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黄色い本 2024.5.16~2024.7.12

5月16日(木)朝は雨、だんだん晴れる。午後散歩に出ると、近所の小学校の校庭でシャトルランをやっていた。私も毎年の体力テストでやらされていた。私はこういうのをムキになって頑張るタイプで、だいたい最後から三番目くらいに脱落したのだが、そのころにはもう、おれ以外のやつはとっとと諦めろ、みたいなことをいっしんに願いながら走っていた。早めにギブアップした人はもう、談笑しながら観戦の構えになっている。疲労困憊でフォームも滅茶苦茶な全力疾走をして、床に倒れこむようにして終わる。整列、という先生の号令に従って、息も絶え絶え這うように並び、一礼。

 と、一連の流れを思い出すと、全員がリタイアするまでやる、というのがこの競技の要点で、つまり、最後まで立っているのは先生だけなのだ。生徒を屈服させるツールのひとつ、と考えるのは、戦後の学校教育が軍隊の教練をモデルにしている、ということを知ったあとだからか、単に私がひねくれた大人になってしまったということかもしれない。

 帰宅したあとは資料読み。そればっかだと疲れてしまうので、溝口敦・鈴木智彦『職業としてのヤクザ』とかも。同書は対談本ではあるのだが、両者の知識と見解が一致しすぎている。

 

鈴木 博奕場では、金離れがよく、払いが綺麗だと男を上げました。そこでの所作が器量の証明になった。その名残だと思います。人気商売なので、裏の仕事は人気のある組織に集中する。こうした金は宣伝費のようなものです。

溝口 例えば、弘道会若頭の野内正博のエピソードとして、銀座のクラブでたった十分座って飲んで、金額が二十万円だとしたら三十万円多く払って、店の人が「親分、こんなにすみません」と礼を言ったら、「いや、わしらの仕事は金を使うことぐらいしかありません」と言う。今どき、そんな金遣いができるヤクザは日本全国に五人といないと思いますが。

鈴木 これも一種の自卑です。我々のようなヤクザは、金払いの良さで世間に貢献するしかないという、ねじれた美学があります。

 

 ヤクザの豪胆さの表象としての金離れの良さ、というたいへん興味深いエピソードではあるのだが、鈴木の発言を溝口が「例えば」と広げ、そこで語られたことを鈴木が、「それも」ではなく「これも」と解説していて、同一主体であるような語りが展開されている。

 私がこういうタイプの対談を好まないのは、対談の面白さは両者の見解の相違によって互いの思考が深まっていくところにある、と思っているからだと思う。同意と肯定ばかりでは自分の主張を精査する必要がない。自分でやってても、というほど座談の経験があるわけではないけど、日常会話でも、「それってどういうこと?」と聞き返されるときにこそ脳がワッと活性化するのを感じる。自分の思考が整理されたり、思いもしなかった言葉が出て来たりするのはそういうときだ。互いの意見に差がない対談はダイアローグではなくモノローグでしかない。それなら章を分担したりして共著すればいい、が、対談にするほうが楽というか、短時間で作れるんだろうな。

 

5月17日(金)快晴。五時には明かりをつけなくても本が読めるくらいに日の出が早くなった。韓国のヨーグルトを食って一時間ほど散歩。

 今月中は資料読みに精を出す、とはいえ、何も書かないと文章を書くための脳の回路が鈍る気がするので、以前書き出して放置してた短篇を進める。発表するかどうかは別にして。

 昼の散歩も思いのほか遠出、お高いパン屋へ。午前は予約必須、午後一時からは予約のない人でも買える、という店で、二時過ぎに行くと七、八人並んでいた。ちょっと迷って最後尾につく。炎天下で二十分ほど待った。パニック発作が起きるだろうか、と思ったが、やや動悸が高まったくらいで無事に買う。

 そのあとは夜まで読書。資料を読んだり、早乙女ぐりこ『速く、ぐりこ!もっと速く!』を読む準備として氏の過去作をぱらぱら読み返したり。早乙女の作品について何度か日記で言及していたのを氏が読んでくれていて、『速ぐり』を送ってくれたのだ、が、軽い気持ちで過去作に手を出したせいで、いまだに読めていない。

 早乙女は『#恋と似て非なるもの』のなかで、〈ゼミでお世話になった指導教授〉の言葉として、〈「変化することをおそれないで。変わっていく自分を楽しむの」〉と太字で書いていた。〈それは自分の人生の指標になる言葉だという、たしかな予感があった〉。『#手のひらサイズの愛』のなかでも、詩を推敲しながら、〈作っている詩の中にどうしても現在の特殊な状況が織り込まれてしまい、私は「今」を書きたいんだなあと思う〉とこれも太字で述懐していた。

 氏の過去のキャリアをふりかえると、『だらしない』は氏のルーツというか、だらしない人間としての自身の人格形成期とその帰結としての現在を描く、過去にフォーカスした本だった。そのあと一年間の日記を二分冊で刊行して、生活のぜんぶ、をいったん提示している。そのあとに『東京一人酒日記』の二巻や『ごはん味噌汁卵焼き』、『おうちにまつわるエトセトラ』のような、氏の生活のなかでも食や住にまつわるところだけを抜粋したような本を作った。過去を総括して、現在の生活のぜんぶを本にした早乙女が、自分の外面にフォーカスした本をいくつか作ってきた──とまとめてみると、こののちに『恋の遺影』や『ハローグッバイ』という自分の内的な、人間関係のコアにかかわるところを、ほとんどオンタイムで赤裸々に描く、みたいな仕事に向かったのはすごく自然というか頷けることだ。

 その過程で、恋人になったばかりのペンギン氏が〈自分のことを文章に書いてかまわないと、早乙女ぐりこが自分のことをどんなふうに書くのか知りたいと言〉ったことは大きかったのだろう。そしてその後に起きたいろいろなことのエピソードとしての強さが、早乙女を現在の作風に向かわせた。ペンギン氏と別れたあとの、〈そもそも、自分の離婚の顛末とか部屋の汚さとか酒入っての醜態とかをテーマに何冊も本を作って、さらにそれと別に毎日日記書いて公開してる時点で「ちょっとおかしい」女に決まってるだろうが!何を根拠にまともな女だと思ったんだよ!〉という憤りにも、氏が自身をどういう書き手として認識しているかが表れている。

 というようなことを日記に書いていたらあまり資料読みは捗らず。こういう日もある。

 

5月18日(土)快晴。早稲田松竹で黒沢清監督の、西島秀俊主演の映画を観た。内容はよく憶えていないが、たしか宇都宮ブレックスの試合風景があったような。しかしラストにいたって、この映画はじつはすべてホワイトボードに描かれた絵だったのです!と明かされる、というなぞの構成(それまではすべて実写に見えていた)で、観客からブーイングが起きていた。エンドロールが終わって一度出たのだが、スマホをなくしたことに気づいて入り直す。すでに次の回がはじまっていたのでもう一度最後まで観た、がまたブーイングが起きる。スマホを見つけて(というかずっと尻ポケットに入っていた)外に出るともう夜になっている。ちかくのコインパーキングにブレックスネーション(同チームではファンをこう呼ぶのだ)が集まって、「のりお! のりお!」とヘッドコーチの名を叫んでいた──というところで目が覚めた。なんだかひどく首が痛い。実際にはそんな映画はなかった。

 午後二時から、バスケットLIVEでBリーグチャンピオンシップセミファイナルの名古屋対広島を観。三対二十四、という第三クォーターのすごい点差がものをいって広島が勝った。

 そのあと風呂に入って身体を拭いていた、ら、インターフォンが鳴る。全裸のまま応答して、配達員が上がってくるまでに急いで服を着た。届いたのはベランダ菜園のキットだった。ペパーミント、バジル、ワイルドストロベリー、の三種。さっそく種を蒔く。父方は米の、母方は果物の農家の末裔として、土いじり(手の平サイズの鉢植えですが)をしているだけで心が整うのを感じる。ストロベリーは実がなるまで半年以上はかかるそう。

 そのあと見逃し配信で琉球対千葉も観。琉球ホームだったのだが、天皇杯の一方的な試合だった決勝戦を思い出す展開で千葉が圧勝。私は琉球を応援していたので残念、というか、先週末のクォーターファイナルで右足首を負傷した、今日もときどき足を引きずる様子を見せてもいた今村佳太選手を出場させるの、選手本人が熱望したのだろう、と思いつつ、試合としても、彼の今後のキャリアへの影響を考えても、良くないのでは、となる。それだけ彼が圧倒的な存在、ということだろうし、控えの選手を戦力として計算できていない、ということでもあるし、そこには一年弱のレギュラーシーズンで控えの選手を育てきれなかったヘッドコーチのマネジメントが反映されている。CSの、レギュラーシーズンの順位にかかわらず二勝すれば勝ち進むことができる、というルールには批判もあるけど、シーズン当初はフィットしていなかったゼイビア・クックス選手や途中加入の特別指定選手の内尾聡理選手が千葉の勝利に大きく貢献していたことを考えると、確かにここに一年間の蓄積が如実に出ている、とも思う。

 

5月19日(日)曇、夜は雨。ぐっすり寝。昨夜行われた、早乙女ぐりこと沙東すずの対談イベント「人生、全部、書く? ──面白い文章を解体する」のアーカイブ配信を観。早乙女の『速く、ぐりこ!もっと速く!』刊行記念イベントを観るのはこれで三つ目。過去の二つはけっこう、対談相手の男性がマイクを離さないタイプだったのだが、今日は対話が成立していたかんじ。観ながら沙東の本を注文した。

 低気圧なのか具合あまり良くなし。散歩中にパニック発作を起こす。そのあとは気が滅入って、午後はダウナー。しかしバスケを三試合観た。

 

5月20日(月)雨。朝の散歩せず、肉やレタスをモシャモシャ食って始業。昼の散歩は三十分ほど。ぐるっと近所を一周してから、昨日発作を起こしたあたりに向かう。なんとか発作は起こさずに帰宅。ひとまずこれで昨日のいやな記憶の上書きはできた、かしら。こうやって、病に向かって(へろへろでも)ファイティングポーズを取れているのだからおれは大丈夫、と自分に言い聞かせて、午後の作業。

 夕方、ベランダで本を読んでいたら、ずっと下から杖を突く音がした。見下ろせば私と同年配の、ネクタイを外したスーツ姿の男が歩いていた。右脇に松葉杖を差し込んでいたが足元はどちらも革靴で、わずかに右足を引きずってはいたが、杖に体重を預けている風ではない。怪我の治りかけ、というところなのだろう。

 数分かけて下の道路をあっちからこっちまで、自分を追い抜かす人たちを見るともなく見送りながら歩くのを見下ろしつつ、しかし彼には、私が街を歩くときに感じる痛苦はないのだろう、とふと思う。散歩をしてるとたくさんの人とすれ違う。自分の体調が悪いときは、きっと彼らは誰も発作の恐怖に怯えていない、ということを考えてしまう。思考にすさまじいバイアスがかかっている。

 

5月21日(火)雲の多い晴。朝の散歩をしたのは九時台だったのだが、日射しが強くてかなり汗をかいた。初夏のはじまり?

