ので、今日も同じように進めていく。紅茶を、一日を終えて思い返せば二リットル以上淹れ、トイレにもたびたび立ち、その中断が良いインターバルになって、無意識にポモドーロテクニックを実践できてたような。

 昼休みに國分功一郎と千葉雅也の対談集『言語が消滅する前に』を起読して、三十分くらい散歩。あとは夕方まで集中して書く。

 夜、またすこし歩いて、良い中華のテイクアウトでパーッとやる。脳がしおしおになっていたのが癒やされた。辛いものは良い。風呂に入って『言語が消滅する前に』を進読。ふたりともすさまじく明晰で、ほんとにアドリブで喋ってるの……?となった。150/558


2月23日(木)快晴、午後は曇が出てきた。五時ごろに一度起き、そのあとまた三時間ほど寝。喉が痛い。花粉症が出ているのだが、去年も一昨年もそうだったように、コロナか、と一瞬ぞっとする。

 起き上がって始業、ひとしきり作業をしてから、昼食に昨日の中華の残りを食う。今日が返却期限の『言語が消滅する前に』を読んで、たらこの炊き込みご飯と生野菜を食おうとした、ら、何口か食べたところでいきなり吐き気。空腹でもないのにものを詰め込むものではない。すこし休んで完食した。

 鬱々としつつ三十分くらい昼寝して、また読書。夕方散歩に出、買いものをして帰宅。鬱々としながら漫画を読み、風呂のなかで鈴木涼美『娼婦の本棚』を起読。わたしもこういうの書きたいですね。タイトルは『末っ子の本棚』で……。150/558


2月24日(金)曇、夜は雨。二度寝して、軽めの朝食をとって散歩。十五分ほどの距離まで行ったところで、便意をこらえきれず、商業ビルのトイレに籠もる。

 昼食も軽めに、推敲しながら米を茶碗一杯食うだけ。そのあと『大菩薩峠』を進読。兵馬は、かつて命を救った、主膳の元配下である金助を従者として、竜之助(とその庇護者である主膳)を追って江戸を目指す。金助は、いまの主人である兵馬と、かつての主人である主膳の間でうまく立ち回って一儲けしようと目論んでいるらしい。

その江戸では、主膳とお角、お銀と竜之助の四人がボロ屋敷で共同生活を送っている。竜之助を従えて遊郭に遊びに行った主膳は金助と出くわした。金助はすぐに兵馬にそのことを注進して、兵馬は、お松(とお君)から金を借り遊び客のふりをして遊郭に向かった。お松とお君は兵馬を心配して、彼といっしょに脱獄して以来の仲である南条たちに様子を見に行ってくれるよう頼んだ。第三巻も半ば近く、とうとう仇討ちのムードが高まってきた感じで、わくわくしますね。

 米友は見世物の一座(お角が運営していたのとは別)に所属しているが、ふと折りたたみ式の梯子を持って抜けだし、路上で大道芸を披露する。そこへお偉いさんの行列がやってきて、また米友の天邪鬼が大騒動を起こした。うまく逃げおおせて機嫌が良くなった米友は、ふと、故郷にいたころから名前だけは聞いていた吉原の遊郭に行こうと思い立つ。

 いっぽう、その吉原で遊んでいた竜之助が、とつぜん吐血して昏倒した。ここまで彼は、襲撃に遭って目が見えなくなった以外、とくに身体が弱い描写はなかったように思うが、何の病なのだろう。

 兵馬は主膳が遊び疲れて寝ていた部屋に押し入り、竜之助の居場所を求めて拷問しようとするが、首を締め落としてしまった。死んだと思ってその身体を担いで吉原を出た、ところで、お角と金助にぶつかる。お角から、竜之助が主膳といっしょにいたはずだ、と聞いた兵馬は、息を吹き返した主膳の身体を放っぽって吉原に引き返した。

 しかしその吉原では、乱暴な兵隊連が郭に上がるのを断られて大暴れしている。その隙に米友が、どうやら竜之助を連れてどこかへ姿を消したらしい。

 ここへきて一気にサスペンスめいてきた。しかし、どうも、その日読んだ範囲(だいたい毎回三十から六十ページくらい)内で何が起きたか、を書き留めるだけで日記の記述がいっぱいになってしまう。考えるいとまがない、というのか、この性急さが剣戟の速度だ、と私は一巻を読んだときに書いたが、そのスピード感と全十巻というすさまじい長さは、いっけん矛盾している。どうなるのかな。

