昼休みにジョン・ル・カレ 2025.8.31~2025.10.2
- 涼 水原

- 10月5日
- 読了時間: 64分
8月31日(日)晴。今朝のジョグは急坂の多いコースを、二十分ほど走った。ややスローだったので体力的には楽だった、が、上り坂はとにかく心拍数が跳ね上がる。陽射しも強く、疲れ切った。しかしキツさのバランスやアップダウンのメリハリがちょうど良い感じで、ラン後感、という言葉はないだろうけど、走ったあとの感覚はかなり気持ち良かったな。
午後にバスケを一試合、そのあとは読書。三苫薫『サッカードリブル解剖図鑑』(エクスナレッジ)を読む。友人がTwitterでおすすめしていたので、久松クルゼイロFC(というのが鳥取市立久松小学校サッカー部のチーム名なのだ)で、三苫さんと同じ左サイドのアタッカーとしてプレーしてた者として……。
カバーの表見返しに〈フェイントはリアリティ〉とあったように、フェイントというのは、架空の予備動作を見せることで、こう動くぞ、というメッセージを送り、しかしその予告を覆すことで相手を抜き去るおこないだ。メッセージにリアリティがなければ相手は騙されてくれない。本書のレッスン八は「切り返しという名のストーリーづくり」という題だ。そうやって、ドリブルを小説とかのフィクションになぞらえて説明しているのが面白かった……と書いて思ったけど、比喩ではなく、ドリブルというのは小説や映画と同じフィクションの一ジャンルなんだな。
三苫さんはとにかく、一つ一つの動きの意図やその理念の言語化能力がきわめて高い。感覚派の選手(というと私はやっぱり久保竜彦のことを思い浮かべる)だと、キュッとやってテテッとやれば相手がワッとなるからパーンで抜けるよ、みたいな感じだけど、三苫さんはとにかく理論派なんだな。〈僕は自分のプレーはほとんど記憶している〉(P.80)とサラッと言ってるのも本物の凄みを感じた。
そして本書はインタビュー形式で、聞き手の問いかけに三苫さんが答える、という体裁で書かれている。この聞き手も良かったですね。実際に公式戦のなかで発生した特定のプレーを三苫さんが解説してるのだけど、たぶんそのプレーの選定も聞き手がやったのだろうし、そのときの三苫さんやチームメイト、相手選手の意図、についても、聞く前からある程度把握しているようだった。これはかなり専門的な知識のある人なんじゃないか、と思ってたら、構成が西部謙司氏(私は「おわりに」の署名で気づいたのだけど、あとでよく見たら、巻頭の目次にクレジットされていた)。氏はサッカー専門のフリージャーナリストで、私にとってはサッカー専門ウェブメディアの分析記事でおなじみの人。三苫さんの言語化能力と西部さんの解像度がともにめちゃくちゃ高い、これは良い本でした。
九時ごろに夜の散歩に出。徒歩十分ちょいのスーパーに行く。寿司とか食いたかったのだけど、だいたい十から三十パーセント引きで、半額にはなっていない。冷凍食品などを買って帰って冷蔵庫にしまってまた出、同じスーパーへ。寿司が姿を消していた……。三十分ほどの間に半額シールが貼られ、すべてかっさらわれていった、ということか。私はときどき木曜朝の図書館で、雑誌棚の前に立ちつくしたりすぐ近くの閲覧席で本を開いてぜんぜん読んでおらず、誰かが週刊誌を棚に戻すと機敏な動きで確保するおじさんたちを見かけるのだけど、そういえば最初にこのスーパーに来たとき、彼らによく似た目をしたおじさんが何人かいた。いやはや。
半額になってた刺し盛りやパン、焼きそばなんかを買って帰宅、一気に食って満腹になる。そのあと日記を書いてたら日付が変わっていた。九月だ。
9月1日(月)晴。起床即ジョグに出。今日は三分の短時間で、身体が温まるくらいで終わった。ザッとシャワーを浴びて散歩に出。スーパーで自立するキウイのフィギュア(自立するキウイのフィギュアとは?)を買って帰宅。
そのあとすぐにまた出。Twitterで、高山正之が『Will』の最新十月号(八月二十六日発売)に、「変見自在」の件について書いている、というのを(批判的に紹介する記述を)見かけたのだ。『Will』は最寄りの図書館に入っているので、『Will』は週刊誌ほどおじさんたちが狙ってる雑誌ではないにせよ、あんまり混んでないうちに。
高山の文章は「女流作家に屈服した週刊新潮」という題。内容はまあ、典型的なネトウヨの雄叫びという感じ。しかし、〈アジアに迫った欧鯨米虎をこの地から追い散らしたのが、この旭日旗だ。〉(P.219)とあった、のが印象に残る。戦時中は〈鬼畜米英〉と言ったものだけど、いまは(国に対して〈鬼畜〉なんて言っちゃいけないから)〈欧鯨米虎〉なんだなあ。言葉は時とともにアップデートされていくものだ。変わらないのはシニア右翼の価値観だけ……。
批判を受けて『週刊新潮』編集部は、まず〈「変見自在」を最低でも休載しろと言ってきた。〉(P.222)という。高山はそんな批判は無視しろと主張したが、聞き入れてもらえなかった。〈で、休載でなく連載をやめると言った。新潮側はとてもうれしそうだった。〉(P.223)新潮社本体は高山を守る姿勢を保っていたのに、わざわざ〈とてもうれしそうだった〉と『週刊新潮』編集部が高山に批判的だったと書くのはなんでだろう、叩くなら新潮社ではなく私を、ということか?と思ったが、タイトルを鑑みるにむしろまったく逆、『週刊新潮』も敵(朝日新聞とかリベラルとか)の軍門に降った、という、支持者たちに攻撃対象を示す犬笛のようなものか。
全体として、『週刊新潮』の一ページきりの連載に比べて、十ページあるのでじっくりねっとり居直りと朝日新聞批判を展開している、という感じ。しかし、今回コラムで攻撃された小説家が『週刊新潮』に、謝罪だけでなく、批判と反論のために八ページの誌面を確保するよう求めていたことを思うと、十ページというのは破格の扱いだ。というか、(実際には『週刊新潮』は二ページしか用意しなかったそうだけど)八ページの批判・反論へのカウンターのつもりで、それより多い十ページを『Will』に確保させた、のか?
「変見自在」で二十四年間、朝日新聞の批判者であることをアイデンティティとしてきた高山は、とことん相手ありきというか、(仮想)敵の存在感にひたすら依存した書き手だった、ということなのだろう。と考えると、コラムや今回の寄稿の一人称が〈こちら〉なのも、つねに〈そちら〉に寄りかかりながら書いている、とも読み取れて、整合性が取れているといえるかもしれない。
帰ったあとはもくもく作業、昼休みにジョン・ル・カレ『死者にかかってきた電話』(宇野利泰訳、ハヤカワ文庫NV)を起読。いしいひさいち『コミカル・ミステリー・ツアー』(創元推理文庫)でパロディされてるのを読んでいたので、スマイリーについて、もともとべつにスタイリッシュなイメージはなかった。それにしても冒頭の描写にはちょっと驚いたですね。
小肥りなからだに内気な性格、もともと風采のあがらぬうえに、大金をはたいて服装品を買いこむにも、好んで見てくれのわるい品をえらんでいるとしか考えられない。ずんぐりしたからだにぶざまな服を着ているところは、しなびたひき蛙が、もう一枚、だぶだぶの皮膚をかぶったという印象だった。
P.7-8
『ミッション・インポッシブル』のイーサン・ハントの、というかトム・クルーズのスタイリッシュさに比べて、この冴えなさはすごい。
東西冷戦、がどうやら作品の背景にあるそう。東側のスパイだと疑われた外務官僚フェナンが、スマイリーの尋問のあと、その疑惑を苦にした旨の遺書を残して自殺した。しかし、尋問といっても、近所の公園やカフェで穏やかな問答をしただけだし、終わったあとにはスマイリーは、まあもうこれ以上きみを追求することもないでしょう、と結論的なことを口にもした。そしてフェナンは死の前に、翌朝のモーニングコールを予約してもいた。これから自殺する人間がモーニングコールを?という疑念から、小説が転がり出していく。
ジョグを挟んで夕方まで集中。退勤後に外出、歩いて十分くらいの銭湯へ。パニック発作おきちゃわないかな、という不安がだんだん高まって、脱衣所で服を脱ぎ、備えつけのシャンプーやボディソープで身体を洗うあたりでピークに達する。といっても、発作というほどの激越なものではなく、なんかソワソワするなあ、という程度。それもめちゃ暑い湯に入った瞬間にすべ溶け、風呂の快楽だけが残った。別料金のサウナには入らず、三、四十分。
濡れ髪で帰宅、仲俣暁生『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)を進読。〈じつのところ、日本における「批評」とは、“『ユリイカ』に載るような文章”のことである。〉(P.58)という一節があり、そうなんだあ、となるなどした。56/250
9月2日(火)快晴。十時間ちかくグッスリ寝、心身ともにスッキリした。銭湯がよかったのかな。
今朝は二十分のリカバリーラン。陽射しも気温もキツめの暑さなので、ゆっくりと無理のないペースで走る。
シャワーを浴びて朝めしを食い、散歩をしたらもう昼近かった、ので作業はそこそこにして、溜まってた新聞を読んだり、村上春樹『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」』(朝日新聞社)をちょっと読み進めたり。一九九七年三月十九日の、ということは村上が四十八歳のとき、走ることについての質問への回答のなかで彼は、〈ちなみに今日(3月19日)は天気がよくて、体も軽かったので、朝17キロ走って、昼に1500泳いで、夕方に13キロ走りました〉(P.28)と書いている。すぐに〈今日はちょっと特別ですが……〉とつけ加えてはいるが、すごい運動量だ。なにより、これだけの運動をしつつ、旺盛な仕事量もこなしている、というのがすごい。一九九七年三月十九日は『アンダーグラウンド』の発売前日で、それまでとは風合いの違う仕事の発表を前にして、高揚してもいたのかもしれないな。
