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黄色い本 2024.4.7~2024.5.9

4月7日(日)うすぐもり。私はサッカー部員で、遠征のために、鳥取から倉吉まで夜行バスで移動していた。しかしチームメイトの大半の顔に見覚えはなく、知っているのは私の後ろの席の、学部生のころ英語の授業で同じ班になった半年間だけ協力したあとは連絡も取ってない人、の一人だけ。夕方に鳥取西高前を出発、日付が変わったころに長田神社の境内で止まる。ここで朝九時まで休憩するそう。私は長田神社のすぐ近くに住んでるので降りて帰宅、ぐっすり寝て起き、めしを食って母と話していた、ら、スマホのアラームが鳴る。もう九時だ!と慌てて神社に向かった、がバスや乗客の姿はなく、参拝客で賑わっている。私は唯一の旧知の同乗者に〈出ちゃった……?〉とLINEを送り、鳥取から倉吉までの列車の時刻と運賃を調べる──、というところで目が覚めた。

 ほんとうなら鳥取から倉吉まで車で一時間程度だし、長田神社は鳥取西高から、いちばん近い出口を使えば歩いて一分もかからない、のに、なぜ夜行バスなのか。長田神社から歩いて七、八分のところに住んでいたこともあるから、そこだけは現実と同じだ。

 午後、作業をしていると古川真人から電話。二時間ほど話した。そのあとバスケを二試合観。

 

4月8日(月)曇。キャベツの千切りをムシャムシャやって散歩に出、近所の神社へ。神社には十数人の学生と引率の先生っぽい集団がいて、狛犬について英語で説明するのが聞こえる。口が開いてるのと閉じてるの、こちらが阿でこちらが吽といいます、現代の日本語では〈ああ〉も〈うん〉もYesですね、ハハ、というのが聞こえて、英語の駄洒落が出ました!とうれしくなる。私が賽銭箱の前に立つと先生が話を止め、私の動きに合わせて、まず〈お賽銭〉としていくらかお金を入れる、……礼を二度、……二度柏手、……(ここで何か言っていて、聞きとれはしなかったが、いま神と対話してるんですよ、みたいなことだろう)、……もう一度礼、これは一度だけ……と小声で説明しているのがかすかに聞こえた。なんだか日本文化をレペゼンしている気持ちになって、やたらと折り目正しく、最後の一礼は過剰に丁寧になってしまった。参詣のお作法よりこの心性のほうがよほど日本人的だ。

 昼休みに『チボー家の人々』二巻を起読。本巻は第三部〈美しい季節〉の続きから、第六部〈父の死〉の途中まで。

 冒頭、フォンタナン夫人が、別居している夫のジェロームから、彼の恋人(夫人のいとこ)のノエミが瀕死の重症だ、との電報を受け取ってオランダのハールレムに駆けつける。この夫婦の関係がけっこう良い、というか、ジャックたちの、これからはじまっていく恋愛のみずみずしさと、その親世代の、破綻しながらも終わらせられない関係の苦み、の対比が鮮やかなんだよな。

 

 ジェロームはふりむいた。

「きみ、疲れない?」

 彼は、《きみ》というとき、あいかわらず歌をうたうようなちょうしで言った。彼女は、返事をせずに顔をふせた。

 

 ほんの四行で行き交う感情の複雑さよ。ノエミはけっきょく助からないが、死を迎えようとする彼女を前に、フォンタナン夫人はこういうことを考える。

 

すなわち夫人は、ノエミの死を、ひとつの大きな不幸であると考えようとしても考えられない事実を認めないではいられなかった。そうだ、誰にとっても、不幸であるとは考えられなかった。夫人もまた、ジェロームとおなじように、ノエミのいなくなることになれていきかけているのだった。この事実の感情は、容赦ない速度をもって進んでいった。この事実を知ってから、まだ一時間にもなっていない。──それなのに、彼女は、早くもあっさりあきらめかけていたのだった……

 

 人が死んでいこうとすることへの慣れ、というのは、ここまで繰り返し死が描かれている本作を読むにあたって念頭においておくべきテーマかもしれない。

 いっぽうメーゾン・ラフィットでは、ジャックが、ダニエルの妹ジェンニーに夢中になっている。〈ジャックは、その日の午後をジェンニーとの会話のひと言ひと言を思いだすことですごしてしまった。〉ジェンニーも、このときすでにジャックのことを憎からず思っていて、地の文には、互いが言葉を交わしながら考えていること、も細かく書きつけられる。駆け引き、というか、互いの内心を探り合っているような。