 夜、作業をしていたら、タイピングで机が揺れたせいか、三十センチくらいの高さに積んでた書類が一気に崩れ、その脇に置いてたマグカップが倒れる。机の上も床も出涸らしの烏龍茶でべちゃべちゃになってしまった。重要な書類は無事、電子機器も無事だった、が、濡れた服を着替えて床を拭きながら、ひどくみじめな気持ちになる。

 バイトを辞めてちょうど一年が経ったのに小説家としての成果はほぼなく、それどころか、去年の夏から年末にかけて、各誌の編集者に合計で千五百枚ちかく渡した原稿の、掲載可否の連絡すら一つもこない。貯金も底が見えてきて、パニック障碍も一進一退で働きにも出られず、毎日身体のどこかが痛かったり吐き気がしたりで、もうずっと何もいいことがない。

「自分の人生は今いるここが底だ、ここから先は良くなるばかりのはず」だ、と私が日記に書いたのは去年の四月で、それからもう一年ちかく、ずっと底でもがいている。パニック障碍で人生どん底の時期は次に起きる〈いいこと〉の準備段階みたいなものだった、と宮本輝は書いていたが、そう書けるのは彼が生き残ったからだ。私も生き残りたい、宮本みたいに六十四歳になっても元気で小説を書いていたい、そしてあわよくばめちゃ売れたい、のだが、そのヴィジョンは現状からあまりに遠い。ぐんぐん冷めていく風呂のなかでさめざめと泣いてしまった。202/558


2月25日(土)朝は快晴だったが、次第に曇り、夜は雨。ずいぶん遅くまで寝ていた。起きて軽めに朝食をとって、今日締め切りの地元紙のコラム。昼ごろ送稿。そのあとは『娼婦の本棚』をもくもく読み進める。夕方すこし歩き、帰宅したあたりで、昨日の絶望感がぶり返してくる。むりやり押さえつけてなんとか『娼婦の本棚』を読了。日付が変わるころまた散歩して、返却ボックスに放りこんだ。202/558


2月26日(日)快晴。いい天気。昨夜は二時ごろまで起きていた。ゆっくり起きて、窓のブラインドをすべて開け、日向で読書。ゲルハルト・リヒターの『写真論/絵画論』。夕方ごろ読み終えて、暗くなったあとスーパーへ。しかし店内を巡っている間にパニック発作を起こしかけ、慌てて外へ出、そのへんをうろつき回った。202/558


2月27日(月)快晴。ぐっすり寝ていた。日本を代表して国連でスピーチする夢を見た気がするが、何を話したかは憶えていない。昨夜の失敗を引きずって、朝からナーバスになっている。吐き気と息苦しさ。炊き込みご飯を焦がしてしまった。吐きそうなのを無理に詰め込んで朝食として散歩。具合が悪いわりには遠くまで歩けたかしら。買いものして帰宅、始業しようと思った、ら、やっぱり昨日のことを考え続けてしまい、捗らず。

 早めに昼休みをとって『大菩薩峠』。だんだん腹が膨らんできたお君、世をはかなんで、今にも気が狂ってしまいそう。心配したお松は、外で偶然ムクと会い、連れて帰る。能登守との関係にのめり込んでムクへの思いやりを忘れてしまったお君、これでまた心を取り戻せばいい。

 吉原での騒動の際、米友が竜之助を連れて消えたのは、目が見えず、病で吐血までした竜之助を、しかし殺そうと付け狙う者がいることがわかったかららしい。「眼が見えなくなって身体の悪い人間を苛めようてのは、これより上野卑怯な仕業はねえから、それで俺らは、できねえながらも、お前のために力になってやりてえと思うんだ。」二人は長屋で共同生活を送っている、が、竜之助は、夜な夜な米友が寝た隙に、辻斬りに出ているらしい。

 そしてある夜、ついに竜之助は、我を失って外を出歩いているお君に、少なからぬ因縁のある人と知らずに襲いかかった。しかし割って入ってきたムクに邪魔された。お君とムクはもんどりうって橋の下に転がり落ちた。その場から逃げながら竜之助は、目が見えないながら、今の犬はなんだか覚えがあるような、と考える。

 振り返れば、一巻の後半で、紀伊から江戸を目指す途上、竜之助はほんの短時間(一ページに満たない間)、ムクと同道していたのだった。そのとき竜之助は、目に傷を負ったが完全に失明する前で、いっしょに歩きながらムクに、「おれの眼の見える間は跟いて来い、眼が悪くなった時は、先に立っておれの導きをしろ」と言っていた。失明するより前に竜之助とムクは別れてしまったのだが、ここでムクが、人の道を外れていこうとする竜之助の邪魔をした、というのは、かつての言葉に忠実に従った、と言えるような、どうだろうか。

