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黄色い本 2024.1.23~2024.3.31

1月23日(火)晴。琉球ゴールデンキングスの今村佳太選手が夢に出てきた。私は河川敷(たぶん高校の山岳部時代に歩いた中国山地の)におり、どこかの大学のゼミの一員として、教授の指示のもと作業をしていた。バケツくらいの大きさの円筒形の枠の中に、石をハンマーで砕いたもの、土、水、それと何かの薬品をミルフィーユ状に何層にも重ね、密閉して五百年置いておくと宝石になる、という実験。教授は、結果が出るころにはぼくは生きてないだろうから、宝石ができたら墓前に供えてくれよな、とリアクションの取りづらい軽口を叩く。枠を作り、水も薬品も測り終えたところで、石が硬すぎてハンマーを振るってもまったく砕けず、私たちは途方に暮れていた。

 そこへ通りがかったのがロードワーク中の今村さんだった。私は氏のことを、琉球の今村選手だ、と思うと同時に、大学の友人だとも認識していて、彼を追いかけて走りながら状況を説明して、手伝ってくれ、と頼んだ。しょうがねえなあ、と氏は引き返し、河川敷に駆け下りてハンマーを振るった。石は私たちがあんなに難渋していたのが嘘みたいに呆気なく砕けた。ほらよ、とハンマーをその場に放り、今村さんはロードワークに戻る。ありがとう!と言いながら私は後を追う、が、さすがにトップアスリートだけあって、彼の背中はぐんぐん遠くなっていく。そういう夢。

 五百年、というのがいいじゃないですか。たぶん昨日読んだ、アリゾナ大学の研究者の、露光時間一〇〇〇年という特殊なピンホールカメラを開発して、一〇〇〇年間の街の変化を一枚の写真に収める、という試みについてのニュースが響いているのだろう。あとはここ半年めちゃバスケを観ていることや、こないだ読んだ『ゴルゴ13』の「死闘 ダイヤ・カット・ダイヤ」(文庫版五十二巻所収)とか。

「死闘」は、ゴルゴが一〇五〇カラットの巨大ダイヤモンドを狙撃して砕くよう依頼される話。しかし、きわめて硬度の高いダイヤはふつうなら銃弾で砕くことなんてできない。ゴルゴは依頼を遂行するために、熟練の職人に会いに行く。職人は、「ダイヤが石として有する、たった一つの結晶方向、すなわち分子凝縮力の最も弱い箇所に、のみを入れると……硬いダイヤも自在にカットできる……」と言い、鑿の一撃で七十カラットのダイヤを粉砕してみせた。そしてゴルゴは標的のダイヤを、道路を挟んだ反対側のビルの屋上から狙い、見事に一撃で砕いた。今村さんもきっと、あの石の〈分子凝縮力の最も弱い箇所〉を一目で見抜いたのだろう。

 高野文子『黄色い本』を読む。学部生のときに授業で読んで、主人公が『チボー家の人々』の登場人物たちの前で演説してる場面、しか憶えてなかった。高校生活最後の日々に『チボー家』を読む主人公・実地子の日常。私が憶えていたように、実地子が生活する現実と、ジャック・チボーたちが〈革命〉を論じ合う空間が地続きにつながっていて、実地子は極東の同志として彼らの議論に参加する。その虚実の入り交じりかた、をたしか准教授は高く評価していた。考えてみれば当時の私は実地子より二、三歳年長だったのに、彼女のことを、高校の先輩を見るような目で読んでいたような気がするな。

 本を開いたまま寝てしまい、母親が栞紐を挟まずに閉じたせいでどこまで読んだかわからなくなった実地子は、友人との会話のなかでこういう風に言う。

 

紐はさまねで 閉じたので どこまで読んだか わからのなった

ここは読んだみてえな まだみてえなと思いなが ら読む

三日ぐれえたってから ああ ここは読んだん だったと気づく

 

 友人は「ひでえ読書だなあ」と笑っているが、いい読書ですよこれは。良い本を、自分の人生の転機と重ねられるほどの読書を、しかし読んだそばから忘れて出会いなおす。うらやましいな。

 そのあとはもくもく作業。短篇を夕方までに四、五枚進める。まだ手探りで書いている。

 夜、『ヤンキー君と科学ごはん』で紹介されていた、マスカルポーネとブルーチーズを混ぜてアルフォートに載せたもの、で腹の虫をおさえておでんを作り、録画してたものを観ながら食う。そのあとは読書を、眠くなるまで。執筆の流れが悪いときはもりもり読むのだ。

 

1月24日(水)晴。半療養日。原稿を見直しつつ、明日締切の地元紙のコラムの算段をしつつ、しんどくなったら休む。

 昼食にレトルトの参鶏湯を食って、マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』を起読。新書版の白水Uブックス(全十三巻)ではなく、せっかくなので実地子が読んでたのと同じ白水社の黄色い本(全五巻)で。

 チボー氏は社会的地位のある人間で、その長男のアントワーヌは医者、次男のジャックはまだ中学生だけど不良、母親は不在。冒頭から、チボー氏は失踪したジャックに怒り狂っている。ジャックは友人のダニエルと交わした手紙が〈きわめて特別なちょうしで書かれ〉ていることを教師に見つかり、退学処分を突きつけられて二人で出奔したのだそう。チボー家はカトリック、ダニエルの家はプロテスタントで、その対立、というか、チボー氏がダニエルの家をとにかく見下してるかんじ、もちょっと描かれている。

 ここまでは怒り続けてるチボー氏がとにかく魅力的で、「アントワーヌ……今夜そばにいてもらえてありがたいよ」と〈チボー氏は、──おそらく生まれてはじめて──息子の脇の下に自分の腕をすべりこませながらつぶやいた〉という描写なんかは、ちょっと気弱なシャルリュス氏みたいなかんじ。シャルリュス氏といえば、『チボー家』の一巻はプルーストが没した一九二二年の刊行だ。著者はプルーストの十歳年下。ほぼ同時代なんだよな。ダニエルの母・フォンタナン夫人が、息子の帰りが遅いことにやきもきする場面、の記述が良かった。

 

 夜もふけていた。フォンタナン夫人は、息子が帰ってきたら聞こえるようにと、廊下のドアを細めにあけたまま、安楽椅子に腰をおろした。

 夜はすっかりすぎて行った。そうして朝が来た。

 

 の簡潔な焦燥感。『チボー家の人々』、まだ最初の二十ページ弱を読んだだけですが、どうやら楽しめそう。

 夜、男子バスケ・イーストアジアスーパーリーグの琉球対台北を観。琉球が勝ち、これでグループステージ三勝三敗、準決勝進出は他会場の結果次第。32/357

 

1月25日(木)快晴。昨夜は十一時に寝、一時過ぎに目が覚めてそのまま眠れず、コラムを書いて五時前に寝直して八時に起きた、ので、五時間は寝たのか。

 今日はもうコラムを書いたので勝ち確定の日!ということで、無理せず作業。昨日と同様、しんどくなったら休みつつ、ゆっくりと。

 昼休みに黄色い本を進読。二人で出奔したジャックとダニエル(と書くとウイスキーみたい)は帰ってこず。フォンタナン家の妹ジェンニーが脳膜炎で苦しんでいる。浮気性のフォンタナン氏は他の女の家にいる。夫人は浮気相手を頼って夫に手紙を出したり、旧知の牧師に「おあきらめなさい! あきらめは、あの酵母とおなじものなのです。酵母が麦粉を発酵させるように、あきらめは、悪しき考えを発酵させ、《善》をふくらせてくれるのです!」と言われたり、大変そう。この時代の医療事情はよくわからないが、『失われた時を求めて』では語り手の祖母はじゅうぶんな医療を受けられていた気がする(プルーストの筆は祖母の臨終の床を囲む人々の滑稽さに費やされていたが)。牧師はさらに、「主よ、もしあなたにしてお望みでしたら、娘を召させたまえ。母はあきらめております。母はおまかせ申しております! もしあなたにしてその息子をも望ませたもうのでしたら(…)どうかそれをも召させたまえ! ふたたび母のもとに立ち帰らせたもうことなかれ!(…)しかも、夫までもと望みたもうならば、なにとぞこれをも召させたまえ!」とフォンタナン家の人々を(勝手に)神に捧げていく。あまりにも勢いが良くてギャグっぽく見える、というか、これも風刺なのだろう。けっきょくジェンニーは持ち直した。

 次の節で、ジャックとダニエルが交わしていた手紙〈灰色のノート〉の中身が示される。〈けっしてぼくを捨てないで!/そして、ぼくらふたり、お互い同士/ぼくらの愛/の燃える相手であることを、未来永劫おぼえていよう〉(ジャック)とか、〈きみこそは、ぼくのため、この荒涼たる地上にひらいてくれたばらの花。どうかなつかしいきみの胸の底深く、ぼくの暗い悲しみを埋めてくれ!〉(ダニエル)とか、〈苦しみ、愛し、希望するために生まれたぼくは、希望し、愛し、苦しんでいる! ぼくの一生の物語は二行に要約される。ぼくを生かすものは愛。そしてぼくには、ただひとつの愛しかない、それはきみだ!〉(ジャック)とか。しかしこれを読んで、BLだッ!と思ってしまったのだが、そうやって既存の枠組みに安易に入れ込んで読むのはあんまり良くない。これはジャックとダニエルの愛。それだけでいい。

 午後の散歩も短距離。風はあったが日向に出れば気持ちが良かった。そのあともどうにも捗らず、ちょっと刺激を入れよう、とバルガス=リョサ「子犬たち」を読んだ、ら閃いて、一人称複数で書いていた短篇を二人称複数に変えてみた。うまく流れはじめる。とはいえまだ冒頭なので、今後なにか無理が出てくるかもしれない。64/357

 

1月26日(金)快晴。散歩して、スーパーで鱈が半額になってたのを買い、今日も無理せず始業。あまり頭回らず、捗らず。それでもじわじわ進めていく。

 昼休みに黄色い本を進読。ジャックとダニエルは家出先のマルセイユで捕まりそうになって散り散りに。ジャックは河岸の貨物置場で、ダニエルは声をかけてきた女に拾われて一夜を過ごし、目が覚めてから、おそらく彼にとっては生まれてはじめてセックスをした。翌朝再会したときダニエルは、自分もベンチの上で夜を明かしたんだ、と嘘をつく。つよい愛でむすばれていた二人の心がズレはじめる瞬間。けっきょく二人は憲兵に捕まり、パリに送り返された。

 フォンタナン氏も妻からの手紙を読んで帰宅。一命を取り留めて眠るジェンニーを見て「やせはしたが、それもかえってよかったくらいだ。まえよりずっときれいになってはいないかな?」とか、心労でやつれた妻に「やあ、テレーズ、おまえ、髪がまっ白になっちゃったな?」とか言っちゃう。たまりかねた夫人は氏を追い出す。そのあとの描写が良かった。

 

 ドアがしまった。いま、フォンタナン夫人はひとりきりだった。彼女はひたいをかまちにあてた。大戸のしまるずしんという響きが、眠っている建物をふるわせて、彼女の頰にまでつたわってきた。見ると、敷物の上、はでな手袋がひとつ落ちていた。彼女は、ついふらふらとそれを拾い、それを口にあて、においをかぎ、皮とタバコのにおいを通して、彼女の知っているさらに微妙なほかのにおいを求めていた。やがて彼女は、鏡にうつった自分のしぐさに顔をあからめ、その手袋を下におとすと、手あらく電気のスイッチを切った。そして、彼女は、暗やみによって解き放たれ、手さぐりで、子供部屋へかけつけた。そして、長いこと、子供たちの寝息に聞きいっていた。

 

 追い出してもまだ失われていない夫への愛情、妬心と怒り、そして心の支えとしての、子供部屋のあたたかな静謐。

 夜、長谷川あかりレシピの、ゆず胡椒鯛めしの鯛を鱈に変えたもの、を炊く。食いながらバスケ、今日ついにWOWOWに加入した!のでNBAを観。日本人対決としてピックアップマッチに選ばれていた、去年十月のレイカーズ対サンズ。Bリーグとはぜんぜん違うスポーツだ。

