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黄色い本 2024.7.23~2024.9.3

7月23日(火)晴。起きたらよく晴れていて昨夜の豪雨が嘘みたい、というのは一昨日と同じ。

 短篇に取っ組む日。ここ一週間ほど伏せっていたので、最初から推敲しながら読み返して、リズムを取り戻す。それから進筆。もくもくやってたら夕方、いきなり書き上がる。すでに予定の八割くらいには達していた、とはいえ、今日は立て直しで終わる、水曜は一日使えるからそこで目星をつけて、木金は歯医者の予約があるからあんまり作業に集中できないとは思うけどそこでなんとかやっつけて週末ログイン、くらいに思っていたのでびっくりした。ほんとにこれで完成なの……?と今日書いたところを読み返してみたが、ほんとに完成だった。気持ちの良い瞬間。高揚する。

 夕方からデレク・ジャーマン著、ハワード・スーリー写真『デレク・ジャーマンの庭』(山内朋樹訳、創元社)を起読。たいへんに良かった。

 イギリス南東部の岬で晩年を過ごしたジャーマンが、死の直前まで手を入れ続けた庭について綴ったエッセイに、親友の一人スーリーが、その庭やジャーマンの姿を捉えた写真を附した本。入院先からの一時退院のときですらジャーマンは、友人たちとともに自宅の庭に出る。だめになっていたアネモネを抜いてシャクヤクに植え替え、ニワトコやフェンネルを植えもした。彼はその花たちが花開くところを見ることはない。その日を振り返った記述の末尾がこれ(引用中の詩句はジョン・ダン「日の出」の一節で、友人が木か何かでその文字を切り抜いて、家の外壁に打ちつけてくれている途中だった)。

 

 家の側面にある玉砂利が詰まった枕木の方形花壇は素晴らしい。ピーターは家の壁面に打ちつける詩句「世話焼きの老いぼれ、無礼な太陽」をまだ切り抜いている。ここはもう、彼らに任せようと思う。クランベの方形花壇を二つつくり、花壇の石は入れ直してもらおう。ぼくは満ち足りた気分で病院に戻った。気がかりなことはすべてやり終えたのだ。

P.132

 

 そして今では(その家の写真を検索して見ると)「日の出」の詩句は完成しているらしい。ジャーマンに任せられたその後のことを、友人たちは続けているのだ。家はジャーマンの死後、本書でもたびたび登場するパートナーのキース・コリンズに受け継がれ、そのコリンズも没したあとは、芸術分野で活動する慈善団体の手によって、今も保護されているらしい。行ってみたいな。途中に挟まれていた詩が素晴らしかった。高揚してちょっと夜更かししちゃう。

 

7月24日(水)晴、昼にゲリラ豪雨。起きてすぐ、アーモンドのヨーグルトという解せないものを食って散歩。

 明日しめきりの日本海新聞のコラムを書く。昨夜の感動をそのままに、『デレク・ジャーマンの庭』のことを。書いてるうちにぐんぐん気圧が低くなり、明かりをつけなければならないほど暗くなる。急いでベランダの鉢植えを取り込んだ。そうするうちに雷鳴が聞こえて、豪雨。向かいのマンションのベランダに洗濯ものが干してあって、風で煽られていまにも飛びそう、と思って見てたら、ベランダの縁に置いてあった鉢植えが落ちていった。

 大量の卵を茹でて茶葉蛋を仕込みつつコラムを仕上げる。雨が乾いたベランダに椅子を出して、中村淳彦『パパ活女子』(幻冬舎新書)を読んだ。貧困だったりセックスワークをしていたりする女性たちに寄り添うタイプの書き手、なのかと思っていたのだが、かなりミソジニーを感じる文章。パパ活を、パパとパパ活女子が対等におこなう商取引、みたいに書こうとしている、のだが、そもそもパパ活をする女性たちを見下していて、その感情が文章に載ってしまっている、という感じ。

 パパ活をする五十六歳の男性(会社経営者)へのインタビューにこういう一節があった。

 

 創業から6年が経って、事業は軌道に乗った。お金と時間はある。ひとり暮らしの部屋でゆっくり考えて、やってみたいと思ったのは女遊びだった。既婚なので婚活はできないし、そもそもなんのメリットもない結婚にはもはや興味はない。恋活といっても、同年代の考えの古い女性には心からウンザリしている。キャバクラやクラブのような派手な水商売の女性は苦手で、風俗に通うほど性欲が旺盛なわけでもない。若い女性を紹介してくれる交際クラブがベストだった。

P.84

 

 月に二、三人と新しく会い続け、全員とセックスしてるわけではないにせよ二十人くらいと同時進行してる人が〈性欲が旺盛なわけでもない〉といえるかどうかは別にして、彼の経営する会社は創業十年目だというから創業時は四十六歳、ということは交際クラブに入会したのは五十二歳。その年齢でこういう(合理的なんだかなんなんだかよくわからないがいちおうの理路のある)思考のもとにパパ活をはじめた、ということだ。

 わざわざこんな思考を日記に引用したのは、仕事がうまく回りはじめてお金と時間に余裕ができたとき、私なら何をやってみたいと思うだろうか、とふと考えたからだ。そのときにはやりたいことができるくらい心身ともに健康になってる、として。と、ここまで書いてる間に答えはわりと簡単に出て、旅行がしたいな。新型コロナ禍とパニック障碍のせいでもう三年くらい旅行をしていない。温泉入りたい。まあ、治ったら。というかちょっとした温泉旅行くらいなら、健康になれば行けるか。

 

7月25日(木)晴。必要があって、半日かけて漫画『ブルーロック』について調べる。

 午後三時から歯医者。今日はクリーニング。歯周ポケットの内側をゴリゴリされて、声が出そうなほど痛い。しかし前回(一ヶ月前)から向上したところを褒められて、手もなく喜ぶ。

 帰って午後の作業。昨日書いた日本海新聞のコラムを推敲。ひとしきりやってから近所のお祭りへ。歯医者でもお祭りも、いっさい発作の予兆なく過ごせた。人の隙間をすいすい縫ったり、やけになったような大声で呼び込みをする店員にびっくりしたりしながら歩くのは久しぶりで、楽しかった。自分がパニック障碍を患っていることを、さすがに忘れはしなかったけど、こういうことが続けば、気にせずにいられるようになるかも、という希望が持てた。

 

7月26日(金)雲の多い晴。渡嘉敷来夢選手にバスケ指導をされる夢を見た。氏はいま黒髪で、アイシンウィングスのメンバーだけど、夢のなかでは金髪で、昨シーズンまで所属していたENEOSサンフラワーズのユニフォームを着ていた。きみは敵がシュートを打った瞬間に攻撃のために走り出すけど、リバウンドをしないといけないんだからさ、ゴール下に入ってボックスアウトをするんだよ、と叱られた。それで実際に渡嘉敷さん(実際には百九十三センチあるのだが、夢のなかでは百七十二センチの私と同じくらいの身長)と押し合った、が、私がいくら押しても氏はびくともせず、逆に私は軽く押されただけで吹っ飛ばされた。

 ここ一年で、何人ものバスケ選手が夢に出てきた。サッカーや陸上、ラグビーをやってたころは、その競技の夢をここまで頻繁に見た記憶はない(忘れてるだけかもしれない)のに、なぜバスケはこんなに夢に出るのか。実際にプレーした経験がほぼないからこそ、なのかも。

 十時から歯医者。一時間ほど、奥歯の神経をゴリゴリ削られていたのだが、何度かウトウト、というか寝てしまった。

 そのあとようやく始業、火曜日に完成した短篇の推敲。夕方まで集中して送稿。そのあとは寝るまで本を読む。

 

7月27日(土)晴、一時雨。昨日送稿したので今日はお休みにする。一日読書、ビートルズのレコードを聴きながら東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)を。なんだか読んでいなかったのだ。

 これを読んだのは矢野利裕「村上春樹『一人称単数』を読んで、ゼロ年代のことを思い出した。」(『矢野利裕のLOST TAPES』(私家版))で言及されていたから。矢野さんも引用していた箇所だけど、『クォンタム』の主人公は村上の短篇「プールサイド」を参照しながらこういうことを述懐している。

 

 ぼくは考えた。ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば別の職業は選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直説法過去と直説法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。

 そして、その両者のバランスは、おそらくは三五歳あたりで逆転するのだ。その閾値を超えると、ひとは過去の記憶や未来の夢よりも、むしろ仮定法の亡霊に悩まされるようになる。それはそもそもがこの世界に存在しない、蜃気楼のようなものだから、いくら現実に成功を収めて安定した未来を手にしたとしても、決して憂鬱から解放されることがない。

P.28

 

 この感覚はすごくわかる。《かもしれなかった》こと、はたしかに、小学生のころとかに比べるとめちゃくちゃ増えている。

 主人公は別の場所で、〈三五歳を過ぎた敗者に残されているのは、バッドエンドを演じきるべく残りの人生を「泳ぎ切る」か、あるいはリセットの可能性を夢見るか、そのどちらかだけなのだ〉(P.99)とも述懐している。東はあくまでも小説のモチーフの一つとして書いているので、この考察が深められることはない(別の登場人物は〈明らかに、並行世界の問題、量子脳計算機科学の問題だ〉(P.253)と指摘して、それであれば『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に言及していないのはおかしい、と言っている(同)、が、それはもう『クォンタム』のテーマに合わせすぎている)、が、もうすぐ三十五歳を迎える者としてたいへんに興味深かった。

「プールサイド」が発表されたのは一九八三年、村上が三十四歳のときだった。『クォンタム』は(連載がはじまったのは)二〇〇八年、東は三十七歳。自分も三十代半ばにある私はこれからの数年で何を書くのかな。

 

7月28日(日)晴。こまごました事務作業の日。こういうのは苦手でならない、ので、一日にまとめてやっつける方針。

 夜、録画してた『ブリティッシュ・ベイク・オフ』を観。出場者のひとりルビーが審査の前に、表情を曇らせて、「すみません 焼きすぎてビスケットのようになりました」と言う。それを受けて審査員のメアリーは、苦笑いしながら、「いつも打ちひしがれたように打ち明ける 言わなくていい」と返す。実際に食べてみるとメアリーは、「あなたが言ってたから── パサパサかと思った」とからかいつつ、「気に入ったわ」と絶讃、もう一人の審査員ポールも「おいしい 味もいいし歯ごたえもある 焼きすぎじゃない」と高評価で、けっきょくルビーは今回の最高評価を獲得した。審査後メアリーは、「今後のために聞いて 自分に不利なことは 言わないものよ」とアドバイスしていて、ほんとうにそう、となる(ここまで、台詞はU-NEXTの字幕から引用)。自信のない人間はついつい卑下をしてしまう、というか、自分の作物の弱点ばかり目についてしまうものだけれど、美点もたくさんあるのだ。おれも自分に不利なことは言わないようにしたい。

 観ながら、めちゃくちゃ不味いとTwitterで話題になってた〈フリスク スパークリング〉というのを飲んだ。私はタブレットのフリスクは苦手なのだが、これはなんか好きだったな。美味しくない炭酸飲料(を私は好んで飲むのだ)として完成されている。

 

