7月16日(日)快晴。近所の公民館で新興宗教の人たちがお菓子を配る会をやっていて、小学生の私が入ると、年老いた男性信者が鶯色の腰巻きを渡してくれる。ふわふわの、風呂場の排気口に貼るフィルターみたいな素材の腰巻きを苦労しながら身につけ(腰紐もふわふわで結びづらかった)、和風の焼き菓子を受け取り、頬張る。口のなかの水分が一瞬で持っていかれて、若い女性信者に何か話しかけられたが、うまく答えられなかった。外に出、家で待ってる人のぶんもお菓子をもらいたい、と思ってもう一度入ろうとした、ら、腰巻きを配ってる男性信者がキッと睨みつけてきたので慌てて退散した──というところで目が覚める。カルト教団のシンパだった元首相が殺害されてから一年が経って、関連するニュースが最近多かった、のでこんな夢を見たのかもしれない。
ちょっと作業をして昼ごろ散歩に出、たまたま近くに来ていた友人と二、三分話す。こんな暑い時間に散歩しなくても……と呆れられた。
7月17日(月)快晴。やや具合悪く、クッキーやスコーンをモソモソ食う。午後、気晴らしに、二〇二一年の年末に放送してた、新型コロナ禍のニューヨーク街歩き、みたいなNHKの番組の録画を観。ニューヨークから生中継!というのが売りの番組を一年半後に観るというのも一興で、街ゆく人がみんなマスクをしていることに新鮮に驚いた、が、途中で寝てしまう。
起きてから続きを観、岩合さんの猫番組も観、夜まで読書。ほとんど外出をしなかったけど疲れ切ってしまい、カップ麺などを食って早く寝。
7月18日(火)晴。今日も朝から暑い。スコーンを食って外に出、住宅街のなかをウロウロ散歩。今日は長篇の改稿作業。
昼休み、朝のスコーンの残りを食ってから『大菩薩峠』八巻を起読、しようと思ったが、ちょっと熱中症っぽい具合の悪さで、今日は前巻までのあらすじと登場人物紹介だけ読。前巻では、あらすじの途中から本文の一ページ目までが落丁していたが、本巻では、あらすじの途中に本文が一枚(二ページ)挟まっている。修理のあとがあるので、おそらくページが外れてしまい、直すときに順番を間違えてしまった、ということだろう。
十年前に誰かが『大菩薩峠』の八、九巻を借りたときの貸出レシートも挟まっていて、上のほうに赤ペンで〈靖彦様〉と書いてある。誰かが複数人のカードを持って図書館に行って、誰のカードで借りたかわかるように書いたのかもしれない、ファーストネームだけなのは同じ姓の人が複数いるということだし、〈様〉という敬称は家族ではない、靖彦より立場の低い人が書いたということ。どこかの名家の使用人とか、あるいは通いのお手伝いさんとかかしらん。乱丁や以前の利用者の記録、図書館的にはあんまり良くないことなのだろうけど、こういうのを考えるのはちょっと楽しい。
冷えピタと大量の保冷剤で回復して、引き続き改稿作業。早めに退勤、ベランダに椅子を出して齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』を読。
母親に強制され、九浪して医学部看護学科を出、看護師になろうとしたものの、助産師になることを強く求められた娘が、母を殺してバラバラに解体して捨てた、という事件についてのノンフィクション。〈「学歴信仰」に囚われた人たち、そしてすべての母と娘に贈りたいノンフィクション〉とのことで、とにかく母がモンスターとして描かれ続ける。目標偏差値に足りない数だけ鉄パイプで殴る、とか、反省文を血文字で書かせようとする、とか、ノンフィクションでなければギャグになるかリアリティがないと感じるような場面も多い。
なぜ娘がこんなことをしたのか、はよくわかるのだが、なぜ母がこんなことをしたのか、はほとんど言及されない。夫の学歴を憎んでいたことは発言からわかるが、看護師の内定を蹴って助産師を目指すよう命じた理由は、著者も終章で書いているように、〈その真意はいまも分からない〉ままに終わる。〈学歴信仰〉を解体する本ではない、ということ。
表紙の著者名は齊藤だけだが、奥付のコピーライト表記を見ると©Aya Saito, Akari Takasakiとなっていて、娘(の仮名である髙崎あかり)との共著になっている。本文中に、〈あかりの手記をもとにし〉た〈二人の合作である〉ともあるし、これであかりにも印税が入るのかしらん。
しかし本書、いちばんこわかったのは本書の結語、あかりが出所したらやりたいこと、を列挙したあとの、「それがいまの、ささやかなのぞみだ。」という一文だった。あかりの手記を引用するときは字体を変えてるから、この文は齊藤が書いたもの。〈夢〉や〈希望〉、〈望み〉ではなく〈のぞみ〉とひらがな表記だったのがちょっと気になって調べてみたところ、あかりの本名、〈のぞみ〉なんですよね。
著者は本書のなかで、母親がどんな思いを込めて〈あかり〉という名前をつけたか、を説明している。〈あかり〉が仮名であることは明記されていたので、ここに書かれている母の〈願い〉の内容それ自体に意味はなく、娘の名前には母親のポジティヴな思いが込められている、ということを示すための記述だ。その本名を結語として、(下世話な興味で当時の記事を検索するような人間でもなければ)読者にわからないかたちで書き込む、というのはたぶん、共同製作者の名前をどこかに示したい、という思いやりや、著者から〈あかり〉への、自分の名に込められた願いを思い出してほしい、というエール、なのだと思うが、なんかちょっと、これからも母親の思い(〈母という呪縛〉!)を背負って生きていかなければならない、という呪いのような。
ぜんぜん関係ないですが、娘は中学生のころ小説家を志して、ペンネームを決めてサインの練習もしていた、その紙を見つけた母に「何それ。バッカじゃないの!? 小説家にでもなるつもり!? **なんてセンスのないペンネーム考えてる時点で才能ないよ、やめときなさい」と罵られ、数日間そのペンネームで嘲るように呼ばれた、というのもめちゃくちゃつらかったですね。私は〈小説家にでも〉なった人間ですが、自分の親がいきなり「涼くん」とか呼んできたら、と思うと……。
と書いてて思ったのだが、ペンネームを考えることを〈こんなバカなこと〉と言い、娘の偽名をあざ笑った母が考えた本名を、うつくしい言葉のように本文のラストに刻印するの、なんかゾッとしちゃう。もしかして中学生のころ考えたペンネームが〈あかり〉だったのだろうか、とちょっと思いついたが、いくらなんでもそれを本書での仮名にはしないか。平易な文章なのにヘヴィな本で、読了したころには疲れ切っている。0/544
7月19日(水)曇。八時ちょうど、宅配便のインターフォンで目覚める。飛び起きて玄関まで行った、のだが、間に合わず。荷物は宅配ボックスに入っていた。粛々と家事をやって始業。昼休みに長谷川あかりレシピでのりソースパスタをつくり、『世界ふれあい街歩き』の短いやつを観ながら食う。
そのあとも夜まで作業。集中してるときは吐き気を忘れられる。作業に没入するまでの十五分くらい感覚を麻痺させるような薬があれば、ワーカホリックになれるんだけどな。
カップ麺と茹でたウインナーで夕食として、森博嗣『DOG & DOLL』を読。森のエッセイは基本的に、いかに自分が頭の良い人間か、ということしか書かれていないのだが、そこにいっさいのイヤミがないのが稀有なところ。これくらい健康になりたい。読了するころにはもう日付が変わりそうで、布団に入ってパタリと寝。0/544
