プルースト 2022.1.13~2022.2.6

1月13日(木)晴。昼ごろまで、床暖房をして寝て過ごす。無為。昼、さすがにもぞもぞ身を起こして一昨日炊いた米をチンしてドカ食いし、作業開始。夕方すぎまで、ときおり休憩を挟んでもくもく作業。それから外に出、セブンで弁当類をドサドサ買ってむさぼる。そこで今日は終了。食い過ぎた。


1月14日(金)晴。今日も具合が悪い。早めに起き、公開用プルースト日記の作業。十二月から一月頭にかけての日記なのだが、詳細を公開できないタイプの仕事や心身の不調の記述が多く、めちゃくちゃ削ってしまう。自分で勝手に公開してるんだから内容はどうでもいいのかもしれないが、それでも読み物として良いものにしたい思いはあり、ウンウン言いながら作業。しかしあまり捗らないまま出勤の時間になった。

 勤務中、面倒な作業を命じられる。暇よりは良い、が、面倒でならない。昼休みは田辺聖子『十八歳の日の記録』を進読。田辺の父が重い病を得て、毎日苦しんでいることに、田辺はひどく苛ついている。ここ最近不調つづきの私は、田辺の父に感情移入してしまい、なんだか責められてる気分になる。自分が苦しんでるときに娘にこんなん書かれるの、しんどいな。

 歩いて帰宅、うまいスコーンなどを食って日記を公開。友人がすぐにTwitterで反応してくれる。そういえば、このHP制作サイトでは、記事ごとのビュー数とかが自動で記録されている、らしいのだが、あんまりそういうの知りたくないので非表示にしている。実際のところどのくらいの人が私の日記を読んでるのかわからず、ときどき虚空に向かって叫んでるような気持ちになるのだが、それはそれで。


1月15日(土)晴。午前の勤務は昨日の面倒な業務の続き。昼休み、田辺聖子の父が死んだ。しかし日記は読了できず。私は二月末で雇い止めになる。二月はほとんど有休消化のため、辞めるまでの勤務はあと十回くらい。昼休みに読むつもりで、ロッカーに雑誌のコピーとか未読の本とかを突っこんでいた、のだが、ちょっと読み切れなさそうだな。

 帰りにスーパーに寄って純豆腐の素を買う。辛すぎてご飯が進む。それから期限切れの牛乳をグイグイ飲みながら脳がしおしおになるまで作業。


1月16日(日)晴。のんびり労働。昼休みに手塚治虫『初期傑作集7 漫画大学』を読み、吉本由美『するめ映画館』を起読。これはなんか、みんな好き勝手しゃべってて楽しそうですね。『日出る国の工場』もそうだけど、私はいい年した大人がテキトーにくっちゃべってるのが好きなのかもしれない。ごきげんなおじさん性。

 帰宅即火鍋。寝ようとしてすぐムクリと起き上がり、トイレへ。最近辛いものを食いがちで、なんていうかその、下品なんですが、フフ……、下痢しちゃいましてね……。


1月17日(月)晴。寝坊しそうで飛び起きる。急いで洗濯物を畳んで出。職場では朝から何かの撮影していてなんか落ち着かず。

 昼休みに『するめ映画館』を読了、箸休めに桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』一巻を挟んで重松清『あのひとたちの背中』をグイグイ進読。二〇一二〜二〇一三年に行われたインタビューで、池澤夏樹はじめ、『想像ラジオ』刊行直後のいとうせいこうとか、震災に関する作品の話が中心。もちろんそれが当時の彼らにとっての最新作なのだからその話をするのは当然、とはいいつつ、彼らの仕事は震災に関するものばかりではない。なんというか、震災後の興奮状態が続いている感じがした。それも十年以上経った今だから言えることか。


1月18日(火)晴。サラダチキンを食って出、往復一時間半くらいの散歩をし、帰って作業。しかし二、三時間でへたばる。散歩がてら図書館で本を借り、フルーツサンドを買って帰る。

