8月21日(月)快晴。具合良くなし。夜中に何度か目覚める。まだ回復してないかんじ。朝、住本麻子がnoteで公開してる日記を読んだ。
最低限の目標と最高の目標を設定するというのはわたしが中学の頃に部活動でやっていた目標設定のやり方なのだが、幅があるのがいいと思っている。高すぎず、低すぎない目標を立てるのはなかなかむずかしいが、高い目標と低い目標を立てれば解決するというわけだ。
感銘を受ける。私は自分(の能力)に対する理想が高すぎて、いつも高すぎる目標を設定しては達成できずに落ち込んでいる。高い目標と低い目標。今日は具合が悪いのだし、最低限の目標は一冊読了くらいにしておこう、と決めた。
三十分ほど散歩して、清原和博『薬物依存症』。読んでるうちに、氏の次男の所属する慶應高校が土浦日大と対戦する甲子園の準決勝がはじまっていた。本のなかでも、次男にバッティングのアドバイスをした、みたいな記述があって、それを読みながら次男氏の試合を観るというのも乙なものだ、が、次男氏は出場なし。
夕方ごろ読了。しかしどうも、禁断症状の描写が壮絶で、鬱の描写には私も身に覚えのある感覚がいくつも書きつけられていて、引きずられそうになった。清原は依存症と鬱から回復しようとして、甲子園球場や現役時代の思い出の場所を巡る。自分が輝いていた日々の記憶。しかし〈過去をたどってみたところで前には進めな〉い。清原は、逮捕以来会えずにいた息子たちと再会し、甲子園の百回記念大会の決勝を現地で観る、という目標を立て、そのために努力して、実際に観戦ができた、彼に気づいた観客から「頑張ってください」と声をかけられた、そうすることでようやく笑顔を取り戻した。野球への愛と息子たちへの感謝、を清原は繰り返し強調していて、今、次男氏の試合を必ず現地で観戦してるのは、氏にとってとても重要なプロセスなんだろうな。これを読了したことで今日の目標は達成。住本の目標、清原の目標、私の目標。それぞれだ。
夜、男子バスケの親善試合、フランス対オーストラリア。第三クォーターの途中で具合が悪くなり、デパスを飲む。最後は競った激しい試合になり、僅差でオーストラリアが勝った、のを見届けて、薬の効果かスッと眠りに落ちた。
8月22日(火)晴。伏せっていた。
8月23日(水)雲の多い晴。今日はわりとマシな体調。洗濯ものを畳み、実家から送られてきたマクワウリを切って食う。マシだからといって調子に乗って痛い目をみる、のを何度もやってきたので、無理はせず。軽めの作業をちょっとずつ。
昼過ぎ、レトルトカレーを食ってから甲子園の決勝、慶應対仙台育英を観、飴屋法水『彼の娘』を読了。私小説、のようなつくり。小学生の娘を見つめながら父親は、自分が小学生だったころのことを回想する。
なぜ、彼は今、こんなに遠い記憶を、まるで蒸し返すように思い出そうとしているのか? 彼が転校したのは、確か小学校の四年の時だ。
彼の娘は、今、ちょうど小学校の四年になる。ということは、この時の彼と、彼の娘は、今、クラスメイトだということだ。
もちろんそんなはずがない。が、そう思いつき書きつけること、が、小説の想像力なんだよな。
別のところでは、父と娘の対話のなかで、人間は動物だ、しかし人間と動物はぜんぜん違う、と(大人であればそのニュアンスは汲みとれるが)矛盾したことを言う父親に、娘(くるみ、という名前で、くんちゃん、と父に呼ばれ、自分のことをそう呼ぶ)がこう反論する。
おかしいじゃん。おかしいよ。夜は、昼じゃないから夜で、くんちゃんは起きてないから寝てて、晴れてないから、雨なんじゃん。
すごく良い台詞。さっきの引用とは反対に、こういう台詞はつくれない感じがする。ほんとうに著者の娘がこう言ったんだろうな、という手触りがあった。
8月24日(木)曇。伏せっていた。
8月25日(金)快晴。一時過ぎに寝、午前三時ごろ、ホラー映画みたいな夢で飛び起きる。じっとりと脂汗。一時間ちかく眠れず、しかし朝は八時前まで寝てたので、六時間くらいは睡眠が取れた、ということか。
散歩して新しい短篇を起筆。まだ立ち上がりなので、書きすぎないよう。短篇の連作はこれで三作目で、そろそろ全体の輪郭が見えてきた気がする。十作弱で一区切りかしら。
夜、良い中華料理屋のテイクアウトを食いながら『サラメシ』のプロバスケ審判・加藤誉樹回を観て気持ちを高めて、男子バスケワールドカップの日本対ドイツを観。サッカーのときみたいなアップセットが起きるんじゃないか、とちょっと期待してたのだけど、さすがにそう簡単にはいかない。
8月26日(土)曇。起きてすぐ入浴、午後まで読書。
夕方からAmazon Prime Videoで『ノーマル・ピープル』を八話まで一気に観。アイルランドの田舎町とダブリンが舞台の、マリアンとコネルのラブストーリー。空気感がたいへんに良い。
8月27日(日)曇、ときどきザッと雨。ぐっすり寝ていた。昼ごろに三十分ほど散歩、図書館とスーパーに寄って帰り、ちょっと作業に手を着ける。髪を切ってまた出、買い忘れたものを買って帰って、ジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉 Ⅱ』を起読。
早めに風呂に入って『ノーマル・ピープル』を最後まで観。最終話の終盤でようやく「愛してる」と言いあって、これでハッピーエンドかしら、と思っていたら、ニューヨークの大学院に進むコネルとダブリンに残るというマリアンは、何も未来を約束せずに別れてしまった。なんでこうなっちゃったんですかね、と、観終わってからしばらく考える。マリアンは「ここにいたいの/私の人生はここなの」と言っていたけど、彼女がダブリンに何を見つけたのかは描かれていなかったような。原作には書かれてるのかしらん。本作、とにかく若い二人がくっついたり離れたりするのを延々繰り返していて、今後もそれを重ねていく、ということなのかな。原作が読みたいところだけど、私の英語力で楽しめるかどうか。
そのあと美味い春巻を食いながら、男子バスケワールドカップの日本対フィンランド。すごい試合だった。ワールドカップでの勝利は二〇〇六年日本大会のパナマ戦以来十七年ぶり、世界大会でヨーロッパ勢に勝ったのは一九六四年東京五輪のフィンランド戦以来五十九年ぶりのことだそう。大興奮してぜんぜん眠れず、試合が終わってから二時間以上起きていた。
8月28日(月)曇。興奮冷めやらぬかんじで起き、昨夜の試合のハイライトや各国の報道を観。そのあと島根のヨーグルトを食って散歩に出。バスケのことを考えてたら、久しぶりにほとんど辛くならずに三十分歩けた。
昼まで横になり、午後一時からオンラインでカウンセリングを受けて、また散歩。日射しは強くなかったけど、じっとりと汗をかく。
それからようやく始業。短篇は一気呵成に書き上げるのがよい、のに、なんだか土日はゆっくりしてしまった。また頭から。無理せず、というのと、しかしゴリゴリ書いてゆかねば、というのの両立。たしか実写映画版の『GTO』だったと思うのだけど、新聞社か雑誌編集部のオフィスで上司が、「慌てず急いで!」と部下に発破をかけていた、ことをときどき思い出す。
8月29日(火)朝は雲が多かった、が、気がつけば快晴になっていた。午前は薬を飲んで寝。昼ごろからだいぶ楽になり、郡司ペギオ幸夫『創造性はどこからやってくるか』をもくもく読む。執筆はほとんどできなかったけど、ともあれ回復したので良しとしよう。
夜は今日も男子バスケワールドカップ、日本対オーストラリア。勝ったほうが二次ラウンド進出、というシチュエーションで、日本の負け。ここまでバスケの試合はバスケットLIVEばかりで、テレビで観たのははじめてだった。わりにコアなファンが観るものだろうバスケットLIVEと違って地上波の放送は、実況・解説・SPブースター(って何だ)・コートサイドリポーター、と人が多くて常に誰かが喋ってるし、画面上のテロップとかもガチャガチャ騒がしい感じで、なんかカメラの切り替えも多い気がした。落ち着いてるのは解説の馬瓜エブリンの声だけだ。
日本は一勝二敗で一次リーグE組三位、でもまだ敗退ではなく順位決定戦が二試合ある。たぶん、各大陸内で一位のチーム(ヨーロッパと南北アメリカは二位も)にパリ五輪の出場権が付与される、というルールのために、細かく順位を決める必要があるのだろう、が、どんなチームでも五試合はできる、ということで、これはちょっとうれしい。順位決定戦、サッカーのワールドカップでも導入してほしいな。
8月30日(水)晴、今日も暑い。早めに目が覚める。体調は万全ではないが、バスケのことを考えながら三十分強散歩。神社にお参りして、スーパーに寄って帰る。それから始業、短篇短篇。
今日も午後二時、もう台風も来る八月末なのにまだまだ暑い炎天下を散歩。新学期がはじまったらしい小学生の下校の集団とすれ違い、三十分ほど歩いて、公園で星新一を読。じっとり汗をかき、ちかくのベンチに座ったおじさんがタブレットで仕事をしながら数分おきにおならをするのに辟易して二十分ほどで退散。午後の作業に取りかかる。発作から回復して以降、スーパーの開店に合わせた朝十時前後の散歩と、いちばん暑い午後二時からの散歩、が生活の区切りになっていて、昼の散歩から帰ってひと息ついた三時ごろからが午後、という感覚だ。