7月20日(木)曇。今日ももくもく改稿作業。今年は中短篇の年!と思っていたのだが、ずっと長篇に時間を取られている。はやく次に向かいたい。
昼休みに『大菩薩峠』の八巻、本文を起読。髙山から逃げてきた竜之助とお蘭は、近江と美濃の境にある今須で、ちょうど国境を挟んで建つ二軒の宿の向かい合った部屋にわかれて泊まる。国境を挟んで泊まる、という風流を楽しむのはいいのだが、で障子越しに「ねえ、あなた、近江のお方」と呼びかけたり、返事はしないものの酒を贈ったりで、地の文も「いよいようじゃじゃけて手がつけられない。」と呆れている。しかしお蘭が寝てる間に、竜之助は黒頭巾(辻斬りをするときのお決まりの恰好)で外に出ていった。
関ヶ原では、お銀が夜中に出歩いていて、心配した米友に、関ヶ原の合戦のとき(ということは百七十年ちかく昔)討ち死にした大谷刑部小輔の髑髏を掘り出した、と言う。その髑髏を米友に、そこを流れてる〈黒血川〉というただならない名前の川で洗わせる。夜夜中の月光の下、焼け爛れた顔の女性に見守られながら、小男が川で髑髏を洗っている──という、幻想的な地獄の景色だ。そして対岸から、抜き身の刀を手に持った男が道を問うてくる。よく見るとそれは、お銀が恋い焦がれた、米友が江戸で一時期同宿していた、竜之助だった! 偶然偶然! めちゃくちゃ偶然の多い本作だけど、ここはちょっと、宿命づけられた再会、という感じで、あまり嫌ではない。竜之助も、「ああ、お銀どの、(…)ここでそなたに逢えようとは誰も思わない。無事でしたか」と気遣わしげだ。
覆面をして刀を持ってる竜之助を見て、お銀は彼が何をしようとしているかすぐに察したのだろう、「相変らず、何というこの肌の冷たいこと。それで、まだ持って生れた悪い道楽がやめられませんのねえ」と返す。肝が据わっているというか、世間一般の倫理観とは違うコードで動いていて、そこがお銀を魅力的に見せている。
しばらくあと、三人はちかくの庵の主人に軒先を借りる。今後のことを話しながら、お銀はこういうことを言う。「わたしは自分の力で、自分の本当の世界をこの世の中に作りたいと思っております、人間の手でそれが出来ないはずはないと思います」ユートピア建設の宣言だ。してみると、あの〈悪女塚〉につくらせた醜い像は、彼女が夢見る新世界の神だったのかもしれない。
その新天地では、「有形にも、無形にも、人間のすることに人間が決して干渉してはならないのですよ、圧迫してはならないのですよ。そこには、服従の卑屈があってはならないように、勝利の快感もあってはならないのです」という。そして「わたしの領土では、決して一事一物をも所有ということを許しません、形の上でそれを許さないのみならず、所有を思うことをさえ許さないのです」共産主義的なユートピアを目指した武者小路実篤の〈新しき村〉がたしか大正にできたはずだから、『大菩薩峠』の同時代。何か影響関係があるのかしらん。
お銀に、竜之助と三人で旅をしないか、ともちかけられた米友は、たしかに、道庵のお供としてよりも、二人といっしょに旅をするほうが自由な感じがする、と考える。そもそもお君が生きてれば、彼女といっしょに歌を唄いながら旅をしていただろう。そう考えながら夜、宿の周囲を見回りしてた、ら、女性が風呂に入ってるところが外から見えてしまう。裸の背中をぼうっと見ながら、お君みたいだ、と思う米友。けっきょくそれはお銀で、覗いてることを気取られた米友は三助がわりに背中を流すよう命じられるのだが、米友がお君とお銀を重ねるこの場面は、お君亡きあとの主人公としてお銀を見ていた私にはちょっとうれしかったですね。
午後も作業。ちょっとメンタルが落ちてきたので薬を飲んで、副作用で眠気が強まってきた、のを逃さず寝。52/544
7月21日(金)一日伏せっていた。天気もよくわからず。52/544
7月22日(土)曇。起きたときにはだいぶマシになっていた。正午から友人と、三時間半ほどLINEでおしゃべり。近況報告、さいきん読んだもの、調べてること、次にやるつもりの仕事、みたいなことを話しあう。パニックの発症以来、人と会うこと、おしゃべりすること、が特別な経験になっていて、たいへんに楽しかった。
そのあと、サッカーの女子ワールドカップの日本対ザンビア。前半だけ観て散歩に出。帰りぎわ、近所に新しくできた定食屋の前で、おじさんが店に入ろうとするのと目が合い、アッお先にどうぞ、みたいなジェスチャーをされたので、そんなつもりもなかったのに、アッどうも、と会釈して入る。テイクアウトでオムライスを買って帰り、早めの夕食。満腹になった。52/544
7月23日(日)晴。やや早めに起き、読書して、生野菜とビリヤニを食って散歩。昼ごろまで作業をしてまた散歩、近くの公園で三十分ほど読書。最近にしては暑さはおだやかで(それでも真夏日だったけど)、心地よかった。日曜の昼間なのに、ふだんなら暴れ回ってる小学生たちはおらず。暑いからか、夏休みでどっか行ってるのかもしれない。
午後、SUUMOタウン編集部編『わたしの好きな街』を読了。東京についてのエッセイやインタビュー集、というとなんとなく、上京者の証言、みたいに思ってしまうのは、私が上京者だからだろう。自分ならどういうふうに書くか、を考えながら読んだ。
二時からは男子バスケの韓国対日本。日本優位の時間が長く、親善試合なのに韓国のラスプレーがたいへん多かった、というかプレーに関係ないところで腹を殴ったり、ディフェンスを振り払うふりをしてわざと肘打ちをしたりしていた。とはいえ一方的にやられてたわけではなく、日本選手もけっこう挑発していた。睨みつけて詰め寄る、くらいの場面はあったが、乱闘にはならず。サッカーでも韓国は、こと日本戦になるとフィジカルに頼った荒いプレーをする印象があって、いやあ日韓戦ってこうですよね、となった。
バスケでここまで荒れた試合を観るのははじめてだった。最近はバスケをよく観ていて、ラグビーもテレビで生中継してれば観るし、こないだのWBCも何試合も観た。そのたびに思うのは、私が好きなサッカーというのはほんとうに乱暴というか、ラフプレーや挑発があって当然、乱闘も珍しくはなく、人種差別的な野次も日常茶飯事、という、プレイヤーもファンも野蛮なスポーツなんだよな、ということだ。なんでおれはあんなスポーツが好きなんだろう。52/544
7月24日(月)快晴。昼休みに『大菩薩峠』を進読。道庵、雲助どもを集めて関ヶ原の合戦を再現するぞ!とブチ上げたものの、雲助たちに日当を払うほどの金は持っていない。江戸にいたころなら、こういう大きいことを吹いても、まーた道庵サンがへんなこと言ってら、と流されていたのに、ここでは江戸のお医者様というだけでなんだか大人物のように仰ぎ見られて、言うことも真に受けられる。
とはいえ、そうやって大勢の人を集め、地元の話題になる、というのは、興行を成功させるために重要なことで、その才覚を認めたお角が、お銀から百両を借りて提供する。ここらへんはお角の興行師としての嗅覚を感じますね。意気に感じた現地の人たちの寄進もあって、合戦当時の旗指物を再現したり、人員の配置を検討したりと、準備に余念がない。号外売りの手によって、その賑わいは広がっていく。
