top of page

大菩薩峠 2023.3.11~2023.4.9

3月11日(土)晴。花粉の飛散量のピークがきているらしく、薬を飲んでも頭に靄がかかっている。十四日に公開するため、『大菩薩峠』の三巻を読んでた時期の日記の改訂作業、をしていると、六日に「昼休みにプルースト。」と書いていた、ことに気づく。『失われた時を求めて』読了から半年ちかく経つのに、私はまだプルーストから離れられていないのか……。

 今年書く中短篇群のための案出しをしつつ、アニー・エルノー『ある女』を読。エルノー作品でいちばん好きだった。「今、私には思える。母について書くことで、今度は自分が母をこの世に産み落とそうとしているのではないかと。」という言葉が印象に残る。

 マラルメは八歳で要請した息子の死を作品化しようとし、二〇二の紙葉を残して断念した。『アナトールの墓のために』と題されて出版された紙葉のなかにはこういう言葉が書きつけられていた。


必要なのは──この素晴らしい息子の知性を相続し、それを生きかえらせることで──彼の明晰さをもって──この作品を構築することだ──私には広大すぎるこの作品を

(紙葉一三〜一五)


苦しみ──無知のうちに流れる──虚しい涙ではなく──おまえの影を養いその影をわたしたちのうちで生きかえらせる感情──おまえの影の居場所をつくり──おまえの影を生きかえらせる貢物

(紙葉一一四)


 喪われた息子の〈知性〉を受け継いで、一篇の詩として産みなおすこと。私はこの試みに背中を押されるように、二〇一六年に死んだ祖母についての小説を書いた。のちに「鳥たち(birds)」として発表されるその作品は、当初はマラルメの言葉を引いた「無知のうちに流れる涙」と題されていたのだった。

 十九時から、WBCの日本対チェコ。試合は三時間半ほど、終了後のインタビューまで観てたら二十三時ちかくなっていて、そのまま力尽きて寝。野球は長いな。


3月12日(日)うっすら雲のかかった晴。散歩に良い季候だ、花粉さえなければ……。

 今日もセッセと案出しをして、午後バスケの天皇杯決勝、千葉ジェッツ対琉球ゴールデンキングスを観。沖縄、サッカーもバスケもチーム名に〈琉球〉を使っている。本州からの独立心、という理由が最初に思いつくけど、どうなのかしらん。国立大学も琉球だ、と思って調べてみたら、設立当時は琉球列島米国民政府というのの管轄下だったらしい。


3月13日(月)雨。寝起きが悪いが散歩に出、しっとり濡れる。ひきつづき案出し。過去のメモを見返したり、本棚に並ぶ背表紙を眺めたり適当に手に取ってパラパラめくったりしつつ、じっと考える。小説家は小説を書いているときだけではなく、ボーッとしてる時間も仕事をしているのだ、と(だいたい揶揄的に)よく言われるが、まさにそれをやっている。こういうインスピレーション系の作業はインプットの質とそれを担保する量がものを言う。私はほんとに読書量が足りない。

 ようやく五十個しぼりだし、散歩に出。一時間強歩いて、メモの整理をしていると、大江健三郎の訃報。三月三日、享年八十八。ここ数日、小説のネタを考えながら、大江もぜんぶ読まないとなあ、と考えていたところだった。

 私のいちばん好きな大江は『新しい人よ眼ざめよ』で、「鳥たち」を書けたのはあの作品の影響が大きかった。光を目指して書くこと。はじめて大江作品を読んだのは二〇〇七年、『﨟たりしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』の単行本が出たときだった。高校のうちに読んだのはそれと『芽むしり 仔撃ち』と「死者の奢り」くらいだった気がする。大江のデビュー当時、あまりの作品の質の高さに、多くの小説家志望の青年が自信を失って筆を折った、という伝説があって、私は彼が世界文学史に残る書き手だと認められたあと──要するにノーベル賞を受けたあとで読んだからか、自信を失うことこそなかったけど、文体の感染力が高すぎて、あんまりこの人の文章を読みすぎるのは危険だ、と思って、その後数年離れていたのだった。また読み出したのは大学三年生だったか、ゼミで『「雨の木」を聴く女たち』を読むことになったからだ。それからはちょっとずつ、年に一作ずつくらいのペースで読んでいる。

 二〇一七年に、なぜ読んだのだったか、女性自身のweb版で、「大江健三郎氏 長篇執筆から4年…「神経症療法」病院通いの今」という記事が出ていた。題のとおり、「近年は『もう書けないかもしれない」と悩んでいたそうです」という〈大江氏の知人〉の言葉をキーに、『晩年様式集』(二〇一三)以来小説の発表がなかった大江が、森田療法を実践している病院に通っている、という内容で、後半、記者が氏の自宅に突撃して話を聞いている。


──大江先生、突然申し訳ありません。

記者の問いかけに、「はい」と言って足を止める大江氏。女性自身の記者であると明かした上で、囁かれている“心配の声”をぶつけた。

──先生が小説を書けないと悩んでいらっしゃるとお聞きしました。

「いえ、悩んでおりません」

──お酒の量が増えていて、奥様もご心配されているとお聞きしましたが……。

「お酒もあまり飲みません。(妻も)心配しておりません。私たちは健全です」

その後も質問を続けようとしたが、名刺を受け取ると足早に去っていく。大江氏の声は終始力強く、治療への不安は感じさせなかった。


 という内容で、下世話を旨とするゴシップ誌にしては好意的な結びだ。「私たちは健全です」というキッパリとした受け答えが良くて、印象に残っている。〈健康〉ではなく〈健全〉なんですよね。きわめて大江的な勁い語彙。私は五十年後にこんな断言ができるだろうか。


3月14日(火)晴。遅くまで寝ている。春眠暁を覚えず、という諺が、春に長く寝るたびに頭に浮かぶのだが、こういうふうにことあるごとに浮かんでくる諺って他にないな。

 朝食も散歩もスキップして始業。解説を頼まれている原稿を読む。大江の死にまつわる記事が大量に出ている、のも、いくつか。本棚の大江作品をパラパラめくったりもする。死んでしまったんだな。


3月15日(水)晴。昨日公開しそびれた大菩薩峠日記を自サイトにアップした。一日かけて、昨日読んだ作品を二度三度読み、どういう取っかかりで書いたものか思案。解説仕事はこれが二度目で、ふだん書いてるものと違う筋肉を使う感じ。夜はストウブでグツグツ無水鍋をつくる。


3月16日(木)晴。三十分ほど散歩して、引き続き解説の作業。大量のメモをひとまず取りまとめ、全体の構成を考える。

 昼休みに『大菩薩峠』の四巻を起読。前巻の末尾、竜之助の目が治り、お徳を呼び寄せて身のまわりの世話をさせていた、のだが、本巻、一行目からいきなり、「温かい酒、温かい飯、温かい女の情味も畢竟、夢でありました。」と書いてあり、ずっこけてしまう。前巻では地の文でも「竜之助の気は知れない。遠く白根の山ふところから、かりそめの縁の女を呼び寄せてどうする気だ。」と呆れていたのだが、あれもフェイクだったということだろう。信頼できない語り手、というか、テーマパークでお客を先導するキャストが、とつぜん現れた妖精に毎回驚いてみせる、みたいなかんじか。

 読みかえしてみても、前巻のラストシーンには、やってきたお徳が幻であることを示唆するような記述は見当たらない。そのかわり、こんな一節がある。「気になるのはこの女の携えている提灯の、後になり先になり二羽の蝶が狂うていることです。あまり気になるから、追ってみたけれども離れません。叱ってみたけれども驚かないで、提灯の上へとまり、後ろへ舞い、その志はひたすら中なる火を取らんとして、焦るもののようです。」幻のお徳の周りを狂い舞う二羽の蝶。