 午後の散歩中、公園のベンチに座ってスマホアプリで漫画を読んでいたら、両手いっぱいに小石を持った小学生くらいの三人組が駆け込んできて、水飲み場で洗いはじめる。漏れ聞こえる(というか叫ぶような大声なのでぜんぶ聞こえる)会話によると、そのなかにあるかもしれない〈鉱石〉を武器屋に持っていけば何とかいう名前の貴重な剣を作ってもらえる、らしい。けっきょく鉱石は見つからず、三人はベンチ(私が座ってるのとは違うやつ)に座っておしゃべりをはじめる。

 おれ食器洗いで五十円、それ拭いたら三百円もらえるんだよ。

 エッおれそれぜんぶやって二百円だよ!

 そんだけもらえるならいいでしょ。あたし部屋の掃除して三十円だよ。

 自分の部屋やって金もらえるならいいじゃん!

 埃吸うと目ぇ見えなくなるから掃除しないほうがいいんだよ。

 じゃあおまえ失明だな。

 やだー!

 いずれも声変わり前の高い声で矢継ぎ早に交わされる会話は、どれが誰の台詞なのかもわからないくらいトーンが似ていて、聞いててけっこう楽しい、と思っていたら雨がぱらつきだしたので公園を出る。子供たちは、雨だー!とゲラゲラ笑いながら砂場に突っこんでいた。

 夕方、笠原嘉編『ユキの日記』を起読。ユキが十歳のときの日記に、こういう詩が書き込まれている。

 

    きぼう

 私は大きくなったら 本をかくのよ

 私は本を書くのを たのしみにしている

 私の書いた本は

 人に好まれ 外国語にもやくされるの

 そういう本を 私は書くのよ

 

 おじさんなのでこういうのに弱い。ユキは心不全のため二十八歳で亡くなり、晩年のユキを診察した精神科医の笠原が、遺族から托された日記を十分の一ほどに編集し、死の十数年後に刊行した、のが本書。裏表紙の紹介文には〈これは大きくなったらぜひ作家になりたいと叫んでいた彼女が、この世にのこした唯一の作品であ〉る、と書いてある。ユキが〈私の書いた本〉を目にすることはなかった。人に好まれたか、外国語に訳されたかは知らない、が、死から半世紀あまり経った今もこうして読まれているのだから、少なくとも残りはしたのだ。まだ二十ページくらいしか読んでないのに、粛然とした気持ち。

 夜、わさび菜やからし菜を天ぷらにする。葉物野菜を揚げるのははじめてで、おおいに伸びしろのある仕上がりになった。42/352

 

4月9日(火)雨のち曇。窓に雨が打ちつける音で目覚める。散歩はせずに一日作業。夕方、ウーバーイーツのフレッシュネスバーガーを食う。フレッシュネス、ずいぶん久しぶりに食べたけど、何というかハンバーガーの定義が更新されるくらいに美味かった。私はそういえば、マック以外のは滅多に食べない。こういう、注文が入ってから作りはじめる、という、考えてみれば飲食店としてはきわめてオーソドックスなスタイルのハンバーガーというのはいつ以来なのか……。新しいマイブームの予感。あとは寝るまで読書。42/352

 

4月10日(水)快晴。朝から腹痛、今日は療養日。一日かけて『ユキの日記』を読んでいた。

 

 私は自由がほしい、自分で考えて自分で行うことのできる自由がほしい! あつくてオーバーをぬいでも、ブロンディを切りぬくためにはさみをとっても、たんをはく時にまで、私はお母様ににらまれていなければならない。たしかに“チボー家の人々”のなかの“少年園”よりもひどい!