それと対照的に、お銀の言葉通りなら実際の合戦で死んだ大谷刑部小輔の髑髏は、黒血川の底に静かに沈んでいる。そこへちょうどお雪と弁信が通りがかり、髑髏を見つけて、火葬をして供養してやった。弁信は灰になった髑髏を袋に収め、首にかける。この髑髏がほんとうに大谷刑部かどうかはわからないにせよ、元は人間だったのだから、こうして二百年あまり後にであれ、僧侶の手で供養されるのは救いだ。そういえば何の漫画だったか、これが本能寺で果てた織田信長の髑髏です、それが証拠に後頭部をご覧ください、信長さまのサインがあります!というギャグを読んだ記憶がある(いしいひさいち『忍者無芸帖』だった気がするが、手元にないので確認できない)。懐かしいですね。
お雪とお銀という、いま竜之助につよい意識を向けている女二人が関ヶ原に揃った。「お雪ちゃんの到着が、敏感なお銀様の機嫌に触れた時はどうなる、悍驚なお銀様が、可憐なお雪ちゃんを裂いて食ってしまうとは言うまいか。」と、地の文も三角関係を煽っている。
午後のいちばん暑い時間に散歩に出、無印良品へ。爪の甘皮をグイグイするやつを買いに(今月の八日の日記に私は、「甘皮をグイグイしたり爪のかたちを整えるほどではなく(…)、ただ塗ってるだけ」だ、と書いていたのだが、どうも甘皮の存在が気になってきちゃったのだ)。しかし人気商品なのか在庫がなかった。
汗まみれになった服を着替えて、ひきつづき作業。夕方ベランダに椅子を出して、時雨沢恵一『キノの旅 XIX』を起読。しかし三十分ほどで暗くなった、ので中に入って最後まで読んだ。ゴーヤチャンプルーを作って、食いながら『ブリティッシュ・ベイク・オフ』のシーズンスリー。最初は十二人だったのが気がつけば五人になっていて、今日観たところでまた一人脱落。私の推しはまだ勝ち残っている。103/544
7月25日(火)快晴、今日も暑い一日。米を炊いて葡萄を数粒食い、散歩して始業。
昼休みに『大菩薩峠』を進読。二段組みの五百四十四ページを一気に読むことなんてできないので、五十ページ読んだら次の区切りでその日は終わり、ということにしている。今日も五十一ページ。ふと時間を計ってみたらちょうど一時間だ。バイトをしていたころは昼休みが一時間で、その間に読めるだけ読んでいた。弁当を温めたりトイレに行ったり、Twitterを見たりもするので、当時(『失われた時を求めて』を読んでいたころ)は一日に読んだページ数がまちまちだった気がする、が、今は一日の仕事の組み立てかたを自分で決められる。五十一ページ、自分の感覚としては一時間半くらい読んでる気がしたのだが、思いのほか、労働をしていたころの感覚が身体に染みついているのかもしれない。
竜之助は庵の主の若いころの悲恋の話を聞いて、感極まったように尺八を吹く。その音を、外を通りがかったお雪と弁信が聞いていた。しかし、竜之助はすぐに出ていって、お雪と弁信、戻ってきたお銀が庵に集ったころにはすでに彼の姿はなく、破壊された尺八だけが囲炉裏で燃えていた。ここらへんはちょっと謎を残している。
お銀は、源義朝の側室でありながら、我が子の命を救うために平清盛の妾になり、最後はこのへんで殺されたという常盤御前の墓を探していたらしい。「自分の愛人を虐殺した大将にこの身を許すことが、悪女でなくてできましょうか。」と言っていて、彼女はもしかしたら、各地の〈悪女〉を収集しようとしているのだろうか。お銀は庵の主の仲介で、近隣に広い土地を買ったらしい。〈自分の本当の世界〉を実現するための〈領土〉を、先週読んだところでは〈こうして旅をしているうちにも、ここと気に入った土地が見つかったら〉財産をなげうってでも買いたい、と言っていたが、もう見つかったのかしらん。
お銀はお雪をその住民として誘った。月見寺を離れ、竜之助とともに旅をしながら、自分の居場所を見失っていたようなお雪は、〈心臓がおどるほどよろこびの念に打たれ〉た。お銀の〈本当の世界〉、私は勝手に、甚三郎の旅とどこかで接続するのでは、と思っていたのだが、内陸の山中にある古戦場ちかく土地では、船旅をする甚三郎の新天地にはなりづらいか。むしろここでは、二種類の理想郷が目指されている、と読むべきかもしれない。
いっぽう白雲は、引き続き北上している。地元の名士の高橋玉蕉という〈才色兼備の婦人〉を紹介されて、彼女がいるという石巻に入る。そこでばったり会った七兵衛(二人は面識がない)から、すでに甚三郎が洲崎を発ち、まさにこの石巻に向かっている、と聞かされる。ちょうど良かったですね。
午後、いちばん暑い時間に一時間弱の散歩をして、スイカバーを食って作業を再開。夕食はカルディのキットで火鍋を作って、PSG対アル・ナスル。大味な、プレシーズンツアーらしい試合だった。154/554
7月26日(水)快晴、猛暑。散歩に出、近所で祭りの支度をしてるのを見て帰る。
昼休みに『大菩薩峠』。甚三郎の無名丸は石巻からやや離れた月の浦に無事入港した、が、明日は上陸しようという夜、マドロス氏ともゆるがボートに乗って船を抜け出す。駆け落ちだ。そういえば一巻に出てきたお浜は、夫のある身だったのに、自分をレイプした竜之助と江戸に駆け落ちして息子をもうけた。酔って自分を手籠めにしようとしたマドロスにもゆるが気持ちを向けるのも、それと同じことなのだろうか。
いっぽう白雲は、玉蕉と面会して芸術談義に花を咲かせる。そのなかで、仙台城に秘蔵されている、王羲之という書家の作品を観てみたい、と話す。それを盗み聞きしていた七兵衛が、また盗っ人の血を騒がせた。
白雲は翌日無名丸に乗り込んで甚三郎たちと合流した、が、そこに七兵衛の姿はなく、茂太郎が、「あたいは、もう二日というもの、あのおやじが、つかまって、縛られて牢屋へ入れられたところを夢に見た」と不穏なことを言った。その七兵衛は、首尾よく仙台城の秘宝を誰にも気づかれずに盗み出した、が見つかりそうになって、盗品を置いて逃げ出す。それで窃盗が発覚した。下手人を捕らえるために、牢屋に押し込められていたベテランの泥棒・兵助が仮釈放された。今後この二人の盗っ人、七兵衛と兵助の対決が描かれるのかしらん。
そのあとひるめしを食って、午後二時のいちばん暑い時間に散歩に出。人のいない通りでマスクを外して深呼吸してみたら、肺のなかが熱い。体温より気温のほうが高いということだ。四十分弱歩き、汗だくになって帰る。冷水のシャワーを浴びて午後の作業に取りかかった。
夕方、散歩。お祭りへ。午後六時半、すでに盛況で、一ブロック歩いて帰ろう、と思っていたのだが、人が多すぎて動けず。メンタルの状態は悪くなかったが、完全に動けなくなった状態で発作が起きたら事だ。無理せず引き返した。207/544
7月27日(木)朝は全体にうっすら雲がかかってたけど、昼ごろには快晴、猛暑。散歩して、汗だくになってひと休み。午前の遅い時間になってようやく始業した。