 一日作業をやって夕方、にんじんの葉を使ってチヂミを作る。食いながらバスケットLIVEでCSセミファイナル、琉球対千葉の三戦目を観。試合が終わるとほぼ同時に入眠。

 

 

5月22日(水)曇。具合悪し。起床即ウットを飲んで、朝食後に副作用の眠気にあらがえず寝。合計十二時間ほど寝て、けっこう回復できた。

 起きてすぐ散歩。午後は作業、夕方まで。そのあと早乙女ぐりこ『速く、ぐりこ!もっと速く!』を読む。書き下ろしエッセイに、私家版で刊行した『恋の遺影』と『ハローグッバイ』という二つの日記を再録したもの。

 日記はnoteでも私家版の本でも読んだのでだいたい内容は知っているのだが、別れの描写、がやっぱり印象的。『恋の遺影の』なかで著者は、ペンギン氏という恋人ができたことをきっかけに、長く関係をもっていたT氏に別れを告げる。そのとき〈「もっと一緒にいたかった」と言われ、「私と付き合う気も結婚する気もなかったくせに、なんで私がずっと一緒にいるのが当たり前だと思ったの」と言〉う。のちにペンギン氏に別れを告げられるときには、酔った勢いでの行動を、〈「酒が入っていたとしても、いや酒が入っているときこそ言動にその人自身の性質が現れると思うから」〉と批判されたりしてもいる。

 関係が壊れるとき人はなんでこう正論で殴るような言動をしてしまうんだろう、と思ったが、別れの責任を相手になすりつけるためなのだろう。恋愛というのは基本的に共犯関係だ。そこに生じた歪みは双方に原因があるし、仲が上手くいってるときは、その歪みこそを自分たちだけの特別なありようとして愛している。そしてその歪みに耐えられなくなったとき、先に相手を糾弾してしまえば、自分がまるでまっとうな善い人間であるように仕立て上げられる。相手はすでに関係が終わった(とこちらは思ってる)人間なのだからいくらでも悪い人間であっていいし、自分を守るためにもそうであるべきだ。その後ろ暗さがあるからモラハラ的に、というか、過剰に攻撃的になるのかもしれない。

『速ぐり』の白眉は、マッチングアプリでシンくんと出会ったあたりからの加速度だ。出会って即日寝て交際をはじめた、というところまでは『ハローグッバイ』で読んでいたし、その後シンくんが既婚者だと知って別れた、というところも、本書を読んだ人の感想で知っていた。

 まだ円満だったころ、シンくんが〈「ぐりこの好きなタイプがどういう人なのか、俺にどう接してほしいと思っているのか、正直まだよくわかっていない」〉と言うのに対して早乙女は、〈「私は、全部がほしい」〉と答える。するとシンくんは〈「俺の人生、全部あげるよ。もらってくれるの?」〉と訊いた。早乙女がどう返したかは書かれていないが、〈私もこの人の存在の全部を私の一生を懸けて愛そうと決めた〉とあるので、喜んで受け取ったのだろう。このやりとりはちょっと、荒川弘『鋼の錬金術師』のラストシーンを思い出したですね。同作ではハッピーエンドとして描かれているが、漫画と違って人生は、人生の全部を交換したあとも続くもので、早乙女とシンくんは破局してしまった。

 シンくんが既婚者だと発覚するのは二人で飲んでいるときなのだが、著者はその店に入るところから描写していく。目にとまったのはこの記述。

 

 シンくんは伊勢角屋麦酒のヒメホワイトというビール、私は網走ビールの流氷ドラフトを頼んで乾杯した。流氷ドラフトはラムネ瓶のような美しい青色をしていて、大磯の海と空を思い出した。ヒメホワイトとグラスを合わせると明るい黄色と青の対比がすてきだ。二杯ずつビールを飲んで、ドライフルーツバターや、店名にちなんだ黒いポテトサラダを味わった。新政を一合もらって分け合ったあと、いよいよおでんを頼んで熱燗に移行する。寒い季節ならではの愉しみだ。

 

 突然の破局はこの直後に訪れるのだが、すべてが終わったあとに書かれたテキストのなかで、二人が頼んだ酒の取り合わせを愛でられる、というのはすごい。小説ではなくエッセイで、当事者がこれだけ客観的に現場を描写するのは難しいことだと思う。

 ペンギン氏との別れの場面について著者は、〈そのときの私は、その場で起きたこと、自分の感じたことを、日記にひとつ残らず書き残そうとしていた。そのためには状況を少し離れたところから冷静に観察する必要があって、感情の波に身を委ねている場合ではなかった〉と振り返っているが、たぶんシンくんとの別れのときも、その色の対比のすてきさを、書くために憶えようとしていた、し、その感動を、別れの衝撃に冒されることなく書きつけている。二百ページちょいの本書のなかでいちばん好きな一節だった。

 シンくんと別れた直後に著者は、〈人生が一気に、音を立てて動く瞬間にいつも快楽を感じていた。〉と振り返る。しかし即座に、〈でも、もう無理だ。苦しい。むなしい。もう今までのようには生きられない。〉と書きつける。それまでの人生観が覆された瞬間を描いて終わるのかあ、と思っていたら氏は、帰宅してすぐにマスターベーションをはじめる。もう無理だ、と言いながらすぐに、その瞬間を(性的な)快楽に転換している。つまりこれが〈もっと速く〉動いた人生の快楽のクライマックス、ということで、なかなかすげえラストだった。

 矢野利裕は『今日よりもマシな明日』のなかで、町田康作品について〈町田作品に登場する人物たちは、他者の視線を気にし、反省的に、言い訳がましく、饒舌に語っている、まさにそれゆえに、他者からは無反省な人物として発見されている〉と書いている。〈彼らはみな「真剣」に生きている。精いっぱいに。一生懸命に。このひたむきさこそが大事だ〉とも指摘される、しかし〈無反省な人物〉に見えてしまう町田作品の語り手たちの姿と、早乙女の語り手(つまり著者自身)が重なるような。

 読了後、Twitterを見ていたら、高瀬隼子さんの『水たまりで息をする』が文庫化しました、という投稿が目に入る。〈『水たまりで息をする』は芥川賞候補にもなった作品なのですが、候補の連絡を受けた時、まっさきに思ったのが「本にしてもらえる!!」ということでした。〉

 私の「焚火」はこの作品と同じ号の『すばる』に載った。〈水原涼〉と〈高瀬隼子〉の名前が、同じフォントサイズで表紙に大書されていた。知り合いとそうやって並ぶのがうれしくて、〈高瀬さんとツートップ感。〉とツイートした、のが三年前。しかし三年の時を経て、ツートップの片方は文庫化、片方は書籍化もされず、国会図書館とかでしか読めない、という現状は、なんとも歯痒い。『水たまり』は良い作品だったしその後の活躍を思えば文庫化は当然、と思いつつ。

 夕食は今日もチヂミを作る。二度目なので昨日より美味しくできた。そのあと夜の十時ごろちょっと外出。帰りにコンビニでお菓子を買った。

 

5月23日(木)曇。良くない夢を見て、ぐったり疲れて起きる。首の後ろと頭が痛かったので、ロキソニンを飲み、ロキソニンテープを貼った。そのあとは一日作業。明日は歯医者。

 

5月24日(金)晴。長めの散歩をして午前はもくもく作業、午後に歯医者。左下の奥から二番目の歯が、すでに神経を取ってるからまったく痛みはないのだがひどい炎症を起こしている。歯の根っこから歯肉を貫いて、歯茎の表面まで膿んでいるそう。虫歯になっているところを全部削ったら歯が歯茎より低くなってしまい、神経も取ってるから内側が全部空洞なので、これはもう歯の役をなしてないです、と言われる。抜歯することになった。

 なんだか疲れ切ったのでもう作業は終わりにして、そのあとはずっと資料読み。宮沢賢治の詩集も。

 

5月25日(土)晴。今日は地元紙のコラムの締切。ノープランで手を動かしていると、数日前から聞こえてる近所のマンションの解体工事の音についての話になった。

 昼過ぎからB1チャンピオンシップファイナル、琉球対広島を観はじめる。バスケットLIVEと日テレ地上波で生中継されていて、最初は田臥勇太選手が出演する日テレで観ようと思ったのだが、試合前の賑やかしがあまりにうるさく、バスケットLIVEに切り替える。終始琉球がリードして、一度も逆転を許さずに勝った。前年度王者の貫禄。ファイナル初出場の広島も、明日はもっと良くなりそう。試合後のインタビューやハイライトまですべて観て作業に戻る。

 午後は工事の音が止んでいた。二時間ほどで書き上げて、ちょっと寝かせて夕方送稿。けっきょく日テレの琉球対広島も観た。

 

5月26日(日)曇。起きてすぐ白湯を飲んで作業をするとよい、というツイートを見かけたので試してみた、が、ふだんと大して変わらなかった。

 今日も昼過ぎにCSファイナル、琉球対広島の第二戦。昨日とは打って変わって広島が先行、琉球が盛り返したものの、リードチェンジを繰り返して広島が勝った。

 夕方、ウーバーイーツで中華を大量注文してしまう。食いながら琉球対広島の第二戦の、NHKでやってたやつも観。今シーズン、最多で一日四試合とか観てたせいで、一日一試合では満足できなくなってしまい、しかしなんせファイナルなので一日一試合しか供給されず、耐えられず同じものを二度摂取する、という、何かしらの末期症状を感じるおこないをしている。

 

5月27日(月)曇、ときどき弱い雨。起床即白湯を沸かして原稿。午後一時からオンラインでカウンセリング、そのあとは資料読み。

 夕方に散歩に出、図書館の返却ボックスに本を放りこんで、五分くらい走る。深刻な体力の衰え、と、走るたびに考えている。帰宅して素麺などを食い、読書して入浴。風呂から上がったあと日記を書く。カウンセリングの日は日記が長くなりがちだけど、公開するときにはすべて消す。

 

5月28日(火)雨、たまに止む。低気圧で具合良くなし。起きてコーヒーを飲む。メンタルがどん底だったときは、コーヒーを飲むと体調が悪くなってしまったものだったが、最近は多少回復してきて、カップに半分くらいなら問題なくなってきた。それでも、神保町のスタバに通って小説を書いていたときのように、一日最低ベンティ二杯、飲めば飲むほど頭の巡りが良くなる!みたいな感じではない。またグビグビ飲めるようになったら、完全に恢復した、ということかもしれない。

 雨なので散歩はせず、新聞を取りに行くだけ。階段を上がりながらサンヤツを見て、二つの広告に目が留まる。生長の家系の一般財団法人・世界聖典普及協会と、東京カルチャーセンターのエッセイの通信講座。前者では総裁の谷口雅宣の『二百字日記 1』が紹介されていて、後者の惹句は〈日記を書くよりおもしろい!〉だった。新興宗教のトップが日記の執筆・刊行に乗り出し、カルチャーセンターの広告で仮想敵にされる、そしてその二つが朝刊の一面に(『小説幻冬』を挟んで)並んでいる。日記ブームが定着というか、安定してきたかんじ。

 そういえば昨日の日記で、はじめて引用箇所を明示した(公開時に削除)。この日記はもともと、プルースト『失われた時を求めて』の七巻を読んでエッセイを書くよう『文學界』に依頼されたのを機に書きはじめた。日記をそのまま寄稿することも想定していたのだが、けっきょく違う文章を書いた。そのなかで、『失われた時』とフォークナー『響きと怒り』を引用して、原稿のなかに参照先のページを書き込んだ。でも、戻ってきたゲラを見ると、そのページ数の漢数字が線で囲われて、〈トル〉と書き添えられていた。理由は訊かなかったが、参照箇所を示さない方針なのね、と受け取って抗議もせず、惰性で自分の日記でも書かなかった。しかし考えてみれば、自分も読者も、参照先を確認したいときに不便だ。と、今さら思い直して、今後は明記する方針にします。

 夜、バスケットLIVEでCSファイナル第三戦、琉球対広島を観。ディフェンスの固い好ゲームだった。ちょうど一年前に昨シーズンのCSを観ていたころは、バスケットを観はじめてから日が浅くて、ダンクや3Pシュートの派手さにばかり注目していた。今年はある程度、守備や攻撃の定石、みたいなのも理解できているから、こういうディフェンシブな試合でも面白く観られる。かつて、サッカーは得点シーンが少なくてつまらない、と言う友人に対して、いやパスの美学やディフェンスのエレガンスというのがあってだね、みたいなことを力説したものだったが、スポーツというのは分かれば分かるほど楽しい。

 ロースコアゲームで広島の勝利。今シーズン限りでの引退を表明していた朝山正悟選手が、現役生活の最後にトロフィーを掲げることができたのが、一年前まで氏のことをぜんぜん知らなかったのになんだかうれしい。

 

5月29日(水)朝は曇、午後は快晴。短篇作業の日。もくもく夕方までやって、ベランダに椅子を出して読書。ふだんは文字が追えない暗さになったら部屋に入るのだが、今日はベランダの明かりをつけて、さらに一時間ほど。

 

5月30日(木)雲の多い晴。今日も短篇。

 昼休みに『チボー家の人々』の三巻を起読。前巻を読了したのが五月八日だから、三週間以上経ってしまったことになる。しかし小説のなかでは、父チボー氏の臨終の床の場面が続いている。この三週間、私はほとんどチボー家のことを考えていなかったし、チボー氏が死にそうになっていることも本巻を開くまで忘れていた。

 

 きわめてはげしい三回にわたる発作が次から次へとおこってまもなく、四回目の発作があらわれた。

 それは、おそろしい様相をしめしていた。いままで見なれたあらゆる現象の、そのはげしさを十倍にしたようなものだった。呼吸がとまった。顔は、充血した。目は、半分眼窩から飛び出していた。前腕は引きつれ、折れこんで、そのため手がかくれたようになっていた。そして、あごひげのかげには、両の手首が折れ曲がり、まるで切株のように見えていた。四肢は、引きつれようとしてふるえていた。筋肉はこわばって、こうした努力のため、いまにもはりさけそうに見えていた。硬直の時期がこんなに長くつづいたことははじめてだった。刻一刻、時がたった。だが、はげしさはなかなかおさまらなかった。だんだん、顔が黒ずんでいった。アントワーヌは、てっきり死がやってきたと考えた。

P.15-16

 

 しかしチボー氏はいっこうに死なず、身悶えしながら生きつづける。読んでいるこっちもいたたまれず、思わず彼の一刻も早い死を望むような気持ちになってくる。けっきょく、父の苦しみを見かねたのか、苦しみを見ることに耐えかねたのか、アントワーヌが致死量の飽和液を注射して安楽死させた。