 と思ってたら竜之助、お君を斬りそこねたせいで殺人衝動を持て余し、たまたま会った按摩さんを無惨にも斬り捨ててしまった。何をやってるんや。

 かつての能登守、身分を失った今はただの勘三郎になった男は、散切り頭と洋装に姿を変えて、アメリカで砲術を学ぼうと思っている。幕末、開国の気配。このへんの時代のことをよく知らないもので、大学院のゼミで読んだ『夜明け前』のことをちょっと思い出す。あれもめちゃ長い小説だったが、『大菩薩峠』ほどじゃない。

 章が変わって、舞台は房総半島の突端、安房の国。冒頭で語り手は、安房はめちゃ小さい、と書いたうえで、読者のなかの〈安房の国の人〉に呼びかけ、菱川師宣を産んだ土地だ、幕府を開く前の源頼朝が雌伏の時を過ごした土地だ、と持ち上げながら、こう語る。「それからまた、形においてはこの大菩薩峠と兄弟分に当る里見八犬伝は、その発祥地を諸君の領内の富山にもとめている」。地名としての〈大菩薩峠〉は何度か出てきたが、小説のタイトルとして本文中で言及されるのはこれがはじめてだ。講談であれば、聞き手に呼びかけ、自分が語っている物語の題を口にしても不思議ではない、が、こういう書きかた、小説としてはちょっと珍しい。そして里見八犬伝を〈兄弟分〉だと思っているのだな。

 見世物の一座を再結成しようともくろむお角は、安房の国に〈珍しい子供〉がいるという噂を聞き、仲間に引き入れようと、船で東京湾を渡ろうとする。しかしその途中で嵐に遭い、彼女は一人で海に投げだされ、洲崎の浜に打ち上げられた。嵐が去った朝、彼女を見つけたのが、アメリカ行きの船に乗りはぐれたらしい勘三郎だった。彼はお角にとって、かつて甲州に行く途中、通行手形を持たずに甲州に行こうとしたのを目こぼししてもらった恩人だ。竜之助─ムクとか、勘三郎─お角とか、長篇のなかでほんの一、二ページ交わってすぐ離れた糸が、あとあとになってまた結ぼれている。伏線の妙だ。

 午後になっても鬱々していて、気分転換に散歩にでる。三十分ほど。ようやくスイッチが入り、ガシガシ書いていく。夜は鮭のホイル焼きを作って、食いながら美輪明宏の人生相談の番組を観。「貴方の鋳型に合わせて作られた人はいません/理想に合わないのは当たり前です」という言葉が最後に掲げられていて、それはそう、となった。259/558


2月28日(火)晴、昼間は春の陽気。洗濯ものを畳んでミニクロワッサンを食い、始業。比較的体調は良いが、手がひどく冷えている。もくもく書き進めていく。

 昼休みにクリームパスタを大量に食って『大菩薩峠』。お角は、探していた〈珍しい子供〉と偶然知り合い、江戸に連れていくことになる。

 いっぽうそのころ、南条たち脱獄組は、がんりきの手助けで何か悪だくみをしているらしい。勤王派である南条たちは、駒井能登守と神尾主膳がいなくなった甲府の城を乗っ取って、開国をしようとする江戸幕府に圧力をかける、という計画を立てている。で、尊王攘夷派の軍用金二万両を運んでいる、ということらしい。話がでっかくなってきたな。

 お角は江戸で、新しい一座の看板の揮毫を主膳に頼んでいた。主膳・お絹・お銀の暮らす家は〈化物屋敷〉などと言われていて、お銀の部屋に迷い込んだお角は、その部屋にある絵巻物を何の気なしに見て、描かれているすべての女性の顔が、針で滅多刺しにされ、あるいは墨で点々を打って潰されたりしているのを見る。幼少期に顔に火傷を負い、自身の見た目にコンプレックスを持っているお銀の、昏い衝動。

 午後、五分ほどうとうとした以外は、夕方まで集中して作業していた。終業後に冷蔵庫の野菜と冷凍の豚バラを安順の市場のめちゃ辛いスパイスで炒めて、食いながら『憧れの地に家を買おう』を観。脳がしおしおになった。309/558


3月1日(水)気持ちの良い晴、花粉を除けば良い季節。朝、洗濯をして三十分ほど散歩。

 今日もずっと原稿を書く。長篇が佳境に入っている。昼に野菜炒めを作ろうとしたのだが、タマネギを切っていて、自分の指に刃を立ててしまう。傷は小さいが、昼食を終えてもまだ血が出続けて、何度も絆創膏を替える。散歩にも出ず、だらだら夜まで作業を続けてしまった。こういう働きかたをしたときだいたいそうなるように、時間ばかりかかって、あまり仕事は捗らず。能率が悪い。夜は魚介のコンソメスープを作った。