 タイムアウト中、ACミランのTwitterアカウントが追悼ポストをしているのを見て、今日はコービー・ブライアントの命日だ、と気づく。コービーはプロバスケ選手だった父親がイタリアでプレーしていた七年間(六歳から十三歳)をイタリアで過ごした。そのときにミランのファンになったそうで、レイカーズのロッカーにミランのシャツとマフラーを飾ってるんだ、とちょっと嘘なんじゃないかと思う言葉も報じられていた。

 あとは、幼いころ毎月買ってたコロコロコミックにコービーについての読み切りが載っていて(調べてみると一九九八年九月号掲載の斉藤むねお「シューティングスター コビー・ブライアント物語」らしい)、そのなかで、神戸牛を食った男性があまりの美味さに息子をKOBEと名づけることにした、みたいなエピソードが描かれてるのを読んで、そんな名前のつけかたあるかい、と幼心に思った、というのが、私がコービー・ブライアントについて抱いている印象だった。

 それで、彼がヘリコプターの事故で死んだときに思い出したのは、BRYANT 23とプリントされた赤黒ストライプのユニでポーズを取る姿や、ステーキを食って「うまい!」と涙を流す男性の絵のことばかりで、私はコービーがプレーする姿を一度も観たことがない。だから今日、レブロン・ジェームズやケビン・デュラントというNBA史に名を残すだろう選手たちを観られたのはうれしかったな。96/357

 

1月27日(土)快晴。ぐっすり寝ていた。まだ万全ではないが、ちょっとは回復。宇都宮ブレックスの比江島選手が夢に出てきた。夢のなかで氏は京都にある、しかし私は今住んでる東京の家の近所だと認識しているチーズ屋さんの店主だった。ショーウインドウに並んでるのを指さして、どんな味、と訊いても、「うまいよ」とぼそっと言うだけで、それもちょっと彼らしいというか。けっきょくピザを買って帰った。

 夕方までもくもく作業、小説をひとつ送稿。今日は退勤にしてTwitterを見ていると、ドラマ『セクシー田中さん』に関連してゴタゴタが起きている。芦原妃名子の漫画が原作。ドラマ化に際して芦原は、〈漫画に忠実にし、忠実でない場合は加筆修正をする〉、〈ドラマオリジナルの終盤も、原作者があらすじからセリフまで用意し、原則変更しない〉、そして場合によっては〈原作者が脚本を執筆する可能性もある〉、という条件を出していた。が、毎回大きく改変された脚本を書かれ、連載と並行してなんとか修正していたものの、終盤にいたるまで横紙破りがつづき、けっきょく全十話のうち九、十話の脚本を芦原が書いた。八話までは脚本家の相沢友子が、最後の二話は原作者が脚本を担当した、ということはスタッフロールでも示されていて、そのことに疑問を呈する声が上がっていた。で、相沢がそれに応えてInstagramで、原作者のつよい意向だ、と自分が被害者であるようなトーンで書いた。それで芦原が、氏の側から見た、相沢の説明とは食い違う経緯を公表した、ということらしい。

 見てると精神衛生に良くなさそうなのでブラウザを閉じる。作品の映像化が必ずしもハッピーではない、ということは、朱野帰子『急な「売れ」に備える作家のためのサバイバル読本』にも書いてありはしたのだが、改めて、映像化されてもハッピーではないのだな、となる。私が知っているのは、小説家デビューしてもハッピーとは限らない、ということだけだが、単行本がコンスタントに出ても、何かを受賞しても映像化されても、それぞれの不幸があるのだろう。96/357

 

1月28日(日)曇。昨日中篇を送った編集者から返信。その題を見て思いだしたという、同業者のプライバシーに関する情報が、ちょっとした軽口くらいの感じで書き添えられている。その人たちと一面識もない私にそんなこと言っていいの……?

 今日は読書日。午前のうちにはやみねかおる〈名探偵夢水清志郎事件ノート〉シリーズの第十巻(外伝を含めれば十三冊目)、『笛吹き男とサクセス塾の秘密』。最近バスケばっか観てて、一昨日はNBAまで観た、ので、夢水を描写する〈百九十センチ近いやせたからだ〉という言葉を読んで、小柄だな、と思ってしまう。

 昼に『チボー家の人々』を、第一部〈灰色のノート〉の最後まで。帰宅したジャックは激怒した父親によって、〈しばらくのあいだ、家から離れさせ〉られることになった。泣きながら自室に入り、ダニエルに宛てた手紙を書き、外出はできないし家のなかには敵しかいないから、と窓外の通行人に託した。

 この手紙はその日のうちにダニエルのもとに届くのだが、託した、といっても、窓を開けて、向こうから歩いてきた〈老婦人と子供〉の上に封筒を落とす、というやりかたで、そういう手紙の送りかたは当時はわりに珍しくなかったのかもしれないが、現代では(この〈老婦人と子供〉の人の良さを強調する描写を入れないと)成立しない場面のような。

『セクシー田中さん』の件に関して、ドラマ化や映画化に際して原作を大幅に改変して批判を受けた例、がTwitter上にいくつも挙げられている。そのなかで紋切り型みたいに繰り返し言われているのが、〈作品は子供のようなもの〉という言葉だ。きくち正太『おせん』のドラマ版があまりに原作と違うことにショックを受けたきくちが同作の連載を中断した、という事例が印象的だった。きくちはのちに連載を再開して完結させる(今は続篇を連載中)が、エッセイのなかで、『おせん』は自分にとって子供のようなものだ、そしてドラマ版のひどい改変は、子供を嫁に出して、幸せになるはずだと思ってたら身売りだったようなものだ、と書いていたらしい。ドラマ版『おせん』のプロデューサーが『セクシー田中さん』にもチーフプロデューサーとして関わっていたことで、その人への批判が強まってる印象。原作者も脚本家も自分が被害者であるような書きぶりだったことを思えば、間に立っていた人が双方にいい顔をしようとして二枚舌を使っていたのでは、という想像が働いてしまう。102/357

 

1月29日(月)快晴。昼休みにジブリの『熱風』に連載中の辻山良雄「日本の「地の塩」をめぐる旅」の、二〇二三年十一、十二月号掲載の第十、十一回、「定有堂書店・奈良敏行さんと会う。」の前後編を読む。『蹴爪』刊行後に挨拶に行ったときに奈良さんが話していたことや、定有堂発行のミニコミ誌に繰り返し書いていること、なども思いつつ。人格形成期に定有堂に通えた、というのは、鳥取で育ったことの幸運のひとつだ。

 芦原妃名子が、栃木県内のダムで遺体で見つかった、というニュース。Twitterのポストを削除して、〈攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい〉のひと言だけを投稿して失踪していたそう。痛ましい。内情をまったく知らないので安易に責任の所在を想像することはできない、が、ドラマは漫画とはべつの作品だ、と割り切れればこんなことにはならなかったのでは、とも思ってしまう。

 そもそもあの、ドラマ化に際して出した条件、というのも、無理難題を言って諦めさせるための方便だったのかもしれない。「竹取物語」のなかの〈火鼠の裘〉とかみたいな……。かぐや姫の求婚者たちはそれでも諦めなかったが、けっきょくある者は失脚し、ある者は大病を患い、みんな失敗に終わったのだった。

 私は──と自分も(経験はないけど)映像化されうるものを書いてるので、どうしても自分に引きつけて考えてしまう──作品に対して、自分の子供だ、という感覚は持っていない。そういう感覚は不健全なものだとすら思っていて、同じ紋切り型なら、発表してしまえば作品は作者ではなく読者のものだ、というののほうに同調している。だから自作が映像化されるとしても条件を出すつもりはない、し、その映像作品の出来や評判の良し悪しも、自分とは関係のないものだと思う……、が、それも、経験がないから思えることかもしれない。なんだかメンタルにダメージを負って、ブラウザを閉じたあともいまいち何も手に着かず。102/357

 

1月30日(火)快晴。何か悪い夢を見て、朝から全身がこわばっていた。内容は忘れたが、何か足のない虫が大量に出てきたような。アップルパイで朝食として、散歩はせずに始業。近くのマンションのルーフバルコニーで、おじさんがひなたぼっこをしているのが見えた。

 新聞を取りに行く以外の外出をせず、作業をしたり漫画を読んだり。ふとした瞬間に芦原のことを考えてしまう。氏の漫画もその映像化作品も、今回の件があるまでぜんぜん興味なかったのにな。102/357

 

1月31日(水)快晴。朝からくしゃみを連発する。花粉症のはじまり。去年のシーズンの終わりに買っておいた鼻炎薬を飲む。ふだんの漢方やサプリと合わせて、朝から七錠。和月伸宏『武装錬金』のなかで、のちに主人公の最大のライバルになる蝶野が十数種類の薬を服用してるのを見て、主人公の妹が「そんなに飲んで大丈夫なんですか」と訊き、蝶野が「大丈夫じゃないよ。けど飲まないと体が持たないからね」と素っ気なく返す場面を、数種類の薬をいっぺんに飲むたびに思い出す。

 心身の具合良くないので半休日、原稿はほどほどにして読書。土曜日に原稿を送った編集者から、もう読了連絡がきている。たぶん校了直後で時間に余裕があるのだろうけど、読むの速いなあ。102/357

 

2月1日(木)曇ときどき晴。シャワーをザッと浴び、あんまり具合良くないから郵便受けまで、のつもりでコートも羽織らずに出たのだが、そのまま散歩。そのあとは作業と読書の一日。

 芳川泰久『私をブンガクに連れてって』を読了した。するどい分析にハッとすることしきりだった、が、本書の読みどころはたぶんそこではない。文学からはおよそ多い場所(かまぼこ博物館やメイド喫茶、皇居の一般参賀とか)に〈連行〉された芳川が、そこに立ちあわられる文学らしい何かを綴る、というコンセプトなのだが、真面目なテキストの隙間から、芳川がかまぼこ作り体験とかを楽しんでる感じがにじみ出していて、批評として、ではなく、小説として、でもなく、芳川泰久という稀代のおじさんのほのぼの珍道中として面白かった。芦原の件で参っていたメンタルが、ちょっと上向く。102/357

 

2月2日(金)曇。やや具合悪し。療養日。『すばる』一月号の石田夏穂「世紀の善人」を読む。〈サンゾウが(オーマイガー)とばかり笑う〉とか〈サンゾウは「TED Talks」のように立ちながら喋っていた〉とかの描写が連発されていて、腰が抜けそうになる。注力する場所が私とはぜんぜん違っていて、そういう作品からしか感じられない面白さ。102/357

 

2月3日(土)晴。具合良くなし。午前は伏せる。

 昼、『チボー家の人々』を開く。しかしどうも集中できず。ふと芦原のことを考えてしまったりして、いま日記を書きながら、ぜんぜん内容が思い出せない。体調不良とメンタルの不良。けっきょく読みはじめのページに栞を挟んだ。

 恵方巻きを食って夜、男子サッカー・アジアカップの日本対イランを観。前半の早い時間帯にイエローカードを提示されて足も痛め、イランの攻撃陣に狙われ続けていた板倉選手や、攻撃のできなさに目をつぶって守備の強度を高めるために先発起用されたのに守備で後手に回り続けていた伊藤選手、劣勢であればあるほど結果を出したがって無謀なプレーが増える堂安選手、を出し続け、それなりに機能していた久保選手や前田大然を下げる、という謎采配で、そのひずみを修正しないままに最終盤で板倉選手がPKを献上、敗退。守備陣のケアが必要なのは前半終了時点で明らかだったのだが、試合前に決めていた交代策を、展開を無視して淡々と実行した、という印象。森保監督、ワールドカップのときの采配はすごかったのだが、今日の無策ぶりを見るに、あれはもしかして、極度の緊張で錯乱したのがたまたま当たっただけだったのかもしれない、と思ってしまう。解説者(松木安太郎・内田篤人)も個々のプレーに反射的に騒ぐだけで、総じて低質な九十分だった。102/357

 

3月4日(日)雨のち曇。朝から低気圧でテイラック。テイラックは一回四錠、さらに鼻炎薬(二錠)も半夏厚朴湯(四錠)も鉄のサプリ(一錠)も飲んでいる、ので、計十一錠! 飲まないと体が持たないからね。

