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プルースト 2022.9.13~2022.10.8

9月13日(火)晴。午後、プルースト日記の公開用の調整作業。毎月七日をプルースト文章、一週間後の十四日をプルースト日記の公開日、となんとなく決めていて、長篇に時間を取られて今月の文章の公開は今朝になっちゃったのだけど、日記は変わらず明日公開する。

 先月の日記の最後はラシュディの襲撃事件があった日で、その翌日からの記述を読みかえしていてふと続報を調べてみると、ちょうど昨夜、作家でもある友人が、彼は大怪我をしても相変わらず明晰だ、と話している記事を見つける。セキュリティ上の理由で居場所は明かされていない(そりゃそうだ)が、起き上がって冗談を飛ばしたりもしている、とのこと。ひと安心。

 作業中、左腕に巻いたゴムの輪っかが突然切れる。あまり伸縮性のない、黒くて固い輪で、大学一年の夏、神戸の人工島で拾ったもの。十四年もずっと手首にあったものがなくなって、喪失感、というほど大げさではないにせよ、ちょっと寂しいな。ミサンガみたいに願をかけてたわけではないけど、何かいいことがあってほしい。

 今日は早めに閉店して、カーネギーの『道は開ける』をもくもく進読。夕食の途中、ニュースアプリの通知でゴダールの死を知る。優れた映画監督として以上に、『顔たち、ところどころ』のなかで、わざわざ遠くから訪ねてきたヴァルダに会いもせず、独りよがりのユーモアであしらったことで私に記憶されるゴダール。『軽蔑』観ようかな。そのあと、ふと思いつき、明かりを消して、蝋燭をつけて風呂に入る。さすがに暗いな。


9月14日(水)晴。新聞で、ゴダールは晩年を過ごしたスイスでは合法の〈自殺ほう助〉で亡くなった、ということを知る。尊厳死ということなのだろう。最期のありかたまで自分でコントロールする、というのは、ゴダール的といえるだろうか。

 昼過ぎに暑いなかを三十分ほど散歩したせいか、ちょっとうとうとしてしまい、午後はあまり捗らず。夕方、スマートニュースのアプリの通知で、角川歴彦逮捕の速報。賄賂の認識があったと見なされたそうで、そんな心卑しく五十年経営してきてない、と憤りを露わにしていたことを思い出す。

 午後、身内が結婚するとの報せが母から。私もちょうど一ヶ月後には三十三歳になる。これまでの人生で会った人たちにも三十三年の歳月が流れているのだから、独身の人が結婚したり、子ができたり、生きてる人が死んだりするのは当然のことだ、と思いつつ、あの人が結婚ねえ、としみじみする。

 セブンで関西フェアのカレーを買ってきて食いながら、岩合さんのネコ歩きの録画してたLA回を悶絶しながら観。テレビを消すと私の家には猫なんて一匹もおらず、呆然とする。


9月15日(木)明るい曇。曇ってるが気温は高め、湿度もあって、散歩のたびに(私は一日に何度も散歩をする)やたらと汗をかく。夜、パスタを茹でる。村上春樹の何かの小説に、語り手が、犬に行水させられるくらいのでかい鍋でパスタを茹でる、みたいなのがあって、パスタを茹でてるとときどきそのことを思い出す。今日も中華風の味つけにする。ちょっとした伝手で安順市の市場で売ってる手作りスパイスを手に入れたので、何でも中華風にしてしまう。


9月16日(金)快晴。朝から具合がいまいちで、散歩も短距離。

 昼休みはまたパスタを茹でて、冷蔵庫にあるものをザッと炒めてまた中華風。スパイスを入れると何でも決まるので味つけは適当でいいのだ。満腹になって打ち上がり、お腹が落ち着いたら散歩、郵便を出したりカウンセリングの金を振り込んだりの用事をこなして、三十分弱で汗だくになって帰宅。

 夕方、今日の目標まで書いたところで早めに終業、カーネギーを進読。終盤でとつぜんフォントサイズが小さくなり、ページをめくるのが遅くなる。いろんなひとが自分の言葉で語る体験談、みたいなパートで、けっこう信仰の話が多い印象。そして、カーネギーによる本文にもあったけど、とにかく心身を忙しくして疲れ切っちゃえば、落ち込んでる余裕などないのだ!という、いくらなんでも脳みそ筋肉な主張が多く、手もなく感化されて二十分ほど外を走る。体力の低下が深刻で、昼間の散歩コースをぐるっと一周しただけでへたばる。帰ってすぐザッとシャワーを浴びた。


9月17日(土)晴。よく寝た。ずいぶん気持ちの良い目覚め。朝、開店直後のスーパーに入り、ヤクルトY1000と、昼食用に惣菜の焼きビーフンを買う。焼きビーフン、比較的安いわりに食いでがあって、何も考えずにいるとこればかり買ってしまう。

 今日は読書日で、昼ごろ今月のプルーストを起読、十三巻『見出された時 Ⅰ』。二分冊された最終篇の一冊目、だが、次巻は総索引がかなりのページ数にのぼるそうで、最終篇の三分の二が本巻に収録されている。

 本巻の装画は、これは何なのか、海に飛びこむ鯨の尻尾みたいな、イヤぜったい違うのだが、まんなかがすこし膨らんだ三角形の上部にから両脇に鰭っぽいのが飛び出している。三角形のなかは二十ほどの部屋に小分けされていて、それぞれ数字と、人物がなんかしてる絵が描かれていて、いったい何なんだ、と思って巻末の図版一覧を見ると、「プルーストが(…)ステンドグラスを模した画面に自分自身の死を描いて、友人のレーナルド・アーンに送ったいたずら書き」とのことで、けっきょくそれは何なんだ。

 本巻は比較的登場人物が少ないのか、巻頭の人物紹介がみんな厚め。そして〈私〉の友人ロベール・サン=ルーの紹介文の末尾に、「前線にて戦死。」と書かれていた。私は七巻を(二度目に)読んで書いたエッセイのなかで、ロベールは遠からず死ぬのでは、というようなことを書いた。そして翌月公開した日記のなかで、しかしロベールが作中で死ぬかどうかは最終巻まで読んだ人は誰でもわかるんだから、それをいま予測してみせても何になるのか、と書いた。こうして実際に(まだそのシーンは読んでないけど)彼が死ぬことを知ったのだが、私の読みもなかなかですな、と一人ほくそ笑む以上の意味はない。

 祖母、スワン、アルベルチーヌ、そしてロベール、語り手の人生において重要な存在は、こうして何人も死んでいる。アルベルチーヌとロベールは事故と戦争という不慮の死で、スワンも、病みついていたとはいえ語り手たちの親世代なのだから、死ぬにはまだ早かった。ほかにも、この人物紹介を見ると、(前巻までに死んだ人も含めて)語り手の周囲にはだんだん故人が増えてきたことが分かる。生きるというのは見送ることなのだな。