昼休み、今日は『大菩薩峠』は読まず、吉田朱里『アイドル10年やってわかった“わたしが主人公”として生き抜く方法』を読。「可愛さでも、歌やダンスのスキルでもない。アイドルにいちばん必要なのは「ストーリー」」という言葉通り、NMB48を卒業するにあたって、十年間のストーリーを総括する本。もちろんそのストーリーは著者をアイドルとして印象づける("BE THE HEROINE!")ためのものなので、あくまでも〈公〉の歴史、という感じ。古代中国では王朝が変わるたびに、前王朝の歴史を破棄して、勝者の立場から〈正史〉を書いた、ということを思い出してしまう。となんか懐疑的になってしまいつつ、著者はめちゃくちゃ頑張っていて、すげえなあ、となる。考えること、言葉にすること、動き続けること。「どの人生でも、あなたはちゃんと主人公になれます。自分で立てた目標を叶えていく、あなたが主人公のストーリーでは、センターの人だって脇役なんですから。」というあとがきの言葉には励まされたですね。ファンの多い吉田がこれを書く、というのは、その何十万人というファンすべてにとって自分が脇役であることを受け入れることだ。
午後の作業に戻り、時間指定してた宅配便を受け取ってから散歩に出。図書館で働いてたころの通勤ルートを途中まで歩き、住宅街をウロウロして帰る。三十分ほどだけどかなり汗だくになった。スイカバーで冷やしてまた作業。
夕方、早めに終業してまた外出、お祭り二日目。昨日は混みすぎててほとんど動けなかったけど、午後五時の開始直後に行って、屋台で焼きそばと唐揚げを買う。人混みも順番待ちの列も、私にとってはパニック発作を誘発しかねない危険な要素なのだが、なんとか耐えられた。
すぐに帰宅して、作業をつづけ、また散歩。今日は四度散歩に出、合計で二時間くらいは外にいただろうか。そのぶん疲れ切っている。207/544
7月28日(金)快晴。一日作業。朝は食わず始業して、昼は〈タラタラしてんじゃねーよ焼きそば〉というよく分からんものを食い、午後もキーボードを叩きつづける。
長篇の改稿作業を夜七時ごろに終わらせた。土日元気なら推敲して、来週の頭に送稿したいところ。
そのあと佐藤洋一・衣川太一『占領期カラー写真を読む』を読む。日本に駐在した連合国側の人々のパーソナルな写真、というのテーマが面白い。六十四ページ、本全体の四分の一以上がカラー図版。占領期というのは私の両親が生まれた時代でもあるので、幼少期の両親を探すような気持ち。とはいえ、父の鳥取も、母の山梨も、二人の故郷で撮影された写真はなかった。
もともと個人的な理由で撮られ、私蔵されていたものなので、散逸が激しく、本書のなかで説明されてる研究のプロセスはすごく大変そうだった、が、そのぶん、撮影地不明の一枚が、複数のルートで入手した写真や資料を組み合わせることで、どこで誰がどんな理由で撮ったのかが浮かび上がってくる、というのは、なんかエキサイティングだった。何より著者が楽しそうで、達成感を隠してないのが良かった。
読んでる途中、ゴーヤの炒めものを大量に作る。一日根を詰めていて、夜も目が冴えてなかなか眠れず。207/544
7月29日(土)快晴。ベッドリネンを換えて散歩に出、最寄りの無印良品で、ついに甘皮グイグイするやつを購入。さっそくグイグイして爪を塗った。
昼食は近所の寿司のテイクアウトで腹いっぱいになり、ごろごろしながら『大菩薩峠』。七兵衛はけっきょく、兵助との対決、というほどの活劇もないままに捉えられ、しかし牢に入れられる前、護送中に脱走した。そのことを知った甚三郎の一行から、田山白雲が離脱して捜索に向かう。駆け落ちしたマドロスともゆるも追わなければならないし、あとついでにさらに北方の南部領の絵も描いてみたい。無名丸の整備のために一、二ヵ月は仙台に碇泊するので、その間に戻ってくることにして旅に出た、ら、わりとすぐ、北上川のほとりでマドロスともゆるを見つけた。
江戸の神尾主膳はまだ無聊をかこち続けていて、ついに「半生記」を書きはじめた。執筆の過程で、彼は自分の母親について考える。父親は〈やくざ旗本の標本〉で母親は〈賢婦人〉、という評判だった、が、ほんとうに母が賢婦人なら〈この現在のおれというものを、こんなに仕立てないでも済んだのではないか〉と、その通評に疑念を抱いている。いちおう自分がろくでなしだという自覚はあるんですね。ともあれ本作において、二ページ程度とはいえ、主要登場人物のルーツが示されるのは珍しいことだ。そもそもいま主膳といっしょに暮らしているお絹は彼の先代(つまり父親)の妾だったことを思えば、もっと早く言及されていてもよさそうなものだけど、そこらへんは著者の意図があるんだろうな。
そのお絹は最近異人館に入り浸っていて、嫉妬に駆られた主膳は駕籠を駆ってカチコミをかけようとする。嫉妬、というのも、自分の情人に対するものなのか、父の愛人であるお絹に母性を求めているのかもしれない。
いっぽう西の胆吹山麓では、お銀が買った土地に、米友とお雪、弁信が滞在している。お雪はちょっとお銀のことが苦手らしいが、ともあれお銀は、地元の猟師なんかとやりとりをしたり、着実に自分の〈領土〉を固めつつある。胆吹山は滋賀と岐阜の県境にある山だ。南部、江戸、胆吹、と、今日読んだ五十ページくらいでも、物語の舞台は広い範囲にばらけている。
午後、衝動的にビリーズブートキャンプを十分ほどやってから午後の作業、長篇の推敲をはじめる。推敲は好きだ。これ以降は良くなるばかりだから。259/544
7月30日(日)快晴。日曜なのに早めに起きる。昨日のブートキャンプは気持ち良かったな、と起きてからしばらく考えていた。リズミカルで、絶え間なく身体に負荷をかけつづける。しかし私は三十三歳なのでまだ筋肉痛にならない。
〈タラコタラコしてんじゃねーよ焼きそば〉というさらによくわからんものを食い、散歩。三十分ほど歩いてスーパーでうなぎを買う。高い。
昼過ぎまで集中して、『大菩薩峠』を進読。深夜、お雪はお銀に連れられて胆吹山に登り、かつて伝説的な山賊が住んでいたという洞窟に入っていく。登山の間、お銀はその山賊の逸話や山の風物、薬草や毒草を語る。周囲は深い霧に包まれる。
お銀が身につけている〈鈴〉の音、霧のなかで見え隠れするお銀を形容する〈竜蛇の面影〉という比喩、なんとなく、ここまでにたびたび尺八で「鈴慕」という曲を演奏していた竜之助を思わせる言葉が出てきた、と思ってたら、洞窟の奥、しめ縄の張りめぐらされた牢のなかから「鈴慕」の音色が流れ出し、竜之助が現れた。舞台装置としては周到だけど、いくらなんでも大げさすぎはしないか。
竜之助はお銀によって幽閉されているらしい。お銀は竜之助の女性遍歴を数え上げながら非難する。どうもお銀は白骨での一部始終をあまさず知っているらしい。彼女によると、竜之助がお雪を妊娠させた。後家さんやその男妾だけではなくもう一人、〈闇から闇へ送られたかわいそうな〉子がいたはずだ、と言う。彼女は竜之助の〈仕込み〉でお雪が嬰児殺しをやったのだ、と糾弾する。
そこでふと、洞窟のなかの池に、どこかから女が身投げした音が聞こえる。真っ赤な池には女の尻が浮かび上がって見える。これは前巻で、お蘭とともに美濃の金山に投宿した竜之助が見た夢のなかで描かれていたのと同じ景色だ。再びお銀の理想郷についての長い議論のあと、お雪は弁信に起こされて目を覚ました。夢か。
二時過ぎの暑い時間にまた散歩。途中まいばすけっとでスポーツドリンクを買って、公園の遊具のてっぺんに座ってボーッとする(私は煙なので高いところが好き)。しかし暑すぎて十分くらいで退散。