 

 という一節があり、ユキも読んだんだなあ、となる。しかしこの記述の当時彼女はまだ十三歳だった。学校にも通えないほど喘息がひどかったそうだから、家で本を読むくらいしかできなかったのかな。

 ユキは日記を書く理由として〈私は日記にはその時どきの気もちを一人でぐつぐつ心の中でにるのがいやだから、日記にぶちまけているのだ〉と書いていた。〈私は日記を、自分で後に読むためにも、人に見せるためにも書いてはいない。〉これも十三歳当時。

 ユキはマリ・バシュキルツェフの日記も読んでいるらしい。去年の四月二十一日の日記に、私はこういうことを書いている。

 

Twitterを見ていると、洋書のオンライン書店の、二十五歳で夭逝したウクライナの画家マリア・バシュキルツェフについてのツイートを見かける。死の数ヶ月前、身体のいちじるしい衰えを感じた日の日記に、彼女はこう書いていた。「ほんとうに、私はどんなにしてもこの世の中に生きていたいという、望みではないまでも、欲望をもっていることは明らかである。もし早死をしなかったら私は大芸術家として生きたい。」参っちゃうな。この日記は宮本百合子「マリア・バシュキルツェフの日記」のなかで紹介されていたもので、日記それ自体は日本語訳されていないらしい。

 

 それで宮本のエッセイを読んでみよう、と思ってそのままになっていた。そしてあらためて調べてみると、『マリ・バシュキルツェフの日記』として日本語訳されてますね。おれは何を見ていたんだ……。

 国会図書館のデジタルコレクションで宮本のエッセイが公開されていた、ので読んでみる。引用されていた、〈ほんとうに、私はどんなにしても〜〉のあとにバシュキルツェフは、〈しかし、若し早死をしたらば、私の子の日記を発表してほしい〉と続けている。遠くない死の気配に苦しみながら描き、サロンに出品した「出あひ」という絵(今は「集合」という邦題が一般的)が、作者が裕福な貴族の家に生まれた若く美しい女だ、という理由で不当に低い評価を受けた。それで、自分が死んだら何も残らない、という恐怖に駆られて、この引用されている一節を書いた、ということらしい。

 バシュキルツェフの日記も国会図書館のデジコレで公開されている。めちゃ長いみたいだけど、読んでみよう。

『ユキの日記』はそのほかにも、十代前半からフロイトやサルトルを参照したりしていて、早熟な文学少女、という感じだった。総じてカトリックの信仰についての記述が多い。しかしこう、どうも抽象的な記述が多い。編者の職業的な関心もあって、十分の一に短縮するときに、思索的な内容を中心に構成したのだろう。エピソードトークばっかで自省や思索のない日記はつまらない、が、そればっかりなのも動きがない。たまに出てくる会話が軽やかな関西弁なこともあって、この精神の動揺の向こうでどんな生き生きした生活がいとなまれていたのか、を考えてしまう。42/352

 

4月11日(木)晴、うっすら空に靄。まだ腹痛があって、黄砂か花粉か頭の巡りも悪い、ので、メールを打ったり帳簿をつけたり、負担の小さい作業をやっていく。

 昼、黄色い本を進読。ジャックがジェンニーにキスをする。ジェンニーは、ここまではジャックを憎からず思っているように描かれていた、のだが、とつぜんのキスにひどく動揺して、兄のダニエルや母親に向かって、彼のことを悪し様に言う。「あたし、いつだってチボー家の人たちきらいだったわ!(…)兄さんのほうは、うぬぼれの強い野蛮人みたい。もうひとりのほうは(…)いつも兄さんにとっての悪魔だった!」

 いっぽうアントワーヌはパリでラシェルとの蜜月を過ごしている。「そう、あたしだったら、殺されたりしないかぎり、ずっとおばあさんになるまで生きられると思うわ。(…)そういえば、家の人は、みんな思いもかけないことで死ぬんだわ。兄さんもおぼれて死んだ。そして、あたしにしたところで、きっとまちがいごとで、ピストルかなんかで死ぬと思うわ。あたしいつでも、そんなことを思っていたの」とラシェルは言う。のちの展開を暗示するような台詞。しかしラシェルは思わせぶりっこな言動がめちゃくちゃ多い。

 ちょっと散歩をして、こまごま作業の合間に星新一『きまぐれ星のメモ』を読。こないだTwitterで、この本の一節が引用されてる本のページを写したもの、を見かけたので。

 