 食べながらプルースト『失われた時を求めて』五巻、『ゲルマントのほう Ⅰ』起読。本巻の装画は、なんか扇?鳥?これはクジャクかな、クチバシのほうに十字っぽいのが見えるけど風見鶏なのか?よくわからん絵。と思って巻末の「図版一覧」を見ると〈尾羽を広げるクジャク〉とあり、オッ当たった!となる。当たったから何だっていうんだ。

 語り手一家が前巻の舞台バルベックからパリに戻り、ゲルマント家の一角に引っ越す。今日読んだところはまだゲルマントのほうで物語を動かすための地ならしといった感じ。

 午後の作業はあまり捗らず、日が暮れたので諦めて、カルディの粉末のルーをつかってシュクメルリ。そのあとは夜中までかけて講談社の漫画アプリで無料になってる島耕作を五十話くらい(五十話くらい!)読んだ。55/438


1月19日(水)晴。芥川・直木賞の結果発表。今回も私にとっては他人事なのですが。今回の芥川賞もそうだったけど、受賞者が、賞を軽んじる態度をとってみせるのはどういう感情なのだろう。私はもらえるもんなら嬉しいですよ。

 そういえば、オカヤイヅミ『ものするひと』の主人公スギウラは三十歳フリーター兼小説家で、作中で芥川賞の候補になる。その巻が出たとき私は二十九歳で、じゃあおれが次に候補になったとき、三十歳男性フリーター兼小説家で芥川賞候補、という、世界で一番スギウラに感情移入できる者として読めるのか、と思って読まずにおいた、のだが、けっきょくそのまま積読してるな。私はもう三十二歳で、来月末で雇い止めになり、その次の職場も決まっていない。スギウラから遠ざかってしまった。


1月20日(木)晴。一日作業。

 昼休みにプルーストを読む。パリに帰ってきて、ゲルマントの邸に住み、数年ぶりにラ・ベルマのオペラを観に行く、という、まとめてしまえば短いことを描くのに、すでに百ページを超えている。しかし、私がここまでの百ページを読みながら考えたことだって、そのすべてを文章にして、他人にわかるように情報を補足していけば、とうてい百ページにはおさまらない。語り手は、ラ・ベルマを観ながら、自分が昔の心情を失ってしまっていることに気づく。芸術、文学、詩について。私もかつてなにかに〈執拗で活動的な欲望〉を抱いたことがあった気がするが、そんな季節は長い人生のなかであまりに短い。

 読書に集中してて食事を忘れていた、ので、遅い昼ご飯に汁なし担々麺とかをウーバーイーツで頼み、『世界さまぁ〜リゾート』のYouTubeを観ながら食べる。『さまリゾ』、テレビで放送される本篇とYouTubeに二篇、毎週三篇の動画が公開されるので、ぐんぐん観ないと追いつかない。

 夜、風呂のなかで綿矢りさ『あのころなにしてた?』起読。風呂から出ると突然の下痢。トイレでしばらく苦しんで、出すものを出してらくになる。110/438


1月21日(金)晴。引き続き下痢、胃薬を飲んで出勤。途中、猫のいる家の窓で、カーテンの端からいちばん小さい猫の鼻面が覗いていて、すこし楽になる、が、かわいい猫を見て下痢が引っこむというのは、いったいどういう身体の働きなのか。尻を引き締めて一歩ずつ前に進み、ようやく職場に着く。昼休みに『あのころなにしてた?』を読了。休憩の残り時間はトイレにこもった。

 帰りしな、まいばすけっとで夕食の買い物。袋入りのりんごを買おうとしたのだが、レジのところで二、三個こぼれ落ちてしまう。転がっていくのを店員さんと見送り、けっこう遠くまで行きましたねえ、などと話す。新しいものに換えてくれた。帰宅し、それからカルディのスープの素をつかってブイヤベースを作った。冷凍のシーフードミックスだけだと具が寂しいな。食後にもうちょっと作業をして今日は終了、風呂で潮漫画文庫の山岸凉子『鬼』。こわすぎる。110/438