七時ごろに退勤して、そのあとはずっと読書。〈夢水清志郎事件ノート〉の、子供のころ持ってた巻をぜんぶ再読したところでなんか満足してしまって続巻を読んでなかった、とふと思い出して借りた、はやみねかおる・松原秀行『いつも心に好奇心!』を読んだ。
青い鳥文庫創刊二十周年記念の、はやみねの〈夢水清志郎〉シリーズと松原の〈パスワード〉シリーズのコラボ作品(それぞれ二百ページの長篇が二つ収録されていて、いくつかリンクするシーンもあるけど、合作、という感じではない)。いつだったか、日本海新聞のコラムで私はこういうことを書いた。
図書館で借りたのか、親が買ってくれたのだったか、青い鳥文庫から出ていたある作品が好きになったのは十歳くらいのころだった。その続きが読みたい、と親にねだって、JA系のスーパーの一階にあった書籍コーナーに行った。青い鳥文庫の背表紙はどれもよく似たデザインだったから、目当ての本がどれかわからず、てきとうに手に取ったのが、はやみねかおる『そして五人がいなくなる』だった。私にとって、はじめて自分で選んだ本だ。
この〈青い鳥文庫から出ていたある作品〉が、〈パスワード〉シリーズの一冊、『パスワード「謎」ブック』だった。だからこの二作のコラボというのは、出版された二〇〇〇年に十歳の、ちょうど対象年齢だった私が読んでないほうがなんかおかしいくらいだ。
〈夢水清志郎〉の、ここから先は初読だから、もはや幼少期の記憶を参照して楽しむ読みかたはできない。だから『徳利長屋の怪』を読んだ三月以降、半年ちかく読まなかったのかしら。それでもやっぱり懐かしい、旧友の新しい一面を見る思い。
亜衣は変わらずに小説を書いていて、〈今年こそは江戸川乱歩賞に応募して、中学生作家デビューをねらってる〉という。そして括弧に入れて「(乱歩賞がだめなら、メフィスト賞よ!)」とつけ加える。二〇〇〇年、まだ舞城王太郎も佐藤友哉も西尾維新も受賞する前、発足直後の森博嗣や清涼院流水や蘇我健一というヘンな書き手たちのあと、本格ミステリっぽい作品が毎年複数受賞してたころだ。
そして美衣は〈毎日六種類の新聞を熟読してから学校にいっている〉。一作目『そして五人がいなくなる』では、日本語(数はわからず)・英語・ドイツ語・フランス語の新聞を購読していた。それが四作目『魔女の隠れ里』と六作目『機巧館のかぞえ唄』では日(〈ふつうの新聞〉三紙、スポーツ紙二紙、経済紙一紙)・英・仏に減った。そして本作(はやみね作品は「怪盗クイーンからの予告状」という題)では〈六種類〉。別の場面で、〈英字新聞以外にフランス語の新聞も読んでいる〉とあるから、『機巧館』から「予告状」の間に、日本語の二紙の講読をやめた、ということかもしれない。『機巧館』は中学二年生の夏の出来事だった。そして「予告状」は〈いまは春休みで、この休みがおわったら正式に中学三年生になる〉というタイミング。受験生になるにあたって購読数を減らしたのかもしれない。しかし本シリーズを読みながら、なんで私はずっと美衣の新聞のことを気にしているのか……。
8月31日(木)快晴。未明に一度目が覚めて、米軍兵の九十六パーセントが百二十秒以内に眠りに落ちた、マシンガンの銃声が聞こえるような強いストレス下でも有効だった、という〈漸進的筋弛緩法〉をやってみて、百二十秒以内に寝。八時ごろ起きる。
風呂に入って巨峰を食い、散歩に出、いつものコースを歩く。ルーティン化の効能の一つはその日のコンディションがわかること、だが、今日はちょっと良くない。帰宅するころには疲れ切っていて、ちょっと休んでから始業。休憩を何度も挟みつつ。
今日も午後二時に散歩。歩くのは短めにして、公園で星新一を進読、読了してしまう。午後もゆっくり作業。そういえば、とふと日記を見返すと、私は四月二日に、「日暮れの声」の記述から計算すると、視点人物のハユの命日は二〇二三年三月末だ、と書いていた。「私はその、実際には何でもない一日になるだろう架空の祖母の命日を、それでも粛然とした気持ちで過ごすような気がしている」とまで書いていた、が、改めて計算し直すと、ハユが死んだのは二〇二六年ではないか。粛然とした気持ちになりかけたのがシュンとなる。あと三年は生きねば。
夜はカップ麺と生野菜を食べ、男子バスケワールドカップ、日本対ベネズエラ。相手もミスや不用意なファールが多かった、のに日本もあまり良くなく(ちょっとジャッジの基準もブレてるかんじで)、終始リードされていた、のが、最終クォーターでとつぜん逆転して勝った。ワールドカップで日本が二勝するのは一九六七年ウルグアイ大会以来五十六年ぶり!とのこと。
昨シーズン終盤あたりからとつぜんバスケを観はじめ、Wリーグのプレーオフファイナルではダブルオーバータイムの熱戦、Bリーグのチャンピオンシップは千葉ジェッツの史上初の三冠がかかった戦いで、そしていま四年に一度のワールドカップで日本代表が歴史的な勝利を挙げていて、なんだかすごく、バスケの面白さが凝縮された時期に観はじめたんだな。
今日は比江島さんがすごかった。一試合でスリーポイントシュートを六本決めた、のは日本代表選手としてはワールドカップ史上最多だそうで、これも歴史的快挙だ。三十三歳、日本代表最年長!ということばかり強調されるが、フィンランド戦や今日のかんじなら、来年のパリ五輪は間違いないし、もしかしたら四年後も出られるのではないか。私と年齢も近く、あとたぶん私も若い選手たちにからかわれて喜んじゃうタイプなもので、めちゃくちゃ肩入れしている。
9月1日(金)快晴。もう九月なのに暑いですねえ、という挨拶が、今年も東京のあちこちで交わされるのだろう。ぐっすり、ひさしぶりに八時間睡眠。
起きてシャワーを浴び、キウイを食って散歩に出。今日は昨日より良い感じ。帰宅してちょっと休んで始業。短篇。進み具合はあまり良くない、が、ちょっとずつでも進んでいるので良しとする。
昼の散歩の途中、編集者からメール。先月送った長篇を、週明けまでには読み終える、との由。一時間弱歩いて帰り、続きをやっていく。
早めに退勤してベランダに出、十日ほどかけて読んでたジャック・デリダ『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉 Ⅱ』を読了。夏至ちかくは十九時ごろまでベランダで本が読めた、のだが、今日はもう、十八時半には文字を追うのが困難になってきた、ので室内に戻り、『そのたびごとにただ一つ』からいくつか書き写して、夜まで読書。
9月2日(土)晴のち曇。夜中に二、三度目覚め、五時過ぎに完全に覚醒。六時半ごろ散歩に出。朝マックをテイクアウトして帰る。
今日の体調はいまいちなので無理はせず、午前中は『創造性はどこからやってくるか』をゆっくり読む。昼過ぎのいちばん暑い時間に散歩に出、近所の公園で数ページ。小学生くらいの子供らが遊んでいて賑やかだった。
図書館に寄って帰って『大菩薩峠』。心身の状態が良くなくて、一ヶ月お休みしていた。良くなった、というか、具合の悪さに慣れてきた、ので九巻を借りてきたのだ。
前巻は夜、道庵がお雪に、「お前は孕んだことがあるかい、ないかい」と決定的な問いを投げかけて、お雪が「えッ」と絶句したところで終わっていた。本巻は、たまたまお銀がそれを立ち聞きしてた、という記述ではじまる。彼女は外へ出、さまよい歩く。お雪が妊娠したことがあるとしたらその相手は、お銀が熱烈に愛する竜之助以外にない。
新月を見上げながら蹌踉と歩くお銀は、二人の人夫が墓を掘っているところに出くわす。埋められるのは、不倫をして、女の夫を殺して店を乗っ取ったひと組の男女らしい。そして人夫のうち一人は、お銀がかつて執着していた、家の使用人の幸内だった。「お嬢様、お久しぶりでございました」と言っているが、たしか彼は神尾主膳に殺されたのじゃなかったかしら。これだけ長大な物語を読みながら、すべての登場人物をさやかに記憶していることは難しい。もう何巻も前に退場していった彼は、ほんとうに殺されたのか、じっさいは一命を取り留めたのだったか。そういえば『失われた時を求めて』でも、すでにその死が報告されたはずの人物を夜会の席で見かける、みたいなことが何度かあった気がする。というか前巻の末尾ちかくでは加藤清正や祇王のような、幕末のこの時代に生きてるはずがない人間も登場しているのだから、幸内がほんとうに生きてるかどうかなんて、もはや重要ではないのかもしれない。
夜は火鍋を作って男子バスケワールドカップ、日本対カーボベルデ。日本代表はこれが今大会最終戦。これまでの四試合とは違って優勢に試合を進めて、その反動か第四クォーターに詰められた、が、逃げ切った。一昨日は比江島さんが一試合でスリーポイント六本、日本代表としては史上最多!と喜んでいたが、今日は富永啓生選手が六本決めた。ワールドカップで三勝するのも日本史上初だそう。これでアジア一位になって、パリ五輪出場決定。来年の夏。ここ最近、将来への希望、みたいなものを失いつつあった、のだけど、なんか久しぶりに、遠い先の楽しみ、ができた。うれしい。27/560
9月3日(日)曇、夜に雨。起きて昨日の火鍋を食い、ゴロゴロしてから散歩。
午前はずっと『創造性はどこから』を読んでいた。昼過ぎ、火鍋をさらってまた散歩に出。近所のマンションの麓のベンチに座って最後まで読む。
帰って洗濯機を回し、ちょっと昼寝を挟んで『大菩薩峠』。甲州有野村の、お銀の父である伊太夫のもとに、お銀から、近江で地所を買って屋敷を作ったから、財産のうち自分の取り分をそっくり送ってほしい、という手紙が届く。さすがに驚いて伊太夫は、留守を与八に任せて近江を目指して旅立った。