〈私〉は、ロベールとジルベルトの夫妻が暮らすタンソンヴィルの邸に滞在している。ジルベルトと久しぶりに親しい時間を過ごし、彼女と出会った当時──一巻で描かれていたころのことを語り合う。最終篇ということもあり、伏線回収というか、ここまでの答え合わせをするような導入で、こういうのはワクワクしますね。訳註でも、この箇所については一巻のこのページでこう書かれていた!と丁寧に指摘されていて、たいへん参考になる。

 一巻で一人歩いた道を、今はジルベルトと一緒に歩く。しかし語り手はジルベルトへの恋をもう終えていて、感性も鈍磨してしまい、記憶を喚起するような通りを歩いていても、心が乱されることはない。感性の鈍磨、というのはほんとうに深刻で、私も、小説家を志して以降、何を見ても心中で文章化する妙な癖がついてしまい、あまり感動に浸ることが減ったような気がする。ここ最近で夢中になったのは、と振り返ると、あれだ、去年の夏、EURO2020の決勝を観るために良いホテルに泊まって、深夜、イタリアが優勝した瞬間……。

 散歩ついでに図書館に寄って今日読んだものを返して、またスーパーで夕飯のものを買う。米を炊いてニンニクの芽やら肉やらを炒め、ガツガツ食べつつ『ブリティッシュ・ベイク・オフ』。シーズン二の終盤戦、ここまでくるとみんな技術が高く、それに呼応するように課題も難しくなって、私の知らないお菓子も出てくる。ハラハラした。

『ブリティッシュ・ベイク・オフ』以外はほぼ読書だけの日、とはいえ、ほんの三、四冊、自分の本は一冊だけ(あとは図書館)で、積読はあまり減らなかった。積みすぎなんだよな。60/591


9月18日(日)雨。九州南部にひどい台風が接近(午後上陸)して、そのあおりで、東京も暴風雨。ときどき傘がいらないくらいに弱まったと思ったら、数分で豪雨に戻る、のを、一日に何度か繰り返す。低気圧で具合悪く、今日は一日仕事に関係ない本を読む。漫画六冊と『気狂いピエロ』の原作(チープなかんじの犯罪小説でとても楽しかった)、あと雑誌記事をいくつか、と数え上げてみると大した量ではない。伏せってる時間帯もあったからこんなものか。とにかく一日天気が悪くて気が滅入る。明日はもっと荒れるらしい。60/591


9月19日(月)嵐。頭痛がひどい。雨が降り続ける。窓の景色に白い靄がかかり、それが風に飛ばされ、揺れる。打ちつける音。

 部屋にこもり、買い置きしてた食材を食べつつ読書。窓から見える、すこし遠くの建物の屋上に東屋っぽいのがあって、そこで洗濯物を干してるのが見える。屋根があるとはいえたぶん吹きっさらしで、こんな風雨の日には濡れちゃうのでは、イヤ実は透明な壁があって、温室みたいになってるのだろうか、と気になってしょうがない。

 昼過ぎ、すこしだけ雨がおさまった隙に外出。湿度がひどく、あっという間にじっとり汗ばむ。洗濯物の建物を探そうと、二十分くらい歩き回ってようやく発見。けっこう遠くまで探していたが、家から二分もかからないところだった。壁はなく金網だけで、よく見ると風で洗濯物が揺れていて、これじゃあ濡れてしまうではないか。洗い直しだろうな。

 家に帰り、私も洗濯。我が家の洗濯機は乾燥機能つきなので、どんな天気でもフワッと乾くのだ。外の空気を吸って頭痛が楽になったので、ようやく始業。夕方までかけて五枚ほど。そのあとはずっと夜まで、酒のつまみやお菓子を食べながら読書。満腹になってしまい、夕食はスキップして、エリザベス女王の国葬のニュースを観る。低気圧のせいなのかずっと眠い。60/591


9月20日(火)雨。昨日読んだ鈴木大介『脳が壊れた』のなかに、フリーライターになって以来、朝起きたらすぐ仕事机に向かう、クリアな頭で書けるから、みたいなことが書いてあった、ので私も起きてすぐ作業。たしかに、自己認識としては寝起きと低気圧で頭がぼんやり痛い、みたいなかんじなのに、思考は案外スムーズだった。今後も続けよう。

 たしかレイ・ブラッドベリも、起きたらすぐ机に向かう、それを三十年間一日も欠かさずにやってきた、とどこかに書いてた。私も今から三十年後は六十二歳で、そのころ書くエッセイに、鈴木やブラッドベリのを読んで私もそうした、みたいなことを書いてみたい。今日がその初日になればいいな。

 ひとしきり作業をしてから散歩。家を出たときは傘が要らないくらいだったのに、五分ほどで強まり、最寄り駅に着いたころにはまだ小降りになった。一度改札階まで降り、上がろうとすると、階段の踊り場のところですでに、吹き込んできた雨がミストシャワーみたいになっている。しかし傘もないし、スマホも持ってない、ポケットに小銭入れと鍵を入れただけのラフな恰好で、そういえば昨夜も今朝も風呂に入ってないし、まあいいか、と歩き出す。

 びしょ濡れで帰宅、シャワーを浴びて洗濯機を回してプルースト。語り手はジルベルトに借りたゴングール兄弟の日記を読んで自分の〈文学的才能の欠如〉について考えている。その日記からの“引用”(実際はプルーストによる文体模写)もあるのだが、どうにも、『失われた時を求めて』の地の文(つまり〈私〉の文章)のほうが、私には好ましく感じられる。〈文学的才能〉というのは文章そのものというより、複雑で切り分けがたい事象のなかから、その文章で綴るべきことを選び取る感性にかかるものだから、〈欠如〉しているのではなく、ゴングールと〈私〉は違う素質に恵まれていて、単に隣の芝生を羨んでいるだけのような。

 しかしゴングール兄弟、二十代から死別するまでの二十年ほど、共同で日記を書いていたそうで、仲いいなあ。

 夜、宮沢章夫の訃報。晩年にいろいろ問題が発覚していたが、『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』と『時間のかかる読書』は良かったな。夕食はセブンで買った京都・新福菜館のチンするラーメン。ラーメン、私のオールタイムベストは札幌のすすきの近く(ら〜めん共和国ではない)にある〈空〉、次がこの新福菜館で、その次が高田馬場の末廣ラーメン(新福菜館で修業した人の店らしい)です。あと鳥取の夢屋の焼きネギラーメンも好きなのだが、あれは私にとって美味いというよりホッとする味で、たぶん刷り込みみたいなものなのだろうな。110/591


9月21日(水)曇。突如として秋めいた肌寒い一日。夜中の二時に目が覚め、そのまま始業すればよかったのに、頭が回らないからとダラダラ過ごして四時過ぎにまた寝、八時前に起き、けっきょく頭回らず。それでも、昨日の日記にあんなこと書いたんだし……と無理に起きて机に向かう。ぼやけた頭でもなんとか、数行だけではあるが書けた。

 今日は十三時にはじめてのカウンセリングの予約をしていて、何も怖がることはないと頭ではわかっているのに、ナーバスになっている。作業をしていてもだんだんしんどくなってきて、十二時前に諦めて、気持ちが楽になる薬を飲んで散歩。外を歩けばかなり気が晴れた。