 似た描写は以前にもあった。私が読んだ筑摩書房愛蔵版では二巻、竜之助がお銀と出会う場面。「長持の中から、茶碗ほどの大きさの綺麗な二ツの蝶が出ました。何も見えないはずの竜之助の眼に、その蝶だけはハッキリと見えました。/蝶は雄蝶と雌蝶との二つでありました。しかもその雄蝶は黒く雌蝶は青いのまで、竜之助の眼には判然として現われました。」この蝶は、いっしょにいたお銀には見えていないようだった。二羽の蝶は竜之助の見る幻を示すキーアイテム、ということなのだろうか。

 竜之助は自分の人生において、罪を犯した、とは思っておらず、夜ごとの辻斬りも「渇して水を求むるのと同じことで、自己の生存上のやむにやまれぬ衝動に動かされたのだという、盲目的の信念」をもっている。「悪いことをしていない、という盲目的信念は、今までこの男をして、世の罪ある者の方へ、罪ある者の方へと縁を結ばしめて来た。愛すべきものは罪である。ことに愛すべきは罪を犯して来た女である。今まで彼を愛し、彼に愛せられた女性は皆、この罪ある女ではなかったか。愛でも恋でもない、それは罪と罪とのからみ合う戯れではないか。ただし戯れにしては、その悶えがあまりに重くして深いことの怨みがある。」そうなんかな。もしかしたら竜之助はほんとうは、辻斬りを繰り返してきた自分とからみ合うほどに重い罪を背負った女を求めているのかもしれない。

 兵馬は相変わらず、金ほしさに山崎を狙っていた、が、出くわした七兵衛に、金が必要なら自分が融通するから、それよりお松を大事にしてやってほしい、と言われている。

 午後、散歩に出、久しぶりに強めのパニック発作を起こし、ほうほうのていで帰宅。どうも落ち込んでしまうな。

 夜、スタバの期間限定の、カロリーが強そうなやつをいただきながらWBCの日本対イタリア。50/516


3月17日(金)曇のち雨。また長時間睡眠。午前は図書館で調べもの。そのあとようやく解説を起筆した。

 昼、すこし散歩して、『大菩薩峠』を進読。兵馬は七兵衛に融通してもらった三百両を持ってウキウキと吉原に向かった、が、本人には会わせてもらえもせず、自分は客の一人でしかなかった、とようやく気づく。消沈して、余った金をお松に押しつける。気の毒なのはなぞの大金を押しつけられたお松だ。

 酒乱の主膳に襲われて家を追われたお銀も哀れで、彼女はお角のところで保護されているのだが、いまも頑なに竜之助を想いつづけている。「あの人がほんとうに、わたしを可愛がってくれるから、それでわたしはあの人が忘れられません、あの人だけがほんとうに、わたしを可愛がってくれるのです。それは、あの人が眼が見えないからです、眼が見える人は一人でも、わたしを可愛がる人はこの世にありません」とか、「わたしとあの人とは、しっくりと合います、わたしの醜いところが全く見えないで、わたしの良いところだけが、この肉体も心も、みんなあの人のものになってしまうのですから。わたしは、天にも地にも、あの人よりほかには可愛がってくれる人もなければ、可愛がって上げる人もないのです」と、お角に向かって切々と訴える。昨日から信田さよ子『アダルト・チルドレン』を読んでいるからか、なんだか、顔に火傷を負ったあんたは誰からも可愛がられない、みたいな言葉を投げかけられながら育ったのだろうか、と思ってしまう。

 いっぽう主膳は、弁信を殺そうとしたときの大怪我で延々苦しんでいる。顔の火傷のせいで誰からも愛されない、と思い込んでるお銀と、顔の大怪我で誰にも顔を合わせられない、と引きこもってる主膳、なにか通ずるところがあるような。しかし主膳は酔ってお銀を焼き殺そうとしたのだから、二人が再びつながることはないか。

 竜之助は、目の見えないまま、弁信と茂太郎とともに、お若の言うままに養生をしていた、ら、そのお若が巣鴨の庚申塚で殺された、という報せが飛びこんできた。二人の滞在している場所から巣鴨は数十里も離れているのだが、弁信は、「先生、殺したのはあなたです、あなたのほかにあの方を殺したものはありません」と竜之助を糾弾する。目が見えず、尺八の音で竜之助の目の具合を判断したり、遠くの人の動きをかすかな音だけで聴きわけたりする弁信には、竜之助の目に二羽の蝶が見えているように、何かほかの人には見えないものが見えているのかもしれない。竜之助も「ここにいる拙者が、巣鴨まで人を殺しに行ったのも本当かも知れない」と言って、いきなり弁信を斬ろうとする。が、けっきょく果たせず。

 午後も引き続き解説作業。土日でかたちにできるか、どうか。実家から南部せんべいが送られてきたので、夜はせんべい汁にした。98/516


3月18日(土)昨夜から降り出した雨がずっと続いている。低気圧のためかじんわり頭痛。ウンウンうなりながら解説を進める。

 昼休みに佐藤友美『書く仕事がしたい』を起読。著者はライターで、自分の仕事は小説やエッセイとは種類が違う、だから小説家になりたい人にはあんまり参考にならないかも、というようなことを書いていたのだが、けっこう参考になった。ふだんあまり構成のことを考えずに小説を書いていて、さいきん長篇を立て続けに書きながら、いまのやりかたでやっていくのは難しい、と感じていたところだったので、「構成とは、因果関係のことだ」という指摘は、おそらく初歩的なことなんだろうけど、とても腹落ちした。

「毎日毎日書いていると、自分が浮き沈みしているように見えるのだけれど、その様子をロングショットで見たら、後退していることは、まずない。昇る日も、落ちる日も、だいたいのぼっている。書くことを辞めないのが、一番大事です。」というひと言は、なんか励まされてしまったですね。98/516


3月19日(日)うってかわって快晴。明るいうちに風呂に入って、コストコのフルーツなどを食う。九時ごろに寝。98/516


3月20日(月)快晴。隣家が外装工事をはじめるらしく、足場と囲いをカンコン組み立てる音がにぎやか。ようやく解説が流れはじめる。しかし、いくつか捉えきれていないところもあって、難航する。

 追悼読書として、大江の『小説のたくらみ、知の楽しみ』を起読。毎日ちょっとずつ読んでいくつもり。冒頭二章を読んだあたりで、足場が私の部屋の高さまで達して、窓の外をおじさんが行き来しはじめる。たまらずブラインドを閉じた。98/516


3月21日(火)曇。朝から昼まで、WBCの準決勝、日本対メキシコ。今大会は不振つづき(といっても四球ではけっこう出塁していた)だった村上選手のすげえサヨナラタイムリー。興奮した。打球といっしょに今日も打ち上がった気持ちになって、午後は読書をして過ごす。

 夕方に『大菩薩峠』。お松から米友にお君の危篤を告げる手紙が届く。甚三郎に捨てられ、その子供を産んだお君は、産後の肥立ちが悪いのか、すでに生きる気力を失ってしまったのか。それに引きずられるように、あんなに頑健だったムクも痩せ細っている。「友さん……それでは、わたしを間の山へ連れて行って下さい……駒井の殿様へよろしく申し上げて、さあいっしょに帰りましょう……鳥は古巣へ帰れども、往きて還らぬ死出の旅……」という、間の山節の一節が、お君の最期の言葉だった。「この時、お君の面からサッと人間の生色が流れ去って、鑞のような冷たいものが、そのあとを埋めてしまいました。」私の推しが死んでしまった……。