 LINEマンガのアプリで、以前八十七巻まで読んでいた『静かなるドン』が今日限定で百巻まで無料、というキャンペーンをやっていた、ので一日で十三冊読む。ほかの本や漫画も読んだので、一日が終わるまでに二十五冊読了していた。仕事もせずに何をしとるんや。

 散歩も昼に十分、夜に十五分、という短時間。でも夜の散歩は帰路でちょっと走った。せいぜい三百メートルくらいではあるけど、気持ちが良い。しかし息切れしてしまったな。深刻な体力の低下。102/357

 

2月5日(月)曇のち雨、一時雪。寒い日。夜中に二度目が覚め、すぐに寝直して八時ごろ起床。三回ともなぜか、右腕を頭に敷いて目覚めた。朝起きて腕の痺れが取れてもまだ肘の内側が痛み、一日おさまらず。寝違えたのかもしれない。

 午前のうちから雨が降り出し、昼には雪に変わっている。窓の内側から見るかぎり、すぐに溶けてしまうしビシャビシャした質感で、気持ち良くはなさそう。暖房にあたりながら作業を続ける。

 昼休みに『チボー家の人々』をまた読みはじめた、が、やっぱり集中できない。内容は興味深い、ジャックやダニエル、アントワーヌの行く末を見届けたい、という思いはありつつ、読みながら考えるのはなぜか芦原のこと、日光市のダムで亡くなっていたという氏が、住んでいた都内から北を目指している間に見ていただろう景色のことばかりで、これはどうも良くない。『チボー家』みたいに自サイトの企画として本を読むときは、エッセイを書くし日記にも書くから、作品と関係ないことが思い浮かんだらいったんその思考を追ってみる、ことにしてるのだが、メンタルが参ってるときにはやめたほうがいいな。

 けっきょくまた読みはじめたところに栞を挟み、『中央公論』一月号の〈日記を愉しむ〉特集を読。荒川洋治「新しい光を放つ空間」にこういう一節があった。

 

 現代は、人に読まれるための日記に関心があるようだが、読まれることを意識すると自分を装うので、どんなに見た目がよくても、そこにはほんとうの自分の呼吸がみられない。どこにも自分が、いなくなる恐れがある。それはさみしいもの、不幸なことだと思う。そうした公開目的の日記には、社会的な役割をになうものもあるけれど、それを除けば、日記とは別の物とみたほうがいい。

 

 私がこの日記を書きはじめたのは文芸誌の企画がきっかけだったし、その企画に別のテキストを寄稿したあとも書きつづけているのは、自分のサイトで公開するための素材づくり、という意図が大きい。そうじゃなかったら、それまで日記が長続きしたことのない私は続けられなかっただろう。だからこれは〈人に読まれるための日記〉だ。荒川のいう〈ほんとうの自分の呼吸〉が何を指しているのかはよくわからないが、それがこのテキストから〈いなくなる〉のは、私にとってはまったくさみしいことでも不幸なことでもない。これはあくまでも文章だ。

 と、思うのはおそらく、荒川が〈日記らしきもの〉を書くモチベーションとして挙げている、終わりつつある一日を振り返るときの、〈あたりが静かになり、自分ひとりになる。ひとりになった時間を、感じとれる〉という感覚を、私がぜんぜん重視していないから、なのだろう。

 同じ特集の「日本人は日記とどう向き合ってきたか」のなかで山守伸也は、公開が前提されているブログやInstagramも〈日記〉であり、それらは〈他者とのつながりの維持や構築〉に用いられている、という前提のもと、こう書いている。

 

近代日記は一つの自己に収斂・統合させていくものとして意味づけられていたが、今は多元的な自己の解放を果たすメディアとして機能しているのではないか。

 

 ここでいう〈一つの自己〉は荒川のいう〈ほんとうの自分の呼吸〉と同じ意味だろう。拡散・統合ではなく、拡散・分化していく自己。荒川の論への批判になっている、というか、違うことを言っている、というだけではあるが、私は山守の意見にちかいかな。今後も日記を書くし公開もする、とは思うが、これは日記ではないかもしれないし、あくまでも文章なのだから、日記とかどうとかあんまり気にしなくてもいい。

 昼の散歩もせず集中してるうちに雪が強まり、窓から見える隣家の屋根も真っ白になっていた。夜、バスケットLIVEで土曜日の東京対琉球を観たあとは眠くなるまで読書。遠雷が何度か聞こえる。102/357

 

2月6日(火)冷たい雨。雪の朝。難航してる短篇、だんだんわからなくなってくる。このまま押し通すのはちょっと危険なかんじ。ちがう短篇の算段をしはじめる。

 昼すぎ、図書館から電話。『チボー家の人々』の返却期限が過ぎていたのだ。ぜんぜん読み進められずにいるし、いったん返すことにする。しかし断続的に小雨が降っていて、外出する気になれず。暖房の効きの悪い寒さ。散歩もせず夕方まで、長めの休みを挟みつつ。

 

2月7日(水)快晴。療養日。読書もせず、夕方まで伏せって過ごす。明日の打ち合わせにそなえて編集者から改稿案が届く。どうも私とはまったく違う方向を目指しているようで、すりあわせに難儀しそう。

 夜、松屋のシュクメルリのテイクアウトを食いながら、バスケットLIVEで日曜の京都対川崎を観。すでに四日前だ。しかし寝不足のせいでめちゃ眠く、後半はほとんど憶えてないしこの日記も八日に書いた。

 

2月8日(木)晴。午後二時からオンラインで打ち合わせ。四十分ほど。案の定、目指す方向性がまったく違う、し、どうも、著者と主人公、作中作の主人公、をぜんぶ同一視して読んでいたようで噛みあわず。話の途中でブツッと通信が切れ、どうかしましたか、とメールをしたところ、次の打ち合わせがあるので失礼します、語り手の部分に混乱が見られるのでこの作品は掲載できません、との返事。

 文芸誌にとって私は大して重要な書き手ではない、ということは自覚している、が、それをこんなやりかたで伝える必要はなかろうもん、となる。どうにも気が滅入り、作業をする元気も失って、虚無の顔で『ゴルゴ13』などを読んでしまう。

 

2月9日(金)曇。どっかの山道を走り回る夢を見て、疲労困憊で八時過ぎに起床。散歩がてらスーパーに行き、おでん種を買う。帰宅してすぐグツグツ。壁井ユカコが『キーリ』の七巻のあとがきで、何を食べるか数日間考えなくていいから、原稿が佳境に入ると鍋いっぱいカレーを作る、みたいなことを書いていたのを高校生のころに読んで、一人暮らしをはじめて当初はカレーばっか作っていた、のを、鍋いっぱいのおでんを見下ろしながら思い出す。

 今日は短篇。たぶん三十枚程度、明後日あたりまでに完成させたいところ。即興的に、何も決めずに書きはじめる。散歩もせず、夜八時ごろまで集中して、十時間で八枚ほど。まあこんなもんでしょう。寝不足と夢の疲労もあり、十時ごろ力尽きる。

 

2月10日(土)快晴。朝からもくもく書いていく。午後二時過ぎに早めに退勤、近所をぐるっと散歩。小学校から子供たちが出てくるのとすれ違う。私が小学生のころ、ゆとり教育、ということで土曜の半ドンがなくなって完全週休二日になった、のだが、いまは土曜授業してるんだっけ。

 十五時からバスケットLIVEで京都対名古屋Dを観。試合後はもくもく読書。作業はいまいち捗らず、明日までには書き上がらなさそう。

 夜、風呂に入ってからU-NEXTでマンチェスター・シティ対エヴァートンを観。ボールを保持するマンCと、虎視眈々とカウンターを狙うエヴァートン、という構図。互いにやりたいことが明確で、だから双方がきっちり対策を立ててきて、しかし人智を越えたプレーをしてしまうハーランドの活躍でマンCの勝利、という試合。

 こないだ観たアジアカップの二試合をまったく楽しめず、さいきんバスケばっか観てるおれはもうサッカー好きじゃなくなったのか……?と不安に思っていた、のだが、ハイレベルな試合はちゃんと楽しくてホッとした。

 

2月11日(日)雲の多い晴。伏せっていた。

 

2月12日(月)晴。一日引きこもる。バスケットLIVEで週末のリーグ戦を三試合。そのあとは読書、文芸誌の小説をいくつか。語り手の人間性の良くなさを強調した小説が最近多い気がする、のはなんか、SNSとかで、必ずしも美しくも正しくもない“ありのままの姿”を見せることを称揚する風潮とリンクしてるような。

 

2月13日(火)快晴。寝違えたのか首が痛い。

 短篇の完成目標を十五日に延ばした、ので急がずに書いていく。小まめに休憩を取りながら、けっきょくダラダラ九時ごろまでやって、しかし休憩を除いて十時間カリコリしたわりにあまり捗らず。こういう日もある。

 

2月14日(水)快晴。昨夜はバスケットLIVEで島根対渋谷を観たあと、インタビューの途中で寝、配信が終わったあたりで目が覚めた。十五分くらいしか寝てないのに覚醒してしまい、どうにも眠れず。諦めて吉本隆明『言語にとって美とは何か』をもくもく読んで、明るくなったのでそのまま始業。

 昼休みに、録画してたスーパーボウルを観。鳥取に住んでいたころ、私がスキーをするのは一、二年に一度で、そんなにブランクがあると最初のうちはおずおずと滑って、夕方くらいにようやく身体の動かしかたを思い出してきた!というところで冬山の早い日が暮れて帰路に就く、のを毎年繰り返していた。それと同じでアメフトも、毎年スーパーボウルしか観ないから、実況の解説や観客の歓声で今のプレーがどういう意味をもつのか探りながら観る、という感じで、だいたい毎回、おおまかなルールを把握して楽しくなってきたところで試合が終わる。しかし三人いる解説者と現地レポートが全員コメディアンというのはなぜなのかしらん。

 

2月15日(木)晴のち曇、風の強い日。春一番らしい。

 短篇進筆。昨日寝不足の頭で書いた箇所、まあ悪くなし。と思って書いてたら夜八時過ぎ、いきなり書き上がる。エッこれで終わるのか、と呆気にとられてしまった。気持ちの良い驚き。

 風呂に入って、おでんの出汁だけ残ってたのに冷やご飯と卵を突っこんで、具なし雑炊で夕食とする。それから二年くらい前にBSでやってたアッバス・キアロスタミ『友だちのうちはどこ?』の録画を観。友だちのノートを間違えて持って帰っちゃった少年が友だちのうちを探して右往左往するだけの映画。素晴らしかったですね。イランの村の風景と生活。

 

2月16日(金)雲の多い晴。朝の散歩で図書館へ。借りた本の返却期限が三月一日になっていた。私が何をしていても日々というのは粛々とつづいていくものだし、二月が終われば三月がはじまるのだ、私が生まれる前から死んだ後もずっと、と当たり前のことを改めて思う(同じことを毎月毎月、返却期限が翌月の日付になるたびに考えてる気がする)。

 昨日書き終えた短篇の推敲を、と思ったのだが、コシの強い寝不足で頭回らず。諦めて読書。

 午後、八村塁が大活躍した!という見出しだけ見た、昨日のユタ・ジャズ対レイカーズを観。八村さんは三十六点! アンソニー・デイビスも三十七点で、レイカーズの選手二人が一試合でそれぞれ三十五点以上取ったのはコービー・ブライアントとシャキール・オニール以来、NBAのレジェンドに八村が並んだ!とニュースでは言っていて、すごいには違いないのだが、ちょっとその記録は条件が込み入りすぎなのではないか。

 

2月17日(土)曇。ちょっと寒い。一日引きこもる。ゴリゴリ読書とバスケを観る日!と思っていたのだが、いまいち捗らなかったな。

 起きてすぐに、友人が出てたイベントのアーカイブ動画を観。それからバスケットLIVEで十日の宇都宮対長崎。二部リーグから昇格してきたのに今シーズンはじまってすぐのころは上位に食い込んでた長崎が、主力の怪我もあって勢いを失っていて、なんだか寂しい。