7月29日(月)晴。今日も外は暑そうだった、のでもう引きこもる日にした。一日作業、夕方から香月利一『ビートルズ・エピソード550』(立風書房)を読む。一九七八年の、ということはジョン・レノンがまだ殺される前の本で、題の通りビートルズ関連のおもしろエピソードが大量に列挙されている。記者の質問に対するウィットに富んだ切り返し、を賞賛するツイートを見かけたとき、関連資料として挙げられていたもの。

 たとえばショー・ビジネス界で最も活躍した人に贈られるパーソナリティ賞というのを授与されたときのエピソード(プレゼンターはイギリス首相になる前のハロルド・ウィルソン)。

 

 労働党党首のウィルソンから、「シルヴァー・ハート」という大きな銀色のメダルを送られたビートルズは、同席したイギリス政財界のお歴々を前にスピーチをした。最初にスピーチに立ったポールは、ウィルソンを見やりながら言った。

「我々にシルヴァー・ハートをくださったことを感謝します。みなさん、ウィルソンおじさんにもこいつをひとつやっていただけませんか」

 続いてジョージ。

「一人にひとつずついただけたことを、うれしく思います。おかげさまで、手間がはぶけました。いつも賞をもらうときは、ひとつしかもらえないので、四分の一ずつ切らなくてはならないのです。これがなかなかたいへんな作業でしてね」

 最後にスピーチに立ったジョンは、とぼけて言った。

「パープル・ハート(覚醒剤の俗語)をありがとうございます」

「シルヴァー! シルヴァー!」とリンゴが訂正する。

「いやシルヴァー・ハートでした。すいません、ハロルドさん。みなさんありがとうございます」

 やや間があって、ジョンは続けた。

「申し訳ありませんが、映画の仕事があるので失礼します。僕たちがいかないと、スタッフがメシの食いあげになりますので」

P.90-91

 

 それぞれに風合いの違う切り返し。しかしこのときみんな二十代前半、最年少のハリソンはまだ二十歳だった。一九八九年生まれの私にとってビートルズは古典だけど、当時は手に負えない悪ガキみたいな感じで見られていたんだろうな。

 ほかに印象に残ったのは(おもしろエピソードではないけど)、前後の文脈を欠いたかたちで引用されていたポールの言葉。〈「青春とは、多少の失敗は許される時期である。また、失敗しても立ち直れる時期である」〉(P.122)。しかし人が生きていて、多少の失敗も許されない、失敗したら立ち直れない時期、というのは(ほんとうは)ないのだ。どういうニュアンスで言ったのかはわからないけど、おれたち死ぬまで青春だよ、という意味に受け取ってなんだか感銘を受ける。

 著者は何の人だろ、と思って検索すると、Wikipediaにこうあった。〈香月 利一(かつき としかず、1948年 - 1999年7月23日)は、日本のビートルズ研究家。群馬県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1976年10月21日、ヒルトンホテルでリンゴ・スターを仲人に結婚式を挙げた。〉リンゴ・スターを仲人に結婚式を挙げた! 本にはぜんぜん書いてなかったけど、これも本書で取り上げられるべき〈ビートルズ・エピソード〉だったのでは。

 

7月30日(火)曇一時雨。一日読書。

 夜、衝動的に美味い中華をウーバーイーツで頼み、NHKのHPでパリ五輪男子バスケのスペイン対ギリシャとカナダ対オーストラリアを立て続けに観。それが終わったところでちょうどフランス対日本の時間。休みなしのトリプルヘッダー。前回(日本が一勝もできなかった東京大会)銀メダルの開催国フランス相手と互角に渡り合った、というだけでもすごいのだが、第四クォーター残り十秒の段階で四点リード、という展開。渡邉飛勇選手(推し)がゴベールのダンクをブロックしたところなんかはもう、日付変わってるのに叫びそうだった。しかし残り十秒のところでかなり微妙なジャッジで四点プレーを決められて延長戦になり、そこで力尽きた。昂ぶって寝られない、と思ったが、さすがに試合が終わったのは午前三時で眠気がひどく、歯を磨いてすぐに寝た。

 

7月31日(水)晴、夕方から雨。昨日の中華の辛いやつや油の影響か、ちょっと腹痛、下痢ぎみ。昼過ぎまで伏せる。

 午後、すこし回復したのでベッドのなかでロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』四巻を起読。本巻は第七部〈一九一四年夏〉の途中から途中まで。とにかく第七部が長いのだ。

 七月二十五日土曜日、ダニエルの父ジェロームの葬儀の日。同時にヨーロッパでは、第一次世界大戦の足音が無視できないほどに大きくなっている。本巻の原書は一九三六年に出版されたから、作中の出来事の二十二年後だ。

 ジェロームの葬儀に参列したジャックはダニエルに、今夜の鉄道で軍の基地に戻るから、見送りに来てくれないか、と言われる。快諾して、兄やその同僚たちと会ってから、約束の時間に駅へ。入場券で改札内に入ると、ホームにはダニエルの妹ジェンニーもいた、が、大した会話はせず。どうにも気まずく、列車が出るのを待たずにその場を去ろうとする。

 しかしジャックは、駅前広場に出たところで立ち止まる。このまま歩き続ければ、間もなくはじまるだろう戦争下での社会運動の闘士としての生活が待っている。しかし踵を返して駅にとどまっていれば、〈それとちがった何か可能なことが残されていた〉(P.36)。それが何かはわからない。けっきょくジャックは新しく入場券を買って再びホームに向かった、というところで今日はおしまい。

 頭の芯が痛いのは、どうも脱水症状なのでは?と思い当たると、たしかに朝の散歩以降、けっこう汗をかいたのに一滴も飲んでいない。ごくごく茶を飲み、美味いチーズなどを食った、ら、だいぶ回復した。夕方からゲリラ豪雨。そのあと男子バスケのブラジル対ドイツを観、そのまま寝。36/341

 

8月1日(木)晴。朝から胸が痛く、症状を調べてみたらどうやら肋軟骨炎というやつっぽい。数週間から数ヶ月で自然に治る、とのことだけど、数ヶ月……。今日も療養日として、読書。井川意高『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』(幻冬舎文庫)を起読。午後ベランダが日影に入ってからは椅子を出して、外と室内で温冷交代浴をしながら。

 夜、パリ五輪女子バスケ、日本対ドイツ。終始リードされて敗戦。パリ五輪の五人制バスケ、これで男女とも二連敗。それから男子のアメリカ対南スーダンも観。良い試合だったですね。絵になるアリウープやすごいブロック、激しいデュエル。しかし当然のごとくアメリカが勝つ。加藤誉樹レフェリーが、アメリカのレブロン・ジェームズ、ケヴィン・デュラント、ステフィン・カリー、アンソニー・デイヴィスの四人に詰め寄られて抗議される、という場面がなんかいちばん昂ぶった。NBAのレフェリーでもこんな面子に囲まれることない。36/341

 

8月2日(金)快晴。起きてすぐ、ちょっと読書をして、こないだ借りた佐藤宏子監修『おうちでお灸』(山と渓谷社)を参考に、何ヶ所かにせんねん灸を貼る。全身が汗ばんで、一時間ほどウトウトした。

 そのあと『熔ける』を読了。バカラにのめり込んで会社の金を百六億八千万円借り入れて逮捕された人の自伝。ろくでなし交遊録、というか、出てくる名前ぜんぶ信用ならない感じも面白かったな。しかしギャンブルにハマって自分で百八億円を熔かしたのだから、題は『熔ける』ではなく『熔かす』なのではないか? 機械音痴の人が「何もしてないのに壊れた」と言うような、まるで自分が何かしたわけではなく金が自ら熔けていったようなこの題に、著者の認識がよく現れている。

 そのあと黄色い本も進読。ジャックは駅から帰ろうとするジェンニーを追いかけて、明日訪ねることを約束した。

 そして翌日、ジャックはアントワーヌの客間で数人と議論をしている。そのなかで、マニュエル・ロワという人物の、〈「(…)フランスを存続させようと思ったら、いつかは決心しなければならないことなんです!」〉(P.61)という、戦争を肯定するような発言に対して、ステュドレルが言い返した言葉が印象に残る。

 

「フランスをして存続させようと思ったら、って?」と、ステュドレルは、傲然と言い放った。「これほど腹の立つ言いぐさがあるだろうか」と、彼は言った。だが、それはジャックに向かって言われたものだった。「それは、愛国主義を専売にして、いつもその好戦的下心を愛国的感情のかげに隠そうとしている国家主義者どもの悪い癖だ。まるで、戦争のほうへかしいでいくのが、愛国主義の免状ででもあるかのように思ってやがる!」

P.61

 

 総理大臣が防衛費を一・五倍にすると表明したのは二〇二二年末のことだった。そのために復興税を防衛費に転用するとも言っていた。いずれも日本を守るため、ということになっているのだが、けっきょくは本人や党の構成員たちの〈好戦的下心〉に駆られているのだろう。議論のなかで、軍人を父に持つフィリップ博士が、〈「(…)ちょっと距離をおいてながめてみると、近代の戦争は、ふたり三人の政治家にして、もし常識と平和への単なる意思さえ持っていたとしたら、すべてわけなく避け得られたところのものなのでした(…)」〉(P.66)と言っていた。〈「(…)大部分の場合、交戦国は、双方とも、相手かたの意図の見あやまりにもとづく、意味のない猜疑心と恐怖心とにかられていたきらいがありますな……(…)」〉(P.66)とも。新しい戦前(というタモリさんの秀抜な表現を、みんなちょっと便利につかいすぎな気もするが)である現代にも当てはまることばかりだ。

 そのあとも夕方までもくもく読書。短篇を書き上げたので次の資料読みをはじめなければ。十八時からパリ五輪男子バスケ第三戦、日本対ブラジルを観。しかしフランス戦であれだけすさまじい試合をやった二日後で、八村塁選手が負傷離脱もして、どうも心身のピークを越えてしまった感のある展開。良い時間帯もあったがけっきょくリードを奪えず敗戦。三連敗で男子のパリ五輪が終わった。75/341

 

8月3日(土)快晴。夕方まで作業して、友利昴『エセ著作権事件簿』(パブリブ)を起読。実際には著作権が成立しないのに自分の権利を振りかざしていちゃもんをつけた案件、がいくつも紹介されている。松本零士vs槇原敬之、星新一の娘vs小学館、と、取り上げられてる事例は、その作品を知ってる名前がたくさん出てくることもあってめちゃ興味深い。しかしどうも、剽窃されたと主張してる側を悪意たっぷりにおちょくる書きかたをしていて、まあ実際かなり無理筋な主張ではあるのだが、この書き手に同調して面白がりづらい感じ。75/341

 

8月4日(日)快晴、松田直樹の命日。十三年が経った。生きていれば氏は四十七歳で、さすがに引退しているだろうか。

 今年の氏の命日は私にとって大きな意味がある、と思うのは、氏が今の私と同じ三十四歳で亡くなったからだ。

 五月八日、『つげ義春日記』のことを日記に書きながら、私は松田直樹のことを考えていた。氏は生まれてから一二五六一日目に死んだが、五月八日の私は一二六二五日目で、おれはとっくに松田直樹の死んだ日を過ぎていたのだ、と気づいて、彼の死に囚われていた気持ちが楽になったのだった。とはいえ、三十四歳の八月四日に彼は死んだのだから、なんとなくそわそわしてしまう。