今日も六時に退勤、ベランダに出て三木清『人生論ノート』をちょっと読む。そのあとうなぎと肝吸いを食った。310/544
7月31日(月)晴。一昨日の筋肉痛がきた。作業をして、午後三時半から一時間カウンセリング。それから二十分ほど散歩。
夕方に推敲を終えて、即送稿。このまま進めばいいが。
そのあとは武良布絵『「その後」のゲゲゲの女房』を読む。第一章で弱り衰え死んでいく夫・水木しげるの姿が描写されていて、本の全体はほのぼのした感じなのに、ここだけハードな市のドキュメンタリーになっている。河出書房新社のムック『古井由吉』所収の古井睿子のインタビュー「夫・古井由吉の最後の日々」を思い出す。310/544
8月1日(火)曇、昼ごろ雷雨。今日は本休日。早めに起き、朝食に長谷川あかりレシピのノンオイル塩ラーメンを食い、洗濯機を回して散歩に出る。郵便局に行ってから、スーパーの開店まで、と思ってタリーズ『人生論ノート』を開いた、ら、けっきょく開店の二十分後くらいまで読んでいた。こういう、次の用事まで時間が空いたからちょっとカフェで読書でも、という行動自体、なんだか久しぶりでうれしくなる。
帰宅して『大菩薩峠』。また道庵のドタバタ劇。酔って長持のなかに入りこみ、のん気に寝てる間に運ばれて、あれこれあって水田のなかに放りこまれる。
「あ! こいつは、たまらねえ、こういうこととは知らなかった」
あわてて長持の中から這い出したのはいいが、這い出したところが水田です。その水田の中へ手をついたものだから、手が没入する、足を入れると足が没入する、後ろへひっくり返ると背中、前へのめると面から胸いっぱい忽ち泥だらけとなって、七顛八倒する有様は見られたものではありません。
という描写。この節の最後で語り手は、「気の毒といえば気の毒ですけれども、なあに本来当人酔興の至りで、自業自得というものです。癖になるから、ああしといて、さんざんに笑っておやりなさい。」と言っている。八巻にいたって、だんだん道庵のドタバタを笑えなくなったのは、どうも身体を張りすぎているというか、『風雲たけし城』的な、芸人にむちゃをさせるタイプのお笑いが苦手なのと通ずるところがあるような。
与八はまだ伊太夫の養子に入る決意はしていないものの、全国を回るのを一時とりやめて、しばらく有野村の藤原家に滞在することを承諾した。敷地の好きなところに家を建ててよい、と言われた与八は、お銀がつくらせた悪女塚のところがいい、と言った。
許しが出て、手ずから建てた家のなかで与八は、悪女像──地の文では〈グロテスク〉と呼ばれる──の背面にお地蔵様を彫った。図式としてはすごくわかりやすい。そして地元の子供らが、与八を慕って集まってきた。お松に倣って読み書き算盤を教え、道庵に倣って怪我や病気の世話をやり、和尚に倣った経を唱えて仏像を彫っているうちに、だんだん地域のみんなが与八を頼りにするようになった。甚三郎の新天地、お銀の領土につづく、何らかのコミュニティの萌芽のような感じ。一時期は物語から完全に姿を消していた与八、ここへきて、他の人物の影響を受けて重要人物になってきた感がある。
読んでるうちに空が不穏な雲ゆきになってきて、雷雨がはじまる。稲光の写真が撮れた。柚子胡椒鯛めしを炊いて、夜はPSG対インテル戦。親善試合なのにレベルが高い。こういう試合がゴールデンタイムに地上波で観られるのは大きなことだ(実況のアナウンサーは、ワールドクラスのチームが日本で試合をやること、子供たちがそれを観られること、の意義を強調してたけど、平日夜の首都でJリーグの数倍の入場料を出せる、という時点で、上流階級というか、ごく一握りの人間しかできない経験だから、そのこと自体の意義は限定的だと思う)。
しかし元乃木坂46の影山優佳さん、昨年末のワールドカップ以降、サッカー中継には必ずといっていいほど出演していて、私はサッカー中継に賑やかしのタレントが出るのはほんとに嫌いなのだが、影山はコメントがめちゃくちゃ明晰だった。影山は四級審判員の資格も持っているらしく、地区サッカー協会(都道府県の一つ下のカテゴリ)主催の大会で主審ができるそう。すごいなあ。さすがに今からトップ選手を目指すのは難しいかもしれないけど、将来的に監督になったりしないかしら。
そういえば図書館で働いていたときの同僚の一人が、四級審判員の資格を持っていた。そりゃすごい!と私が感心すると、講習受けるだけでもらえるんですよ、と謙遜してたけど、影山も元同僚も、そうやって行動に移すのがすごいのだ。361/544
8月2日(水)昨日の悪天候が嘘のような晴。起きてウインナーを茹でる。十時前、もう暑いなかを散歩に出、文具店やスーパーを回って帰宅。
昼過ぎまで作業して、鯛めしを食って『大菩薩峠』。芸者の福松は、髙山の街がキナ臭くなったこのご時世、〈渡り者〉の自分はよけいに身が危険だ、と言って、兵馬といっしょに行動することに(勝手に)決める。二人は福松の縁者のいる加賀・白山へ。兵馬を強引に誘うときの福松の台詞が良かった。
「ねえ、あなた行きましょうよ、北国筋へ。旅は嬉しいものじゃなくって?」
そうなんだよな、旅は嬉しいものだ。本作ここまで、冒頭のお浜の「逃げましょう、逃げましょう、死ぬのはいやいや、逃げて二人は生きましょう」に象徴的だけど、ほとんどの旅は、切実な目的を果たすためのものとして歩まれてきた。逃げて生きるため、兄の仇を取るため、新天地を拓くため。しかし旅というのは本来嬉しいものなのだ。私はもう二年くらい、旅というものをやっていない。旅行したいなあ。
旅の途上で兵馬と福松は、同じ道、すこし後ろを仏頂寺と丸山の二人が歩いているのに気づく。慌てて身を隠し、様子を窺っていると、仏頂寺たちは火をおこし松茸を肴に酒を飲みはじめた。べつに兵馬たちを追ってきたわけではなく、富山・氷見が仏頂寺の故郷らしい。酔った仏頂寺は、「おれはもう、こうして旅から旅の亡者歩きに大抵倦きてしまったよ」とぼやく。そして丸山を相手に、人は何のために生きるのか、みたいなことをこぼしはじめる。
「斎藤篤信斎は、剣術を使わんがために生きている」
「うむ」
「高杉晋作は、尊王攘夷のために生きている」
「うむ」
「徳川慶喜は、傾きかけた徳川幕府の屋台骨のために生きなけりゃならん」
「うむ」
「西郷吉之助は、薩摩に天下を取らせんがために生きている」
「うむ」
(…)
「宇津木兵馬は、兄の仇を討たんがために生きている」
「うむ」
「お銀様という女は、父に反抗せんがために生きている」
「うむ」
「机竜之助は、無明の中に生きているのだ──ところで、仏頂寺弥助と、丸山勇仙は、何のために生きているのだ」
実在の人物と作中人物を並列してみせるのはプルーストがよくやってた技法だ、と、『失われた時を求めて』の訳註で再三指摘されていたことを思い出す。
仏頂寺の切実な問いかけを、しかし丸山は、「松茸の土瓶蒸を食わんがために生きている、あッ、は、は、は」と冗談にまぎらせてしまった。
そして仏頂寺は、とつぜん「おりゃどうでも死にたくなった」と言い出す。最初は酔っぱらいの与太だと思って「くたばりゃがれ!」とあしらっていた丸山も、仏頂寺が切腹の作法にのっとって刀を抜くのを見てさすがに慌てる。とつぜん死にたがる仏頂寺、情緒不安定かよ、と思ったが、しかし人間が自死するときというのは案外こんなふうなのかもしれないな。
