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プルースト 2022.3.13~2022.4.6

3月13日(日)曇。三時ごろに自分のくしゃみで起き、講談社の漫画アプリでいくつかで読んでいるうちに、YouTubeのアプリの通知で柏木由紀のメイク動画をおすすめされ、なんか観てしまう。けっきょく二時間くらい布団のなかでダラダラしてから二度寝。

 午後、自サイトで毎日更新してる小説の作業。長篇を、原稿用紙一枚ずつくらいの細切れで公開してるんだけど、各ページに前後の記事へのリンクが張られておらず、ひとつ読むごとに記事一覧に戻らないといけない、し、そのたびに一覧のトップ(最新記事のところ)に飛んでしまう、のがきわめて不便、とご意見があり、それはほんとうにそうだな、と思ったので、毎日ちょっとずつ直しているもの、をいっぺんにまとめてやった。すでに八ヶ月分以上、二百五十ページくらい公開中なので、かなりの作業量。今日は二、三ヶ月分やった。あと一ヶ月弱。単純作業だし多少のミスはリカバーできる、ので、一日の作業を終えて脳がしおしおのときとか、今日みたいに花粉で頭が回んない日とかにやることにしている。とはいえさすがに疲れ切り、十時過ぎに寝。


3月14日(月)晴。先週のうちに公開用の加工を済ませていたプルースト日記をアップする日。読みかえしてたらすこし加筆したいところを見つけ、すこしだと思って作業してたら午前中いっぱいかかる。

 昼休みに慎改康之『ミシェル・フーコー』を一章読んで出、こまごまと買いもの。今年も鼻セレブを買った。

 作業に集中していて、気がつくと暗くなっている。すこし散歩をし、セブンの回鍋肉丼を買って夕食として日記を公開。何の気なしにYouTubeでキンモクセイ「二人のアカボシ」を聴く。良い……。中学のころ、MDに入れて、陸上部の合宿や遠征の眠れない夜に繰り返し聴いていた。十数年ぶりなのに歌詞をほとんど憶えてる。調べてみるとこの曲をふくむレコードが二〇二〇年に出てるらしい。買うか、いやしかし……と三十分くらい悩む。昭和歌謡大ヒット全集みたいな十枚組のCDボックスの広告が、たぶん月に二、三度くらい新聞に載っていて、あれは金のあまってるシルバー世代のノスタルジーにうったえかけて財布を開かせる商法だ、と批判的に捉えている、のだが、THE YELLOW MONKEYの三十周年グッズをカートに入れるとこまでは何度もやっちゃったりしてる私は、たぶんそういうのにコロッとひっかかるんだろう。キンモクセイのレコードも、ひとまずカートに入れておく。


3月15日(火)曇。低気圧と花粉で朝から体調不良。今年はなんか花粉が多い気がする。一日三回一回一錠、の鼻炎薬を、去年までは朝晩の二錠だけで十分効いていたのだが、今年は三錠飲むことにする。無理せずにゆっくり作業。


3月16日(水)曇。不調のあまり昨夜は風呂に入らずに寝た、ので、起きてすぐシャワーを浴びる。

 昼休み、ベッドリネンを変えて洗濯機をゴトゴト回しながらプルーストを起読。私は某文芸誌の企画で、岩波文庫版の七巻だけを読んでエッセイを書いた。それが去年の夏のこと。せっかくだから、と、一巻から順に、一冊読んではエッセイを書く、というのをはじめて半年、ようやく再び七巻。一度読んだのだから飛ばしてもいいかしらん、とも思ったが、一度読んだからって何かが解ってるわけではなかろうもん、と思い、読む。

『ゲルマントのほう Ⅲ』。表紙は二人の人物と、そのうち一人に腰かけられているヤギ?かなんかの動物。それからなにかキャプションもあるが、フランス語なのでわからない。前回この巻を読んだ八月、私は日記にこう書いている。「表1にあるのは子供が描いたような、という印象を抱く、しかしよく見るとプルースト自身が描いたとある、登場人物らしい二人の絵だった」。しかし図版一覧には「プルーストが描いた幼いクロティルド・ド・フランスとアルトワ伯爵」とあり、それが誰かも説明されている、のだが、そんなひとたち作品に出てきてないじゃん!となった。動物については、キャプションに〈子ヤギに乗るクロティルド・ド・フランス殿下〉とあるのでヤギで正解で、一矢報いたといったところか。

 そういえば、一巻『スワン家のほうへ Ⅰ』にこういう記述があった。「ゲルマントにかんしては、私は将来もっと詳しく知ることになるが、それはずいぶん後のことに過ぎない。私の思春期のあいだ、メゼグリーズは地平線のように到達できないところ、どれだけ遠くまで出かけても、もはやコンブレーのそれとは似ても似つかない土地の起伏により、視界から隠れてしまうところであった」。そしてそこを引用して私は、「長い寝覚め」という文章のなかでこう書いた。「私はこの「ずいぶん後」を知っている。私は某誌の企画で、七巻『ゲルマントのほう Ⅲ』だけを読んだ。ゲルマントのほうで起きることの顛末を、将来の「私」が知ったことを知っている。ゲルマントのほうで起きる、祖母の死を、いくつかの恋と幻滅を、スワンの死の予告を。きっと一巻から順に読む読者が思わせぶりな伏線として読み飛ばすだろうこの記述がつよく印象に残った」。しかし、五巻を読んだときからうすうすわかっていたことではあるのだが、私はゲルマントのほうで起きることを、半分も知らなかったのだな。

 本巻、〈私〉がアルベルチーヌを愛撫しているとき、〈私〉は彼女の表情を見下ろしながら、「快楽に先立つしばしのあいだ、アルベルチーヌからは普段の気がかりや思いあがりがことごとく消え去り、その点では死のあとの一瞬にも似て、初々しくなった目鼻立ちは乳児期のような無垢をとり戻していた」と考える。訳註にあるとおり、この〈死のあとの一瞬〉は語り手の祖母のことだ。死が〈祖母をうら若い乙女のすがたで横たえた〉、前巻の末尾。しかし、原書では、祖母の死は同じ巻の、この記述の数十ページ前で描写されていたことだ。読者の記憶にも新しい、ほとんど露骨な参照。しかしこの記述、前回読んだときはあまり印象に残っていない。今回目に止まったのは、たぶん私が、祖母の死を読んだからだ。情報として知ることと、物語として知ること、の違い、について考える。