 遅い昼食に担々鍋を作りながら今度は十四日の天皇杯、千葉対宇都宮。〇対十六というひどい幕開けだった千葉が、終わってみれば逆転勝利! 宇都宮が悪かったわけではないのだが、要所要所で千葉の富樫選手や文男に良いプレーをされて、それが重なって負けちゃった、という印象。終わったころにはもう夜、この一週間の寝不足にやられてパタリと寝。

 

2月18日(日)晴。鳥取の、十八歳まで住んでたあたり(江崎町)を歩いてたら、スーツを着た男性に、○○はどこにあるかわかりますか、と訊かれ、案内する夢を見る。○○、は、夢のなかでははっきりと聞いたのだが憶えてない。ちょっと歩いて樗谿公園の下あたりにあるでかい商業施設へ。外観は六本木の蔦屋書店とまったく同じ、湾曲したガラス張りで、五分もあればぐるっと回る程度のサイズだったのだが、中に入るとちょっとしたショッピングモールくらいの広さがある。いつの間にかスーツの男性は姿を消して、私は施設内にあるディスクユニオンをウロウロしていた。そういう夢。

 実際には鳥取にディスクユニオンなんてないし、そもそも樗谿公園の下あたりにそんなでかい商業施設もない。実家にはフルサイズのコンポがあったがレコードはビートルズのが二、三枚しかなく、そもそもレコードプレーヤーの針がなかったから、実家でレコードを聴いたことはない。もし樗谿公園の下あたりにディスクユニオンがあったら、私の音楽遍歴もかなり違ったものになってただろうな。

 ウーバーイーツの寿司を食ってWOWOWオンデマンドでNBAオールスター、今朝(現地時間の十七日夜)やってた前夜祭を観。スキルズチャレンジ、スリーポイントコンテスト、スラムダンクコンテスト、という三種目。インディアナポリスの、ふだんはNFLのチームがつかってる、七万人入るでかいスタジアムで、オールスターのためにデザインされた、床が全面LEDのコート、というなぞ仕様にまず度肝を抜かれる。常に光っていて、人の動きに合わせて星が流れたり、スキルズチャレンジのコースや人の立ち位置が表示されたり、ときには動画が流れたり。千葉ジェッツがアリーナの床でプロジェクションマッピングをしてるのを観て、やっぱ予算規模のでかいチームはすごいなあ、と思っていたのだが、アメリカは何というかスケールが違う。

 出場選手はマルカネンしか知らなかったのだが、その演出とプレーで充分に楽しめた。二百十六センチのシャキール・オニールの上を跳びこえてスラムダンクを叩きこんだマック・マクラングがすごかったな。しかしそんなマクラングでも、今季オーランド・マジックと契約したものの一ヶ月で解雇されて、いまはゲータレードリーグ(育成を目的とした下部リーグ)でプレーしている。

 

2月19日(月)雨。朝起きるとスマホのメモに、〈書こうとしてる少年。ぼくたちの作品を、ぼくたちの障碍を度外視して評価してほしい……、しかしそれをやろうとしても、才能とか意志のような曖昧で主観的なファクターに左右される〉と書いてある。最終編集時間は午前二時すぎ。まったく記憶にないのだが、何かそういう夢を見て、意識も曖昧なまま書きつけたのだろう。書くこと、障碍、才能、意志。いまの私が何に囚われているか、みたいな感じ。

 あとそういえば、何か海に沈む夢も見たような。人はおねしょをしてるときに泳ぐ夢を見るものだ、というのをどこかで読んだ記憶があるが、おねしょはしておらず。起きて(べつにシーツを汚したわけではないですが、毎週月曜と金曜のルーティンとして)ベッドリネンを替え、洗濯機を回す。

 十五日に書き終えた短篇を推敲。雨なので散歩もせず、夕方にようやくやっつけた。

 夜、WOWOWオンデマンドでNBAオールスターの本戦を観。Bリーグのと違ってコメディ風のプレーはほぼなく、かといって本気で戦うわけでもなく、単に守備の緩い試合、という印象で、それでもけっこう面白い。開催地のチームであるインディアナ・ペイサーズのハリバートンが良かった。華があるかんじ。昨日のスキルズチャレンジにも出場していて、地元ということで気合いも入っていたのだろうけど、楽しそうだった。あとはなんか身体が重くてスローモーなドンチッチも、観てるうちに癖になってくる。

 

2月20日(火)うすぐもり。五月なみの暖かさだったらしいが、今日は一日引きこもっていた。そういえば暗くなるまで窓を開けてたけど、ぜんぜん寒くなかったな。

 昨日で短篇の作業を終えたので、次に書くものの算段。今日も頭のめぐり悪し。何かこう浮上するきっかけがほしいところ。

 マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々』、一巻を再起読した。途中まで読んでからけっこう経ってるので、また最初から仕切り直し。前回読んだときに書いたメモも参照しつつ。

 夕方まで捗らないまま作業を続ける。書くものメモ、というファイルをつくっていて、いずれ書くつもりのアイデアが溜まっているのだが、どれを見ても、今じゃない、と思ってしまう。今じゃない、というのは、モチーフだけでテーマが見えない、とか、技術が追いついてない、とか、今はそのテーマに興味がない、とか、調べなきゃいけないことがたくさんある、とかでそれぞれ違うのだが、今おれはこれが書きたいんだ、みたいなものがそのファイルのなかにない、ということ。というか、今おれはこれが書きたいんだ、と思うようなテーマは、こういうファイルを見なくても頭に引っかかってつねにそのことを考えてしまうようなものだ。

 それでいうと私が今いちばん書きたいのはパニック障碍というテーマで、しかしそれについて腰を据えて書いて、私のメンタルは保つだろうか、という不安もある。いちおう資料をいろいろ読んではいて、すでに三万字以上のメモがあるのだが、まだ足りない、という感じ。それが満ちるまで勉強を続ける、のがいちばんやるべきことなのかもしれないが、それはそれとして、毎日何かの作品に手をつけていたくもある。そういえば書くものメモのファイルをつくったのもそのためだったな。

 ひとまず、パニック障碍についての小説のために資料を渉猟しつつ、あまり大きすぎないサイズの、今自分の手元にある素材で書けるものに手をつけることとする。で、書くものメモにある素材はいまいち惹かれないので、ちょっと考える。考えるには、いろいろ読んだり観たりしましょう。

 と、あれこれ書いてるうちにだんだん靄が晴れてくるような、とりあえずやることの順序がわかったような気がしてきた。日記の効能だ。32/357

 

2月21日(水)雨。療養日。母からLINEがきて、父が肺炎をこじらせて入院した、との由。命に別状はないそうだが、十日程度の加療が必要だそう。父も子も療養。お互い早く元気になりたいもんですな、と念を送る。32/357

 

2月22日(木)雨。一月十二日の日記に、年末ごろポスティングされてた迷い猫のチラシが猫雑貨専門店の前に貼ってあって、〈見つかりました〉と書いてあった、ということを書いた。で今日、散歩中に通りがかったバーのシャッターに、その猫の飼い主がつくった〈ご協力ありがとうございました!〉のチラシが貼られていた。クッションの上で丸まる猫の写真も添えられている。よかったねえ! 猫の日に良いものを見た。

 開店時刻ちょうどのつもりでスーパーに向かったらまだ早く、入口に高齢のおねいさんたちが並んでいる。いいじゃないもうすぐなんだから入れてよ、と言う先頭のおねいさんと、あと一分なんでお待ちください!と言う店員さん。君子危うきに近寄らず、ということで近くのパン屋で昼食を調達して、改めてスーパーへ。帰宅したあとは寝るまでずっと読書、黄色い本も。64/357

 

2月23日(金)雨。おでんを作って食いながら昨夜の男子バスケ、日本対グアム。昨年帰化したばかりのジョシュ・ハレルソン選手がすごい。

 試合が終わって十五分ほどうとうとしてる間に、ハレルソンとゴール下で競り合う、というあまりに素直な夢を見る。しかしハレルソンは、実際には二〇八センチあるのに夢のなかでは私(一七二センチ)よりちょっと大きいくらいで、そういえば今村選手や比江島選手(どちらも実際には百九十センチくらい)もそうだった。画面越しにばかり観てるから選手たちの身体のサイズにあまり実感をもてていないのだろう。それでもハレルソンの筋肉はすごく、私はぐいぐいエンドラインに押し込まれていて、しかしよく見るとそこは崖っぷちでちょうどエンドラインが切っ先、向こうは真っ暗、それなのにハレルソンはディープスリーのボールが飛んでくるのを見上げてるから崖に気づかず私を押しまくる、というかこんな崖っぷちであのゴールはどこに置いてあるんだ、と思ったらゴールはいつの間にか消えていて、シュートを打った選手の姿もなく、私はただ崖っぷちでハレルソンともみ合っている。悪夢ですね。起きてノンカフェインのコーヒーで気持ちを鎮めた。

 ウーバーイーツで頼んだ中華を食いながら、U-NEXTで昨年末の『サ道』スペシャルを観。ほっこりする。おじさんたちがサウナでととのうのを観るだけでなんでこんなにほっこりするのか。なかちゃんさんの恋愛や蒸し男くんの仕事、浮世のあれこれが描かれてはいるのだが、どちらもあくまでもサウナをより楽しむためのスパイス、というかんじの描きかたなのが良いのかもしれない。

 そのあと、これもU-NEXTで『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』のドラマ版(原作は未読)。登場する本は原作者が選書した、というのがちょっと楽しみだった、のだが、本ではなく、出会い系サイトで会った男を珍獣として描く、のがメインの内容。原作もこんな感じなのかしら。選書が売りなのに主人公の蔵書は河出書房新社の本ばっか、という不自然さ(原作は河出文庫刊)もあいまって、どうにも楽しめず。サウナのあと水風呂に浸かったときの、身体の周りに心地よい膜が形成された、のにその膜が、水風呂にガバリと入ってくる人のせいで破られた、みたいな気持ち。一話でやめにした。64/357

 

2月24日(土)晴。読書読書。母から、父の具合がだいぶ良くなった、との報せ。ホッとする。

 午前のうちに黄色い本を進読。第一部〈灰色のノート〉を最後まで。前回は流してたけど目に留まったところ、は、ジャック・チボーが書いている詩についての、(マルセイユでジャックとダニエルの間に溝が生まれた日に交わした)約束のこと。

 

 ダニエルはとつぜん、ジャックのそばへよって、腕をつかんだ。

「ねえ」と、彼は言った。感動している彼の声は、低い荘重な響きをつたえていた。「ぼくはいま、これから先のことを考えているんだ。どうなるだろう? ぼくたちふたりも、別れさせられることになるかもしれない。そこでだ、ずっとまえから、何か保証とでもいったように、つまりぼくたちふたりの友情の永遠の固めとでもいったように、ひとつ頼みたいと思っていたことがあるんだ。約束してくれないか、きみの第一詩集をぼくにささげてくれるって……そう、名まえなんか書かずに、ただ《わが友へ》とだけ。──どう?」

「約束しよう」とジャックは、そりかえりながら言った。なんだか自分が、大きくなりでもしたようだった。

 

 この約束が果たされることはないだろう、とふと思う。人生の特定の時期にある人同士だけがむすべる関係性の、終わりまでの時間を少しでも引き延ばすための言葉、に見えたからだ。この作品がどう展開していくのか私は知らないし、もしこの作品が著者の人生を元にしているのだとしたら主人公であるジャックが将来ひとかどの文学者になる可能はけっこう高い、と思いつつ、しかしジャックはそのときが来ても、ダニエルのことを思い出さないのではないか……。と思ってふと本書の巻頭を見返すと、こういう献辞がある。

 

『チボー家の人々』を、親愛なる

  ピエール・マルガリティス

の霊に献ず。一九一八年十月三十日衛戍病院

において、死は、きみが至純にして悩める心

の中に熟しつつあった逞ましい作品をこぼち

去った。

                                       R・M・G

 