今日の晩めしは長谷川あかりレシピのブリの照り焼き。食いながらU-NEXTでケリー・ライカート監督『オールド・ジョイ』を、八月二十七日以来、六日ぶりに観。私と同年齢くらいの、くたびれた男二人のロードムービー。彼らは幼馴染みらしく、映画には登場しない共通の友人たちの話とか、どうもそれほど華々しくはなさそうな将来の展望とかの話を淡々と続ける。
ほんとにいい映画だ……。前回もしみじみと感動したのだけど、まだ記憶も鮮明なうちにもう一度観たことでより良さが沁みてくる。終盤はなんか泣きそうになっちゃったな。私が泣いた映画、『ポンヌフの恋人』以来二作目なのではないか。
そのあとは日記を書いたり、日記を公開したり。今日公開した日記は、『恋愛以外のすべての愛で』が出る数日前からはじまり、最寄りの書店ではじめて『筏までの距離』を見かけた日で終わってる、ので、「自著を見かける 2025.6.8~2025.8.26」という題にした。AIが提案したSNS投稿用の文面はこう。
腰痛が改善して散歩に出かけました。雨の日でも新しい発見がありますね。ブログで詳細をシェアしています。 #自著 #散歩 #雨の日https://wix.to/1XFiQ8r
腰痛が改善して雨のなか散歩に出たのは六月八日、つまり初日のことだ。さてはこいつ冒頭しか読んでねえな……。56/250
9月3日(水)晴。どうも首の後ろが痛く、頭に響いてひどい頭痛。それでも起きてすぐジョグに出。一キロ走った。しかし頭痛は解消されず、午前は横になって過ごす。
午後一時すぎ、ちょっと日が翳ってきたのでエイヤッとまたジョグに出。今日も二部練だ。頭痛がひどかったが、出る前に飲んだカロナールが効いたのか、走ってるうちに気にならない程度に弱まる。
シャワーを浴びて身繕いして、三時ごろに外出、北大にいたころからの友人Tと会う。最後に会ったのはコロナ前だから少なくとも五、六年ぶり、もし体型とか髪型とかが激変してたら気づかずにすれ違っちゃうかも……と思っていたが、お互い大した変化なく、けっこう遠くから手を振り合った。
彼とは札幌時代、パフェとかクレープとかの甘いものを食いに行っていた。それでうちのすぐ近くのパンケーキ屋さんへ。近況報告、共通の知人の噂、学生時代の思い出話。『オールド・ジョイ』の二人の主人公、マークとカートのことをふと思い出す。二人の会話は過去が中心で、“今”と“これから”が欠けていたんだな、と、そういう話をTとしながら考える。たぶんそれは、二人ともが、もう自分たちが変わってしまったことに気づいていたから、なのかもしれない。
ふと思い立って、ツーショットの自撮りをして共通の友人Kに送りつけた。すぐに返事が来て、彼も合流してくれるそう。駅で出迎えて、三人でさっきとは違う喫茶店へ。Kとも、電話で話したり、SNSとかで近況を把握はしてるけど、直接会うのはやっぱりコロナ以降はじめて。一時間半ほど話して、Tが仕事のために席を立った。
Tを見送り、私とK は晩めしに向かう。餃子屋さんで定食を。人と外でめしを食うのも久しぶりだなあ、となんだか感慨深い。一時間ほどおしゃべりをした。
そういえば、とKと別れて帰りながら思ったのだけど、最近なに読みました?という会話を今日はしなかった。私が日記で言及していた『父の四千冊』について、Kが「おれも読んだよ」と言ったくらいか。仕事でもプライベートでも、やり取りをする人はだいたい読書や映画が好きで、久しぶりに会うと挨拶代わりに最近のおすすめを訊き合う。訊かれたら私は『オールド・ジョイ』について語っただろう。そういえば『ポンヌフの恋人』を私は十年ほど前、知り合って間もないKに薦められて観たのだった。当時のことを思い出しながら、楽しかった今日のことを考えながら、TもKもなんだか寂しげだった、とふと思う。彼らもこの映画を好きになるんじゃないか、とも。でも、まだ自分以外の人にこの作品のことを話したくないな、という気持ちにもなっている。そう気づいたところで玄関のドアの前に着いた。
高揚のまま、夜遅くに三十分ほど散歩に出。友人との楽しい時間のあと、ふと夜に外を歩くなんて、カートみたいじゃないか。ぷらぷら歩いてたら、カラフルに光る首輪を巻いた犬が人といっしょに散歩してるのを見かける。なんとなくそのあとを追いかけた、が、犬も人も歩くのが速く、角をいくつか曲がるうちに見失ってしまった。諦めてスーパーに行き、三割引の寿司などを買った。56/250
9月4日(木)雨、一時曇。一日作業、ジョグを二度。
昼休みにジョン・ル・カレを進読。スマイリーの元妻アンとの会話の回想、がちょっと面白かったですね。スパイとして、尋問(〈インターヴュー〉)を躱さなければならない立場になりやすいスマイリーは、その〈撃退法〉として独自の手法を編み出した、と話す。
「……ぼくは最初、カメレオンになるのを学んだ」
「まあ! ひき蛙みたい。席についたまま、げっぷをすることでしょう?」
「ちがう。色の問題だよ。カメレオンは、からだの色を自由に変えられる」
「知っていますわ。緑の葉の上にいるときは、緑色になるのね。あなたも緑色になったの、ひき蛙さん?」
かれはその指を、彼女の指先にかるく走らせて、
「よく聞きなさい。ぶしつけなインターヴューのスマイリー式撃退法を説明するから。カメレオン・アルマジロ方式と名付けたものだ」
彼女は顔を押しつけるようにして、うっとりとした眼をむけている。
「この方式には、土台となる理論がある。(…)質問者がもっている社会的、気質的、政治的、知性的色彩を、先手を打って真似てしまうのさ」
「ひき蛙でも、あなたは王さまのほうね。そして、わたしにとっては知性に富んだ恋人よ」
「だまって聞きなさい。この技術も、質問者の頭がわるかったり、最初から悪意をもってかかってこられると、効果をあげない場合がある。そのときは、アルマジロ方式を用いる」
「よろいを着こむってわけね、ひき蛙さん」
「そうではない。相手をなにかつまらないけものと思いこむ。こちらはりっぱな人間さまで、相手を軽蔑することができるのだ。(…)」
P.66-67
読んだときは、会話が成立してないように見えたけど、こうやって書き写してみるとなんか楽しげだ。たとえば〈わたしのかわいいウサギさん〉的に、愛する人のことを小動物になぞらえて呼ぶ文化もあるだろう、けど、しかし恋人に〈ひき蛙さん〉とは呼ばれたくないなあ、となった。112/250
9月5日(金)雨。雨音で起きる。朝八時ごろ。起床即、数日サボってた英語、Nicole Krauss 'Switzerland'(The New Yorker二〇二〇年九月二十一日号)を進読。今日はなんか、あんまり辞書を引かずにスイスイ読めたな。
そういえば『オールド・ジョイ』のなかで、主人公の一人であるカートが、He's like... just shrugged.と言っていた。私は七月末、大学図書館で働いてたとき大量にコピーしたまま死蔵してた、The New Yorkerに載った短篇小説を読みはじめた。で、最初に読んだSusan Choi 'Flashlight'(二〇二〇年九月七日号)のなかでこのshruggedという単語が二度出てきて、一度目はわからずに調べ、二度目は、さっき調べたのに意味が思い出せず、もう一度辞書を引いた。そして次に読んだAnne Enright 'Night Swim'(二〇二〇年三月九日号)でまた出てきたとき、これは〈肩をすくめた〉だ!と辞書を見ずにわかった。そして『オールド・ジョイ』でも、「彼は肩をすくめるだけ」という日本語字幕を見ながら英語の台詞を聞いて、いまshruggedって言った!とわかった。ほんの一単語のことではあるけど、英語力が向上しているのが実感できてうれしい。
今朝はジョグはせず、傘を差して散歩に出。かなりの大雨で、歩いててすぐに腕や裾が濡れた。そのあとは夕方までこもって作業。しかし低気圧で参ってきたので軽めにまとめた。
夕方には雨は止んでいた、ので六時すぎにジョグに出。退勤時間にぶつかって、けっこう人通りが多かった。夜のジョグは陽射しがないからとても楽だった。行き交う車のライトがきれいだったな。112/250
9月6日(土)快晴。シャインマスカットで朝食としてジョグに出。今日はかなりハイペースを意識して走った。ゆったりペースで走るのもいいけど、たまに自分の限界を試すのもいい。まだまだ走れる、という感じをもったまま止まるジョグと、もうこれ以上は無理、というところまで追い込むジョグ、のバランス。終盤はかなり疲れて、フォームもガタガタになっていた気がする。
水湯水湯水湯水を浴びて読書。昨日読了するつもりだったけどしそびれてたキャサリン・レイシー『ピュウ』(井上里訳、岩波書店)を最後まで。たいへんに面白かったです。人種、性別、年齢がいずれも明かされない語り手(ほかの登場人物たちもこの語り手の属性をつかみかねて混乱している様子が描かれる)が迷い込んだ、アメリカ南部らしい小さな町を舞台にした小説。一週間後に〈祭り〉を控えた住民たちは、謎めいた人物の登場でさらに浮き足立つ。ピュウの正体を暴こうと詰め寄ったり、無関心を装ったり、友人になろうと近づいたりする。移民やマイノリティに対するマジョリティの態度、とかを思い浮かべつつ。
それにしても、どうしてわたしはどこにいたって場所を間違えたように感じるんだろうね。最初からそんなふうに感じてたんだから──ほんの子どものころから、自分がここに産まれたのはなにかの手違いなんだと思ってた。母親も、いや、家族みんながわたしのことをそんなふうに見てたと思うよ。なにか手違いがあったんだろうって。で、わたしはいまどこにいる? 生まれた家からたった十五キロのこの家で、毎日暇を持てあまして、昼寝をして、煙草を吸いすぎて、ちょっとでも気を抜くと鶏を丸ごと一羽食べてしまうんだから。