〈私〉の友人のサン=ルーは、母親の介入で恋人のラシェルと別れさせられた。かつては深く愛していた、が、いまは〈ラシェルに首ったけではなくなって〉いる。しかしラシェルは、その後も何度かサン=ルーに金の無心をするし、サン=ルーもそのことに喜びを感じている。別れたあとも、二人の関係は以前とそう変わらずに続いている。「われわれの人生に大きな役割を果たした女性が、そこから忽然と決定的にすがたを消してしまうことは滅多にない」、と語り手は述懐するが、そういうものなのか。恋愛、でいうなら、私の過去の恋人や元配偶者は、別れたその日を最後に、もう私の人生から、忽然と決定的にすがたを消したぞ。

 そして〈私〉の部屋を、なんの前触れもなくアルベルチーヌが訪れる。〈私〉はアルベルチーヌに、「ぼくがなにを心配しているのか、わかる? いつまでもふたりでこうしていると、キスせずにはいられなくなるということなんだ。」と言う。〈こうしている〉ったって、ただベッドに座って話してるだけだ。しかし接吻をもちかける文句として、キスせずにはいられなくなるのが心配、というのはどうなんだ。そんな外的要因に頼った口説きかたでいいのか。「キスしよう」とか言えばいいんじゃないのか。DJ OZMAだって「チューしよう」と歌ってたじゃないか!と不意に思い出してしまう。歌詞を調べると、正確には「マジなチューしよう/淫らなチューしよう(チューしよう!)」とのこと。これはこれでいやですね。

〈私〉の言葉に、アルベルチーヌは「べつに困らないけど。」と返す。語り手は、「私はすぐにこの誘いに乗らなかった。べつの男にはこんな誘いなど余計なものに思えたであろう。というのもアルベルチーヌの発声がきわめて肉感的で甘ったるいので、話しかけられるだけで接吻されている気分になるからである。アルベルチーヌのひとことが愛の恵みとなり、話しかけられるだけで接吻で覆われる気分になる。」とクールぶって考えてるが、しかし彼女の声を聴いたらキスされてる気分になる、と二度繰り返していて、なんか舞い上がっている。ちょっとあとには「ぼくの好きなときにキスさせてくれると嬉しいんだけど。ただしその場合、キスしていいと言ったことを忘れちゃいけないよ。ぼくには「接吻許可証」が必要なんだ」とも言っている。〈ただしその場合〉というなぞの留保が良い。恋の駆け引きをするのはまだ早いんじゃないか。

 この巻は半年以上前すでに読み、エッセイを書きもした。そのときは真面目な仕事として読んだ、からか、なんか今回はユーモアに注目しながら読んでしまう。前巻の最後の悲痛な死、の直後にこの記述を読むと、その悲愴な明るさ、がより際立つ。そうやって振る舞ってみても、愛撫する相手に祖母の死顔を見出してしまう。やっぱり本巻は死に浸されてはじまっていたのだ。

 夜、サントクのフォーを啜ってから風呂で『フーコー』をもう一章。日付が変わるころに大きめの地震があった。真っ暗な部屋のなかで、本の塔が倒れる音や棚から何かが落ちる音がつづく。窓の外でいくつも明かりがつく。友人が何人か、帰宅中に電車が止まってたいへんだったらしい。揺れが収まってから、スマホの明かりで部屋をひとめぐり。割れたものはなさそう。布団に戻って、いろいろ情報を追ってるうちに目が冴えて眠れず。73/605


3月17日(木)曇。落ちたり崩れたりしたものを直す朝。何冊かページが折れ、メモ用紙を束ねた輪ゴムが切れた、くらいの被害。夜のうちに、いろんな人がSNSで、地震にまつわる自分語りをしている。震災文学で卒論を書いた二〇一三年の冬、いまよりは遡って見やすかった東日本大震災直後のTwitterで公開された短歌とかを漁ったことを思い出す。

 書類仕事をいくつかやっつけ、自サイトで公開してるテキストに、前後の記事へのリンクを張り終えたので、ミスがないか確認したうえで告知。自分で持ってる媒体なので、私から読者へダイレクトに届く、という感覚があり、なんとなく、発表から読まれるまでのタイムラグはほぼない、毎日更新すれば毎日読まれる、と思っていた、のだが、今さらながら、当然そんなことはなく、読者は読者の読みたいときに読む。私だって文芸誌の連載小説、何ヶ月かまとめて読んだりするもんな。まして私の作品は、各回のテキストが数百字、ときには一文だけ、みたいな感じだし。だいぶ読みやすくなったと思う。あのサイトの場合、各記事のアドレスの末尾がその記事のタイトルになっていて、「明日今日」の場合は執筆した日付が入っている。なので、そこの数字を変えれば、任意の一日に水原が何を書いたか、がわかります。三月十七日は宇野原さんとミツカくんがなんかいちゃついてる。

 昨日買ったフルーツサンドを昼ご飯としてもくもく作業。夕食は冷凍のピザ。食後にプルーストを進読しようとしたが、脳がしおしおで頭に入らず、数ページで断念。ベッドに打ち上がってうとうとしてる間に雨が降り出した。79/605


3月18日(金)雨。朝のまだ降ってないうちに、図書館に行って返却ボックスに本を放りこみ、昼食べるものを買って帰る。それからもくもく作業。

 午後、雨の止み間に外出していちごや牛乳を買う。夕方以降は土砂降りで、ずっと雨の音がうるさい。疲れている。79/605


3月19日(土)晴のち雨。花粉がすごい日。もぞもぞ起きてすぐ食器を洗う。食器は寝る前に洗っておきたい、のだが、疲れていると後回しにしがち。ぐんぐん曇り、夕方には降り出す。

 昼休みは『中野本町の家』を読んだ。伊東豊雄の「中野本町の家」が解体されるにあたって、施主であり伊東の姉である後藤暢子と、暢子の娘二人にインタビューし、伊東の、竣工直後と解体直前のエッセイを附したもの。良かった。三人とも異様に言語化能力が高い。三十代半ばで夫を亡くした暢子が、まだ十分に新しい人生をはじめられる年齢だったのだが、二人の娘の母として家庭を守ることを選択し、そのタイミングで家を建てた。だからあの、U字型のコンクリートの塊は、母が女としての自分を埋葬した墓なのだ、と長女の幸子が言っていて、シビれる。

 完成から二十年経ち、三人は、この家ではもう暮らさない、ほかの人に貸したり売ったりすることもしない、と決めて解体した。夫の没後二十年、暢子は五十歳を、娘二人も三十歳を過ぎ、〈墓〉としての機能はすでに終わった。そしてこの家は、その発端からしてあまりにパーソナルだから、他の人に住まわれてはいけない。物語性がある。