 もしかしたらジャックはこのマルガリティスで、著者はダニエルのほうだったのかもしれないな。

 昼すぎに風呂に入って、『すばる』二月号の管啓次郎・堀江敏幸対談「本の島をわたってゆく旅」。とにかく本を読みまくること。管氏は「読んだ人は、じゃあ、読んだものをどういうふうに書くことに生かしていくかというと、これはやはりとにかく読んで読んで読んだ中で、きらりと光っているものを見つけたら、それこそバードウォッチングで鳥の印象を語るように、あるいは、きれいな貝殻を探してきてそれを自分の机の上にもう一度並べ直してみるように、やるしかない」と言う。堀江氏もそれに同調して、「読むことの喜びがないと書くことにはつながらない」と言い、こうつけ加える。「読まないで、ただ書きたい、という気持ちは、疑ってかかったほうがいいと思います」。書きたい気持ち、というのは、それが純粋であればあるほど称揚されがちだけど、ただ書きたい、というのは危険。

 堀江氏は、書くよりも「読んでいる時間のほうが圧倒的に長い。とにかく読むことがベースで、あとは書く言葉にそれが転じるのを待つしかない」とも言っていた。あれほどの仕事をこなしていてすら、それより読むことに時間を割いている。おれももっと読まねば、となって、しかし風呂を出たあとはレイカーズ対スパーズを観てしまう。102/357

 

2月25日(日)雨。今日締切の地元紙のコラム。しかし具合悪く、頭回らず。無理矢理書き進めて、夕方ごろにどうにか完成。即送稿した。次の作業に移ろうにも頭回らず、ホットアイマスクをして布団に入り、ぐっすり寝。

 夜はルピシアの通販で頼んだ冷凍弁当(台湾風)を食いながら、録画してた男子バスケの日本対中国を観。公式戦では八十八年ぶりの勝利!とアナウンサーが叫んでいて、親善試合とかで勝ったことならあるのかしら、と調べてみると、二〇一四年のアジア競技大会の準々決勝で、七十九対七十二で勝っていた。アジア大会は公式戦では……?と思ってたら、その試合にも出てた張本天傑選手が、〈アジア競技大会はFIBAじゃないからカウントされないのか。/銅メダル取ったアジア競技大会が懐かしすぎる(青ざめる顔文字)〉とツイートしている。選手にとってはどの団体が管轄してるかなんてまったく重要じゃないもんな。102/357

 

2月26日(月)快晴。一日伏せる。102/357

 

2月27日(火)快晴。今日は確定申告をやっつける日。freeeを銀行口座と同期するようにしていて、今はほとんど現金での買いものをしない(現金をつかうのはお賽銭くらい)、ので、記録されている収入や支出を、適切な勘定項目に振り分ける。それに一番時間がかかった、がせいぜい二時間くらいのもので、あとは画面の指示に従って○×をクリックしたり取引先を入力したりして、三時間強で電子申告まですべて終了。拍子抜けするほど簡単になった。

 タスクをやっつけたので今日はもう勝利、ということで午後は読書。『チボー家』も。第二部の題〈少年園〉は、ジャックが素行不良のかどで送り込まれた〈オスカール・チボー少年園〉という、父の名を冠した、父の銅像も建ってる感化院のこと。

 ジャックはダニエルに、ここの暮らしが気に入っている、毎週のように父や兄が面会に来てくれるし、と、兄のアントワーヌには容易に嘘と分かることを書き送る。ダニエルにその手紙を見せてもらったアントワーヌは訝しみ、単身感化院を訪問する、が、どこか虚飾のヴェールがかかったような感じがする、と思うのは、あまりにも善良で理想的な施設であるように見せられているからだ。アントワーヌはパリに帰る汽車に乗り遅れ(たふりをし)て少年園に戻り、ジャックを散歩に連れ出す。そこでようやくジャックは(酒の助けも借りて)苦しみを吐露して、アントワーヌは〈弟をあそこから救い出すのだ!〉と決意する。

 園長の造形が良いですね。〈明るい栗色のフラノの服、すっかり金髪で、丸々と太った、眼鏡をかけたひとりの青年が、スリッパの上に身をおどらせながら、目を輝かし、両手を前にさし出汁ながら、彼のほうへ駆けよった。〉いかにもイカサマめいた善人、という、薄っぺらなのがよくわかる人物像。144/357

 

2月28日(水)晴。昼ごろ、母親とLINEのやりとりをしていたら、入院中の父(猫好き)の慰めに、ニア・グールド『21匹のネコがざっくり教えるアート史』を買おうと思う、〈メルカリで6700円です/びっくり!〉と言っていた。定価が一九八〇円なので、いくらなんでも高すぎる。私の家にあったものを即発送した。

 夕方、早めに退勤して、U-NEXTで『孤狼の血 LEVEL2』を観。鈴木亮平はほんとうに狂気の演技が上手い。『変態仮面』はコメディタッチの、『エルピス』は冷徹な、そして本作はきわめて暴力的な、それぞれ方向性の違う狂気。すごいなあ。

 布団に入って琉球ゴールデンキングスのジャック・クーリー選手の妻であるアレクサンドラさんのInstagramを見ていたら、娘のアテナさんが赤ん坊用の公園を卒業して、船を模したでかい遊具ではじめて遊ぶ様子の動画をストーリーズに投稿している。アテナさんが遊具の通路を端まで歩いたり、すべり台で滑ったりするたびにアレクサンドラさんは、Good job ! と声をかけている。おれもこういうことだけしてGood jobされながら生きたい、となった。が、考えてみれば(考えてみるまでもなく)私はアテナさんよりクーリー夫妻とのほうが年齢がちかく、どっちかというと(どっちかというまでもなく)Good jobする側なのではないか。絶望してそのまま寝。144/357

 

2月29日(木、閏日!)曇、夜は雨。暴力を振るったり振るわれたりする夢を見て三時に起きる。『孤狼の血』のせいだ。

 全身がこわばっていて、首の後ろがひどく痛む。枕が合ってないのか慢性的に首が痛くて、そういえば松波太郎さんにも、水原さん首が詰まってて鍼が通らないんで、まず開くための鍼を打ちますね、と言われて、首の後ろにめちゃくちゃ鍼を刺されたのだった。

 それから朝八時半ごろまで、十五分くらいウトウトしては起き、また短時間寝る、というのを繰り返す。そのなかのどこかで、堀江敏幸氏に会った。私はショッピングモールのなかのインテリアショップ(Francfrancみたいな雰囲気)で誰か男友達といっしょにシャワーヘッドを見ていた。シャワーヘッド買うの?と訊かれて、いやべつに買うつもりはない、見てるだけ、と答えた。新しい枕はほしいんだよねずっと、と言いながら二人で枕コーナーに行った、ら堀江氏らしい人が反対側から歩いてくるのが見えた。堀江先生!と声をかけると氏は、ああ、偶然ですね、とまるで私がそこにいるのはとっくに知ってたような口調で微笑む。ぼく枕合わないみたいで、先生どんな枕使っとられるんですか、と尋ねたところ、氏は遠い目をしながら、うん、ぼくはねえ、と言った──ところで記憶が途切れている。愛読している小説家の枕、いまの私がいちばん知りたい情報だったのだが。

 朝の散歩でスーパーへ行くと、おでんコーナーがちょっとだけ縮小していて、いつも買ってるやつの取扱いが終わっていた。もうすぐ春なのだ。

 夕方、U-NEXTで増村保造『からっ風野郎』を、増村映画としてより、主演が三島由紀夫、ということで観。聞きしにまさる猿芝居で、なんだかなぞの感銘を受ける。Wikipediaによると、三島はこの映画の失敗(興行的には大成功だったらしいが、とにかく自分の演技が恥ずかしかったそう)を糧に『薔薇刑』や『憂国』の映画版をつくり、『人斬り』という時代劇では準主役として好演した、とのこと。さらに「スタア」という短篇小説にはこのときの経験が活かされているとか。

 三島は『金閣寺』発表の前後にも、仏教をモチーフにした短篇をいくつか書いていた。失敗を糧にしたり、ある作品からこぼれ落ちたモチーフで小品をものしたり、ほんとに勤勉なんだよな。見習いたい。144/357

 

3月1日(金)朝は雨、午後は晴。寒い一日。ぐっすり寝ていた、が未明に地震で起きる。五時四十三分ごろ、私の住んでいるあたりは震度二。揺れが収まってすぐに寝直し、八時まで。

 昼休みに『ユリイカ』のアレクシエーヴィチ特集(二〇二二年七月号)を起読。刊行の半年くらい後に、特集冒頭のインタビューだけ読んでいた、が、改めて最初から。

 夕方からはU-NEXTでジム・ジャームッシュ『ギミー・デンジャー』。ストゥージズ、へんな人たちだ。144/357

 

3月2日(土)曇。起き抜けに『世界』二〇二三年五月号のアレクシエーヴィチインタビュー(聴き手:金平茂紀、沼野恭子)を読む。同年二月十七日に行われたもの。昨日読んだ『ユリイカ』所収のインタビューは二〇二二年五月七日だったから、約九ヶ月後。

 昼にスーパーの寿司とピザを食って、十五時からバスケットLIVEで宇都宮対渋谷。前半は渋谷ペースだった、が、終盤で宇都宮が盛り返して逆転勝ち。

 ハーフタイムショーでつぶやきシローが小学生たちとミニゲームをやっていた。彼らは氏の全盛期には生まれてすらいなかっただろうし、知らないおじさんと試合をやらされた、みたいな感覚なのだろうか、と思ったが、氏は栃木出身で、地元のラジオにはレギュラー出演してるらしい。

 立て続けに十八時からの川崎対横浜BCを観、広島対千葉も観。トリプルヘッダーはさすがに疲れて、最近花粉がすごいのに、寝る前に風呂に入れない。144/357

 

3月3日(日)快晴。何の夢だったか、草彅剛が「世界に一つだけの花」を踊ってるのを斜め後ろから見ていた記憶がある。私はスタッフか、SMAPのメンバーだったのか。

 どうも体調が芳しくなく、療養日とした。夕方、餃子を食いながらバスケットLIVEで長崎対群馬を観。試合中、七時ごろに古川真人から電話。確定申告をやっつけて昼の一時から飲んでるんすよ!とのことで、泥酔していてあまり話通じず。もう六時間ほど、いろんな人に電話をかけながらビールを飲みつづけているそう。タフな人だ。144/357

 

3月4日(月)晴。どうも頭が重く、捗らないまま午前を終える。昼すぎに散歩に出てわりとすぐ、ひどい悪寒と目眩。なんとかセブンでミルクティーの引換券をつかって帰り(期限が今日までだったのだ)、何が原因かもよくわからないままロキソニンを飲んで横になる。

 そこからの記憶は曖昧で、結果的に丸二日間ずっと寝込んでいた、のでこの日記は六日になってから書いているのだが、三十八度台後半の熱、吐き気と呼吸困難、頭痛、腹痛で、意識が朦朧としていた。パニック障碍の発作は、死の恐怖がなんの前触れもなく襲ってくる、みたいに表現されることが多いが、そのときとは比べものにならない恐怖感。つよく死を覚悟して、スマホのメモ帳に、手に力が入らないから音声入力で、号泣しながら遺書を書く。今読み返せばめちゃくちゃ思い詰めてる文章で、笑っちゃいそうになる。笑っちゃえるくらい回復できて良かった。

 夕方にはなんとか、身体を起こせるくらいには回復していた。家にあった新型コロナの抗原検査キットを試してみたところ陰性。ゼリー飲料などを吸って夕食とした。144/357

 

3月5日(火)雨。引き続き伏せっていた。体温は三十七度台をうろうろ、といったところ。新型コロナもインフルエンザも検出できる、という抗原検査キットで調べてみたが、やっぱりどっちも陰性。最近溶連菌が流行してるというし、そういえば何年か前、プールに入ってないのにプール熱に罹ったこともある。とにかく療養。今日は本も読めるくらいに回復して、『ユリイカ』のアレクシエーヴィチ特集を最後まで読んだり積んでた漫画を消化したり、一日のほとんどをベッドの上で過ごした。144/357

 

3月6日(水)雨。療養日。今日も一日ベッドで過ごす。パソコンを持ちこんで一昨日からの日記を書いたり(実際には公開したものの三倍くらい書いた)、原稿を見直したり。夜はバスケを観、終わったころには頭痛で力尽きて寝。144/357

 