 これで終わり、ではもちろんなく、人の死のあとにはそのあとしまつが続く。訳書に届け出たり訃報を各所に送ったり、晩年まで矍鑠としていた氏の仕事の引き継ぎや書類の整理、そしてもちろん葬儀の準備。自分が父親に何をしたか、を熟知しているアントワーヌは、気遣ってくれるバタンクール夫人に〈「ご安心ください。ぼくはおやじを愛していませんでしたから」〉(P.34)と強がりを言ったりする。この反応はなんか、身に覚えがあるというか、身内を亡くして気丈を装おうとする人はこういうことを言ってしまいがちなんだろうな。

 六時過ぎに退勤、長谷川あかりレシピで豚肉とニラのケランチムというのを作り、バスケットLIVEでニック・ファジーカス選手の引退試合を観。渡邊雄太選手が出ていた。メンタルの不調でNBAのシーズン終盤を欠場して以来、はじめて観客の前でプレーする機会なのではないか。楽しそうで、観てるこっちもうれしくなる。47/359

 

5月31日(金)雨、午後は止む。どうも頭の巡りが良くなく、捗らず。こういうとき無理に進筆してもけっきょく消すことになりがちで、しかし書かないと流れが途切れてしまう、ので、原稿はそこそこ、四、五枚に留めて、資料読みやメモの整理。

 夕方、バスケットLIVEで十八時からのBリーグアワードを観。Jリーグのこういう表彰式を観たことは一度もないのに、Bリーグのは二年連続で観ている。それはバスケットLIVEに課金しているからでしかないのだが、しかし観るとやっぱり盛り上がっちゃうんだよな。47/359

 

6月1日(土)晴。やや寝不足。短篇が当初の見込みほど捗っていない。焦らず焦らず。

 昼、黄色い本を読む前にちょっとスマホを見ていたら、『セクシー田中さん』問題についての日テレの報告書が公開されていた。読みはじめたらどうも、思考がそっちに持っていかれて、『チボー家』は読めず。そういえばこの問題が起きたときも、報道に頭が支配されて『チボー家』が読めなくなったのだった。

 夜、Bリーグファイナル琉球対広島の第三戦を、二度目の観戦。良い試合は何度観ても良いもので、結果はとっくに知ってるのに、また昂ぶった。

 優勝した広島のシャンパンファイトも観。シャンパンファイトというと私が思い出すのはフランク・リベリー選手のことだ。バイエルン・ミュンヘンというドイツ屈指の強豪に長く所属していた氏は優勝の機会も多かった。しかし彼はムスリムの妻と結婚するときにイスラム教に改宗していて酒が禁忌のため、シャンパンファイトのときは端っこで居心地悪そうにして、酔ったチームメイトがでかい器をビールで満たして忍び寄ってくるのに気づくと必死に逃げ出したりもしていた。その印象が強いので、シャンパンファイトを見るたびに、ここにムスリムは一人もいないのかな、と考えてしまう。47/359

 

6月2日(日)雨、一時強まる。はるき悦巳『じゃりン子チエ』(双葉社)を電子書籍で読んでいる。全六十七巻もあるので、ちょっとずつ。父がこの漫画を好きで、我が家はふだん、漫画(やアニメやゲーム)は中学で卒業するもの、みたいな教育方針だったのだが、『じゃりン子チエ』だけは例外で、新刊の(鳥取では首都圏より二、三日遅い)発売日になると父は自分で買ってきて、いそいそと書斎に籠もっていた。居間の本棚に全巻が揃っていたわけではなく、私が読んだことがあったのは(と書影一覧を見ながら記憶にある表紙を数えてみると)六、十二、三十一、三十六、五十、五十一、五十二巻、そして六十から六十七巻、の十五冊。

 でちょうど今日、六巻を読んだ。ヒラメちゃん(主人公チエの親友)の枯れ木の絵とか遠足のカラオケ事件とか、十数年経ても記憶に鮮明なエピソードはいくつもありつつ、小説家になった今では以前とは違う読み心地の場面もけっこうある。

 たとえば六巻十一話「ミルクのチエちゃんへ」。チエの父テツの元担任・花井拳骨は研究者として本も出していて、ある日テツが家に帰ると、花井の『李白小伝』という本が置かれていた。函入りで定価は五千円。当時(六巻は一九八〇年刊行)の物価はよく知らないが、テツは「こ… これ 五千円も するのか えげつなあ………/ムチャ ムチャや 花井の奴 ボロもうけ やんけ」と言って、古本屋で「五千円や から 一割まけて 四千五百円」で売ろうとしている(と引用していて電子だとノンブルが表示されてないのに気づいたのだが、紙の本だとどうだったかしら)。チエの母によるとチエも、「あの子 高い本や 高い本や ゆうて 箱のほう ばっかり 見てました から……」とのことで、それを聞いた花井は、「ハハハ…売れん 本ほど 高いんや」と笑った。テツが見つけた『李白小伝』には扉に、チエ宛の為書きつきのサインが入っていたから、家族の知人である古本屋のオッちゃんが(おそらく、テツが勝手に持ち出したのを察して、一旦買い取ってから)返しに来てくれていた。

 この一連の場面が今の私にとって印象的なのは、やっぱり(小説ではないけど)本と金の話題だからだ。今の私は、本が五千円だとしても著者は〈ボロもうけ〉できないし新品だとしても四千五百円では売れず、為書き入りの本を古本屋が買い取るはずがない、ということを知っているが、当時は台詞の内容を鵜呑みにしてたなあ、と懐かしく思いだした。

 日テレの『セクシー田中さん』報告書も、概要や別紙を合わせると百ページ以上あり、けっこうメンタルに響く記述も多い、ので無理せず読み進めていく。けっきょく完全に『チボー家の人々』から頭が離れてしまった。夕方から、同報告書を読んだ印象、を書き出していく。まだ読み終えてないけど、自分用のメモとして。当初はふだん通りに日記の一部として(日常のなかで考えたこととして)発表するつもりだったのだが、書いてるうちにだんだん、エッセイとして考えをまとめたほうがよい気がしてきて、途中からはその素材の準備のつもりで。

 五月は『チボー家の人々』を読んでないので六月に自サイトでエッセイや日記を公開する予定はないし、このテキストをアップすればちょうど良い。と、さっきメモを作りながら私は考えていた。読了して、ひとまず書いたら再検討。

 

6月3日(月)曇。炊き込みご飯のおにぎりを食って散歩。近所をウロウロしながら、最初は『セクシー田中さん』のことを考えていた、が、だんだん頭が切り替わって、買えるころには今書いてる短篇と次に書く中篇のことを考えていた。散歩の効能だ。

 ひとしきり作業をやってひと休みしながらSNSを見ていて、宇都宮ブレックスの佐々宣央ヘッドコーチの退任が発表されているのに気づく。動揺してるとインターフォンが鳴り、まさか我が家に宣央が!?と錯乱した頭で考えるがそんなはずはなく、通販したものが届いただけだった。

 夕方、日テレの『セクシー田中さん』報告書を読了した、が、小学館も報告書を公開していた。こっちも九十ページちかくある。

 

6月4日(火)曇。昨夜ちょっと床で寝てしまい、ベッドに移動しはしたものの、起きても身体の節々が痛い。

 昼、厚揚げを買ってきてゴーヤチャンプルーを作り、長谷川あかりレシピのズッキーニの炊き込みご飯と食いながら、録画してた『熱血バスケ』を観。BリーグCSファイナル特集だったのだが、さすがにもう何度も観たシーンばかりで食傷気味。しかしカイル・ミリングの「勝ちじゃけえ!」は何度観てもいいものだ。

 午後も作業、小まめに休憩を取りながら。しかし休憩といいつつ小学館の報告書を読んでいて、ぜんぜん休まらない。

 

6月5日(水)晴。起きてすぐ、小学館の報告書を進読。

 朝の散歩がてらスーパーへ。ゴーヤチャンプルーをもう一度作ろう、と思っていたのだがいつもの店ではゴーヤが品切れ、というか、開店直後で今日の入荷が陳列されてない感じ。もう一軒行ってみたら一個だけ置いていたものの、一部やわらかくなって白いふわふわが生えていた。

 そろそろ品出ししたかしら、と昼の散歩でまたいつものスーパーに行ってみた、が、ゴーヤは入荷しておらず。久しぶりにちょっと遠くのスーパーに行ってようやく入手。暑くてずいぶん汗をかき、ゴーヤチャンプルーを作る元気がなくなった。

 

6月6日(木)曇。朝からあまり具合良くなし。明日歯医者だから今からナーバスになってるんだな、と思っていたら、今日の四時半からだったことがわかり、動揺する。

 昼の散歩中、近所の公園で、三つ並んだベンチの、向かって右にスーツのおじさんが、左にウーバーイーツのバッグを傍らにサイクルウェアのおじさんが座っていた。真ん中にドナルド・キーン『日本語の美』を持った花柄開襟シャツおじさん(私)が座る。平日の日中に住宅街を歩いてるおじさんというのはけっこうたくさんいるものだ、というのは、自分もその一人になって知ったことだ。

 十六時半から歯医者。今日は抜歯ということで、麻酔をしてグッと引っ張られる。しかしどうも、虫歯には弱いくせに根っこばかりは強いのか、なかなか抜けず。歯茎を切開したりドリルで歯をいくつかに分割してくれもしたのだが、どうしても抜けない根があって、歯医者さんががんばるうちにその根が砕けてしまったそう。次の患者も待ってるということで、今日はここまでにして、仮歯を詰めて終了。口のなかで血が止まらず、痛みと発作の予兆に耐えたので疲れ切る。

 

6月7日(金)晴。まだ歯から血が出つづけている。朝の散歩でちょっと遠出、飯田橋駅ちかくまで。線路の土台のところに、PALESTINE WILL BE FREE !!と落書きされていた。

 ここ数日、『セクシー田中さん』問題についての、日テレ・小学館両社の調査委員会の報告書を読みながら書いていたものを、エッセイとしてまとめる作業。

 昼はゴーヤチャンプルーを(ようやく)作った。それから散歩に出。公園で読書でも、と思っていたのだが、近所の公園のベンチが埋まっていて、住宅街をウロウロして、ちょっと遠くの公園まで行った。

 夜十時過ぎまで集中して修了。二万三千字弱、七十枚くらい。くたびれた。しかし、朝も昼も私にしてはけっこう歩いたし、作業も十時間以上やった、ので、くたびれてるのは当然で、けっこう気持ちの良い疲労。今日はあまり発作っぽい感じにもならなかったし、良い一日だったな。身体を動かしてめちゃ仕事をやると、くたびれるけど気持ち良い。毎日こうありたい。

 

6月8日(土)晴。昨夜は寝る前に、キューピーコーワヒーリング、というのを飲んだ。睡眠中の疲労回復を促進する、という触れ込みで、寝起きのだるさがなくなった、眠りの深さを測定するアプリのグラフがほとんど〈ぐっすり〉にだった!というツイートを見て、試してみようと思ったもの。今朝の寝起きは、まあわりと頭が回り出すまで早かったかしら、夢も憶えてないし……という程度。でも、昨日はけっこうくたびれて寝たことを思えば、ふだん以上の回復ができた、のかもしれない。

 午後にレバンガ北海道・桜井良太選手の引退試合があるので、午前は集中して作業。昨日書き終えた『セクシー田中さん』文章の推敲。昼食を挟んで作業を続けて、なんとか引退試合の配信開始に間に合った。

 私は札幌に住んでたころ、働いてたバーの常連に誘われてレバンガの試合を観に、北海きたえーるに行ったことがあった。たぶん2013-14シーズン。事前に知っていたのは、選手兼球団代表というユニークな役職の人がいる、ということくらいで、十年あまりが過ぎた今になって思い出せるのも、試合前の選手入場のとき、その選手兼球団代表・折茂武彦氏がチームメイトとバンプしてたことだけだし、ジャンプして身体をぶつけ合うことをそう呼ぶのだということも当時は知らず、なんか折茂さんがワッとしてるな、とだけ思ったのだった。

 2013-14シーズン、天皇杯は東京で集中開催されていたようだし、レバンガはプレーオフに進出できなかったから、私が観たのはレギュラーシーズンのホーム戦だったはずだ。対戦相手は当時NBLに所属していた十一チームに限られる。……と、そこまではわかるのだが、相手チームがどこだったか、勝敗はどうだったか、何月ごろに行ったのか、そういうことを何も思い出せない。当時もたしか、日本人としてはじめてNBAでプレーした田臥勇太選手のことは知っていたし、氏が対戦相手にいれば記憶に残っているはずだから、少なくとも宇都宮ブレックスではない、と思う、が、とにかくバンプする折茂さんしか憶えてないのでよくわからない。むしろおれはなぜバンプする折茂さんのことをこんなに鮮明に憶えているのか。