 読みながら思いついたことをこまごまメモするうち、気がつけば真夜中。日本の政治家が英語をしゃべる動画をYouTubeでたくさん観る。林芳正がすごかった。河野太郎や小泉進次郎みたいに、英語で問題なくコミュニケーションが取れる、ジョークを飛ばす、議論する、みたいな人は何人もいたけど、林の英語はなんか聞き心地が良かった。私の英語力のせいで何を言ってるかはよくわからなかったんですが……。79/605


3月20日(日)曇。今日も花粉がひどくてつらい。今日もいちごを食べる。今月は一、二日に一度いちごを食べている。

 昼休みにプルースト。ジルベルト、アルベルチーヌ、そしてゲルマント夫人オリヤーヌ、と、さんざん語り手の恋を読んできたのだが、本巻で〈私〉はステルマリア夫人にご執心。しかし、新しい恋をするのはいいのですが、それにしたってあっさりしすぎではないか。「すべてを捧げたくなる女性がすぐにべつの女性にとって替わるせいで、人はてにいれたばかりのものを将来の当てもなくつぎつぎに投げだしてしまうが、そんな振る舞いには我ながら呆れるほかない。」と考え、ステルマリア夫人を誘ったレストランの下見に、たまたま訪ねてきた(どうやら今になって〈私〉に好意を寄せているらしい)アルベルチーヌを誘い、「自分より上手に夕食の注文ができる主婦代わりの若い女性につき添ってもらえるのは、きわめて重要なことに思えた」などと考える。

 かつてアルベルチーヌ(をふくむ乙女たち)にあれだけ入れあげていたのを長々と読まされた身からすると、白々しくすら感じられる。それは、この語り手と違って、私にとって彼女への恋(を読んだの)はほんの三ヶ月前のことだからだ。『失われた時を求めて』は、幼少期から晩年までの語り手の一生を描く、世界でいちばん長い小説だが、しかし私はそれを月に一冊ずつ、ほんの十四ヶ月で読む。人の一生を描いた小説を、同じ時間──一生をかけて読むなんてできるはずもない。どんな長く複雑な物語も人生そのものに比べればダイジェストだ。

 けっきょくステルマリア夫人に食事の誘いを断られ、語り手はサン=ルーとレストランへ。軍人であるサン=ルーとの会話には、ときどき、軍事や政治の話題が出る。『失われた時を求めて』は、第一次世界大戦の前後に出版された。一九八九年生まれの私は同時代の読者の目で読むことなんてできない、が、ヨーロッパで戦争が行われてる今、以前本巻を読んだときは違う感情でこのやりとりを読んだ。

 一月から二月にかけて読んでた五巻のなかで、ドンシエールを訪れた〈私〉は、サン=ルーやその友人たちと、長い戦争談義を交わしていた。私は日記では「あまり意味がわからず。」の一言で流していた。ほんの一、二ヶ月ズレて、この状況下であそこを読んでいたら、私はいったいどういう感情を得ただろう。

 しかし、当時も中東では戦争がおこなわれていたにもかかわらず、私は戦争のことなんて考えもせずに読んでいた。ロシアのウクライナ侵攻に際して、ヨーロッパの白人の無意識の人種差別、が露呈していた。ニュースとかで、「これは我々のすぐ隣で起きていることです」とか「殺されているのは我々と同じ白人なのです」みたいなことを、衷心からの同情とともに口にする。遠い場所ならいいのか、白人じゃなければいいのか。

 日本では、ウクライナからの難民(という言葉を、難民条約の定義に当てはまらないから、といってかたくなに〈避難民〉と呼びならわしているのも、アジアやアフリカの紛争国から逃れてきた人々と区別する意図を感じる)を受け入れた企業への援助とか、政府が難民の渡航費を援助することを検討したりもしてるらしい。しかし、これは、たとえばミャンマーからの難民に比べて遥かに優遇されている。入管は、スリランカ人女性の死に関して、〈医療体制の不備〉のみを認め、虐待を否定している。彼女も(取り下げたとはいえ)難民申請をしていた。

 Jリーグをふくめていろんな国のサッカー界でも、戦争反対のアクションが行われた。ウクライナ国旗の青と黄色のキャプテンマークを巻いたり、国旗やNO WARの文字をプリントしたTシャツを着て入場したり。しかし、トルコで、先発した二十二人のうち一人だけ、そのTシャツを拒否した選手がいた、というニュースを見た。二月二十七日に開催されたトルコリーグ二部第二十七節、エルズルムスポルに所属する元トルコ代表のアイクト・デミルという選手らしい。私が読んだサッカーダイジェストWebの記事によれば、彼は取材に対して、「中東では毎日何千人もの人々が死んでいる」「そこでの迫害を無視する人たちは、ヨーロッパになるとこういうことをするんだ。Tシャツはそれらの国(中東)のために作られたものではないので、着たくなかったんだ」と説明したという。戦争反対、この戦争だけに反対することにも反対。

 私は、日本が難民認定に消極的なことや入管の横暴はおかしいと思っていたし、たしか北海道新聞に寄稿した文章でそういうことを書きもした。〈無意識の人種差別〉についてはロシアのウクライナ侵攻がはじまった初期から言われていたし、三月一日に配信されたこのニュースを見たときはデミルに深く共感していた、のだが、侵攻がはじまる前と後での、自分の〈戦争〉への感度の違いは、〈無意識の人種差別〉にほかならない。

 夜、浅尾慶一郎とか山本一太とかの英語を聞く。山本は、必ずしも発音が良くはないけど文法はきちんとしていて、何より語りがアグレッシブ。見習いたい。163/605


3月21日(月)曇。今日は花粉で捗らず。早い時間に布団に入り、録画してた『ねほりんぱほりん』の先週の回を観る。ねほぱほ、〈芥川賞候補作家〉の回があれば、私は喜んで出演しますけど、どうですかね。と思ってたら、これが最終回だそう。むねん。そのまま何時間か寝てムクリと起き、『双星の陰陽師』を三冊読んでまた寝た。163/605