P.110
中盤で老婆が語る台詞(本作、地の文は明朝体で、台詞は括弧なしにゴシックで刷られている)。ここを読んだとき、ああこの小説好きだな、とじんわり気づいた。
〈祭り〉というのがどうも、この町独特の異様なものであるらしい、ということが、読んでるうちにほのめかされていく。シャーリイ・ジャクスン「くじ」っぽい寓話的雰囲気(訳者あとがきでも言及されていた)。因習村を外から迷い込んだ人間の眼で描く、と読むと、ちょっと今の日本でブームになってるホラーと近いところがある? 良い作品でした。
夕方の散歩でスーパーに行き、なんとなくパーッとやりたくなって、定価の寿司を買ってしまう。寿司をつまみながらかぼちゃを煮付け、鰆を照り焼きにする。鰤がなかったからやむなく見た目の似てる鰆を買ってきた、のだけど、鰤の脂の旨味とはまた違う淡白なやわらかさで、私はこっちのほうが好きかも。112/250
9月7日(日)晴。朝から読書。今日はカレー沢薫『締切は破り方が九割』(小学館)。イキイキ楽しく締切を破りまくる話かと思っていたのだが、ひたすらネガティヴな愚痴を、ネットミームの定型文のユーモアでくるんだ文章の連続だった。私の場合、こういうのはネットのブラウザで月に一萹ずつ読むのが良く、縦書きの紙の本でまとめて読むもんじゃなかったかも。
しかし、作家の自虐としては典型的なんだけど、十年ちかい会社員経験があり、専業の漫画家になってからは複数の連載を(一つ一つは打ち切りで終わったとしても)途切れずに持っていて、著名な漫画賞を受けて作品がドラマ化もした人が、自分は社会不適合者だし漫画が下手でぜんぜん売れてなくて……と書くの、何を言ってるんだ?という感じがしてしまうな。
そう反発しちゃうのは、同業者、ではないけど似たような仕事をしていて、私よりカレー沢のほうが成功している、と思っているからだろう。本書のなかにも「俺より売れてる奴とは口をききたくない」という章があるが、私も俺より売れてる奴の自虐はききたくないのかもしれない。しかしこういう考えかた、逆マウントっぽくて無意味だな。やめましょう。
ともあれ、私もカレー沢と同じく、自分は社会生活に不向きな売れない書き手、という自己認識でいるので、共感するところは多かった。印象に残ったのは、〈ただし、漫画の場合はヒットという形で労働を遥かに超える収入を得られる可能性もあるので、一時期の対価に合わない労働はそのための投資といえなくもない。〉(P.84)という一節です。私も、いずれ売れたときに本にする素材を貯めとくため、という意図のもと自サイトで日記やエッセイや小説をしこしこ公開してるのだけど、その行いを〈投資〉という明快な言葉で名付けられた感じ。回収できるかどうかはわからんが、投資しなきゃゲインはない。やっていきましょう。
夕方にジョグをして、実家の庭で育ったゴーヤでチャンプルーを作る。食いながらバスケを一試合。
そのあと入眠に失敗して、『オールド・ジョイ』のことをつらつら考える。一度目に観たときは、カートが温泉で語った、夢のなかで聞かされた台詞、「悲しみは使い古した喜びなのよ」というフレーズがいちばん印象に残った。二度目は(もちろんそこも良かったのですが)ラストシーンが響いたです。カートが旧友のマーク(とその愛犬ルーシー)と一泊のキャンプをし、街に帰ってきて一人になったあと。カートは夜の街をうろうろ歩く。中国語の看板の掲げられた店(たぶん漢方薬局)の前で、ホームレスらしい男に「小銭を恵んでくれよ」と話しかけられるが「すまないが…」と断り、店に入ろうとする、が、店内は明るいのに鍵がかかっているらしい。ガラスにくっついてショウウインドウの中を覗き、諦める。男に「やるよ」と、映ってはないけどたぶん小銭を渡す。
「どうも いい夜を」
「君もね」
短い言葉を交わしあい、カートはその場を離れた。ビルの駐車場を歩き、閉店後の電機屋の前で引き返す。いずれもただ明るいだけで人の姿が見えない場所だ。そしてふと立ち止まり、車が来てないことを確認するように何度か左右を見回して、ゆっくりと歩き出す。
カートは旧友との楽しい二日間を過ごした。焚火を前にして、ちょっと自分の本心をマークにぶつけるようなひと幕も演じた。翌日、川辺でルーシーと遊び、温泉に浸かり、人生を語った。そういう時間のあとカークはとつぜん一人になった。喜びに満ちた時間を、このまま終わらせたくはない、少しでも引き延ばしたい、と思って街に出てきた。しかしこの街は、二人がどんな時間を過ごしたかなんて知りもせず、車は行き交い、ホームレスは小銭をせびり、店員は定時に鍵を閉める。せめて善い行いをしようとホームレスに小銭を恵み、ささやかな祈りを捧げあった。それで今日はおしまい。最後に映されたカートの顔に明確な感情は見えない。二人の二日間を傍らで見ていた私たち視聴者も、そういえばこの街と同じ赤の他人なのだから、彼の内面の喜びも孤独もわからないのだ。
そこでOLD JOYというシンプルなタイトルが画面に映り、映画は終わる。そこで私たちの頭に、カートが語っていた、夢の中の女性が彼を腕に抱きながら口にした言葉が蘇る。「あなたは大丈夫よ 悲しみは使い古した喜びなのよ」満ち足りた時間を過ごすことは喜びだ。それを思い返すことも。でも、その回想から新しい感興を引き出せなくなったとき、喜びは、また別の感情へと変わっていく。あのカートの表情はその、喜びが古びはじめ、ひとさじの寂しさを感じた瞬間に浮かべられたものだったのではないか。112/250
9月8日(月)晴、一時雨。
午後一時前にジョグに出。たぶん昼めしを食ってオフィスに戻るみなさまで道が混雑していて、やや走りづらい。しかし昼の暑さと直射日光もあいまってたいへんにキツかった。中盤以降はもうずっと止まりたかった、が、なんとか日影を縫って走ることで消耗をゆるやかにして、交差点のたびに自分を鼓舞して、家から遠いほうにエイヤッと曲がった。汗まみれ。NIKEのランアプリでも五キロ最速のバッジをいただきました。
水湯水湯水湯水、秘蔵のドクターペッパーをゴクゴク飲んでととのう。
そのあと『死者にかかってきた電話』を進読。事の真相を見抜いたスマイリーはある人物を問い詰め、自白を引き出す。この、親身になったり脅したり、情報を引き出すための話術、が面白かったですね。
そしてその相手の台詞もたいへんに含蓄がある。〈「法律がなく、理論というごりっぱなものがなく、そして、裁判制度などつくらなかったら、人々は愛しあうことができたのよ。人間は、いったん理論を手にしたとなると、たちまちスローガンをつくりあげて、また闘いをはじめるものなんだわ」〉(P.160)
一九六一年、東西冷戦下に出版された小説のなかで、これはたいへん強いメッセージだ。
午後の作業は、ジョグというかほとんどレースのような走りのあとで、いい感じに頭がリセットされるのでは……と思ったけど、くたびれ果てていていつもの午後とたいして変わらず。
晩めしは実家から届いたルー(カレーとシチュー合わせて六箱も届いたのだ)を使ってホワイトカレー。最後、牛乳を入れて煮込む直前まで作ってジョグに出る。料理の間に雨は止んでいた。夜は一キロラン。雨上がりで湿度が高く、短時間でゆっくり短距離でもしっかり汗をかいた。それからカレーをバクバク食う。172/250
9月9日(火)晴。昨夜は疲れてるのに寝られず、起きたときからくたびれている。それでも起床即ジョグ。
シャワーを浴びて散歩、スーパーで自立するキウイのフィギュアを買って帰宅。先週買ったのはゴールデンキウイ、今回はグリーンキウイのフィギュアなのだ。
今日も二部練を挟んで夕方まで。しかしどうも、熱中症か知恵熱か、体温が三十七度を超える時間もあって捗らず。焦らず焦らず、と言っても、締切と進捗を考えると、あんまりゆっくりしてもいられない。
晩めしは実家から届いたルーと半額になってたラムの薄切りでブラックカレーを作る。食いながらバスケを一試合、大阪対北海道を観。富永啓生のシュートはやっぱり華がある。172/250
9月10日(水)雨ときどき曇。朝の散歩はせず。十二時半ごろ、雨の止み間にジョグに出。右足首と横腹が痛かった、が、走ってるうちに気にならなくなってきた。今日は二十七分ゆっくり、三・七六キロ。
午後ももくもくやり、また実家からのルーでホワイトシチュー。食いながらバスケを一試合。
『オールド・ジョイ』は、主人公の一人マークに、幼馴染みのカートから電話がかかってくる場面からはじまる。温泉に行って一泊キャンプしようと誘われた、とマークは、妊娠している妻のターニャに告げる。ターニャはあんまり嬉しくなさそうだった、が、マークは車を出し、カートの家に向かった。
最初はカートの車にキャンプの道具を載せたけど、けっきょく二人はマークの車で出発した。途中、たぶんマリファナの売人のところに寄ってカートが買いものをして、温泉があるという川に向かう。車のなかでは、マークの両親や共通の友人の噂、十数年前から持ってる雑貨なんかの話をする。友人のレコードショップがスムージー屋になってる話とか。「時代の終わりだ」End of the era.とカートがつぶやいた、のが印象に残る。たぶん世界中で、ティーンが大人になる間に当然のように起きる変化に対して、カートはわりに大げさな言葉を使っているような。
マークはカートのナビに従って車を走らせる、が、自信マンマンだったわりにカートの記憶はおぼつかず、二人は自分たちがどこにいるのかも見失ったまま夜を迎える。
人里離れた道端に廃棄されていたソファに座り、焚火を見つめながら酒を飲む。空気銃で缶を撃ったりもする。そこでカートは、マークへの思い──友情とも取れるし、同性愛的な思慕のようにも解釈できる──をさらけ出したりもする。