その近江と美濃の国境で、竜之助に置き去りにされていたお蘭は、忍び込んできたがんりきに手籠めにされていた。手籠め、といっても、その後ではお蘭はすでに恋仲であるようにしなだれかかっていて、ここらへんは一巻の冒頭、竜之助にレイプされて夫を殺されたお浜が、その竜之助といっしょに駆け落ちをした、のと通ずるような。お蘭に約束した三百両の調達に失敗したがんりきは、なんせ盗っ人なもので、じゃあ盗もう、と思いつき、たまたま通りがかったお大尽らしい旅の一行──伊太夫に目をつけた。
午後は作業。だんだん気圧が下がってくるのを感じていた、ら、暗くなってから雨の音。異様に辛いインスタントのブルダック炒め麺というのを食って口がヒリヒリする、のを、桃を食って冷やして寝。61/560
9月4日(月)雨。起きてすぐ風呂に入る。ブルダック炒め麺のせい、かどうかは知らないが、トイレで用を足したあと、たいへんにお尻がヒリヒリする。散歩も短距離で、スーパーに行くだけ。帰ったあとまた便意がきて、用を足してヒリヒリ。同じブランドのブルダック炒め麺を四種類買い、昨夜食べたのはそのなかでいちばん辛さがマシに見えるやつ、だったのだが、あと三つを食べたらどうなってしまうのか。
今日がしめきりの地元紙のコラムを書く。今回は事前に書く内容を決めていたこともあり、午前のうちに完成。ちょうど雨が止んでいたので散歩に出る。いつまた降り出すかわからなかったし、歩くのは短距離にして公園で読書。近くで大きめの工事をやってるのか、作業員っぽいおいちゃんが十人ほど休憩をしていた。蚊取り線香の匂いと、施工管理の背広組らしい人についての陰口。あいつら現場のことなんも分かってねえじゃんね。若い一人がバスケのワールドカップの話をしようとしていたが、誰も観ていないようだった。私が公園に入ってから十五分ほどで彼らは去っていき、私も五ヶ所くらい蚊に刺されたのをしおに引き上げる。
午後は短篇。六時半ごろ退勤して、NHKでやってたのを録画してた『アラバマ物語』。人種差別がテーマのヘヴィな作品だった、が、子供の視点から描かれていて、原作者ハーパー・リーの幼少期を投影した少女が、ハロウィンにハムのコスプレをしてるのが、シリアスな展開のなかで異様に可愛らしかった。
そのあとは美味いパンを食ったりまんしゅうきつこ『湯遊ワンダーランド』の一巻を読んだりして過ごす。日付が変わってから、根がミーハーなもので最近のバスケ熱に抗しきれず、楽天で『スラムダンク』を全巻注文した。61/560
9月5日(火)晴。一昨日のJ3アスルクラロ沼津対奈良クラブの試合で、沼津の川又堅碁選手が、一月に足を手術して以来八ヶ月ぶりに実戦復帰した、ということを、本人のInstagramの投稿で知る。Jリーグ公式サイトの試合レポートによると、開始直後に失点して一対〇で負けた試合で、川又は後半三十八分に交代で投入された。その後は逃げ切りを計った奈良が FWを下げてDFを増やしたりイエローカードを提示されたりしたくらいで試合は動かず。とはいえ、ロスタイムを合わせれば十分以上はプレーできただろうし、川又が投稿した写真を見る限り、シュートを打ったりもできたようだ。
スポーツ報知の記事によると「5分以上の出場は20年の12月20日(6分)以来2年8か月ぶりだった」とのこと。二年八ヶ月! 投稿には、「約3年不安な時ももちろんありましたが、俺だけは自分のことを信じてあげようと耐えてきて、今はそんな自分が誇らしいです。」とも書かれていた。二年八ヶ月前、そのころ私はまだこの日記を書きはじめていなかったが、今ほど心身の状態が悪くなく、新型コロナ初期の混乱のなかで遠出こそしなかったけど、都内であればパニックのことを気にせずに出かけられていた。五分以上出場する、なんて、多くのサッカー選手が当然のように毎週こなしていることを、川又は約三年自分を信じ続けた果てに再開した。私も自分のことを信じてあげたい。同年同月同日生まれの彼の姿に、なんだか朝から鼓舞されてしまった。
ムクリと起きて洗濯ものを畳み、新甘泉(という梨があるのだ)と美味いパンを食って始業。昼食はブルダック炒め麺。ちょっと昼寝して、午後は何度も休憩を挟みながらゆっくり進筆。夜は早めに明かりを消す。61/560
9月6日(水)朝は曇、昼は暑い晴で、そのあとまた曇。朝から具合悪く、早めにウットを飲んだ、が、効きがあまり良くなく、力を抜いて過ごす日とする。午前のうちに、一昨日頼んだ『SLAM DUNK』が届いた。新装再編版、全二十巻。
昼、『大菩薩峠』を進読。北上川を渡ろうとしていた田山白雲は、本来なら渡し船に乗らなければならない川を、小柄なくせにずいぶん長い刀を帯びた男が泳ぎ渡ってくるのを見かける。陸に上がった男を、土地の荒くれ者が取り囲み、てんでに罵倒する。その騒動のあと、白雲が休んでる川辺のお茶屋に、川を渡って南へ向かったはずの男が戻ってきて、通行手形を盗まれた、と言い出した。白雲は彼に声をかけて、柳田平治と名乗るその男と行動をともにすることになった。
追っ手の白雲が間近に迫っているとも知らず、マドロスともゆるは、北上川を下って海に出ようともくろんでいる、が、なんか川辺の小屋で言い合いをしたりいちゃついたりしている。
ぐんぐん気圧が落ちてきて、あまり頭回らず。近藤聡乃『ニューヨークで考え中』の四巻を読。猫を飼いだしたせいで、本巻は完全に猫エッセイになっていた。なんか作品の主旨変わっとりませんか、と思いつつ、こういうのはいくらあっても良いものだし、いまこれを書きながらパラパラ読み返してて思うのは、近藤の描く猫は可愛いらしいなあ!ということだ。私の好きな猫漫画は『どらン猫小鉄』と『猫嬢ムーム』が双璧、だったのだが、スリートップになってしまったな。95/560
9月7日(木)曇。やや具合悪し。三十分ほど散歩して休む。焦りは禁物。あちこちに送ってる原稿(四社あわせて千枚くらい)の返事が来るまでは休む!くらいに開き直ってもいいのでは、と思いついた、が、まあ始業。
昼食は白米とわかめスープだけにして、『大菩薩峠』。マドロスが盛り上がりすぎてアコーディオンを弾きはじめた、せいで、その音を聞きつけた白雲と柳田に捕まってしまった。白雲は二人を無名丸へ届けるよう柳田に托し、自分はさらに北上する。もともと彼は、二人を捕らえることのほか、七兵衛を見つけること、よい画題を探すこと、のために無名丸を降りたのだった。一、二ヵ月後の出航までに戻ればいい、ので、柳田が修行をしていた、という恐山を目指すそう。
いっぽう胆吹では、道庵がお雪といっしょに〈ハイキング〉をしている。「しかし、この先生のハイキングぶりを見ていると、甚だ心もとないものがある。(…)山登りにかけては、あんまり自信が無いと見えて、もうそろそろ、体が屈み、腰が歪み、息ぎれが目に見え出してくる。そこで、先生のハイキングぶりが甚だ怪しいもので、ハイキングというよりは「這いキング」とでもいった方がふさわしいかも知れぬ。」と描写されていて、やかましいわ、となった。
午後散歩に出、近所の公園でちょっと読書。帰宅して、メールを書いたり、さっき読んだ『大菩薩峠』のことを日記に書いたりしつつ、ジャニーズ事務所の社長交代会見を聴く。125/560
9月8日(金)雨。朝から低気圧。テイラックを飲む。富樫勇樹『「想いをカタチにする」ポジティブ思考』を読。一日頭に靄がかかった感じ。
夕方からテレビで、男子バスケワールドカップ準決勝、まずはセルビア対カナダを観、ちょっと読書をしてからウーバーイーツのケンタッキーを食いつつもう一試合のアメリカ対ドイツ。バスケといえばNBAのイメージで、決勝はまあアメリカとカナダじゃろ、と思っていた、のだが、セルビアとドイツが勝った。
今日は『憧れの地に家を買おう』のモロッコ回を観、バスケを二試合、試合前の賑やかし(日本代表の戦いの振り返り)も観、と、終わってみれば七時間ちかくテレビを観て、さすがにちょっと疲弊、頭痛。125/560
9月9日(土)朝は雨、午前のうちに曇、そのあとは夜まで曇。今日も低気圧だけど、耐えられないほどではなし。休養日にしてしまう。
午後、隈研吾『グッドバイ・ポストモダン』を読了。若き日の隈がアメリカの建築家十一人を訪ねたインタビュー集。当時三十代前半の、わかもんにしか許されないふてぶてしさ、が滲み出していて、なんか気持ちが良かった。「ポストモダニズムってのは要するに一種のスノビズム、別の言葉でいえば老衰だね。」(ピーター・アイゼンマン)とか、名台詞も多々。
いちばん印象に残ったのは当時八十歳の大御所、フィリップ・ジョンソンとのこのやりとり。
──あなたの仕事はいつも大変ショッキングだし、いつもみんなを驚かせる。それはあなたが、精神的にすごく若いからだと思うんです。ひょっとしたらアメリカの建築家の中で一番若いんじゃないかと……。(笑)
ジョンソン 若いんじゃないんだよ。変わりやすいんだ。
カッコ良いですねえ。125/560
9月10日(日)快晴。わりあい遅くまで寝ていた。ややメンタルが不安定なかんじがした、ので鎮静剤を飲み、ウーバーイーツで朝マックを頼む。今日も今日とて読書の日、とにかくグイグイ読んでいく。