「無から有をうみだすインスピレーションなど、そうつごうよく簡単にわいてくるわけがない。メモの山をひっかきまわし、腕組みして歩きまわり、溜息をつき、無為に過ぎてゆく時間を気にし、焼き直しの誘惑と戦い、思いつきをいくつかメモし、そのいずれにも不満を感じ、コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、目薬をさし、石けんで手を洗い、またメモを読みかえす。けっして気力をゆるめてはならない」

 

 というのがその文章。星新一ですらこうなる(あれだけの数と質の仕事をこなしたからこそ、かもしれない)。「創作の経路」という題のとおり、どのようにしてあの、一〇〇〇作を越える作品を発想したか、についてのエッセイで、たいへんに切実に読んだ。〈一つの発想を得るためだけに、八時間ほど書斎にとじこも〉って、とにかくウンウンうなりまくる。小説の軽やかさからはかけ離れた、ストイックというか愚直というか、とにかく時間にものをいわす発想法だ。おれもがんばろう。78/352

 

4月12日(金)晴、日中にすこし曇って、雨も。今日は外に出ない日。とつぜん思い立って、風呂場の床を掃除して、浴槽でシャワーカーテンをオキシクリーンに浸ける。

 昼めしを食いながら『工藤阿須加が行く 農業始めちゃいました』という、農業をはじめた俳優がいろんな農家を訪ねる、JA全農一社提供の番組のUTSUNOMIYA BASE回。宇都宮ブレックスの渡邉裕規選手が知人たちと立ち上げた団体で、こないだ揚げたわさび菜やからし菜、あと今日食べたピクルスもこの人たちが作ったもの(ぜんぶ美味い)。面白かったな。

 私は両親ともに代々農家の家系で、小さいころにはよく畑の手伝いをしていた。小学生のころ祖母に、あんたは畝を作んのが最初から上手かったなあ、と言われて、そんなはずがない、と子供心に思いつつ、ちょっとうれしかったこと、をふと思い出す。農業とまではいかなくとも、家庭菜園とかしたら心が整うかしら。ベランダで何か育ててみるかな、と思った、のでこの録画は消さずにおく。

 それからバスケットLIVEで水曜日の試合を二つ。終わったあとで、オキシ浸けしてたシャワーカーテンを洗う。きれいになりました。78/352

 

4月13日(土)曇。伏せっていた。78/352

 

4月14日(日)晴。長時間寝て、ちょっと回復した。

 ということで黄色い本を進読。アントワーヌとラシェルは、ノルマンディー地方にある、ラシェルの子供の墓に向かう。その往路でラシェルは、ベルギー領コンゴのキンシャサに三ヶ月ほど、行かなければならない、と告げる。アントワーヌを含めて三人いるという〈たいせつな人〉のうち、ズュッコは死んだ子の父、イルシュはアフリカで事業をしていて、彼女のキンシャサ行もその事業を立て直すため。となると何か、アントワーヌも彼女に大きな影響をおよぼしたくなるんじゃないか。ここらへんの話は、ほとんどがラシェルの台詞として語られていて、はたしてすべて本当のことか、それともアントワーヌをたぶらかすための手管なのか、まだわからない。

 午後、バスケを一試合。そのあとは日付が変わるまで、ということは七、八時間ずっと読書。岡本学「X/Y-Z」を読む。オワコン化した(というかそもそも投げやりに開発された)ゲームのなかで戦う二人のプレイヤーと、そのゲームを開発した人物、の三人の視点を順に辿りつつ、しかし人間とはしょせん誰かのつくった絵図のなかで踊ってるだけの存在なのでは……?みたいな気づきが結論として提示される。

 氏はけっこう、テレビゲーム的な発想で作品を構築する印象があって、ゲームばっかやって育った私はいつも楽しんで読んでいる。が、それはちょっと箱庭的というか、作品世界が自閉してる感じ、から逃れられないやりかたでもある。本作はそこらへん自覚的で、実際にはPvPのゲームであるのに、プレイヤー自身はプログラムを相手に戦っていると思い込んでいる、という設定にしている。だからこそ、両者が対峙するフィールドを構築した開発者が視点人物として重要になってくるし、最後の気づきもこの人物に担われていて、めちゃ練られてるのを感じる。