 帰ってすこし読書して、ZOOMでカウンセリング。一時間、何か明確な変化が起きたり、実践的なアドバイスを受けられたわけではない、が、気持ちが整理された感覚。受けてよかった。とはいえ、朝からナーバスになってたり、久しぶりに初対面の人と長時間しゃべったり、あとZOOMなので画面にずっと自分の顔面(さいきんまた髪を伸ばしはじめて、高三の夏休み明けの野球部員みたいになってる)が映ってるのを見ていて、なんというか疲れてしまった。

 遅い昼食のあとは一時間ほど横になって、〈大学のハラスメントを看過しない会〉のHPで公開されていた、渡部直己を被告とするセクハラ裁判の陳述書の後半を読む。渡部の悪行を綴った前半に対して、こちらはその後の大学側の対応の悪さを指摘する記述が大半で、その最初の窓口だったM教授がとりわけ槍玉に上げられている。もちろんM氏の言動はひどいものだ、が、私は在学中、彼にすごく気にかけてもらっていて、恩義を感じてもいた。私にとって良い人であっても、相手や状況によってはまずい行動をやってしまう、という、言葉にすれば当たり前のことではあるのだが。

 夕食はTwitterで見かけたレシピでボロネーゼを作る。『憧れの地に家を買おう』のLA回を観ながら食う。この番組、紹介される家はだいたいばかみたいに高い(六億円とか)ので、〈買おう〉という気分にはぜんぜんなれないのだが、その家にある、なんか天井からぶら下がった椅子とか、ビーチを走る足の短い犬とかがとても良い。〈家を買う〉というのはその土地で生活を営むということで、きっと家そのものよりそっちのほうが〈憧れ〉の暮らしには重要だ。110/591


9月22日(木)曇。朝起きて、すこし作業をして、朝食をつくる。それから散歩に出た。昨日のカウンセリングが響いていて、なんというか気楽に歩けている。

 昼休みに『見出された時 Ⅰ』を進読。「じゃあ五時に戦争の話をしにいらっしゃい」という、印象的なヴェルデュラン夫人の台詞。これは帯にも引用されていた。「それを味わうと政治的好奇心を充たすことができ、新聞で読んだ事件について仲間内で論評したいという欲求をも満足させることのできる社交的快楽である。」戦争(第一次世界大戦)にフランスも参戦している、にも関わらず彼らにとって戦争は(ドレフュス事件やシャルリュス男爵の同性愛がそうであったように)しょせん社交の具にすぎない、ということを象徴的に表した台詞で、これを帯にもってくるのはすごいセンスだ。

 語り手はふと、「考えてみると私は、この作品で採りあげられた人物たちのだれとも久しく会っていなかった」と気づく。私が今読んでいるこのテキストが、〈私〉がのちに回想しながら書いたものである、というのはすでに示されていたが、そのテキストを〈作品〉と呼んだのはこれがたぶんはじめて。当初は単に晩年の〈私〉の回想であるようにはじまった本作が、このことはいずれ明らかになるが、というように先々の展開を予告する、つまり回想の受け取り手を意識しはじめ、のちに〈作者〉〈読者〉に言及するようになり、〈この書物全体のバランスからして〉というような表現も出はじめ、読者の発言を勝手に代弁するようなことまでし、そして最終篇にいたって、自らの語りを〈作品〉と呼ぶようになった。単に文章を書くことと、それを〈作品〉という、ひとつのまとまりをもった作物として名指すことの間には大きな違いがある、と私は考えていて、この認識の変遷はとても重要なものに思える。

 そのあとちょっと散歩して、作業に戻る。夕方頃にスイッチが切れて、鈴木涼美『JJとその時代』を起読。「雑誌を発売日に書店や駅のコンビニで購入し、キャンパス内や自宅でパラパラめくって、気になったものの載ったページを折って、どれを買おうか迷いながら何度もなぞるように読み、週末に友達と待ち合わせて百貨店やファッションビルで実物を試着して、」と、九十年代の若年女性向けのファッション誌の読者の典型的な行動として描写されていて、都市部の人だなあ、となった。私の認識では、鳥取では雑誌は発売日に手に入らなかったし、ファッションビルなんて存在しなかったし、百貨店には若者が買うような服はなく、若者はジャスコで服を買っていた。私の高校の卒業アルバム(二〇〇七年度)のなかでは、いちばんイケてる女子たちがルーズソックスを履いていた。

 鈴木は当時のファッション誌は、主な読者層が実現することはほぼ不可能な消費行動を提示する、ある種のファンタジーとして消費されていた、みたいなことを書いているが、もう一つ、そもそもそういった消費の場から隔絶された地方の小都市の読者、というレイヤーがある気がする。思春期にイチマルキューに行く、という行為自体が遠く見果てぬ夢だった人々。そこをすくい取るのは東京生まれ鎌倉育ち、渋谷でギャルをやってた鈴木の仕事ではないのだが。

 雑誌というものに対する鈴木の愛着というか思い入れがすごく感じられて、ぜんぜん興味ない主題なのに楽しんで読めている。「あらゆる選択肢を与えられた現代の多くの女性たちにとって、来月どんな姿になりたいか、ゆくゆくはどんな未来を手にしたいか、という指標をひとまず与えてくれるのが雑誌だったのだとしたら、それが失われつつある今、若い女性たちは地図を持たずに荒野を歩き出さなければならないことになる。」とあり、ファッション誌の読者だったことがなく、その面白さもわかってなかった私は、これを読んでようやくそういった雑誌の効能が理解できた。

 そのあとこないだ拾った『ゴルゴ13』(文庫版が四十冊くらい捨てられていた)も起読。寝る直前にTwitterを見ると、岡藤真依さんが、十一月に新刊『あなたがわたしにくれたもの』が出るよ、とツイートしている。その第一話の試し読みも公開していて、これは読んだことあるはずなのに、気持ちを持ってかれてしまう。「様々な“ふたり”の 「最後のセックス」を綴る 狂おしいほどに切ない オムニバス、開幕。」という煽り文ですが、私はどうもこういうのほんとにだめで、単行本でまとめて読んだら一週間くらい他のことが考えられず、つかいものにならなくなる気がする。勘弁してほしい。一週間くらいつかいものにならなくなるというのは、人生で数えるほどしか経験したことがない感覚で、私にとって最大級の讃辞です。180/591


9月23日(金)じめじめした曇、雨。今日は祝日。低気圧でやや具合悪し。起きてしばらく読書して、昼過ぎにちょっと散歩。今日は仕事が捗らない日だ。

 夜は日本対アメリカを観。ワールドカップ直前に、メンバーを落としてきたとはいえ格上相手に良い試合をすると、二〇〇六年のドイツ戦を思い出してしまうな。試合会場がデュッセルドルフだったことと、この試合のスポンサーであるキリンのヨーロッパ法人がデュッセルドルフにあることは、どのくらい関係があるのかしらん。180/591