翌朝、立ち寄ったダイナーで温泉への道を聞き、二人はなんとか目的地にたどり着く。風呂に入り、マリファナを吸いながらカートは、前の日に体験した、ちょっとストレンジなエピソードを披露する。
聞いてるのか聞いてないのか、マークはあまりリアクションを取らないが、終始微笑んでいるようではある。やがて語り終えたカートはとつぜん、まだ風呂に浸かってるマークに歩み寄って、彼の肩を揉みはじめる。とつぜんのマッサージにマークは戸惑うものの、やがて気持ちよさそうに目を閉じる。
その前の夜の、「マーク 寂しいよ 君がとても恋しい 君と友達でいたいのに 何か壁がある それがすごくイヤなんだ」というカートの言葉や、マークがマッサージを受け入れたとき、バスタブの縁に置かれた手が大写しになり、結婚指輪を嵌めたその手がゆっくりと浴槽に沈んでいく、というカットを考えれば、この場面が何の隠喩なのか、はわかるような気がする。でもあんまりそこは考えなくてもいいかもしれない。
夜までかけて街に戻った二人は別れる。マークは自宅に向かって車を走らせ、カートは街をうろつき回る。
こうやって振り返ると、筋らしい筋はない。旧友が二人、温泉に行って帰ってくるだけの話だ。しかし、こんなあらすじからこぼれ落ちたものがたくさんあって、そのこぼれ落ちたものがこの映画の魅力をつくっている。172/250
9月11日(木)曇、午後豪雨。寝不足。それでも起床即散歩に出。曇ってたけど湿度が高く、汗だくになった。
午後一時からジョグ。寝不足で体調が思わしくなかったが、わりに快調に走れた。四キロを過ぎたあたりでぽつぽつと降りはじめ、遠雷の音も聞こえ出す。五キロ走り、我が家の最寄りの交差点に着いたところで、もう終わっていいかな、と思ったが、雨でほどよく身体の熱が引いたのでもうちょっと、と走りつづける。しかしすぐに大粒になり、あっという間に土砂降りになった。雨のなかで運動するのは好きだけど、服や靴が水を含んで重くなり、疲れ切る。しかし気持ち良いジョグだったな。
午後も作業と読書。外では雨がより強くなっていて、品川あたりでは道路が冠水、商店街も床上浸水、みたいなたいへんな事態になっているそう。
夜、雨の止んだ十時ごろに散歩に出。コンビニで飲みものを調達して、図書館の返却ボックスに本を放りこんだ。172/250
9月12日(金)曇一時雨。朝から一・二キロ走り、シャワーを浴びてもくもく作業。
昼休みにジョン・ル・カレ。ひととおり情報収集を済ませたスマイリーは、〈われわれはなにを知っているか?〉というメモを書きはじめた。本文二百四十五ページのうち百七十七ページ目、最後のクォーターに入ろうとするところ。このへんはユーザーフレンドリーというか、ここまで読んできた私たちが〈なにを知っているか〉を整理してくれてる感じ。
そしてスマイリーは敵と殴り合いの格闘を演じ、(シリーズの主人公なのだから当然っちゃ当然だけど)勝利した。相手は欄干から川に落ちる。流されていく相手にかける、任務のためにずっと押し隠していた感情が漏れた、文庫版でほんの二行の台詞が良かった。
事件がひと段落して療養中のスマイリーのもとに、国防省内に新しい諜報機関を設置する、きみもそこで働いてほしい、とオファーが来た。なるほど、一巻の出来事を解決に導いた主人公を特別なポストに就けることで、今後の巻でも事件の中心で活動しやすくする、ということ。こうやってシリーズの骨組みを固めるのか……となった。
そのあとまたジョグに出。五十分弱、七・五三キロ。時間も距離も最長。疲れ切った。
午後は気圧がグッと落ちときどきパラパラ降る。休憩がてらスマホを見たら、千葉ジェッツの西村文男選手が、今季限りでの引退を発表していた。氏の全盛期は知らないけど、千葉が劣勢になったときとかにスッと入ってきて、涼しい顔で流れを変えてベンチに戻っていく、というイメージがある。その姿を観られるのもあと一シーズンか。
晩めしはまた実家のルーを使い、今日はラムシチュー。食いながらバスケを一試合観。
マークとカートが目指した温泉は、川辺に壁もない小屋がある、というだけの簡素な施設だった。一人用のバスタブがいくつか並んでいて、そこにかけ流されている源泉を、バケツを使って(たぶん川の)水でうめる。日本の温泉みたいに、旅館があったりスタッフが常駐してたりするものではなく、誰でも自由に入れるらしい。このへんもちょっと、私的所有を忌避していたヒッピーの文化を感じますね。
先に浴槽から出たカートが問わず語りに話したのは、こういうエピソードだった。
旅行の前の日、カートは友人に自転車を借りて日記用のノートを買いに出かけた。途中で歩いてる老人を追いこした、ら、後ろから、「警告ありがとう」と叫んできた。それでカートは、何か罪悪感に襲われて落ち込んでしまう。ふと忘れものに気づいて引き返し、同じ老人とすれ違った。出直して走り、また彼を追いこした。
文具店に着き、目当てのノートを持ってレジに行った、ら、店にさっきの老人が入ってきた。それを見ていると、レジの女性がとつぜん「スーパースター」と言う。五十歳くらいのインド系の女性だ。「何?」とカートが訊くと、あなたが今〈ジーザス・クライスト〉と言ったのだ、と返される。だからわたしは「スーパースター」と続けたのだ、と。
そう言われてみれば、たしかに自分が〈ジーザス・クライスト〉と口にしたような気がしてくる。Jesus Christは、マジかよ、みたいなニュアンスの言葉だから、さっき自分を動揺させたおじいさんが店に入ってきたときに口走っていてもおかしくはない。
混乱しているらしいカートを見てレジの女性は、「問題ない 大丈夫よ」と声をかける。それを聞いてカートは、ふとその日の朝見たばかりの夢を思い出す。このレジの女性が出てきたのだという。夢のなかで、何かひどく動揺して落ち込んでいるカートを腕に抱いて、女性は「あなたは大丈夫よ。悲しみは使い古した喜びなのよ」と言った、のだという。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』を、私は舞台も映画も観てないから、モチーフとかで本作とつながりがあるかどうかはわからない。同作は『オールド・ジョイ』の数年前に映画化されているから、めちゃ語感のいい言葉としてあの女性の頭に残っていて、ちょっとした軽口みたいに口からこぼれただけかもしれない。たとえばサッカー好きのみなさんは、誰かが「アレックス・オックスレイド」と言うのを耳にしたら、つい「チェンバレン」と続けたくなると思うのですが、そんな感じです。228/250
9月13日(土)曇一時雨。起床即ジョグ、四・一キロ。帰宅してシャワーを浴び、昨日のシチューなどを食って、そのあとは一日読書の日。
『死者にかかってきた電話』も読了した。意外なことにスマイリーは、新しい諜報機関のオファーを辞退する手紙を出した。そして彼は今回の件の報告書──読者にとってはこの一冊のストーリーの要約──を書く。ありがたいねェ……と思いながら読んでいたら、新事実というか、事件が終わってからスマイリーが考察したこととして、意外な真相が明かされていていた。意外な真相、と私は思ったのだけど、たぶんヒントは作中にちりばめられていて、推理しながら読むタイプの読者ならとっくに気づいてたのかもしれない。読了。面白かったな。
夕方、図書館に出かけ、読売新聞夕刊のインタビュー記事を読む。「純文学作家 エンタメも」という見出しで、水原涼と砂川文次のインタビューが、〈ともに35歳の純文学作家2人が、エンターテインメントに活躍の場を広げた。〉というリード文のもとに並んでいる。砂川は先月、エンタメの小説誌に一挙掲載した長篇『ブレイクダウン』が講談社から出たそう。で、同年齢(私は一九八九年十月、砂川は一九九〇年四月生まれなので、学年はひとつ違う)の二人に、〈ジャンルの垣根を越える背景を聞いた。〉という記事。インタビュアーはそれぞれ別の人で、私のは武田裕藝氏。取材のときはほとんど自動的というか反射で喋っていて、何を話したかほとんど憶えていない。だから記事を読みながら、水原はこんなこと考えて小説を書いてるんやな……と感心することしきりだった。〈「ジャンルを気にして小説を読むことはないし、書く時も同じです」と語る。〉という言葉にはいたく共感したですね。
冒頭で水原のこんな言葉が紹介されている。
「『恋愛』のことを知った人に『今後はそっちでやっていかれるんですね』と言われました。そっちってどっちでしょうか」。複雑な顔で苦笑する。
そんなことを話した記憶はうっすらあるが、どっちかというと雑談の与太話として、ガハハと笑いながら話したような。じっさい、文学フリマに出店したときも、知人の同人誌に寄稿したときも、自分のHPで小説やエッセイを公開しはじめたときも、それぞれ別の人に同じことを言われた。そっちってどっちでしょうね。そういえば一人称が〈こちら〉の文章を最近読んだ気がするけど、何だっけな。
ともあれ、「純文学作家 エンタメも」という記事の冒頭に、純文学とエンタメ(ライトノベル)でジャンル分けされることへの困惑を語る言葉を持ってくる、というのは、砂川のインタビューが〈「素材の良さを生かそうと思うと、エンタメになっていった」〉という言葉ではじまるのと好対照と言えるかもしれない。
晩めしは長谷川あかりレシピの黒胡椒唐揚げ。食いながらバスケを一試合観、世界陸上をダラダラ流し観。日付が変わるころに寝た。250/250
9月14日(日)曇。世界陸上の女子マラソンをテレビで観。トップの数人がゴールしたあたりでジョグに出。世界トップクラスのランに感化されて、私にしてはハイペースで走る。四十一分三十秒で六・六四キロ。一キロあたり六分十四秒というペースだった。このペースを四十二・一九五保てたとしても二百六十分以上かかる。世界陸上のランナーたち、完走したなかでいちばん遅いタイムですら三時間二分二十六秒だそう。すごいなあ!