 寝る前に見たTwitterの、杉田俊介のポストが印象に残る。氏は年明けあたりに鬱病を発症して、治療を続けながら日々の感情を投稿し続けている。昨日の夜は、新しい薬の影響なのか、久しぶりに希死念慮に襲われた、ということをつぶやいていた。

 

希死念慮って、よくわからないけど、心や気持ちの面で「しにたい」というよりも、脳が強制的に「しぬしかない」という命令を出しているような、心が憑依されているような感覚があって、だから怖い。本当に怖い。

 

 私の場合、希死念慮は、〈死ぬしかない〉というより〈死ぬのが最も合理的〉みたいな感覚としてやってくる。病で苦しんでいる人間にも食費や光熱費や税金というのは必要で、周囲への負担も大きく、苦しみは日々続き、その状況が改善されることはない、というなぞの確信がある。そういったあらゆる事情を勘案した結果、この生きもの(自分なのだが)の命を維持することは合理的ではない、という結論に達する。

 と、こうやって文字にしてみると認知の歪みがすごいな……。杉田が毎日のようにツイートをしているのは、そうやって言語化することで、自分がいかにヘンなことを考えているかを浮き彫りにする、という効果がある。だから私も、ときどき引きずられて気が滅入ったりしながらも、杉田のポストを見続けているのかもしれない。113/352

 

4月15日(月)晴。朝の散歩の途中、公園に向かう保育園児の行列が横断歩道の向こうを通っているのを見かける。信号が変わりそうになって、保育士のおねいさんが後列の子供たちに、変わっちゃうよ、急いで急いで、と呼びかける。子供たちはそれに応じて、手をつなぎあったまま小走りになり、ぶじに渡りきった。そこでおねいさんは、すごいね、かっこいい!と声をかけていた。

 ジャック・クーリー選手の妻・アレクサンドラさんが、滑り台をすべったり遊具の上をあっちからこっちまで歩いた娘のアテナさんにgood job!と声をかけていて、なんだかいいなあ、と思った、ということを私は二月二十八日の日記に書いていた、が、かっこいい!というのはその日本語訳だ。おれも信号を急いで渡るだけでかっこいいって言われたい、と思ったが、しかし私は、まあ信号変わってもすぐに車が突っ込んでくるわけじゃないし、と、信号が変わりそうになってもぜんぜん急がないのだから、おれはかっこよくない……。

 昼、『チボー家の人々』。ラシェルは当初、イルシュがキンシャサに行けないから代わりに自分が行くのだ、と言っていた。でも、じつはイルシュに呼び寄せられたから行くのだ、と明かす。しかしそれと同時に、「あたし、なんてあなたが好きなんだろう……」とつぶやいてアントワーヌの膝に顔を伏せる。何を考えてるのかぜんぜんわからん。

 けっきょく二人はそのまま別れ、二人の最も親密な時期が終わると同時に、第三部〈美しい季節〉も終わった。次は第四部〈診察〉。第六部の題が〈父の死〉であることを知っている私は、どうしても予断をもって読みはじめてしまう。

 案の定、というか、すぐに父チボー氏の病気の話からはじまる。彼はどうやら、松葉杖がなければ歩けないし、自分ひとりで食事をすることすら困難になっているよう。たびたび咳をして、頻繁に吐き気に苦しんでいる。そしてそんな自分を認めがたくて周囲に当たり散らしている。

 午後ももくもく作業して、寝る前にバスケを一試合。148/352

 

4月16日(火)雲の多い晴。起きてすぐに散歩に出、途中でちょっとランニング、十秒くらいダッシュもしちゃう。ひどく疲れて、帰って洗濯ものを干したところで力尽き、三十分くらい伏せる。何をやってるんや。しかし日記を書いてるいま思い出すと、あれは気持ちの良いぐったりだったな。

 夜まで作業。白米にたらこを載せたものとセブンの冷凍鍋焼きうどん、という手抜きご飯を食いながら、バスケットLIVEで日曜日の名古屋ダービーを観。ダービーマッチ、といいつつ、ふだんの(他都市のチームとの)試合とあまり変わらない雰囲気、と思うのは、どうしてもサッカーと比べてしまうからだ。相手チームのフリースローのときにブーイングをしたりはするけど、敵チームのファン同士が隣り合って座ってたり、選手も何かこの試合を特別視してる感じがなかったりしたのが新鮮だった。バスケはほんとうに治安がいい。148/352