 そのシーズンの記録を見ると、シーズンMVPがニック・ファジーカスで、ベストファイブはファジーカス、田臥勇太、辻直人、川村卓也、マイケル・パーカーで、新人王は比江島慎、と、今ではめちゃくちゃ馴染みのある名前が並んでいる。私を誘ってくれた常連さんはレバンガのファンクラブ会員で、ブースターを増やしたくてさあ、布教布教、みたいなことを言っていた。当時の私は〈ブースター〉の意味もわからず、バスケはどっちかというと嫌いなほうだったので、そうなんすねえ、と適当に返していたし、試合もたいして楽しめなかった。惜しいことをしたな。

 試合後、ちょっと散歩をして、図書館で本を借りる。帰ってベランダに椅子を出して、阿部恭子『高学歴難民』(講談社現代新書)を読む。たいへんに良くなし。〈高学歴難民〉の定義が曖昧だし、対象を著者が見下しているのが、文章全体からにじみ出している。総じて、〈高学歴難民〉たちが苦境に陥った理由が、本人の気質、行動の愚かしさ、に帰されていた。第一話だけみてやめた『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年のこと』は、マッチングアプリで出会った男を珍獣として面白がることに主眼がおかれている印象だったが、本書も、〈高学歴難民〉を、著者(そしてたぶん読者として想定している人たち)とは違う生きものとして描いている。学歴偏重社会の弊害、その分析や展望、みたいなところを期待していたので、がっかりした。

『セクシー田中さん』文章のなかで、この文章を七日に書き終えた、一日寝かして明日にでも自サイトにアップしよう、みたいなことを書いていた、ことを夜思い出す。自分が書いたことに従おう、と思って推敲。二十三時五十九分に公開できた。

 

6月9日(日)日中は晴、夜に雨。昨夜もキューピーコーワヒーリングを飲んだが、昨日の朝と効果はあまり変わらないような気がする。まあ魔法の薬なんてないんだろうな、という感じ。

 昼休みに『チボー家の人々』を再起読。まずは五月三十日に読んだところまで。日射しがないので、途中でベランダに椅子を出した。

 夜、YouTubeで、バスケットボール・チャンピオンズ・リーグ(BCL)アジアの広島対ジャヤ(インドネシア)を観。技術的なトラブルで第一クォーターの残り二分くらいまでは配信されなかったり、されても映像が粗かったり、試合中何度か止まったり暗転したり、そもそも観客が、たぶん両チームの選手とスタッフを合わせた人数より少なかったり、と、いちおう世界バスケットボール連盟(FIBA)が主管する大会なのに、これで大丈夫なのか、という感じだった。

 バスケットを観ることに慣れてきて、いまどういう局面なのか、がわかるからか、英語実況でも何となく理解できた。実況のジョシュ・ベット氏が、広島の選手がタフショットを決めると(それがアメリカ国籍の選手でも)「こんにちは! ありがとうございまーす!」と日本語で叫んだり、ジャヤの選手がブロックショットをすると「トゥリマカシ! Thank you!!」とインドネシア語を織り交ぜたりしている。

 今大会には全部で八カ国(イラン、インドネシア、韓国、中国、日本、マレーシア、レバノン、そして開催国のUAE)が出場していて、(各国の最も話者の多い)公用語は計七言語。すべての言語の言い回しを憶えて、試合の流れのなかで口にしている、と考えると、けっこうすごいことだ。47/359

 

6月10日(月)曇。一日伏せる。夜八時半から、YouTubdeでBCLアジアの広島対釜山を観。ベット氏が、ファールを受けて空中で身体が地面と平行になるくらいバランスを崩しながら打ったシュートを決めた三谷桂司朗選手をいたく気に入ったようで、そのプレーから試合終了までずっと日本語で〈むずかしい三谷さん〉と呼んでいた。47/359

 

6月11日(火)快晴。今日も具合良くなし。午前は伏せって、昼の散歩後にようやく始業。

 夜七時からの男子サッカー、ワールドカップ二次予選の日本対シリアを、前半だけ観。わりと一方的、というか、これだけの格下相手にフルメンバーを出せば、それはこういう展開になるでしょう、という危なげない試合運び。

 ハーフタイムでYouTubeに切り替えて、BCLアジアの広島対ゴルガーン(イラン)。今日も実況の人は三谷選手を〈むずかしい三谷さん〉と呼んでいて、ちょっと『セクシー田中さん』問題の〈難しい作家〉を思い出してしまう。広島が負けた。

 シリア戦の後半を観てから小澤優子『明日へのかけ橋 シスター山路のお話から考えたこと』(教文館)を読む。シスター山路は四十年近く清泉小学校の校長をやっていた人。というか、三浦にある〈自然教室〉の話とか、行ったこともないくせになんだか懐かしくなった。たぶん、自分が鳥取で育って、近所の山ん中で遊んだり、実家の畑の手伝いをしたりしてたことを思い出しているのだろう。

〈「(…)私はイエス様の心を伝えるホースのようなパイプのようなものなの。その手段として言葉を使っているの」〉(P.65)というシスター山路の言葉が印象に残る。それに殉じることのできる大義、をもっている人の強さ。47/359

 

6月12日(水)快晴。一日伏せる。47/359

 

6月13日(木)曇。午前は伏せる。

 昼の散歩のあと、『チボー家の人々』を進読。体調不良が続いて、また間が空いてしまった。アントワーヌが父の遺言を見つける。机の引き出しには、早世した妻の思い出の品が詰まった鞄が入っている。二人の息子や、チボー氏が設立した少年園の園児たちからの手紙も。遺されたあれこれを通じて、アントワーヌは、自分が知らなかった父のことを知っていく。

 その翌日、ジゼールはジャックの部屋を訪れる。失踪した彼を探して(留学という名目で)イギリスにまで行ったジゼール、いまだにかつての親密な関係性のなかにいるジゼールは、何か、対決、みたいに意気込んでいた、が、ほんのわずかな問答と触れあいで、ジャックにとってはすでに終わりきっているのだ、と悟る。その描写に、こんなに長い小説のなかで、ごく短い紙幅しか割かれない、というのが悲しい。

 午後はすこし作業に手をつけた、が、具合悪くて頭回らず。けっきょく午後も伏せって終わった。

 夜、Twitterを見ていると、杉田俊介のツイートが目に入る。

 

入院22日目。朝、ドクターから退院の日程の話が出る。最速で来週の水曜日になりそう。結局、入院しても何かが大きく改善されたわけではなかった。薬の調整で劇的に良くなりもしなかった。しかし、そもそも今後の生活をどうするか、という根本的な課題に直面し、考える機会にはなったと思う。

 

 これを見たとき、氏がどうやら鬱を完治させられないまま退院しそうだ、ということに、なんだかホッとしてしまい、自分で驚く。たぶん私は、突然心を病んだことを受け入れられずに苦しんでいる杉田に自分を重ねながら、氏の日々のツイートを読んでいる。発症からずいぶん経って、カウンセリングを受けたりいろんな薬を飲んでみたりしながら、ちょっとは良くなったけど、今日みたいにしんどい日も多い。それで、杉田が入院を経てしゅびよく快方に向かったとしたら、取り残されたような気持ちになる、と予感しているのだと思う。ほんとはみんな元気なのが一番なのにな。なんだか自分が性格悪くなったように感じられ、やや落ち込む。83/359

 

6月14日(金)晴。目が覚めたら昼が近くて、びっくりした。一週間ほどキューピーコーワヒーリングを飲みつづけてきて、だんだん効きはじめたのか。体調もすこし回復。

 昼めしを食いながら、NBAファイナル、マーベリックス対セルティックスの第三戦。ルカ・ドンチッチがとにかく元気がなさそうで、セルティックスの三連勝。

 午後、メレ山メレ子『こいわずらわしい』(亜紀書房)の前半を読む。他人(その人の恋愛観に興味を持ってない人)の恋愛エッセイを読む、というのは、もはや文章それ自体のオモシロさだけを見ているような気がする。メレ山の文章はゲラゲラできて良い。web的な、と私が感じるのは、文章全体のラフさに加えて、ネットで流行してる言い回しや必然性のない小ネタ(漫画の名台詞とか)の投入の多さによるもので、基本的にそういうのは好みではない、のだが、メレ山はその文章の(崩れた)たたずまいが一貫しているので楽しい。

 夜十一時半から、YouTubeでBCLアジアのセミファイナル、アル・リヤディ(レバノン)対広島を観。広島にとって屈辱的なワンサイドゲームだった。百二十一対八十九。琉球とのCSファイナルでは、三試合の平均失点が六十二点くらいだったから、ほぼ倍だ。CSファイナルでは平均得点も六十六点くらいと少なく、しっかり守って競り勝つチームなのにディフェンスが上手くいかなかった、ということなのだろう。83/359

 

6月15日(土)快晴、午後は曇。今日は一日読書の日。『こいわずらわしい』を読了した。後半、とりわけ、現在の(『奇貨』やこないだのトークで別れが語られることになる)恋人との関係、についての記述がはじまるとグッと引き込まれた。

 著者はその人と、鳥取旅行の途中に付き合いはじめる。ということで鳥取への言及がちらほらあるのだが、鳥取出身者として気になったところは、浦富海岸を歩いたあとに、〈また電車で鳥取駅に戻ることにした〉(P.138)というところですね。浦富海岸の最寄り駅は岩美駅なのだが、岩美─鳥取は非電化なので、〈電車〉ではなく〈汽車〉が正しい。校正の担当者もふくめて、電車ではない列車というのを語彙の選択肢として思いつかないのは、都会の人の感覚なのだろう。と、いま〈都会の人〉と書いたけどそういえば、自分は九州の出身だ、という記述が本書のなかにあったから少なくともメレ山は東京の人ではない、と思って著者略歴を見ると別府市出身とあり、Wikipediaによれば別府を走ってる日豊本線は全線電化されているそう。ほら!となった、が、すごくどうでもいいことだな。

 昼、『チボー家の人々』。アントワーヌは父の葬儀からパリへの帰路で、ヴェカール神父と延々宗教論議をしている、が、けっきょく平行線のまま到着、それで第六部〈父の死〉は終わり。

 すぐに本作のなかでいちばん長い第七部〈一九一四年夏〉がはじまる。ジャックはジュネーヴに戻って、社会主義運動の組織の一員として働いている。一八九〇年生まれのジャック(私より九十九歳年長)は二十四歳。冒頭では同志の一人の絵のモデルをしていた。

 夜、WOWOWでNBAファイナルのマーベリックス対セルティックス。今日はマーベリックスが勝った。これで三対一。勝ってるから、というか、思うようなプレーができてるからなのか、リプレイで写されるドンチッチが常にゴキゲンな顔をしていて、観ててうれしくなる。

 そのあと即座にYouTubeに切り替えて、BCLアジアの三位決定戦、広島対ゴルガーン。今大会二度目の対戦、今度は広島が勝って銅メダル。Bリーグのレギュラーシーズンは五月六日に終わったから、それより一ヶ月以上遅いシーズン終了。おつかれさまでした。118/359

 

6月16日(日)曇、午後は晴。午前二時すぎに起きる。ちょっと雨の音が聞こえた。ひとしきり作業、五時ごろに疲れて寝。

 朝、パスタを食う。ベランダで育ててるバジルをはじめて収穫した。やや虫に食われてはいたが、けっこううれしいものだ。

 そのあとWOWOWでEUROを観。昨夜のスペイン対クロアチア(三対〇でスペイン)、間髪入れずにイタリア対アルバニアも(二対一でイタリア)。あとはずっと読書。118/359

 

6月17日(月)曇。それほど日射しがつよくないのに暑くて、今年はじめてネッククーラーをつけた。

 昼、通販したものが届くのを待ちながら『チボー家の人々』を進読。今日読んだ三十数ページはおおむね、現在のジャックの日常の描写だった。かつてジャック・ボーチーというイギリス風の名前で書いていた彼は、今では本名で発表しているよう。「ラ・ソレリーナ」は青春の懊悩の小説だったが、今はどうも、社会主義運動家としての論考が中心のよう。

 同志との議論のなかで、〈「人はその祖国を去ることはできる。だが、祖国をふるい落とすことはできない。そしてこうした意味での愛国主義は、われらインターナショナルな革命家の理想となんら本質的に抵触しないのだ!」〉(P.122)とジャックが言っていた、のが印象に残る。今日発売のガブリエル・ガルシア・マルケス『百年の孤独』(鼓直訳、新潮文庫)について旦敬介が、〈「重要だと思うのは、彼が出身地コロンビアの田舎のローカルな話ばかり書きつづけた点。都会的で洗練された物語でなく、土着的で通俗的な物語が世界中に通じることを証明してみせた」〉と語っていた、のを昨日の東京新聞(夕刊七面)で読んだばかりだからかもしれない。