仏頂寺はこれ以上生きることに何の意義も理由も見いだせなくて、だから死ぬ、と言う。丸山も、それは自分だって同じだ、と返した。
「留立するなあ、愚劣千万だったよ、お前が死ぬんなら俺も死ぬよ、もう、明日だの、一時待てだのなんて言やしないよ、今日、この場で、お前と枕を並べて死ぬのが、当然過ぎるほど当然たる容易い仕事であったのだ、(…)もう、わかったよ、死ぬよ、お前と一緒に、おれもこの峠の上で、今日只今、死んで見せるよ」
そして仏頂寺は腹を割き、丸山は持ち歩いていた毒薬をあおって、二人は同時に死んでしまった……。
二人はここまで、自分で言っていたとおり、ただ無為に旅をしているだけだった。それが、お君のように物語の要請によって命を落とすのでもなく、酒の勢いを借りて無為に命を絶った。松茸の土瓶蒸を食わんがために生きている、のなら、今まさにそれを食べているのだから、その目的を果たしたあとはもう、ほんとうに生きる目的がなくなってしまう。なんか読んでて神妙になってしまったな。お君が死んだときとは別種の、粛然とした気持ちだ。
一時間ほどの散歩と冷水シャワーを挟んでもくもく作業。夜、セブンのビリヤニを食いながら男子バスケの日本対ニュージーランド。良い試合だった。
選手が交代でベンチに下がるとき、実況のアナウンサーがよく、「吉井はいったんお休みです」みたいに言う。〈お休み〉という言葉が可愛らしい感じがして好きなのだが、この表現が私の印象にとどまるのは、私がよく観るサッカー(去年までスポーツ観戦といえば九割がサッカーだった)ではベンチに下がった選手が再出場することがないからかもしれない。
今日は作業の合間合間に東浩紀『ゲンロン戦記』を読んでいだ。天才すぎて実務のこととか抜けたまま大人になっちゃったボクの失敗譚で、バツグンに面白い。とはいえあくまでも(吉田朱里の本と同じく)批評界の元アイドルの〈公〉の歴史で、言及されるダメさはあくまでも能力的なところにとどまっていて、人間性についてはほぼ言及がない(日本の論壇に身を置いてきたことに起因するホモソ性、への反省は語られているが、たとえば自分より若い男性について、いちいち〈ぼくがむかしからつきあってきた一世代下の美術批評家〉とか〈ぼくよりもひとまわり若い哲学者〉とか、自分との年齢差を強調するあたり、体育会系ホモソの語りから抜け出せてない)。
と批判的なことを考えながらも、個々のエピソードがほんとに波瀾万丈という感じで引き込まれてしまう。あと、どんな混乱期を語るときにも、自分(たち)が読者たち外部の人からどう見えていたか、がいちいち的確というか、私が東やゲンロンに抱いていた印象と一致している、のもなんか気持ち良かった。
そして私が学部の卒業論文(「震災文学論」)を書いたとき参照した『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』と『福島第一原発観光地化計画』について、とりわけ後者の出版は事業としては失敗だった、みたいな内実が語られている、のも面白く読む。東は〈物理的な除染〉だけでなく〈心理的な〉、あるいは〈人文的な除染〉が必要と考えて、その実践としてこの二冊(と『思想地図β vol.2』)を作ったという。私はこの二冊の試みをたしか、〈露悪〉という言葉で表現して、しかし復興の最初期にはこういうインパクトある偽悪が必要なのかもしれない、と、阪神大震災時の泉谷しげるの言動(「お前ら募金しろ!」)を参照しながら分析したのだった。
東は自分の出自に何度か言及している。「ぼくの母方の祖父は、東京・赤坂でカーテンなどを扱う内装会社を経営していました。ぼくの父親は平凡なサラリーマン、母は専業主婦で、インテリの家系ではありません。親戚を見渡しても、作家や大学教授といったひとはひとりもいない。」だから、「大学で教えても、本を出しても、テレビに出ても生きる実感がなかったのは、そもそも子どものころぼくのまわりにそうやって生きているひとがひとりもいなかったからなのではないかと思います」。これは私と正反対というか、父方も母方も農業をやっていて、親戚にも農家が多く、父親は大学教授、母親は私が生まれる前に退職した元教員の専業主婦だった私は、身近に〈平凡なサラリーマン〉というのを見ずに育った。だから私は会社員になれなかったのだ!とはいいませんが……。
本書、副題に「「知の観客」をつくる」とある。ゲンロンでは現代美術や漫画、SFの教室を運営している、が、いずれもプロになれるのはそのごく一部で、にもかかわらず全員から少なくない金を取る、それは〈一歩まちがえれば、自己啓発系の詐欺行為になる危険性をつねに抱えている〉と東は言う。そして、プロにはなれないけど〈作品を鑑賞し、制作者を応援する「観客」〉を育てることの重要性、を強調する。
誰もがプレイヤーになることはできない。〈ムーブメントを起こす〉にはスターだけでなく、スターをまなざす〈観客〉が必要なのだ、ということ。と考えたときに思い出すのは影山優佳のことで、私は昨日、「さすがに今からトップ選手を目指すのは難しいかもしれないけど、将来的に監督になったりしないかしら。」と書いていた。この思考はどうも、東の指摘する〈みながみなスターを目指している社会〉にどっぷり浸かってしまっているのを感じる。サッカーに詳しい戦術オタクだからって監督を目指す必要はなく、中継リポートをしてみせるのも、〈ムーブメントを起こす〉ための重要な〈観客〉の仕事だ。412/544
8月3日(木)晴。早めに起きる。スーパーの開店までタリーズで読書、買いもの。洗濯機を回して作業。
昼休みに『大菩薩峠』を進読。胆吹山麓の屋敷で夜、米友とお雪がくつろいでる部屋に、急に竜之助が入ってくる。お雪は顔を真っ赤にして、今夜はここに泊まっていただきましょう、と言って、竜之助といっしょに奥の間に入っていく。こんな露骨に性的な匂わせをする人だったかしら。
一人残された米友が寝ていると、今度はお銀がやってきた。修羅場の予感!と思ったが、お銀は竜之助とお雪が奥の間でねんごろにしていることは先刻承知で、米友に「お前、今晩、ここで、わたしと一緒に寝ない?」と誘惑をしかけてきた。米友、こういうことには慣れておらず、「ばかにするない」とタジタジしていた、ら、そこへ、薬草取りに胆吹山まで来て道に迷った道庵が助けを求めてやって来た。偶然偶然。米友が道庵の相手をしてる間に、お銀は姿を消していた。
道庵に布団を奪われた米友は、その寝姿を見ながらこれまでのことを考える。そもそも盗っ人として故郷を追われ、とっ捕まって崖に捨てられて瀕死だったところを道庵に救われたのが彼との出会いだった。道庵がいなければ自分はそこで死んでいた──と考えてつい、今は亡きお君に思いをはせる。故郷の村でお君と過ごした幼少のころ、「子供のうちぁ、ふたり一緒に抱き合って藁の中へ寝て育ったんだ」と回想する米友にとって、お君は〈異体同心〉の仲だ。彼のお君への思いというのはつねに真摯で、ジンとしてしまう。
十八時ごろ退勤、タナカカツキ『サ道 ととのいの果てに』。サウナについてのエピソードは漫画やドラマと重複するところも多かったのだが、後半の、今の仕事の進めかた、の記述が興味深い。四時に起き、事前に決めたルーティンにしたがって、二十分ワンセットの作業を一つずつこなしていく。八時間は食事もとらず、正午になったらもう退勤、午後はサウナと、あとは人と会う仕事や自分の趣味の時間。夜九時にはヘトヘトになって寝る。