1月22日(土)晴。遅い時間まで寝、もぞもぞ起きて作業。

 昼休みに納豆ご飯を食べてプルースト。ドンシエールを訪れた語り手に、サン=ルーが快活な感じで挨拶して、こう続ける。「で、仕事は、始めたかい? まだだって? 困った人だねえ! ぼくにあなたのような素質があったら、朝から夜まで執筆するだろうに。なにもしないほうが、もっと面白いのかねえ。なんて残念なことだろう、ぼくみたいな平凡な人間がいつでも仕事にかかる用意ができていて、立派な仕事のできる人がやりたくないとは!」快活がすぎて嫌味になっている。良い友人だ。

 午後の作業はやや難航、気晴らしに西村ツチカ『ちくまさん』。作業を再開して夕方にひと段落。丹野未雪『あたらしい無職』を、近々雇い止めにあう者として他人ごとと思えずに起読。しかし丹野さん、無職になったとはいえそれまでの蓄えがあるので、けっこういろんなとこに(スペインにまで!)遊びに行ったりして、なんというか無職エンジョイ勢だ。そしてあっという間に次の職場が、正規雇用で見つかる。ええなあ、と思ってたらすごい勢いで同僚の悪口と愚痴がはじまった。やはり労働は身体に悪い。

 それから散歩、牡蠣が安くなってたので買い、ぐつぐつやって食べる。一月の牡蠣は美味い。158/438


1月23日(日)晴。ひさしぶりにダフトパンクのTECHNOLOGICのシングル盤をかけて準備をしていると、勝手に身体が動き出して、一曲踊る。これはイヤホンで聴く曲じゃないんだな。

 それから出勤まで、職場から持って帰ってきてたプリント類を読む。アブドゥルラザク・グルナがノーベル文学賞を受賞したとき、日本語で読める彼の作品は(いまもですが)ほぼなく、いくつかの雑誌に、グルナとは何者か、的な記事が載っていた。ポストコロニアル文学の研究者がいろいろ書いていて、興味深く読みつつ、しかしこれはコンセプトの話でしかないな。短いテキストで紹介するにはそうならざるを得ないのだが、私は小説を書くとき、コンセプトと同じくらい語りを重視しているので、グルナはどんな文章書くんやろう、と気になっている。グリュックも日本語訳が出たし、グルナも今誰かがせっせと訳してるんだろうな。

 昼休みに『あたらしい無職』読了。著者は一年ほどでまた無職になった。しかし、それなりに蓄えがあった前回とちがって、本当に金がなく、友人に借金したりしている。ちゃんと無職を苦しんでるんだな、と安堵して、ちゃんと?安堵?と自分の選んだ言葉に引っかかる。無職は望ましくないもの、という先入観があって、前半の著者のエンジョイのしかた(もちろん私が読んだのは、彼女が経験したことのうち、日記に書いたもの、のなかで本にして発表しようと思ったもの、だけなので、実際ずっとエンジョイしてたかどうかは知らん)はその固定観念に合致していなかったから、後半でようやく私のイメージするとおりの苦労が見つかって安堵したのだろう。しかしこの感情は、望ましい無職者、という規範を押しつけているだけだ。自分がそういう考えかたをする人間だ、ということにややショックを受ける。気をつけよう。

 帰宅、今日はなんだか疲れ切ったので作業はすこしにして、チゲ鍋を食ってもうおしまい。158/438


1月24日(月)晴。早く起き、洗濯物を畳んで出勤時間ぎりぎりまで作業。ファミマで今日までのクラフトコーラの引換券をつかって職場へ。

 昼休みはクラフトコーラを飲みながらプルースト。語り手が親友サン=ルーを訪ねてドンシエールに行く。親友、といいつつ、懸想してるゲルマント夫人の甥であるサン=ルーを利用して夫人に近づくのが目的で、下心もここまでいくと気持ちがいいな。

 図書館に寄って帰宅、さっそく借りてきた村上春樹・糸井重里『夢で会いましょう』を読。村上の、文学賞の選評をパロディした「マット」が印象深かった。村上は、『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』で芥川賞の候補になり、落選した。いまでこそ、芥川賞が取りこぼした才能、として、吉本ばななや高橋源一郎や島田雅彦と並べて(たのは舞城王太郎「ビッチマグネット」が芥川賞に落選したときの池澤夏樹の選評)言及される村上ですが、当時はけっこう忸怩たるものがあったのだろう。というか単にむかついたんだろうな。『村上朝日堂の逆襲』の〈馬糞がたっぷりとつまった巨大な小屋〉を思い出す。