 そしてジャックは、アルコールランプで湯を沸かし、粉チョコレートを溶かして飲んだ。高野文子『黄色い本』の終盤、ジャックとともに過ごした日々を実地子が回想するなかの、〈スイスで再会したときは/わたしは何と声をかけて 良いのやらわからなかった〉(P.70)というモノローグの背景が、ジャックが片手鍋でチョコレートを煮立たせているところと、そのジャックと同じポーズの人物画を誰かが描いているところだった。

 今『チボー家の人々』でこの場面を呼んで、遡るようにびっくりしたのは、この次のコマで実地子が、〈だってあなたは百ページ近くも 行方知れずで やっと姿を現わしたと 思ったら わたしより 三歳も年上になっていたん ですもの〉(同)と言っていることだ。実際には、この場面(〈一九一四年夏〉)でジャックが登場するのは百十三ページ、その前、〈父の死〉で最後にジャックの行動が描かれるのは九十二ページで、〈行方知れず〉だったのはせいぜい二十ページくらい。〈百ページちかく〉登場しなかったのはそれ以前、〈美しい季節〉の終わりから〈ラ・ソレリーナ〉でアントワーヌとローザンヌで再会するまでのほうだ。高校卒業直前に『チボー家の人々』を読んでいた実地子は十八歳のはずだから、漫画のテキストで言及されているジャックは二十一歳、ジャックは一八九〇年生まれだから一九一一年。高野のテキストで言及されているのは、〈ラ・ソレリーナ〉のジャックで間違いない。しかしコマのなかの絵は、〈一九一四年夏〉のジャックを描いている。何気ない操作で、〈美しい季節〉と〈一九一四年夏〉に挟まれた〈診察〉〈ラ・ソレリーナ〉〈父の死〉を跳びこえている、ということだ。そこで描かれていたのは、年老いたチボー氏が病み衰え死んでいく経過だった。それはまだ父親が健在で、自分はこれから社会に出て行こうとする十八歳の少女には、あまり重要ではない主題だったのだろう。面白いなあ。155/359

 

6月18日(火)雨。起きたころにはもう降り出していて、低気圧性の不調を感じる。

 朝からNBAファイナル第五戦、セルティックス対マーベリックスを観。セルティックスが大差で勝って優勝を決めた。おめでとうございます。この一年間、めちゃバスケを観てきたが、これでBリーグもNBAもシーズン終了。しかし今週からオリンピック前の男女代表の強化試合があるし、EUROもやってるし、なんだかこの一年ちょいでスポーツづいてきている。いずれそういう小説を書くのだろうか。155/359

 

6月19日(水)快晴。正午から歯医者なので、朝起きたときからけっこうナーバスになっている。

 今日は歯のクリーニングの日。予約の二分前くらいに着いてから呼ばれるまで二十分ちょいかかった、その間がいちばんしんどかった。処置がはじまると、歯科衛生士さんとのコミュニケーションが多かったからか、発作は起きず。私はとにかく不摂生で、注意や指導が多い患者なのだが、歯科衛生士さんはタメ口と敬体を織り交ぜた、しかし失礼な感じを受けないしゃべりかたで、熟練の話芸を感じる。全体にchillな感じで仕事をしているのも良かったな。赤の他人の口を覗いて叱ったり指導したりする、それを仕事として日々続ける、というのは、どういう精神状態になるものなんだろう。

 そういえば、川島誠『もういちど走り出そう』の主人公が審美歯科の開業医だった。川島の小説は高校生のころけっこう好きだったので、同作も二、三度読んだ。しかし今思い出せるのは主人公がボルボに乗ってたことくらいだな……。家族や従業員のような、語り手(の技術)を中心にした仕事で生活してる人がいるのだから、事故を起こして怪我をするわけにはいかない、そのために私は高価だけど頑丈なボルボに乗るのだ、みたいなことが書かれていて、なんだか感銘を受けたのだった。

 大学生になって観た『ゲゲゲの女房』のなかで主人公の水木しげるが、家族やアシスタントを指して、自分は〈一個小隊〉を率いているのだからみんなを食わせていかねばならんのだ、と言っているのを観て、川島の主人公のことを思い出しもした。

 と、頭に浮かぶままに書いてきたが、これはもう、他人の口を覗くこととはぜんぜん関係ないか。

 二錠飲んだウットの副作用か、夜まで朦朧としていた。155/359

 

6月20日(木)雲の多い晴。ぐっすり寝て起きた、ら、だいぶ回復していた。今日も十時から歯医者。歯を抜いた。今日は薬がよく効いたのか、終始まったく平穏無事で、発作の予兆もなく抜き終える。こういう日もあるのだなあ。しかしだいぶ血が出たし、疲れてしまった、ので、午後はのんびり過ごす。

 ということで『チボー家の人々』。しかしどうも頭に入ってこず、けっきょく読みはじめたところに栞を挟んで本を閉じた。

 杉田俊介の、精神科の病棟から退院した、というツイートを見る。二十八日間の入院。しかし退院翌日の今日も鬱に襲われているようで、つらそう。先週の日記に、杉田の鬱がこの入院生活で治ったら、私は自分が取り残された気分になる気がする、みたいなことを書いた。しかし実際に杉田が、退院後も鬱に苦しんでるのを読むと、はやく治ってほしい、とも思う。今夜寝て明日の朝、目が覚めたら私と杉田のあれこれが同時にケロッと治ってる、のが理想、なんだろうな。みんな元気になればいい。155/359

 

6月21日(金)雨。雨が強いので散歩もできず、除湿機を回してもジメジメした部屋で始業。十三時から、これで三日連続の歯医者。本を持っていくのを忘れたが、発作は起きず。ウットの効果とはいえ、二日連続で大丈夫だったのはうれしい。昨日抜歯したところの経過観察だけなので、二、三分で終わった。

 北海道新聞の書評エッセイで紹介するために坂口恭平・道草晴子『生きのびるための事務』(マガジンハウス)を興味深く読む。坂口はアジテーションが上手いので、氏と同じような生きかたをしないことが何か選択を誤っているように感じられる、のが恐ろしい。155/359

 

6月22日(土)曇。朝からWOWOWでEUROのトルコ対ジョージアを観。攻守の入れ替わりが激しくて、しかし守備がタイトなので大味にはならない好ゲームだった。

 試合後ただちにバスケットLIVEに切り替えて、男子の日本対オーストラリア。こちらも絞まった良い試合だった。最後のちょっとした精度の差でオーストラリアの勝ち。

 それから豆腐やプリンや蒸したカボチャを食いつつ、EUROのスペイン対イタリアを観。ドンナルンマがファインセーブを繰り返していて、ACミランを裏切りさえしなければ最高の選手だったのに……と、移籍から三年経ったのにまだ惜しまれる。

 夕方から北海道新聞の書評エッセイを書く。『生きのびるための事務』について。今週は水から金曜日に三日連続で歯医者で、ナーバスになって仕事がいまいち手に着かなかった、そのことをなんとなく後ろめたく思っていた、ので、土曜の夜にひと仕事やっつけたことで何か取り戻せたような気持ち。

『文藝春秋』二〇二四年一月号の、気になる記事をいくつか読む。〈私が大切にしている10のこと〉という特集の、角田光代「執筆は9時〜5時、絶対に残業しない」の一節が印象に残る。

 

 もう何十年も小説を書いてきたので、新しい小説を書き始める時には、「こうすれば書きやすい」とか「この手の話はすぐ書ける」ということは直感的に分かります。でも、それは、私にとっては「ずる」だし、安易な道です。だから、あえて難しい道を選んで、今までやったことのない仕事を自分に課すようにしています。

 例えばAとBの題材を考えて、編集者の方に持ち込むと、私自身は心の中で「Aの方がいいな」と思っていても、たいていみんな「絶対にBがいい!」と言います(笑)。編集者は難しい道をちゃんと選んでくれる。だから私もその意見に従います。

P.262

 

 私がここに感銘を受けた、のは、先月編集者に、一から全部書き直すような大幅な改稿を提案されたからだ。その理由や効果も説得力のあるものだったがしかし、それを書くの、めちゃくちゃ難しいっすねえ、と言う私に氏は、難しいですよねえ、ふふ、と笑ったのだった。なんかやる気が出てきた。155/359

 

6月23日(日)雨、午後は曇。朝から気圧性の不調。テイラックを飲む。

 散歩のあと『チボー家の人々』を進読した、が、また頭に入ってこず、また読みはじめのページに栞を挟む。

 しばらく伏せってまた散歩に出。しかし発作を起こしてしまう。朦朧としながらなんとか歩いていた、ら、踵に何かやわらかいものの感触があって、犬の糞を踏んでしまった、と気づく。それで一気に現実に引き戻された感じで、そこからは記憶も明瞭。すぐ近くに、中身が半分くらい残ったミネラルウォーターのペットボトルが捨てられていた、のでその水で洗い、路肩の草むらにこすりつけて落とす。

 帰宅して、古い歯ブラシをつかってベランダで靴を洗った。ウンがついたぞ!と強がってみたものの、どうにもみじめな気持ち。怒り、というか、悔しさ、というか、自分がこんなありさまであることにうんざりしてしまう。しかしそんなことを考えていても行き着く先は希死念慮以外にない、ので、気分転換に(うんちも踏んだし)シャワーを浴びた。

 一時間ほど寝て、ちょっと回復。男子バスケの日本対オーストラリアを観る。親善試合なので、同点で四十分が終わった時点で試合終了。札幌開催ということで、今日誕生日のジョシュ・ホーキンソン選手が試合後に松山千春を歌っていた。

 それからすぐにEUROのオランダ対フランスを観。スコアレスドローの良い試合だった。最近めちゃハイレベルなサッカーの試合をいくつも観られてうれしい。森保ジャパンの試合を観てサッカーから離れそうになっていたが、おれはやっぱりサッカーが好きなんだなよな。155/359

 

6月24日(月)曇。昨日の発作を引きずっている。朝の散歩はせず。午前はもくもく作業。午後一時からカウンセリング。昨日の発作について話す。自分への怒り、悔しさ、が、話してるうちに、悲しさ、に転換されて、なんだか泣きそうになってしまう。が、最終的には好転して終わった。カウンセリングをはじめたころより、そうやって、一度は落ち込んだりしんどくなっても、復帰してくるのが早くなった、というようなことを言われる。

 そのあとすぐに『チボー家の人々』を進読。百五十五ページから読み進めようとして頭に入らず断念、を二度やっていたが、今日は入ってきた。カウンセリングでメンタルが良くなったのかもしれない。

 ジャックが所属する社会主義運動組織の拠点で、ジュネーヴの路上で、延々議論が続く。ちょっと『失われた時を求めて』の社交界の場面を思わせる長さ。そのさなか、新聞の売り子が、たぶん号外を持って走り回っている。〈「たいへんだ! たいへんだ! 《オーストリヤの政治的暗殺事件》!」〉(P.178)オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻が暗殺されたサラエボ事件の発生の第一報。

 第七部〈一九一四年夏〉に入ってから、目次では、〈一 一九一四年六月二十八日・日曜日──ジュネーヴにて。ジャック、パタースンのアトリエでモデルとなる〉(P.6)みたいに、各節の日付が明記されている。サラエボ事件の発生をジャックたちが知った日も、七月十二日、と書かれていた。しかし高校一年で世界史に挫折した私は、サラエボ事件が第一次世界大戦につながった、ということは知ってるけどそれがいったい何年の何月何日だったのかは憶えていなかった。世界史の教師の、この銃撃はまさに世界大戦の号砲でもあったわけです、という言い回しだけを印象にとどめていて、何となく短絡的に、サラエボ事件から即座に世界大戦がはじまった、と思っていた。しかしそうでもなかったようで、二週間後もジャックたちは、慌ただしく飛び回ってはいるが、まだ戦争ははじまらない。

『失われた時を求めて』の終盤(第七巻)で第一次世界大戦がはじまり、語り手が灯火統制下のパリをさ迷う様子が描かれていた(そんな状況なのにシャルリュス氏は男娼窟で鞭打たれてよろこんでいた)が、『チボー家の人々』でも、主人公たちは戦争に巻き込まれるのだろうか。

 夜は大量の蒸し野菜を食いながら、EUROのデンマーク対イングランド、トルコ対ポルトガルを立て続けに観。マグロの漬け丼も食べたので満腹、打ち上がる。180/359

 

6月25日(火)曇。朝の散歩中、駅前に都知事選のポスター掲示板があって、話題になっているNHK党のポスターをはじめて見た。五千円を支払えば一ヶ所の掲示板に自分がデザインしたポスターを(同党からの立候補者の枠すべてに)貼れる、という商売で、しかし神楽坂駅前の掲示板のは、党首の顔が写された、同党のベーシックなポスターだった。それでもまったく同じデザインのものが十八枚、それも(立候補順に貼る場所が指定されていて、同党の立候補者にはひと続きの番号が付与されている、のだが、掲示板の数字が変則的な並びかたをしているために)ほかの候補者を囲うような配置で貼られている、のはなかなか異様な光景だった。こういう手合いは粛々と落選させるべきだし、さすがにこのなかの一人が当選することはないだろう。しかしこう、選挙が頓馬の遊び場になったのはなんでだろうな。