その後も散歩とジョグを挟みつつ読書読書。夜、TVerの見逃し配信で世界陸上。ダラダラ観て日付が変わるころに明かりを消す。しかし寝られず、今日も夜更かし。
『オールド・ジョイ』の冒頭、マークはカートからキャンプへの誘いの電話を受けた。「もちろん平気さ 少し森に行くぐらい」と請け負ってから、歩み寄ってくるターニャに気づいて、「ターニャと話す」と言って電話を切る。彼女は何か物言いたげな様子。
マーク「何だよ」
ターニャ「許可を求めないで」
マーク「話すって言っただけ」
(お互い気まずげにしばらく黙る)
マーク「温泉に行って 今晩キャンプしようと 明日早く発てば 昼には帰れる 問題があるなら 電話で断るよ」
(ターニャは苦笑いしながら俯き、小さく首を振る)
マーク「なあ(と足でターニャのふくらはぎをつんつんする) 君も来たらいい 楽しいよ」
ターニャ「今はキャンプなんてムリ 雨も降りそう」
マーク「降らないよ」
ターニャ「いつも 私の賛成を求めるけど── 結局 意志は変わらないじゃない」
マーク「君がイヤなら 自分だけ楽しめない」
この言葉にターニャは何も返さない。諦めたような微笑みを浮かべるだけだ。次のカットはもう、いそいそキャンプの道具を車に積み込むマークの姿を映している。どうせアンタは行くでしょう、という台詞からして、マークはきっと何度も似たようなことを繰り返しているのだろう。
道に迷ってしまったから、とはいえ、昼には帰れる、という言葉も反故にされる。初日と二日目、ターニャから電話がかかってくる場面があり、どちらもカートから離れて喋るのだけど、そこでも「場所は知ってるらしいが── ヤツの言うことだ」とカートへの不信を語り、席に戻れば、「(目的地は)すぐ近くだ」と言うカートに、「信じてるよ」と微笑んでみせる。二枚舌、とまでは言わないけど、その場に応じて適当なことを言う人だ。
二人がダイナーで朝食をとっている間、車に残されて寂しげに鳴く犬のルーシーを気づかって「犬が不安がってる」と言うカートに対して、「妻は分離不安症だって」Tania calls her separation anxiety.のひと言で片付けるのも、ちょっとマッチョな感じがするな。前夜にカートの「寂しいよ マーク」という悲痛な言葉を聞いていたことを、このときの彼が憶えてるかどうかはわからないけれど。健康(な男性)であることの特権性、に無自覚な感じ。
しかし保守的な人間か、というと別にそうでもなさそう。キャンプに向かう間ずっと聴いてるラジオは、パーソナリティが番組に電話をかけてきた人と討論をする、というもの。リンドン・ジョンソン元大統領についてやや批判的に聞こえる質問に対してパーソナリティは、ジョンソンを擁護しようと、相手の話もろくに聞かずにレーガンやニクソンをけなしはじめる。こういう番組を聴いているのだから、マークも民主党を支持している、のだろう。しかし、思想的にはリベラルだけど無自覚に家父長的な言動をしてしまう人、日本にもけっこういそうだな……。というか、地方都市で、昭和二十年代生まれの両親に育てられた私もその一人かもしれない(気をつけてはいるつもりだけど)。
そう考えていくと、カートを助手席に乗せたあと、売人のところまで行く間ずっと同じ番組を流し続けてるのが引っかかってくる。友人とキャンプに行くときって、こう、EXILEとかB'zとか、まああんまり嫌いな人のいない音楽を流す気がする。それか当たり障りのないニュース番組とか音楽番組、二人は幼馴染みだということを思えば、地元のスポーツチームの中継でもいい。それなのにずっとリベラル系の番組をかけ続けてるの、他人の感情に無頓着なことを示しているのかもしれない。もちろん、カートも民主党支持者だ、と、長い付き合いのなかで知っているのかもしれない。カートはヒッピーだし、まあ左寄りなのだとは思うけど。けっきょく郊外に向かう橋のうえで、どちらかがチャンネルを回し、良い番組がなかったのかラジオを切った。
なんだかマークの印象が、映画を観たときよりちょっと悪くなってきている気がするな。気が付けば、彼らの旅路を二度目に観てから十日以上経っている。時が過ぎれば人の印象は曖昧になり、ほかの人との差異ばかりがきわだって思い出されるものだ。その意味で、マークは(カートもターニャもルーシーも)私にとって、すでに古い友人のようなものかもしれない、と、疎遠になった何人ものことを頭に浮かべつつ考える。たぶんマークたちにまた会えば──もう一度映画を観れば、こうやって短所をより抜いていたことも忘れて、彼らのことを好ましく感じるのだろう。
9月15日(月)曇。今日も朝から世界陸上、男子マラソンを観。今日はレースの中盤あたりでジョグに出る。一マイルをハイペースで、息を切らしながら。帰ってテレビをつけた、ら、マラソンは終盤に差しかかっている。競技場に入ってもまだ三人が競っていた。まずイタリアのアウアニ選手が遅れ、しばらく並走していた二人のうちドイツのペトロスさんが抜け出す。これで決まったかな、と思ったら、最後の五十メートルでタンザニアのシンブ選手がグイグイ加速、ほぼ同時にゴールテープを切った。四十二・一九五キロ走って同タイムの写真判定、しかしほんの数センチの差でシンブさんが逆転優勝! すごいものを観たなあ。
そのあとは、昨日観逃してた競技を流しつつ、読書をしたりウトウトしたり。五時ごろからバスケットLIVEで、九月十二日の群馬対Gリーグ選抜を観。
そのあとタコミートを炒め、実家から届いたルーでホワイトカレーを作る。食いながら世界陸上。男子三〇〇〇メートル障害決勝。陸上競技、たとえば百メートル走は、いちばん速く走れる人を決める種目だ。マラソンも、四十二・一九五キロという距離の必然性はともかく、長い距離を走る耐久力を競う、という明確なコンセプトがある。ジャンプ力を競う幅跳びや高跳び、物をどんだけ遠くまで投げられるかを競う投擲種目も、身体能力比べとして分かりやすい。しかし三〇〇〇メートル障害はぜんぜん分からない。三〇〇〇メートル走る、途中に障害物を設置する、まではまだ分かるが、なぜ水濠を……?
と、この日記を書きながら調べてみると、三〇〇〇メートル障害は英語で3000 metres steeplechaseというそう。教会の尖塔を追う、という名前の通り、かつてヨーロッパで、村の教会をスタート、隣村の教会をゴールとして行われた徒競走がこの競技の起源なのだとか。あのハードルは村境の柵、水濠は小川を表現しているそう。面白いなあ。三〇〇〇障害、ぜんぜん意味がわからない、正気の沙汰でない!と思ってたけど、由来が分かるととつぜん好ましくなった。
そして今日の目玉は男子棒高跳び決勝。私の幼少期、男子の世界記録を三十数回更新した伝説の選手セルゲイ・ブブカが現役を引退した。十代のころは女子の世界記録を、やっぱり三十回くらい更新したエレーナ・イシンバエワの全盛期だった。数年ごとに違う人が記録を更新する百メートル走に対して、棒高跳びは、一人の超人の王朝が長く続く、というイメージがある。それで今はスウェーデンのデュプランティスさんの時代。今日もほかの選手が失敗したりバーを揺らしながらギリギリで跳びこえた高さを、涼しい顔で、それもバーより遥かに高いところでやっつけていた。そしてギリシャのカラリス選手との一騎討ちをわりに呆気なく制する。フィールド競技は、順位が決まったあとも試技がある(こともある)、のが面白いところだ。ウイニングランというか、満場の祝福ムードのなかでプレーできる。中でも走り高跳びと棒高跳びは、試技の前に、これを成功すれば世界記録だ、というのがわかる。祝福と同時に、記録の更新を期待する雰囲気。そんななかデュプランティスさんは、優勝を争っていた高さから一気に二十センチくらい上げて、自分の世界記録より一センチ高い六メートル三十センチに設定した。最初の二度は落としたものの、三度目で、バーを揺らしながらも成功! いいもん観ました。
9月16日(火)曇。振り返ってみれば昨日はほぼ一日中、ベッドでスポーツを観ていた。それで今日は腰痛がひどく、とてもつらい。それでも朝からジョグ、今日は十分間のラン。
シャワーを浴びて十時前に散歩、スーパーやドラッグストア、郵便局を回って、帰宅したころには腰痛に加えてなかなかタフな頭痛もはじまっていた。薬を飲んで安静にしつつ、無理のない範囲内で作業も。
晩めしはタコライス。昨日のホワイトカレーといっしょに食いつつ、今日も世界陸上をダラダラ流す。男子百十メートルハードルの決勝では、五位に終わった村竹ラシッド選手がレース後のインタビューで号泣していた。メダルを獲るためにパリ五輪からの一年間必死で練習してきた、しかしわずか百分の六秒の僅差で届かなかった。村竹さんは、何が足りなかったんだろう、何が間違ってたんだろう、という自責的な言葉を口にしていた。観てる私たちとしては当然、何も間違ってないよ、と言ってあげたい、がしかし、それは同時に、単純に力が足りなかったのだ、という意味も持ってしまう。難しいよなあ。世界陸上で五位というのもすさまじい成績なのだけど。インタビュアーが彼の肩に手を置いて、村竹選手は日本の宝です、と声をかけていた。
9月17日(水)晴。暑い。一日作業、夜は今日も世界陸上。
9月18日(木)曇。朝の散歩中、ふと思い立ってお高いパン屋に向かった、ら、すさまじい行列ができている。開店二、三分前で、ざっと五十人くらいは並んでいた。何周年かの記念で、全品半額になってるそう。めしは行列の長さに比例して不味くなる派の人間なので、私は並ばず。気温も湿度も妙に高く、汗だくになって帰った。
昼まで作業をやって、午後一時にジョグに出。三キロ半、たいへんにキツかったです。腰痛がまだ治りきっておらず、フォームが歪んでいたのかもしれない、し、暑さや湿気にやられたのかも。中盤からはかなり息苦しかった。
シャワーを浴び、即洗濯して午後の作業。へたばっているので強度上げられず。運動と作業のバランスはもっと適正にしたいところだ。
晩めしにカップ麺を食いながら世界陸上を観。中島佑気ジョセフさん、男子四百メートル走で六位入賞。走りもすごいけどインタビューが良い。レースの直後なのに冷静で、まとまった文章。定型文ではなく頭のなかで文章を練りながら喋っている、のに、「あー」とか「えー」とか言わない。知性を感じたです。
今日も最後までダラダラ流し観、終わったあとは日記を書いたり家事をやったり。休憩中にちょこちょこ読んでた村上春樹『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』(朝日新聞社)を今日の昼に読了した、ので、続篇の『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』を起読。しかしこのタイトル、あまりに長くて、二つも書き写すとそれだけでぜえはあしちゃいますね。このシリーズはもう一冊、『「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』もあります。ぜえはあ……。
そういえば、街に帰ってきてカートと別れたマークが、家に向かう車のなかで流していたラジオでは、住宅費や医療費、光熱費の高騰を報じている。〈将来の不透明さと── 現状の不安が このムードを生み出している〉。そしてラジオは、〈今週の政府の報道写真を みてみよう テキサスで休暇中も 仕事をしている写真だ〉と続ける。
作中の時代がいつかはわからないけど、原作は二〇〇四年、映画は二〇〇六年で、いずれも共和党のブッシュ・ジュニアが大統領だった。そしてちょっと検索してみると二〇〇二年の、深刻な不況のなかブッシュが四週間もの長期休暇を取ることを批判する記事が出てきた。
もし帰路でマークが聴いてるのが、前日も流してたリベラル系のラジオ局だとしたら、いまの政権のままでは暮らしが苦しくなる、とリスナーを脅している、ということかもしれない。いい歳してふらふらヒッピーをやっているカートと、これから子供が生まれ、生活費が増えるだろうマークでは、蒙る影響の大きさも違うだろう。このへんをしかし、あんまり大声で言うのではなく、カーラジオで──カーラジオの政治ニュースなんて聞き流す以外にない──そっと描写する、というのがニクいですね。
9月19日(金)曇。今日も起床即ジョグ、十二分のラン。いつもとは違うコースを、かなりのハイペースで走った。シャワーを浴び、急いで髪を乾かして外出、接骨院へ。
治療を受けていると、近所の小学校の子供たちが社会科見学にやって来た。私はカーテンのなかにいたので姿は見えなかったが、たぶん子供が四、五人と、引率の先生が一人。代表の子が、事前に念入りに練習してきたのがよく分かる過剰にハキハキした口調で学校名、学年(二年生だそう)、クラスを、そのあと各自が名を名乗り、よろしくお願いします、とみんなで声を合わせる。それから窓口のおねいさんにいくつか質問。
ここは何をする場所ですか?
ここはね、身体の具合が悪い人に治療をする場所です。治療って分かるかな、身体が良くなるののお手伝い。
一日にどのくらいのお客さんが来ますか?