 読了後、昨日サントクで買った大山鶏の鶏白湯ラーメンを作って食べる、が、よく見たら生産者が島根の会社だ。われわれ鳥取県民は交通ルールより先に、島根県産の食品を食べてはならぬ、という戒律を教え込まれるのだが、だいたい物心つくころにはみんな忘れる。私は物心つくまで神戸で育ったのでOKです。美味かった。201/438


1月25日(火)晴。201/438

1月26日(水)曇。201/438

1月27日(木)曇。201/438


1月28日(金)曇。火曜日の午前中に日本海新聞のコラムをやっつけて、午後にひどい不調に陥り、丸二日半、便座に座るときを除いて、身体を縦にすることすらできなかった。ずっとベッドか床で打ち上がっていた……。今日、ようやくすこし楽になり、買い物に出る、がそれで限界。胸郭辺りが痛く、呼吸困難。どうにか夕食を詰め込み、風呂。村上春樹のことを考える。起き上がってトイレに入って便座に座る、というだけの動作に五分以上かかった私にとって、トライアスロンに出たりあちこち旅行したりしちゃう春樹はもう眩しいくらい。201/438


1月29日(土)曇。まだ不調だが、コロナではないようだし、さすがに仕事に穴を開けすぎなのでふらふら出勤、流して労働。休憩時間は静かな部屋で横になっていた。

 セブンに寄って惣菜やらお菓子やらをドサドサ買って帰宅。私はストレスが溜まるとドカ食いする。食後、B&Bでやってた三浦瑠麗・鈴木涼美対談のアーカイブを観る。鈴木『JJとその時代』の刊行記念、らしいのですが、たいしてJJの話はせず、二人のこれまで、みたいな話だった。マイクを置くために、十センチ×二十センチくらいの緑のマットがテーブルに置いてあって、それは私もB&Bでのイベントに出演したときにも置いてた気がする。そのマットを、三浦がしゃべりながらくるくる丸めたり伸ばしたりしていて、鈴木はななめに折って押さえつけていた、のがいちばん印象に残っている。それがいちばん印象に残ってるというのは、まじめに話を聞いてなかったのか。201/438


1月30日(日)曇。今日もよろよろ出勤。昼休みは横になって、雑誌記事をいくつか読。石原慎太郎は肉体関係がばれて絶縁させられていた幼なじみと、『太陽の季節』のブームのおかげで結婚できた、らしい。がWikipediaを見ると、結婚は一九九五年でブーム(芥川賞受賞)は一九九六年だし、連れ込み宿から出るところを親戚に見られて絶縁と結婚どっちか選べ、と言われて結婚を選んだ、みたいなことを阿川佐和子との対談で言ってもいたらしく、どっちなんだ。

 帰宅後、横になって三浦哲郎『拳銃と十五の短篇』起読。三浦哲郎の文章がすごく好きだ。私の素質的にも(私性の提示のしかたと文体のクセの薄さ、リーダビリティへの意識とか)、中上やフォークナーよりこっちの路線なのかもしれない。

 やっとすこし回復してきた、ので、ゆっくり風呂に入り、村上春樹『スメルジャコフ対織田信長家臣団』の紙のところだけ読む。CD-ROMがついていたのだが、私のMacBookでは読み込めず。本文中で村上は、アップル社への愛着、みたいなものを繰り返し書いていた、のだが、今のアップル社のPCではそのCDが読めない、のはなんか皮肉なかんじがしますね。一九九八年から一九九九年にかけて村上のHPで発表されたエッセイと読者とのメールのやりとり。読者のメールが、もちろんやばい内容のは弾いてるのだろうけど、それにしてもみんな善良な感じで、なんというか、インターネットがスラムになる前だ。201/438