 午後、宮崎駿『トトロの住む家』(朝日新聞社)を読む。五十歳くらいの宮崎が、当時スタジオジブリがあった吉祥寺の近く、氏が普段散歩してるあたりの雰囲気の良い家を訪ねて住民にインタビューした本。それぞれの家の外観や内装のスケッチをしてるのだけど、スケッチ、といいつつ、かなり創作が入ってるのが面白い。一軒目からすでに、サインと日付の下に〈印象で描きました 正確ではありません〉と書き添えてあったりする(P.8)。ほかの家も、家がよく見えるように木を省略したり、紅葉の季節に訪れた家を、青々とした初夏の姿で描いたり。また別の、〈ちょっと前(むかし)を 想像して描きました〉(P.28〉という家では、四畳半の畳の部屋にでかいトトロがちょこんと座ったりもしている。こんなすてきな家があった!という興奮に加えて、稀代の作家のなかでストーリーが息づきはじめる瞬間、がとらえられてる感じ。気持ちの良い本だったな。

 古い家、良い家、を探し歩く本書において宮崎は、植物のとり扱い、をその指標にしている。

 

 そうなのだ。住まいとは、家屋と、庭の植物と、住まう人が、同じ時を持ちながら時間をかけて造りあげる空間なのだ。私たちの住むこの土地では、少しでも隙間があれば植物は生えてきてくれる。その植物たちと、生きもの同士のつきあいをしている家、時には困惑し、時にはためらいながら鋏を持ち、でも、植物へのいたわりを忘れない家、それが良い家なのだ。

P.12

 

 これが宮崎の〈良い家〉の定義。自然を征服するヨーロッパ的な庭ではなく、しかし自然に任せた荒れ庭でもなく、と考えるとなんかこう、ナチュラルメイクを好む日本男児のような……。

 ベランダが日影に入ったあとは椅子を出して読書。十八時からパリ五輪女子バスケ第三戦、日本対ベルギー。しかし一方的な展開だった。日本のシュートはことごとく外れ、リバウンドも取られ、ほとんどがベルギーファンの観客席(試合会場のリールはブリュッセルから車で一時間半の近さらしい)からはすごい音量のブーイングを飛ばされて、なんだかもういたたまれなくなってしまった。

 パリ五輪、これで男女の五人制バスケの日本代表の日程が終わった。〈これでアジア一位になって、パリ五輪出場決定。来年の夏。ここ最近、将来への希望、みたいなものを失いつつあった、のだけど、なんか久しぶりに、遠い先の楽しみ、ができたな。うれしい。〉と、私は男子代表がパリ五輪の出場を決めた日(去年の九月二日)の日記に書いていた。そう書きながら、しかしおれはパリ五輪まで正気を保ったまま生きられるのだろうか……?などと考えていた、のだが、こうやってなんとかかんとか生きている。そしてそのパリ五輪の五人制バスケの最終日が、三十四歳の八月四日だった、というのは、もちろん偶然に過ぎないのだけど、また一つ何かの区切りになるような気がする。

 そのあと、引き続き『エセ著作権事件簿』を進読。峰なゆかが、田所コウ『コトコトくどかれ飯』は峰の『女くどき飯』のパクリだ!と主張した件なんかは、当時の報道の記憶もあるので興味深かった。しかしどうもやっぱり、訴えた側(この場合は峰)に対する悪意が強くて、どうも乗っかりづらい。

 

 そしてほどなくして、法的に勝てる見込みがないことに薄々気が付いた峰は、この件を「矜恃とか礼儀とか良心」の問題などとのたまうようになる。だが、矜恃や礼儀や良心の問題にすり替えるのであれば、問題があるのはどう考えてもオマエの態度だよ!

P.122

 

 内容としては同意できるのだが……。

 ともあれ、読んでるとなんとなく、著作権に関する著者のスタンスもわかってきた。著作権法では定義されていない〈原案〉と〈原作〉の違いについて氏は、〈前者には著作権がなく、後者には著作権がある〉としたうえで、〈原案に著作権がない以上、他人の作品を原案として利用するに過ぎなければ、法的には使用許諾もクレジットも必要ない。〉(P.155)と書いている。全体として、違法でなければ何をしてもええんじゃ、という思想が(と書いててこの国の与党の政治家の顔がいくつも浮かんできたのだがそれはともかく)見えてくる。本書で取り上げられている事例は、著者も指摘してるとおり、〈「アイデアや設定は独占できる」という誤りにハマっている〉(P.157)人がその(本来は存在しない)権利の侵害を訴える、というものがかなり多いよう。そして著者は、先行作品との類似を恐れる作家に対してこう書く。

 

 ビクビクしなさんなという話である。受け手も作り手も、「似ている=不正」という思い込みから解放されなければならない。過去に似た作品があったとしても、それを越える作品、視点を変えた作品、違う魅力を引き出す作品をつくればよいのだ。

P.136

 

 めちゃくちゃ意地も口も悪い、が、こういう、創作者へのエールが根本にあるのだろう。全体の半分くらいまで読んだ時点の印象はこんなところで、そうやって好意的に捉えないとこの先を読むのにうんざりしそう。と、なかば時間稼ぎのように長々と日記を書いているうち、日付が変わった。三十四歳の八月五日。75/341

 

8月5日(月)快晴。一日作業、夕方からベランダでじっとり汗をかきながら読書。

 夜、パリ五輪男子バスケのフランス対ドイツを観。日本相手にふがいない試合をやっちまったせいで、フランスがややヘッズダウンしていた。75/341

 

8月6日(火)曇。午前は原稿、午後は資料読み。いま取っ組んでる作品が、行ったことのない外国を舞台にしているせいで、探せば探すほど読むべき資料が増える。どこかでエイヤッと書き出さないと永遠に資料収集を続けられる、ので、ある程度のところで区切りをつけなければ。読めば読むほどディテールは磨かれる、が、たくさん読めばええというもんでもない。バランスですね。

 夜、衝動的にマックの期間限定のやつをウーバーイーツで頼んで、食いながらパリ五輪男子バスケ準々決勝、ドイツ対ギリシャを観。最初はギリシャが優勢だったのだが、後半はドイツが持ち直して逆転勝利。八時前に試合終了、あとは日付が変わるまで資料読み。深夜に雷鳴、稲光。75/341

 

8月7日(水)晴。始業前に机の掃除。大量のプリント類(図書館で働いてたころ、雑誌をめちゃコピーしたものが溜まっていたのだ)を整理する。昔書いた買いものメモも出てきた。〈買いものに行けたら買う/クイックル(大袋) 柔軟剤 換気扇フィルター キレイキレイ〉、クイックル以外の三つが線で消されている。徒歩二、三分圏内にドラッグストアが二軒あって、クイックルの大袋はそのうち片方にしかなく、ふだん使ってる柔軟剤の詰め替え用のでかいやつはもう片方にしかない。片方にしか行けなかったのだろう。ごく近所での買いものすらおぼつかないころもあったのだ。そこからずいぶん回復してきた気がする。まだ先は長いけど、それでも。

 昼の散歩で二時間くらいウロウロして、帰宅してぐっしょり濡れた服を脱いで冷水シャワーを浴びる。軽めにととのってしばらく呆けて、午後の作業。良い運動をしたからか、けっこう集中できた。

 夕食に茄子とアスパラのクリームパスタを作る。料理してたら外から光と雷鳴。完成するころに降り出した、ので慌ててベランダの鉢植えを引き上げる。昼はあんなに晴れて暑かったのにな。異常気象、というか、この土地の気候そのものが変わってきたかんじ。

 食いながらパリ五輪男子バスケ、セルビア対オーストラリア。序盤はオーストラリアがダブルスコアでリードする展開で、このまま決まっちゃうのかな、と思ってたら後半でセルビアが盛り返して、しかしセルビア二点リードの第四クォーター残り一・六秒、オーストラリアのパティ・ミルズがタフショットを決めて同点。オーバータイムでも何度かリードチェンジした、が、最後はミルズのターンオーバーで試合が決まった。すごい展開だったなあ。

 観終わったのは十時前で、今こうやって日記を書きながら、外はすごい雷雨。部屋を真っ暗にして窓のブラインドを開け、稲光でときどき明るくなるのを見ながら書いている。75/341

 

8月8日(木)曇一時晴。

 昼休みに黄色い本を進読。ジャックは約束通りジェンニーの家を訪れる。そこはもちろんダニエルの家でもあるが、彼は兵士として基地にいる。ほかに誰もいない家で、二人の恋の触れあいがはじまるのか、と思ってたらそういう展開にはならず、ジャックはジェンニーに、〈自分がいま、戦争の脅威をまえにしてやっている闘争の意味をわからせてやろうと〉(P.86)、運動に参加した経緯を語りはじめる。恋のために(戦争よりも)革命を、と考えるジャックにとってはそれは必要なことなのだろうけど。最終的にジェンニーはオルグされてしまった。そして運動に戻っていく彼を見送る。

 翌日、ジャックは運動の組織から秘密の指令を受け取った。七月二十八日の火曜日──つまり明日、ベルリンのポツダム広場のある家に行き、そこでトラウテンバッハに会って詳細な指示を受けること。逮捕されたときはこうするように、ということも書かれている。パリを発つ前にジャックは、組織の活動の合間を縫ってジェンニーに会いに行った。

 十五時から歯医者、引き続き、神経を取った奥歯の根っこの処置が続く。

 帰宅してちょっと作業を進めて、ベランダに椅子を出してレベッカ・ブラウン『体の贈り物』(柴田元幸訳、新潮文庫)。ホームケア・ワーカーが語り手で、重病に身体を冒されて遠くない死に向かうばかりの人々を見つめる、みたいな、いくらでもお涙頂戴にできるストーリー、なのだが、訳者解説にあるように、その要約からこぼれ落ちる細部がすごかった。書こうと思えば情感たっぷりのビショビショな文章にできるのに、ブラウンの文章は淡々と、しかし病や死の現場から目を逸らすことなく、ほとんど冷徹といいたいくらい静かに彼らの姿を描く。素晴らしかった。

 いちばん良かったのは「飢えの贈り物」と題された章の、病状の進んだコニーがほんのちょっとのオートミールを吐いてしまった直後のこの描写。

 

 それから、彼女が荒く息をする音がして、トイレの水を流す音がし、何秒か経って、ドアを開け、電灯のスイッチを切る音。それから彼女は廊下を歩いて寝室に向かい、かつて何人も子供を産んだベッドに行く。片手を壁に宛て、片手で杖をわしづかみにして彼女は歩いた。そしてベッドによじのぼって、横になった。

P.93

 

 ただその場の事実を順に書き記していった、という感じの文章のなかにひとつだけ、〈かつて何人も子供を産んだ〉という、コニーが健康だったころの時間が挿入される。この何気ない、そして周囲の文章とつりあうシンプルさのひと言で、淡々とした記述に不可逆的な人生の厚みが加えられる。すさまじい。

 夜は長谷川あかりレシピの長芋のポーク塩カレーをつくる。食べながらパリ五輪男子バスケ準々決勝、フランス対カナダを観。フランスが良かった、というかカナダが調子悪く、終始リードを保ったフランスが、危なげない感じで勝った。110/341

 

8月9日(金)晴。伏せっていた。110/341

 

8月10日(土)晴。伏せっていた。110/341

 