治療院なので、ここではお客さんではなく、患者さんって言います。そうねえ、だいたい三十人前後かな。多いときは一日に四十人くらい。
その答えを聞いて子供らが囁き合う。
前後ってなに? だいたいそのくらいってことだよ。じゃあ三十って書く? でも四十人くらい来ることもあるんでしょ。じゃあ三十から四十。それだと〈前後〉の〈前〉が入らないじゃん。じゃあ何て書くの。三十前後から四十。なんか言いかた変じゃない? じゃあ間を取って三十五! 三十五なんてひと言も言ってないでしょ。
四十人も来ることなんて滅多にないから、だいたい三十人くらいです。
見かねたおねいさんが言って、子供らも、三十くらい、三十くらい、と口々に繰り返した。
それから先生が何か囁きかけて、それを復唱するように代表の子が質問する。
じゃあ、ここにはどういう患者さんたちが来ますか?
患者さんは、病気をしたり怪我をしたりして、身体を治してる途中の人です。それと、大人になると仕事をするでしょう。仕事って疲れるの、ほんとに。疲れてると、腰が痛くなったり肩が凝ったりしちゃうんだ。そういう、病気や怪我、毎日の疲れ、で身体が辛い人が来ます。
でも疲れてても、寝て起きたら元気になれるよ。大人はそうじゃないの?
変なこと言わないの、と先生が窘めるが、おねいさんはちょっと苦笑するような声を出して答える。
大人はねえ、なれないの。みんなも大人になったらわかるよ。もうね、ずうーっと疲れてるから。
今も?
今もヘトヘトだよお。
おねいさんがおどけた声で言い、子供らはケラケラ笑った。朝起きたときから疲れ切っている、という状態を、彼らは想像もできないのだな。うらやましい、と思ったが、私も彼らの歳のころはそうだったか。
子供らは治療スペースに移動して、超音波治療、電気治療、赤外線の温熱機、の体験をはじめた。彼らはアニメやゲームの、電流攻撃を受けた人が悲鳴を上げ、骨まで見えたり黒焦げになったりして卒倒、痙攣しながらぷすぷす煙を上げる、みたいな表現を真に受けていて、電気を受けてみたい人いる?という質問に、えっでも骨になっちゃうよ、とみんな尻込みしていた。ぜんぜん痛くないよ、ちょっとぴくぴくするくらい、とおねいさんは言っていた、が、誰も名乗り出ない。しかし代表の子が、ぼくは男だから痛くても我慢できるんだ!と自分を鼓舞するように言った。今の小学生もそういう、男らしさ、みたいな発言をするんだなあ。
鍼の日は運動はひかえめに、と言われているので、そのあとはジョグはせず、もくもく作業。あんまり食欲がないので晩めしは白米とコンビニのフライドチキンで済ませ、そのあとは脳がしおしおになるまで読書読書。最後にTVerで世界陸上の男女二百メートル決勝だけ観、疲労と満腹で何も考えられず、日付が変わるころにパタリと寝。
9月20日(土)曇時々雨。将来に対するすさまじく悲観的な思考に囚われて真夜中に二、三度目が覚めた、が、覚醒まで至らずまた寝。朝は八時すぎに起きた。あの絶望感はなんだったのか、と、ぐっすり寝て起きてしまえば、その由来する見通しの不確かさは変わらないものの、あそこまで世をはかなむ必然性が思い出せない。起きたあとは一日作業、夜に世界陸上。
9月21日(日)曇、夜に豪雨。起床即二十分ほど走る。そのあと一時間散歩して、また二十分のジョグ。二度のジョグで六キロ走り、かなりの距離を歩いた、がまだ十二時すぎ。
午後はずっと読書。晩めしはまた、長谷川あかりレシピの黒胡椒唐揚げにした。黒胡椒、ちょっと多めに入れたつもりだったのだけど、さらにもうひと声、くらいでも良かったかも。
食いながら世界陸上。最終日なので決勝戦が多い。女子八百メートル、男子五千メートル、そして男女のリレー四種。なかなか盛り上がりました。しかしちょっと、午前の運動量がすごかったので、終盤はかなり眠くなっていた。
これで今年の世界陸上はおしまい。近所を数キロ走ってるだけ、とはいえ、陸上競技の当事者、みたいな気持ちで観られた。陸上部員だった中学生のころ、二〇〇三年のフランス大会以来だ。楽しかったな。
9月22日(月)曇のち晴。一日作業、昼に五キロ、夜に二キロ。九月の下旬にもなるとさすがに夜は冷え冷えとして、走ると感じる風が気持ち良かったな。
晩めしは実家から届いたルーでシチューを、と思ったら、ストックのにんじんがシワシワになっている……、ので、にんじんがなくてもあんまり違和感のなさそうなホワイトカレーを、これも実家から届いたルーで。とにかくたくさん届いたのだ。長谷川あかりレシピのサンマの酒蒸し(洋風)も作る。食いながらバスケを一試合。
『オールド・ジョイ』、子供ができて、政治ラジオも聴いて、もう三十代の大人として振る舞おうとしているマークと、ヒッピーとして、定住もせずマリファナ吸って、夜間学校の物理の講師よりおれのほうが理解が上だ、みたいな現実を見てないことを口にするカート、が対比的に描かれている。
でもすべてが変わってしまったわけではない。車を停め、温泉に向かって川を遡る途中、二人はちょっと立ち止まってルーシーと遊ぶ。ルーシーが咥えてきた棒をカートが引っ張ったり、マークが何か指示するようにあっちを指さしたり。そのときの二人の表情は、遠くから撮られた映像ではよく分からない。カートはちょっと真顔にも見える。このときの二人はなんとなく、今のすれ違いも、もしかしたら演技も忘れて、かつてのガキのころに戻っているような気がした。
9月23日(火)雲の多い晴。起きてすぐ、ようやく目が開いてきた、くらいのタイミングでジョグに出る。十五分、二キロ半。陽射しもあってけっこう暑かった、が、今日も気持ち良く走れた。最初から十五分と決めてたので、ペースもほどよく上げられた感じ。
昼すぎにもジョグ。今度は三十五分半、六キロ。一キロあたり五分五十三秒、良いペースで走れた。一筆書きというか、同じ道を二度通らずに走れたのも良かったな。
夜七時ごろまた走りに出。近所の住宅街を行き来して、市ヶ谷方面の坂を駆けくだる。二キロ半ちょい。涼しかった、が、三部練はさすがにちょっとキツかったな……。
読書を挟んで三度のジョグ、合計十キロ超。疲れ切りました。
9月24日(水)晴。起きてすぐ、あちこちの関節を動かして身体の状態を確かめた、が、昨日の疲労が疲労のまま残っているような……。
それでも今日も一時すぎにジョグに出。最近、それなりの距離を走れるようになってきた。それで、ここを走ればちょうど何キロ、みたいなルートを探している。今日は急坂のある道だったが、ちょうど二キロだった。くたびれ果てた三十男になっちまったにもかかわらず、熱烈なティーンの運動部員だった中高生のころと同じ強度でジョグをしようとしてへたばる、というのを、去年の秋に走りはじめてからたびたびやっていたのだが、最近、当時の強度で走っても、二キロくらいならどうにかこうにか、余力をもって走りきれるようになってきた。
今日は作業をしつつ、休憩時間にGAMEBOYZ『ハイウェイ・オアシス』を一篇ずつ読んでいた。たぶん私と同世代の著者のエッセイ集。基本的にはネットのブログ的なユーモラスさ(と思うのは初出がはてなブログだからかもしれませんが)で、そのユーモアは主に自虐とギャグによって構成されている、のだけど、両者のバランスが良いので、いたたまれなくも鬱陶しくもならずに楽しめた。父の死を綴った「父のこと」みたいな、静かに悲しい章もある。夫を亡くした母に友人がかけた言葉は沁みたです。
数十分おきに十数ページずつ、という読みかたをしたのだけど、頻繁に子供時代のことが思い出されている、という印象を持った。たぶん思考が過去を向いているというか、何かの出来事を前にしながら、大人になった現在の経験を書きながら、それによく似た幼少期──目にするすべてが自分にとってはじめてのことだったころの感情を引っぱり出し、あてがってみる。そういう思考を私もけっこうするのだ。
私事で恐縮ですが、29歳彼氏いない歴イコール年齢処女、ボクシングのプロテストに合格し、プロボクサーになりました。
P.42
というのが「自分が人生の主人公になることなんて一生ないと思ってた」という一篇の書き出しなのだが、この書き手は本書のなかで、自分が処女であることを書き、その後のファーストキスやはじめてのセックスの経緯まですべて書いている。しかしなんでこの人は、こんなにぜんぶ書くんだろう……、と考え込んでしまったな。
夜七時ごろジョグ、二マイル。退勤時間ラッシュは過ぎてたがやや混んでいた。まあまあ良いペースで走って、今日は合計七キロ弱。
もらいもののうどんつゆがあったので、買い置きの半生麺を茹でる。朝買ってきた大量の天ぷらと、茹でといたほうれん草を乗っけて。具だくさんでたいへんに良かった。食いながらバスケを一試合。
9月25日(木)晴、夜に微雨。一日作業、ジョグは一度。
晩めしを食いつつ、ポール・シュレイダーの映画"Mishima: a Life in Four Chapters"を観。日本では公開もディスク化もされてないけど、北米版のブルーレイを買ったのだ。一九七〇年十一月二十五日の三島の一日をドキュメンタリータッチで辿りつつ、三島原作の短篇ドラマ(『金閣寺』『鏡子の家』『奔馬』)、幼少期からの人生のダイジェストのようなモノクロ映像、が挟み込まれる。それは、彼がフィクション作品(『仮面の告白』だけでなく)に人生を投影したのだ、と指摘する試みでもあるかもしれない。私としては、そこまでシンプルに著者と作中人物を結びつけるのはあんまり好きじゃない、が、映画としてたいへん面白かった。場面と場面のつなぎも鮮やかだったな。
しかし何より良かったのはドラマパートの、石岡瑛子のデザインしたセットです。とりわけ『鏡子の家』の章。映像特典で本人も、その章の舞台の評価がいちばん高かった、と言っていた。単なる背景ではなく、それ自体がひとつの登場人物のように俳優たちに対峙する、そうすることで両者の間にスパークが起きることを企図して作った、とも。いい言葉だった。私もそういう意識で地の文を書きたいんだ。
