順当にいけば親は子よりも早く死ぬ。親の手で育てられた子にとって、その死は大きな出来事だ。だから、主人公の生涯を追った小説では、両親(や祖父母)の死は重要なイベントとして描かれる。
私の両親は、高齢者、と呼ばれる年齢に数年前に達した。二月には父が肺炎をこじらせて入院した。人生の終盤に差しかかっている二人の姿を、遠くに住んでいる私が目にすることは滅多にない。長く元気でいてほしい、と思いつつ、両親が老い衰えていく道ゆきは、それを間近で目撃できないことは、私の人生のストーリーにおいていったいどういう意味をもつのか、ということを想像する。早く答え合わせをしたい、と思ってしまうこともある。きっと実際には、いま想像しているのとはまったく違うことを感じるのだろう。
『チボー家の人々』三巻は、第六部〈父の死〉の途中、「終焉」という節からはじまる。前巻の終盤から幾度も繰り返されてきた、父チボー氏の発作の様子がここでも描かれて、読者は、はやく終わらせてくれ、と、彼の死を望むような気分になってしまう。〈「(…)だが、もうひと息のしんぼうだ。ご臨終も遠くはあるまい」〉とドクトル・テリヴィエが言っていたとおり、治る見込みのない病者の死というのは、残される者にとっては解放でもある。
けっきょく、自身も医師である長男アントワーヌが父親の右腕に致死量の薬物を投与することで、その時が訪れた。
口は、ますます大きくあいていった。金歯がひとつきらりと光った。ほんのわずかの時が流れる。童貞セリーヌは動かなかった。やがて彼女は、病人の手首をはなし、アントワーヌのほうへ顔をあげた。口は、ひらいたままだった。すぐにアントワーヌはこごみこんだ。すでに心臓の鼓動が聞こえなかった。彼はいま、動かなくなったひたいの上に手のひらをのせた。そしてしずかに、親指の腹で、いまはされるがままになっているまぶたを片方ずつとじた。彼は、こうしてやさしくおさえていてやることによって、死者を安息の門に導くとでもいったように、そのまま手をひっこめなかった。そして、童貞セリーヌのほうを向きなおると、高すぎるほどの声で言った。
「ハンケチを……」
女中ふたりが、わっとばかりに泣きだした。
これが臨終の場面。私がこの記述を読むまでに、前巻ではじめてチボー氏の病が描かれているのを読んでから二ヶ月ほどが経っていた。健康だと思っていた人が死にいたるには短いが、その過程を小説の描写として読むには長い。その間ずっと本作を読んでいたわけではないにせよ、私はテリヴィエ医師の言う〈しんぼう〉をするようないたたまれない気持ちで、度重なるチボー氏の発作の描写を読んでいた。だから彼の死を読んで感じたのはまず安堵、そんなことを感じた自分への罪悪感と、すこし遅れて、時代も土地も違う赤の他人にそんな感情を与えたこの著者への感嘆の気持ちだった。
アントワーヌはその後、父の死の処理に追われる。遺言をもとに遺産を整理したり、父のもとで働いていた人たちの今後の世話をしたり、第七部〈一九一四年夏〉のなかでは、遺産をもとに自宅を研究所につくりかえ、助手も雇って、仕事を充実させていることも示される。ジャックもヨーロッパの各地を巡って社会主義運動に邁進している。兄弟は、すくなくとも表面上は、父の死の重力から解放されて、それぞれの人生を再開させているように見える。
本巻のなかでは、もう一人の父親の死も描かれている。かつてジャックと親密な関係にあった、第一部〈灰色のノート〉ではもう一人の主人公といってよかったダニエルの、浮気を繰り返してほとんど家にいなかった父ジェロームが、仕事がらみで多額の負債を背負わされ、滞在していたパリのホテルでピストル自殺を試みた。即死はせず、診察や手術を受けたものの、銃弾の摘出もできなかった。昏睡状態ではあったが妻や子の見舞いを受けた。最後の心の準備をできたことだけは、家族にとって幸運だっただろうか。