8月11日(日)快晴。回復。起きてすぐ、神保町・ボンディ監修のインスタントカレーラーメンという解せないものを食う。

 昼、蕎麦を茹でて黄色い本。ベルリンでジャックが申し渡された任務は、同地にやってきたオーストリアの大佐から同志が盗み出す、陸軍省への秘密命令の書類、を受け取ってブリュッセルまで運ぶことだという。要は運び屋で、わざわざパリから呼び寄せてそれかい、と読んでて思うし、ジャックも不満げではあるが、とにかくその、同志が仕事を終えるのを待機。そこから、ホテルのボーイが大佐の身のまわりの世話をしながら機会を狙う様子が描写される。そこはちょっとスパイ小説のよう、と思ったが、スパイ小説読んだことないな。私もジョン・ル・カレとかイアン・フレミングをもっと呼んだほうがいい。

 しかし『チボー家』の同志はどうも、最初は大佐の入浴中に盗むつもりでいたけど、警戒してるのか、ボーイが部屋に入るときはバスルームのドアを開けてこちらを見ている、ことで断念、けっきょく明かりを消して、ヒューズが飛んだんスかね、と言いながら時間を稼いて盗み取る、という、なんかちょっと雑というか力業なやりかたをしていた。ともあれ物品はジャックの手に渡り、無事ブリュッセルに届いた。

 夜、魯肉飯を食いながらパリ五輪男子バスケ準決勝、ドイツ対フランスを観。序盤は昨夏の世界王者ドイツが優勢だった、が、ホームアドバンテージを活かしたフランスが逆転勝利。

 終わったあと大野晋『日本語をさかのぼる』(岩波新書)を読む。近所の廃品回収から拾ってきたものなのだが、購入時のレシートが挟まっていた。数寄屋橋東芝ビルの旭屋書店で、一九七五年の一月二十五日に買ったものだそう。前年の十一月二十五日初版発行、二ヵ月経ってたらもう新刊棚に置かれてなかっただろうか。顔も知らない、もう生きてはいないかもしれない誰かがこの本を棚から見つけて抜き取り、レジに持っていくところを想像する。何を思って買ったんだろうな。

 検索してみると旭屋書店は大阪に本社があり、数寄屋橋東芝ビルの店舗(銀座店)は一九六五年、東京進出の一号店として開店した。そして二〇〇八年、ビルと土地の売却・建て替えにともなって閉店。跡地には現在東急プラザ銀座がある、が、書店は入居していない。私は買った本にレシートを挟んでおいたり購入日や店舗を書き込んだりする習慣がない、が、こうやって半世紀近く未来の赤の他人がいろいろ調べて思いを馳せられるのは楽しいことだ。146/341

 

8月12日(月)快晴。大越健介『ニュースのあとがき』(小学館)を読む。テレビ朝日『報道ステーション』HPの連載コラムなので、そのときどきのニュースに言及されている。エリザベス女王の国葬を中心に報じる、と決まったとき、しかし今日はKADOKAWA会長が五輪に関連する汚職の容疑で逮捕されたという重要なニュースもあるのに、と葛藤するところとか、その二つ同じ日だったか!という驚きがあった。しかしどうも、スポーツのことになると饒舌というか筆が走るというか、村上春樹「「ヤクルト・スワローズ詩集」」(『一人称単数』(文藝春秋))を読んだときにも思ったけど、スポーツ好きがスポーツについて、とりわけ贔屓のチームについて語るときの、愛着を精いっぱい表明することを許されていると期待してる甘え、みたいなものを感じる。しかし私もそういうふうに書いちゃう人間なので、たいへん好ましく感じちゃうんだよな。

 あとぜんぜん関係ない話題でも愛猫のコタローと小夏を登場させていて、〈「にゃ〜ん」〉〈「な〜ん」〉〈「こなちゅー!」〉(いずれもP.164)とか言っちゃっていて、かなわんなあ、となる。ニュース番組というのは、政治や戦争といった視聴者にとっての非日常を、日常の空間(お茶の間)に届けるものだから、その仲介役である大越はその両方に足を置いておく必要があって、彼にとって日常の象徴が猫であり「にゃ〜ん」なのだろう。

 夜、天丼を食いながらパリ五輪男子バスケ三位決定戦、ドイツ対セルビアを観。セルビアが勝って銅メダル。146/341

 

8月13日(火)晴。午後の小休止の時間、ひらりさ「セックスされる能力 ─アミア・スリニヴァサン『セックスする権利』を読む」を読む。『フィルカル』Vol.8, No.2に掲載されたのが同誌noteで全文公開されていたもの。冒頭で榎本ナリコ『センチメントの季節』(小学館)の第一話「せんせい」が言及されていた。びっくりしたのは註として書かれていた、〈榎本ナリコは、野火ノビタ名義で『幽☆遊☆白書』や『新世紀エヴァンゲリオン』などの二次創作BL同人誌を発表したのち、『センチメントの季節』で商業デビューした。〉というひと言。その二人が同一人物だって知らなかった。

 私は幼少期に両者の漫画を読んでいた。私が八歳のとき、長姉が進学のために家を出た。彼女が置いていった本が階段の上(子供部屋は二階にあった)の本棚に並んでいた漫画やコバルト文庫を片っ端から読み、続刊を探して姉の部屋に忍び込んで本棚を漁って読み耽った、そのなかに野火の『幽白』のBL同人誌や榎本の『センチメントの季節』があったのだ。

 

私が読んだのは、たしか小学校高学年の頃だった。近所の書店の「試し読み」コーナーに置かれていたのだ。少女マンガでロマンチックラブイデオロギーの甘い蜜をちゅーちゅーと吸っていた時分だったので、大変な衝撃を受けたことを憶えている。人生の中で性や恋愛について考えるとき、折に触れて思い出す作品だ。

 

 ひらりさはこう書いていて、同時期に同じ作品を読んでたんだなあ、となった。氏と私は同年生まれなのでべつに不思議ではないのだが。

 日が翳っても暑くて、三十分弱だけど汗を掻いた。そのあと大越健介『ニュースのあとがき』を最後まで。「おわりに」のなかで著者は、自分が〈ずいぶんと情に流されているところが多い〉(P.348)と(そうふるまう自分を肯定的に)振り返ってるけど、おそらく氏は、自分が抱いた感情を視聴者にも抱かせること、を報道において重視している。

 氏は本書のなかで〈物語〉という言葉を幾度もつかっていた。たとえば二〇二三年五月、プロ野球・西武の源田壮亮選手が怪我から復帰したことについて、エースピッチャーや四番バッターのような目立つポジションではなく、〈いぶし銀〉の職人タイプである彼の復帰は、以前なら大きな話題にはならなかっただろう、としたうえで、こう続ける。

 

 しかし、春のWBCを経て、源田選手はドラマチックなヒーローになった。送球する右手の小指を骨折しながらも、テーピングで補強し、志願して出場を続けた姿は、多くの人の胸に刻まれた。彼の復帰がニュースになるのは、その後景に、「物語」があったからである。野球好きのひとりとして、僕は源田選手の復帰に特別な感慨を抱く。

P.250

 

 そして著者は、衆院選の区割り変更にともなう候補者調整で関係を悪化させていた自民党と公明党の関係について、そもそも自公連立政権が樹立するにいたった複雑な経緯、そしてその調整に疲労困憊した小渕首相が在任中に急逝したこと、を、生前最後のインタビューの際、記者団の最前列にいた者として振り返りながら、若い政治家や記者たちはその〈物語〉を知ってほしい、と訴えている。

 ニュースの〈物語〉を重視している、という点では、二〇二三年二月のコラムでウクライナ取材を振り返りながら、こう列挙しているのが象徴的だ。

 

 夫を戦地に送り出し、励ましのメッセージを送り続ける幼子の母親。戦地での兵士の遺品をひたすら収集し、「事実」を後世に残すことに心血を注ぐ博物館の学芸員……。

P.221

 

 これらは著者が取材の場で見聞きしたファクトのなかから、彼の感情が動かされた要素を抽出した記述なのだろう。元国連職員のラーメン屋さんも、いぶし銀の選手の小指も、ウクライナの銃後の人々も、それ自体はもともと、報道の対象である出来事──G7やプロ野球、戦争──のなかでは目立った存在ではない、が、彼の抱いた感情を読者に伝えるための〈物語〉においてはきわめて重要な登場人物だ。

 そして自身の感情を重視するからこそ、事前に想定していた〈物語〉が覆される瞬間が印象的に描かれる。著者はウクライナ取材の際、軍事ジャーナリズムに携わっていたが今は兵士として従軍している人、とこう話し合う。

 

「戦場を体験したあなたの、ジャーナリストとしてのこれからの仕事に期待しています」と僕は言った。しかし、その問いは彼の心に響かなかった。彼の答えははっきりしていた。

「私はもう、ジャーナリストではありません。ひとりの兵士です」

 その上で彼は続けた。

「ジャーナリストは危険だと思えば引き返すことができる。しかし、兵士はできない。戦うしかないのです。それが私の今の任務です」

P.220

 

 感情を惹起する〈物語〉を語ること。本書のなかでは、沢木耕太郎がインタビューで口にした〈「その人の感受性がもし優れていれば、そこのタバコ屋まで行く紀行文の方が、アフリカのサハラ砂漠を横断するより、はるかに面白い紀行文になりうる」〉(P.301)という(吉行淳之介からの引用もふくむという)言葉も紹介されている。その言葉はちょっと、心の病で遠出ができないのに外国が舞台の小説を書いたりしている私にとっては大きな励みになる、が、同時に、書きかた次第では、たとえばウクライナで行われている戦争より回転寿司屋の醤油差しを高校生が舐めたことのほうが重大事件であるように感じさせられる、ということでもある。〈物語〉の功罪について考えさせられる本だった。146/341

 

8月14日(水)雲の多い晴。NHK党(今はなんていう党名なのか)の立花孝志が夢に出てきた。鳥取の実家の玄関先で何かしていた私は、前の通りを氏が歩いているのを見て、関わり合いになりたくないので急いで家に入り施錠した。これで大丈夫、と安心して、水でも飲もうとキッチンに入った、ら、立花がゆったりコーヒーを飲みながら、なんか慌ててたけど大丈夫?と訊いてきた。むろん即通報。警察が来るまで私も、自分のコーヒーを淹れて氏の隣に座り、いっしょにテレビを観た。前日に立花がどこかの動物園(札幌の円山動物園に似た風景)で、動物愛護党、という政党の党首の立候補会見に同席していたときの様子が映されていた。立花、候補者、そして数十種類の動物たちのパネルと、なぜか唯一ほんもののゴリラ。記者が候補者と立花にばかり質問していると、候補者が、「こんなにたくさんいるのに」と言いながらパネルやゴリラを示して「なぜ私たち二人だけに訊くんですか? 動物だからといって彼らを無視してません?」と言う。記者の一人が、「あ、それではそちらのゴリラに……」と言うとそれも遮る。「あなたは人に「そちらの人間」と呼びかけるのですか?」「えっと、じゃあまずそちらのかた、お名前うかがっても……」「マイケルです」と候補者。「ありがとうございます。ではマイケルくん」「マイケル、くん?」「あっ、すみません、マイケルさん、ですね」二人で観てるうちにコーヒーはすっかり冷めて、いつまで経っても警察は来ないのだった。