昼、美味いエビチリなどを食いながら『湯遊ワンダーランド』を一話観てまた読書、『大菩薩峠』を進読。がんりきはしゅびよく、伊太夫(の下男)から百両あまりを盗み取ることに成功した、が、お蘭と約束した三百両には足りない。またひと仕事しようと外に出ていった。
いっぽう胆吹王国では、竜之助がまた覆面姿で夜に出歩いて、人だけでなく野犬を何頭も斬り殺している。胆吹側はややストーリーが停滞気味で、このまま王国の完成までが描かれるのかしらん。
『スラムダンク』もちょっとずつ読み進める。
小学生のときに飛び飛びで何冊か読んだ『スラムダンク』のなかで、試合のあとの挨拶をするとき、選手たちが「あ(りがとうございま)したっ!」と叫ぶ、という場面があった(手元にないので、正確な表記は違ったかも)。自分も口のなかで発音してみて、たしかに〈あ〉と〈したっ〉の間に舌が動いてはいるけど、〈りがとうございま〉なんて明瞭な発音じゃないよな、と思ったのだった。
というのは私が去年の十二月二十四日、矢野利裕『学校するからだ』を読んだ日の日記に書いたことだが、今も憶えてる『スラムダンク』の台詞は、この「あ(りがとうございま)したっ!」と「すっこんどれやおっさん」です。「諦めたらそこで試合終了ですよ」とか「ドリブルこそがチビの生きる道なんだよ」とか「バスケットがしたいです」とかの有名な台詞は、私が読んだ巻じゃなかったか、読んでても印象に残っておらず、あとでネットのミームになってるのを見て憶えたのだった。
午後、突発的にビリーズ・ブートキャンプを十五分ほどやって、身体が熱いまま入浴。そのあと五時半から男子バスケワールドカップ三位決定戦、アメリカ対カナダ。激しい点の取り合いで、第四クォーター残り一秒に満たないタイミングでカナダが三点リード、というシチュエーションになり、そこでアメリカのミケル・ブリッジズが、わざとフリースローを外して自分でボールを拾い、振り向きざまのスリーポイントシュートで同点!というあまりにも劇的な展開。
バスケを観はじめて日が浅いので、たとえば〈ファールゲーム〉という、故意にファールを犯してフリースローを打たせる(つまり高確率で二失点する)とか、わざとフリースローを外してルーズボールを取ってシュートする、みたいな、理屈ではわからんでもないけどそんな、わざとミスして点を失うのって、実際あんまり効果的じゃないのでは?と思っていたのだが、その一例を、このうえなく鮮やかなかたちで見せられて感動してしまった。たぶん私が観てきたサッカーなんかとは一点の重みが違うからそういう戦術が機能するのだろう。しかしそうやってオーバータイムにもつれこんだものの、延長戦の末カナダが勝った。
そのあと一時間ほど、晩めしを食ったり読書をしたりして、決勝のドイツ対セルビア。これも接戦で、けっきょくドイツが勝った。158/560
9月11日(月)雲の多い晴。ブートキャンプの疲労がまだ筋肉痛にならず、疲労のまま残っている。ウットを飲み、散歩に出。近所の個人経営ぽいブティックが二十五周年とかで、政府高官や大物芸能人から贈られた花が並んでいた。何者なんだ。
昼休みに『大菩薩峠』を進読。お銀と竜之助が襖越しに話していると、お銀の部屋にがんりきが押しかけてきた。彼は再び伊太夫を付け狙い、高価な脇差を盗み取った。家紋を見て持ち主が何者かわかり、娘であるお銀から金を巻き上げに来た、ということらしい。隣室で聞いていた竜之助が、買い取ってやる、と言って招き寄せ、いきなり刀を抜いて斬りかかった。がんりきは脇差も置いて逃げ出す。彼は以前竜之助に左腕を斬り落とされていた、が、今度は右手の小指まで落とされた。かわいそうに!
午後、めしを食って散歩に出、公園で大江健三郎『言い難き嘆きもて』をちょっと進読。そのあとも夕方まで、無理せず作業。夜、寿司などを食いながら『クローズアップ現代』のジャニー喜多川性加害回。番組は七時半から八時まで、だったのだが、終わったあとも延々考え込んでしまう。気がついたらもう十一時過ぎ。日記を書いて洗濯機を回して寝。191/560
9月12日(火)晴。一昨日の筋肉痛がきた。太腿、膝裏、肩、気持ちが良い。パンを食って始業。通販で頼んだものが三個立て続けに届いたり、梨を剝いて食ったり、中断と休憩を細かく挟みつつ。
昼休みにエビチリを食って『大菩薩峠』。お絹が生糸貿易の準備のために異人館に行きっぱなしになっている、のを神尾主膳が嫉妬している。お絹はもともと主膳の先代(父親)の妾だった、ことを思えば、彼の執着は、母に対するものと愛人に対するものがごっちゃになった、どうにも込み入った感情なのかもしれないな。
嫉妬して何をするかと思ったら、まずは異人館の主の妻を寝取ろう、と決めて、幇間の金助(〈金〉なんておまえにはもったいない、と言って主膳は、彼を〈鐚助〉と呼んでいる)にその仲介を命じた。なんとも気持ちのいい小物ぶりだ。
無理せず、無理せず、と繰り返し自分に言い聞かせながら夕方まで作業。のりパスタとカップ麺食いつつ男子サッカーの日本対トルコ戦。終わったころには十一時を過ぎている。223/560
9月13日(水)晴、暑い。具合良くなし。早く目覚め、薬を飲んでまた寝。多少はマシになった、が、今日はお休み。関取花『どすこいな日々』に倣って、日々を、仕事の日、半休日、本休日、に分類してるのだが、本休日とはまた別に、療養日、という設定も加えていいかもしれない。とにかく心身を甘やかす、いずれ治ったらバンバリますけん、今は回復につとめる。
昼過ぎにベランダに出、靴を洗う。具合が悪くてもこういう、取っかかるのにエナジーが必要な家事をこなすことで、自己肯定感を上げるのだ。汗をかいたのでその勢いで散歩。
そのあとも家でもくもく読書、日が翳ってきたころベランダに出。今日は積んでる文芸誌からいくつか読んだ。なんか脳が活性化した感じがして、ええもん書きたいなあ、という気持ちが湧いてくる。おれに足りなかったのは同時代文学なのか。
夜、テレビをつけたらちょうど所さんの『笑ってコラえて!』がはじまるところで、EXILEの人が王子で飲んだり博多華丸・大吉が訓子府をうろついたりする様子を観。そのあと洗いものをしていたら、気に入ってた皿を割ってしまい、落ち込む。外で雨の音。223/560
9月14日(木)晴。昼まで作業して、パンとキウイを食って『大菩薩峠』を進読。兵馬と芸者の福松は、福松の故郷である加賀を目指している。お松とかお銀とか、何人かの女性と行動をともにしてきた兵馬が、けっきょくいちばんグイグイくるタイプと縁が深くなっている、のは、流され侍という感じがして好感が持てます。
いっぽう琵琶湖では、初対面なのにすぐ意気投合した米友と弁信が、弁信の希望である竹生島詣でに向かう、が、舟は行き先を誤って、竹生島の三里あまり南にある多景島に上陸した。
そのあと散歩に出。ちかくの公園で大江健三郎を読んでいた、ら、数分前からおじさんが籠もってた公衆トイレのほうからかなりハードな大便のにおいが漂ってきて、たまらず立ち上がる。
帰宅してちょっと休んで作業。やや頭痛がした、が、今日はわりに元気だった。終業後、『スラムダンク』の新装再編版の六巻を読み。有名な「あきらめたらそこで試合終了だよ」と「バスケがしたいです」、どちらも三井くんのエピソードだったんだな。254/560
9月15日(金)朝は曇、午後は雨。具合良くなく、散歩のあとは本休日、というか療養日として、高木瑞穂『売春島』。
昼ごろから雷雨。まだあまり強くなかったときに、傘を持たずに散歩に出た、ら、あっという間に豪雨になった。インバウンド向けのホテルの脇の、パラソルの下にテーブルが並んでる場所に逃げこんで、韓国語を話すカップルとアラビア語っぽいのを話す家族の間で弱まるのを待った。徒歩三分の異国情緒。
夕方までかけて『売春島』を読了。夜はうどんに納豆を乗せたものなどを食いつつ、録画してた『ザ・バックヤード』の歴博回を観、なんか食い足りなかったのでカップヌードルのネギ塩味を食い。ちょっとは回復できたかしら。254/560
9月16日(土)曇。洞窟のなかを進んでたらどんどん細くなっていって、やっと出口(体育館の低いところにある窓みたいなガラス張りの)に着いたと思ったら、その窓があまりに狭くて通れず、しかしもう戻ることもできない!という悪夢を見て起きる。くまのプーさんについて、「だめだよクリストファー・ロビン、ぼく引っかかっちゃった!」というワンシーンしか知らないのだけど、私ならあんなのん気な言いかたできない。
午前の遅い時間に散歩に出。帰って美味いカレーパンを食う。午後、ちょっとブレインスポッティングをやって、落ち着いてからまた散歩。近所をぐるっと歩いて、公園で大江健三郎。三十分ほど。
夕方、漢 a.k.a. GAMIの自伝『ヒップホップ・ドリーム』を読了。新宿生まれストリート育ちの半グレ系ラッパーの自伝で、古き良きヤンキー漫画みたいな読み味だった。
〈新宿スタイルはリアルしか歌わねえ〉という結語が帯にも大書されてるのだけど、〈傷害罪の時効七年が過ぎているいまだから話せること〉として語られる〈襲撃事件〉が、そのイズムを象徴していて興味深い。著者と同じグループに属するラッパーの一人が、ライバルグループのリーダーとラップバトルをすることになった。そしてラップのなかで、「今度お前を見かけたら刺すからな!」と口走る。私のような素人にはよくあるトラッシュトークにしか見えない、のだが、ヒップホップの文化圏においてこれはかなり大胆な発言らしい。〈退屈そうに下を向いていた審査員や関係者が一斉にパッと顔を上げて、「いまなんて言った?」という表情で唖然とした。〉と描写して、こう続ける。