3月7日(木)晴のち曇。今日も一日ベッドで過ごす。読書をしたり、インスタント食品をモソモソ食ったり、してるうちに、もう四日もこうしていることへの焦り、みたいなものが湧いてくる。元気になりたい、が、元気というのがどういう状態だったのかが思い出せない。今回の、けっきょく原因がよくわからない不調から脱して日曜日以前の体調に戻っても、それはとても〈元気〉という言葉で表せるものではないのだ。144/357

 

3月8日(金)曇。今日も一日ベッドで過ごす。朝起きると雪が積もっていた。夜のうちに降ったらしい。昼ごろには解けた。

 今日も療養に費やして、けっきょく今週は何もできなかったな。LINEニュースからの(日中は不調でスマホが見られず、夕方に起きてから見た)速報で鳥山明が亡くなったことを知る。六十八歳。144/357

 

3月9日(土)快晴。起きてすぐウーバーイーツで朝マックを頼み、食いながらU-NEXTで昨日のイーストアジアスーパーリーグ、千葉対台北。洗濯ものを干していたらハンガーラックが壊れてしまう。粗大ゴミの手続きをしたり新しいものを楽天で注文したりしてた、ら、古川真人から電話。一時間弱話す。

 今日はほぼ、少なくとも寝込む前の状態まで回復できた感じ。たわむれにスクワットをやってみた、ら、あっという間に太腿がパンパンに張ってしまう。144/357

 

3月10日(日)快晴。よく晴れた明るい朝で、療養中に春が来た、と思っていたのだが、出てみると薄手のダウンじゃ寒かった。十分くらい歩いて、コンビニで粗大ゴミに貼るシールを買って帰る。

 昼ごろ、『チボー家の人々』を進読。アントワーヌはジャックが感化院で、何か虐待でもされているのでは、と案じていた。しかし実際には〈そんなことより百層倍も有害な、精神的貧困というもの〉がそこにはあった、とアントワーヌは言う。彼の目には、何不自由なく生活させている、という院長たちが、弟をスポイルしているように見えた。反対する父親を、神父の口添えもあってどうにか説得、アントワーヌがジャックの身柄を引き受けることを条件に、少年園から出すことになった。

 その後は読書をしたり、ウトウトしたりして夕方まで過ごす。U-NEXTでイーストアジアスーパーリーグ決勝、千葉対ソウルを観。リードチェンジの多い熱戦、そして最後は富樫さん!というかんじの試合で千葉が優勝。ぶち上がる。182/357

 

3月11日(月)快晴。震災から十三年。起きてわりとすぐ、千葉ジェッツの選手たちが帰国の途についた、という投稿を見る。せっかくのセブ島なのに、ホテルのプールで泳いだくらいで、のんびり観光はできなかったらしい。まだシーズン中だし今週土曜に天皇杯の決勝があるから、オフを取ってる暇はないのだろう。過密日程は強豪の宿命、とはいえ、スターターだったアイラ・ブラウンを筆頭に、四十歳前後のベテランは大変だろうな。

 朝からピザを食い、三十分ほど散歩、食材も買い込む。寝込んでいて体力が落ちたようで、息が切れた。そのあとは無理せず、読書をして過ごす。182/357

 

3月12日(火)雨。寝不足の朝。雨が降っている、のに花粉が多い。くしゃみを連発してから服薬、雨なので散歩はせずに事務作業。午前のうちに新しいハンガーラックが届いた、ので即組み立てる。

 昼にお粥を食って黄色い本を進読。少年園を出たジャックはパリに戻り、アントワーヌと同居をはじめる。屋敷の上階に父チボー氏が、下階にアントワーヌとジャックの兄弟が住み、食事は上階でいっしょに食べているよう。アントワーヌはジャックにこう語りかける。

 

ところでぼくは、こうしたことを考えてる。すなわち、ぼくたちふたりは兄弟なんだ、と。それは一見なんでもないことだ。だが、ぼくにとって、これは、きわめて新しい、しかもきわめて重大なことなんだ。兄弟! それは単に、血をおなじくしているというだけのことではない。生まれたときから、まったく株をおなじくし、樹液をおなじくし、いきおいをおなじくしているということなんだ! ふたりは単に、アントワーヌ、ジャックというふたりの個人ではない。ぼくたちは、チボー家に生まれたふたりの人だ。われらはじつにチボー家なのだ。

 

 ちょっと『チボー家の人々』のタイトルコールになっているような。アントワーヌは、「ひとつの種族のなかにかくれているこの力。それを、必ず目的にまで到達させなければ! チボー家なる木は、われらによって花咲かねばならない。ひとつの血脈の一斉開花だ!」とも言っている。血脈への強い自負。

 初夏、チボー家の家番であるフリューリンクばあさんが卒中で倒れ、その孫娘であるリスベットが世話をしにやってくる。彼女はいかにもヒロインめいた描写をされていて、実際わりとすぐに、ジャックとキスをして、互いの身体を触り合う習慣をもつようになる。ジャックに「かわいい……Liebling……」(というのは〈かわいい人〉という意味のドイツ語)と囁いたりする、が、すぐ次のページで、彼女はアントワーヌのことも同じ単語で呼んでいる。

 ほんの数ページでリスベットは、ストラスブールでホテルを経営するおじ(リスベットは両親を失っている)に呼び戻されて去っていった。いずれまた出てくるのだろう。

 夕食に小林カツ代のレシピで焼豚を作る。煮込みが短かったのか、パサついてしまった。217/357

 

3月13日(水)快晴。強い風、花粉。一日作業。散歩は朝と昼の二度、それぞれ三十分くらいずつ、だったのだが、大量の花粉を浴びたせいか、ずっとくしゃみが止まらない。鼻炎薬もあまり効かず、くしゃみをしすぎて疲弊する。217/357

 

3月14日(木)快晴、今日も花粉。朝の散歩でパン屋に寄る。私の前に並んで焼き菓子を買った人がちょっと込み入ったラッピングを頼んでいて、五分ほど待つ。双子なんだけど一人は青が好きで、もう一人は赤が好きなのでデザインは似てるけど色は別に包んでほしくて、と説明するのを聞くともなく聞いていた、ら、パン焼き担当の店員さんが、ブレッサンヌシュクルが焼き上がりました、と言いながらトレーを持って出てきて、ふと私に目を留めて、お客さま、よろしければブレッサンヌシュクル、焼き立てのものにお取り替えします、と話しかけてくる。私はその、ブレッサンヌシュクル、というのが自分が買おうとしてるパンの名前だとわからなかった(もちろん陳列されてるところに名前のプレートがありはしたのだが、ブレッサンヌシュクル、なんて憶えてられない)、し、そんなサービスがあるとも思っていなかった、のでびっくりしつつうれしくなる。昼食のつもりだったのに、せっかくなので帰ってすぐ食った。

 来月の『すばる』に載る中篇のゲラをやっつける。作中、ゴリラの絵が描かれたマスキングテープ、の描写のなかで、ゴリラが人文字をつくっている、と書いた。そこに校正さんが、〈正確にはゴリラ文字ですが…〉と書き込んでいて、それはそう、となる。しかしちょっとそれではユーモラスがすぎるので〈人文字〉のままにした。ゲラ作業、自分の文章が読めるしやればやるほど作品が良くなっていく、し、校正者の性格が見えるのも面白い。217/357

 

3月15日(金)快晴。花粉が多い。頭回らず。編集者にゲラを戻して、タイトルや引用部について数往復のやりとり。

 夕方から松波太郎『背中は語っている』を読む。〈自分の体のことなんか考えずに健康に最期まで人生を全うできるのでしたら、これにまさる喜びやうれしさはないでしょう。〉という一文があり、ほんとうにそう、となる。217/357

 

3月16日(土)晴。一日引きこもる。起きてすぐ、富永啓生選手が出場しているネブラスカ大学対インディアナ大学の試合を観。ビッグテン・カンファレンスのプレーオフトーナメント、の準々決勝。富永さんはけっこう活躍していた、し、実況や解説、現地のリポーターも繰り返し言及していた。エースなんだな。富永さんのネブラスカ大が勝った。このトーナメントで優勝するか、NCAAが決めたパワーランキングで上位に入れば全国大会(マーチ・マッドネス、といういかにもアメリカぽい愛称で呼ばれている)に出場できるそう。

 試合後に黄色い本。フリューリンクばあさんが死んだ。葬儀に際して、ストラスブールでホテルを経営するおじを手伝わされていたリスベットが再びやってくる。会わないうちに彼女は瘭疽(ひょうそ、と平仮名表記だったから意味が取りづらかったのだが、指先の急性化膿性炎症のことだそう)を患っていて、おじの元にいること、にネガティブな意味づけがされている、と思ったら、彼女はウトウトしてたジャックの顔に顔を押しあてて、「Liebling, あんた、寝てたの?」と問いかける。〈「こんど」と、女は言った「あたし、おじさんのお嫁さんになるの」〉二人はどうやらそのまま身体を重ね、その翌日、ジャックがリスベットのことを考えてラテン語の授業に集中できない!みたいなところで第二部〈少年園〉は終わる。

 これの原題はLe Pénitencierで、〈刑務所〉くらいの意味だそうだが、一義的にはジャックが入れられていた感化院のことであると同時に、彼の少年時代の終わりが描かれている(その終わりが性体験によってもたらされる、というのがやや古風な感もあるが)こともあってこの邦題にしたのだろう。

 そういえばこの一連の場面で、フリューリンクばあさんの棺の安置されている家番室の描写のなかに〈ふたりの童貞さんが、その無表情な眼差を彼にそそいだ〉とか、〈ひとりの童貞さんが、ろうそくのしんを摘もうと立ちあがった〉みたいな記述があって、童貞さん……?となったのだが、〈童貞〉にはセックスをしたことがない男性というだけでなく、カトリックの修道女、の意味もあるらしい。Wikipediaによると〈童貞〉は、一九二〇年代から宗教的な意味を薄めて、性別に関係なくセックス未経験の状態を指すようになり(この時点では〈童貞保持者〉みたいな表現が一般的で、〈童貞〉だけでその人を指す用法はなかった)、それが未経験の男性そのものを指すようになったのは一九五〇年代以降だそう。訳者の山内義雄は原書刊行直後の一九二二年から本作を訳しはじめたから古い意味で〈童貞さん〉と言っているのか。

 午後、読書をしながらふと二の腕に触って、ずいぶんと肉がついていることに気づく。ぷにぷに、というオノマトペを、自分の身体に対して、耳たぶや前屈みになったときの腹について思い浮かべたことはあった、が、二の腕はなんというかずっとシュッとしているものだと思っていた。たいへんにショックを受ける。運動しないとな。

 と思いつつウーバーイーツで中華を頼んでしまう。おれは意志が弱い、が、辣子鶏が美味いからいいのだ。235/357

 

3月17日(日)晴のち曇。ネブラスカ大は私が寝てる間に準決勝で敗退していた。ぐっすり寝て、起きてから日付が変わるまでずっと読書。235/357

 

3月18日(月)快晴。冷たい強風、濃い花粉。今日は地元紙の書評エッセイの締切。体調は悪かったが、夕方になんとか仕上げた。

 そのあと米を炊いて、長谷川あかりレシピで豚こま肉のクミン揚げ焼きを作る。美味しくできました。そのあとは疲労感がすごく、睡眠不足でもあったので、ドジャース対韓国代表をなんとなく流しながら、たぶん九時過ぎとかに寝。235/357

 

3月19日(火)曇。十時間くらい寝て、体調も回復した。一日作業。今日も夕食に豚こま肉のクミン揚げ焼きを作る。日曜も芋を揚げて食ったし、揚げもの続きでやや胃もたれ。235/357

 

3月20日(水)曇、一時雨。午前はもくもく読書をして、昼休みに黄色い本も。今日から第三部〈美しい季節〉。ジャックは二十歳になっていて、高等師範学校(エコル・ノルマル)の試験の合格発表の日を迎える。

 ジャックについて、こういう記述がある〈《いままで書かれたあらゆるものを忘れるんだ》と、彼は考えた。《ありきたりの道を離れるんだ! 自分自身をしっかりみつめ、そして、すべてを語るのだ! いままでかつて、誰ひとりすべてを言うだけの勇気をもたなかった。ところが、ついに何者かがあらわれた。すなわち、おれだ!》〉この自意識は良いな。