9月24日(土)雨のち曇。遅く起きて、小雨のなかを少し散歩。開店時間の三十分後くらいにスーパーに行ったら、Y1000がまだ残っていた。転売屋なんていなかったんだ。

 午後の散歩はけっこう遠く、といっても家から徒歩十五分くらいの距離なのだが、パニック障碍がひどくなって以降では相当遠くまで歩く。帰宅して良いパンなどを食い、ダラダラ読書をして早めに寝。180/591


9月25日(日)晴。ようやく良い天気。頭痛がひどい。長袖シャツにカーディガンで散歩に出たら、かなり汗をかいた。帰宅して、今日が地元紙のコラムの締め切りだったことを思い出し、頭痛を押して始業。

 ひとまず書き上げて、ゴダールが二年前、ローザンヌ州立美術学校のインスタライブでインタビューを受けていた映像を観。英語字幕がついていたのだが、知らない固有名詞も多くて半分くらいしかわからず、気がつくと寝ていた。夕方ムクリと起きて、慌ててコラムを送稿した。

 まだ頭が痛いけどプルーストを進読。サロンでの話題は戦争(戦闘)そのものというよりそれにまつわる政治が中心。戦争について話すと血なまぐさくなってしまうからな。ドイツ擁護を表明したシャルリュス男爵は新聞の時評欄で酷評、というか中傷されはじめ、彼が同性愛者であることを揶揄するような記事も多い。たいがいいやなやつではあったとはいえ、私はシャルリュスのご無体をチャーミングなものとして読んでいたので、ものがなしくなってしまう。

 夜、テレビをつけたら、女子バスケの日本対カナダの途中で、第四クォーターだけ観る。バスケについてスラムダンクしか知らないせいで、このひとはつまり宮城くん……?アーいまのスリーポイント流川くんみたい!という感想ばかりになる。そのあと、今度は女子バレーの日本対コロンビアを一セットだけ観て、眠気に耐えかねて寝。242/591


9月26日(月)快晴。今日も暑い。そういえば今年は六月からひどい暑さで、そのあといったん涼しくなってから真夏になった。夏の終わりも、一度台風や何かで秋めいたと思ったら、今日はこの暑さ。

 へんな気候だ。朝、一晩水を切ったヨーグルトを食って散歩してたら、五分くらいですごい便意。急いで帰って出すものを出し、出直して近所のスーパーへ。店を出ようとしたら、ちょうど目の前の歩道(とても狭く、すれ違うときはだいたい片方が車道に降りる)を、保育園の子供たちの行列が歩いていた。通り過ぎるまで待つか、と突っ立っていたら、引率の先生が、ありがとうございます、と言ってくれ、それを聞いた子供たちが、ありがとうございまあす!と口々に叫ぶ。あ、はい、ども、となんか恥ずかしくなってしまった。

 昨日の頭痛がまだ残ってるので、無理せずこまめに休憩しながら作業をすすめていく。二時ごろの暑い時間に散歩。体調があまりよくないわりに、発作の予兆なく歩けていたので、以前(日記を見返すと六月二十九日だった)歩いてひどいパニックになった道に入る。今日は何ということもなし。一度ひどい目にあった場所に行く、というのは、けっこう度胸のいることで、これでまた発作が起きたら目も当てられないが、上手くいけば良い成功体験になる。浮かれて遠回り(一ブロックだけ)して、汗だくで帰宅。

 夕方、だいぶ涼しくなったので外出して、オーガニックな弁当屋さんが半額になっていたのを買って夕食とした。食べながら『いいいじゅー!!』の美瑛回。四十七歳で地域おこし協力隊として美瑛に渡った人が取り上げられていた。人生いろいろ。私は十五年後どこで何をやってるのか、どこでもゴキゲンに小説を書けていたらいいな。

 そのあと、『ガイアの夜明け』の業務スーパー回。M&Aの担当部署の人が、(かなり良心的な買収をしてるみたいだし、悪いように映すはずがないんだが、それ以外にこういう仕事をしてる人の例を知らないせいで)みんな『ハゲタカ』の登場人物に見えてしまう。242/591


9月27日(火)晴のち曇。わりと早く起きた。頭痛もようやく気にならないレベルまで落ち着いている。国葬当日。Twitterで、〈むしろ国を葬れ〉というハッシュタグを見かける。国家制度そのものに反対なのか、日本という国を滅ぼすべき、という意味か。私は、国葬にはもちろん反対なのだが、日本という国自体はけっこう気に入っていて、自分がその末端にいる日本文学をはじめ、漫画や映画のようなカルチャーや、日本語という言語の複雑さなんかは悪くないと思っている。ひどいのは現政権(とその信者)だ。日本という国と自民党政権を同一視している点で、このハッシュタグは現政権の態度と一致しているのでは。なんか朝からげんなりしてしまった。

 遅めの昼休みに国葬の中継を観。菅前総理はこういうエモーショナルなスピーチが上手いな。しかし全体としては、金日成を讃えるマスゲームを観るような気持ち。葉を落とした花でチープなオブジェを作って独裁者を讃える、という点で似たようなものか。

 夕方、中国の〈高考〉(カオガオ)受験生に密着したBS1スペシャルを録画してたやつを観ていた、ら、太田靖久さんから電話。一時間くらいしゃべる。古川真人もそうだけど、下戸で出不精、趣味は読書、という私は、家族(と編集者や記者)以外との接点がほぼなく、こうやって電話をしてくれる人がいるのはすごくありがたいことだ。

 電話を終え、女子バスケのオーストラリア対日本がはじまってたので、BS1スペシャルはまた明日にして試合を観。さいしょは日本がリードしてたのが、時間が経つにしたがって押されるようになり、負け。そのあとすぐにサッカーの日本対エクアドル。シュミットのPKストップだけが見せ場。今日はテレビを観すぎていて、どうも頭がチカチカする。242/591


9月28日(水)快晴。いつの間にか寝てしまっていた。昨日のテレビ連続視聴が響いて頭が痛い。これも国葬が悪いんだ。

 すこし作業して散歩に出、また短距離で便意をもよおし、急いで帰る。ずっと家で仕事をしていると、もよおしたときすぐに出せる、みたいな環境で、便意に対する耐性が落ちているのかもしれない。

 出すものを出して始業、今書いている中篇、だいたい百五十枚くらいかな、と思っていたのだが、二百枚を超えそう。書くべきものはバッチリ決まっている、というのは、今月の上旬まで書いてた長篇(の後半部)と変わらない、が、中篇の序盤から中盤を書いている今は、情景描写とかで遊びを持たせて書いたほうがのちのち活きてくる、と経験上わかっていて、調子よく書き進めていくのも危うい。ということで(ということでもないが)いまひとつ捗らず。