ラップは「リアル」でなければならない、というヒップホップ・ルールを当時の俺らはとことん突き詰めていた。ノリで事実と違うことをラップするのはご法度だったし、「それは比喩表現ですから」とかいう言い訳は通用しない。もし勢い余って事実にないことを言ってしまっても、一週間以内に実行できれば「リアル」だというルールまで作っていた。言葉はそれほど大切なものだったし、怖いものでもあった。
ということで数日後、著者たちは実際に、ライヴ後のライバルグループを襲撃して、メンバーの一人をナイフで刺した。〈ここで目的は達成された。〉そしてその顛末を著者たちは〈当然曲にし〉た。吐いた唾は飲めない、という慣用句を、というか、長州力と橋本真也のコラコラ問答(という有名なトラッシュトークの応酬があるのだ)のなかで発されてた「吐いた言葉飲み込むなよコラ」という台詞を思い出す。
ちょうど本書を起読したころ、アメリカでも似たようなことがあった。ラスベガスの警察が、二〇二一年九月に発生した殺人事件を捜査していたところ、ラッパーのKenjuan McDanielのFadee Freeという曲の歌詞で、一般には公開されてないはずの現場の詳細が描写されており、ミュージックビデオではMcDanielが被害者のニックネームを口にし犯行の様子を演じてもいた、ことを決め手として彼を逮捕した(他の証拠で彼を疑っていたところ、この曲とMVが出たことで確信した、ということらしい)。ニュースを読んだときは、曲にしなきゃいいのに、と思っていたのだが、たぶん何か〈ヒップホップ・ルール〉に則った文脈があって〈当然曲にし〉たのだろう。254/560
9月15日(日)曇、ときどき晴。朝早くムクリと目を覚まし、五分後に始業。三時間ほど短篇を書き進める。そのあとようやく身づくろいしてパンケーキを焼いた。しかしどうも、慢性的な背中や首の痛みがひどく、調べてみたところストレートネックというやつらしい。とにかく私は猫背がひどく巻き肩で、骨格が歪んでるからぐっすり寝ても回復できない。姿勢改善をこころがけねば。
そのあとは読書をして過ごし、五分ほど仮眠を取って、昼からまた短篇。二時ごろにとつぜん書き上がる。とつぜん書き上がる瞬間、というのは、小説を書くようになってから知った、面白い体験だ。
今日はもう閉店として散歩に出。月に一日だけやってるチャイ屋でテイクアウトをして、政治家や芸能人御用達の美味い中華の、これもテイクアウトのやつを食う。
夜『大菩薩峠』。甚三郎の船・無名丸では夜な夜な茂太郎が、マストの上で歌う。船旅の間、シンドバッドの物語をマドロスが語り聞かせてくれていた、と歌ったあと、こう続ける。
マドロス君のやつ
駈落をやり出してね
この船を逃げ出したものですから
あとを聞くことが
できません
マドロス君という奴は
だらしのない奴です
憎い奴です
それで田山白雲先生が
あれをつかまえに
おいでになりました
だがお嬢さんも
よくない
罪はどちらが重いか
それはあたしは知らない
夜中にとつぜん〈高い声で、突拍子もない音調〉で身内の恥を歌うの、ほんとうにやめてほしいな。翌日その無名丸へ、柳田に連れられて、マドロスともゆるが戻ってきた。
そのあとも夜更かしして読書。群像二〇二三年七月号の岩川ありさの新連載「養生する言葉」、が興味深い。幼少期の性暴力被害の体験を詳細に語ったあとで、岩川はこう書く。
大きな言葉、強い言葉ではなく、自分をねぎらい、心のエネルギーを増やしてくれる言葉が人生には必要だ。そこから力をえて生きられるようなちょこんと置かれた言葉。それをわたしは養生する言葉と呼んでみたい。
養生する言葉。家庭内暴力の記憶とどう折り合いをつけて生きていくか、というのが私のテーマの一つなので、この〈養生する言葉〉は私にとっても必要なものだと思う。285/560
9月18日(月)快晴。今日も暑い。十時ごろまで寝ていた。インターフォンの音で目覚め、玄関へ走る。井上雄彦『SLAM DUNK 10 days after』と『THE FIRST SLAM DUNK Re: sauce』が届いたのだった。
そのあと『大菩薩峠』。琵琶湖の八景巡りをしているお角がやくざ者の一団に絡まれ、逃げようとしたら今度は路肩に五、六人の侍の死体が転がっている。不穏。
ちょうどそこへ、土方歳三、沖田総司、長倉新八、という、歴史に明るくない私でも知ってる新撰組の隊士三人がやってきた。死体は彼らが斬って放置した〈囮〉だというが、何をおびき寄せようとしているのか明かされる前にお角が、「まあまあ、お前さんは、歳どんじゃないの」と話しかけた。若いころの土方が女性関係でトラブルを起こしたのをおさめてやった、のだそうだけど、今では領主やお奉行よりも力を持っている新撰組の副将の弱みを握って〈歳どん〉と呼び捨てにする、というのが、お角の大物ぶり、をわかりやすく表している。
そのあと夏目漱石『三四郎』のペンギン・クラシックス版(ジェイ・ルービン訳)に村上春樹が寄せた序文The (Generally) Sweet Smell of Youthを(私の英語力だと一気に読むのはたいへんなので、数日かけて)読了。村上は、とくに後期漱石の、作者自身がそうだったように病に冒され、深刻に思い悩む主人公と比較して、三四郎は若く、よく空を見上げている、と指摘する。それは維新直後の日本という国の若さと似ているだ、と。
そこから自分の話をするのがいかにもハルキ的な感じなのだが、村上も若いころは空を見上げてばかりいた。彼は学生結婚をして、ジャズ喫茶を開くために、本を買う余裕もない倹約生活をしていた。住んでた家は中央線のすぐ近くで、一日に何度もぞっとするような轟音が聞こえた。猫は二匹いて、いつも寄り添っていた。漱石には興味なかったけど、日本文学を専攻していた妻が、卒論で漱石論を書くために買っていた全集が家にあった。ときどきバイトに行くくらいでもっぱら家事をしていた村上は、そんな日々のなかで『三四郎』を読んだ。
When I first read Sanshirō at the age of twenty-two, I, too, had little sense of the burdens to come. I was newly married, still a student. However poor my daily existence might be, however noisy the trains rushing by, I was still sprawling in the sunshine with two soft, warm cats sleeping nearby.
猫のぬくもりを脇腹に感じながら見上げた空を思い出すから『三四郎』が好きだ、というのは、『三四郎』が好きな理由としてカッコ良すぎるんだよな。まったく。
散歩をしてからU-NEXTで原一男『全身小説家』。前半は小説講座の様子や生徒たちへのインタビュー、そのなかで語られた井上の来歴の再現ドラマ、で構成されていたのが、癌の宣告と手術(腹を開く様子や切除された肝臓も映っていて、観てて体力を吸われた)を挟んだ後半では、親族や少年時代の同級生の証言によって、前半で語られていた来歴の大半が嘘だった、と暴かれる。ゾッとしたですね。
井上がなぜ、自伝や自筆年譜でまでそんな嘘をつき続けたのか、はけっきょくわからずじまいだった、が、エッセイ(のように読めるテキスト)で自分の本名を偽ったりしている者として、満州で生まれた、という架空の来歴を語りながらときおり思い悩むように間をおく井上に共感する。記憶を探っている表情に見えるし、それが嘘だと知ったあとでは虚構の整合性をたしかめている間のようにも見える、が、あれは、事実と異なることを口から溢れさせ続ける自身の内面をつぶさに観察していたのではないか。粛然とした気持ちになり、白米を炊いて食った。317/560
9月19日(火)晴。今日は外出をしない日。日曜に書き上げた短篇を推敲、こまかく手を入れる。
昼休みに『大菩薩峠』を進読。琵琶湖の多景島に弁信を置いて、米友は一人で湖畔に戻った。舟を(勝手に)借りたところに返しに行って、浪人の青嵐と知り合う。知善院という寺の留守を預かる青嵐の家に行っておしゃべり。役人が土地検めをしていたり、百姓たちの水争いが起きてたり、絹の生産の元締めが横暴で不満が溜まっていたり、と、この長浜にはトラブルの種がいくつもあるそう。米友が帰っていったところで、知善院を酔っぱらった老人──道庵が訪れてきた。秀吉ゆかりの寺宝を見に来たそうだけど、この人もトラブルの種なんだよな。
そして米友は、改めて竜之助の兇行を止めようと夜の長浜を歩き回る。目抜き通りで斬り捨てられた人が倒れてるのを見つけた、が、よく見るとそれは土人形だ。米友は物陰に隠れていた夜警に襲いかかられ、抵抗むなしく捕らえられた。縛り上げられ、〈逃散〉した〈農奴〉として、草津の街中で晒されてしまう。どうもそれは、何か騒動を起こしそうな農民たちの見せしめのために、しかしほんとうに地域の農民を晒し者にするとますます反感を買うから、行きずりの余所者を〈農民おどしのための案山子〉として利用した、ということらしい。災難災難!