 ジャックは第三位の成績で合格していた。ダニエルほか、友人たちと合流したジャックはマダム・パクメルの経営する酒場に向かった。その途上で、〈少年園〉以降のダニエルの動向が語られる。大学入学資格を得たダニエルは、しかしその〈ありきたりの道〉からドロップアウトした。彼は絵を学ぶことにしたそう。〈彼としては、宿命的な法則の進展につれて、自分のなかにあるきわめてすぐれたものが、いつかはその表現方法を見いだすであろう日のくるのを待っていた。そして、自分の運命が、最大級の芸術家たるにありと確信して疑わなかった。〉ジャックもダニエルも自信満々だ。おれもこうありたい。

 そしてほどなく、まだ絵を展示したり売ったりした経験もないダニエルに、〈今後三年間にわたって、毎月六百フランの金額をお払いしよう〉というパトロンが現れた。ユダヤ人画商のリュドウィクスン氏。ダニエルは氏が作っている美術雑誌の編集に参画することで生活していて、どうも今はカブールに住んでいるそう。人生いろいろだ。

 マダム・パクメルの酒場は、大人の社交場、といった雰囲気。社交の場をかなりの紙幅を割いて描く、というのは、ちょっと『失われた時を求めて』を思い出す。プルーストは語り手の内省がすさまじく詳細に描かれていた、が、『チボー家の人々』は三人称視点ということもあってか、人々の言動の描写が中心。しかしとにかく初登場の人も多く、誰と誰が誰について話しているのか、ジャックがはじめての社交の場に戸惑っている感覚、を追体験させられたかんじ。

 午後、ウーバーイーツで中華を頼んでバスケットLIVEで群馬対東京と、名古屋D対島根を観。終わったころには眠気のピークで、アルコールの入ったチョコアイスを食ってすぐに寝。275/357

 

3月21日(木)快晴。朝の散歩で図書館に行こうとした、ら、今日は月に一度の木曜定休日だった。

 一日作業をして夕方、五分ほど走る。ゆっくりジョギングだったのだが、切れた息が戻るのに時間がかかる。心肺機能の低下! こないだ読んだ『スマホ脳』に、メンタルの平安のために一日六分、散歩くらいの軽い負荷でもいい(息が切れるくらいのができればいちばんだけど)から運動をすること、と書いてあった、のを思い出す。275/357

 

3月22日(金)快晴。『文藝』二〇二四年春号の王谷晶「蜜のながれ」を読む。氏の小説のなかでいちばん入り込んで読めた、のは、語り手が中年の男性純文学作家、というのが、私の属性に近いだけだろうか。何をしていても頭のなかに(その場にあるものややってることとは無関係な)文章が流れ続けている、という設定で、モノローグの途中にとつぜんそれまでの描写から離れた記述が飛びこんでくる、のが面白い。この題は室生犀星の「蜜のあわれ」だと思っていたのだが、〈意識の流れ〉も念頭に置いてるのかな。

 作家らしい服装として〈脳裏に浮かんだのはピーター・バラカンの立ち襟のシャツと京極夏彦の指ぬきグローブに和服姿だった〉とか、編集者の特徴として〈いかつい感じの、『こち亀』の両津勘吉のような、今どきあまりいない見た目からして熱血タイプの男〉みたいな描写が出てくる。石田夏穂「世紀の善人」にも、〈「TED Talks」のように〉という、作品外の事物を参照するような比喩があった。私は大学の文芸部員だったころ、後輩が書いた〈『名探偵コナン』に出てくる毛利小五郎探偵事務所みたいな雑居ビル〉という描写を、他人の表現にフリーライドするのは作家性の自殺だよ、と今振り返ればちょっと恥ずかしい表現で批判した、のだが、これもひとつの手法なのかもしれないな。いずれも、どういう見た目かは即座に想像できる、という点で効果的ではある、が私は絶対にしない描写だ。

 どうも具合良くなく、食欲はなかったがカレーを作りはじめる。料理というのは命にかかわるものだ。包丁やガス、火、みたいな危険なものを使うし、腐った食材や調理のミスは食中毒のもとになる。だから料理をするときはどうしたって手元の、物理的なことにフォーカスせざるを得ない。無事完成してまんまと回復、冷やご飯をタッパーふたつぶん食った。

 食い過ぎでやや気持ち悪くなりつつ読書。早乙女ぐりこ『速く、ぐりこ! もっと速く!』というすごい題の本がもうすぐ出る、ので、家にある早乙女作品をいくつか読み返している。今日は『だらしない』。性愛を中心とした私生活の大変動をコンテンツとして書くことを選び、それにふさわしくここ最近、色恋がすごい速度でしっちゃかめっちゃかになってる氏の原点、のような自省録。

 最近の仕事と比較すると、『ハローグッバイ』が氏の行動についての本だったのに対して、『だらしない』は、だらしない人間としての自身の来歴について、という主題もあってか、より深く内省が行われている印象。ほんとうにだらしなく、しかし嫌悪感をもよおさないのは、だらしなさに一本筋が通っているからかしら。275/357

 

3月23日(土)曇、一時雨。七時四十分に目が覚めてすぐ、五十分から、NCAAトーナメント〈マーチマッドネス〉の一回戦、ネブラスカ大学対テキサスA&M大学。ネブラスカが負けた。富永選手は敗色濃厚になった終盤にはもう泣いちゃっていて、そういえば彼らはプロ選手ではなく、大学のバスケ部員なのだった、となる。最終年度の最終試合。富永さんの恋人もちょっと泣いていた。

 午後はバスケットLIVEでBリーグを二試合。またトリプルヘッダーをしてしまった。275/357

 

3月24日(日)曇、一時雨。読書読書。

 昼食に芋を揚げて食い、黄色い本を進読する。ダニエルは酒場で知り合ったリネットとともに酒場を出る。彼はここまであだ名で呼ばれていた、のだが、リネットに名前を訊かれ、ようやくフルネームで名乗る。その名を聞いてリネットは動揺して、彼に触れられるのを拒みはじめる。が、「あした、そのわけをお聞かせするわ」と言って車を拾ったところで、ダニエルへの思慕をこらえかねたような感じでキスをして、「あたし……あなたの……赤ちゃんがほしいの!」と言う。何かの因縁がありそうだが、今日読んだところでは明かされず。

 いっぽうアントワーヌが、パパ・チボーの秘書であるシャール氏と話していると、急患の報せが飛んできた。患者はシャール氏の娘、のように読めたが、あとのほうで氏の家の〈ばあやさんの姪〉だとわかる、デデットという七歳くらいの少女。交通事故に遭って瀕死の重傷、とのことで、アントワーヌは氏のマンションに駆けつけた。どうも思わしくなく、アントワーヌは、本来は小児専門の内科医なのに、その場で外科手術をすることになる。

 手塚の『ブラック・ジャック』には、衛生的じゃない場所で手術をする、というシチュエーションがけっこう出てくる。そういうとき主人公は、ボンベで膨らませる風船みたいなテントで無菌室をつくっていたが、アントワーヌはそういうことはせず(というかいま調べたら、実際にはそんな道具は存在しないらしい)。ズボンのサスペンダーを裂いた紐で止血したり、その場にある道具を組み合わせて〈即席の伸筋器〉を作ったりしていた。ブリコラージュだ。

〈《さて》彼は、いくらか時をかせごうとするかのように考えた。《道具かばんはあると。よし! メスにピンセット類。ガーゼの箱もあるし、脱脂綿もよしと! アルコール、カフェイン、ヨードチンキ、等など。みんなある。さ、かかろう》彼はふたたび、そそり上げられるような気持を感じた。行動のもたらす楽しい陶酔、無限の自信。爆発せんばかりに緊張した生活力。そして、それらすべてを立ち越えて、自分がすばらしく大きなものになったというような興奮。〉緊急事態でハイになってる、ということもあるだろうが、ジャックやダニエルと同様、自分の仕事に対する自信というか、自負、の強さが好ましい。おれもこうありたいぞ!

 駆けつけてきた若い医師や心配して居合わせたシャール氏の隣人ラシェルの協力もあって、なんとか手術は成功。デデットは一命をとりとめた。そしてアントワーヌとラシェルの間に色恋の気配が漂いはじめる。二人は疲れ切って並んで寝た、が、セックスまではしていない。しかし別れ際、ラシェルはアントワーヌにキスをして、「ああした晩って、興奮しますわね……」と言う。これはちょっとドキドキしたですね。

 死と性の対比、というのは、本作で繰り返し描かれてきた図式だ。高校生のころ読んだ荻原浩『四度目の氷河期』でも、主人公の少年が、癌を患った母親の余命を知った夜、幼馴染みの少女と、森の洞窟の中ではじめてのセックスをしていた。こんなとこでするかよ、となって未だに憶えている。

 そういえば、ラシェルという女性は『失われた時を求めて』にも出てきた。ユダヤ人の娼婦で、語り手の友人サン=ルーの恋人でもあり、のちに舞台俳優として人気を博する。『チボー家』のラシェルの人種については今のところ書いてない。『失われた時』でも『チボー家』のここまでのところでも、ユダヤ人は見た目に特徴があるように描写されているが、『チボー家』のラシェルについてはその美しさが強調されている。もしユダヤ人だとしたら、敬虔なカトリックで、フォンタナン家がプロテスタントだ、という理由で毛嫌いしていたパパ・チボーは、二人の恋愛を許さないんじゃないかしら。

 午後二時から広島対名古屋Dを観。最終盤、名古屋が一点を追うところでジョシュア・スミス(私の推し)がフリースローを外してしまい、終戦。くやしい。そのあと東京対千葉も観。これも一点差! 311/357

 

3月25日(月)雨。一時過ぎに目が覚め、ネガティブなことを考えてしまい、『文藝』二〇二四年春号の、瞑想ワークショップに作家たちを参加させてエッセイを書かせる、という企画で読んだ、何か考えてしまいそうになったら、その想念のかたまりに〈思考〉というラベルを貼ってすぐ捨てることで頭のなかをニュートラルにする、という、最近けっこう効果を実感してるメソッドをやろうとした、のだが、そうすると、〈思考〉を捨てることでフィジカルな具合の悪さに意識がフォーカスしてしまい、しんどさが増してしまう。

 四時ごろにようやく寝、七時過ぎに起きる。久しぶりにラジオ体操を第一、第二のフルセット。すぐに腕が疲れるしちょっと息も切れた、この程度の運動で!と思ったが、まあそれが私の現状だ。そういえばラジオ体操は第一、第二それぞれ三分ほどで、終わったあと息を切らしてもいた、ということは、『スマホ脳』でハンセンが言っていたのはラジオ体操のことだったのか……?となった。

 雨なので朝の散歩はせず。朝刊を取りに郵便受けを見に行った、ら、日本維新の会・音喜多駿氏のビラが入っていた。ビラ、というか、氏の顔写真のプリントされた封筒に〈ご不在でしたので、また伺います!/音喜多駿(本人)〉と書かれ、中にビラが二枚入れられたもの。私は昨日の朝刊を取ってきて(そのときは氏の封筒はなかった)以来は部屋から出てもいない。だからこの〈ご不在でした〉というのは、最大限好意的に考えても、インターフォンも押さずに留守だと判断したということだ。こういう、臆面もなく嘘をつく、というふるまい、たいへん維新の会らしいというか……。そもそもこの〈ご不在〉の文は手書きではなく、氏の筆跡を封筒に印刷したものにすぎない。投函したのも本人ではないのだろう。なんせインターフォンを押されもしなかったので、実際のところはわからないが。

 げんなりしつつ始業。午前のうちに日本海新聞のコラムをやっつけて、午後二時からカウンセリング。

 そのあと黄色い本を進読。ラシェルがはじめてフルネームを名乗る。ラシェル・ゲプフェルト。これはユダヤ系っぽい、と思った、ら、アントワーヌも同じことを考えていた。彼はもうラシェルにぞっこんで、〈彼は、女がなにか言うたびに、あやうく《ぼくも!》といったりして話の腰をおらないように気をつけ〉なければならないほど。そのくせ彼女がデデットやシャール氏の話をしていても、〈自分がすでにキスしたことのある彼女の口の動き〉に夢中で、ぜんぜん話を聞いていない。子供みたいだなあ。