 米友は我を失って走り出す。お君の最期の言葉を思い出して、「さあ、わからなくなった、前と後ろがわからなくなっちまった、右も左もわからなくなっちまった」とつぶやく。「何が何だか、おいらの頭じゃわかりきれなくなった。来世というのはいったいどこにあるんだ。ナニ、魂だけが来世へ行く? さあ誰がその魂を見た、その魂が来世とやらへ行って何をしているんだ。ナニ、この世で苦労したものが来世で楽をする? 誰がそれを見て来たんだ、魂が来世へ行って何を働いているか、見届けてきた人があるなら教えてくれ、後生だから……今まで生きてたものが死んじまった、ただそれだけか。花は散りても春は咲く、鳥は古巣へ帰れども、往きて還らぬ死出の旅……今、それがひとごとじゃねえんだぞ、ほんとうに死んだ奴が一人あるんだぞ。ナニ、誰が殺したんだろうって? 冗談じゃねえや……ナニ、米友、お前が苛め殺したんだろうって? ばかにするない。そうでなければ駒井能登守の奴が殺したんだろうって? 何をいってやがるんだい、何が何だかこの頭じゃわからねえや」と錯乱している。

 この長い独り言で米友は、輪廻について、否定的に考えている。本作の冒頭で中里介山が掲げていた、「人間界の諸相を曲尽して、大乗遊戯の境に参入するカルマ曼陀羅の面影を大凡下の筆にうつし見ん」というコンセプトと関わってくるのかどうか。

 しかしこうなると憎たらしいのは甚三郎で、もとはといえば彼がお君を放り出したのがいけないのだ。最期までお君に想い続けられていたことも知らず、西洋人のコスプレをしてウキウキ洋装の準備をしている。なんてやつだ。121/516


3月22日(水)晴。今日は決勝のアメリカ戦で、また村上選手がすげえホームラン。良い試合だった。表彰式やシャンパンファイトまで見届けてしまう。大谷選手がほんとうに楽しそうに野球をしていて、観てるこっちまでうれしくなった。趣味を仕事にして世界を制すること。私もそれを目指して小説家をやっている、のだが、彼みたいにニコニコしながら仕事ができるだろうか。シャンパンファイトなんてものを観たので今日も打ち上がった気持ちになって、午後は読書をして過ごす。

 大江は、ミルチャ・エリアーデの、クロード=アンリ・ロケを聞き手とするインタヴュー『迷路による神裁(オディール)』の英訳版を読みながら、『女族長とトリックスター』という題の(のちに挫折されることになる)長篇の執筆中にカリフォルニア大学バークレー校に共同研究員として招聘されたことについて、こう書いていた(引用中の〈E〉はそれがエリアーデの発言であることを示す記号)。


 僕の書いている小説は、四国の森の谷間での経験を神話的なイメージとして再構成することをたくらみのひとつとしています。いったいそれはカリフォルニアでやりつづけることができるものか、という問いがあるとすれば、僕はエリアーデの対話をもう一箇所だけ訳出して、答にかえることができるでしょう。

 E すべての故国は聖なる地理学を構成する。そこを去った者らにとって、子供の時分と青春をすごした都市は、つねに神話的な都市となる。私にとって、ブカレストは汲みつくすことのない神話学の核心なのだ。そしてその神話学をつうじて、私はその真の歴史を知ることができるようになった。おそらくは私自身についてもまた。


 私がここを読んで思い出したのは、小野正嗣が、パトリック・シャモワゾーに投げかけた「これからもずっとマルティニクを舞台にした小説を書くのですか? ほかの場所を書くつもりはないのですか?」という問いへの答えとして引用していた言葉だ。


すると、シャモワゾーはこう答えました。「作家は世界のあらゆる場所を書くことができる。そうやって自分自身の生まれ故郷ではない場所を、行ったことすらない場所ですら、舞台にして書くことができる。そうやってその場所を、自分自身の場所にすることができる」と。

小野正嗣「読むこと、書くこと、生きること」(『高校生と考える人生のすてきな大問題』左右社)一六四ページ


 大江が引用したエリアーデの言葉と、小野が紹介したシャモワゾーの言葉は、一見相反しているように思えるが、生まれ故郷から汲み上げた〈神話〉的思考をほかの土地にさし向けることで、その土地を、自らが構築してきた神話体系のなかにくみこむ、と考えると、二人の発言はつながっているような気がする。そして大江も小野も、故郷での経験を〈神話的なイメージとして再構成〉することで自身の作品を立ち上げてきた。面白いなあ。121/516


3月23日(木)雨。昨夜は遅くに目が覚めて、洗濯機を回して明け方に寝直した。それにしては早く目が覚める。WBCに気を取られて二日間を読書に費やしてしまった、ので、解説を再開。

 十四時から一時間カウンセリング。そのあとは次に書く短篇の書き出しを試したり、地元紙のコラムの案出しなどをして、一段落ついたあとは夜まで解説を書き進めていく。121/516


3月24日(金)曇、午後は雨、一時つよめにザッと降る。散歩中、建物の隙間から満開の桜の木が見えて、どこにある桜なのかしらん、と三十分ほどそのへんをうろつきまわる。お寺の墓地だった。自宅マンションの目の前の路地で故紙回収をしていて、横山三国志がドサッとあるのを、つい持ち帰ってしまう。四十冊ほどあった、が、あと二十冊足りないのか。

 昼休みに『大菩薩峠』を進読。主人公(と私が勝手に)目していたお君が、ほかの不遇な女たち──お浜やお豊、お若と同じように呆気なく、不遇のうちにひっそりと死んだこと、を、私はずっと気に病んでいて、『大菩薩峠』を読み進めることは、お君の死後の世界を展開させることでもある。そういえば、お浜、お豊、お若、と列挙して気づいたのだが、この三人はいずれも竜之助と関係を結んだことで死に近づいていった(お若は心中をしようとしていたので、もともと死に近かったが)。非情な人間と接近していた三人に対して、お君の身のまわりにいたのは、米友を筆頭に気のいいやつがほとんどで、甚三郎も、能登守だったころは気さくな人格者だった。と考えてみると、この、裏切られた感じ、は中里の計算通りという感じだ。

 ひっそり、といえば、大江は、『晩年様式集』以降は小説を発表せず、自選短篇集や『全小説』を刊行して、直筆原稿なんかを母校に寄託して、書き手としての人生を仕舞って、静かに去っていった。そういう最期だったからこそ、その晩年に土足で踏み込むゴシップ誌の記事が印象に残ってしまったのかもしれないな。

 甚三郎は相変わらず洋行のための造船に邁進していて、楽しそう。身分を失ったことでこんなにイキイキするならべつに、お君を尼寺に放りこむ必要はなかったのでは……?となってしまう。「読者、一染の好憎に執し給うこと勿れ。」というのは、中里が一巻の冒頭に掲げていた言葉だが、一染の好憎を抱くこと自体は禁じていない。

 彼のもとへ突然、はるばる江戸からムクが、お松からの手紙を携えてやってくる(と書くと人間みたいだがムクは犬だ)。お君が死んだこと、子供は無事で、〈能登守〉から一文字とって〈登〉とお松が名付けたこと、を告げる手紙だった。

 翌朝、甚三郎は、十日ほどの予定で江戸に発つ。部下にあとのことを指示する書き置き、が挟まっていたノートに、眠れぬ夜に書き殴ったらしい文章がある。「彼ノ女ニ対スル余ノ愛ガ彼女ヲ殺シ、彼ノ女ノ愛ガマタ余ノ生涯ヲ一変セシメタリトヤイハム。」とか、「何故ニ余ハ最後マデ彼ノ女ヲ愛シ能ハザリシカ。彼ノ女ハ何故ニ最後マデ余ニ愛セラレザリシカ。」とか、「嗚呼、彼女ノ罪ハ祖先ノ罪ニアラズ、彼ノ女ノ死ハ彼ノ女ノ罪ニアラズ──彼ノ女ヲ殺シタルハ余ナリ、駒井能登守ナリ。」などと書いてあり、ほんとにそうだぞ、となった。