 

4月17日(水)晴、昼間は暑いくらい。どうも具合良くなし。

 ひとしきり作業をして昼、やや遠く(歩いて二十分くらいの距離)まで散歩。冬物にかけるカバーとか洗濯ネットを買おう、と百均に入って、はじめての店のなかでウロウロ探し回っているうちに、パニック発作を起こす。商品はなんとか見つけて、会計を済ませて店を出たあとは、家に近づくにつれて楽になって、スーパーにも寄れた。しかし今日はもう療養日。

 溜まってた郵便物の整理をする。私は日本海新聞に毎月の第一日曜にコラムを連載していて、担当者が掲載号を送ってきてくれる。だから月に一度、故郷の便りが(数日遅れで)届く。J3のガイナーレ鳥取の試合が大きく取り上げられていたり、母校の生徒が百人一首の全国大会で活躍したとか、地元ならではのニュースバリュー、というかんじ。

 で、私のコラムは読書面に載るのだけど、そこに〈ベストセラー〉という欄があって、今月七日の朝刊では、鳥取(今井書店吉成店)と東京(紀伊國屋書店新宿本店)それぞれのトップ十冊が並べられていた。

 

鳥取

①雨穴『変な家 2』(飛鳥新社)

②中永広樹『源氏物語を読んでみよう』(今井出版)

③角田光代『方舟を燃やす』(新潮社)

④ヨシタケシンスケ『おしごとそうだんセンター』(集英社)

⑤アンデシュ・ハンセン、マッツ・ヴェンブラード『メンタル脳』(久山葉子訳、新潮社)

⑥トロル作・絵『おしりたんてい あらたなるかいとう』(ポプラ社)

⑦甘岸久弥『魔導具師ダリヤはうつむかない 番外編』(KADOKAWA)

⑧堤未果『国民の違和感は9割正しい』(PHP研究所)

⑨シンテフン作、ナスンフン画『つかめ! 理科ダマン 4』(呉華順訳、マガジンハウス)

⑩徳永進『いのちのそばで 野の花診療所からの最終便』(朝日新聞出版)

 

東京

①野田雄彦『話せる、伝わる、結果が出る! コミュトレ』(ダイヤモンド社)

②野本一真『スマホの与え方、使い方の教科書』(産業能率大学出版部)

③雨穴『変な家 文庫版』(飛鳥新社)

④雨穴『変な家 2』(飛鳥新社)

⑤加藤じゅういち『TOP企業を育てる自社オリジナル教科書の作り方』(日本能率協会マネジメントセンター)

⑥森永卓郎『書いてはいけない』(三五館シンシャ)

⑦名郷根修『10x 同じ時間で10倍の成果を出す仕組み』(日本実業出版社)

⑧鴻江寿治『一生歩ける喜び』(小学館)

⑧外須美夫『医療現場はコロナの何に苦しんだのか』(幻冬舎メディアコンサルティング)

⑧マイクル・カンクル原作『THE BUILDING BLOCKS』(猪瀬竜馬訳・監修、幻冬舎メディアコンサルティング)

 

 というラインナップ(東京の⑧が三つあるのは同じ冊数売れたということなのだろう)。鳥取が四月一日、東京が四月三日のデータだし、鳥取では本の発売日が二、三日遅れがちなので、東京でランクインしたものが鳥取ではまだ買えなかった、という可能性もある。それにしても、重複してるのが『変な家 2』(鳥取①、東京④)だけというのは面白い。鳥取は絵本や子供向けの本(④⑥⑨)が、東京はビジネス書(①⑦)や会社経営者向けの実用書(⑤と⑧の『THE BUILDING-』)が複数入っているのが特徴的かしら。鳥取②の版元の今井出版は今井書店のグループ企業だし、店頭でプッシュしてるんだろうな。もちろんこれだけで両都市の読書の傾向とかを分析できるほどの情報量ではない、が、興味深い記事だった。