 午前はもくもく作業。昼の散歩で、近所をぐるっと一周して公園で五分ほど座っていた、ら、あちこちを蚊に刺された。去年の夏も同じ公園の同じベンチで、同じようにあちこちを蚊に刺されていた。どうにかこうにか、また一年を生きたのだなあ、となる。このままずっと生きていたい。

 夕方、また二、三分外を歩いて、カルディのスープで冷麺を啜る。そのあとまた二、三分散歩。細切れに外に出る日だ。ベランダで髪を切って風呂に入り、読書。『チボー家の人々』も。

 ジャックたちの議論から、場面が変わって、ジャックの友人シモン・ドゥ・バタンクールの妻であるアンヌの日常、に一節がまるごと費やされる。夫は娘の健康のために(主治医アントワーヌの勧めにしたがって、なのか)海辺の街に滞在していて、その間アンヌはアントワーヌと交際しているよう。アンヌはアントワーヌの家、かつて父チボー氏が暮らした家を訪れた、が、恋人は不在。置き手紙を残して帰る。そしてゆっくり風呂に入る。〈アントワーヌ……彼のことを考えるとき、彼女にはいつも欲情がともなっていた。〉(P.206)というのはなんか、シンプルだけどすさまじい一文だ。

 

 アンヌは、両足をのばし、頭をあおむけにしながら目をとじた。けだるい感じが、まるでほこりのように湯の中に溶けていった。動物的な気持のよさが、からだをぐったりさせていった。上のほうでは、人けのない大きな建物がしんと静まりかえっている。耳にはいるものは、ひんやりとしたタイルの上に寝ころんでいる犬のいびき、近所のコートのアスファルトの上に聞こえるローラー・スケートのはるかなきしみ、それに、よく響く音を立てて、あいだをおいて水栓からしたたり落ちる水滴の音。

P.206

 

 この体言止めでこの節終わり。なんだかとつぜんアニー・エルノーみたいだ。

 アントワーヌは父の遺産をつかって設備をそろえ、家(父が死んだ家)を自分の小児医療の研究所にした。そこを一時帰国してきたジャックが訪ねる。けっきょくジャックはここでも思想的な議論をふっかける。変わっちまったなあ。しかしかなり、それこそ(映画で観ただけしか知らないが)連合赤軍を思わせるような激しい議論をやっている。この直前におかれたアンヌの節の穏やかさと比して、その激烈さがより際立っている。

 アントワーヌは弟に、〈「三十三歳……後世にのこるような仕事をしようと思ったら、いよいよ真剣にはじめなければ! なあ」〉(P.212)と語りかけている。そうなんだよなあ。私は三十四歳で、後世にのこるような仕事をしたいと思っている。いよいよ真剣にはじめなければ!

 寝る前にEUROのイタリア対クロアチアを観。イタリアは引き分け以上で、クロアチアは勝利でグループ二位通過が決まる。イタリアが負ければ通過の可能性はかなり厳しく、クロアチアは引き分け以下で敗退確定、という、天国か地獄、の試合。後半にモドリッチのゴールで先制されたイタリアが、後半ロスタイムに同点ゴール、再開と同時に試合終了、という劇的な終幕で、イタリアの通過とクロアチアの敗退が決まった。イタリア贔屓の私はたいへんに興奮して、今日はもう眠れない!と思ったのだが、三十分くらいでスッと寝た。229/359

 

6月26日(水)曇。午後の散歩のあとようやく始業。無理なくほどほどに。

 夕方、ベランダに椅子を出して、古井由吉『楽天の日々』(キノブックス)を進読。古井は大学教員をしていた三十一歳のとき、引越を機にはじめて自分の〈仕事部屋〉をもった。しかし新居に移ったあと、本が読めなくなったという。

 

 引越は個人にとってなかなかの大事業であり、その後でしばしば家の主人や主婦が病むことがあると言われる。たいした気苦労もしなかったつもりだが、そんなこともあったのだろう。それに三十過ぎといえば、青年からいよいよ中年に移る、これもひとつの更年期である。実際その秋、虫歯にひどく苦しんで、医者から初めて、「老化」という言葉を我が身のこととして聞かされた。

 授業の準備はしっかりとやった。しかしあとは、せっかくのお仕事部屋はお留守であるのだ。居間のほうに寝そべっている。手元には本を用意しているが、二ページと読まぬうちに頭の中にモヤ、どころか濃霧が降りてくる。その底から生き迷う船の霧笛が哀しげに聞こえて来るような、そんな気分だった。

「いつもそばに本が」P.73-74

 

 状況はまったく違うし、なにより古井は家族を養うだけの仕事はやったうえで、のことではあるのだが、三十代で心を病んで、何も考えられない時間が長く、日によっては読書もままならない自分をちょっと重ねてしまう。歯医者にも通ってるし。

 そう考えて、ふと空を見上げる。毎月文芸誌は出続け、自分より後にデビューした人たちが本を出したり何かを受賞したりしていて、それなのに自分は、作品を発表してもほとんど反響なく、日々散歩するのがやっとで、無理なくほどほどに、しか働けずにいる。それで常に焦り続けている気がする、が、こうやって本を読みながらふと空を見上げる瞬間はけっこう気持ちが良く、だからなにはともあれ自分のペースでやってけばいいのだ、と思う。生きればいい。

 夜、昨夜観たイタリア対クロアチアの後半をもう一度観。イタリアの勝ち試合はなんぼ観てもええ、と思ったが、勝ち試合ではなく、ほぼ負けてたのをラストプレーでどうにか引き分けに持ちこんだ試合だった。229/359

 

6月27日(木)曇、ときどき日射し。今日は歯医者なので、武装、みたいな気持ちでネイルを(目立たないグレージュですが)塗る。しかし乾く前に左の小指の爪がどこかに触れてしまい、きれいに直す時間もなく、乱れたまま歯医者へ。ものの二、三分で麻酔もなく抜糸してくれて、それで終わった。

 待合室で読んでいたドナルド・キーン「ローマ字でしか欠けなかった啄木の真実」(中公文庫版『日本語の美』所収)のなかに、こういう記述があった。啄木がローマ字で日記を書いたのは、他人(とりわけ妻)には読めない書きかたをすることで、率直な内面を書く安心を得るためだった、という。

 

啄木は日記を書きながら自分の書いたことについて疑問を持っていた。自分の日記の信憑性を疑う者は、啄木以前にはいなかったような気がします。(…)例えば『ローマ字日記』の中でも一番充実した一日となった四月十日の記述には、次のような言葉を見かけます。

「けさ書いておいたことは ウソだ、少なくとも 予にとっての第一義ではない」

 ローマ字で書くまでして自分の本心を吐露した日記であれば何の疑問もない筈ですけれど、啄木はいかにも自分を外から見ていたような感じを受けます。

P.113-114

 

 誰にも読まれない日記(啄木の妻は女学校を卒業したのだからローマ字を読めたはずだ、とも著者は指摘しているが)はひたすらに自分自身との対話だ。見栄や願望を混ぜ込んでも検証されることはないし、自分をいくらでも甘やかすことができる。

 私は今こうして自サイトで公開する日記を書くまでに、小学校一年生の宿題を除けば日記が三日以上続いたことがない。小学校の日記は〈先生あのね〉で書きはじめることになっていた。だから誰にも読まれない日記というのを書いたことがほとんどない、のだが、あるいはそういう日記には、読者の存在を想定したとき以上の虚飾がまぶされるものなのかもしれない。

 と、興味深く感じられたので、歯医者のあとすぐ最寄りの図書館へ。蔵書検索もせずに行ったのだが、運良く筑摩書房の啄木全集が所蔵されていた。

 明治四十二(一九〇九)年四月十日の項の冒頭で、啄木は自然主義文学について考察している。最近の短篇小説は〈一種の新しい写生文〉に過ぎない、それは、〈人生観としての自然主義哲学の権威〉がなくなってきたからだ。〈作家の人生に対する態度は、傍観ではいけぬ。作家は批評家でなければならぬ。でなければ、人生の改革者でなければならぬ。〉(P.127-128)啄木はここで〈積極的自然主義〉という言葉を使っているが、単に描写するだけではなく、その対象に関与して小説を書くべきだ、みたいな感じなんだろうか。ともあれ、そういう、文学的マニフェストにも見える一節のあと、線で区切って(おそらく時間をおいて冷静になってから)こう続けている。

 

 今朝書いておいたことは嘘だ、少なくとも予にとっての第一義ではない。いかなることにしろ、予は、人間の事業というものはえらいものと思わぬ。ほかのことより文学をえらい、とおといと思っていたのはまだえらいとはどんな事か知らぬ時のことであった。人間のすることで何一つえらいことがあり得るものか。人間そのものがすでにえらくも尊くもないのだ。

P.128

 

 日記の虚構性、についての話題かと思って読んだのだけど、あんまりそういう話じゃなかったな……。

 しかし啄木の日記、キーンが絶讃するだけあって面白い。〈一番充実した一日〉である四月十日、啄木は、二段組で六ページほども書いている。文学についての考察もあれば仕事の描写もあり、半年ほどで十三、四回も盛り場に行って十人ほどの娼婦と寝た、とその名前を並べたりセックスの描写をしてみたり、それで昂ぶったのか知らんが唐突に詩を書いたりしている。

 

死だ! 死だ! 私の願いはこれ

たった一つだ! ああ!

 

あっ、あっ、ほんとに殺すのか? 待ってくれ、

ありがたい神様、あ、ちょっと!

 

ほんの少し、パンを買うだけだ、五─五─五銭でもいい!

殺すくらいのお慈悲があるなら!

P.133

 

 ほとんどギャグではないか。今日は四月十日のところしか読まなかったけど、『ローマ字日記』、ぜんぶ読んでみたいな。

 夕方、ベランダに椅子を出して『楽天の日々』を進読。二〇一一年のはじめの一週間の日記が収録されていた。

 

 一月六日(木)晴

 新年からよくはたらきますね、と自分で自分に声をかけている。年寄りをからかい気味のお愛想だが、おかげさまで、と答えておく。その腹の内では、人の気も知らないで、とつぶやいてみる。いつ一行も書けなくなるか、先は見えないのだから、と。しかしまた考えてみれば、この道に入ってから四十余年、いつでもそうしてきた。言葉というものには、それに仕えてきた者をいつ見捨てるかわからないところがある。

P.185

 

〈言葉というものには、それに仕えてきた者をいつ見捨てるかわからないところがある。〉というのはすごい言葉だ。

 ガルシア=マルケス未完の遺作である『出会いはいつも八月』の日本語訳が三月に出た。新潮社のサイトには同作を訳した旦敬介のテキストが掲載されている。〈作者が認知症によって執筆できなくなる直前の時期に書いていたという作品で、時期的には、『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書きあげた直後から2004年にかけて取り組んでいたようである。〉ガルシア=マルケスが亡くなったのは二〇一四年であることを思えば、彼は最後の十年ほどを、言葉に見捨てられて過ごした、ということかもしれない。たまたま今朝この旦の文章を読んだばかりだったので、何か響き合ったかんじ。

 夜、マックの期間限定のやつを食いながら、NBAドラフトの一日目を観。しかし私はドラフト対象の選手のことをブロニー・ジェームズと富永啓生しか知らない、ので、さすがにあんまり楽しめず。途中で止めてちょっと飲酒。六パーセントのビールをお猪口に一杯程度、という少量だったのだが、なんせ下戸なもので、酔っぱらって記憶をなくす。朝起きたら、〈世人のすなる飲酒といふものを、下戸もしてみむとてするなり〉とスマホのメモ帖に残っていた。229/359

 

6月28日(金)雨。二日酔いなのか気圧性のものなのか、朝から頭痛。シャワーを浴びて水を飲んだら楽になった。

 午前はこまごまとした作業をやる。観はしなかったのだが、今朝のドラフトでブロニーが、父レブロンのいるレイカーズに指名されたそう。富永選手はドラフト外。

 夕方まで作業、そのあとは『楽天の日々』。日経新聞〈プロムナード〉欄に連載されたエッセイのなかにこういう一文があった。

 

 五十過ぎの春先に大病に捕まり、さいわい手術は順調に済んだが、あとの回復は本人の役目、せいぜい運動につとめて、日を追って体力がついてくるようでも、気持からすれば三歩前進二歩後退、時には一進一退、そんなふうに春から夏へ、秋から冬まで来て、ちょうど冬至の日の、穏やかな暮れ方、路に散り敷く枯葉を見て歩くうちにふっと、身体がすっかり改まっているように感じられたものだ。

P.226

 

 古井由吉の文としては平生のものだけれど、こんなにクセの強い一文が新聞に載っていたと思うと痛快な気もする。四六判で二ページに満たない短さなのに、古井の文章を通り抜けてきたという疲労にも似た実感があって、熟達の仕事、という感じ。興奮してしまった。229/359