 昼休みにプルースト。〈私〉とシャルリュス氏は、グラン・ブールヴァールの道を歩きながら話している。今日読んだところの最後(の数行先の記述が目に入った)、三百六ページでようやく、〈シャルリュス氏は、別れを告げながら、〉とあり、どうもまたここから描写が続きそうなのだが、遡ってみると二人がグラン・ブールヴァールでばったり会ったのは百九十八ページで、昨日読んだところだ。ということはこの二人はばったり会ってから百数十ページ、私にとっては三日にわたって、道を歩きながらだべっていたのだ。私の書く小説が最近、今月送稿した長篇は七百八十枚、今書いてる中篇も当初の予定より長くなりそう、なのは、プルーストのこの書きようのせいなのでは……? もちろん、ただ歩いて会話してる描写だけではなく、その会話から導かれる回想、が本作の記述の要諦だし、私の作品が肥大化するのは大学文芸部時代からの癖でもあって、何かこう不満があるわけではないです。

 語り手は、ヴェルデュラン夫人が夜会で、ブリショの文章を腐していたのを思い出している。噂と陰口が社交界の華だ。そういえば、私は昨日、中篇に、「いちばん盛り上がる旅の話題は他人の陰口だ。」という一文を書きつけたのだが、あれはプルーストの描く社交界の底意地の悪さが響いた記述だったかもしれないな。

 シャルリュス氏は戦争を語ってこう言う。「私がフランスのために怖れているのは、ドイツというよりも、むしろ戦争そのものだ。銃後の輩は、戦争をたんに大掛かりなボクシングの試合のようなものと想像して、新聞のおかげでそれを遠くから観戦しているつもりでいる。だが戦争とはそんなもんじゃない。それは一種の病気なんだ、ある箇所で払いのけたように見えても、べつの箇所でぶり返す。きょうノワイヨンが解放されても、あすにはパンもココアもなくなっているかもしれず、あさってには、自分は安心だと想いこんで想像もつかぬままいざとなれば砲火も辞さずと考えていた男が、新聞で自分と同じ世代が招集されると知って恐慌をきたすだろう。由緒ある建造物について言えば、ランスの大聖堂のような質において唯一無二の傑作が消滅しても、べつに私は動転などしない。むしろ狼狽するのは、フランスのどれほど小さな村をも魅力的で学ぶべきものにしている無数の建物が消滅するのを見るときですよ。」とりわけ末尾の一文が達見だ。大聖堂は再建しうるが、庶民の生活はそうではない。たとえば、と考えるのは今ウクライナで行われている戦争で、しかしこういう記述を現在の世相に重ねて感じ入るのは安易な感じがするな。

 一時間ほど読み、散歩に出る。あまり通ったことのない路地から路地へ、二十分ほどウロウロしてから家のちかくの公園に入り、サッカーボールを蹴る小学生の声を聞きながらちょっとプルースト。記述といえば本作、訳註ではよく、〈これまでの物語では報告されなかった名前〉とか〈〜〜は、ここではじめて報告される事実〉とか、その事物が本文に登場することを〈報告〉という言葉で表現している。私の言語感覚では、フィクションの記述なら〈描写〉とか〈言及〉という言葉をつかって、〈報告〉をつかうのはルポルタージュやドキュメンタリーのようなノンフィクションの文章だ。〈〜〜は、すでに語られていた〉というような註もあるから、訳者なりの使い分けがあるのだろう。

 もう九月も終わりちかいのに、十分ほどで三ヶ所も蚊に刺され、小学生たちがなんか二対二の試合をはじめてボールが飛んできそうにもなって、あえなく退散。気分転換にはなった。

 午後の作業を終えて夕方、オーガニックな弁当屋で半額になってたのを買う(私は半額になったときしかこの店の弁当を買わない、ひとつ千三百円とかするので……)。食べながら〈高考〉の番組を最後まで観、録画してた『ガイアの夜明け』のスイーツ回。シャトレーゼのツアーが楽しそう。そのあと、女子バレーワールドカップの日中戦。体格差がすごい。306/591


9月29日(木)曇。昨夜なんだか眠れず、遅くまで起きていた。三時間ほどで目覚め、やや眠気はあったが机に就いて始業。十枚以内の掌篇、という依頼。一筆書きするくらいがちょうどいい感じだったのだが、けっきょく二、三日かけてしまった。

 脱稿して散歩、セブンでチンする肉うどんを買う。今日は瀬戸内国際芸術祭の秋会期の初日。私は香川県の高見島で展示されているEri HayashiのThe Waiting Pointにテキストを提供した。Hayashiのコンセプトに合わせて小説を書いて、それが彼女の作品のなかに組み込まれている。こういうタイプの仕事ははじめてで、どういう風に読まれるのかぜんぜんわからず、なんか緊張する。

 吉田恭大も同じ依頼を受けていて、文學界と文藝春秋と日本海新聞につづいて、私たちが同じ媒体に載るのはここ二年で四度目。文學界のときは感無量だったし、今回もけっこう楽しかったのだが、さすがにちょっと共演が多すぎやしないか。こういうのは十年に一回くらいでいいんですよ。とはいえ、次が十年後、というのもなんか寂しいか。

 ひとしきり作業をして、昼休みに肉うどんを食ったところ、けっこう脂が多く、胃もたれしてしまう。高校生のころはこんなのペロッと食って、すぐ運動したりしてたのになあ、と思ったが、高校生のころはもう十五年も昔なのだ。床で伏せって、二時間ほど棒に振る。

 それからムクリと起き、夕方までセッセと作業して、夜は中華風のパスタ。安順の市場のスパイスが美味すぎて、油断するとすぐ似たようなものばかり作ってしまう。食べながら録画してた『世界さまぁ〜リゾート』の熱海回を観、それから女子バスケワールドカップの準々決勝、オーストラリア対ベルギー戦。

 ここ最近立て続けに(二、三試合)バスケを観てきて、ちょっとずつルールが頭に入ってきて、がぜん面白くなってきた。高二の球技大会のとき雨でサッカーができず、数合わせでバスケをやることになり、しかし私のクラスだけバスケ部が一人もいないせいで全チームが私たちとの試合で得点を稼ぎにきて、けっこうなラフプレーをかまされた(十数年経ってようやく把握したルールで考えるとあれはほとんど反則だったようにも思うが、よほど上手くやってたのか、審判もバスケ部員がやってたから、チームメイトにファールを宣告しづらかったのかもしれない)のが響いて観るのもいやだったのだが、改めて一視聴者として観るととても楽しい。そもそも世界最高峰の試合がつまらんはずがないのだ。306/591


9月30(金)晴。カウンセリング以来メンタルの調子が良い。今日は引っ越してきて五年ではじめての路地を歩く。徒歩五分圏内で生活していたのが、最近十分圏内に広がって、そのぶん入れる路地も増えた感じ。帰って午前の作業をやって、昼ごろにまた散歩。炎天下、といいたいくらいの日射しのなかを、朝よりさらに遠くまで。ただ歩くこと、によるパニック発作は、かなり減退してきた。といっても手汗は出るし、徒歩十分程度の距離では治ったとはいえないが……。