 兵馬は恵林寺の慢心和尚に会いに甲州に向かう。しかし「お前の面を見ると、いつでも敵討が丸出しで、おれは昔から大嫌いなのだ、敵討というやつは全くおれの虫が好かない」「いいえ、左様なわけではございませんが……」「そういうわけでなければ女のことだろう。敵をたずねて歩く奴と、女の尻を追い廻す奴ほど、気の利かない奴はないものじゃ」とけんもほほろに追い返されてしまった。

 そのころ、竜之助は八王子の月見寺というところにいて、お若の義妹のお雪に身のまわりの世話をしてもらっている。どうもお雪も竜之助に惚れてしまったらしい。ほんとによくモテる人だ。

 その月見寺に、兄の仇がいるとも知らない兵馬が立ち寄り、一杯の水と一夜の宿を乞う。「現在、同じ寺のうちに、長年敵と覘う人と泊り合わせの運命に置かれながら、それを怪しむこともなく、それを尋ねる縁もなく、今日はこうしてちかより、明日はまたこうして離れて行く。彗星と遊星とが、近づく時は圏内に入り、離れる時は何千万里の大空をそれて行くように。」と地の文は締めくくるが、本作はそういう瞬間ばっかではないか。

 竜之助とお浜の息子である郁太郎は、いまは竜之助の義弟である与八に育てられている。その与八が、江戸までお松を訪ねてきた。大菩薩峠の、お松の祖父が竜之助に斬り殺された、この物語の発端の事件が起きた場所に、お地蔵様を立てたらしい。

「あんなおそろしいところはありません、思い出しても怖いところ。わたしのお爺さんは何だって、本街道を通らないで、わざわざあんなおそろしい道を通ったのでしょう。わたしはあの時のことを思い出すと、くやしくってくやしくって。あの峠を通りさえしなければ、お爺さんもあんな目にあわず、わたしもこれほど苦労はしないで済むものを、恨みなのはあの峠です。菩薩なんて誰が名をつけたんでしょう、悪魔峠か、夜叉峠でたくさんです。おそろしい峠、にくらしい峠、いやな峠」お松がこの件に言及して、ここまでの恨みを表明するのははじめてのような気がする。

 赤坂アカ・横槍メンゴ『【推しの子】』の、ちょうど今日私が読んだ巻で、双子の兄であるアクアの復讐心が薄れたのと入れ替わるように、妹であるルビーの目に昏い光が宿っていた。『大菩薩峠』でも、復讐に邁進するはずだったのに遊郭で骨抜きになった兵馬と対比的に、お松の憎しみが記述される。おそろしい峠、にくらしい峠、いやな峠。

 兵馬は月見寺を出たあと行方知れずで、竜之助はお雪とともに信州の山奥、「一冬そこに籠っていれば、どんな難病も癒ってしまいますそうで、丈夫な身体の人が入れば、一生涯無病で暮らせる」という〈白骨のお湯〉を目指して旅立つ。弁信と茂太郎は月見寺に留まるというが、こうしてまたそれぞれの旅がはじまっていく。

 夜は唐揚げを作った、が、揚げ焼きにしようとして油が少なすぎたのか、どうもカラッとできず。唐揚げがうまくできなかったからか、日本対ウルグアイもピリッとしない展開で一対一。176/516


3月25日(土)雨、低気圧。起きてすぐ風呂に入り、パエリアを作る。そのあとは読書をしたり、作業を進めたり。

 地元紙のコラムを送稿して、はやみねかおる『徳利長屋の怪』。前巻の『ギヤマン壺の謎』とあわせて〈大江戸編〉上下巻は繰り返し読んだからけっこう憶えている、と思っていたのだが、そうでもなかった。前巻に出てきた才谷梅太郎について、先月の私は「誰なのかわからなかったな。いま調べてみると、」と、まるで作中で明かされてないようなことを書いているが、本巻でしっかり勝海舟(!)が明かしていた。

 真衣が勧誘された〈江戸城の庭そうじをする人たち〉のことも、「十歳で本巻を読んでいたころは意味がわからなかったが、今は御庭番のことだとわかる。」としたり顔をしているが、本巻で説明されてるし、お庭番衆との戦いまで描かれている。本巻の後半でかなり紙幅を裂かれている殺陣のシーン、まったく憶えてなかった。

 私がはじめて本巻を読んだのと、『るろうに剣心』で御庭番衆との戦いを読んだ(私の実家には三巻から五巻しかなくて、その三冊を繰り返し読んだ記憶がある)のはほぼ同じころだったはずだが、当時は、『徳利長屋』に出てくるのと『るろ剣』に出てくるのが同じ組織だとは思わなかった。なんでだろうな。

『るろ剣』の四乃森蒼紫は御庭番衆最後の御頭という設定だったが、『徳利長屋』では江戸城お庭番衆の解散が宣言されている。史実を下敷きにしているから作品同士のリンクが起きる、というのは、時代ものを読む面白さ、という感じがする。どっちも時代ものとしては型破りの作品ですが……。

 時代物、といえば、『大菩薩峠』も幕末が舞台だ。竜之助は一時新撰組に身を置き、教授は坂本龍馬と旅をして、お庭番衆と対峙した。江戸の街中で兵馬と亜衣がすれ違ったりしたかもしれない、と思うと楽しい。

〈夢水〉シリーズが全体的にそうだけど、御一新前夜の〈大江戸編〉は特に、未来はいまの子供たちが作るもの、という思想が強い。エピローグの末尾ちかく、物語が終わったあとの亜衣たちは「毎日を幸せに暮らすために、いっしょうけんめいに新時代を生きたことだけを書いておきます。」という、初読時はフーンと思って読み飛ばした記憶のある言葉が、三姉妹の親とほぼ同じ年齢になったと気づいた今はけっこう沁みる。慶応四年、一八六八年に数え年で十五歳の三姉妹がいまの私の年齢になるころ、大日本帝国憲法が発布され、五年後には日清戦争がはじまる。激動の時代、強くも逞しくもなくていいから、長く元気に生きてほしい。176/516


3月26日(日)雨、低気圧。テイラックを飲む。昨日サフラン水を作りすぎた、ので、今日も朝からパエリアにした。昼は鶏の唐揚げで、なかなか腹にヘヴィ。

 甚三郎は、お松の道案内でお君の墓に参る。たまたまその境内で奇術の見世物小屋を開いていたお角と会い、少し観て帰っていった、が、甚三郎が遺児の登をどうするつもりなのか、は示されず。

 人を使って竜之助の行方を探っていたお銀は、どうもそれらしい人が最近まで月見寺にいた、と知る。その行き先はわからないが、取るものも取りあえず、侍姿に男装して密かに旅立った。しかし夜の山中で道に迷い、山窩の(と思われたがどうも違うらしい、なぞの)集団に捕らえられ、たまたま通りがかった兵馬(とその道案内の猟師)に救われる。

 竜之助一行は、白骨温泉への途上、諏訪の宿に泊まった。部屋にやってきた物売り(兼売春婦)の女性を追い返して、竜之助は考える。


今の竜之助にあっては、女というものの総ては肉である。美醜をみわけるの明を失っているから、美のうちに貴ぶべきものの存するのを発見することができない。醜を感知するの能を失ってから、醜の厭うべきを知って避けるの明がない。