 

6月29日(土)曇、昼は日射しも。毎朝の散歩コースにある小学校の、正門の左右に都知事選のポスターの掲示板があるのだが、そのなかの一人のものだけが明らかにひどく傷んでいた。近づいて見ると何かグレーのインクで候補者の顔が塗りつぶされてもいる。見える範囲の記載からして、どうやら、外国人への生活保護支給に反対する、みたいな内容。選挙ポスターを破っちゃいかん、というのは前提として、しかしこの候補は、ほかの場所ではほぼ全裸の女性が開脚している写真を貼ってたというし、ここでは排外主義的な主張をしてもいて、こういうのを小学生に見せたくない、というのはすごくよくわかる。小学校のすぐ近くに保育園もあって、ちょうど何かのイベントをやっているようで、私の腰より背の低い子供らが親に手を引かれて出入りしている。あの候補にも私にも、こういうころがあったのだ。おたがい、なんでこうなっちゃったんですかね、と、ぐちゃぐちゃにされて判別できない顔に語りかけそうになった、が、もともとその顔は、人気映画のキャラクターを模倣したメイクで塗りつぶされているのだった。

 帰宅してすこし昼寝。起きてすぐ『チボー家の人々』。ジャックとアントワーヌの議論が延々続く。いつまでやるねん、と思っていたら、ダニエルの妹ジェンニーが飛びこんでくる。ジャックがそこにいることに驚きつつジェンニーは、父ジェロームの重傷を告げる。ウィーンにいると思われていたジェロームは、いつの間にかパリに戻っており、しかし家族のもとではなくホテルで一人住まいをしていた。それが今日、とつぜんピストル自殺を試みた。アントワーヌが応急処置をして、これから手術。

 そのあとちょっと走って、マックの期間限定の、こないだ食べてなかったやつを食い、掃除。玄関脇のあれこれの雑貨置き場や、テーブルが本や何かに溢れて資料も広げられないくらいだった、のを片付ける。断捨離も。

 午後またウトウトしてた、ら、古川真人からLINEがきていた。夕食として豚肉を蒸したやつと、白米にしらすを乗っけたやつを、EUROのトルコ対チェコの試合を見つつ、古川さんに返事をしつつ。後半に電話でおしゃべり。最近やっちゃった醜態をいろいろ話してくれた、のだが、これ日記に書かないでね、と念を押される。そういう保身をするようになってしまったのだなあ。試合は前半から退場者(イエロー二枚)が出る荒れ模様で、終盤にトルコが加点して二対一で決勝トーナメント進出、チェコは敗退、という激しい試合。試合後にはもみ合いも。レフェリーの笛が良くないタイプの荒れ試合だった。264/359

 

6月30日(日)曇、午後に雨。起きてすぐ、せんねん灸を、自律神経に効くというツボに貼る。足と腰、手。全身から発汗しだして、ぐっすり二度寝。

 昼めしを食いながらEUROのイタリア対スイスを見。イタリアを応援していたのだが、前半はぜんぜんいいところなし。というかスイスが良い。戦術が練られている、し、選手たちのプレーの強度が高い。だから個々の局面でも全体としてもイタリアは圧倒されつづけ、スイスの狙い通りの展開で失点。

 ハーフタイムで一旦止めてウトウトしていた、ら、大粒の雨が降り出す。開け放してた窓を閉めて回ったら目が冴えてしまった。

 ひとしきり読書をしてから、夕方にエビのパスタを作って、食いながら後半。開始直後にスイスが加点。けっきょくイタリアは最後まで元気なく、二対〇、というスコア以上の、惨敗、という印象の負け。ディフェンスラインの世代交代の谷間の時期、とはいえ、残念だな。

 前回大会のころは私もいまより遠出に耐えられたので、都内のちょっとお高い、WOWOWが観られるホテルに泊まって観た。PK戦の末にイタリアが勝ったとき、ふわふわのベッドの上で跳びはねた、のが、なんだかキラキラした記憶として思い出される。

 しかしスイスがとても良かった。解説の林陵平氏も言っていたことだけど、偽ウイングバック、という、新しい戦術的ブームの誕生を目撃してしまったかもしれない。昂ぶった。

 そのあとは夜まで読書。『チボー家の人々』も。ジェロームはどうやら、仕事がらみで大きな負債を負わされたことが原因で自殺をこころみたそう。精神的にも金銭的にも苦労ばかりかけられてきた、が、夫人は苦しむ夫の枕元で涙を流す。

 

 絶望感をも、愛情をも、ともにきわめつくすことのできなかった彼女は、ただ涙をとおして、ジェロームから残されているもの、自分の一生かけてのたったひとつの、そしてまたもっとも大きな愛の対象の残していてくれるものをながめていた。

P.275-276

 

 この一連の描写はなんか、もらい泣きしそうになっちゃったですね。

 ジェロームはきわめて難しい状況。フォンタナン家の人々を見舞いに訪れたジャックはそこで、ダニエルと再会を果たす。ジャックが高等師範学校入学の直前に失踪して以来、四年ぶり。しかしその間に、ジャックは政治運動の闘士になり、ダニエルは職業軍人としての経験を積んだ。二人の暮らしは大きく分かたれて、その生活の違いは体格や態度にまで表れている。面と向かっての会話では、手紙のようにレトリックで取り繕うことができなくて、二人の語らいからは、かつての特別な親密さは消えてしまった。

 いっぽうアントワーヌは、ジェロームの容態がひとまず急変はしなさそうな隙に抜け出して、アンヌとのデートに向かう。アントワーヌの運転する自動車で、二人はブーローニュの森を通り抜ける。ブーローニュの森、といえば私にとっては『失われた時を求めて』のことで、語り手はたしか、アルベルチーヌといっしょにブローニュの森のレストランで食事をとった。別の小説に描かれた二つの出来事は、設定としては数年しか離れていないはずで、彼らは同じ時代の同じ街に住んでいるのだ、と改めて思う。現代の東京を舞台にした作品群を読んでそういうことを感じたことはないから、これは、パリのことをぜんぜん知らないから思うことなのかもな。309/359

 

7月1日(月)交互に雨と曇。低気圧で具合優れず、昨夜なんだか夜更かししてしまったので疲れていて、今日は全休とする。

 午前のうちに黄色い本を進読。戦争の気配が次第に色濃くなっていく。ジャックは各地を行き来して運動に邁進している。パリに滞在しているとき、不意に〈アントワーヌに電話をかけたい誘惑〉(P.329)に駆られて飛び起きる。そして電話に出たアントワーヌに、〈ジェロームが、三日にわたって生死の境を彷徨したのち意識を回復することなしにゆうべ死んでいったこと〉(P330)を伝えられた。

 そのあと、フォンタナン家の人々それぞれの喪の過ごしかたが描かれる。悲しみに沈む夫人、ジャックへの思慕で傷心を紛らわせるジェンニー、とにかく仕事を進めようと、ジャックに会ってもどこか快活に振る舞うダニエル。アトリエで自作の絵を検分しながら、ダニエルはジャックにこういうことを語っている。

 

「けっきょく、才能なんていうものは──それがなくても困るけれど──ほとんどとるにたりないものさ! 何よりたいせつなのは勉強だ。勉強しなければ、才能なんか花火にすぎない。ちょっとはあっといわせもする。だが、けっきょくなにも残らないんだ」彼は、惜しそうなようすで、つぎつぎにフレームを三枚取りのけてからためいきをついた。「やつらに、ぜった何も売らずにすめばうれしいんだが。そして、一生かけて、勉強、勉強で押しとおすんだ」

P.352

 

 勉強しなければ、才能なんか花火にすぎない! 私はどうしても小説に引きつけて考えてしまうのだけど、こういう花火は無数に見てきた。おれも勉強、勉強で押しとおすんだ。がんばろう、となって三巻おしまい。

 昼は辛い袋麺にウインナーを投入したやつを啜り、汗だくになった。蒸し暑さもあって自分が汗臭いので入浴、風呂上がりにEUROのドイツ対デンマークを観。デンマークのアナセン選手が、ゴールを決めたと思ったら(チームメイトの)オフサイドで取り消され、そのすぐあとに(故意ではないけど)ボールを手に当ててPKを献上、そしてカウンターの守備の局面ではあっさり裏を取られて失点、と、今日は厄日だった。359/359

 

7月2日(火)曇。昨日は一日休んでいた、のに、朝起きると疲れ切っている。何か抜本的な解決が必要なんだろうな。

 近所の選挙ポスターの掲示板に、今回は立候補してない外山恒一のものが貼られていた。候補の一人のポスター掲載枠を譲り受けたものらしい。奇天烈系立候補者の血が騒いだのだろう。そして今日見た掲示板でも、土曜に通った小学校前の掲示板で汚損されてた候補のポスターだけが、ほとんど読み取れないくらいぐちゃぐちゃになっていた。よく見ると、紫外線のせいか雨のせいか、全体に褪色していて、人為的な汚損にくわえて、そもそもの紙質や印刷が良くなかったのかもしれない。

 一日作業。夜、素麺と鰆のバターソテーを食いながら、EUROのスペイン対ジョージア。ジョージアも頑張っていたのだが最後は力負け、という感じの四対一。

 終わったあとそのまま寝そうになりながら、明日の朝、起きたらすぐに食器を洗って洗濯機を回して日記を書いて……とタスクを考えているとあまりの多さにうんざりして、エイヤッと起き上がってぜんぶやる。エイヤッでぜんぶやっつけられたことに、一日の終わりになんだか自己肯定感が得られた。ついでに『ゴルゴ13』も読んじゃう。

 

7月3日(水)曇。昼まで伏せる。

 昼寝をしてちょっと回復。古井由吉『楽天の日々』についての読書ノートをつける。二〇一二年以降ずっと、文庫サイズのノートに書き続けているもの。古井は一九九一年に椎間板ヘルニアの、一九九八年から一九九九年にかけて眼の手術を受けて入院生活を送った。一九九〇年から二〇一五年にかけて書き継がれたエッセイを集めた本書は、その二度の大病を間に挟んでいる。そしてエッセイは、時系列順に収録されるのではなく、新しいものから遡るように並べられている。だから本書は、そして本書を読む読者は、つねに若いほうへいざなわれていく……ということを書こうとして、〈つねに若いほええ〉と書いてしまう。すぐに修正テープで消して書き直した、のだが、なんでおれはそんな書き間違いをしたのか、としばらく考え込んでしまう。先へ先へと急ぐあまり〈も〉を(ふたつに分割するように)〈しこ〉と書いてしまうことはけっこうあったし、それはなんというか、そうなってしまう機序がわかる、のだが、〈ほええ〉はいったいどういう了簡なのか。いやはや。

 午後になってからようやく始業。時っ感タイマー、という、Twitterで頭木弘樹が紹介して、そのツイートを引用しながら斎藤真理子が、柴田元幸に教わって自分も使ってる、と絶讃していた、経過時間を色で可視化するタイマーをこないだ買った。今日はそれがすごく効果を発揮して、たいへん捗った。朝は療養日にしようと思うくらいの不調だったのにな。

 夜、EUROのフランス対ベルギー。どうもフィニッシュの精度が低いけど、中盤でバシバシぶつかりあう良い試合だった。試合が終わったころにはかなり眠くなっていたが、今日もエイヤッと起きて、お猪口一杯くらいの日本酒を飲みながら日記を書いて、今から家事。

 

7月4日(木)晴。今日も具合良くなし。ここ数日メンタルも体調もダウナーになっていて、気が滅入る。

 日が傾いてきたころ、とにかく何かやろう、と奮起して作業に手をつける。無理せずちょっとだけ、二、三時間。

 夜は長谷川あかりレシピで冷やしカレーを作って、食いながら女子バスケの代表戦、日本対ニュージーランドを観。オリンピックに向けた強化試合なのだが、ニュージーランドが五輪予選で敗退して世代交代の緒に就いたばかり、ということもあり、チームとしての仕上がりが違いすぎて、あんまり強化にならなさそうな内容。試合終了まで耐えられずに寝てしまう。

 

7月5日(金)快晴。ぐっすり寝、だいぶ回復。朝の散歩のあと、なんだか休日の気持ちになって、今日は読書の日とする。

 午後三時ごろ、散歩に出。炎天下のなかを図書館まで行き、借りてたものを返して、ちょっと本を探す。本棚の間をウロウロする、のを久しぶりにやり、読みたい本が何冊か。それから四、五分ジョギング。炎天下のジョギングなのですぐ全身が火照り、息が切れた。しかし気持ち良かったな。

 私はサッカー、陸上、ラグビー、山岳、と、小学校から高校まで屋外競技ばかりをやっていた。真夏のトレーニングは気持ちの良いものだ、という、そのころに刷り込まれた認識を今もまだ持っている。しかし身体を動かすことの快について、日記にたびたび書きつけているのに、なかなか運動の習慣が身につかない。すぐ体調崩すからか。