 そしてラシェルのマンションの前まで来たとき、彼女は、「デデットを見にいらっしゃる」と訊いて口実を与える。アントワーヌも、往診の約束や差し迫ってる仕事があるのに「きょうは、一日ひまなんです」と返した。

 

 ふたりは、ひとことも口をきかずに階段をあがって行った。

 部屋の前まで来たとき、女は鍵穴に鍵を入れた。そして、くるりとうしろを向いた。その顔には、ぱっと欲情が輝いていた。それは、取りすましたところや隠しだてのない自由で、明朗で、そしてはむかえないほどの欲情だった。

 

 自由で、明朗で、そしてはむかえないほどの欲情! ここもなんだかドキドキしちゃったですね。

 いっぽうジャックは、パリ近郊のメーゾン・ラフィットにあるチボー氏の別荘で、学校がはじまるまでの二ヶ月ほどを過ごすことになった。そしてフォンタナン夫人とダニエル、ジェンニーの兄妹(夫は別居中)もメーゾン・ラフィットへ。ひとまず本文は読了。

 立て続けに訳者あとがきも。作品の分析、というより、著者の小伝という感じ。『チボー家の人々』執筆の経緯に筆が割かれていて、そのなかで、まず〈灰色のノート〉〈少年園〉〈美しい季節〉の三部を書き、さらに〈診察〉〈ラ・ソレリーナ〉〈父の死〉と書き上げ、しかし第七部〈出帆準備〉の完成間近で著者が自動車事故に遭い重傷、(詳しくは書いていないがおそらく、一時は死に瀕したことで、自分の命の残り時間で書ききれないことを恐れて)全十五巻に達しそうな構想に大きく手を入れ、〈出帆準備〉の原稿を破棄して、〈一九一四年夏〉と〈エピローグ〉を書き、全八部十一巻(〈美しい季節〉が上下巻、〈一九一四年夏〉が全三巻)で完結させた、と、今後の各部のタイトルが明かされていて、アッ父死ぬのね、となった。

 夕方に退勤して、長谷川あかりレシピの豚こま肉のカリカリ甘味噌絡め、を作る。大量の千切りキャベツといっしょに食いつつ、バスケットLIVEで昨日の川崎対佐賀を観。試合後、そういえば送稿し忘れてたコラムを急いで送り、寝。357/357

 

3月26日(火)雨。外に出ない日。朝のうちにティーポットを落として割ってしまう。新しいものを即注文した。食器が割れるのは持ち主の身に悪いことが起きようとしているのの身代わりになってくれたのだ、と考えることにしている、のでメンタル的にはノーダメージだ、と自分に言い聞かせつつ始業。

 低気圧であまり具合が良くない、ので無理せず、『バキ道』を読んだりしながらゆっくり作業。夕方、おでんを食いながら岩合さんの猫番組。ほっこりした。

 

3月27日(水)快晴。一日作業。

 夜、バスケットLIVEで千葉対宇都宮を観。どちらも強豪で私の好きなチーム。しかし宇都宮が終始リードして、二十三点差で終わる。千葉に負傷者が続出していて、稼働できる外国籍選手が一人だけ、という異常事態で、シーズン終盤に向けてかなり痛い。どうなるかな。

 昨夏の男子ワールドカップあたりからバスケットを観はじめた私にとって、ルーキーシーズンがそろそろ終わろうとしている。と書いていて、メンタルを病んで以来、いろいろなものに興味を持てない、みたいな時期があったせいか、おれは新しい趣味を見つけたのだ!となんだか嬉しくなった。

 

3月28日(木)曇、夜は雨。起きたときから鼻づまり。

 一日作業して夜、長谷川あかりレシピの中華丼を食いながら、バスケットLIVEで昨日の三遠対三河を観。試合が終わったあとは日付が変わるまで読書読書。

 

3月29日(金)午前は強い雨、午後は降ったり晴れたり。パンとスコーンで朝食として、雨なので散歩には出ずに始業。

 今日は『チボー家の人々』の一巻についてのエッセイを書く日。午前は読みながら挟んだ大量のメモを見返して、何を書くか算段する。

 昼の散歩でひさしぶりに新刊書店へ。私家版から増補されたという、ちくま文庫版の植本一子・滝口悠生往復書簡『さびしさについて』を買う。書店で本を買う、というおこないを久しぶりにしたので、なんだかうれしくなった。書店はいい。

 帰宅してエッセイを起筆、夕方までに書き上げる。

 黄色い本を読んでわかったこととして、『黄色い本』のなかで高野文子は、漫画の背景として本書のテキストらしい文字列を描いている、のだが、けっこう改変してるかもしれないこと。

『黄色い本』の主人公・実地子は作品の終盤、ジャックにこう語りかける。〈家出をしたあなたが マルセイユの街を 泣きそうになりながら 歩いていたとき/わたしが その すぐ後を 歩いていたのを 知っていましたか?〉このフレーズの前半のコマのなかでは、雨のなかを歩くジャックの背中が描かれ、そのかたわらに目次らしい〈チボー氏、ジャックをさがしに………十五〉というテキストが添えられている。

 目次からそれらしいテキストを探してみると、該当するのは第一節の〈チボー氏とアントワーヌ、ジャックをさがしに出かける──ピノ神父の話〉。そしてジャックがマルセイユで雨のなかを歩くのは六十六ページの上段で、第一節ではなく、〈七 逃亡──マルセーユにおけるジャックとダニエル──乗船の計画──ダニエルの一夜──トゥーロンをさして〉だった。

 漫画のコマに引用する場面として、ジャックの孤独さが強調されているレジュメのほうがふさわしい、が、最適に思われる第一節のレジュメも、アントワーヌやピノ神父に言及していて情報量が多すぎる、ということでこのかたちになったのだろう。

 私は『黄色い本』を、北海道大学にいたころ授業で読んだ、のだが、発表担当者じゃなかったしなんせ長いので『チボー家の人々』は参照しなかった、から気づかなかったな。

 今日はここで閉店として、夕方の散歩。天気が悪かったわりに暖かく、春が来たのを感じる。

 

3月30日(土)快晴だけど、黄砂らしい薄靄がかかっている。花粉も多く、参っちゃう。

 Amazonで注文していた新しいレコードプレイヤーが届く。なんとなく特別な気持ちになって、私がはじめて買ったレコードであるセロニアス・モンクのSomething in Blueをかける。新しいプレイヤーは八千円弱で、物価が上がってることを考えるとたぶんランクとしては先代と同じくらいだと思う、のだが、音がやわらかくて気持ち良い。ゴキゲンになった。

 十二時半から、BBCの番組「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」を観。モビーン・アザー記者(髪がピンクになってた!)が、前回の取材から一年を経てその後を探る、という内容。

 身近にSMILE-UP.のファンが身近にいないこともあり、街頭インタビューの様子が印象的だったな。若い女性ファンが「〈ジャニーズ事務所〉のままが良かったなって思います」と言い、その母親くらいの年代の女性が、「昔からもう、自分たちが小さいときから慣れ親しんだ名前で」と補足する。あるいは別の女性ファンは、「ファン活動に影響は?」というアザー氏の質問にこう答える。「わたしは特に変わったこととかはなくて、今までどおりに自分なりに、推していく──じゃないけど、そういったことができればいいなっていうふうに思ってました」。また別の二人連れの女性の一人は、「自分の推しもそこに所属してたから心配な気持ちもあったけど、応援し続けたいっていう気持ちが強く勝って、今も応援してるっていう感じです」と語り、連れの女性に明るい笑顔を向ける。推しへの思いをうまく言語化できたことへのよろこび、のようなものを感じる表情。アザー氏の指摘通り、「タレントと性被害を切り離すのはファンには簡単かもしれません」、というかんじだった。

 それから氏はSMILE-UP.の事務所を訪れる。しかし、「(被害者への)カウンセリングの提供は?」と問われた東山氏は、「ぼく自身はカウンセリングとは思っていないのですけど、結果的にそうなるとありがたいな、と。二百人近くの方たちと会いましたけど、それによって心が癒されれば」と、被害を訴えた九百六十四人(二〇二四年三月時点)の五分の一くらいが氏と会ったこと、について答えていたり(アザー氏が「専門家による心のケアは?」と訊きなおしたのには、「うん、もちろんです」とだけ)、誹謗中傷を受けて自殺した人に言及したうえで「被害者をうそつきだと批判する人々にあなたから伝えたいことはありますか?」と訊かれて、「言論の自由もあると思うんですね。(…)その人にとってはそれが〈正義の意見〉なんだろうな、と思うときもあります」と主張したりと、心配になるくらい下手な答えを返し続ける。事務所解体のきっかけをつくったBBCによるインタビュー、という、きわめて重要なシチュエーションで、アザー氏とも数時間におよぶ撮影禁止の〈事前調整〉をして、おそらく法務の専門家や危機管理担当者からレクを受けもした、だろうにこのレベルの受け答えというのは……となんだか絶句してしまう。

 夜、BBCがYouTubeで公開した、ロングバージョンのインタビューも観。こちらでは東山氏は、専門家によるカウンセリングを提供してその費用を負担している、という話もしているし、「無期限にやろうと思っています」と断言していて、「うん、もちろんです」のひと言で片付けた、という昼間の印象が改められた。

 総じて、組織防衛に関するところはなめらかに受け答えしている印象。おそらくそのことはアザー氏(BBC側)も理解していて、だからこそ、そのレクの範囲外の、東山氏が自分の言葉で答え(ざるを得なかっ)たところを中心に編成して番組を作った、のだと思う。

 複数の被虐待経験者から、被害を明かすことによって蒙る不利益が多すぎて、自分の家族にすら打ち明けられずにいる、と聞いたことがある、とアザー氏は語り、このインタビューを見ている、まだ被害を口にできず人に対して何を言うか、と問われて、東山氏は、「とにかくぼくが会いますので、そこでお話ししていただければうれしく思いますし、それによって少しでも癒やしになればいいな、と思ってますので、勇気をもって声を上げてほしいな、と思います」と答える。差別や偏見、そして今回の件では自死につながるほどの誹謗中傷も起きている、にもかかわらず、それを恐れて被害を口に出せずにいる人に、ぼくと会うことが癒やしになればいいと思う、というのは……。

 ここに限らず、ほかならぬ自分が会うこと、の効果を彼はきわめて大きく見積もっているような。彼ほどのタレントが補償に専念するために引退するのはとても大きいことだ、とはいえ、氏の言葉には自分自身に対する評価の高さというか、自負の強さや自信の大きさ、を感じる、し、それはトップアイドルとして長く影響力を保ち続けていた矜恃でもあるのだろう。

 夜、BBCの番組を観ながら書いたメモと参照しつつ、日記を書く。やっぱり「言論の自由」発言がすごい。ログバージョンでは、まず「まず何をもって〈誹謗中傷〉とするのか、どう思いますか?」とアザー氏に定義させた上で「言論の自由もある」と言っている。これはつまり、今あなたが自分の言葉でものごとを定義したように、彼らにも自分の言葉が〈正義〉か〈誹謗中傷〉かを規定する権利がある、ということか。好きにやんな!というメッセージでしかない。いやはや……。

 

3月31日(日)快晴、午後だんだん曇る。夏日だったらしい。

 昨日の夕刊(東京新聞)に、堀江敏幸氏の芥川賞選考委員退任に際してのインタビューが載ってたのを読む。「本を読み始めたころも楽しかったですが、どんどん読んで忘れていって、何を読んだかも分からない今の方が、読書は面白い。何回忘れたかが大事なんです。一度忘れることでしか思い出すことはできませんから」。読むことの、というか、思い出すことのよろこび。

 

紐はさまねで 閉じたので どこまで読んだか わからのなった

ここは読んだみてえな まだみてえなと思いなが ら読む

三日ぐれえたってから ああ ここは読んだん だったと気づく

 

 と、実地子も言っていた。いい読書ですよ。

 天気が良かったのでベランダで髪を切り、そのまま入浴。風呂上がりに昼食としてシェパーズパイをたらふく食う。それから立て続けにバスケを三試合。最後は千葉対川崎の第四クォーター、機材トラブルの復旧を待ってるうちに眠気がきて、再生を止めて寝。

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