9月26日(金)晴、暑い。今日はジョグは朝だけ、五分間をかなりのハイペースで走った。シャワーを浴びて区役所の出張所へ。マイナンバーカードの更新をするのだ。電子証明書の暗証番号を忘れてしまったので、再設定も。平日の午前中で空いており、十五分ほどですべての手続きを終えた。
夜、カップ麺など食いつつ、U-NEXTで豊島圭介監督『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観。討論の記録は学部生のころ文庫で読んだし、そのなかで、現在の人権意識ではNGな表現が〈(中略)〉にされてたところも全集で確認した。しかしそれも十数年前なのでほとんど憶えてないな。興味深い映画でした。
討論は、テキストで読んだ印象より和気あいあいというか、互いへのリスペクトが保たれ、ジョークや笑いもあった。議論がすれ違ってたり、観念的な思考に流れすぎる場面も多々ありましたが……。全共闘のなかでいちばん弁が立つらしい芥正彦が赤ん坊を抱いていたのも、ちょっとホンワカした雰囲気をつくっていたような。赤ん坊のこと、本に書いてたっけな、憶えてない。しかし芥をはじめ、現在の全共闘や楯の会のメンバー(七十歳くらい!)へのインタビューとかも、三つ子の魂百までというか、人生のピークだったあのころを忘れられずに生きてきたのがよくわかって趣深かった。
全体に、三島のほうが討論を主導しているし、論破、ではないにせよ、彼の意図した方向に議論が進んでいる、という印象を受けた。たぶんそういう印象を与えるよう企図して編集したのだろう。たとえば、映画の中盤で、「観念的こじつけじゃないか! 俺は三島をぶん殴る会があるというから来たんだよ!」という野次が飛んだことが紹介される。芥は、そんな遠くで言ってんじゃなくて前に出てきて殴れよ、と怒鳴り、三島も肩を揺らして笑う。その呼びかけに応じて出てきた学生はしかし、「(おれと三島の)どっち殴んの」という芥の問いかけに、「おめえじゃねえよ」と笑って、マイクを受け取ってひとしきりしゃべる。途中、芥が目の前でふざけたポーズを取って挑発してみせるが、演説を終えるまで殴りかかる素振りすらせず、マイクを返して席に戻っていった。三島が〈行動〉の人として死んだことを知ってる者にとっては、けっきょく誰も殴らずに引っこんだこの学生は(挑発されたとはいえ、千人の聴衆の前で討論に立つ、というのがすでにけっこうな胆力を必要とする行為ではあるにせよ)ちょっとへなちょこに見えてしまう。
三島の天皇論、のことがやっぱり印象に残る。三島にとって天皇は、日本の歴史と文化と伝統の中心をなす存在であり、神道の祭祀を司る存在でもある。語りのなかでは、天皇や皇族個人の意志、にいっさい言及していなかったし、世襲によって、つまり天皇になるかならないかの選択の余地が与えられないことも、問題視はしていないようだった。そのへん、天皇が人間ではなく現人神だったころに人格形成期を過ごした、二・二六事件で決起した将校や神風特攻隊員の霊が〈などてすめろぎは人間となりたまひし〉と恨み言を並べる小説を書いた人らしくはある。女性(女系)天皇についてはこの映画のなかでは何も言ってなかったし、三島がどこかで言及してるのを読んだ記憶もないけど、いまでも神道の伝統を理由に女性が大相撲の土俵に上がることを許されないのと考え合わせても、あれだけマッチョな価値観の人間が、国家の象徴として女性を戴くのを良しとしたとはあんまり思えないな。
三島は、学習院を首席で卒業したとき、昭和天皇に恩賜の金時計を拝受された、という経験を語っている。
ひとつ個人的な感想を聞いてください。というのはだね、ぼくらはつまり、戦争中に生れた人間でね。こういうところ(三島は千人入る大講堂の壇上で話している)に陛下が立ってて、まあ座っておられたが、三時間全然微動もしない姿を見ている。とにかく三時間、全然木像のごとく微動もしない、卒業式で。そういう天皇から私は時計をもらった。
そういうね、つまり個人的な恩顧があるんだな。こんなこと言いたくないよ、おれは。言いたくないけれどもだね、人間の個人的な歴史の中でそんなことがあるんだ。そして、それがどうしても否定できないんだ、おれの中でね。それはとても立派だった、そのときの天皇は。
この経験についてはほかの場所でも読んだ記憶があるし、彼にとってはきわめて大きな出来事だったのだろう。冷徹なロジックだけでなく、こういう、ひたすらにパーソナルな体験によっても人の思想はかたちづくられる、ということだ。この、ロジックとパッション(というのも三島的な二元論ですが)のわかちがたい共存、が彼の魅力なんだろう。しかしやっぱり──こんなこと言ったら揚げ足を取られる、と本人も冗談交じりに言ってたけど──三時間微動だにしないのはすげえ、というのは、相手を神さまなんかじゃなく、人間だと認めていなければできない尊敬のしかたに思える。
などと考えながらWikipediaを見ると、記録によれば三島が学習院を卒業した年度の卒業式に臨席したのは天皇ではなく、天皇の妻の兄である久邇宮朝融王である、とのこと。三島の天皇観の根底にある記憶がそもそも間違っている、というのは面白い。もちろん、天皇であれ朝融王であれ、壇上で三時間微動だにしない、というのは、〈立派〉なことに変わりはない。
9月27日(土)晴。グッスリ寝て起き、まだ頭がボンヤリしてるうちに、身体をだまし討ちするような気持ちでジョグに出る。二十五分走ってマンションに戻ると四キロ弱だった、ので、せっかくだから五キロに乗せようとまた走り出し、住宅街を一ブロック。そのあとぷらぷら歩いて、開店直前のコーヒー屋さんを覗いてたら店主のおじさんが手招きしてくれた、のでテイクアウトして帰った。
シャワーを浴びて散歩に出、惣菜を買ってきてパクパク食う。
そこまでやってもまだ午前! 朝から走ると、晴れてる日は陽射しに難儀するけど、一日が長い感じがしていいな。
二時半ごろまで軽めの作業をして、そのあとは読書読書。ステファニー・E・ジョーンズ=ロジャーズ『みんな彼女のモノだった 奴隷所有者としてのアメリカ南部白人女性の実態』(落合明子・白川恵子訳、明石書店)を進読。奴隷だった経験をもつ人たちのインタビュー調査、をもとにした本。奴隷を(暴力的に)使役していたのは白人男性ばかりだった、という定説や先入観が覆される。
こうした女性たちの多くは、まだ幼女か少女であった時から、奴隷身分の人々を相続していた。奴隷所有者の親族は、身内の女性が結婚する際に、結婚祝いとして奴隷を贈った。女性にとって結婚が「市民としての社会的な死」と同義であり、女性はその運命に身を任せ、耐えるしかなかったと歴史家が主張する時代にあって、こうした花嫁への贈与は、女性による奴隷制への経済投資を増大させる一助となった。数多の研究が、奴隷制度を擁した南部の既婚女性たちの生活を記録してきた。彼女たちは、確かに、夫による妻の庇護の法理に縛られていた。しかし、一部の妻たちは、庇護の制約を回避する方法を見出した。少女時代から培ってきた支配力を放棄するなど、そう安々とできるはずはない。これらの女性にとって、結婚は市民としての死を意味しなかった。むしろ彼女たちにとっての結婚とは、少女時代から学んできた奴隷の管理と規律の方法を戦略的に実践し、奴隷身分の者たちに対する支配力を強化しうる、人生における重大な転換点だったのである。
P.66-67
夫に抑圧されていた女性たちにとって、数少ない、自分の思い通りにできる存在、が奴隷たちだった。抑圧の連鎖の最底辺にいる者としての奴隷。
夕方までに半分くらい読んで本を閉じ、銭湯に行く。前回は入浴だけだったのだが、今日はサウナも。しかし、入浴だけだと五百五十円(公定料金)、サウナもつけると千円超え、というのはなかなか高額で、毎日は無理だな。
券売機は〈男性サウナ混雑中〉の紙が貼ってあったとおり、なかなか混んでいた。とはいえ、洗い場が埋まるほどではなし。浴槽はそれほど広くないので、周りの人に気を遣いながら入る感じ。何も考えずに入ったところが電気風呂で、全身が痺れて動けなくなった、が、数秒で放電が止まったので逃げ出せた。そのあと、サウナ→水風呂→露天スペースで呆然、というのを三セット。サウナは九十二度、水風呂は二十四度、わりにマイルドな設定で、数年ぶりの身にはちょうどいい。露店スペースには椅子とかもなく、壁にもたれて床に座ってたのだけど、三セット目で意識が遠のきそうになって、気がつくと大気圏を突破して火星に到達していた。全身に浮遊感があり、風呂に浸かってる人とかが、どうやら重力に縛られてるようなのがなんだか理解できない気持ち。ととのった!
数分で地球に帰還したので洗い場に戻り、ザッと全身を流して出た。たいへん気持ち良かったな。ゴキゲンになって帰路をズンズン歩き、ラーメンを食って帰宅。
そのあとももくもく『みんな彼女のモノだった』を進読。読みながら、サウナの効果でずっと身体が気持ち良い。マークとカートもあの夜はよく眠れたのかな、とふと本を閉じて思う。きっとマークは、出迎えたターニャがなぜ不機嫌になってるのか(不機嫌になってる、と私は確信してるのですが)もよく分からず、ぐっすり寝ただろう。カートは寝られなかったかもな。言えなかったこと、言うべきじゃなかったこと、をぐるぐる考えてしまって、暗いベッドのなかでずっと目を開けていたんじゃないか。
「あなたは大丈夫よ。悲しみは使い古した喜びなのよ」という台詞が、いっこうに眠気の訪れない頭をまたよぎっただろう。カートはそのフレーズを、英語ではこう言っていた(私のささやかなリスニング力で聞きとったもの、なので、もしかしたら間違ってるかも)。
It's okay, you're okay. Sorrow is nothing but worn out joy.