 

7月6日(土)曇、午後一時豪雨。自サイトで公開する黄色い本文章を起筆。

 午後、バスケットLIVEで女子の日本対ニュージーランドを観。一昨日の同一カードの試合と同じくワンサイドゲームで、さすがにちょっと緊張感がなく、やや退屈。しかしニュージーランドはローレン・ウィッテイカー選手が一人だけすごかった。

 試合後、読書をしてたら、とつぜん雷が鳴って雨が降り出す。一分に数回も雷鳴が響き、窓に雨が吹きつける。稲妻も見てちょっと興奮しちゃう。

 風呂に入って『ゴルゴ13』を読み、EUROのドイツ対スペインを観。たいへんフィジカルな展開で、微妙な判定もありつつ、延長戦でスペインの勝利。今日は郵便受けに一度行っただけでほぼ引きこもり。夕刊も取ってきてない。

 

7月7日(日)晴。今日は都知事選の投票日。午前のうちに出、投票所の小学校へ。漢字を書き間違えないよう、ハス、もやう、ハス、もやう、と頭のなかで唱えていたのだが、投票所に入ってみると記載台に全候補者のリストが貼ってあった。じゃあ表記忘れててもよかったのか、と、毎回思ってるような。子供のいない大人が小学校に入れる数少ない機会なので、下駄箱の低さとか、人工芝の校庭の、陸上トラックのレーンの細さとかを印象に留める。

 コンビニに寄って帰宅。外に出てたのはせいぜい二十分程度だったと思うのだが、めちゃくちゃ汗をかいた。シャワーを浴びて昼寝、起きてすぐEUROのポルトガル対フランスを観。クリスティアーノ・ロナウドが無得点で終わるとは……。

 そのあとバスケットLIVEで男子の日韓戦も。ハーフタイムに調べてみると、都知事選は八時の締切と同時に現職の三選が確定していた。速報では前安芸高田市長が二位。現職の勝利はわりと予想できていたことだったけど、罵倒の歯切れの良さだけが特徴だと思っていた前市長の躍進にはびっくりしてしまう。若者や無党派層の支持が大きかったよう。

 選挙のたびに、有権者が正気ならこんな政党やこんな候補に票が集まるはずがない、と期待して八時にがっかりする、というのを繰り返しているのだが、今回もそうなってしまった。しかしこう、私はバーで働く下戸だったもので、酒が飲めないなんて人生の半分損してるねえ、と数え切れないくらい言われてきたのだが、そう言われるたびに酒好きの人間や酒そのものに対する嫌悪感が大きくなったものだった。それと同じで、あの候補やあの政党に投票する人を愚かだと思う、その考えかた自体が、分断を深刻化させているのだろう。相手の弱みを見つけて攻撃することに長けた人間が二位になったのはその分断の大きさを表している、のかもしれない。

 ハーフタイムの間にいろいろ情報収集をして、気を取り直してバスケの後半。一昨日と違って安定した戦いぶりで日本の勝利。しかし終盤で眠くなり、インタビューがはじまるころに寝。どうも眠気のつよい日だった。

 

7月8日(月)雲の多い晴。午前十時過ぎですでに三十度を超えていて、三十分ほどの散歩でひどい汗をかく。帰宅してアップルパイを食って始業。時っ感タイマーをつかって。短篇は捗ったのだが、黄色い本文章は冒頭だけ試し書きして放置してしまっている。

 午後二時にまた散歩、三十分ほど炎天下を歩く。近所の小学校の校庭に救急車が入っているのが見えた。自分が暑さで全身が火照っているもので、熱中症かしらん、と考える。周囲に人の姿はなかったから、ちょうど隊員たちが建物に入ったところか、事態が落ち着いたのか。家に帰ると、ポロシャツの紺色が汗ですっかり濃くなっていた。

 

7月9日(火)晴。右目が痛い。昨夜もやや痛くて、目を酷使してたから疲れだろう、と思っていたのだが、朝起きると瞼の内側が腫れていた。人生初のものもらい。最近ずっと冷房をつけているせいで目が乾燥していて、頻繁に目薬を差しているのだけど、そういえば二、三年前に買ったやつだから、すさまじく雑菌が繁殖していたのかもしれない。

 昼、サーキュレーターを回したらモーターからひどい音がした。床置きなので埃だらけになっていたし髪の毛を巻き込んでもいて、掃除をしなきゃな、と思いつつ目を逸らしてきたツケがきた感じ。分解しようとしたが羽が取れず、説明書や、分解してみた!という動画を観ながらいろいろ試してみたのだが、説明書では、分解したければメーカーに送れ、と書いているし、動画ではその場面は「羽を取ります」のひと言で流されていて、何の参考にもならず。試行錯誤した挙げ句、けっきょく力業で引っこ抜いた。すごい量の埃と髪の毛を取って、機械油がないので米油を差して、ほぼ無音になった。

 今日は散歩もせず、原稿も三、四枚しか進まず。半休日になってしまった、が、まあ目がこんな状態だからしょうがない。

 夜はパスタをつくり、ベランダで育ててるバジルを載せる。食いながらEURO準々決勝、イングランド対スイスを観。スイスのサポーターがGOD SAVE THE CHEESEと書いたボードを掲げていた。

 試合は一対一でPK戦になり、スイスの一人目マヌエル・アカンジが止められて、そのあとは全員が決めてイングランドが勝ち抜け。

 前回大会の決勝、イングランド対イタリアの試合もPK戦になって、ブカヨ・サカがPKを外してしまい、イングランドは準優勝に終わった。私はその日の日記にけっこう長くEUROのことを書いている(公開用日記には残していない)。私はイタリアを応援していたので、その大会のMVPにもなったGKのドンナルンマについての記述が中心だけど、サカにも言及していた。

 

ルーク・ショーの沈着さを褒めるべき、キーバーにとってはほぼノーチャンスの失点シーンをのぞき、ドンナルンマのおかげでいったい何点救われたか。PK戦の活躍は無慈悲なほどだったが、最後、サカ(PK要員として延長後半終了間際に投入したラッシュフォードとサンチョを含め、サウスゲイトの起用法はいくらなんでも悪手だった)のシュートを止めた直後、無表情だったのが印象的だった。自身も十六歳からイタリアの名門ACミランの守護神としてすさまじいプレッシャーに耐えつづけ、2017年には、本人はミランへの愛着を公言していたのに、契約金をつり上げようとするライオラのせいで移籍騒動の中心になり、Dollarummaと揶揄され、そしてその契約が満了する今夏、EURO直前にも、またライオラが影響力を行使しようとしたあげく契約交渉を頓挫させ、けっきょく六月末日で退団して、所属チームは〈無所属〉と表示されていた。まだ年若い選手に過剰なプレッシャーをかけることは、その選手がうまくやれば大きな成長をもたらすが、しくじれば選手の将来をつぶしかねず、そしてサカはしくじってしまった。四年前、当時十八歳で、愛するクラブのサポーターに金の亡者と罵倒され、カメラの前で涙を流しもしたドンナルンマは、十九歳の、ナイジェリア人を両親にもつイングランドの黒人であるサカがこれから浴びるであろう批判や、きっと人種差別的なものを多分にふくむ侮辱のことを頭によぎらせ、すくなくとも、ゴール前を離れるまでの間は喜びを押し殺した。プレー以上にその振る舞いに、あらためて、惜しい選手を失った、と思う。

 

 今はなんとなく、ドンナルンマがミランを裏切って移籍していき、その行動によってわれわれミラニスタは心に傷を負った、が、代わりに加入したマイク・メニャンがその傷を癒してくれた、みたいに記憶しているが、当時は辣腕エージェントのミノ・ライオラの暗躍を憎んでいたらしい。ともあれ、三年前に戦犯として誹謗中傷を受けたサカが、今回もPK戦のキッカーに名を連ね、キーパーの逆を突いてしっかり決めて、解放されたように柔和な微笑みを浮かべていた、のは、観ていてうれしかったな。自分の後悔に自分で、それもこれだけレベルの高い舞台でけりをつけるのはすごいことだ。

 しかしPK戦というのはいつでも残酷なもので、今度はアカンジ(彼も黒人選手)が涙を流して、チームメイトやイングランド代表の選手に慰められていた。

 

7月10日(水)曇、一時雨。十時間ほど寝た。しかし目は回復しておらず、むしろ悪化。起きたとき右目が膿で固まっていて、今日は療養日。朝の散歩でドラッグストアに行って、ものもらいの目薬と眼帯を買う。帰宅してさっそく眼帯をつけた。片方の視界が塞がるというのはけっこう不快なものだ。

 午後の散歩では、近所をぐるっと一週、三十分ほど、眼帯をしたまま歩いてみたのだが、慣れた道だからか、遠近感がつかめなくてもあまり問題はなし。というか、漫画とかでたまに見る、片目が塞がってる人が電柱にぶつかったりする描写は誇張されたものなのだろう。

 夜、セブンのビリヤニを食いながらEURO準々決勝、オランダ対トルコ。オランダが勝った、が、まただんだん目が痛くなってくる。目を閉じたい、という欲求が眠気に変換されたのか、昨夜もかなり長時間睡眠だったのに眠くなって、試合が終わったあとそのまま寝。

 

7月11日(木)曇、パラパラ雨。大学院の友人が女子バスケ日本代表・林咲希選手といちゃついている、という夢を見る。キスをしたりあちこち触り合いながら、友人は、林さんの恋人は嫉妬とかするほう?と囁いていて、穂村弘やないかい!となって目が覚める。メレ山メレ子『こいわずらわしい』のなかの、穂村との対談でツーショット写真を撮ったとき、もっと近寄って、とカメラマンに促され、穂村がメレ山に囁いた台詞。林さんが何かのテレビ番組で、恋人がほしい、と言っていた記憶があるし、友人もよく、なんでおれには恋人がいないんだ!と嘆いていた。それらが私のなかでブレンドされてこんな夢を見ちまったのだろう。

 午後三時半に歯医者。治療を終えて待合室に戻ると、太田靖久さんから電話がきていた。どうしましたか、とメールをすると、今きみん家の近くに来てるから会おうぜ、とのこと。近くの書店の前で待ち合わせて、私がまだ飲食店でゆっくりできる自信がないのと、あと歯医者さんで、一時間は飲食しないでください、と言われたので、裏の公園へ。でかい象のすべり台が設置されていた。滑りましょう、と誘うと太田さんは、いやおれもうおじさんだし、ズボンのお尻に穴あいちゃいそうだし……、と躊躇っていた。おれはおじさんだけど行きますよ、と言って私が滑って、ほら!と言うとしぶしぶすべり台に上がり、しかし滑りはせず、よちよち歩いて降りてきた。

 それから一時間半ほどベンチでおしゃべり。お互いの近況と仕事の話、共通の知人の動向もいろいろ教えてもらう。めちゃ蚊に刺されたが、楽しい時間だった。

 知人に直接会うのは、と日記を見返してみると去年の七月十六日、神楽坂に来てた友人と散歩の途中に会って二、三分立ち話をして以来、ほぼ丸一年ぶり。その日の日記にも私は、友人と会うのは去年の三月以来で、みたいなことを書いていて、なんだか特別なイベントみたいになってるな……。太田さんはじめ、たびたび電話をかけてきたり、折々に美味いもんを送ってくれたり、不義理ばかりの私を気にかけてくれる人たちの存在が救いになっている。

 ゴキゲンになって、待ち合わせた書店で竹村和子『フェミニズム』の文庫を買って帰宅。肉を細かく刻み、焼売を包んで蒸す。かなり面倒だった、が、終わってみれば何か手仕事をした充実感があった。食いながらEURO準決勝、スペイン対フランス。スペインが九十分で勝利。

 

7月12日(金)雨。短篇はいったん置いといて、黄色い本についてのエッセイを書く日。二巻についての文章を公開したのが五月十二日、なので、ちょうど二ヵ月前か。こないだ書き出したものはもう気分じゃないのでぜんぶ破棄して、『チボー家の人々』の三巻を読んでた期間の日記を読み返したり、読みながら挟んだメモを見返したり。

 昼前にようやく方向性を定めて起筆。もくもく書いてたら、四時半過ぎにとつぜんスマホがすごい音を出す。緊急速報。

 

避難所情報

御成門中学校:避難所 開設

  (2024/06/30 18:00)

  住所:西新橋3-25-30

  避難人数:未入力

(港区)

 

 日付からして明らかに誤報、なのだが、びっくりした。あとでニュースを検索すると、港区の職員の操作ミスで警報が送信されてしまった、ということらしい。そういうこともある。

 夕方に文章をひとまず書き上げる。夜まで寝かせることとして、あとは読書。雨は弱まったり強まったり、しかしけっきょく止みはせず。夜に米を炊いて、お茶漬けにして食う。シャワーを浴びて布団に入り、日付が変わるころまでのんびり。


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