スティーヴ・ジョブスは意志決定のリソースを節約するために毎日同じ服しか着なかった、というのをさらに押し広げて、日々のすべてをルーティンにした、ということ。直観的にはクリエイティヴな仕事とルーティンワークは相性が悪いようにも思ったが、しかしタナカにはそれが合っていて、こなせる仕事量が増え、健康にもなったそう。すばらしい。家族についての言及がなく、まあこんな世間の標準から外れた生活は一人暮らしだからできることだよなあ、と思いながら読んでたら、家族と夕食をとる、という記述もあった。家族はどういうリズムで生活してるんだろう。私もルーティンで生活したいのだが、なかなか取っかかりがつかめずにいる。464/544
8月4日(金)晴、松田直樹の命日。昨日はなんだか疲れていて、風呂にも入らずに寝た。早めに起きて入浴、岩波書店編集部編『翻訳家の仕事』をちょっと読む。
昼休みに見たInstagramで、川又堅碁選手がアスルクラロ沼津に加入したことを知る。彼は私と同年同月同日生まれで、勝手に親近感を抱いているのだが、今年の頭に千葉を退団してからは、怪我をした足の手術とそのリハビリで無所属が続いていた。沼津はいまJ3の五位(鳥取は六位!)だそう。最年長現役Jリーガーの伊東輝悦もいるから、ベテランの身体のケアのノウハウがあるはず。活躍してほしい。
そのあと『大菩薩峠』。深夜、黒頭巾をして外に出た竜之助は、あやしい母子と出会う。そして母親は〈木下藤吉郎〉の連れ合いの従姉で、子の名は虎之助、その父親は弾正右衛門兵衛といって、虎之助が三歳のとき、三十八歳で死んでしまった……、といかにも思わせぶりな事実が語られた。日本史が苦手な私でも木下藤吉郎という名前は知っていたので、時代が違う、と思って調べてみると、虎之助というのは加藤清正の幼名だそう。そういえば本作、名古屋にいる加藤清正の末裔、が何度か登場していた。
虎之助とその母と話すうち、今度は謎めいた〈美女〉が現れる。『平家物語』に登場する、平清盛の寵愛を受けた祇王だそう。ファンタジーだなあ。
祇王は「わたくしたちのあらゆる栄耀栄華のうちに、ただ一つ、これだけが残りました」と言って、うしろの池を指さす。ここは祇王の故郷で、水不足に喘いでいた人々を見かねて、祇王が用水路と貯水池をつくらせたのだという。「今日になって見ると、わたくしの一緒のうちの最も大きな、そうしてただ一つの功徳の記念となって、永久に残されることになりました」。
本作ここまで、功名心を抱いた登場人物というのはほとんどいなかった。そのかわり甚三郎やお銀の、理想の〈領土〉を切り拓こうとする姿が描かれている。彼らが残す(かもしれない)土地と、祇王が栄華の果てに唯一残した水のせせらぎ。これは重要な場面だ。そういえばお銀さまは、源義朝の側室でありながら我が子を救うために平清盛の妾の妾になった常盤御前の墓を探していたはずだ。関係あるのか、どうか。
いっぽう、一人残されたお雪は突然苦しみはじめた。異変を察した米友が奥の間に向かうと、お君の最期の姿を想起させるほどの苦しみようで、口移しで水を飲ませたり、必死になって介抱する。道庵の力もあってなんとか一命を取り留めた。そのまま家を飛び出した米友、しかし何をしに行ったのか、琵琶湖の畔で休んでいると、早朝、そこに弁信がやってきた。二人は互いがお雪の友人だということで意気投合する。
ほぼ回復したお雪と道庵は屋敷でおしゃべり。話の流れでお雪は、茶飲み話というには深刻な様子で、堕胎をすることについて、医学的・倫理的に道庵に相談している。あやしんだ道庵、酒の勢いもあってか、「じゃあ、聞くがな、お雪ちゃん、お前は孕んだことがあるかい、ないかい」と決定的な問いを投げかける。「えッ」とお雪が絶句したところで本巻終わり。サスペンスだ。
午後、いちばん暑い時間に散歩に出。近所の神社にお参りして、公園のベンチで休む。あまりに暑く、ぜんぜん休まらなかった。
夕方、ベランダに出て『翻訳家の仕事』を進読。和田忠彦がこういうことを書いていた。
読んでいて響いてくる声、自分が聴き取った声を日本語で再現したい、そしてできれば再現された声に耳を傾ける読者がいて、その読者がまた別の声でそれを再現してくれたら──この贅沢で不遜な欲望が、ぼくにとって、自分を翻訳の現場へと立ち帰らせる原動力であるらしい。
ここを読んで思い出したのは(翻訳ではないが)和田の『タブッキをめぐる九つの断章』のことだった。タブッキの作品と彼との交流が和田にもたらしたもの、を綴ったその本を読んで、私なりに〈再現〉したものが「焚火」という中篇だった。はからずも私は、和田の〈贅沢で不遜な欲望〉に応えていた、のかもしれない。だとしたらうれしいな。
夜は『大菩薩峠』の註や解説を読。そのあとは脳がしおしおで、無気力に白米と茹で卵を詰め込んで、観るつもりだった男子バスケの日本対ニュージーランドも観ず、今日も風呂に入れず寝。544/544
8月5日(土)快晴。朝風呂を浴びて、長谷川あかりレシピの甘辛トマ牛丼。おいしくできた。そのあと本田健、櫻井秀勳『作家になれる人、なれない人』を一気に読んで、録画してた『ブリティッシュ・ベイク・オフ』第三シーズンの準決勝を観、ちょっと昼寝。そのあと『大菩薩峠』を再起読して区切りまで。外山滋比古『ことばの力』をちょっと読んで女子サッカーワールドカップの日本対ノルウェー。タフな試合だったが日本が勝った。のりソースのパスタをザッと作って夜の読書。作業は控えめに、身体を休める。一日一歩も外に出ず。133/544
8月6日(日)晴のち曇、一時雨。六時台に起きる。散歩に出て二十分かそこら歩く。朝マックをテイクアウトして帰宅。ムシャムシャ食って、こないだ送稿したのとはまた別の長篇の推敲作業。
昼休みに『大菩薩峠』、二時ごろまで。そのあと散歩。徒歩圏内の公園に行ってちょっと座ってみる、というのを最近ためしていて、しかし徒歩十分圏内の公園はだいたい行った、ので、今日は公園ではなく、タワマンの麓の広場にあるベンチに座った。日陰になっていて風もあり、涼しかったので、外山滋比古『ことばの力』をちょっと進読。しかしだんだん雲行きが怪しくなってきたので、スーパーに寄って帰る。帰路でちょっと降り出したが小雨のうちに家に着いた。それから五分ほどで本降りになる。
長篇の推敲を夜までに終える。そのあと『ことばの力』を読了。今日も暑くて湿気が高く、気圧も乱高下して、なんだか疲れてしまった。247/544
8月7日(月)曇、晴、雨、一日不安定な天気。六時台に起きる。昨夜は日付が変わるころまで起きてたので、やや寝不足。
作業中に雨がぱらつきだし、止み間に散歩に出、金曜と同じ神社に着いたころには青空。
今日は短篇の作業。四月末に起筆して、体調不良や長篇の改稿で中断して、それっきりになっていたもの。もう三ヶ月も経ってしまった……。しかしいいだけ寝かせたのが良かったのか、着手するとすぐ捗る。午前のうちに十枚ほど。
昼食をとって『大菩薩峠』、今日も午後二時ちょうどまで。そのあと散歩をして、近所の公園へ。すべり台を二度すべった。平日の日中に公園のすべり台で遊ぶおじさんに、私もなってしまったな……と感慨深く思っていたら、路地を隔てたすぐ近くが区立小学校・幼稚園の校庭らしく、自分のあまりの不審者ぶりに、エッこれ通報したほうがいいのでは?となるなどした。