午後、美味いケーキを食って『スラムダンク』をグイグイ読む。新装再編版の十三巻に「あ(りがとうございま)したっ!」が出てきた。陵南戦後の挨拶だったんだな。
短篇の推敲を終え、ひとまず完成。これは寝かせておくこととして、次に書く短篇の算段、大まかなアウトラインをつくる。
そのあと宮地陽子・伊藤亮『スラムダンク奨学生インタビュー その先の未来へ』を読み。原作(というのも変だがどうしてもついそう考えてしまう、漫画『スラムダンク』)のイメージで、努力しながら順調に成長していって、華々しい活躍をする人たち、みたいなイメージがあった、のだが、みんなそれぞれに苦労している。本場アメリカの競技レベルの高さはもちろん、怪我や英語、学校の勉強、日本とは違う気質とか。それでも、バスケ小僧の聖書みたいな作品の名を冠した奨学金を勝ち取って、遠く離れたアメリカまで来たのだから、やるしかない。何人かの選手は、お守りみたいに大切にしてる言葉、を語っていて、印象に残る。とにかく自分を向上させる、そのためにモチベートすること。ホール百音アレックスがシュートを躊躇ったりするたびにセントトーマスモアスクールのヘッドコーチ、ジェリー・クインから投げかけられた"Have Confidence!!"とか、これもクインHCが小林良に伝えた「練習中は自分が一番下手だと思っていい。でも、試合になったらお前がチームで一番うまいんだぞ」という言葉とか。大学の文芸部に所属してたころ、なんせ六年半もいたので息をするように先輩風を吹かしていた私は、後輩に「執筆中は自分が世界一上手いと思って書き、推敲時は世界で一番下手だと思って検討するんだ」などと言っていた、ことを思い出す。いいこと言うなあ。
個人的には、木村圭吾がスマホの待ち受け画面にしていたという、NBAのスター選手デイミアン・リラードの、"BE SO GOOD THEY CAN'T IGNORE YOU."がいちばん響いた。〈やつらが無視できないぐらいうまくなれ〉。なんかやる気が出た。
夜、キムチ炒飯を食いながらマイケル・ムーア『キャピタリズム マネーは踊る』。二〇〇九年公開、オバマ大統領誕生直後の映画ということもあり、なんか未来への明るさを感じてしまう。観終わったあとは頭が働かなくなるまで読書。350/560
9月20日(水)曇、夕方から夜にかけて何度か、時雨、という風情もない通り雨。朝の散歩、短篇起筆。昨日つくったアウトラインに沿って、リサーチの必要なところも洗い出しながら、慎重に文章を流していく。
昼休みに昨夜のキムチ炒飯を食って『大菩薩峠』を進読。晒し者にされた米友は、三日後に処刑される予定だった、が、たまたま通りがかったがんりきがお角に報せ、お角は伊太夫と相談のうえで、新撰組の威光を借りて解決しようと、土方に遣いの者を送った。
夜、マックの月見バーガーとプリプリエビプリオ(へんな名前!)を食いながらアニエス・ヴァルダ『落穂拾い』を観。それから『スラムダンク』。今日読んだのは湘北のインターハイ緒戦、豊玉高校戦の収録巻で、私が記憶してたもう一つの台詞「すっこんどれやおっさん」が出てきた。豊玉の三年・南と岸本が、タイムアウト中に言い合いになって、止めに入った監督に南が言った台詞で、改めて見るとなんでこんなのをずっと憶えていたのか。小学生の私には、監督にこういうことを言う、のが衝撃的だったのかもしれない。しかし三十三歳ものこり一ヶ月を切った今読むと、岸本にも「お前に言われたないんじゃ 黙っとれ!!」と言われた監督が逆上して岸本の頰を殴りつけ、「お前ら/オレの半分しか生きてないお前らのその態度はなんだ」のほうが、そういえばおれももう高校生の倍の年齢だ、と衝撃的だった。そして別の場面では、その新監督が就任したとき(おそらく南・岸本が二年生になった春)、自己紹介として「31歳!! 若いぞ!!」と言っている。逆上して生徒を殴りつけるおっさんより歳上になってしまった……。383/560
9月21日(木)降ったり止んだり、一日じめじめ。
昼に『大菩薩峠』を進読。あまり頭に入ってこず。晒し者にされてた米友が、お銀の胆吹王国の差配を任されている関守と青嵐に助けられて、弁信のいる多景島に逃げた。
夕方、沈んでいく日の光が、西の空ぜんたいにうっすらと広がる雲に当たって、雲のすべてが明るい黄に光っていた。夜はセブンのカレーパンとかを食いながら、『GET SPORTS』の男子バスケワールドカップ回を観、そのいきおいで『スラムダンク』を最後まで。実家にあった数冊のなかに最終巻もあったので、最後の試合やストーリーがどういうふうに終わるかは憶えていた、のに昂ぶってしまった。素晴らしい作品だった。
ここまで書いて日記を閉じたところで、担当編集者からメール。去年の九月(一年前!)に渡した長篇を、水原のキャリアでは長篇を載せることはないからと編集長が読んでもくれなかった、ということで序盤の三分の一ほどを切り出して中篇として整えたもの、を、ようやく編集長が読んでくれたそう。没になった。きわめて個人的な文章であるため、これを踏まえて何を書くかが問われているのでは、との助言をいただく。これを踏まえて書いたのが後半の三分の二なのだし、そこでは序盤の個人的な事々が社会的な事件に接続する様子が描かれている、ので、ちょっと困惑。担当さんは何とかならんか尽力してくれていたようだけど、掲載の可否は編集長が決めることなので、こればっかりは如何ともしがたい、のだろう。選択と集中の、選択されなかったほうの気持ち。416/560
9月22日(金)雨ときどき曇。昨夜の没連絡がじわじわダメージになってきて、あまり眠れず。虚無の一日。
ちょっとでも何かやらなきゃ、と夕食に栗ご飯を炊いた。朝買った惣菜と食いながらU-NEXTで『ノッティングヒルの恋人』を観。ヒュー・グラントの顔がとにかく良い、が、あまりに顔が良すぎて、赤字の旅行専門書店のさえない店主、という感じがしない。友人たちが良かったですね。ほどよく下世話で、それぞれに苦みがあって。彼らの善良さを観てると、このストーリーはハッピーエンドで終わる、ということが確信できた。めちゃくちゃストーリーのテンポが良く、別れを告げても数分後には覆し、ほどよい障害を越えて再び結ばれて、その翌朝にはまたトラブルが起きて喧嘩別れする。ラブラブと諍いの交代浴で、最後はラブで締めるのだ。気持ちが持ち直す。416/560
9月23日(土)曇、ときどき小雨。低気圧で頭も身体も動きが悪い。
昼、『大菩薩峠』を進読。甲府から遠路はるばる訪ねてきた父・伊太夫の相手をしなければならないから、と、お銀はお雪に竜之助の世話を託す。竜之助とお雪は夜、琵琶湖に小舟を出して月見をする。お雪は竜之助に、白骨温泉で後家さんが言っていた、あなたのお乳が黒くなっている、という言葉=妊娠してるのじゃないかという勘ぐりのことを話し、こう続ける。「もし、丸髷にでも結って、こうして、この間へ一人、小さいのを置いて、そうして、水入らずのお月見をしたら、どんなに楽しいでしょう」。丸髷は既婚女性の髪型だから、この台詞はつまり、竜之助と結婚して子供といっしょに月見がしたい、ということだ、が、〈竜之助は動かない〉。そうするうちに棹が流されて、舟はコントロールを失って琵琶湖を漂いはじめた。
詩人の古屋朋が、同じく詩人の峯澤典子との対談についてツイートしているのを見て、そういえば読んでなかった、と、今年の三月から五月にかけて版元・七月堂のnoteで公開されてた全十二回を読む。峯澤が古屋の第二詩集『てばなし』所収の「うすむらさき」から、〈手をひらくと なげだすと/すべてがちゃんと戻ってくる〉という言葉を引用して、「古屋さんの「てばなし」は、「元に戻る」「帰っていく」ということなんだ」と指摘する。そして古屋はこう語る。
生きているといろんなことがありますが、今自分に付属しているものとかをひとまず置いて手放したとしても、私は私であることは変わらないと思うんです。
持っていたものを失えば喪失感を味わうじゃないですか。
でもその喪失感は実は錯覚で、もともと私たちは完璧なものだから、そこに何か付属してもそれはプラスアルファのもの。だから、プラスアルファのものがなくなっても残るのは元のままの自分だよねという。
だから怖くないよという気持ちがあります。
もともと私たちは完璧なものだから、何かを失っても残るのは完璧なままの自分。感銘を受けた。447/560
9月24日(日)晴。ぐっすり寝。今日は一日外に出なかった。起きて風呂を追い炊きして入り、はやみねかおる『人形は笑わない』を読んだ。初読。作品冒頭で語り手の亜衣は、美衣について、〈毎日、日本の新聞を六紙、ほかにも英字新聞とフランス語の新聞も読む〉と説明している。
前作(松原秀行とのコラボ作品『いつも心に好奇心!』)のなかでは、美衣は〈毎朝六種類の新聞を熟読してから学校にいっている〉とあった。『好奇心!』は〈いまは春休みで、この休みがおわったら正式に中学三年生になる〉というタイミングで、今年は受験があるから講読を減らしたのか、と思ったのだが、『好奇心!』では外語新聞を省いて言及したのかな。
夕方から『湯遊ワンダーランド』と『レギュラー番組への道』の統一教会回を観て三十分ほど寝、『伊東豊雄 自選作品集』、井上雄彦『SLAM DUNK 10 DAYS AFTER』、まんしゅうきつこ『湯遊ワンダーランド』の二巻、などを立て続けに読む。
そのあとようやく始業。明日が地元紙のコラムの締め切りなのだった。一時間ほどで書き上げて、今度は『ハングオーバー!』と『ハングオーバー!!』(このシリーズの邦題は〈!〉の数でナンバリングしていて、今日観たのは一、二作目)。独身生活の最後にドンチャン騒ぎする、バチェラーパーティ、というやつをやった悪友たちが二日酔いで目覚めるととんでもない状況に放りこまれていて、どうにかこうにかドタバタしながら日常に生還する、みたいな話で、じつにトンチキなゴキゲン映画だった。447/560
9月25日(月)晴。あまり具合良くなし。メールを打ったり、昨日書いたコラムを見返したり。昼、オンラインでカウンセリング。そのあと、ベランダにカセットコンロを出してスペアリブを焼く。ちょっとしたグランピングの気持ちで楽しかったな。