 昼は納豆ご飯とバナナを食って黄色い本。ジャックがブリュッセルに運んだ書類は、それを使えば〈戦争を流産させる〉(P.151)ことすら可能な内容がふくまれていた。開戦に向けた一連の動きの後ろでドイツが、自国だけ傷を負わずに利益を得られるよう絵を描いている、その証拠である会談の記録とか。それを読んだ幹部のメネストレルはしかし、すぐに公表するのではなく、その効果が最大のものになるまでは隠しておくことにして、ジャックにも、〈「(…)いまの場合、役に立つものは何ひとつない」〉(P.153)と言う。

 ブリュッセルではヨーロッパ中の社会主義組織の代表者が集まる大きな集会が開かれている。各国の、国会議員もふくむ代表者が順に演説して聴衆も盛り上がる。ホールを出たジャックは仲間たちといっしょにデモ行進の流れに混ざるのだが、ふと人混みの向こうに、アルフレダが同志のイギリス人画家パタースンと寄り添っているのを見かける。二人は運動を離脱してロンドンに移るのだそう。

 そのあとジャックがメネストレルを訪れると、彼は何か身辺整理をして、書類をぜんぶ暖炉に放りこんでいる。ジャックに〈「よく来てくれた……え? 来てくれてたしかによかった……」〉(P.168)と言っていて、なんだか様子がおかしい。今日のところを読み終えてなんとなく目次を見ると、この場面(第五十四節)のレジュメにはこうある。〈七月二十九日・水曜日──パタースン、アルフレダとの駆落ちのことをジャックに語る──メネストレルの自殺未遂〉(P.7)。自殺未遂! 本文ではその言葉は使われてなかった、が、目次にはけっこう踏み込んだことを書くんだな。後のほうで明言されるのかもしれない。

 午後二時に散歩に出。住宅街をウロウロしてたら、西から走ってきた車が濡れていた、ので、慌てて図書館に向かった。しかしけっきょく、ぽつぽつ降りはしたが濡れるほどではなく、帰るころには止んでいた。

 夜、七、八分走る。スマホの地図アプリで距離を測ってみると、一キロ弱、といったところ。それくらいの距離でも息が切れた。ちょっとキツかった、が、息が戻れば気持ちの良い疲労。帰ってザッとシャワーを浴びて、パリ五輪男子バスケ決勝、フランス対アメリカ。フランスのヤブセレ(推し)がレブロン・ジェームズの上からすごいダンクを叩きこんだ、のが今日のハイライト。しかしアメリカがじわじわ差を広げて貫禄勝ち。表彰式まで観たあとはそのまま寝そうになっていたがエイヤッと起きて、洗いものや洗濯ものをやっつけて寝る。183/341

 

8月15日(木)曇、ときどき日射しも。朝、ベッドでごろごろしながらスマホを見ていると、トリノFCがアントニオ・ドンナルンマを獲得した、というリリースが出ていた。

 二〇一七年夏、ACミランが、絶対的守護神のジャンルイジ・ドンナルンマの退団を阻止するために獲得したのが、その兄であるアントニオだった。それが、けっきょくジャンルイジが二〇二一年夏にPSGに移籍したためにアントニオも放出されて、セリエCのパドヴァに加入した。パドヴァでは三年間を過ごし、最後のシーズンにはキャプテンも務めた。所属期間でいえばACミランのほうが長いけど、出場試合数はキャリアでいちばんパドヴァが多い。

 ジャンルイジがPSGに移籍したとき、二〇二一年七月十八日の私の日記。

 

ジャンルイジ・ドンナルンマの兄のアントニオもミランの選手だった。もともと二人ともミランのユースにいて、アントニオだけが他のチームに放出されていたのだが、2017年、ジャンルイジの契約延長と同時に復帰してきた。ジャンルイジは当時契約延長交渉が難航していて、弟と契約延長するためのエサとして兄を復帰させたのだ、という、ギリシャの弱小チームとはいえプロとしてプレーしていたアントニオに対して失礼きわまりない噂が、さも真実のように報道されていて、私もそれを信じていたのだが、アントニオは、コッパ・イタリアだったか、ミラノ・ダービーで先発して、延長戦までの120分、ファインセーブも見せながら完封勝利を果たした。それまでの、日本にいる私があれだけ知っていたのだから、イタリアではもっと酷かっただろう、弟のおまけとしての契約、みたいな報道に苛ついていたにちがいないアントニオのパートナーが、大興奮したままインタビューに答えていて、いま妊娠九ヶ月なんだけどもう出てきちゃいそう!みたいなことを言っていた、のまで日本で報じられていた。そのアントニオの名前も、公式サイトのSQUADREのページから消えていた。PSGのメンバーリストにもないし、イタリアのメディアのいくつかはペルージャに移籍するんじゃないかと書いていたが、ペルージャのHPにも載っていないし、こういうときの常として、いちおうモンツァも見たけどいない。アントニオはどこへ行くんだろう? 本人のInstagramも見てみたが移籍の話は出ておらず、ミランでの背番号のついたウェアで練習をしており、もうすぐ第二子が生まれるらしい。

 

 けっきょくこの翌月にパドヴァへの移籍が発表された。その二日後、八月二十二日の日記。

 

脳がしおしおになり、アントニオ・ドンナルンマのことを考える。パドヴァはセリエCに所属している。長くミランの第三GKで、四年間で三試合にしか出場しなかったことを思えば、移籍先が見つかっただけでも御の字、かもしれない。とはいえ、その三試合の相手はインテル、ルドゴレツ、S.P.A.L.で、S.P.A.L.も当時はセリエAのチームだった。その三試合、アントニオはファインセーブを何度も見せて、一失点もしなかった。パドヴァに行くならモンツァのほうがよかったのでは、ともちょっと思うが、アントニオが新しい居場所を見つけたことが、自分でも意外なくらいに嬉しい。

 

 いずれも公開時には削除したのだが、三年後に読み返すとなんか、野球について書いてる大越健介と似たはしゃぎっぷりだな……。ともあれそれから三年経って、アントニオは自分の力でセリエAに舞い戻ったのだ。なんだかめちゃくちゃうれしい。

 そして調べてみると、トリノの今季開幕戦はアウェイでのACミラン戦ではないか! トリノにはセルビア代表GKのミリンコヴィッチ=サヴィッチがいるから、三部リーグからやって来たアントニオは良くて第二GKというところだし、この試合に出ることはないだろう、が、どうしてもこうエモーショナルな気持ちになってしまう。良いシーズンを過ごしてほしい。

 脳がしおしおになるまで作業して、夜はパリ五輪女子バスケ三位決定戦、ベルギー対オーストラリアを観。ハーフタイムにInstagramを見ていると、トリノFCのアカウントでアントニオのお披露目動画が公開されていた。アントニオはゴールに触ったりポーズを取ったりして、最後にカメラを見下ろしながらCiao ragazzi. Sono pront. Forza Toro!と言って、ちょっとぎこちない微笑みを浮かべた。やあみんな、おれは準備できてるよ、トリノばんざい!くらいの意味の、まあありきたりな台詞ではあるのだが、なんかうれしくなっちゃって、十数回観てしまう。トリノの関係者とステファニアさん(アントニオの妻)の次くらいに観ているのではないか。

 三位決定戦はめちゃ拮抗した試合で、しかし最後にショットクロックの読み違え、みたいなミスをベルギーがやってしまい、オーストラリアが銅メダルだった、が、それより私はアントニオのことがうれしい。183/341

 

8月16日(金)雨、ときどき止む。台風が来ている、ということで、鉄道も運休になり、近所の個人店もけっこう臨時閉店を発表していた。

 半日作業、昼休みに『チボー家』進読。アントワーヌのもとを、恋人アンヌの夫シモンが訪ねてくる。すわ修羅場か、と思ったが、転地療養中の娘についての相談だった。また別の、パリから離れた場所に移ろうかと思っていて、今度は妻も伴って行くつもりなのだそう。それでアントワーヌは、アンヌとの関係の終わりを思う。

 ジャックはジェンニーを連れて組織の集会に行き、予定にはなかったが壇上に躍り上がり、熱烈な演説をぶつ。喝采を受けてジェンニーにいいとこ見せられた、のは良かったが、警官に目をつけられもしてしまったよう。

 そしてジャックは、組織の拠点のひとつでのミーティング中、東部(ドイツ国境近く)の情報を持ってきた男からこういうことを聞く。

 

 その男は、旅行中いっしょになったドイツの社会主義者が、ゆうべベルリンで軍事会議が行われたと断言していたことを話して聞かせた。ベルリンでは連邦会議の招集が決定された。ドイツでは、きょうにでも重大な決定のなされることが予想される。モゼール川の橋梁は、すべてドイツ軍隊によって軍事的に占領されている。まさに一触即発の状態だ。すでにきのう、リュネヴィルの近郊では、ドイツの軽騎兵は、挑戦するといったように、国境線を越え、フランス領土の上に五六百メートルも馬を走らせた、と話していた。

P.216

 

 リュネヴィルはダニエルがいるところだ。彼は妹ジェンニーへの手紙に、〈自分の所属している軍隊が緊急状態におかれたこと、その夜のうちにリュネヴィルを出発するらしいこと、おそらくしばらくはたよりもむずかしいだろう〉(P.175)と書いていた。本格的にはじまろうとしている第一次世界大戦のなかで、リュネヴィルが、そこに駐屯している部隊がどうなったのか、現代ではちょっと検索すればわかってしまうだろうな。

 雨や風、けっきょくときどきザッと強くなったくらいで雷も聞こえなかったし、嵐って感じじゃなかった、と思ってたら、どうも二十三区内でも電柱が折れたり街路樹が倒れたりしていたらしい。

 夜はパエリアを食いながら、パリ五輪の女子バスケ決勝、フランス対アメリカを観。これも拮抗した試合で、しかし最後、フランスがちょっとした判断ミスでシュートを打てず、最後の攻撃では、三点差を追う場面でめちゃタフショットを決めたのだがスリーポイントラインを踏んでいたため追いつけず、そのまま試合終了。六連覇のアメリカの強さよりも、フランスの惜しさを感じる試合だった。これで男女の五人制バスケが終わった。私にとってのパリ五輪もおしまい。225/341

 

8月17日(土)快晴、すごい暑さ。井川意高『熔ける 再び そして会社も失った』(幻冬舎)を読む。ギャンブルにのめり込んでいく様を描いた前作『熔ける』に対して、刑期を終えて開き直った氏の繰り言、みたいな内容が中心で、そして会社を失って金持ちのボンボンが残った、という感じの本だった。私が井川に対して抱いてるのは、『カイジ』を読むと同じような、ろくでなしギャンブラーの行状録に対するのと同じ種類の興味でしかない。

 

 私はポーカーのようなカードゲームは好まない。ダイヤ、ハート、クラブ、スペードのカードが1から13まであるわけだから、全部で52枚だ。ディーラーやほかのプレイヤーが、どのカードを持っている確率が高いのか。頭の中で確率計算しながら進めるカードゲームは、けっして苦手ではない。

 だが、頭脳戦の要素が強いポーカーよりも、「運の揺らぎ」を見極めながら「運」に一点賭けする丁半バクチ(バカラ)のほうが脳髄が痺れた。丁と出るか、半と出るか賭けて当たれば、手持ちのチップは倍々ゲームでどんどん膨れ上がっていく。