 いや、それは単に女ばかりではあるまい。この男は、すべてにおいて、むずかしくいえば、宗教がなく、哲学がなく、またむしずのはしる芸術というものがない。ただあるものは剣だけです。勝つことか、負けることかのほかに生存の理由がないので、恋というものも、所詮は負けた方が倒れるものである。心中の場合においては、大抵、男が女に負けて引きずられて行くのである。曰く薩長、曰く幕府、曰く義理、曰く人情、みな争いである。


 なんとも殺伐とした人生観だ。しかし彼の生い立ちは、本作ではほとんど明かされてないから、なぜこういう価値観をもつようになったかはわからないんだよな。自分の生まれる瞬間から語りはじめた『仮面の告白』、母にキスしてもらわなきゃ眠れなかった幼少期の夜から長大な回想をはじめた『失われた時を求めて』の主人公とは違う。「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたとか、チャチな少年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしんないけどさ、実をいうとぼくは、そんなことはしゃべりたくないんだな。」と語り出したのは『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン少年ですが……。

『小説のたくらみ』の今日読んだところにはこう書かれていた。「小説を書くことが、僕の生活の中心にあり、いくつかの社会生活のひろがりがあり、そちらへ引きずり出されるにしても、用事が終ればすぐさま書斎に戻って、小説を書きつぐことで、内部と外面のコンティニュイティー及びバランスを保っている。それが若くして小説を書きはじめた僕の生きるスタイルとなった、それは今につづいている、と僕はいうことができるでしょう。」専業作家として息も絶え絶え(いやもうほんとに息も絶え絶え)歩きはじめた私も、このように生きたいものだ。

 夜、間違えて二月十五日以降の日記を全部消してしまった。どうやっても復元できず。PDF化したデータは残っていたのだが、テキストを抽出してみても文字化けしてしまい、どうにもならず。四万字もあるテキストを、やむなく、PDFを見ながら書き写していく。寝るまでかけてようやく半分。こいつはなんで毎日こんなに日記を書いてるんだ。244/516


3月27日(月)曇。散歩に出、花屋で桜の枝を買って帰る。今日も解説。昼食は茹で卵を四個というストイックなメニューで済ませ、夕方になる前に書き上げる。

『小説のたくらみ』の後半には「核時代のユートピア」という、堀田善衛への書簡、という体裁で書かれたテキストがおさめられていて、そのなかに、二十歳になった長男からの手紙の内容が紹介されている。「発作に苦しんでいる間も意識はあるのであり、去来する思いを言葉にしてすらもいることが、はじめてわかりました。職業訓練のために福祉作業所に行く途中、発作で駅の階段にしゃがみこみ、「うなっていました」と息子は書き、うなり声の内容としてのつもりでしょう、こう書きつけてもいましたから。「ぼくは、もう、だめだ。二十年も生きちゃ、困る。」」

 この感覚、なんかすごく理解できてしまう。パニック発作が起きるとき、いちばん最初に襲ってくるのは苦しみなのだけど、苦しみそれ自体では人は死なない。こんな苦しみが自分に降りかかってきたこと、そしてそんな生をこれまで生きてきた、これからも生きていかなければならない、その事実が、苦痛のさらに上から覆い被さってくるような感覚で、それ自体は何かの苦痛をもたらすわけではないその感覚を前に、私たちはただ困惑してしまう。一週間ほどかけて読了した。244/516


3月28日(火)朝は弱い雨、すぐに止んで、午後は日射しが出てきた。午前中はこまごま雑事。

 昼休みに『大菩薩峠』。竜之助たち一行、諏訪の宿で隣の部屋に泊まってた、江戸の薩摩屋敷を目指す四人の侍に絡まれる、が、竜之助が撃退。彼らは昨夜、竜之助の部屋にも来てた女を酒に酔わせて弄んでいた。その女が翌朝、首吊り死体となって発見される。竜之助たちはそのことを知らずに旅を続けるのだが、今後の火種になりそうな挿話。

 お君を喪った米友は我を失っていて、ふらりと伝通院の墓地に入り込み、死んだはずのお君の声が、この石をどけておくれでないか、と言う幻聴の言葉のままに、そこにあった墓石を壊そうとする。それは天樹院千姫──江戸幕府二代将軍徳川秀忠の娘であり、豊臣秀頼の正室でもあった人物の墓だった。

 天樹院といえば私にとっては山田風太郎『柳生忍法帖』やそれを原作とするせがわまさき『Y十M』で(というかそれしか知らない)、その描写から、毅然とした女性をイメージしていたのだが、『大菩薩峠』のなかでは、「二代将軍を父に持ち、豊臣秀頼を夫として、大阪の城に死ぬべかりし身を坂崎出羽守に助けられ、功名の犠牲として坂崎に与えられるべかりしを、本多忠刻と恋の勝利の歓楽に酔って、坂崎を憤死せしめた罪深き女、その後半生は(…)淫蕩のかぎりを尽した」と紹介されている。史実の人物はこうやって、複数の書き手に、それぞれの作品のコンセプトに合わせた言及をされることで存在が重層化していくんだな。時代ものを読む面白さ、だんだんわかってきた気がする。

 甚三郎は変わらず洋行を目指している、が、正妻が家を出て京都に行ってしまったこともあり、さすがにいろいろと悔やむところはあるらしい。「女というものが、その自負心を傷つけられた憤慨と、その愛を奪われた侮辱の苦痛の深刻な程度は、お前にもわかってはいまい、わしにもわかっていなかったのだ。思えば、わしは一本の剣で二人の女の魂を貫いてしまったのだ。その二人とも、今の世には珍しいほどの純な心であったのに、この駒井の一旦の情慾から、それを殺してしまったのだ」と神妙にしている。そして、自分に裏切られたと思って去っていた妻は、今ごろどこかで「天樹院と同じような乱行の生涯を送っているのではないか」と考える。米友の懊悩とそこでつながってくるのか。

 甚三郎は今度は駒井家の墓に参り、たまたま米友と出くわして、舌鋒するどく非難される。「その分にしておけば一生いきていられる女を、殿様の威光でさんざんおもちゃにして、飽きた時分に抛り出した奴は誰だい。ばかにしてやがら。あの女は死んでしまったんだ。死んだ者はこの世にいねえんだぜ。もう一ぺんこの世へ出せるものなら出してみろ、その上で文句があるならいってみろ、駒井能登守!」そうだそうだ!と野次を飛ばしながら読んだ。

 再起を期して江戸に戻った神尾主膳のもとに、お絹がやってくる。彼女はどうも、お角が興行を打てるのは能登守の援助があったからだ、と考えているようで、お角を出し抜くために、資金源である能登守を誘拐してやろう、などともくろみ、彼を敵視している主膳に取り入ることにしたらしい。いろんな思惑がうごめいている。

 午後は次の短篇を書きはじめる。冒頭なのでゆっくりと、丁寧に。ときどき日記の復元で気分転換をしながら、もくもく作業をつづけた。

 夜、アマプラでBBCの「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」を観。暗澹たる気持ちになる。「噂は聞いたことあるけど、彼が亡くなられてしまった今、その話を私自身は触れたくない」と被害者と同年代の息子がいてもおかしくなさそうな年代の女性が語っていた、のが印象的だったな。死者に鞭打つことを忌避する日本らしい、というか、死んだ元総理の嘘を検証することすらしようとしない政府の姿勢と通ずるような。

 ゲイ当事者を名乗る男性が、喜多川氏がゲイであったことが「LGBTとかそういう言葉自体がないころにアイドルを育成していくうえにおいて、かなりマイナスのイメージだったかもしれない」と、話を性的志向にすり替えようとして、「ある人物の性的な好みと子供への性的虐待は全く別の話ですよ」と指摘されると「これはそんなに表立って追求するべき内容ではない」と答え、別れ際には笑顔でピースサインをつくりまでしたた、のも醜悪だった。番組のテーマに合致した、日本社会の歪みが反映された発言だけを取りあげているのだろう、とは思いつつ、かなわんなあ、となる。