昼寝をしてからシリーズ三作目の『ハングオーバー!!!』を観。もはやバチェラーパーティもなく、ほとんど酒を飲まずに物語が展開していく、めちゃくちゃドンパチして人が死ぬ、もはや違う映画だった(いちおうラストシーンで二日酔いになる)。
それからもうちょっと何か観たくなり、酒つながりで『アナザーラウンド』を観。酔っぱらったマッツ・ミケルセンがゴキゲンで踊るシーンが最高!というのをTwitterか何かで見て気になっていた、のだが、北欧映画らしい陰影のある作品で、ゴキゲンで踊るシーンにも苦みがあった。おバカの底が抜けた『ハングオーバー!!!』と二本立てで観るのに丁度いい感じ。447/560
9月26日(火)晴。風呂で読んでた織田幹雄、斎藤正躬『スポーツ』のなかの、斎藤が書いた「薄命の中距離王」という章がたいへんに良く、びっくりする。ドイツの陸上選手ルドルフ・ハルビッヒについてのテキスト。四百メートル走と八百メートル走の世界記録を同時に保持した、本書刊行から七十年あまりが経った現在においても史上唯一の選手。そのハルビッヒが一九四四年の秋、著者の赴任先であるスウェーデンで参加した、終盤で失速して四人中三位に終わったレースを振り返る。その数日後にハルビッヒが東部戦線で戦死したため、結果的にこれが最後のレースになった。四百メートル走という競技に対する著者の思い、その理想を体現していた、そして、第二次世界大戦に従軍したことで丸三年間トレーニングができなかったためにスタミナが落ちていることを自覚しながらも、自分の理想の走りつらぬいたハルビッヒの、無惨なラストレース。「走ることに、ただ全力を挙げて走ることに喜びを感ずるランナー、ハルビッヒは、勝敗などは全く眼中になかったろうし、またそれでこそ世界の王者なのだ。」感動しちゃったな。
昼休みに『大菩薩峠』を進読。お雪ちゃんは、竜之助と一緒に小舟で月見をしている今がいちばん幸せだということなのか、感極まって「このまま死んでしまいたい」と言う。「苦しまないで死ねるのは、今晩のような晩だけです、楽しんで死ねるのは、こういう晩でなければございません」
姉のお若が不倫を責め立てられていたところを竜之助に救われた、のが二人の縁のはじまりで、流れ流れて琵琶湖上で死を願う。お雪の人生の悲しみ。生まれ変わるなら名前のとおり空から降る雪になりたいと言う。「雪も北国の雪のように、何尺も、何丈も、つもって溶けないような、しつこいのは嫌です、朝降って、昼は消える淡雪──降っているうちは綺麗で、積るということをしないうちに、いつ消えたともなく消えてしまう、春さきにこの湖の中などへ、しんしんと降り込んで落ちたところが即ち消えたところ、あの未練執着のない可愛ゆい淡雪──」お雪の言葉に煽られるようにして竜之助は、彼女の首を絞める。
ここまで読んできた者はどうしても心を揺さぶられてしまうお雪の最期、しかし、こんな出来事であっても、きっと竜之助の心はまったく動いていないし、何か今後の行動に影響をおよぼされることもないだろう、という確信がある。その確信は中里の筆によるものだ。悲嘆の盛り上げかたが上手いんだよな。
夕方、ベランダで読書をしてから、昨日の残りのスペアリブを焼いて『無ケーカクの命中男』を観。トンチキなタイトルに反して、中身は(枠組みとしてはロマコメで、ギャグも多かったにせよ)シリアスな人生の岐点を描いたストーリーだった。原題もKnocked Upで、そこまでトンチキ感はなし。この邦題は同じ監督の前作『40歳の童貞男』(こっちの原題はThe 40 Years Old Virgin)の引用なのだろう。エンドロールに、〈キャスト&スタッフ ベビー写真〉が映し出されていたのだが、じつに幸せそうな赤ん坊と親の写真ばかりで、なんだかマジメな気分で観終わった。477/560
9月27日(水)晴。起きてすぐ発作、薬を飲んで副作用で倒れるように寝。昼ごろに起きるとちょっとは楽になった。美味いエビチリを食って岩合さんの猫番組を観、二時過ぎてからようやく動きはじめる。
小野伸二選手の現役引退の報。ここ数年はあまり試合に絡めていなかったとはいえ、所属チームがSNSに投稿する練習の動画では相変わらずゾッとするようなスキルの高さを見せられていた、ので、いずれその時が来るにしてもまだ先だと思っていた。自身のInstagramによると、〈サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた“足”がそろそろ休ませてくれと言うので、今シーズンを最後に、プロサッカー選手としての歩みを止めることを決めました。〉とのこと。
どうしても一九九九年のフィリピン戦のことを思い出してしまう。あの怪我さえなければ……と本人も振り返る、左膝靱帯を断裂した悪質なタックルのこと。当時まだ十九歳だった小野は、これ以降もワールドカップに出たりUEFAカップで優勝したりと活躍を続けた、が、古傷を庇いながらのプレーを強いられて、怪我の多いキャリアを送ることになった。それでも四十四歳まで続けたのはすごい。おれも心身のひどい不調続きで、サッカー選手ならプレーもままならないくらいだけど、それでもなんとか。
夜、カップ麺とチンしたウインナーを食いながらアジア大会の女子バスケ、日本対香港を観。大差で日本が勝った、が、香港の時間帯もけっこうあって、ワンサイドゲームという感じではなかったな。
そのあと、小野伸二の二〇二〇年のインタビューが、スポーツニュースサイトREAL SPORTSに再掲されていたのを読む。やっぱり一九九九年の怪我のことが言及されている。
正直、膝のケガをする前は、自分の頭の中に入ってくるサッカーの情報というか映像がすごくて、すべてが見えているというような感覚でした。例えば、ディフェンスが後ろからこういうふうに来る、というシーンが、リアルと頭の中の映像とでピッタリなんですよ。
(…)
ケガから戻ってきて、ピッチに立った瞬間はもう違和感しかなくて……何もイメージが浮かばなくなっていました。ケガをする前にどうやってイメージを浮かばしていたのかすらわからなくなり、ケガをする前に戻らなきゃという感じでジレンマがありましたね。結経、戻すも戻らないも、元々自然にできていたことだったので、すべてがぱっと消えてしまった、という感じです。
(…)
絶望ですよ。とにかく、何も見えないので、ボールをもらうのが怖かったです。今振り返ると、ケガをする前に戻りたい気持ちが強すぎて、前に進んでいなかったのが原因だったと思います。本当は、ここから新しい自分を作っていくと考えないといけなかったのに。
自然にできていたことができなくなる絶望。ちょっとここは、外食もできず、電車にも乗れなくなった私自身を重ねて読んでしまった。小野はどうにか〈新しい自分〉を作って、華々しいキャリアを築いた。私はまだ、以前に戻りたい気持ちが強い。どうすればいいのか。477/560
9月28日(木)晴。今日も具合良くなし。起きてすぐに薬を飲んで、もうお休みとする。私は休むのがへたで、本休日!と言いながら資料を読んだりしてしまっていた、ので、今日はほんとに本休日。休むこと、をテーマに一日を過ごすこととする。
散歩をしてバリューブックスの買取の集荷を申し込み、また散歩。今日は本休日だしデジタルデトックスの日!ということにして、スマホの電源を切る。しかし私はどうも趣味というのがあまりなく、イヤ読書という趣味はあるのだけども、何を読んでも仕事のことを考えながら、小説やエッセイに活かせないか探りながら、になってしまう。展覧会や映画、サッカーの試合を観に行くことも、疲れ切るまで延々散歩することも、パニック障碍を患った今は難しい。でけっきょく、午前はプリント類の整理をしたり床に仰向けになって考えごと(ネガティヴな)をしたり。
安くなってたランチパックで昼食として、昼過ぎにまた散歩。帰ってスタバの美味いのを飲んで、新聞に寄稿したものをスクラップブックに貼って、トム・ホーバス『チャレンジング・トム』を読み、夕食に長谷川あかりレシピの出汁炊きお揚げご飯と冷蔵庫の食材のテキトウケチャップ炒めを作って、録画してたスティグリッツの番組を観、なんかどうも、スマホをあんまり見ないだけで、ふだんの休日と大差ない過ごしかたになってしまったな。もっと能動的に休みたい(能動的に!と考えてる時点でもう無心に休めてない)。
夜、スイカジュースを飲もうとして、気に入ってたグラスを割ってしまう。シンクの縁の不安定なところに置いてたのが床に落ちそうになった、ところに反射的に手を出してシンクに叩きつけてしまい、右手の中指をパックリ切った。血が止まらずキズパワーパッドで蓋をしてた、ら、この日記を書くタイピングで指の血行が良くなっちゃったようで血が溢れる。それでいま、右手は人差し指だけで入力してるのだけど、IやKや読点を打とうとしてつい中指が動いてしまう。
『北斗の拳』を元にした『劇打』と、『あしたのジョー』が原作の『闘打』、という二作のタイピングソフトのデータを従兄にもらったのがたしか中学一年生のときのこと(今にして思うと、従兄はあれ違法ダウンロードしてた気がするな)で、原作はどちらも未読、アニメも観ておらずストーリーも人間関係もよくわからないままに熱中して、半年くらいで最上級コースまでクリアした。今でもケンシロウが敵を殴るときの甲高い声や、丹下段平の「手をホームポジションにセットしろ」というダミ声を憶えている。その経験がなかったら小説を書きはじめたとき、頭に浮かんだ言葉が画面に現れる遅さをもどかしく感じて、挫折してたかもしれない。二十年ずっと、あの二作に教えられたことに忠実に打ちつづけてきたのだ、と、たくさん血を抜いたからか妙におセンチな気分になった(とここまで今日の日記は千二百字程度だったのだけど、書くのにふだんの五倍くらい時間がかかった)。477/560
9月29日(金)曇。今日もトマトが高く、買えず。今日こそしっかり本休日!と思いつつ、けっきょく読書をしてしまう。なんか趣味を見つけなきゃなあ。