 風呂上がりに今日の『大菩薩峠』。お角が江戸に連れてきた〈珍しい子供〉こと茂太郎は、蛇使いの美少年であるらしい。彼はもともと安房の寺に身を置いていたのだが、そのころ仲良くしていた盲目の僧侶・弁信が、茂太郎に会いに江戸までやって来た。

 茂太郎には会えなかったものの、かつて米友が落とした財布を拾った夜鷹のお蝶と知りあって、いっしょに歩いていたところ、何者かが辻斬りをするところに行き会う。悲鳴を聞いた米友とムクも駆けつけて、三人と一匹で事情聴取を受けた。

 もちろん、というか、下手人は竜之助だった。帰宅して、辻斬りのことを問い詰めた米友に、竜之助はこう言う。「拙者というものは、もう疾うの昔に死んでいるのだ、今、こうやっている拙者は、ぬけ殻だ、幽霊だ、影法師だ。幽霊の食物は、世間並みのものではいけない、人間の生命を食わなけりゃあ生きてゆけないのだ、だから、無暗に人が斬ってみたい、人を殺してみたいのだ、そうして、人の魂が苦しがって脱け出すのを見るとそれで、ホッと生き返った心持になる。」明確に辻斬りの理由が語られたのはこれがはじめてではないか。生きる実感を得るために人を殺める、ということか。

 いっぽうお銀は、吉原に行ったまま姿を消した竜之助が、どうも米友の家にいるらしい、と突き止め、夜中に訪れた。しかし竜之助は今夜も辻斬りに出ている。「お前の知っているお君は美しい子だから、誰にでも可愛がられます、わたしは、そうはゆきません、わたしを可愛がってくれたのは、あの幸内と、それから目の見えない人が、わたしは好きなのです、目の見える人は、わたしは嫌いです、目の見えない人がわたしは好きで好きでたまりません」とすがりつく。

 米友は、竜之助は夜な夜な、女ばかりを狙って辻斬りに出ている、と告げたが、お銀は動じない。「だから、わたしは、あの人が好きなのです、あの人は、平気で人を殺すから、それで、わたしは、あの人が好きです、あの人は、若い女の血を飲みたがっているのでしょう、わたしが傍にいれば、人は殺さないのです、(…)甲府にいるときもそうでした、あの人は平気で何人も殺してしまいます。ええ、わたしだけはよく知っています、どこで、どんな人を幾人斬ったということまで、ちゃんと帳面に記してあるんですから。」すごい情念だ。竜之助の辻斬りの動機が、曲がりなりにも理解可能なかたちで説明された直後だけに、お銀の狂気の得体の知れなさが際立つ。

 今日のところを読み終えて、日記を書き終えたころにはもう日付が変わりそうになっている。あまり捗らなかった日の徒労感。もう寝ましょう。明日か明後日には長篇が書き上がるはず。360/558


3月2日(木)曇、夕方以降すこし雨。自分のくしゃみで目が覚める。朝食のあと散歩、スーパーの開店まで住宅街のなかをうろついて買いもの。昨日書いたものを見直して、長篇の最終章、というかエピローグを書きはじめる。

 昼休みに『大菩薩峠』。こっちももう三月なので、ぐんぐん読まねば。竜之助は、変わらず吉原に通って、しかし遊ぶでもなく寝て過ごす。「そもそも今夜、こうしてここへ、女の名を覚えていてやって来たのも、裏を返すというような遊蕩気分に駆られて、やって来たわけではあるまい。すべてが闇黒であって、ただ人を斬ってみる瞬間だけに全身の血が逆流する。その時だけがこの男の人生の火花なのだから、恋とやら、情とやらいうものは、もう無いものになっているはずです。」虚無感というか、辻斬りの衝動の根源はこういう空虚さなんだよな。

 隣の座敷で双子の童子が尺八と唄をやっているのを聴きながら、竜之助は息子の郁太郎のことを考える。お浜を殺して出奔したまま会っていない郁太郎は、いまは与八が世話をしているはずで、おセンチになった竜之助は尺八を買った。

 兵馬はすっかり吉原にはまり込み、東雲という名の遊女を身請けしたいと思っている。復讐はどうなったんや。しかし先立つものがなく、困っている兵馬に南条が、山崎譲を暗殺すればその金を融通してやってもよい、と申し出る。