 上質のドキュメンタリー映画を観た感覚、と思うのは、ちょっと前に『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観て感銘を受けたからだ。そしてKマートはムーアたちの陳情を受けて店頭での銃弾の取扱をやめたのに対して、ジャニーズ事務所は取材陣が公道から社屋を撮ることすらやめさせようとしていた……。

 この番組について日本では、一部週刊誌やウェブメディアは報じていたが、テレビはまったくの黙殺で、この国はこういうときだけ外圧に負けない。美しい国だ。307/516


3月29日(水)晴。一日原稿。

 昼休みに『大菩薩峠』。お松は登を連れて、竜之助の父亡きあとを与八がひとりで守っている机道場に向かう。

 お銀は、兵馬と同道していた猟師の導きで、竜之助がいた月見寺にたどり着いた。お雪という女が竜之助といっしょにどこかへ行ったと知って、嫉妬と怒りでまたメンヘラっぽくなるお銀。探索から戻ってきた兵馬に問い詰められて、自分が探しているのが机竜之助だ、ということを話してしまった。この時点では、お銀は竜之助への愛を口にしているが、兵馬は彼が兄の仇であることは言わず。

 竜之助の行き先が白骨温泉とわかり、お銀と兵馬は二人で出発する。お銀にとっては道中の護衛として、兵馬にとっては旅の資金源として、お互いを有用だと思ってのこと、とはいえ、同じ男を、一人は愛し、一人は殺そうとしている二人がともに旅をする、というのは、とても良い構図だ。

 甚三郎はまた房州を目指して江戸を発ち、江戸湾を渡る船のなかで、腕っ節の強い巨漢の画家・田山白雲と知りあう。「彼は船乗りの小僧、金椎によって、西洋文明の経を流れているキリストの教えを教えられ、今はまた、ここで自分が絵画とか美術とかいうものに対する知識と理解の、極めて薄いことを覚らせられました。/学ぶべきものは海のごとく、山のごとく、前途に横たわっている──という感じを、駒井甚三郎はこの時も深く銘みつけられました。」とあって、そうだよなあ、となる。勉強というのは楽しいものだ。私も司書資格を取ってから一年経ったし、次の取っ組み先を見つけたいところ。二人は船を下りてすぐ別れてしまうのだが、また先々で活きてきそうな出会いだ。

 道庵は米友を連れて、京大阪を目指して中仙道を歩きはじめる。これで本作の主要メンバーの大半が江戸を離れたことになる。残ってるのはお絹、お角、主膳、そしてお君の墓くらい。甚三郎は一度墓参りしたことですべて解決した、くらいに思ってるだろうし、お松が江戸から離れた今、お君の墓の苔を払う人はいないのではないか。永代供養派の私ですが、これはさすがに寂しい。

 竜之助一行はようやく白骨温泉に着いた。冬の間は閉山するそうで、すぐにほかの客のほとんどが去っていった。事件のお膳立てが整った感じ。371/516


3月30日(木)雲の多い晴。高校の同級生から、母校のラグビー部が地元紙で取り上げられてる、とウェブ版のリンクが送られてくる。私はその部にかつて所属していた、といっても、なかなかタフなシゴキを受けて、このまま続けてると椎間板ヘルニアになるよ、と医者に言われ、半年で辞めた。一度は部員がゼロになったがいまは五人、うち一人は兼部、一人は怪我で、ふだんは三人で練習してるそう。写真に写ってる指導者は私のときとは違う人だから、シゴキはやってないかもしれない。しかし三人ではスクラムの練習もできないし、たいへんだろうな。バンバってください。

 朝から作業をして、昼ごろすこし歩き、一時間ほど昼寝。そのあとも外が暗くなるまでカリコリした。

 夜は近所のスーパーで安くなってたやきそば弁当とポテチを食いながら、録画してた『世界さまぁ〜リゾート』の最終回。コロナの反動で(まだぜんぜん終息してないのに)旅行ブームがきそうなタイミングで番組が終わる、というのは、もったいないような気もするし、テレビのなかだけでもリゾートの雰囲気に触れたい、という期待に応えきった、ともいえるかしらん。おつかれさまでした。そのあとは日ハムの開幕戦をダラダラ観て、終わったころに明かりを消した。371/516


3月31日(金)曇。昨夜寝つきが悪く、夜更かしをしてしまったせいで、遅くまで起きられず。散歩中、二週間くらい前から電柱に貼られていた「黒猫を探しています」という紙が、「黒猫を取り戻すことができました」に貼り替えられているのを見て、よかったねえ、となった。

 昼休みに『大菩薩峠』。お雪は、白骨温泉に残った数少ない客の一人である〈色気たっぷりの後家さん〉と仲良くなる。後家さんは、若い愛人を連れてきて毎晩励んでいるようで(〈五十を過ぎてあぶらぎった好色婆〉という身も蓋もない形容がされている)、精も根も尽き果てたその男が竜之助に愚痴を言う。「私は、怖ろしうございます、私はあの女の息をかぐのが、大蛇の息をかぐような気持ちがします、あの女にそばへよられると、道成寺の鐘のように、私の身が熱くなって、ドロドロにとけてしまいそうなんでございます、眼がまわります、苦しうございます」とのこと。竜之助も竜之助で、「よろしい、それでは、わしがお前の代りに、その女を斬ってみよう」などと返す。なんちゅう会話だ。

 兵馬とお銀は甲府に着き、諏訪で竜之助に絡んで撃退された四人のうち、怪我をしなかった二人、仏頂寺と丸山と会う。二人は兵馬と旧知の仲で、竜之助に会ったぞ、と話す。そこでお銀は、自分の愛する人を兵馬は殺そうとしているのだ、と知った。「あなたとわたくしとは、敵(かたき)同士の間でありました」と言うお銀に兵馬は、「拙者は、ほかの人を怨むというべき理由をもちませぬ」とか「敵という言葉はそう軽々しく用いるものではありますまい」とか言うのだが、お銀は、「わたくしは、生ぬるいことが嫌い、この世の人は敵(てき)でなければ味方、味方でない者はみんな敵です」と頑なだ。「兵馬さん、お前が机竜之助を討とうとすれば、わたしはあの人の味方ですから、あなたを殺してしまいます」と言われてしまえば、さすがの兵馬も、「そのお覚悟なら、それでよろしうございます、拙者もこれから、あなたを敵(かたき)の片われと見ましょう」と返すしかない。二人は決裂してしまった。「わたしは、天にも地にも、あの人よりほかには可愛がってくれる人もなければ、可愛がって上げる人もないのです」と言っていたお銀は、もしかしたら、この天地に竜之助一人を味方とし、そのほかをすべて敵と考えてしまっているのかもしれない。竜之助の辻斬りの記録をつけている、最後に自分の名前を書きこんだ帳面を、彼女はまだ持っているのだろうか。

 しかし、兵馬に「あなたを殺してしまいます」とまで言いながらお銀は、仏頂寺と丸山の宿を訪ねて、まとまった金額を渡し、「あなた方のお計らいで、どうか二人を近づけないようにしていただきたい。自分としては、どちらが傷ついてもいやである。」という内容のことを、言葉をつくして頼み込む。竜之助との関係ではかんぜんにメンヘラになっていたお銀、このワンエピソードでグッと厚みが増したですね。