1月31日(月)晴。一時間強散歩して、作業。HPで連載してる小説を、二十五日に伏せってから更新できていなかった、のを、一時間に一日分、手書きしてたのをワードに打ち込み、更新し、更新してはツイートし、というのを七回繰り返す。

 昼休みにプルーストを再開。やや内容を忘れかけていた、ので何十ページか遡って読む。ドンシエールの薄暗い古道具屋で、ランプの光が「がらくたと粗悪な絵しかないこのボロ屋を、ついには評価を絶する一幅のレンブラントたらしめている」と描写している。訳者はここに附した註のなかで、レンブラントの作品には「闇に射しこむ光のなかに画題が浮かびあがる例が多い」とした上で、「ただし古道具屋の室内を「一幅のレンブラント」たらしめるのは、むしろレンブラントの画を記憶から呼び出して小説の描写に投影する読者の想像力である」と指摘しており、なんというか註としてキマりすぎではないか。

 そのあと、語り手とサン=ルー、そしてサン=ルーの友人たちが戦争談義をしている。のだが、あまり意味がわからず。私の鳥取時代からの友人には軍事オタクが何人かいて、彼らならサン=ルーの長広舌をあまさず理解できるかもしれない、とふと思う。が、この、長いとはいっても作品全体からすればほんの一部分にすぎない場面のために「『失われた時を求めて』を読んでくれ」とは、さすがに言えないな。

 夕方、作業が一段落したところで家を出、神保町へ。ディスクユニオンでアーロ・ガスリーのLPを探したのだが、見つからず。やむなくチャック・ベリーを、スマホで支払って購入。歩いて市ヶ谷まで行き、マクドナルドで無料券を使おうとした、ら、財布を忘れたことに気づく。そのままマックで買ってもいいのだが、なんか癪なのでモスバーガーで期間限定のやつを買って帰り、『世界さまぁ〜リゾート』のYouTubeを観ながら食。それからすこし作業して風呂。259/438


2月1日(火)晴。最近ずっと眠い、が、昨日買ったチャック・ベリーを聴くと急激にゴキゲンになった。

 出勤して労働していると、上司がふと思いついたように近づいてきて、きみの前部署、解散するみたい、といきなり言ってくる。何があったのか詳しく聞くと、単に、私が知ってるメンバーの半分くらいが辞めたり他部署に異動になったりするということらしい。

 しかし〈解散〉と言われたらさすがに気になる、ので、昼休みは前部署へ。同じく昼休み中のバイトリーダーがいたので、なんかおもろいことあった?と訊くと、ちょっと聞いてよお!と四十分間愚痴られる。人生いろいろだ。

((失恋した同僚改め)同僚に恋する同僚改め)同僚と交際してる同僚が、いつのまにか辞めていた。けっきょく二人の恋はどうなったのだろう? 二人のLINEは知ってるし、かたほうは別部署とはいえまだ辞めていないのだから、その気になれば彼らのその後を知ることはできるだろう。でも、考えてみれば、私はたいして、二人の現在に興味を抱いていない。

 何ヶ月か前、私は彼女の恋のみちゆきを、事細かに日記に書いた。そしてそのエピソードを、個人が特定できないよう、小説を一から立ち上げるくらいの労力をかけて加工して公開した。私にとって二人の恋は、さながら一篇の恋愛青春日本映画のように完結していて、そのあとに何が続いても、きっと蛇足に終わっただろう。こうやって、一時期あれだけ執着していたものが、自分も知らない間に遠のいていくことが、人生にはきっといくつもある。

 矢吹丈の最後の試合の観客席に、盟友であるマンモス西の姿はない。重松清は『あのひとたちの背中』のなかで、そのことを、「燃え尽きて真っ白な灰になるかつての相棒に背を向け、物語の外にはじき出されてしまうことで、西は、真っ白な灰ではない──ジョーの言葉を借りれば「燃えかす」としての生を得たのではないか」と分析している。そして重松は、「物語からフェードアウトしてしまったあとのマンモス西や紀子、チビ連、さらには丹下段平の、その後の人生について、ときどき想像している」という。同僚と交際してる元同僚は、いつの間にか私の人生から退場していった。この日記を書いている今、二人がどこで何をしているか私は知らない。そもそも今も別れずに続いてるかどうかも知らないし、どちらでも良い。どちらでも良いから、どうせなら、二人には幸せであってほしいと思う。