3月22日(火)雨ときどき雪。雪ってどういうことだよ。

 昼休みにプルーストを進読。ゲルマント公爵夫人邸での夜会がはじまった。巻末の場面索引をもとにすると、本巻、全六百五ページの半分ちかくが夜会の場面。今日四十ページくらい読んで、まだ食事は出ておらず、語り手は夜会に参加する面々をじっと観察している。ブレオーテ伯爵が、社交人士として名が知られていない語り手を見ながら、こいつ誰だ……?と考えている、という描写がある。〈私〉にブレオーテ氏の頭んなかが分かるはずがないし、そのとき何を考えてたかブレオーテ氏が教えてくれるはずもない。だから、〈私〉の一人称でブレオーテ氏の思考が辿られるこの場面はあくまでも、社交人士は夜会で知らない人を見かけたらこう考えるもんだ、という〈私〉の推量だ。いっぽう、〈私〉が彼を見ながら何を思っていたかは描写されていない。おそらく〈私〉もブレオーテ氏のことを知らなかったはずで、これは、このとき〈私〉がブレオーテ氏を見返しながら考えていたこと、を反転させて、ブレオーテ氏が私を見ながら考えていたように書いたのかもしれない。

 ゲルマント一族はお互いをあだ名で呼び合っていて、あのシャルリュス氏もメメと呼ばれている。エリザベートはリリ、フェルディナンはディナン、モンペルー伯爵夫人は〈おちび〉を意味するプチット、ヴェリュード子爵夫人はミニョヌ(〈かわいいの〉)で、アグリジャント大公はグリ=グリ。元ACミランのカカの本名はリカルド・イゼグソン・ドス・サントス・レイチだが、子供のころ、弟が〈リカルド〉と発音できず、舌っ足らずに呼んでいた〈カカ〉を選手としての登録名にした。ポルトガル代表のナニも、赤ん坊のころ、姉が彼をあやしながら、(本名のルイス・カルロスより)可愛らしいと思って呼んでいた名前らしい。そうやって、長じてからも子供のころのあだ名を名乗り続けるのは良いですね。ちょっとセンチメンタルな感じ。あと思いつくのはペレとかジーコとかガンソとかぺぺとかデコとか……。何年か前にはブラジルに〈ピカチュウ〉という選手がいることも話題になっていた。ポルトガル語圏の文化なんだろうか。日本だと中澤佑二のユニネームがBOMBERだったけど、あれはなんかちがうか。209/605


3月23日(水)曇。遅く起きる。サクサク作業。無職になってから、一日の時間を自分で組み立てて生活するようになった。自分で自分の時間のつかいかたを決める、というのは、バイトをやってたときはぜんぜんできないことだったな。平日十二時台の近所のコンビニはめちゃくちゃ混む。図書館で働いてたときも、週に一、二日は平日休みがあるからそのことは知ってた、のだが、いざ自分が無職になると、十二時からはあの人たちの時間だからな、となぞの線引きをするようになった。それで今日も、パイプユニッシュをシンクにぶち込んで、換気扇を回して十一時四十分ごろに出た。

 昼食のあとプルーストを進読。ヴィルパリジ夫人のサロンの場面、なのですが、社交界とは、みたいな話がずっと続く。話を逸らすとき人は饒舌になる。もしかしたらこの過剰なまでの社交語りは、祖母の死から目を逸らすための、自らの心を守るための〈私〉なりの防衛なのではないか。

 気がつけば一時間半ほど読んでいた。先月までの五年働いた職場の昼休みは一時間だった。十分弱で弁当をチンしてかっ込み、のこりの五十分くらいを読書に当てていた。しかし今は自分で時間を決められるから、気が乗らなければ十分で昼休みを切り上げることもできるし、今日みたいにダラダラと読みつづけることもできてしまう。私は専業作家になった、のだから、これから一生つづける仕事の時間の使いかた、を、確立させなければ。

 夕食のあと、日記を書いていると、外からすこし雨の音。257/605


3月24日(木)晴。地面が濡れている。肌寒いなかを外出、国会図書館へ。着くころには暖かくなっている。九時三十分入館開始、のところ、着いたのは九時二十五分ごろで、桜が開きつつあるのを撮ったりして時間を潰す。

 一九六一、二年の家庭画報をドサドサ読む。いろんな奥様とか若夫婦とかの座談会やインタビューが連載されていて、その司会やテキストを小島信夫がやっている。当時四十代半ば、小説家としては「アメリカン・スクール」で芥川賞を受けてから数年経ち、一九六一年には明治大学で教授に昇進してもいて、多忙だっただろうに、こういう仕事もしてたのか。それが目当てではなかったのだけどいくつか複写してしまう。

 国会図書館に来るといつも(食堂が開いてれば)何かしら食べるのだが、今日はあまり空腹でなかったのでパス。目当ての記事が、連載の最終回だけ掲載号が所蔵されていない。調べてみたところ、麻布の都立図書館にはあるらしい。取り急ぎ入館予約をしてから、それ以外のやつをぜんぶ複写して出。数ヶ月ぶりに地下鉄に乗った。永田町から麻布十番はたった三駅なのだが、私は三駅でも(というか地下に降りるだけでも)パニックになったことがあり、やや不安。国会図書館の最寄りの入口から南北線のホームはけっこう遠く、歩いてるうちに気持ちが高まってきてしまう、のだが、それほどつらくはならず。

 無事着き、地上に出て上り坂を十数分。通り沿いに韓国大使館があり、十数分の間に警察官十人くらいとすれ違う。目当ての記事を複写してすぐ出。

 最寄り駅で玄米茶を買って、図書館で予約してた本を借りて帰る。ひさしぶりに長時間の外出と地下鉄、発作を起こさずに終わった。朝から午後の早い時間まで、地下鉄を使って外出して用事をいくつかこなす、なんてのは、ほとんどの人が何の苦もなくやってることだ、が、私にとってはかなり大きい成果。しかしちょっと頑張ったからか頭痛く、そのあとはのんびり作業をして過ごす。

 夕食に焼きそばを食べ、風呂のなかで養老孟司『猫も老人も、役立たずでけっこう』起読。まるの写真集『うちのまる』が出たとき、著者の娘が「あの子、私より稼いでる」と言った、ということが書かれていて、深く共感する。それを言うならソフトバンクの白い犬とかケルンのヤギとか、私より稼いでる動物はいくらでもいるな。257/605


3月25日(金)晴。イタリア代表がワールドカップ予選で敗退していた。そのせいか、ひどい頭痛で目覚める。今日の頭痛は薬がよく効くやつで、ロキソニンを飲んだら三、四十分で楽になった。ひと安心して出かける。