 一張りの金額が大きければ大きいほど、丁半バクチは鮮やかに勝ちもすれば、絶望的なまでに負けもする。バカラならではのヒリつくスリルが、たまらなく心地よく、破滅願望を満たしてくれるのだ。

P.11

 

 麻雀の面白さは相手との駆け引きと純粋な運のバランスが良いから、というのをどこかで聞いたことがある、が、井川は、〈運の揺らぎ〉という実体のない波に身を任せる感覚、に惹かれてバカラをやっている。前著を読んだとき私は、題は『熔ける』じゃなく『熔かす』でしょう、と思ったのだが、運否天賦(という言葉も『カイジ』によく出てくる)だから自分で溶かしてる自覚がなかったのだろう。というか、自分で溶かしてるということから目を逸らすためにこそ、バカラの破滅的な魅力を必要としていた、ということかもしれない。

 夜、U-NEXTでイプスウィッチ対リヴァプールを観。イプスウィッチの大ファンで、ここ数年ずっと胸スポンサーをやっている、今年からは株式を取得もしたエド・シーランが観客席にいて、愛するクラブが二十三年ぶりのプレミアを戦う姿をはしゃぎながら観ていた。225/341

 

8月18日(日)曇。午後二時から大学院の先輩とLINE通話。お互いの近況を交換したり、最近読んだ良い本を薦め合ったり、二時間弱おしゃべり。先輩は先月結婚したばかりで、なんだか幸せそうだった。

 終わったあともまた読書。夜、長谷川あかりレシピの黒酢トマトカレーを食いながら、U-NEXTでエヴァートン対ブライトン。ブライトンの三苫薫選手が、一得点と相手選手のレッドカード誘発の活躍をして勝利。エヴァートンが、ホームでの開幕戦なのに何もかもが上手くいってなくてなんだか心配になった。とはいえシーズンはあと三十七試合ある。バンバってほしい。225/341

 

8月19日(月)明るい曇。寝不足であまり具合良くなく、散歩はせずに、昨夜のカレーを食って読書。片野秀樹『あなたを疲れから救う 休養学』(東洋経済新報社)を読む。日本人は休むのが下手、という前提のもと、どういう休養を取れば人は健やかに生きられるのか、みたいなことを考察する。〈攻めの休養〉という考えかたが良かったな。軽い負荷であれば運動をすることすら〈休養〉になる。

 休みかたを教える、というより、読者の〈休養〉の概念を変える、というのが本書の主眼だった。休養は〈生理的休養〉(栄養タイプ、運動タイプ、休息タイプ)、〈心理的休養〉(造形・想像タイプ、娯楽タイプ、親交タイプ)、〈社会的休養〉(転換タイプ)の三種七タイプに分けられる。で、それらを組み合わせることでより効率的な休養が取れる、という。と言われるとなんだか複雑な気がするが、著者はこう書く。

 

 たとえば、ちょっとほっと一息ついてリラックスしようと、スープをつくって飲んでみます。これも休養の1つですが、冷蔵庫から具材を出してスープをつくるということは、造形・想像タイプの過ごし方になります。しかも体の中を温める食物をとるという意味では、消化器をやさしく癒す栄養タイプの活動でもあります。さらに家族やお子さんと一緒にスープをつくれば会話も生まれるでしょうから、親交タイプにもなります。

 完成したスープを保温ジャーに入れて公園まで出かけ、そこで飲むことにしたらどうでしょうか。公園まで歩くことで運動タイプの要素も加わります。なおかつ、家から公園へと場所も変わるわけですから、転換タイプにもなり、さらに自然との親交も実現できます。

P.150-151

 

 料理や子供の世話というのはだいたい疲労をもたらすタスクとして語られることが多い気がする、が、そういう行動も本書のなかでは、複数の〈休養〉の組み合わさったものとして説明される。いずれも自分の意思で中止したり別の行動で代替したりできる、というのが肝で、そこが出勤や労働と違うところ。こうやって私生活のあれこれをすべて〈休養〉の一側面として捉える、という、発想の転換を促す本だった。と考えるといかにも正統的な〈自己啓発本〉だ。参考にしてみましょう。

 夜、グリーンカレーを食いながら、気晴らしにU-NEXTでリーガ・エスパニョーラ第一節、マジョルカ対レアル・マドリードを観。マジョルカが良かった。225/341

 

8月20日(火)晴。伏せっていた。225/341

 

8月21日(水)晴のち曇、一時豪雨。午前のうちに新しい眼鏡が届く。前のやつはフレームが壊れていて、アロンアルファで補修して使っていたのだ。度は変わっていないから見えかたにそれほど差はないが、フレームが細くなってだいぶ軽くなったし、耳や鼻に食い込む感じがしなくて良い。

 サバ缶のパスタで昼食として、黄色い本を進読。

 

「ぼくにはよくわかっているんです。あなたは、戦争と平和とを、国家生活における正常的な振子の運動のように考えておいでです……おそろしいことです! ……そうした非人間的な振子の運動、それをぜったいとまらせなければ! 人類は、そうした血なまぐさいリズムから解放され、その活動力をよりよき社会の創造のほうへ自由に向けることができるようにならなければ! 戦争は、何ひとつ、人間の生活問題を解決しません! 何ひとつ! それは、働くもののみじめな状態を、さらにはげしくするだけなのです! 戦争のあいだは、砲弾よけの一個の肉体、それがすめば、まえよりさらに酷使される一個の奴隷、これが働くものの運命なのです!」ジャックは、悲痛なちょうしでつけ加えた。「事はきわめて単純です。ぼくは、一国の民衆にとり、戦争の悪にまさる悪は何ひとつ──正確に何ひとつ! ──存在していないと思うんです!」

P.227

 

 ほんとうにそうだ。この思想のもとにジャックは良心的兵役拒否を選び、軍医として動員されることを受け入れている兄アントワーヌと対立する。反戦デモのさなか同志の一人ジョーレスが暗殺される事件も起きる。とにかく事態が加速し続けていて、ジャックも、彼にいざなわれて運動に参加しはじめたジェンニーも何か生き急いでいる感じ。

 このへんは、戦争にまつわる議論や集会の場面を丹念に描きながらも、文章それ自体のスピード感がぐんぐん加速されている、ので、何か読んでいるこちらまで焦燥感におそわれてしまう。上手いなあ。そのいきおいでジャックとジェンニーはセックスも済ませてしまった。

 午後は日本海新聞のコラム書き。昨日の隙間時間でちょこちょこ書いてたメモをもとに、今月二十五日締切のに加えて、来月締切のぶんも書いた。

 夕方にはとつぜんのゲリラ豪雨。地下鉄に水が流れこんだり、新幹線も一時運休になるほどだったよう。集中している間に止んでいた。確かに朝から雲が多かった、とはいえ晴れていたのに、夕方には災害レベルの雨が降る。そういう出来事がこの夏にはもう、異常気象とは呼べないほど頻繁にあった。260/341

 

8月22日(木)曇、一時豪雨。朝の散歩をしていたら、スーパーで食材を買ってるうちに土砂降りになっていた。傘もないし、濡れて困るようなものはあまり持っていない、ので、財布とスマホだけ身体の後ろ側(尻ポケット)に回して早歩きで帰宅。

 こういうとき私が濡らしたくないものを身体の後ろ側に回すのは『名探偵コナン』の影響だ。第一巻で、悪役に薬を飲まされて六歳くらいの身体に縮んでしまった主人公の高校生探偵・工藤新一は、旧知の発明家・阿笠博士のもとを訪れる。新一を名乗る子供を怪しむ阿笠に彼は、自分が新一である証拠に、と、阿笠のプロフィールをいくつも並べたてるが、それだけでは信用してくれない。それで彼は、〈じゃー、これならどーだ!?〉(P.53)とまくし立てる。

 

「博士!! あなたは、さっき レストラン「コロンボ」から 帰ってきましたね!! それも、かなり 急いで!!」

「ど、 どうして それを!?」

「博士の服 ですよ… 前の方は ぬれた跡が あるけど、 後ろは、それが ない!! 雨の中、走って 帰ってきた 証拠ですよ… それに、ズボンにドロがはねてる… この近辺で ドロがはねる道路は、 工事中の「コロンボ」の 前だけだ!! おまけに「コロンボ」 特製のミートソースが ヒゲについてるしね…」

P.54

 

 これを読んだ小学生の私は、なるほど走れば身体の後ろは濡らさずに済むのか、と思ったのだった。しかしいま考えてみると、べつに公園の植え込みとかでもドロは跳ねるだろうし(マッドサイエンティストの雰囲気がまだ濃かった初期の阿笠ならそういうとこにホイホイ踏み込みそう)、ヒゲについてる汚れがミートソースだと、それも「コロンボ」特製のものだと、暗いなかでわかるとも思えない。この推理はけっこうハッタリの要素がつよいような。むしろ、最初に〈コロンボから急いで帰ってきた〉という結論を山勘で突きつけて、それが正解であることを確認したうえで、服の前だけ濡れている、ドロが跳ねている、ヒゲにソースがついている、と、確度の高いものから順に、阿笠の反応を見ながら畳みかけていく、という話法にこそ推理の要諦がある感じ。と書いてきて、おれもこういう賢しらな検討をする大人になっちまった、ともの悲しくなる。新一の推理はすごい、というだけでいいんだよ。260/341

 

8月23日(金)曇、ときどき日射し。昼休みに村上春樹の昔のエッセイを読んでいると、ジョン・アーヴィング『ガープの世界』(当時はまだ翻訳されておらず、村上は原題のThe World According to Garpを『ガープ的世界のなりたち』と訳している)について、こう書いていた。『ハッピーエンド通信』一九八〇年八月号に収録された「中年を迎えつつある作家の書き続けることへの宣言が、『ガープ的世界』だ」(単行本未収録)の一節。

 

『熊の解放』を一人の青年作家の文学宣言であるとすれば、『ガープ的世界』は中年を迎えつつある作家の書きつづけることへの宣言である。

P.14

 

『熊の解放』Setting Free the Bearsはのちに、村上自身の手によって『熊を放つ』として訳されることになる。ともあれ、アーヴィングは二十六歳で『熊の解放』を書き、その十年後に『ガープ』を書いた。そしてこのエッセイを書いた村上は当時三十一歳で、五年後には『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を発表する。そして今年の十月には松田直樹の享年を超えて三十五歳になる私は、三十代半ばにある今、せいぜい一、二年先までに、何を書くのかしらん、と、『クォンタム・ファミリーズ』を読んだときと同じことを考える。人生の岐路、ではないけど、何かの区切りに立ってはいるのだろうな。

 夜、シカゴで行われた民主党大会の演説をいくつか観。スティーヴ・カー、ステフィン・カリー(ビデオメッセージ)、カマラ・ハリス、バラク・オバマ。みんなそれぞれの個性があった、が、なんか最後に観たオバマの演説に感銘を受けてしまった。アメリカの政治家は堂々と夢を語るのがいいですね。英語が勉強したくなった、とすぐに書くと何か飛躍してる感じがするけど、私はこのいくつかのスピーチのあまりのアメリカっぽさにクラッと来ちまった、そしてなんか自分もアメリカ的なものを身にまといたくて、それで英語、ということなのだと思う。単純というかなんというか。260/341

 