 そういえば、彼女たちについて書いた日記を公開したあと、同人誌を通販で買ったとき、同封された著者からの手紙に、同僚と交際してる同僚のことが気になる、と書かれていた。Twitterを除けば唯一の、知人以外からのリアクションだった、のだが、二人についてはこれで以上です。

 けっきょくずっと話し込んでいて、休憩時間終了ぎりぎりに現部署に駆け戻り、午後の勤務。退勤後、図書館に寄って帰ってサウジアラビア戦。森保監督の采配にはいろいろ思うところがある、が、何かを思うたびに、それなら君が代表監督、という言葉が頭に浮かび(そういうゲームが昔あったのだ)、考えるのをやめる。259/438


2月2日(水)晴。今日の出勤を最後に、三週間ほど有休消化。

 昼休みにプルーストを進読。『ゲルマントのほう』のなかで祖母が死ぬ、ことを知っている私は、彼女の死の予兆を探しながら読んでしまう。祖母が「もはや私をそばに置いて規則で縛ろうとはせず、(…)完全にドンシエールに住み着いてもいいし、そうでなくてもできるだけ長く滞在してもいい、と言ってくれた」ことすらも、自分の死期を悟った祖母の、語り手の悲しみを薄れさせるためのやさしさのように見えてしまう。そして語り手は、ドンシエールからパリに帰った日、客間にいる祖母を見て、不意にそこに、「ソファーのうえでランプに照らされ、赤らんだ顔をして、いかにも鈍重で品もなく、病魔に冒され、夢想にふけっているのか、本の上方にいささか惚けたような目をさまよわせている、見覚えのない、打ちひしがれた老婆」を見出す。彼は、そして私はこうして、祖母をまるで他人のように見、次巻の最後に起きる祖母の死の準備をしている。

 定時で退勤し、二十二連休ログイン。ウーバーイーツで中華を頼んでパーッとやる。322/438


2月3日(木)晴。起きたときすでになぞの腹痛。なぞというか、昨夜辛いものをしこたま食べたからか。散歩に出るが三分ほどでもよおし、帰宅、トイレに籠もる。フフ……。今日はもう本休日とする。

 本休日だがプルースト。語り手はサン=ルーと、その愛人といっしょに食事に行く。その愛人は、語り手がかつて二十フラン(約一万円)で買った娼婦ラシェルだった。友人の恋人が寝たことのある娼婦だったというのは、どういう気持ちなんだろう。そういう経験がないのでわからない。友人の恋人が元カノだった、というのとはぜんぜん違うんだろうが、そもそも元カノが友人とつきあったこともない。たぶん。

 ラシェルは文学好きと設定されていて、語り手とアール=ヌーヴォーやトルストイの話をする。文学好きの娼婦。札幌を出る一週間くらい前、バイトしてたバーのマスターの好意で、すすきののいろんな店を連れ回してもらったことがある。キャバクラとかガールズバーとか、だいたい女の子が隣に座ったり酒を注いだりしてくれるタイプの店ばかりだった。そういうタイプの店の、店員の女性はよく私の店にも来ていたから会話をしたことはあるのだが、私のほうが行った経験はそれまでなく、どうやらそういう店の女性たちは、こちらが何かを喋るのを待って例の〈さしすせそ〉を唱える、みたいな会話のしかたをするようで、あと単に私が話し下手なのもあるのですが、とにかく盛り上がらなかった。