 今日も地下鉄に乗る。相変わらず駅に着くまでは緊張したが、乗ってみたら楽。かなりメンタルが良くなってきた気がする。有楽町で降り、歩いて新橋の愛媛・香川のアンテナショップへ。友人に送るいよかんゼリーを買いに来た。ゼリー以外にもドサドサ買う。はす向かいに鳥取・岡山のアンテナショップもあったので入る。打吹公園だんごが知らないうちにいろんなアニメやゲームとコラボしていて、それはいいのだが、冷凍のやつしかない。冷凍の打吹公園だんごは打吹公園だんごではない、のだが、打吹公園だんご好きなのでつい買ってしまう。

 それからのんびり歩いて北上、気がつけば東京駅を通り過ぎていた。Kitteにもうひとつ愛媛のアンテナショップがあったので、すこし引き返す。途中、行幸通りが閉鎖されて、皇居から東京駅まで車列。黒塗りの高級車のなかから黒人のおじいちゃんが手を振っていた。

 一旦帰宅、ゼリーを発送して区役所の出張所に行き、保険証を受け取る。国民健康保険に加入したのだ。午後はゴリゴリ作業して、夜また外出して散歩。安くなってる寿司を買って帰る。257/605


3月26日(土)曇のち雨。退職後、近所の散歩くらいしか外出しなかった、ので、ここ二日でなんだか疲れ切っており、今日は半休日とする。朝からもくもくと読みつづける。午前のうちに、『猫も老人も』を読了、なんとなく『濹東綺譚』を再読し、昼休みにプルーストを進読。午前はずっと読書をしていた、のだから、昼休みに読書、というのは変か。それを言うならそもそも養老先生や荷風を読むより、エッセイを書くためにプルーストを読むほうが私にとっては仕事にちかいのだから、昼休みにしか仕事をしてないというべきか?と益体もないことを考えながらだったからか、いまいち頭に入らず。三十ページほど読んだのだが、また二百五十七ページに栞を挟む。

 プルーストは諦めて、滝口悠生選『いま、幸せかい?』。滝口さんの本はだいたい読んでるのだが、寅さんにあまり興味がないのでスルーしていたところ、ぱらぱらめくった『ブルシット・ジョブの謎』のなかで突然『男はつらいよ』に言及されていて、シリーズをひとつも観たことのない私にとって『男はつらいよ』は『愛と人生』のことで、というかあの人名場面集の選者やってたな、と思い出して読む。目次でもう圧倒された。百五十くらいあるそれぞれの場面の核になる台詞が並んでいる。

それがいけねえのよ、一杯が二杯になり三杯になる

俺の故郷にな、ちょうどあんたと同じ年頃の妹がいるんだよ……

何だか急に悲しくなっちゃって涙が出そうになる時ってないかい?

遠く灯りがポツンポツン……。ああ、あんな所にも人が暮らしているか……

いま、幸せかい?

冗談言っちゃいけないよ、正月はこっちの稼ぎ時だい

 とこういう感じで十三ページつづく。説教くさい現代詩だこれは。昨日アンテナショップで買ったオレンジとかラーメンとかをダラダラ食べつつ、あっという間に一日が終わる。257/605


3月27日(日)曇。昼、図書館に行って帰って、プルーストでも読むか、と思っていたら、いつのまにか寝ていた。春だからか。

 夕方ごろ、電撃文庫のアンソロジー『終わらない夏を終わらせる五つの方法』。けっこう分厚く、読了できず。妙に気が塞ぎ、パーッとやりたくてウーバーイーツでいつもの美味い中華。今日の配達員は、〈配達する理由〉に〈学費のため〉とあり、チップをもらいやすくするために嘘を書く人も多い、と知りつつ、えらいなあ、となる。そして私の家の前に違う場所に運んでから届けてくれる。みんなそれぞれバンバっているのだな。257/605


3月28日(月)晴のち曇。金平糖を噛みながら作業していたら、なんか最近ぐらぐらしていた奥歯の詰めものがコロッと取れる。舌で転がしてたら上手い具合に元の場所に嵌まった。このまま様子見とする。

 昼休みにプルースト。九ヶ月ぶりの〈からかい好きの傲慢王〉。日本語で読む私はこの地口に笑えない。カタカナに音写された原語の発音と註をみて、ああ地口なのか、と理解するだけだ。以前ここを読んだとき、私は、「「からかい好きの傲慢王だわ!」、どこが面白いのか、はもちろん説明されてるけど、日本語で読むとただの罵倒じゃん、となって笑ってしまう」と書いていた。しかしそれは、原文と訳文での読み味の違いに笑ったのであって、プルーストの言葉遊びで笑ったわけではない。

 この、註によると著者の独創でもない駄洒落を書きこんだとき、プルーストは、『失われた時を求めて』という作品の射程のことを考えただろうか。百年以上あとに東洋の、ぜんぜん言語体系のちがう国で、文芸誌で特集されるような作品になると思ってたら、こういう地口を書きこむだろうか。

 と、考えると、村上春樹が『1Q84』という題で書いたのはけっこうすごいことだ。すでに世界的な評価を得ていた村上は、この作品を執筆する時点で、Qと9が同じ発音ではない言語の読者に読まれることはわかっていたはずだ。読者に伝わらない地口を題にする、というのは、かなり度胸がいることなんじゃないか。

 そういえば、阿川せんりの『ウチらは悪くないのです。』のなかで、地の文に〈藪からスティック〉という駄洒落が書きこまれていた。あれも著者のオリジナルでないという意味では〈からかい好きの傲慢王〉と同じだ。いまから百年後のフランス語の読者が、当時日本で人気を博していたコメディアンの決め文句、〈突然〉を意味する〈藪から棒〉という言い回しに英語を混入させることで滑稽な響きになる、みたいな訳註とともにあの駄洒落を読むとしたら、どういう気持ちになるのだろう。とはいえ私も、「焚火」のなかで「ツルゲーネフの兄弟」、「IQ84」、「どんなこ いるかな」、「わたしを殺さないで」とか書いてるので、なんというか、人のこと言えませんね。

 夕方、愛媛の乾麺で早めの夕食とする。そのあと五十ページくらい残してた『終わらない夏』を読了。ごろごろしながら講談社の漫画アプリで島耕作を読んでいると、ネタ画像としてよく目にしていた「じゃ セレブレーションファックしよか」「了解」のやりとりが出てきて、なんか感動してしまう。あれは取締役就任のセレブレーションだったんですね。301/605