 お銀はまだ竜之助を見つけられず、自分の指や腕を針で刺し、その血で写経をしている。そうしていると、針が折れて先端が二の腕の肉のなかに残ってしまった。それを合図にしたように、竜之助が帰ってきた。お銀はすぐに寝てしまった竜之助の顔を見下ろしながらこう言う。「抜かないでおくと、きっとここから肉が腐りはじめるでしょうよ、そうしているうちに、この手を切ってしまわなければ、体中が腐ってしまいましょう」、「もし抜けるものならこの針を抜いて下さいまし、わたしの身体が、悪魔のために腐ってゆくことがおいやならば、この針を抜いて下さいまし。あなたは刀を使うことはお上手ですけれども、この短い針の折れ一本を、どうすることもできますまい。おお痛いこと、ヒリヒリと痛みます。それでもこの痛みはなんだかいい心持よ。もう一本、ここへ針を刺してみましょう、ようござんすか、あなた」、しかし寝てる人にそれを言っても。絵巻物の女性の顔を針でめった刺しにしたり、最近のお銀はなんというか、漫画のなかのメンヘラみたいだ。

 その後竜之助は、駕籠に乗っていても尺八を吹いたりするようになったのだが、その音を聞いた弁信が奏者の家を探り当て、あの尺八を吹いていたのは目が見えない人に違いない、しかし自分と違ってその人の目は治る可能性がある、そんな音だった、と言う。そして彼は、その奏者がいつか目撃した辻斬りの犯人だ、とも言いあてた。

 そしてなぜか弁信は、主膳・お絹・竜之助・お銀が暮らす〈化物屋敷〉に住み着いた。それぞれの部屋で、竜之助が短笛を吹き、隣室でお銀が箏を爪弾き、下の階で弁信が三味線をかき鳴らす。三人はそうやって、違う部屋にいながらにして合奏をする。本作ここまででいちばん好きなシーンだ。良い描写だった。

 山崎を狙った兵馬は、手違いで別の男を斬り殺してしまう。「兵馬はまさしく道を過ったものです。その道は、行けども涯しのない武蔵野の道ではなく、自ら為すべきことの道を過ったものと見なければなりません。」ほんとうにそうだよ。

 午後、すこし作業を薦めて、散歩に出る。四十分ほど歩き回った。帰宅して夕方まで作業、豚キムチ炒めと茶葉蛋、豆とセロリのサラダを食いながら録画してた『ガイアの夜明け』を観、そのあと十分ほどカタカタやって、長篇が完成した。四百四十枚くらい。明日から週末にかけて推敲して、月曜日に送稿しましょう。

 数年来の原稿に目処が立ち、ゴキゲンになって入浴。日付が変わるまで読書をして過ごした。

 夜、Twitterで、定有堂書店が今月末で閉店する、と知る。高校のころ、友人たちとやってた同人誌を一部百円で置いてくれた店で、大人になってからも、『蹴爪』が出たときは手作りのPOPを掲示して、『震える虹彩』もこころよく取り扱ってくれた。三歳から十八歳まで鳥取で、鳥取駅前の富士書店、定有堂、トスク本店の書籍コーナー、吉成のお城みたいな今井書店、の本で育った。富士書店は今井書店に店名を変えて二〇一四年になくなって、定有堂は今月末に、そしてトスクは八月を目処に閉店予定。鳥取駅南のブックオフも今はない。私だってネットで本を買ったり電子書籍を読んだりするのだし、リアル書店が減っていくのは時代の趨勢ではあるのだが。私をつくった書店が、この十年でどんどんなくなっていく。おセンチになってしまうな。416/558


3月3日(金)曇。朝はずいぶん寒い。あまり具合よくないが、三十分ほど散歩して、買いものを済ませて帰宅。昨日長篇をひとまずやっつけた、ので、今日は小休止。事務作業をして、メールをいくつか書いて、読みものを進めていく。タカサカモト『東大8年生』。私にとって著者は高校の四年先輩で、よく出入りしてた定食屋で何度か会ったこともある人。元気そうでなにより。

 昼休みに『大菩薩峠』。弁信とともに外を歩いていた竜之助は、夜の庚申塚で、不倫をした男女が晒し者になっている場面に行き会う。間男はいっそひと思いに殺してくれろと懇願し、女は泣き叫ぶばかり。そこへ妻を寝取られた夫が、抜き身の脇差を持って乱入してきた。無差別に脇差を振り回す夫に斬りつけられた竜之助は、刀を奪って斬り捨てる。現場にはその夫婦の子供もいて、竜之助はふと、この三人に、かつて死んだお豊、お豊に執着していた金蔵、そして我が子の郁太郎を重ね、竜之助を斬ったときのことを思い出す。血濡れた脇差を持って佇んでいる竜之助に、自分の夫と勘違いした女がすがりつく。すぐに別人と気づいて、女は身を引こうとするが、今度は竜之助が彼女を捕まえて離さない。弁信に促されて、竜之助は女を連れてその場を離れた。