夕方までにまた十枚ほど。良いペース、というか、これでは明日にでも完成してしまうではないか。四ヶ月頓挫してたのは何だったのだ。いいんですが。
夜は宮地尚子『傷を愛せるか』を読。精神科医として、トラウマを負った人たちと接しながら、「あなたはいつかきっと幸せになれると思うよ」「あなたが幸せになっていくのを、わたしは見守っているよ」と言葉をかける、という記述のあと、こう述懐する。
ときどき考えるのだが、命綱やガードレールなどのほんとうの役割は、実際に転落しそうになった人をそこで引き(押し)とどめることでは、おそらくない。(…)そこにそういうものがあるから大丈夫だと安心することで、平常心を保つことができる。本来の力を発揮し、ものごとを遂行することができる。たいていは、そのためにこそ役立っていると思うのだ。
著者の予言めいた言葉には何の根拠もないのだが、それでも、信頼する人がそう言ってくれたという記憶だけで気持ちが楽になることは間違いなくあるよな。351/544
8月8日(火)晴。何か悪夢を見て夜中に起きた、が、すぐにまた寝。夢の内容は忘れて、ただじっとりと厭な感触だけが残った。起きてキウイを食い、一区切り作業をしてから朝の散歩。また神社にお参りする。
いつも買いものをするスーパーで、昨日までは桃が四個で九八〇円だったのに、今日は三個で一〇八〇円になっていた。かなしい。そういえばグリーンキウイも先月の中ごろ、五個で四八〇円だったのが四個で四八〇円になり、ゴールデンキウイも先週、四個で四八〇円だったのが三個で四八〇円になった。じわじわ値上げ。桃もキウイも買わずに帰った。
昼休みに『大菩薩峠』、二時まで。そのあと今日も蒸し暑いなかを散歩に出。手ぶらで出たのだけど、ふと思いついて図書館に入り、カードを忘れたと言って『村上春樹とイラストレーター』を借りる。住宅街をウロウロして、公園で座ってちょっと読んだ。
帰宅してもくもく打ち込み、六時半ごろに短篇の初稿ができた。三十枚ほど、と思っていたのだが、五十枚くらいになった。一晩寝かせる。明日の私はどういうふうに読むのかな。
そのあとベランダに出て『村上春樹とイラストレーター』を進読した、が、立秋にもなるとだんだん日が短くなってきて、二十分程度しか読めず。432/544
8月9日(水)一、二時間おきに豪雨と青空の入れ替わるヘンな天気。起きたときは曇っていたが、そのうち雨が降りだした。シャワーを浴びて洗濯機を二度回す。十時前に晴れたので散歩に出、神社へ。ここ三日、毎朝同じ時間、同じコースで散歩している。
昨日書き上げた短篇を推敲。昨日の私は、今日の私がどう読むのか気にしているが、悪くない小品になっている。よくできました。昼過ぎまでかけて推敲を終える。
そのあと『大菩薩峠』の、本文だけ再読了。ここ三日はいつも二時に散歩に出てたけど、今日は作業と『大菩薩峠』の読了を優先した、ので、出たのは午後三時前。今にも降り出しそうな空の下、すぐ帰れるように近くの公園や、でかいビルの麓の緑道をウロウロする。帰宅して十分ほどでまた大雨になった。そのあとは家でのんびり、昼寝したりうまい寿司や漬物を食っていた、ら、もう夜だ。514/544
8月10日(木)雲の多い晴。一日引きこもる。うまい漬物を食ったり読書をしたり。昼前にようやく始業、大菩薩峠文章を書いていく。ときどき布団でゴロゴロしたり、ベランダにカセットコンロを出してソーセージや卵を焼いたり、録画してた『鶴瓶の家族に乾杯』の、小池栄子といっしょに鳥取県若桜町に行った回を観たりしながら。
『家族に乾杯』のなかに、若桜鉄道の駅で小池が、駅員に次の便はいつ来るか尋ねる場面があった。口頭では「次の電車はいつ来ますか?」と言っていたのに、テロップでは〈電車〉ではなく〈列車〉という表記がなされていた、のが印象に残った。というのは、私は「鳥たち(birds)」という小説の冒頭ちかくで、鳥取出身の小説家である──要するに私自身を投影した語り手の、こういうモノローグを書いていたからだ。
山陰本線の鳥取駅から伯耆大山駅まではいまだに電化されておらず、そこを――私が原稿用紙に向かってその列車のことを考えているいまも――走っているのは、ディーゼルエンジンで動く、汽車だ。作中でその乗り物に言及するとき素直に、私が鳥取に住んでいたころ呼んでいたように書くなら、〈汽車〉の語をあてるべきだ。でも私は小説を書くとき、私性のつよいものであればとりわけ、〈汽車〉ではなく、事実に反した〈電車〉でもなく、動力を限定しない〈列車〉の語をつかう。あるいは自動車を運転しながら路上に見える小さなマンホールの蓋を微妙にハンドルを回して避けるように慎重に、それを表す語をつかわずに書く。きっと〈汽車〉でも〈列車〉でも、あるいは〈電車〉という語を書きつけたところで、ほとんどの読者は違和感を抱かないだろう、推敲をするならそれより、老婆の表情や塞がれたスツールをドア越しに見る少年の屈託の表現をこそ練るべきなのだろう。それなのに私はこの、作中で果たす役割のちいさい一語にいつまでもこだわっている。
語り手のこの屈託は、鳥取には電車が走っておらず(県西部には電化された路線もあるが、語り手の育った鳥取市を含む東部は非電化)、そのことにコンプレックスを抱いていたことに由来する。高校卒業を前に彼は、進学先の大都市で〈汽車〉なんて口にしたら即座にイナカモンだと露呈してしまう、と、友人たちといっしょに〈電車〉という言葉をつかう練習をした。調べてみたら小池は世田谷生まれだというから、小さいころから〈電車〉に乗っていたのだろう。
そういえば大学生のころ、東京出身の友人に、鳥取の鉄道はいまだに汽車が走ってて、という話をしたとき、エッ鳥取の人って今もSL乗ってんの!?と驚かれたことがある。彼は汽車といえば蒸気機関車のことだと思っていて、自分が触れてこなかった概念についての知識が少ないのは当然のことなのだが、そのことを知らずに二十年ちかく生きてこられた彼の幸運──それは幸運なことだ、とそのとき考えたことを憶えている──を羨ましく思ったのだった。
暗くなったころ大菩薩峠文章を書き上げる。が、なんかボーッとしてるうちに公開しそびれたことにベッドに打ち上がってから気づいた。しかし起き上がる気力はなし。そのまま寝てしまう。
8月11日(金)晴。起きてシャワーを浴び、せっかく昨日のうちに書いたのに公開しそびれてた大菩薩峠文章をアップ。
午前は集中して作業。昼休みになんとなくテレビをつけたら、ちょうど甲子園の北陸対慶應義塾の試合がはじまったところ。噂には聞いてたけど、炎天下で試合する様子を観せながら〈外出はなるべく避けること〉みたいなテロップを表示する、というまともじゃない画面構成。けっきょく一試合まるごと観てしまった。そのあとちょっと散歩をして、今度は女子サッカーワールドカップの日本対スウェーデンを観。そのあと遅くまで作業を進めた、が、今日はテレビを観すぎたな。退勤して豚肉を焼いて、今から食うところ。
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