しかし、彼の臨終の瞬間は直接には描かれない。著者の筆は、ジェロームの病室から離れ、アントワーヌの恋人とのデートを描き、政治運動に戻ったジャックの様子を描く。そしてジャックがある朝、ふと思い立ってアントワーヌに電話をかける。
アントワーヌは、弟の声に驚いた。兄は、ジェロームが、三日にわたって生死の境を彷徨したのち、意識を回復することなしにゆうべ死んでいったことを教えてくれた。
静かに告げられる死。棺に打たれた真鍮の板には、ジェロームの生没年が彫られている。一八五七年に生まれて一九一四年に死んだ彼は五十七歳だった。五十七歳は、現代では死ぬのにあまりに若い。一九一四年のフランスではどうだっただろう。アントワーヌは研究所を訪ねてきたジャックに、〈「三十三歳……後世にのこるような仕事をしようと思ったら、いよいよ真剣にはじめなければ! なあ」〉と語りかけているが、アントワーヌも、いま三十四歳の私も、ジェロームの人生でいえばすでに後半に差しかかっている。そして私の両親は、とっくに彼の死の歳を超えている。鳥取と東京と、離れて暮らす私たちが会う機会は、たぶんもう、そう多くはないだろう。
父の入院の報せを受け取ったとき私は、父の死のことを思った。私の父方の家系は代々、肺を病んで死んでいる。私の父も、末息子である私が物心つくころから咳が増えた。無事回復して退院したとはいえ、七十代の父の肺が蒙ったダメージはたぶん小さくない。と、こう書いているうちにも何か、父の死について書くことで父の死を招き寄せてしまうのではないか、という恐怖を感じている。私は「日暮れの声」で、当時は存命だった祖母を投影した主人公の死を描いた。その小説が発表された数ヶ月後に祖母は死んだ。二つの出来事が近かったのは偶然に過ぎない、が、私は自分の文章が祖母の死を招き寄せてしまった気がしていて、そのことを主題に「鳥たちbirds」を書いた。小説を書くのはあくまでも、広大な余白に文章を一つ一つ設置していくことでしかないし、そうやってつくられた小説は、いかに実在の人物や事件をモデルにしていても、現実そのものではない。まして因果関係など。でも、人は何にでもストーリーを見出そうとしてしまう。だから私にとって、私の小説と祖母の死はもうはっきりした糸でむすばれてしまっている。
このことを私は日記やエッセイで繰り返し書いている。それでもこうして書いてしまうのだから、たぶん未だにこの問題は私にとって解決できておらず、いずれ再び何かのかたちで作品にしようとする。
ジェロームの死の翌日、ジャックはダニエルと街で会った。ダニエルは父の死を〈なんでもないことのように〉告げ、父の借金を返済するために自作の絵を売る、と言って、画商と待ち合わせているアトリエにジャックを誘った。〈「おれはおやじを憎んでいる。(…)だが、もしふたりのあいだに何かわかりあえることがあったとしたら、それは女、恋愛三昧、この二点をおいてほかにない……おそらくそれは、このおれというものが、おやじに似ているからのことだろう」〉とダニエルは言っていた。たとえろくでもないことであっても、死んだ父親との間に共通点を見出そうとするのは、無意識にであれ死者とのつながりを求めているのだろう。そうやって、自身に故人のかけらを見出すことで、死者とこれからも共にあれるような気がする。私が祖母の死について繰り返し書くのも、自分のなかに宿らせた祖母と会いたいのかもしれない。
画商と入れ違いでジャックはアトリエを出、運動に戻っていく。商談を終えたダニエルは、次の絵を描きはじめるだろう。父の死の直後にしか描けない絵であり、おそらく今後のダニエルの、画家としてのキャリアにおいて、繰り返し取り組むことになるモチーフだ。『チボー家の人々』は小説だから、私たちがその絵を見ることはない。
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