「女の心が男に向う時、その男が己れを托するに足りるほどに強い男であることを知った時には、信頼となり、或いは恋愛に変ずることもあります。それと違って、男が弱くして、自分がそれを世話をしてやるという立場に立った時は、女はまたその女らしい自負心が芽を出して、男を愛慕する心も起るものであります。」と地の文は言っているが、そういうもんなのか?

 二人は旅籠に一泊の宿を求める。竜之助は夢の中で、お浜が郁太郎の着物を繕っている姿を見る。つかのま目覚めてまた眠ると、今度は小仏峠に向かって走っている。註にあるとおり、『大菩薩峠』と題され、大菩薩峠の場面からはじまった本作で、小仏峠という地名は暗示的だ。

 夢のなかで立ち寄った旅籠で、竜之助は手紙を書く女を見かける。手紙を覗きこむと、そこには、お豊が自死する直前に聴いていた、お君の歌う間の山節の歌詞が書かれていた。たいへん示唆的な夢だ。

 章が変わって米友は、ひょんなことから、というか、身分の高そうな侍が建具屋の男に因縁をつけて縛り上げてるのを見て義憤に駆られ、その侍が持っていた十文字槍を奪う。侍たちと対峙して米友は、「おいらは宇治山田の米友といって、生れは伊勢国の拝田村の者だが、わけがあって江戸へ出て来たには出て来たが、江戸に来ても根っから詰まらねえや、時候のせいかこのごろは、気がいらいらしてたまらねえ、右を向いても、左を向いても、癪にさわる世の中だ、いったい、おいらのような人間は、見るもの、聞くものが癪にさわるように出来てるんだと、このごろつくづくそう思った」とまくし立てる。

『東大8年生』のなかでサカモトは、鳥取から大学進学のために上京して、〈時感差ボケ〉に苦しんだ、と書いていた。「“時感”とは、つまり、主観的な実感における時間の流れの速さの感覚のことだ。」鳥取の時間に比べて東京は、時間の流れかたが速い、というのは、サカモトと同郷で同世代である私も感じるところだった。

 サカモトはその戸惑いを教員の小松美彦氏に相談し、無理に周りの時間に合わせようとせず、自分のなかを流れる時間で生きればいい、そうすれば二つの時間の狭間で苦しむかもしれないが、「そういう苦しみなら、むしろ、徹底して苦しみ抜いたほうがいいと思う。」とアドバイスされ、それを人生の指針としている。米友も小松氏と出会えていれば、「だから、死んでしまった方がいいんだろう、命なんぞは惜しかあねえや、この世の中に未練なんぞはありゃしねえんだ」なんてことを考えなくて済んだかもしれないな、ともの悲しくなった。米友は、建具屋の男の代わりに自分を縛り上げればいい、と申し出る。近くの寺の住職の取りなしで解放されたようだが、米友、これじゃあ長生きできないよ。

 午後、四十五分ほど散歩。坂の多いルートを歩いたとはいえ、帰ると足がパンパンに張っていて、とにかく体力が落ちてしまった。そのあとももくもく読書を続け、夜、キムチ鍋を作って食う。昨日死去したという新興宗教のカリスマの、教団を離れた長男のYouTubeが話題になっていて、つい観てしまう。死んだ父親の霊を降ろしたイタコ芸。世のなかにはへんなものがたくさんある。468/558


3月4日(土)快晴、午後は曇。スキー場にいる夢を見た、が、私はロッジから出ず、滑らなかった。今日は長篇の見直し作業。全篇プリントアウトして青ペンで細かく書きこむ。四百枚以上あるので時間がかかるな。

 昼過ぎ、図書館に行って今日が取り置き期限の本を借りるだけの散歩をして、午後ももくもく推敲。通して読むのはこれがはじめてだが、なかなか良い小説ではないか。自分で書いたのに、ちょっと感動してしまう。

 三食ぜんぶ昨日の鍋を、具を足したりうどんを突っこんだりして食いつくし、けっきょく夜の九時過ぎまで集中していた。編集者には明後日送稿する予定。今日は『大菩薩峠』も読まなかったな。468/558