 房州・洲崎で人を使って鉄砲工場をやってる駒井甚三郎のもとを白雲が訪れ、十日ほど滞在していた小湊についてこう話す。「小湊の浜辺は不思議なところで、あそこへ立って眺めていると、あらゆる水の変化を見ることができますな。水が生きている、ということを如実に見て取ることができます。水が生きている、という言葉は面白い言葉です、私が発明したのではありません、ある片田舎の子供が発明したのです。沼と、池と、水たまりのほかに知らなかった子供が一朝、海のそばへ連れて来られて、最初に絶叫したのがこれです、ああ水が生きてる! この破天荒の脅威、生きてるという一語は、われわれには容易に吐くことができません。」


 たとえば狩猟民が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫びを〈う〉なら〈う〉と発するはずだ。(…)このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声だが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取しているすれば〈海(う)〉という有節音は自己表出として発せられて、眼前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することとなる。このとき、〈海〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。


 と、言語が発生する瞬間を書いたのは吉本隆明(『原語にとって美とはなにか』)だった。もちろん白雲の〈片田舎の子供〉は既知の言葉を組み合わせたにすぎないのだが、それでも、ひとつの表現の発明、という点では吉本の〈狩猟民〉と同じで、そしてこっちのほうがはるかに感動的な描写になっている。

 中仙道を旅する道庵先生は、大宮の氷川神社以降、〈沿道の神社という神社には、少々は廻り道をしても参拝して行こう〉と決める。道端のお稲荷さんにまでわざわざ捧げ物をしながら歩くから時間がかかる。そうしながらようやく熊谷宿に入った。中仙道では、日本橋から数えて大宮宿が四つ目、熊谷宿が八つ目の宿場で、「大宮から上尾へ二里──上尾から桶川へ三十町──桶川から鴻の巣へ一里三十町──鴻の巣から熊谷へ四里六町四十間。」の道のり。三十キロくらいか。いま調べてみると、大宮駅から熊谷駅まで、徒歩で八時間ほどかかる。鉄道なら三十分くらいの距離を、ちまちま寄り道しながら歩いてるのだから、一日では着かなかったかもしれない。

 本作ここまで、房総半島の先端から大阪までの広い範囲で展開してるけど、そのほとんどを、登場人物たちは徒歩(船や駕籠もすこしあるけど)で移動してるんだよな。一生に一度はお伊勢参りを、というのが江戸時代の庶民の願いだったことを思えば、彼らの移動距離の長さが際立つ。家から徒歩二、三十分の範囲内で生きてる今の私にとってはなおさらそうだ。

 机の道場では、与八が野良仕事をしながら仏像を彫り、お松が郁太郎と登の世話をしながら近所の子供らに勉強を教えていて、落ち着いた暮らしだ。「ちんまりおとなしくおさまること」。しかしここはお松にとっては祖父の仇の家でもあって、この生活は、きっと長くは続かない。

 江戸に残った数少ない主要人物である主膳とお絹は金に困っている。根岸の千隆寺の坊さんたちが、お不動の絵像や安産のお守りで荒稼ぎしてるらしい、と知った二人は、お絹が不妊に悩む武家の妻を演じて寺に入り込み、うまいこと金を引っ張ってこよう、と計画を立てた、が、なぜかその身支度をするお絹に主膳は、行くのは止せ、と言い出して、鏡台をひっくり返して暴れ出す。嫉妬なのか。お絹は主膳を振り切って寺へ行き、事情を聞いた七兵衛がその様子を見に行った。

 午後もひとしきり書いて、早めに終業して、あとはずっと読書。立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』を起読、すばらしく明晰。夜中、ファミマで買ったどん兵衛味のおにぎりとUFO味のおにぎりを食い、おにぎり二個で腹がもたれる。遅くまで日記を書いた。436/516


4月1日(土)晴。企業アカウントが炎上にビクビクしながらコンプライアンスの限界を狙ったネタツイートをする日。『露出せよ』、とりわけ前半は、私にとってとても重要な本だった。しかしラカンの数式とかが難しく、読了とともに力尽きて寝。436/516


4月2日(日)曇。今日は早起き。

 もう四月なので、昼休みに『大菩薩峠』を最後まで。千隆寺では賭場が開かれていて、ちょうどお絹がいるときにガサ入れがある。その騒ぎに乗じて住職を連れ出した、ら、どうも住職は、主膳が〈不良少年〉だったころの仲間の一人だったらしい。かつて主膳は、お絹・お銀・竜之助・弁信あたりと同じ屋敷に住んでいて、そこは〈化物屋敷〉と呼ばれていたのだが、こんどはお絹・七兵衛・千隆寺の住職、というやっかいな面子との共同生活がはじまった。

 冬で閉ざされた白骨温泉には、京都まで向かおうとした神楽師の一行が、道を間違えてやって来た。語り手は「木曾路を通るものが、ここへ道を間違えたとは間違え過ぎる。」と疑っているが、お雪は彼らに懐き、和歌を教えてもらっている。

 彼女は長い湯治の暇つぶしなのか、宿にあった人形の服を縫ったりもしている。「この娘は自分の周囲に、今、どんな人間がいて、その立場がどうであるかということはいっこう念頭になく、深山の奥で、近づく限りの人を友とし、知り得る限りのことを学び、愛すべきものを愛し、弄ぶべきものを弄ぼうとして、恐るることを知らない。」無垢の権化、とでもいうような書きかたで、物語的にはこのお雪が竜之助に斬られたら面白いよなあ、などと考えてしまう。いずれにせよ、竜之助を追ってここを目指しているお銀や兵馬が到着したら、間違いなく一悶着あるのだろう。白骨温泉には旅の俳諧師もやってきて、冬は閉ざされる、と言いつつけっこう人が来るものだ。

 弁信と茂太郎がお雪の帰りを待つ月見寺へ、旅の大工を名乗るがんりきが、建物の見学を、と訪ねてきた。がんりきは茂太郎がお角の見世物の目玉だったことを知っているから、彼を使って金儲けができる、と考えて誘拐する。残された弁信は、茂太郎を探しに月見寺を出発した。彼はそもそも、茂太郎との友情のために、安房の国の寺から出て放浪の旅をはじめたのだった。

 竜之助に対する、兵馬の復讐心やお銀の愛情、お君に対して米友が抱く友情、お松への(祖父が死んで途方に暮れてるのを拾っただけの)七兵衛の親心にも似た慈愛。人への愛着の強さ、が、〈移動〉というかたちで表現されること、は本作の大きな特徴だ。

 そして弁信は、ふと、どこにいるのかもわからない茂太郎に語りかける。「どうかして、わたしはお前をたずねだして逢いたいと思うけれども、今日ここで逢えないように、明日彼(か)のところで逢えないかも知れません、或いは今生この世で逢えないのかも知れません……といってわたしは、それを悲しみは致しませんよ、今生に逢えなければ後生で逢いましょう、ね、茂ちゃん」と悲痛なかんじだ。しかし独り言をいってる間に盛り上がってきたのか、茂太郎ではなく架空の聴衆に向かって語りはじめる。「死の来る時だけは、人間の力で知ることができず、制することもできません。皆様、それを恨むのは間違いです、人は病気で死んだ、災難で志那といいますけれども、この世で病気に殺されたり、災難に殺されたりした者は一人もあるものではございません……いいえ、いいえ、お聞きなさい、そうです、そうです、人は決して病気や災難で死んだものではありません、この世につかわされた運命が、そこで尽きたからそれで死ぬのです……」こういう主張はよくある、とはいえ、何の理由もない辻斬りではじまった小説のなかで読むと異様というか、あまりにもむなしい感じがする。