 帰宅して冷房をつけ、半裸になってプルースト。語り手、迷い込んだ男娼窟で、シャルリュス男爵が若い男に罵られながら鋭い鋲のついた鞭で打たれ、血まみれで喜んでるところを覗き見てしまう。

 男爵には被虐の性癖があり、それも演技ではなく、心底からの残忍さによっていたぶられたい、という欲求があるという。そもそもこの男娼窟は、シャルリュスが執事に命じて買わせ、(かつてシャルリュスとめちゃくちゃセックスしてたのを語り手が盗み聞きした)ジュピアンに経営を任せていたものだという。シャルリュス氏はジュピアンに集めさせた若者たちに五万フラン(現在の一万五千円に相当)を渡して鞭打ってもらってるらしく、しかし、年老いた貴族を罵りながら鞭で打つ報酬として、それは高いのか安いのか……。

 本巻、とにかくシャルリュスの凋落ぶりを容赦なく描いていて、あのチャーミングな狼藉者がこんなになっちゃって、と寂しい感じもするのだが、男娼靴のロビーで若者を品定めしながら、「なんてきれいなかわいい目をしていることか! さあ、いい子だ、労をねぎらって、でっかいキスをふたつしてやろう。塹壕のなかでも俺のことを思うんだぞ」と言うのは、やっぱり可愛らしいよなあ。

 語り手が男娼窟を出てすぐ、ドイツ軍の空襲がはじまる。これはどのくらい実体験に基づいた描写なのかしらん。

 語り手は女中のフランソワーズについて考えたあと、〈ところで〉とやや強引に彼女の親戚の善行を描写してから、こう強調する。「この本には虚構でないことがらはひとつもなく、「実在の人をモデルとする」人物はひとりも存在せず、すべては私が述作の必要に応じて創りだしたものであるが、身寄りのない姪の手助けをするために隠遁の地から出てきたフランソワーズの大金持の親戚一家だけは実在する存命の人物であることを、わが国の名誉のために言っておかなければならない。」

 これはちゃぶ台返しというか、ここまで私は本作を、フィクションを多分にふくみながらもプルーストの人生を反映させた小説として読んでいたし、註でも、たとえばアルベルチーヌのモデルであるアルフレッド・アゴスチネリは、みたいなことを書いてあったのに、その読みかたを真っ向から否定されたかんじ。

 この記述の前後は過剰に愛国的というか、大政翼賛会にでも入ったんかと思うくらい〈フランス〉という言葉が繰り返しつかわれていて、それにもけっこうびっくりする。それが戦争中の雰囲気、ということか。プルーストがこの一節をいつ書いたかはわからないが、一巻が刊行されたあと(本作、一巻が一九一三年に出版された翌年に第一次世界大戦がはじまったせいで刊行が中断し、二巻は戦争終結後の一九一九年に出たらしい)だとしたら、読者の反応(勘ぐり)に思うところがあったのだろうか。

 ここの註では、この〈一家〉に宛てたプルーストの書簡十数通のなかでは〈本文で記されたようなできごとは報告されていない〉とあって、フランス礼讃の記述とあわせて、嘘だからこそここまで強調してるのだろうか。

 そしてサン=ルーが、退却する部下を掩護して戦死した、との報せ。喪失感に涙を流すまで丸一年かかった祖母や、延々と否認しつづけたアルベルチーヌの死と違い、ここではめちゃくちゃ素直に、友人を亡くした悲しみが綴られている。

 午後の作業はあまり捗らず。生クリームが半額になっていたので夜はパスタにする。食べながらNBAのプレシーズンマッチ、ウィザーズ対ウォリアーズ。最近女子の試合を立て続けに観て、それから男子のを観ると、なんというか当たりが激しい。サッカーほどではないですが……。402/591


10月1日(土)快晴、十月になったのにまだ暑い。北海道では午前のうちに三十度を超えたそうで、十月の真夏日は観測史上はじめてのことらしい。私が暮らしていた七年間(二〇〇八年四月〜二〇一五年二月)でも、年々暑さが増しているのを感じたものだったが、あれから七年経ってさらに暑くなったのかな。

 散歩コースにある小学校で、近所の保育園の運動会をやるらしく、十数組の子供連れとすれ違う。私は今の家に引っ越してそろそろ五年になるので、ということは、みんなこの辺に住んでいるのだろうあの子たちのほとんどは、私のご近所さんとして生まれたのか。三歳で神戸から鳥取に引っ越した私のように、違う土地から来た子もいるかもしれないが。

 今日は半休日で、午前中だけ作業する。昼にセブンのチンする塩ラーメンを食ってプルーストを進読。パリを離れた語り手は、〈多くの歳月〉を療養所で過ごす。パリに戻る列車のなかで、〈私〉はいきなり、自分の文学的才能の欠如を自覚する。

「「木々よ」と私は考えた、「きみたちはもうぼくに語るべきものをなにひとつ持っていない、冷えきったぼくの心にはきみたちの声が聞こえてこない。ぼくはこうして自然のただなかにいる、なのにぼくの目は、きみたちの光かがやく上の部分と影になった幹とを隔てる線を冷ややかに退屈して見つめるだけだ」」、と彼は考えていて、ここでは文学的才能というのは、事物に心震わせる感受性のことを指しているらしい。

 しかしここまで長く読ませときながら、そしてそれが〈虚構〉の、〈述作の必要に応じて創りだしたものであ〉り、〈本〉として刊行され、〈読者〉の反響を呼んだ〈作品〉だ、ということを繰り返し確認しておきながら、自分の素質をおとしめてみせる、というのは、これはちょっと不誠実なんじゃないでしょうか、と感じるのは、私が、本作は二十世紀の最高傑作だ、という評価が定着したあとの読者だからだろうか。

 しばらくあとで、語り手はゲルマントの屋敷の入口でよろめき、高さのちがうふたつの敷石を踏む。その瞬間、一巻冒頭のマドレーヌのように、無意志的記憶が蘇る。本作はこの無意志的記憶の奔出によってはじまり、終盤にいたって、再び同様の想起の様式が、敷石にはじまって三度繰り返された。自分には〈文学的才能〉がない、と痛感した直後に、この(本作に特徴的な)記憶の連鎖が起きる、というのは、事物に対する感受性、という既存の素質の形態ではない、独自の文学的主題に到達した瞬間として描かれている、ということだろうか。今はまだ、そこまで明確に自覚されてはいない。

 語り手は勢い余って、社交や友情から得られる喜びを〈不快感〉〈見せかけ〉と断じ、こう考える。「友人と一時間のおしゃべりをするために一時間の仕事を犠牲にする芸術家は、実在しないもののためにひとつの存在を犠牲にしていることを知るからである((…)明晰な頭の片隅では、これは狂人が家具を生きものだと信じて家具とおしゃべりをするにも等しい過ちであると心得ている)。」」あるいはこの語り手は、芸術家の〈責務〉の第一は、〈未知の表象で記された内的な書物〉を解読することである、として、ほかの〈責務〉(ドレフュス事件や戦争のような、〈正義の勝利を確かなものにしたり民族の精神的統一をとり戻したりすること〉)にコミットする作家は、〈才能、つまり本能を持っていなかったか、もはやそれを失ってい〉るのだ、とまでいう。言ってることはめちゃわかるんですが、ちょっと文学を特権化して意気込みすぎてやしないか。