3月5日(日)曇。昨日の疲れでぐっすり寝。朝から肉汁たっぷりのハンバーグを食らい、すこし腹を休めてから資料読み。

 昼休みにはやみねかおる『ギヤマン壺の謎』。〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉の外伝で、なぜか幕末を舞台にして、本篇の登場人物がほとんどそのまま登場している。幕末といいつつ、巻頭やあとがきにあるように、ほとんど時代考証というのをせず、「カタカナをあまり使わないようにしよう。」くらいのコンセプトで書かれている。このおおらかさがええですよねえ。

 私にとっては人生ではじめてよむ時代小説だったこともあって、題にもある〈ギヤマン〉や〈黄表紙〉、〈手妻〉みたいな、本書で憶えた言葉、がたくさんあった。攘夷/開国/佐幕を夢水清志郎左右衛門(良い名前!)がじょうろ/かすてえら/砂漠と聞き間違えるのも、ちょうどそのころ社会科の授業で歴史を教わっていたこともあって、印象に残っている。

 ゐつ、という軽業師が、ふわりと跳びあがり、空の湯飲みの縁に立つ、というシーンも、たびたびうっとりと思い出していたからか、文章ではなく映像として(そんな映像観たことないのに)憶えていた。

 とはいえ、当時は、夢水といっしょに江戸を目指す才谷梅太郎の正体が誰なのかはわからなかったな。いま調べてみると、才谷梅太郎というのはその人物が実際につかっていた変名らしい。

 後半の語り手である亜衣が、長刀の使い手である真衣について、「一度、三人の大人を物干しざお一本でたおしてしまった。このときは、江戸城の庭そうじをする人たち(庭そうじじゃなかったかな……)から、仲間にならないかって誘いがあった。」と書いている。これも本巻を読んでいた小学生のころは意味がわからなかったが、今は御庭番のことだとわかる。しかし私にとって御庭番といえば和月伸宏『るろうに剣心』の御庭番衆のことで、今日この記述を読みながら、和月の絵柄で描かれた真衣を想像し、それって操(『るろ剣』の、御庭番衆の前頭領の孫娘)では、とまで連想した。生きるなかで見聞きしたものを再確認できる、というのが、時間を経た再読の面白さだ。

 そういえば本巻の冒頭の舞台はエディンバラで、大学教授のベル氏と夢水の会話が描かれている。そのなかで、混迷をきわめる幕末の日本に帰るという夢水にベル氏が「バリツの心得でもあるのかね?」と尋ね、夢水が「ばりつ? ああ、武術のことをいってるんですね。」と返す。ここも当時は意味がわからなかったけど、〈シャーロック・ホームズ〉のパロディだったんだな。しかしバリツというのは架空の武術で、ホームズがその使い手だと明かされる「空き家の冒険」の初出は一九〇三年、日本では明治三十六年で、とっくに江戸時代は終わっている。だからベル氏がバリツを知ってるはずがないのだ。おおらかですねえ。

 ホームズといえば、ベネディクト・カンバーバッチの『SHERLOCK』のどのエピソードだったか、変質者呼ばわりされたシャーロックが、「ぼくは変質者じゃない、高機能社会不適合者だ!」と言い返す、というシーンがあって、印象にのこっている。吹き替えで観たから原語で何と言っていたかはわからないけど、高機能社会不適合者、ちょっと夢水清志郎みたいだ。私もこうやって胸を張れるようになりたいですね。そのあと、風呂のなかでノルベルト・エリアス『死にゆく者の孤独』を読了した。468/558


3月6日(月)雲の多い晴。朝食は豆板醤を入れた味噌汁と生野菜。そのあと三十分ほど散歩して、地元紙のコラム。やや難航しつつ、午前いっぱいかけて完成。

 夕方まで寝かせることとして、昼休みにプルースト。お角の一座を離れた茂太郎は、下総・小金ヶ原の一月寺というところで、旧知の弁信と再会する。二人は当地で勃発した〈えいじゃないか〉運動の中心になった。民衆をコントロールしようとする神主に利用されそうになり、弁信は茂太郎が死んだことにして、江戸の菩提寺で弔う、と言って逃げ出す。

 小金ヶ原のえいじゃないかが江戸でも話題になっていて、道庵は米友を連れて見物に行こうとする。家を出たところで、まさにそのえいじゃないかの行列と行き会った。江戸に向かう弁信に、集団がついてきてしまったらしい。四人は合流して、どうにか行列から逃れた。茂太郎と弁信は、ひとまず道庵のところで匿われることになった。