 本巻では、川村湊の解説で、「「間の山の巻」に至るまでの、「甲源一刀流の巻」から「竜神の巻」までが、たぶん最初に中里介山の頭の中にあった《原・大菩薩峠》とでもいうべき小説の構想の中心軸であって、『ドン・キホーテ』や『吾輩は猫である』などがそうであるように、読者の好評(というより熱狂)に促されて、作品自体が当初の作者の目論みよりもどんどん膨張、拡大していってしまったのである。つまり、《原・大菩薩峠》のさしあたりの目処としては、頻繁に殺人を犯してきた竜之助は、その悪業の報いによって盲目となり、文之丞の弟・兵馬の手によって仇討ちされるということで大団円にしようとしていたフシがうかがわれるのである。」と見立てられていて、(とくに根拠は示されていないが)説得力がある。川村は小説を二つ例に挙げてるけど、これはむしろジャンプ漫画の人気作の引き延ばしを連想する事象だ。

 夜、花粉症のくしゃみが耐えがたく、三月末で飲むのを止めていた鼻炎薬をふたたび薬箱から出した。516/516


4月3日(月)晴、良い陽気で遅くまで寝ていた。Orcinus Orca Pressのリレー日記の企画に、私は三月の日記を寄稿することになっている。しかし私は三月、だいたい三万五千字くらい日記を書いていて、これは依頼された文字数の十五倍以上ある。読みかえして手を入れるうちに連想が広がっていって、日記というより、創作論なり読書論のまとまった文章として書くことの萌芽、みたいなものが見えてくる。「生きいきと精神および情動が活性化」(これは『小説のたくらみ』の一節)するのを感じて、気持ちが良い。夕方、どうにか依頼の文字数まで刈り込んで送稿。

 二時間後、編集の川野太郎氏から丁寧な(テンション高めの)感想が送られてきて、うれしくなる。ここ半年くらい、編集者に原稿を送っても、原稿ありがとう、読んだら連絡します、という儀礼的なメールだけでその後はフィードバックも掲載可否の通知もなく音沙汰なし、ということが続いていたもので……。

 夕食のあとは色川大吉追悼文集『民衆史の狼火を』。本書の編者の三木健は、色川の亡くなった日に発行された『沖縄と色川大吉』の編者でもあった。亡くなる前日、ベッドに横たわる色川の耳元で、「本ができましたよ」と語りかけると、目も開けられず声も出せないほど衰えた色川が、ほんのわずかに頷いた、というエピソードが紹介されていた。感傷的な、それでいて感動的な。

 色川の晩年のパートナーだった上野千鶴子は、本書に寄稿した追悼文のなかで、「色川さんはご自分のなかの「もっともよきもの」をわたしに与えてくださいました。どこかへ行く時も、何かをする時も、「もっともよきもの」をわたしと分かち合うように、配慮してくださいました。」と書いている。


 ジヨバンニは、あゝ、と深く息しました。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになつたねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもう、あのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまはない。」

「うん。僕だつてさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでゐました。

「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」

 ジヨバンニが云ひました。


 と、これは単に〈もっともよきもの〉と〈ほんたうのさいはひ〉が、プリミティヴな美しさ、という点で似ていただけなのだが、『銀河鉄道の夜』を引用したくなるほどにジーンときてしまう。しかしこのあと、カムパネルラはジヨバンニの問いかけに、「僕わからない。」とだけ答えていたのだった。


4月4日(火)快晴。原稿がどうにも難航してきた。散歩したり雑誌を読んだりしながら、少しずつ書き進めていく。夕食はキムチ炒飯をつくって、『クローズアップ現代』の坂本龍一特集を観。そのあとは日付が変わるころまで『大菩薩峠』を読んだ。93/516


4月5日(水)晴。昨日がんばった甲斐あって、昨日書いたとこは悪くないかんじ。もくもく書き進める。今月中に短篇を二作仕上げたい。

 とはいえ、あまり焦るのは禁物だから、『大菩薩峠』の再読も進めるし、十分くらい昼寝もする。

 夕方、疲れ切らないうちに今日は店じまいして読書の時間。夕食は中華風のお粥をつくって『解体キングダム』の中銀カプセルタワー回を観た。162/516


4月6日(木)朝は曇、風が強くて午後は晴。下痢ぎみ。

 午後、渡部直己氏のセクハラについての裁判の地裁判決。いちおう原告側の勝訴、ではあるのだが、賠償金は現場になった大学院の学費にも満たない低廉な金額。

 夜は大量の焼きそばを作って『ガイアの夜明け』を観、そのあとは寝るまで竹田ダニエル『世界と私のA to Z』。個々の議論を深く掘り下げるというよりは、(すべての章が「私にとっての○○」という題であるのに象徴的ですが)Z世代当事者である著者の趣味や嗜好の開陳、という感じの本。特定のエリアのなかで支持を集めている固有名や概念を並べて、読者が属しているであろうエリア(本書の場合はミレニアル世代以前)と比べて賞讃する、というのは、ロンドンやパリみたいな、外国の(おしゃれな)街で暮らす日本人が自分の生活や価値観を紹介するタイプのエッセイと同じ構造で、今ではかつての外国の街ほどに世代間の断絶が大きい、ということを表してるのかもしれない。315/516


4月7日(金)雨。低気圧と湿気でグロッキー。夕方まで、休憩もそこそこに原稿を進めていた、ら、不意に完成した。不意に完成、というとなんだかヘンな感じの表現だけど、書いていてとつぜん、アッいま書いた文で終わりじゃん、となることが、とくに短篇を書くときよくあるのだ。

 阿刀田高編『作家の決断』を、日記を見ると去年の四月にはすでに読みはじめていた、のをようやく読了。筒井康隆が、「大江健三郎さんが一昨日、速達をくれたんです。びっくりした。以前にね、僕がテレビ東京で『日本人ならコレを読め!』なんてコーナーを受け持たされていて、『同時代ゲーム』を取り上げたんです。それを何月何日にやりますよって連絡だけの手紙を書いたら、次の次の日に速達で返事が来て、まさかそんなにはやいと思わないでしょう。何事かと思ってさ。あの日は大雨だったから、速達の赤いインクが溶けて流れてた。怖かったよぉ、なんか(笑)。」と言っていて、いい話だ。

 その大江以来の学生作家、として、鳴り物入りでデビューした北方謙三は、しかし二作目以降は没続きで、「ボツ原稿を積み上げると背丈を超えちゃう」ほどになった。「それぐらい書いた。それぐらいバカになれたってことなんですよね。青春なんて何かを成し遂げるような時代じゃなくて、どれだけバカになれたか、どれだけ純粋になれたか、一途になれたかなんですよ。」と言っていて、これは北方が大成したから言えることで、同じエピソードを深い後悔とともに口にする人もいる(そしてそういう人のほうが圧倒的に多い)だろうけど、なんだかジーンときたですね。407/516


4月8日(土)曇天、厚く低い雲。午後だんだん雨が降る。短篇とはいえ一作完成させたことだし、今日はゆっくり過ごす。のんびり作業、のんびり読書。

 夜はABEMAでトットナム対ブライトン。三年後に向けた新チームの立ち上げ緒戦のテストマッチと、シーズン終盤に差しかかる時期の上位対決では、チームの練度も真剣度も違う、とはいえ、こないだの日本代表戦に比べてあまりにもレベルが高い。良いものを観た。終わったころには午前一時ごろで、すぐに寝た。485/516


4月9日(日)快晴。明日公開予定の大菩薩峠文章を起筆。

 十六時からセミファイナルの第二戦、トヨタ自動車アンテロープス対シャンソンVマジック、と、デンソー対ENEOSの二試合を観。どっちも最終盤まで勝敗の見えない良い試合だったですね。しかし二試合はちょっと疲れた。二試合目が終わってインタビューを観ていた、ら、古川真人から電話。一時間ほど。そのあとカップ麺を食って、みうらじゅん『人生エロエロ』を起読。あまりにもあんまりな下ネタと駄洒落のオンパレードに、おれは何を読まされてるんや……となったが、自分で選んで読んでるのだった。




Comments


bottom of page