2021.9.21

 漱石の『虞美人草』のなかに好きな一節がある。好きというかときどき思い出す一節だ。小野さんのところに旧友の浅井君が訪ねてきたときの、下女と小野さんのやりとりだ。

 「通してもいいんですか」

 「うん、そうさね」

 「御留守だって云いましょうか」

 「誰だい」

 「浅井さん」

 「浅井か」

 「御留守?」

 「そうさね」

 「御留守になさいますか」

 「どう、しようか知ら」

 「どっち、でも」

 「逢おうかな」

 「じゃ、通しましょう」

 「おい、ちょっと、待った。おい」

 「何です」

 「ああ、好い。好し好し」

 というのがそれで、小野さんの優柔不断な性格と、そんな主に焦れる下女の感情がよく表れている、し、なによりも、こんなに内容にとぼしいやりとりなのに十六行もある。

 小説の、少なくとも私が仕事をしている雑誌の原稿料は、文字数ではなく、二十文字×二十行、四百字詰の原稿用紙で書いたら何枚分に相当するか、で決まる。ちょうど今日、文芸誌の編集者から、改行のない中篇の責了連絡が来た。改行がないのだから、読点のぶら下げとかを無視すれば、十六行でちょうど三百二十文字だ。それに対して漱石のこれは十六行で百四十九文字で、各行 二個ある括弧をのぞけば百十七文字だ。文字単価でいうと私の三倍ちかい。うらやましい!