 でも、この〈内的な書物〉という考えかたは面白い。「われわれは芸術作品を前にしていささかも自由ではなく、芸術作品は自分の好みどおりにつくるものではなく、われわれに先だって存在する必然的であると同時に隠されたものであるから、われわれはそれを自然の法則を発見するように発見しなければならない」。「本質的な書物、唯一の真正な書物はすでにわれわれひとりひとりのうちに存在しているのだから、それを大作家はふつうの意味でなんら発明する必要がなく、ただそれを翻訳すればいいのだということに、私は気づいたはずである。作家の義務と責務は、翻訳者のそれなのである。」古井由吉も対談のなかで、小説家である自身を翻訳者になぞらえていた。自分で何かを〈創作〉している感覚はない、と。古井がその話をしてたときの文脈をよく憶えていないのだが、プルーストに言及してたかしら、ぜんぜん思い出せない。ともあれ、語り手は、〈この日までの私の全生涯〉を素材として作品を書くことを、〈天職〉という言葉を使って考える。ちょっと前までは自分の文学的天分の欠如に打ちひしがれてたのにねえ。

 午後、女子バスケワールドカップ決勝のアメリカ対中国。スクリーン、という、味方選手のドリブルのルートを空けるために相手選手の進行方向に立ちふさがる(しかし敵の身体に対してアクションするのは反則だからぶつかる寸前に動きを止める)、という技術が面白くて、そこばかり注目してしまう。私がいちばんよく観るスポーツはサッカーで、サッカーはバスケとは比べものにならないほどフィジカルコンタクトが激しい(バスケではシュートする選手の腕や身体に手をかけたら即反則、みたいな感じなのに対して、サッカーではシュートする選手にタックルして〈潰す〉ことが推奨される)けど、攻撃側の選手が、ボールに関係ない場所で意図的に守備者の進路を妨害する、というのは、寸前で止まろうとどうしようとファールになる。身体をぶつけることへの意識、が、スクリーンという一点において(だけ)逆転している。

 そのあと札幌対川崎を前半途中から観、録画してた『憧れの地に家を買おう』も観、気がつくと五時間くらいテレビを観てしまう。テレビっ子かよ。505/591


10月2日(日)快晴。近所のケーキ屋さんが、今日は全品半額という暴挙をやる、ということで、九時半オープンのところを十時前に家を出る。いつもだいたい暇そうだし大丈夫やろ、と思っていたのだが、開店三十分ほど経ってるのに五十人くらいの列。とりあえず並ぶ。私の後ろに並んだおねいさんが気さくな人で、この店いつもこんなに混んでないのにねえ、いやあこのへんにこんなに若者がいるとは、ほら現金払いできないでしょうこの店、そいでこの地域お年寄り多いからカードとかペーペー?みたいなのとか苦手なんじゃないかしら、とおしゃべり。

 さらに後ろに並んできた人ともちょっと話し、しかしケーキだけなら箱に入れるだけでいいのだが、スムージーやクレープも半額になってるもんだからめちゃ時間がかかり、十分ほどで二、三組しか捌けていない。諦めて離脱。

 メンタルクリニックで「パニック障碍の人って行列に並ぶだけで発作が起きたりしますよね」と言われて以来、ひどいときはレジの列ですら発作が起きていたのだが、今日は何ごともなかった。それから二十分くらい散歩、ファミマのドリアを買った。

 半日作業してプルースト。語り手の文学論の開陳がつづく。「ひとりひとりの読者は、本を読んでいるときには自分自身の読者なのである。作者の書いた本は、それなくしては読者が自分自身のうちに見ることのできないものを識別できるよう、作家が読者に提供する一種の光学器械にほかならない。書物の語っていることを読者が自分自身の内部に認めるという事実は、その書物が真実を語っている証拠であろう。」それはそのとおりですね。このパート(百ページくらいある)は金言が多すぎて息苦しいくらいだ。

 本文を読了して、そのあとはプルーストでない読書をしたり、NBAのプレシーズンマッチ第二戦を観たり、夕食に中華風パスタ(最近こればっかり!)を食いながら日曜美術館の勅使河原三郎回(スタジオでのトークがなく、ドキュメンタリーみたいだった)を観たり。夜は早く寝てしまう。テレビを観ると眠くなるな。538/591


10月3日(月)曇りがちの晴。朝の散歩中、家を出てまだ五分くらいのところで突然の便意。最近散歩中に便意に襲われることが多いな、と思ったが、そもそも最近散歩以外の外出をしていないのだった。逃げ帰って出すものを出し、また散歩に出る。

 ややタフな頭痛で、今日の作業はあまり捗らず。とはいえ、頭痛がつらいと感じるのは、あまりメンタルの(パニック性の)不調がない、ということ。昼は安くなってた惣菜を食う。

 それからプルーストの訳者あとがき。一巻の冒頭で〈私〉は、不眠の夜に、自分がこれまでに過ごしてきたさまざまな部屋のことを回想して、この長い長い小説を語り出す。その不眠の夜がいつのことだったのか、本文中には明記されていないが、訳者は本巻の、療養所で過ごした〈多くの歳月〉のなかに位置づけられるのではないか、という説を提唱していて、説得力がある。その点で訳者は、(本訳の主たる底本である)プレイヤッド版の編集に批判を向けている。著者の死によって校正中のまま残された作品とはいえ、依拠する先の刊本を批判する、というのは、かなり確信がないとできないことだ。すごいなあ。

 夜、さつまいもをふかしたり、買ってから時間の経った野菜をまとめてトマト缶でグツグツしたりして、『ブリティッシュ・ベイク・オフ』のセミファイナルを観ながら食べる。ここまで来るとどのベイカーにも愛着が湧いて、次回はもうジャネット(の顔芸)が観られないのか!と寂しくなってしまった。591/591


10月4日(火)快晴。朝、昨日の芋ののこりでパスタをつくって食い、腹いっぱいになる。いい天気だけど一日散歩せずに作業。火曜日は散歩しないことが多いな。

 冷蔵庫の食材が残りすくなくなってきていて、夜はまとめて炒飯とした。『いいいじゅー!!』の西伊豆回と『憧れの地に家を買おう』の南仏回。私は陸上競技をやってたのに日本陸上界のレジェンドの一人である武井壮が苦手で、それは彼の徹底した言葉の軽さがどうにも受け入れがたいのだ、と、この番組(MC以外は好き)を観るようになってわかってきた。〈ガチで家探し中の武井壮〉に各地で売り出し中の高級住宅を紹介する、という内容なのだが、武井は毎回「おれまじで!ここ行くから」「この家ほんっとに住みたい!」「おれ、まじで!ここ問い合わせします」と叫んでいて、彼が〈まじで〉〈ほんとに〉を多用するほどに、その言葉が軽薄に響く。あれだけたくさん番組に出ていて、言葉ではなく主に肉体(の強靱さ)を売りに現在の地位までのし上がった人なのだから、その言葉の軽薄さ、をあげつらっても意味はなく、単に私と相性が悪いだけなのだが。