sorrowには〈悲しみ〉だけでなく、〈後悔〉や〈惜別〉の意味もある。つまりこの語は記憶にかかっている。worn outは着古してすり切れた衣類を形容する言葉で、疲れ切った、みたいな意味でも使われる。ここで語られているのは、いまのあなたが、過去に囚われてもの悲しさに囚われているのは、かつて良い時間を過ごせたことがあるからだ、ということだ。だから悲観することはない、と。
私が訳すなら(映画字幕という文字数に制限のある場でなければ)、〈大丈夫、大丈夫。後悔ってのはつまり、着古した喜びでしかないんだよ〉とかにするかしら。映画字幕のセオリーとして、発言者の性別がわかりやすいように、いまだに女性は〈なのよ〉式の言葉遣いをすることになっている。でも、ここはいったんカートの身体のなかを通ってきた言葉なので、カートの声で語らせたいんですよね。だから私が訳すなら、カートと同じ口調にする、と思う。
9月28日(日)曇。グッスリ寝、起きたときにはもう陽射しが強くなっていた、ので朝のジョグはなし。夜に走った。
引き続き『みんな彼女のモノだった』。乳母奴隷についての章が興味深い。その名の通り、白人の女主人が産んだ子に母乳を与える黒人奴隷、のことなのだけど、そもそも白人たちは、人種的に劣っていると見なしていた、というか人間ではなく動物のように扱っていた黒人たちの母乳を自分の子に与えるのを、どんなロジックで自分に許していたのか。本書によると、〈南部の白人女性の多くは虚弱体質で、授乳が難しかったり、そもそも十分な母乳が出なかったりした。彼女たちはこうした事情から、嫌悪感はあったものの、乳母の利用は不可欠だと判断した。〉(P.184)という。背に腹は代えられん、ということなのだろう。
乳母奴隷の売買や賃貸のビジネスも盛んだった。母乳は基本的に出産しないと出ないものだから、乳母奴隷になるのは新生児の母ばかりなのだけど、母乳だけが必要な奴隷所有者にとっては、すぐに労働力にならない赤ん坊を買うメリットは小さい。それで出産直後の母子を引き離すことが横行したり、乳幼児を亡くした母親奴隷が歓迎されたりしている。〈健康で、若く、真面目な女で、乳の出がよく、子供を亡くした〉(P.204)という広告の文句のおぞましさよ。
子供といっしょに買われたり、所有している奴隷が女主人と同時期に子を産んだ場合(子を産ませるために、夫でもない男性奴隷とのセックスを強要されることも多かった)でも、乳母奴隷は、自分の子より主人の子の世話や授乳を優先させられた。著者はこの点をきびしく指摘する。
一般的な定義では、母親による暴力とは、母親が自分の子供に対して振るう暴力行為とされている。しかし、ここでは奴隷制度を考慮し、別の定義を提示したい。白人の母親は、隷属に処した女性の身体、労働、労働の産物を全て商品として扱った。その結果、女性奴隷たちが果たそうとした母親としての役割に対して、暴力を振るったと言える。こうした暴力は、奴隷制度と奴隷市場が存在したからこそ行使できた。白人の母親は、乳母奴隷自身の子供よりも自分の乳幼児の栄養的な必要性を優先し、母親奴隷を子供から引き離した。加えて、乳母奴隷が自分の乳児と母性的な絆を結んだり、必要な栄養を与えたりする行為をしばしば妨害し、彼女たちの生存に不可欠であった共同体や親族のネットワークからも距離を置かせた。
P.206
母親による暴力、の新しい定義。副題でもある〈奴隷所有者としてのアメリカ南部白人女性の実態〉を語るうえで、この指摘はたいへん重要だし、当時は子育てにほとんどコミットしないのが当然だっただろう男性(の奴隷所有者)だけを対象にした研究では出てきづらい視点だと思う。
9月29日(月)曇。午後一時すぎ、ジョグに出。低気圧なのかコーヒーの飲みすぎか、あまり元気なではなかった、のだが、エイヤッと遠回りのルートに向かう。四十八分で七・八キロ。へたばった。ウェアが汗で重くなってるのを剝がすように脱いでシャワーを浴び、秘蔵のドクターペッパーも飲んじゃう。
一日をやって退勤後、『みんな彼女のモノだった』を読了。
南部白人女性が奴隷制度の擁護や維持で果たした役割は、白人至上主義と抑圧という、より大きな歴史の一部をなしている。そして、その歴史上、一貫して、彼女たちは消極的な傍観者などではなく、共犯者であった。
P.329
奴隷制時代のアメリカを対象とした本書は、その後の人種隔離政策やKKKの活動など、黒人差別の歴史への言及で閉じられる。訳者あとがきによると、著者のジョーンズ=ロジャーズも黒人女性であるらしい。そして謝辞によると、著者の祖父母は高校に通ったことがなく、母親は高校在学中に(著者の姉を)妊娠し、シングルマザーとして子育てをした。著者自身も十代で母親になり、生活保護やフードスタンプに頼りつつ、家賃が払えずにアパートを追い出されたりもした苦しい暮らしをしていた。それでも、赤ん坊を連れて授業に出席し、数十万ドルの学生ローンを抱えながら大学院で研究を続け、本書のもとになる博士論文を書いた。すごい人だ。
脳がしおしおになってきた、ので、日付が変わるちょっと前にジョグに出。二十分。昼にかなりタフなランをしたわりに、気持ち良く走れました。いい汗をかいた。家に着くころにはもう日付が変わっている。
9月30日(火)曇。一日作業。昼は六キロ、夜は五キロ。二日連続で二桁キロ。よくバンバりました。
10月1日(水)雨。身体の回復が追いついてない感じがする、が、グッスリ寝られたので、低気圧のわりに気分は元気。
昼のジョグでは、五キロだけ走って最速ペースを目指すことにした。身体を動かしてていちばんストレスの少ないペース、よりワンランク高い強度を意識しつつ。五キロを二十八分四秒でフィニッシュ。このペースで四十二・一九五キロ走ったら三時間五十七分弱、サブフォー!となったがしかし、私は五キロでへろへろなのでまだ無理だ。
午後、Twitterを見ていて、今月末からはじまる東京国際映画祭で、私がこないだブルーレイを買って観たMishima: a Life in Four Chaptersが日本初上映されるのを知る。そんならブルーレイ買わんでもよかったかな……と思ったが、映像特典がめちゃ興味深かったのでいいか。
10月2日(木)晴。午前の作業は微捗りといったところ。寝不足のせいもあって、いまいち頭が回らない。気がくさくさしてきた、のでジョグに出。午後一時すぎ。
昨日は五キロ最速を目指して走った、ので、今日は十キロ走破を目指すことにした。走りながら、『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」』の一節を思い出す。
それから僕は、嫌なことがあったときなんか、よく走ります。なにかで頭に来たときは、いつもより一キロくらい余分に走ってしまうと、わりにすっきりする。経験的に言って、「腹が立ったときは自分の身体にあたる」というのがいちばん精神衛生上いいみたいです。身体もそのぶん丈夫になるし。
P.16
捗らないときは走るに限る。走ることは自分との対話でもあるので、頭ん中の整理にもいいでしょう、ということで、昨日とは逆に、身体を動かしてていちばんストレスの少ないペース、よりワンランク強度を下げて走る。十・〇八キロ。
運動部員だった高校生のころも、自主練というか、朝早く起きてロードワークをしてたけど、そのときも十キロなんて走ってなかった気がする。中学のころには、家からコープさんまで走り、上の階に入ってた古書店で百円の文庫を一冊買って走って帰る、というのもやってたな、と思い出したが、そのコースも往復で五キロ半といったところ。三十五歳も終わり間際にして、過去最長のロードワークをやってしまったな。
小学生のころ、家に冨樫義博『レベルE』(全三巻、集英社)の一巻だけがあった。コープさんの古書店でも鳥取駅南のブックオフでも二、三巻は見つからず、一巻を繰り返し読んで、いくつかの台詞や言い回しを日常生活で使ってみたり、登場人物の仕草を真似したりもしていた。
その第一巻の第一話、視点人物の男子高校生・筒井雪隆が、マンションの隣室に暮らす同級生・江戸川美歩と、朝のロードワーク中にばったり出会う、というシーンがある。
美歩「あ 筒井くん おはよぉ 早いね」
雪隆「お早う ジョギング?」
美歩「毎日10kmくらい 走らないと 調子悪くて」
雪隆「すげーな オレでも 5kmだぜ」
P.44
雪隆は補欠だったとはいえ〈中学野球で 日本一になった人〉(P.10)だという(大学生になってから札幌の、今はもうない北二十条のブックオフで二、三巻を買ってから知ったのだけど、雪隆はこの一年後、甲子園の山形県予選決勝に進出するチームのスタメンを張ることになる)。美歩が何かのスポーツをやってるのか、何のために走ってるのか、は分からない(どこかで言及されてたかもしれないけど憶えてない)が、とにかくそんなアスリートの倍の距離を毎日走っている、走らないと調子が悪い、というのは、たしかに〈すげー〉ことだ、と思って印象に残っている。
その距離を私も走った。村上が書いていたように、気がくさくさしたら〈自分の身体にあたる〉の、気持ちが良かったな。しかしどうも疲れ切ってしまい、午後の作業はいまいち捗らなかった。美歩はすごいな……。
夕方、退勤後にふと思い立ってTwitterのスペースをやる。八月ごろ、何かこうしゃべり仕事をやってみたい、と思い立ったのを、はじめて十キロ走って気が大きくなり、試してみた。十キロ走った話、東京国際映画祭の、というかMishima: a Life in Four Chaptersの話。十五分くらいしゃべったのだが、終わったあと、自分が何を話したのかぜんぜん憶えていなかった。人と電話でおしゃべりしたときとかもこうなるんだよな。
それですぐに聴きなおす。しかしどうもトークの技術が低い。頭に浮かんだ順に口に出すから、まとまった構文でしゃべれていない。中島佑気ジョセフさんのしゃべりはほんとうに良かったな……。
聴きなおしながら、アーこの話題ならあのことも話せたな、というのがいくつも出てきた。石岡瑛子の話も、"Mishima"の映像特典は英語のインタビューだった、と言ってるけど、じっさいには日本語ですね。スミマセン。
こういう話をするべきだった、これはあんまり必要のない脱線だった、とうだうだ悩んじゃう、というのを最近考えたな、と思って日記を読み返すと、『オールド・ジョイ』のカートが、キャンプの翌日マークと別れ、街をうろつき回るうちに映画が終わったあと、家に帰って寝床に横たわったとききっと、ぐるぐる考えてしまって寝られないだろう、と書いていた。実際には映画で描かれていなかった場面だ、が、私はなんだか、真っ暗な天井を見上げるカートの横顔を観たような気がしている。
ふと思い立って、海外の古書通販サイトで、『オールド・ジョイ』の原作が収録されているJonathan Raymond "Livability" (Bloomsbury)を注文する。読んだら訳してみようかな。
いい映画だった、としみじみと思い返しながら、たびたび『オールド・ジョイ』のことを考えながら九月を過ごした。しかしたぶん、この感情もいずれはworn outしてしまうのかもしれない。でもそれは、べつにネガティヴなことではない、と思う。すり切れるほど大切にしたい記憶があるのは幸せなことだ。
そういえば、カートは温泉で話したエピソードを、昨日日記用のノートを買いに行ったとき、と語り出していた。あの一泊の旅の記憶を、彼はどんなふうに書いたのだろう。
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