8月24日(土)晴。せんねん灸を貼って読書。昼ごろ、部屋で冷房をかけているのに熱中症っぽい感じになった。そういえば、と思い出して、貼りっぱなしだったせんねん灸を剥がすと、汗でぐっしょり濡れている。効果はあったのだろう。

 水を飲んで冷たい床で三十分ほど横になってたら回復した、ので黄色い本を進読。戦争の足音が近づいてくるのと同時に、チボー兄弟の恋愛も展開していく。アントワーヌはアンヌとの別れを決意しているが、彼女はその理由を知らず、ただ戸惑いながら執着している。ジャックとジェンニーははじめて身体を重ねて、どうも婚約もしようとしていて、今が蜜月、のはずなのに、二人の間にはどうも相容れないというか、荒んだ空気が流れている。

 そうしているうち、政府から総動員令が発令された。これで戦争状態、ということで、外国人は即刻、翌日のうちにパリ要塞地区から、というのがどこを指すのか私には分からないのだけどとにかく立ち退くよう、とのお達しも出た。ジャックはベルリンでの任務のために、スイスの偽造身分証を持っている。このままパリに留まっていればフランス人として動員されてしまうが、逃げてしまえば兵役を免れられる。葛藤の果てにジャックは、ジェンニーをともなってジュネーヴに向かうことにした。

 夕方から、沙東すず『奇貨』(私家版)を読む。一方的に別れを告げてきた男との関係の終わりを描きながら、とにかく自分は傷ついたのだ、という、その傷を包帯で隠したりせず見せつけるような本。素晴らしかったですね。傷をゴロッと提示する、というのは、下手な人がやればただの愚痴で終始してしまう。しかし沙東は、その傷から普遍的な、真理みたいなものを抽出する。

 

 今月四十歳を迎える身になるまで幸運にして知らなかったが、「不信」というのは精神状態としては「疑念」よりもむしろ「確信」に近いのだ。

P.70

 

 ほんとうにそうだ。そしてずっと遠距離恋愛だったという恋人と、長文のテキストでやりとりするのが習慣化していたのだろう、別れに際しての恋人の、沙東にとっては理不尽にちがいない主張が、テキストメッセージの引用として、一定の理路を追えるくらいまで説明されている、のが本書のすごいところだ。沙東だけでなく、相手の男も言語化能力が高い(画家であり、文筆活動もしている)ので、本書の良さはかなりの部分を彼に負っている。そのことも沙東は自覚しているような気がする。

 彼は創作を仕事にしているのに対して自分はあくまでも趣味的に書いているだけだ、と、著者は何度か強調している。そして元恋人は沙東に、〈実際につきあってみると、アフリカで棺桶を作って弾けたりしてたころのすずさんの姿をおれは一度も見てないなと思うことがあった〉(P.111)と書き送る。恋人をミューズ扱いするクリエイター、というかんじで、凡庸というか、なんとも古典的だ。沙東もこの言葉を、〈要するに「もっと創作活動をして、おれに焦りや刺激をもたらしてほしかった」というメッセージ〉(P.111-112)として受け取っている。このへんの、クリエイター同士の二人であること、についての記述は、私もクリエイターなのでけっこう興味深く読んだ。

 

 表現しないと死んでしまうタイプのクリエーターは本当はひと握りで、皆どこかしら「自分のすることに飽きた」という気持ちと戦っている。彼もいつも、自身に倦んでは旅行や恋愛という非日常で情熱の埋み火をかき立てるようなことを繰り返していて、今回のこともその一環だと私は感じている。

P.118

 

 クリエイターというのは何かあると表現をするものだ。それが、表現をするために何ごとかを起こす、と逆転すると、自傷的なおこないを繰り返すようになる。数冊の本を上梓したところで〈ささやかすぎる表現欲はそこで行き止まった〉(P.3)と振り返る著者こそ、〈自分のすることに飽き〉ていたのだろう。そして今回のことで埋み火をかき立てられて本書を書いた。それはそれでうまく釣り合った二人のような気がしないでもない。

 そういえば本書のなかで、〈先日、SNSで流れてきた朝日新聞の記事〉(P.91)が言及されていた。頭木弘樹のインタビュー記事。題や配信日、URLなんかは書いていなかったが、たぶん同じ記事を私も読んで、感銘を受けたのだった。二〇二三年九月十五日配信の、「「病気のおかげで」は本当? 「立ち直りの物語」を求める心理の正体」。困難な状況にある人の語りを読むとき、人はつい、そこからの立ち直りのストーリーを期待してしまう。〈人は、立ち直らないままの人をなかなか許さないんです〉というフレーズは本書にも引用されていたが、頭木はその理由として、〈みんなどこかで、自分もいつか倒れることがあるかもしれないと恐れているから、嫌悪感を覚えてしまう〉のだ、と言っていた。沙東は、本書の執筆をふくめて、別れを告げられてからのいろんな行動は立ち直りを目指してやっていたのだから、そのストーリーに沿っていること自体は問題ではない、といいつつ、〈読む人の「立ち直りの物語をあらゆる他人に求めてよい」という意識を補強したくはない〉(P.92)と書いていて、そうだよね、と深く頷いた。良い本だったな。297/341

 

8月25日(日)晴。昼、めちゃ暑くて冷房の温度を下げようとした、ら、リモコンの表示がおかしくなっていて操作ができない。そのくせ停止ボタンだけは問題なく効いてしまい、焦る。電池を替えたりコンセントを抜き差ししたりしてみたが効果なし。マンションの管理会社のアプリから連絡をしようとした、ら、〈よくある質問〉のところにエアコンについてのFAQがあって、リモコンが効かないときはリモコン自体の再起動を試してみてください、とあった。それで指示通りにやってみると、何事もなかったかのように効きはじめた。安堵して二十三度まで下げちゃう。

 涼風を浴びつつ黄色い本を進読。アントワーヌはポケットのなかにアンヌからのラブレターを入れっぱなしにしてたのをふと見つけて、〈最後の一夜を彼女によりそってすごしてみるか……も一度愛撫を受けて見るか……〉(P.298)と考えている。

 ジャックはジェンニーとともに組織の拠点に顔を出す。動員令が出たことで、同志たちは、それまでの反戦主義を反故にして、軍事予算に賛成している。徹底した反戦を訴えるジャックは彼らと決裂。〈《そうだ!》と、彼は思った。《そうだ!自分が心の底から否定していることを受け入れるよりは、むしろ自分は死をえらぼう! 節を屈するよりは、むしろすすんで死をえらぼう!》〉(P.312)。そう決意したあと、ジャックとジェンニーはジェンニーの家で身体を重ねる。死を決意した直後だけに、戦場に向かう兵士の最後のセックス、みたいな雰囲気で読んでしまうな。

 そして翌朝、夫の死にまつわる法的なあれこれをようやく済ませたフォンタナン夫人がウィーンから帰還。ふと我が子の部屋を開けた、ら、ジャックとジェンニーが裸で抱き合っている。あらまあ!という感じ。動揺して、気づかなかったふりをして家を飛び出していった。

 そのあと冷やしカレーを食いながら、U-NEXTでブライトン対マンチェスター・ユナイテッドを観。ミルナーとかウェルベックとかのベテランが躍動しているのがうれしい。

 そのあと読書。昨日沙東の『奇貨』を読んだので、松浦理英子の『奇貨』(新潮文庫)を。当たり前だけど題は同じでも内容はぜんぜん違う。329/341

 

8月26日(月)晴、影が濃い。昼まで伏せる。

 午後、オンラインでカウンセリングを受けて、すぐ散歩に出。近所の工事現場にデジタルサイネージがあって、通行人が触って操作できるようになっている。今週の作業予定とか天気予報とか、〈現場のおじさんが選んだ今日の寒いダジャレ〉なんてのも。今日は私が通る前に誰かが操作していたのだろう、星座占いが表示されていた。私(てんびん座)は〈総合運★〉、いちばん悪かった。まあこういう日もある。

 帰宅して、汗が引くまで休みつつ、なんとなく先週の日記を読み返す。八月十五日の日記で私が引用した、アントニオ・ドンナルンマの言葉を、私は〈やあみんな。おれは準備できてるよ。トリノばんざい!〉と訳した。しかしこれだとなんか気の抜けた感じがしてしまう。「こんにちは。シーズンが待ちきれません。がんばろう!」みたいに意訳したほうが良いかもしれない。英語であれば直訳でも、Hey guys. I'm ready. Go Toro!とニュアンスも保てるのだが。翻訳というのは意味だけじゃなく、その言葉を取り巻く雰囲気も伝えることなのだな、と、わりに初歩的なことを改めて思う。329/341

 

8月27日(火)午前雨、午後は曇。昨夜は二時ごろにフッと目が覚めて、しばらく雨の音を聞いていた。朝も六時ごろに雨の音で目覚め、またすぐに寝た。低気圧は苦手だけど、雨音で目が覚めるのは好きだ。

 昼休みに『チボー家の人々』を最後まで。新聞社で同志たちと話し合ったあと、ジャックはジェンニーを見送ってフォンタナン家へ。そこで夫人が帰ってきていることをようやく知り、動揺する二人。ジェンニーが何か意を決した感じでジャックの手を引き、住まいのなかへ引っ張り込んだ──というところで本巻終わり。戦争の足音がしだいに大きくなってきて、チボー家の人々──アントワーヌ、ジャック、そしてジゼールがいやおうなく時代に捲き込まれて行こうとするさまを描いた第四巻、メロドラマみたいな引きだ。

 午後、朝刊と夕刊をまとめて取りに郵便受けまで降りた、ら、日本維新の会・音喜多駿氏のビラが入っていた。半年ほど前、今年の三月二十五日の日記に私はこういうことを書いている。

 

朝刊を取りに郵便受けを見に行った、ら、日本維新の会・音喜多駿氏のビラが入っていた。ビラ、というか、氏の顔写真のプリントされた封筒に〈ご不在でしたので、また伺います!/音喜多駿(本人)〉と書かれ、中にビラが二枚入れられたもの。私は昨日の朝刊を取ってきて(そのときは氏の封筒はなかった)以来は部屋から出てもいない。だからこの〈ご不在でした〉というのは、最大限好意的に考えても、インターフォンも押さずに留守だと判断したということだ。こういう、臆面もなく嘘をつく、というふるまい、たいへん維新の会らしいというか……。そもそもこの〈ご不在〉の文は手書きではなく、氏の筆跡を封筒に印刷したものにすぎない。投函したのも本人ではないのだろう。なんせインターフォンを押されもしなかったので、実際のところはわからないが。

 

 けっこう怒ってるな。今回入っていたのは厚手のビラに、メッセージカードが針なしホッチキスで留められたもの。そのカードには、〈おときた駿事務所メンバーで、地域の挨拶回りを行っています。最新の国政報告のチラシをポストに投函させていただきました。/何か行政に関するお困りごとがあれば、お気軽にご相談ください。〉とプリントされていた。私の言語感覚では、ビラをポストに放りこむことを〈挨拶〉とは言わない、が、まあ少なくとも嘘をついてはいない。前回の私の日記を読んだとは思えないが、誰かに指摘されたのか、事務所内部で反省がなされたのか。何も考えてないのかもしれないが。