3月29日(火)曇。花粉と低気圧のダブルパンチで頭回らず。とはいえ作業をしなくて良いわけではないので、ウーバーイーツで朝マックを頼んで自分を鼓舞し、だましだまし進める。歯の詰めものがまた落ちる。嵌めてみても茶を飲むと口のなかで浮かび上がり外れてしまう。さすがに観念して歯医者に電話、したのだが、直近で四月六日まで空きがないとのこと。一週間は穴の空いた歯で生活をするのか、と思ったが、もっと金がなかった札幌時代にはけっこうやっていた。

 私は歯が弱く、小学生時代に一日三回歯磨きしてたのにめちゃくちゃ虫歯になった、ので開き直り、中高大の十三年間(私は中高大を十三年間やったのだ)は気が向いたら磨く、という程度で、だいたい毎日寝る前に磨くだけだったのだが、虫歯ができるペースは小学生時代と変わらなかった。これはもう体質的なもの、とほとんど諦めていて、今は総インプラントが一万円くらいでできるようになるのを待つ気持ちでいる。家系的にぜったいてっぺんから禿げるので、植毛なり何なりが一万円くらいでできるようになるのを待っている、のと同じだ。

 昼休みに『ゲルマントのほう Ⅲ』を進読。ゲルマント公爵夫人の〈才気〉のなかで、けちくさい飯を食わせる従姉妹(ユーディクール夫人)について言う台詞がいちばん好きかもしれない。「従姉妹のところで出るのは、十五年に一回、一幕物の芝居とか十四行詩とかを生み落とす便秘作家の作品みたいなものでしょう。それを人は小傑作なんて呼びますけれど、珠玉といってもつまらぬしろもので、要するに私がいちばん大嫌いなものですわ」。便秘作家! 原文がどうなってるかはわからないけど、〈便秘作家〉という訳語をあてる感覚がすごい。これが〈便秘の作家〉じゃ台なしだ。

 今日はどうにも元気出ず、夜もウーバーイーツをしてしまう。やや判断力が弱っているな。中華を食べながら最終予選のベトナム戦。消化試合で、実に消化試合らしい内容だった。この試合の最大の成果は、大きめのスポーツイベントを入場制限なしでやったことだ。これでクラスターが出なければ、たいした検証もなしに前例として参照されるのだろう。声出しは禁止されていたようだが、ずっと太鼓の音が聞こえていた。声や楽器が制限されて、選手やコーチの声と、身体とボールがぶつかり合う音、そして良いプレーには拍手が贈られ、ときおり堪えかねたため息やうめき声が湧き上がる、というコロナ下の様式がけっこう好きだったので、(パンデミックは早く収束してほしいのだが)また騒がしくなるのはなんか残念だ。345/605


3月30日(水)曇。四時半ごろに自分のくしゃみで目が覚め、モゾモゾ起きて鼻炎薬。いつもならこの時間に起きればそのまま作業をはじめるのだが、今日は花粉で頭回らず、そのまま寝。

 九時ごろ起床。焼きそばを食ってすこし散歩。桜が満開だ。梶井基次郎や坂口安吾が、桜の木の下には死体が埋まっている、ということを書いていて、大学の文芸部では、毎年のようにそのパロディみたいなのを書く人がいた。私が書いたやつがいちばん良かった、ように思うのだが、その原稿も当時のパソコンといっしょに処分してしまった。

 昼は昨夜の中華の残りを使って炒飯にして、かっ込んでからプルースト。昨日からずっと芸術談義をしていて、言及された作品(のもとになった絵)が、このパートだけで四作、図版として添えられている。この図版は訳者の調査に基づくもの、と明記されていて、フランス語の原書にはない。同時代の読者は、ときにはタイトルも示されてないこの記述だけを読んで、どの絵かわかったのだろうか。

 かつて読書会で友人が、その作品の、明らかに早稲田大学とわかるように舞台を描写しつつ、しかし大学名は出さない、という書きかたにはいったいどんな意味があるんだ?と言っていた。私もけっこうそういう書きかたをする。そのときは、明言しちゃうと早稲田大学のこと知らない人が一歩退いちゃうからじゃない?みたいな話になったけど、書き手としては、一定の自由度を確保しておきたい、というのがある気がする。舞台になる土地について、もちろん事前にしっかり調べて、その内容を頭に入れて書くのだけど、隅から隅まで把握しておくことは難しい。で、書くときは目の前の文章に集中してるから、描写のたびに資料を参照するようなことはしたくない。ということで、舞台となる場所は、想起させる、という程度に留めておく。そうすれば、書くときに、事実との照合について、ひとまず考えないでいられる。もちろんプルーストがどういうふうに考えてたかは知らない。

 ゲルマント夫人が、シャルリュス氏について、妻を亡くしたあと、「毎日のようにお墓にいらして、きょうの昼食にはお客が何人あったとか報告なさって、故人をとっても偲んでおられます」と言う。本巻のあとのほうでシャルリュスは〈私〉にいやなことを言って激昂させてたし、前巻の〈精神的遺産〉のくだりをはじめ、彼が同性愛的傾向を持っていることはたびたびほのめかされ、訳註や解説でも念を押されていた。最初に七巻を読んだときは「なんかやなやつ!」くらいの印象だったシャルリュス、一巻から順を追って本巻までくると、登場人物のなかでいちばん得体の知れない人間として描写されていることがわかる。

 夜、また散歩。オーガニックな弁当が半額になってたのを買う。371/605


3月31日(木)晴のち曇のち雨。朝はよく晴れ、桜も満開、しかし私はもくもく作業。起きてすぐ、友人が送ってくれたうなぎを食らう。あまりの美味さに、〈うなぎが、、〉〈ふわふわ、、〉〈ありがとうございます、、〉となんかめんどくさい人みたいなDMを送ってしまう。

 花粉がすごく、薬が効いてくるまでは頭に靄がかかった感じ。午前中の遅い時間にようやく回りはじめる。今日も昼に焼きそばを啜って散歩した。

 夜はチンする焼き魚をチンして食べ、風呂の中でプルースト進読。ゲルマント公爵夫人は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲七・八・九番についての話の流れで、「そもそも同じ国のなかでも、すこしでも新しい目でものを見る人が出てきますと、ほかの人たちは十人が十人ともなにを見せられているのか一向に理解できるものではなくて、その見わけがつくようになるには、すくなくとも四十年はかかるでしょうね」と言う。