 あと武井壮、意味のない繰り返しが多い。「うわすごい!すっごい!すげえなーこれ!」とか、「住みてーなここ!まじで住みたい、まじで!住みたい!」みたいな、文字にするとばかみたいですが、もちろん声量や抑揚をコントロールすることで感情を乗せている、にも関わらず、そもそもの言葉の軽さもあって、何らかの意味を持った言葉として聞こえず、筋肉質の男がなんか叫んでる、みたいになってしまう。

 しかしこうやって台詞を書き出してみて気づいたのだが、小説に武井的な人間を登場させるのって難しそうだな。武井的な発話を描写するとどうにも白々しい感じになってしまう。彼の言葉のつかいかたが苦手な私の文章のなかに置いてるからそうなるのだろうか。257/591


10月5日(水)雨。久しぶりに天気が悪い。低気圧でやや具合悪し。朝はまだ傘がいらない程度で、いつも通りに散歩。ハーゲンダッツの期間限定のやつを買って帰り、始業。しかし頭の働きは不調で、捗らず。

 早めの昼食として安くなってた惣菜を食って、プルーストを三時間ちょい。そのあとは体調が回復して、原稿もわりと捗った。この中篇、誕生日(十月十四日)あたりにひとまず書き上げたいと思ってるのだが、プルースト文章や日記の加工や地元紙のコラムもあるし、どうなることか。

 夕方、雨が弱まったのでまた散歩。雨の緑道は気持ちいいな。雨の日はだいたい具合が悪く、家にいてもしんどい、みたいなことが多かったから、こうやって、すぐ近所とはいえ外を歩いていて気持ちが良い、と感じられるのはうれしいことだ。

 帰宅してもうちょっと書き進め、夜はオムライスをつくる。『ブリティッシュ・ベイク・オフ』のなかで、課題としてクロワッサンを作るとき、包装から出したバターを塊まるごとつかっていて、こんなにつかっていいの!と衝撃を受けたので、私も卵を焼くときに、ちょっと不安になるくらい(いつもの四倍くらい)バターをつかったところ、めちゃ美味くなった。脂質はパワーだ。

 食べながら天皇杯の準決勝、京都対広島。京都はむかし、私がサッカー部員だったころ、年に一試合くらい鳥取でホームゲームをやってたから、どちらかというと京都に肩入れして観たのだが、延長戦まで戦って、一対二で敗戦。直前にやってたもう一試合(甲府対鹿島、私は最後の数分だけ観た)で甲府が勝ったから、母の地元である甲府と、私が小さいころ応援してた京都で決勝、ということになったら面白かったのだが。しかし甲府、今シーズンはJ2でも下位に沈んでいて、そんなチームが天皇杯の決勝を戦う、というのは面白いですね。なんとかJ2に踏ん張ってほしい、と思いつつ、三部リーグのチームが日本代表としてACLに出る、というのもいっぺん観てみたいような。決勝は十月十六日。どちらもバンバってください。448/591


10月6日(木)雨。ちょっと前までは十月なのに暑いな!と思っていたのに、今日は十月なのに寒いな!となっている。最近、便意への耐性をつよめるために、多少の便意ではトイレに行かないようにしているのだが、今朝はちょっとやりすぎて、散歩に出た瞬間からトイレに行きたい。すぐに引き返して用を足し、なんでおれはこんなことを……?と虚無的な気持ちになる。

 帰宅して『見出された時 Ⅰ』の本文を読了、プルースト文章を起筆。ぐいぐい書いて、夜に脱稿。明日まで寝かせる。

 午後、吉田恭大がEri Hayashiの作品を観に高見島に行っていて、三人のトークルームに写真やレポを送ってきていた。おれも行きたいな。

 夕食は親子丼を作り、食いながら夜のニュース。ノーベル文学賞のアニー・エルノー、高校生のころに『シンプルな情熱』を読んで、あんまりよくわからなかった記憶がある。作者の私性とむすびつけずに読んだからだろうか。538/591


10月7日(金)雨。朝はまだ小雨で、傘もささずに散歩する。小雨とはいえけっこう濡れて帰り、洗濯機を回して始業。

 作業するうちに窓に雨が当たる音が大きくなって、昼には外出をためらうほどになった。今日はちょうど各文芸誌の発売日で、『群像』は(いつもどおり)ポストに入らなかったから配達員が玄関口まで持ってきてくれたのだが、封筒をビニール袋に入れた状態で渡された。雑誌は封筒の一部を開けて中身が見えるようにしないといけないから、濡れないようにしてくれたのだろうか。そのすぐあとで、去年ふるさと納税で寄附した長野・豊丘村から、返礼品の良いりんごが届く。今日はけっこうな雨なのに、文芸誌やりんごや、いろいろ届く日だ。

 夕方、雨が弱くなった隙を突いて外出して、食材を買い、卵を茹でる。夜は半額になってたオーガニック弁当を食いながら、Bリーグの東京対千葉。NBAよりよっぽど当たりが激しい。


10月8日(土)曇、昼間はすこし晴。朝、ひさしぶりに五時ごろに起きる。すこし作業したあとは読書日として、まずは『平櫛田中回顧談』。木彫家の平櫛田中、百歳の誕生日に三十年分の木工材料を買い込み、それを横溝正史が讃えてた、ということしか知らなかったのだが、レジェンドの昔話という感じで興味深かった。岡倉天心と横山大観の恋のさや当て!

 本書は田中さんが九十代半ばのときに録音した聞き書きが、公表されないまま塩漬けになっていたのを、今年の生誕百五十周年を記念して刊行されたもの。田中は揮毫を頼まれるとよく「不老 六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」(これはWikipediaからの引用)と書いてたそうで、してみると、来週三十三歳のおれはまだまだ乳飲み子みたいなもんだ。まだ〈おとこざかり〉を迎えてもいない田中さんが現在の自分の年齢にまったく言及していないのが、ほんとに自分を若造だと思ってる感じがして、なんか気持ち良かった。

 昼にケーキなどを食い、『文學界』に載ってた蓮實重彦のゴダール追悼文がすごく良い、と聞いたので読む。ほかの誰も知らない逸話、蓮實一流の皮肉とチープさ、そしてとつぜん顔を出す卓抜な批評。すごく良い……。

 そのあと一時間くらい散歩。一時間くらい外出している、というのは、もう半年ぶりくらいなのではないか。パニック障碍で外出自体に忌避感を抱くようになってしまったが、私は元来散歩が好きなのだ。かつての通勤路を歩いて、猫のいる家の前を通ったら、窓から外に向けて下げている猫の似顔絵の札が一枚増えていた。

 帰って人心地ついてから、おやつを食いながら横浜対ガンバ大阪。しばらく見ないうちに仲川輝人の髪がたいへんなことになっている。


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