 夜、oasis再結成の報を見かける。私が高校生のころ、ということは二〇〇五年から〇八年にめちゃ聴いてたミュージシャンはTHE YELLOW MONKEYとoasisとスピッツで、イエモンは二〇〇四年に、oasisは二〇〇九年に解散していた。私がイエモンを聴きはじめたのは二〇〇三年の、すでに彼らが活動を休止していたころのことだった。それが、二〇一六年にイエモンが、そしていまこうしてoasisが再結成した。oasisはまだ再結成を発表しただけだし、あの兄弟ならまた大喧嘩して再結成取りやめ、みたいなこともありそうだけど、私の好きな三つのバンドがいずれも活動している、というのは考えてみるとはじめてのことで、なんだかちょっと戸惑っている。341/341

 

8月28日(水)曇。朝起きたら昨夜見てたTwitterの画面が開きっぱなしになっていた。oasis再結成の告知。イギリスとアイルランドで十四公演するそう。ギャラガー兄弟以外のメンバーはどうなるのかしら。金に余裕があれば、そして心身ともに健康であれば、チケット購入の申し込みをしただろうな、と思って、なんかおれはこうして、映画とか展覧会とかイベントとか、人と会う機会とかライヴとか、いろんなことを逃していくんだな、とネガティヴになってしまう。まあ元気になったらたくさん観たり会ったりしましょう。

 考えるのをやめて起き上がり、散歩に出。宇都宮ブレックスのDJニュービル選手が毎朝飲んでるというスムージーの材料を買う。

 夕方から、髙田賢三自伝『夢の回想録』(日本経済新聞出版社)を読む。成功した人の自伝、というのは、生存者バイアスに満ちた鼻持ちならない自慢話になりがちなのだけど、本書は良かったな。〈なぜか約十年ごとに私は共同経営者と衝突する運命にあるようだ。〉(P.167)と著者は振り返ってるけど、とにかくそういう過去の恨みつらみがまだ熱を持っている。ケンゾーをLVMHに売却したときの騒動を語る文章とか、ほんとうに忌々しげで、ぜんぜんいい話にしていない。本書は回想録だけど回顧録ではなく、現在(の感情)について書かれている、から面白い。それを楽しんで読むのもたぶん、〈立ち直りの物語〉を好む心性への反発、なのだろう。

 こういう一節があった。

 

 二〇一五年九月。パリに渡航して五十周年を記念し、約五〇〇人の関係者を招待してパーティーを開いた。場所はブローニュの森にあるレストラン。にぎやかな和太鼓やフレンチカンカンのダンスが雰囲気を盛り上げる。

 はかま姿の私は本物の象を二頭従えて登場。ケーキの前で丸い箱を開くと三〇〇匹以上のチョウが一斉に夜空に羽ばたいた。この日のためにわざわざ繭から育てて準備したという。

P.201

 

『失われた時を求めて』の語り手とアルベルチーヌがデートをしたブーローニュの森のレストラン! その森を数年後にアントワーヌが恋人のアンヌを乗せた自動車で通り抜け、そして二〇一五年に髙田賢三が象をはべらせてパーティをやった。行ったことのないパリの森の歴史が、本を通して私のなかに積み上がっていく感覚。

 日付が変わる前に読了。食器を洗ったり別の本をちょっと読んだり、日記を書いてたらもう午前一時だ。睡眠時間犠牲にして日記書かなくても、ねえ。

 

8月29日(木)曇のち雨。ぐっすり寝。ニュービルのモーニングスムージーを作る。にんじん二本、セロリ三本、リンゴ一個、生姜一かけ、ビーツ二個、レモン半分、という、ニュービルの妻が二週間くらい前にInstagramのストーリーズで公開していたレシピ。しかし半量でもたいへんに多く、朝めしを腹いっぱい食った、みたいな満足感。味も悪くなかった。とはいえまあまあ金がかかるしたいへん面倒なので、私は月に一度くらいでいいかな、アスリートでもないし……。

 一日作業をしてくたびれた、ので夜は料理をする気力なく、インスタントのカレーうどんを食い、どうも物足りなかったので蕎麦とウインナーをまとめて茹でる。満腹になった。

 

8月30日(金)雨。台風十号が、自転車くらいの遅さで九州あたりをウロウロしていて、その余波で東海道新幹線も終日運休するほどだそうだけど、東京の我が家のあたりはちょっと強い雨というくらい。

 ひとしきり作業をしてから遅い朝食にレトルトのバターチキンカレーを食う。実家から送られてきた白米はこれで食い尽くした。数年来の減反政策に加えて昨年度の猛暑で米の収量が少なかったところに、先日九州(日向灘)で起きたけっこう大きい地震が南海トラフ地震の前兆かもしれない、ということで、食糧の買いだめ需要が発生した。それで近所のスーパーの米が払底している。しばらくはパンや麺で過ごすことになるかしら。

 低気圧であまり頭回らないながら、ちょっとずつ『チボー家』文章を進める。

 

8月31日(土)曇時々雨。『スヌープ・ドッグのお料理教室』(KANA訳、晶文社)を読む。けっこう手が込んでたり日本では手に入れづらい食材が使われてたりする(代用品も紹介されてはいる)ので、よしおれも作ろう、とはならないのだが、スヌープ兄貴がゴキゲンなのでなんでもええわ、みたいな本だった。〈ダ・ネクスト・レヴェル・サーモン〉Tha Next Level Salmonという良い名前の料理についての説明はこう。

 

正直な話、最近じゃサーモン料理はそこまで特別なものじゃなくなっちまったよな? 人気も下火になってきた感じだと思わないか? 一時はレベルの高い超洗練された料理の代表格のような存在だったのも、今じゃそんなに驚くほどの料理でもなくなった。そんな流行でなくなった魚の切り身が手元にあるってときは、このアンクル・スヌーピーを頼ってくれよ。ハニー・マスタードさえあれば、ありきたりの魚料理とはかけ離れたすげぇ料理をぶちかますことができるはずさ。俺はこれにちょっと〈グリーン〉を加えれば完璧だと思ってるけど──あっ、俺のお馴染みのグリーンの〈ハーブ〉のことじゃないぜ。さやいんげんのことさ。最高のディナーを演出するのに逆流に立ち向かう必要なんてもうない。フロウに乗っかっていきゃいいのさ。ウゥー、ウィー!

P.72

 

 いかにもステレオタイプなギャングスタっぽい語り口にとつぜん〈さやいんげんのことさ〉が放りこまれて、ちょっと笑っちゃった。その文体で〈パンケーキの片面を空いている最中、気泡ができる前に薄くスライスしたフルーツを3、4枚乗せてから焼いたら、甘〜くて最高にゴキゲンのパンケーキができるぜ。〉(P.26)みたいなtipsを言い添えるのもおかしい。

 ともあれ、著者も〈お前が美味しいと思ったものなら、お前にとって最高の料理ってことだからな。〉(P.100)と書いてるけど、自分の最高の料理を紹介する兄貴がとにかく楽しそうで良かったな。ウゥー、ウィー! 

 

9月1日(日)強雨、曇、ときどき日射し。一日籠もって資料読み。

 

9月2日(月)晴。半日伏せる。午後二時、日課なのだから、となかば義務的に散歩に出。これが良かった。ぐるっと近所を一周したところで、こうやって家から近い距離なら歩ける、だったら家からあんまり離れない距離をウロウロすればよい、と思って、離れては近づき、をしながら歩いた。そうするうちに気分が上向いてきた。ゴキゲンになって帰宅。とはいえ元気ではない、ので、そのあとはゆっくり過ごす。

 村上春樹『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』(マガジンハウス)を。まえがきのなかで村上は、十年前にも同じ『anan』でエッセイの連載をしたがその後は小説を書くので忙しかった、それが、『1Q84』を完成させたのでエッセイを書く気分になった、と書いてこう続ける。

 

 小説を書くときには、小説家は頭の中にたくさんの抽斗を必要とします。ささやかなエピソード、細かい知識、ちょっとした記憶、個人的な世界観(みたいなもの)……、小説を書いているとそういうマテリアルがあちこちで役に立ちます。でもそういうあれこれを、エッセイみたいなかたちでほいほい放出してしまうと、小説の中で自由に使えなくなる。だからケチをして(というか)、こそこそと抽斗に隠してしまっておくわけです。でも小説を書き終えると、結局は使わずに終わった抽斗がいくつも出てくるし、そのうちのいくつかはエッセイの材料として使えそうだな、ということにもなるわけです。

P.4-5

 

 私はけっこう、この日記に村上のいうマテリアルを書き込んでいる。まあそれはそれで、よい日記になるから構わない、のだが、村上がこの直後に書いているように、小説家にとって〈エッセイは基本的に「ビール会社が作るウーロン茶」みたいなもの〉(P.5)なので、小説を第一義に考えるべきだ。別に村上の言うことを鵜呑みにするほど心酔してはいない、が、同時代で最も成功した日本語作家の一人ですら〈ケチ〉をしてるのにおれはこんなに垂れ流してていいのか、とはなる。どこかで日記論的なことを書いて、今のところの総括をしてみたいな。それでまだ書きつづけようとなれば続ければいいし、一区切りついた、と思えれば休んでもいい。

 

9月3日(火)曇、一時強雨。全身にせんねん灸を貼って汗をかきつつ、『チボー家』文章を進筆。書くことは金曜に決めてたし、数日空いて頭がリセットできたからか、良いペースで書いていく。昼に散歩。かつての通勤ルートへ。三分の一ちょい行ったところで脇道に逸れて、はじめて歩くところに迷い込む。ウロウロして大通りに出、違う通勤ルート(行きと帰りでちがう道を歩いてたのだ)に合流して、そのあともジグザグに曲がって、住宅街のなかを徘徊した。退職以来、二年半ぶりに歩くところも。工事中だった家に車や自転車、枯れかけた鉢植えなんかの生活があったり、薄汚れていた外壁が塗りなおされていたり、拙いピアノの音が聞こえていた家が駐車場になっていたり。二年半は街が変わるのに、長くはないが十分な時間だ。

 帰路、後ろから、幼い声が「あーあ、暑くて暑くて喉がカラカラだよお」と叫ぶのが聞こえた。その声とともに、幼稚園くらいの子を乗せた自転車に追い抜かれる。「なにかジュースでも飲まないとやってられないよう」と言う子に自転車を漕いでいる大人が、「そうだねえ、ママもきみを乗せてがんばってるからカラカラだよ」と、あまりの暑さにヤケになったような声で返した。「ママもカラカラ?」「そうカラカラ。帰ったらないしょでカルピス飲んじゃお」「カルピスかあ、まあいいよ」そのあとのやりとりは遠くて聞きとれなかったが、おれもカラカラだよ、と思いながらセブンイレブンに入った、ら、ぐんぐんグルトの快眠・快腸ケアというやつを買うとカルピスの無料券がもらえる、というフェアをやっていた。ぐんぐんグルトかあ、まあいいよ、と心のなかでつぶやきながらレジに持っていく。思ってたより高かった。

 帰宅して汗でびしょびしょになった服を着替え、ルートビアを飲みながら集中。日が翳るころに書き上げる。そのあと本を読みながら夕食の支度、長谷川あかりレシピでキャベツとミートボールのアイボリーシチューを。一時間煮込む工程があるので、読書がはかどった。食い終わってベッドに打ち上がったところで、古川真人から、電話しようぜ、とLINEが来ていたのに気づいた、が、もうねむいんでスミマセン、と断った。



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