 訳註で指摘されているとおり、この語り手は三巻で、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲に言及している。そのなかで彼はこう述懐していた。「ベートーヴェンの四重奏曲(…)それ自体が、五十年の歳月をかけてベートーヴェンの四重奏曲の聴衆を生み出し、増やしてきたのであり、あらゆる傑作と同様、そのようにして芸術家たちの価値を進歩させたとはいわないまでも少なくともそれを受容する聴衆を進歩させたのである」。この記述について私は、「真に優れた作品は鑑賞者にアップデートを促す。既存の枠組みのなかで評価が完結できるような作品は、けっきょく、百年先にも届かない」と日記に書いた。同じ箇所について訳者は、三巻のあとがきで、「このあたりの数ページは、自分が望むほどの評価を得られなかったプルーストが自分に言い聞かせた文言にも聞こえる」と書いていた。

 七・八・九番はベートーヴェンの弦楽四重奏曲のなかでは初期の曲だから、ふたつの〈ベートーヴェン〉が同じ曲を指しているわけではない、のだが、その作品の受容に長い年月が必要だ、と指摘している点では同じだ。七・八・九番は四十年、後期の曲は五十年、とされているのは、後期のほうがより難解ということなのか。〈すこしでも新しい目でものを見る人〉が現れるまで十年、それが〈聴衆〉と呼べるほどの人数(十人が十人)になるまで四十年が必要、ということなのか。あるいは、『花咲く乙女たちのかげに』がゴングール賞を受けたことを考え合わせれば、三巻から七巻の間に〈自分が望むほどの評価〉にちょっと(十年分)は近づいたかな、と考えた著者自身の感慨が表れている、のかもしれない。

 二時間ちかく風呂にいて、すっかりのぼせてしまう。447/605


4月1日(金)曇。もくもく仕事。

 昼休みにプルースト。昼休み、といいつつ、二時間以上読んで本文を読了した。シャルリュス氏、激怒して金切り声をあげて、ひどい激情家なのだが、そうやって喚いてる内容が、かつて自分は語り手に、装幀にワスレナグサがあしらわれた本を贈った、「これ以上明快に「私をお忘れなく」と伝える方法があっただろうか?」というもので、面罵されてる〈私〉がどう感じるかはさておき、読者としてはめちゃくちゃチャーミングだ。初読時に比べて格段に魅力的な人間に感じられるのは、やっぱりここまでの六冊があったからか。

 さらにシャルリュス氏、〈私〉に絹の光沢も輝かしい新品のシルクハットをめちゃくちゃに破壊されて、お互い冷静になったあと、〈私〉を邸の陳列室に案内する。そしてここには高貴な人たちのかぶっていた帽子が揃ってる、と自慢して、「関心はない? あなたにはなにも見えんようですな。もしかして視神経が冒されているのでは」などと言う。かなりきつめの煽りかただが、語り手はこの言葉には特に反応しておらず、煽り耐性が高い。

 夜、近所のセブンまで行き、惣菜をドサドサ買う。去年の六月から今年の二月にかけて、大学の通信講座で司書資格講習を受けていた、のだが、その大学から封書が来ていた。〈結果通知在中〉と表書きにあり、ドキドキする。学費だけで二十二万円、教材とかも合わせたら三十万円ほどの金額と、なかなかの期間をかけた。自分で出したものとしては大学院の学費の次にお高い買いものだった。

 A4の薄い封筒で、『あずまんが大王』で読んだ、不合格通知は薄い封筒で来る、というのが記憶に残っていて、アッこれはだめかな、となったが、無事修了していた。

 夜更かししてABEMAでワールドカップの抽選会を観る。往年の名選手がドロワーをやるので同窓会みたい。カフーが元気そうでうれしくなる。グループ分けの抽選、なんか好きで、毎回ワクワクしている。結果がどうでも良い試合が観られることに変わりはない、から、なんというか当たりくじしかないギャンブル、みたいな感覚なのかもしれない。日本代表はスペイン・ドイツ・プレーオフ勝者(コスタリカかニュージーランド)という組。死の組!という報道もあったが、二強二弱は死の組ではない。というか毎回「日本代表は死の組!」と言いたがる人たち、何なんだろう。「日本代表は弱い!」と言いたがる人もけっこういますが……。イタリアが予選敗退した今、私の推しはイングランドで、アメリカ・イラン・ヨーロッパプレーオフの勝者、という組み合わせ。プレーオフはウェールズとウクライナとスコットランドだが、ウクライナ対スコットランドの試合が、ロシアの侵攻の影響で延期されていて、どうなるんだろう。568/605


4月2日(土)晴。良い天気、しかし一歩も外に出ず。昨夜抽選会を観てたので朝は遅く、十時半ごろ起。今日は半休日。食事をして、風呂に入り、もくもく読書。それからベッドで岩合光昭の世界ネコ歩き、の、だいぶ前に録画してた鎌倉の回を観、昼寝。猫を観ながら昼寝するのは、昼寝のなかでも最上の昼寝だ。

 暗くなってから起き、納豆ご飯をかっ込んで『ゲルマントのほう Ⅲ』の訳者あとがき。そのあとはまたのんびり読書をして早い時間に寝。605/605


4月3日(日)雨。鬱々としている。雨だからか、低気圧か、花粉のせいか。『ゲルマントのほう Ⅲ』を再起読。

 ピエ・リアン・アウン選手が、YSCC横浜を退団したというニュースを見る。ミャンマー代表のGKで、去年の五月、日本での試合の際、国歌斉唱中に軍事政権への抗議を示す三本指のジェスチャーをし、帰国を拒否して難民申請した。大きなニュースになったからか、日本政府は光の速さで難民認定した(その気になればできるのだ)。ピーちゃん(ミャンマー人には姓がなく、彼のことを書くときはピエ・リヤン・アウンと書くべきなのだがさすがに長く、YSCCのHPを見ると〈呼び名:アウン、ピーちゃん〉とあるので、勝手に愛称をつかって書く)はYSCCのサッカーチームの練習生を経て、フットサルチームと契約を結んだ。

 しかし、東京新聞の記事によると、SNSで故郷の窮状を見るにつけ、自分が安全な日本にいることに「無力感や歯がゆさ、後ろめたさに苛まれるようになった」という。そして「母国や家族を心配しながらでは、集中して腕を磨けない」、「プロなのに実績を残さず、給料をもらうだけなのは本意ではない」という理由で退団を決意した。私は、たぶん当事者がサッカー選手でなければ、ここまでピーちゃんの事例を気にすることはなかった。〈無意識の人種差別〉のことをまた考えてしまう。 188/605


4月4日(月)雨。七日にプルースト文章を公開する予定なのにまだ書き出してもおらず、やや焦る。私はこの日記に、昼休みにプルースト、という題をつけているのだが、七日が近づくと、昼休み以外プルースト、みたいになってしまう。