昼、『大菩薩峠』を進読。仙台で護送中に脱走し、逃げに逃げて花巻までやって来た七兵衛は、山中の賑わった温泉地で追っ手の仏兵助と出くわす。女湯に乱入して村娘を人質にしてもみた、が、話してみると兵助は、七兵衛を捕らえるために追ってきたわけではないという。駒井甚三郎、もとの能登守は仙台藩のえらい人と親しく、その縁者である七兵衛が、しかも詳しく話を聞けば、悪い目的ではなく、白雲に見せてやろう、という魂胆で盗みに入っただけだ、ということで許されたのだとか。兵助はそのことを伝えるために追ってきたのだそう。これはなんかちょっと強引な感じがするというか、根拠はないけど、ストーリーを当初の予定から軌道修正したんじゃないかしら。
無名丸は花巻からわりに近い釜石の港に碇泊してるそうで、七兵衛は釜石に向かうことになった。兵助は仙台に帰って、また牢に戻ると言う。しばらくいっしょに歩きながら、二人は意気投合している。並の人間なら二十代半ばで足を洗ってまっとうな職に就くのに、何の因果かおれたちは、四十を過ぎてもまだ盗っ人稼業をやっている。兵助は〈今日という今日を縁として〉頭を丸めて出家したい、と言う。七兵衛も、自分も出家する、と呼応して、二人は「南無阿弥陀仏」と言い交わして互いの髪を剃り上げた。
そこへさっきの温泉にいた人らが、七兵衛が人質にしてた村娘を連れて追いかけてきて、村じゃどんな理由であれ男に肌を見られた娘はほかの男に嫁いではならない、し、見たほうの男もその娘の面倒を生涯見なければならないという掟がある、と言う。本作ここまで、女難というか、女性との関係でアタフタするのはだいたい兵馬だったのだが、どうなるのやら。
食後に散歩。いつも並んでるお洒落パン屋に今日は誰も並んでなかった、のででかいのを三つ買い、スタバでテイクアウトして、花も買って帰る。スタバのやつを飲みながら、書評を依頼された本の著者の前作を読み。やや疲れたので夕方で退勤、昨日の炊き込みご飯を二杯。と、日記を書いて思いだしたのだが、今日は本休日じゃなかったのか。507/560
9月30日(土)曇。ゴロゴロ読書してたら、あっという間に午後。散歩して『大菩薩峠』を進読。神尾主膳は迷い込んだ墓地で、墓掘り人夫たちの雑談を耳にする。旗本どもがだらしないから幕府も江戸の街ももう終わりだ、みたいな悪口で、悪たれ旗本の自覚のある主膳は図星をつかれて激昂、人夫たちを怒鳴りつけて帰っていった。
しかし考えてみれば、幕府の危機があんなやつら(当時、墓掘り人夫は〈陰亡〉と呼ばれる被差別民だった)の口にまで上るようになった、自分がこんなに自堕落でいられるのは先祖代々江戸幕府の旗本という身分にあるからで、そんな自分は幕府が倒れたとき何をするのか、と(めずらしく)マジメに考え込む。そして独り言つ。
「なあに、死ぬよ、死ぬよ、その時になれば、おれは誰よりも先に、江戸の城を枕に死んでみせるよ、腕のつづく限り、この槍一本が砕けるまで突きまくって、死ぬよ、死ぬよ、ちぇッ、薩摩、長州の又者の下について、この神尾が生きていられるか!」
そこへ幇間の鐚助が入ってくる。彼は洋娼(ラシャメン)を偉人どもにあてがって外貨を稼ぐ〈ラシャメン立国論〉という身も蓋もない持論を主張しているのだが、それに加えて、今度は〈帝国芸娼院〉という新しい組織の案を披露する。「日本のあらゆる芸事という芸事の粋を集めて、これこの通りと言って、毛唐に見せてやりてえ」とのこと。なんか今の政府もこういうことやって、日本の誇り!とか言いそうだな、と思った、ら、註解(紅野謙介)によると、この記述は執筆の前年、一九三七年に設置された〈帝国芸術院〉への皮肉、なのだそう。なるほどなあ、となった。
江戸時代の終わりを目前に、性と芸で外貨を稼ぐことで生き抜こうとする鐚助と、幕府に殉じて死のうと決めた主膳の、あざやかな対比。一九三八年、日中戦争のさなかで、ナショナリズムが高まっていただろう時期にこういう対比を描く、それも体制に殉じて死ぬのだ、という決意を、実際にその時になれば呆気なく尻を捲って逃げ出しそうな主膳に語らせる、というのは、著者の中里から読者へのメッセージのような。
いっぽう胆吹ではお銀が、王国の運営がどうにも上手くいかず苛立っている、と、早鐘の音とともに、百姓一揆の勃発が告げられた。ここで本巻は終わり、残すは最終十巻のみ。
そのあとももくもく読書、してたら古川真人から電話。以前はいきなり電話をかけてきたものだったが、私が原稿や入浴や映画ですげなくすることが多かったからか、最近は「お電話でもいかがですか」みたいに確認をしてくるようになってきた。酔っぱらいも成長するのだ。
二時間ほどしゃべってちょっと散歩。焼き鳥とケーキを食いながら『となりのスゴイ家』の八王子回を観、風呂に入ってまた読書。今日だけで漫画八冊、文字もの二冊を読了して、さすがに脳がしおしおになった。560/560
10月1日(日)曇、ときどき気にならない程度の小雨。起きてすぐ薬を飲んで、副作用で昼まで寝。散歩をしてスーパーで豚バラの塊を買い、毛沢東が愛したというレシピで角煮を作る。
ベランダに出、テレビを外に向けてアジア大会の女子バスケ、日本対フィリピンを観、立て続けに男子サッカーの日本対北朝鮮も観。サッカーはちょっと今後語り継がれるレベルに荒れた試合で、退場者が出なかったのが不自然なほど。
10月2日(月)晴、暑い日。起きて洗濯ものを畳み、パンとヨーグルトの朝食。『大菩薩峠』を、ぜんぶ再読する心身の余裕はない、のでメモを挟んでるところだけピックアップして読む。五十枚くらい挟んでたので半日仕事。
そのあとは書評の本を熟読。夜は『刃牙道』を一冊読んで長谷川あかりレシピの出汁炊きお揚げご飯を作り、良い肉を焼いて食いながら、アジア大会の女子バスケ、日本対インドネシア。試合が終わった途端に眠気が耐えがたくなり、コテンと寝落ち。
10月3日(火)快晴。午前四時ごろに起き、洗濯機を回してまた寝。七時過ぎに起きてラジオ体操をやる。今日は大菩薩峠文章を書く日。とはいえ午前中はまだ暖機運転というかんじで、あまり捗らず。良い肉をバーベキューソースに漬けこんでたもの、を焼いて昼食としたあと、ようやくスイッチが入る。夕方までカリコリやって、一時間ほど風呂でゆっくりしてからまた三十分ほど取っ組んで完成。十日に公開予定なので、一週間ほど寝かせる。
このエッセイは、対象作品に立脚した記述と書き手の私性を半々くらいで書こう、と思っていて、今日書いたのは大学時代にちょっとだけ親しくしてた人のことだった。名前や経歴は細かく変えてるので、彼そのもの、ではないにせよ、なんか懐かしくなる。
そのあとアジア大会女子バスケの日韓戦。U-NEXTで観たのだけど、実況のアナウンサーが「いま画面に今日のスターターが表示されてますが……」みたいに話しているときに何も表示されてない、ということが多い。どうやら、映像は大会公式の国際映像に、地上波で放送してる番組の音声だけ載せてる、ということらしい。
そういえば、サッカーだと常時画面に表示される(されててほしい)のは両チームの得点と経過時間、アディショナルタイム、あとは(提示されてれば)レッドカードの枚数、といったところで、だいたいどの局や配信サイトで観てもこの情報は表示されている。バスケの場合、得点と経過時間、攻撃の残り時間とチームファウル数、残りのタイムアウトの数、といったかんじで、ファウルをしたときにその選手の個人ファウル数も出してほしいところ。こないだの男子ワールドカップではそれがぜんぶ表示されてたんだけど、U-NEXTでは得点と二種類の時間しか表示されない。
と書き出してみると、つまり、試合の進行に関わるところ、を知りたいんだよな。選手の名前や所属チームは必ずしも重要じゃないけど、ファウルの数はその後の試合の進めかたに影響があるし、タイムアウト前後で展開がまったく変わることがわかった、ので、知りたい。私もちょっとずつバスケの思考に慣れてきたかんじで、ちょっとうれしい。
10月4日(水)雨、低気圧。また起きてすぐ服薬、副作用で昼まで寝。寝違えたのか、背中の筋が痛み、身体をひねることができない。
午後、オンラインで編集者と打ち合わせをして、そのあとは読書。はやみねかおる〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉シリーズの『「ミステリーの館」へ、ようこそ』を読む。幼少期は未読だった巻を読みはじめたときは、旧友の新しい一面を見た感じ、と日記に書いたものだが、本巻はちょっと亜衣とレーチの恋愛が前面に出てきてるかんじがあって、旧友の恋バナを大人になってから聞かされるというのはどうもむず痒いものだ。
そういえば私は一巻の『そして五人がいなくなる』を再読した日の日記で、「誘拐された子の家を訪れたとき、群がるマスコミに取材状況を尋ねるために〈いちばん美人のレポーター〉に声をかけたり、その家で水をぶっかけられて不機嫌になったけど〈小がらで髪の長い、きれいな人〉に呼び止められた〈とたんに、教授のきげんがよくなった〉りと、女好き、という設定もあったのは忘れてたな」と書いたけど、『ミステリーの館』では、レジャー施設で〈コンパニオンのお姉さん〉に話しかけられた夢水の様子を、亜衣は〈とってもきれいな人なんだけど、教授は興味がないみたい。〉と書いている。女好きの設定、私は忘れてたし、もしかしたら、いつの間にか存在しなかったことになっていた、のかもしれない。
10月5日(木)曇。朝晩肌寒い。今日も背中の痛み。本を一冊読んだら文庫サイズのノートに感想を一ページ書く、というのを二〇一二年からやっている、のを、最近かなり溜めてしまっていた、のを書いていく。書かなきゃいけない読書ノートが溜まってる、というのも、なんかストレスになってたんだよな。しかし溜めすぎていたので、夜までかけても半分くらい。
夜はモスの月見のやつを食いながら、アジア大会の女子バスケ決勝、日本対中国、二点差の接戦で中国の勝利。たいへんエキサイトした。体調不良で欠場した二人(片方はメンバー外、もう一人はベンチ入りしたものの出場なし)が万全なら、と思ってしまうが、勝負というのはそういうものだ。バスケで贔屓のチームが負けて悔しい、と思うように私もなった。
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