 えいじゃないか、についての記述はひとまずここで終わり。貧窮組もそうだったけど、中里は民衆の自然発生的な騒動というのにつよく惹かれているらしい。

 神尾主膳は、かつて酔った勢いで弁信を殺そうとして失敗、額に大怪我を負った。治らないどころかジクジク痛み、酒を飲むたびにその恨みを思い出す。そもそも酒乱で酔うと右も左もなく暴れる人間で、今度は、土蔵のなかに弁信がいるはず!と思い込み、槍で突きまくってなんとかこじ開けようとする。しかしなかなか開かないし、そもそも中にいるのは弁信ではなくてお銀だ。そのことも知らず一人興奮して主膳は、ついに土蔵に放火をした。幼少期に顔を火傷したお銀にとって、これはほんとうに辛いだろうな。お銀はどうにか逃げて姿を消し、あとには全焼した屋敷と、呆然とする主膳が残される。

 勤王派の南条は、江戸市中の取り締まりにあたっている庄内藩主の酒井左右衛門尉を無力化しようと、がんりきを唆して、酒井の愛妾お柳を籠絡させようともくろむ。がんりき、「人の物でもわが物でも、一旦ものにしようと思ったら、逃したことのねえがんりきの百でございます」と豪語していて、お絹とお角はがんりきを巡ってキャットファイトしてたし、ずいぶんな色事師として立ち回っている。

 そのころ竜之助は、なぜか高尾山頂にいた。庚申塚で行き会った女に導かれるままにここまできて、小さなお堂に身を隠した。そして百日間の滝行の末、再び目が、ぼんやりとではあれ、見えるようになったらしい。そして、以前いっしょに行動したお徳を呼び寄せて、身のまわりの世話をさせている。

「しかしながら、竜之助の気は知れない。遠く白根の山ふところから、かりそめの縁の女を呼び寄せてどうする気だ。彼には近き現在に於てお銀様があるはずだ。また庚申塚の辱めの時から、夢のようにここまで導いて、蛇滝の参籠に骨を折ってくれた小名路の宿の女も、たしかに宿に隠れているはずだ。理想のない人には、人生が色と慾とよりほかにはない。生きていることが真暗であった竜之助に、人を斬るの慾と、女に接するの慾と、その二つよりほかになかったものか知らん。今、幸いに、何かの恩恵によって、朧げながら再び人の世の光明を取り戻しかけたという時に、もう女無しではいられないというのはあまりに浅ましい。呼び迎える男も男だが、それに応じて来る女も女だ。」と地の文の語り手もあきれ顔だ。ともあれ、これで竜之助の目は再び見えるようになり、これからどう転がっていくやら。ようやく本文を読了、そのいきおいで註や解説までぜんぶ読む。

 午後、散歩に出る。百均で換気扇のフィルターを買い、食材もちょっと調達して帰宅。水原涼公式サイトを更新したり、こまごまと事務的なことを片づけたり。夕方また散歩して、夜食にエビフライなどを食ってから、一昨日推敲した長篇の書き込みを、ひとつひとつ検討し直しながら原稿データに反映する。夜十時過ぎにようやく終了、編集者に送稿。彼と執筆を約束したのは二〇一九年の十二月で、もう三年あまりが経ってしまった。私のこと憶えてるだろうか。557/557


3月7日(火)晴、暖かい。夜中の一時に、昨夜送稿した編集者からの返信が来ていた。そういう働きかたをしているのが、彼のイメージとよく合っていて、まあ無理せずバンバってください、という気持ちになる。

 今日は確定申告の作業。昼食の唐揚げを挟んで、午後の早い時間にオンラインで申告終了。年々効率が良くなってきている、が、次回からはインボイス制度の導入で、どうなるのやら。

 午後は読書をしたり、細かい事務作業をやったりして過ごす。そういえば、この半年で長篇を三つ完成させたんだな。計千六百枚くらい。どれも数年前から構想だけはあった作品で、それがこの半年に固まったのは、去年退職して時間ができたのもあるけど、ちょっとずつ書けるものが広がってきているのかもしれないな。まだ三作とも没になる可能性もありますが……。


3月8日(水)晴。暖かい。短めの散歩と買いものをして始業。新聞に寄稿したコラムや書評はスクラップしておくことにしていたのだが、けっこう面倒で怠っていた、のを、一気にやっつける。二〇二一年の一月ごろから、丸二年分。昼過ぎまでかかった。腰と首がひどく痛く、単純作業なのにめちゃ消耗した。

 そのあとはもう疲労困憊で、作業も捗らない。再読する余裕もなく今月の大菩薩峠文章を起筆したのだが、頭が回らず。すこし散歩して図書館に行き、夜は今日からはじまったてりたまバーガーを食いながら、千葉ジェッツ対宇都宮ブレックス。ジェッツのマスコットがかわいい。


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