 夜、大雨のなかネットスーパーの商品が届く。雨の日でも外出しなくて済むからべんり!とチラシに書いてあるのだし、べつに私が気に病む必要はない、のだが、さすがに罪悪感がある。便利なのでまた利用しますが……。

 風呂のなかで上野千鶴子『ひとりの午後に』を起読。いろいろと軋轢のあった母が死んで、使いかけのまま残されていた菫の香水を、惜しみながらも毎日身につけている、という冒頭の一篇が印象に残る。先月観た信田さよ子とのトークイベントで、二人とも紫色に髪を染めていたけど、上野の髪の色は紫ではなく菫色だったのかしらん。そういえば、上野が登壇したオンラインイベントをこれまでに、たしか三回観たけれど、これ観てる男っているのかしら、と三回とも言っていた、ことが、終わったずっとあとの今になって引っかかるものとして思い出される。男というものへの不信というか、これまで、自分の言葉が男たちに届いているという実感が持てなかった、からこそそういうことを言ったのではないか。352/605


4月5日(火)曇。朝から具合が悪い。布団にくるまって『ひとりの午後に』進読。自分はたいがいの男性に対して寛容だ、としたうえで、上野はこう書く。「それというのも、男ってこの程度のもの、と期待水準が低いせいで、かえってひとりひとりの男性に期待した以上の美質を見いだしてしまうからだ」。昨日考えた〈不信〉も、男はどうせ観てないでしょ、ということか。私以外にも観てる男はたくさんいただろうが、対面のイベントと違ってオンラインでは聴衆が見えない、から、期待値の低さが口を突いて出たのだろうか。昼ごろまで横になっていたおかげですこし楽になった。午後はプルーストをもくもく進読。夜までかかって再読了。

 髪の毛が伸びてほとんどアフロになってたので、入浴前に着る。風呂から出てすぐ、まいばすけっとの弁当を腹に詰め込んで寝た。605/605


4月6日(水)晴。今日は歯医者。コロナ前に通っていて、診察券を見ると前回は二〇二〇年の三月だった。フルーツサンドなどを買って帰る。作業してる間に麻酔が切れて痛くなってきた。

 ロキソニンを飲んで、痛みが散らされるのを待つ間に『双星の陰陽師』十八巻。双方のリーダーの決戦、味方のほうが、命を捨てて法外な力を身にまとい、しかしやることといえばめっちゃ殴り合うだけ、というのが、この作品の面白いところ。呪力を練って飛ばす、みたいな攻撃もあるのだが、それはほとんどこけおどしで、バトルのメインはとにかく〈素手喧嘩〉なのだ。

 そして本作はルビ芸がすごい。〈先程発動し損ねた術だ〉に〈忘れ物だよ〉、〈(てめえが死んだら)生命保険は受け取って(おいてやるよ)〉に〈骨は拾って〉、〈ここは俺の死に場所じゃねぇ〉に〈てめえらじゃ役不足だ〉と、本巻だけでも三箇所、書き写したくなるようなルビ芸が炸裂している。いずれもその場面の文脈や発話者のキャラと密接に結びついている。

 そういえば『デスティニーラバーズ』というおいろけギャグ漫画で〈淫気〉に〈殺気〉、〈好色性感帯男〉に〈こうしょくイキたいおとこ〉と振られてたのもすごかった。これでルビがなければ単なる滑稽な言い回しとして流してたところだが、〈イキたい〉と読ませることで、ギャグの切れ味を増すとともに、西鶴をも呼び込んでいる。というのを書くためにWikipediaを探してみたら、英語版にはDestiny Loversとして記事が立てられてるのに、日本語版にはない。アメリカで翻訳出版されてる、とはいえ、英語版のほうが先に立項される、というのは面白い。水原涼は日本語版しかないですね。

 しかしのんびり漫画を読んでる場合ではなく、プルースト文章を起筆。『失われた時を求めて』を一冊読んで十枚書く、というのを、これでもう八回目なのでゴリゴリ進む。

 そういえばプルーストは、どのくらい本作に私性を投入して書いたのだろう。というのが気になるのは、私がそういう書きかたをすることがあるからだ。岩波文庫版の一巻にはプルーストの年譜がついていた。死後百年ちかく、世界中で行われつづけているプルースト研究の成果だ。私が死んで百年後に刊行される私の作品には詳細な年譜がついているはずで、読者はきっと、その年譜や年譜のもとになった資料、つまり、私の〈公の生涯〉と私の私小説的作品を照らし合わせて、作中人物やモチーフの源泉を探る。私は私小説的作品を書きながら、その年譜に書きこまれていない部分にどれだけフィクションを織り込めるか、を試みている。百年後の水原涼研究者が、「日暮れの声」や「光の状況」、「鳥たち」、そして今後私によって書かれる私小説的作品群を、私の公の生涯と照合したとき、ほんとうはふんだんに盛り込まれている創作をどれだけ発見されるか。

 私はこの日記を、自分のサイトで公開するために加工する。加工前の日記が私の死後に発見され読まれることも想定している。私はこの日記やエッセイ、私小説的作品を書きながら、ずっと遠い読者とゲームをしている気持ちでいる。

 日付が変わるころまでかかってひとまず書き上げる。これで二度、七巻だけを読んでなんか書く、というのをやったことになる。三度目はたぶんないだろう。私はここまで、先に読んだ七巻を参照先として、一から六巻を読んできた。去年の夏に文芸誌の依頼を受けて以来、プルーストやその作品、とりわけ『失われた時を求めて』のストーリーとかの情報を避けて過ごしている。ここから先はほんとうに何も知らない道ゆきだ。しかしまあ、小説を読むというのは本来そういうことだな。

 ガチャガチャ食器を洗い、日記を書いてシャワーを浴びる。午前零時、『クロノ・クロス』リマスター版の公式アカウントが、オリジナル版のメインスタッフ四名のコメントをTwitterにアップしていた。発売日だ。二十三年経って、当時のプロデューサーはガンホーの執行役員になり、ディレクターはグリーの子会社のゲーム製作会社で『アナザーエデン』のシナリオを書いている。どちらもスマホ向けのゲーム開発会社だ、というのになんか時代を感じる。当時スクウェアから独立したばかりだったコンポーザーは個人事務所を法人化して取締役になった。イラストレーターは当時と変わらずフリーで仕事をしているらしい。人生いろいろだ。出版業界はけっこう同業他社への転職が多い、と聞いたことがあるし、そういう転職をした知人もいるが、ゲーム業界もそうなんだろうか。


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