 その夜最後に行ったクラブで、隣に座った女性が小説好きだった。黒髪で、黒髪だったということしか憶えていないのだが、まだ働きだして二日目で、高校のころ、嶽本野ばらに熱中していた、と言っていた。私も何冊か読んだことがあり、その話をしていたところ、マスターが気を遣ったのか、こいつ小説家なんだよ、芥川賞候補!と割って入ってき、彼女は、それまでにハシゴしてた店の女性のように、すごーい!と叫ぶことはなく、そうなんですか、と低温ぎみのリアクションで、それがなんだか嬉しかった。彼女も高校のころ小説をすこし書いていて、『下妻物語』の真似みたいな、どうかな、けっこう自分では気に入ってるんですよ、と言っていた。原稿用紙もアマゾンで買って、二百枚くらい手書きして、あれどこにやったかな、捨てた記憶はないですけど……とはぐらかされたのだが、ほんとうは、実家の部屋の鍵のかかる引き出しにしまいこんでるんじゃないだろうか。それで次の帰省とかのときに、私との会話を思い出して、久しぶりに鍵を開け、札幌に持って戻ったりはしないか。たしか江別出身だと言っていた。私が行ったことのない街で、数年後にクラブで働きはじめる高校生が嶽本野ばらに影響されて書く小説を、私はうまく想像できず、読んでみたいなあ、と何度か言った。

 都合で十人くらいの女性と、私ではない人の金を介して話したその夜で、彼女との会話が唯一の楽しい会話だった。けっきょく個人的な連絡先を交換したわけではないし、私が一人で行くには敷居の高い店で、たぶん彼女は私が小説の話くらいしかできないと悟って、適当に作り話をしたのかもしれないし、働きはじめたばかり、というのだって本当かどうか。

 その後は彼女のことを考えもせず、なんとなく財布に入れたまま忘れていた彼女の名刺も、東京に引っ越してきて間もなく捨ててしまった。あのとき私にもっと金があれば、もう一度店に行って、彼女の書いた小説を読めただろうか。

 サン=ルーはレストランの個室でラシェルと接吻やあれやこれやをしていて、それを語り手に見せるというのは、それもどういう気持ちなんだろう。その後三人はパレ=ロワイヤル座に向かう。そこで見かけたダンサー(ニジンスキーをモデルにしてるらしい)に言い寄るラシェルにサン=ルーは嫉妬し、なんかちかくにいたジャーナリストの頰を張ったり、いきなりナンパしてきたゲイらしい男をボコボコにしたりして、とつぜん治安が悪い。しかし考えてみれば、フランスの貴族だから、と勝手に華奢な青年のイメージで捉えてたけど、彼は軍人だから、人を攻撃する、殺しもするような行為の訓練を日々してるんだよな。ううむ。本文を読了した。そのいきおいで訳者あとがきも読んだ。438/438


2月4日(金)曇。一時間ちょい散歩。しかし気圧が低く、最寄りの図書館に寄って帰るころにはやや頭痛。ロキソニンを飲み、しばらくうとうとする。もぞもぞ起き上がってプルーストの再読を開始。夜はコンビニの惣菜を詰め込んで、昼寝したのに早く寝た。129/438


2月5日(土)晴。今日も一日プルースト。夕方になって散歩に出、図書館に寄って帰る。遅い昼寝をして起き上がり、またプルースト。すごい勢いで読んで再読了。さすがに疲れたのでベッドに移動して『世界さまぁ〜リゾート』を一回分、『ねほりんぱほりん』を三回分、いずれも録画してたやつを、ウーバーイーツで頼んだ唐揚げ丼(美味い)を食べながら観、てるうちに眠くなってくる。テレビを消してすぐ日付が変わり、レコーダーのかすかな駆動音。毎週録画予約してる『さまリゾ』の最新回がはじまったらしい。機械は勤勉だ、私と違って、などと思いながら寝。438/438


2月6日(日)晴。プルースト文章を書く。やや難航。そのあと散歩に出る。去年の四月に借

りて、五月が返却期限だった、隣の区の図書館の本をまんをじして返しに行く。といっても、カウンターに持って行くとたぶんきつめに叱られるので、定休日の今日、返却ボックスに突っこみに行く。狙い通り休館だった、のだが、職員は出勤してるらしく、返却ボックスのポストの中を覗きこむと、作業中らしい人の身体が見えてしまい、逃げるように放りこんでその場を去ってしまった。

 帰宅してプルースト文章を再開。夜までにどうにか書き上げて無印のスープと白米。オリンピックのスキージャンプを観るつもりが、二、三人しか観ずに寝た。