 日が翳ってきたのでベランダに椅子を出して、松永K三蔵「バリ山行」(『群像』二〇二四年三月号)。三年くらい前に読んだ「カメオ」がとても印象的で、新作を待っていたのだ(それにしては読むのが遅い)。題は正規の登山道を外れて歩くことを指す言葉。元山岳部員としてすごく身に覚えのある、しかし言語化するのは難儀なはずの感覚、が描かれている。主人公は、建物の外装の修繕会社という職場の、主に人間関係からくるままならなさと、人の整備の手のおよばない道に踏み込むことによるままならなさ、それぞれにかなわん状況に身を置いていて、しかしその二つのかなわん感じは丁寧に書きわけられる。

 これはたぶん松永という書き手の美質として、かなわん状況を描いていても文章が明るいんですよね。かなんなー、と言いつつ深刻にならない感じで好ましい。

 そして山のなかの描写が良かった。いちばん印象に残ったのはここ。

 

 私もザックを下ろして幹の上に座ると、腰から下がどこまでも沈んでいくように感じた。樹々の葉叢に砕けた陽が、落葉の上に白い粒になって落ちている。風が吹くと樹々と一緒に粒も揺れた。

 

 山行中のなにげない描写。ひと休み、と思って座ったが最後もう二度と立ち上がれないようなほどの疲労の感覚、あの光の感じ。山、また行きたくなってきたな。148/352

 

4月18日(木)曇。賞味期限間近の非常食のパエリアといちごで朝食として、散歩に出。途中ですれ違ったご高齢のおねいさんの着ているスウェットに、でかい黒字でHey, Everyone. Have Breakfast Together.とプリントされていた。

 昼、『チボー家』。往診先を回り、忙しく立ち働きながらアントワーヌは、すでに別れから三年が過ぎたラシェルのことをふと思い出す。アフリカに渡った彼女からの便りは一度もないが、アントワーヌは、〈彼女がまだ世界のどこかに生きているなど、考えてさえもいな〉い。〈気候にやられるか……あるいはツェツェの犠牲になるか……何かの災難で命をおとすか、あるいは水におぼれるか、ことによったら首を絞めて殺されでもしたことか? ……何はともあれ、もう生きていないであろうことだけはたしかだった。〉短い間とはいえ愛しあった人の最期を、それもけっこう悲惨な最期を、なぞの確信をもって想像する。昔の男に呼ばれてアフリカに渡る、という、わりにひどい別れだったせいで、愛情が反転してしまったのかしらん。

〈診察〉の時点では、ジャックが三年前に失踪している、という設定。その間の彼の動向は、いずれ語られるのだろう。

 夕方、読書でもしようと思ってベランダに椅子を出した、が、ほんの十数分でパラパラ降りはじめる。やむなく部屋に引き上げて作業を再開、夜まで。183/352

 

4月19日(金)快晴、すごい花粉。藤の花が咲いていた。今日は療養日。

 昼、白米を食って黄色い本を進読。第四部〈診察〉はアントワーヌの診察風景を描いて終わった。第五部は〈ラ・ソレリーナ〉という題で、イタリア語だと〈妹〉という意味だけど舞台が変わるのかしら、と思って読みはじめた、が、冒頭はパリで、とにかくパパ・チボー氏が病に苦しみ続けている。第六章が〈父の死〉だから、もう最晩年なのだろう。本人には何の病かは告知されていないらしいが、どうやら癌。

 日が翳って少し回復した、のでベランダに椅子を出して読書。ようやく『言語にとって美とは何か』のⅠを読了した。

 夜、ごはんチキンタツタ二種を食いながらバスケを一試合観。試合終わってすぐに寝て、しかし二時間ほどで、ひどい歯の痛みで目が覚めてしまう。

 ロキソニンを飲んで、効くまでのつもりでスマホを開き、Wikipediaの〈ドナー隊〉の記事を読む。アメリカの西部開拓時代、近道をしようとして雪深い山中で遭難し、過酷な越冬を強いられた一隊の話。北野詠一『片喰と黄金』の終盤でちょっと言及されていたのを連載時に読んでこの記事を見つけ、あまりの記事の長さにすぐに読まず、タブを開きっぱなしにしていた、のを、最近『片喰と黄金』を再読しているので、ようやく。

 同作のなかでは、隊の悲劇そのものについては〈悲しい出来事は 衝撃的で/想うだけで やり切れない 気持ちで一杯に なります〉というくらいの言及で、主人公は隊のなかの、カリフォルニアを見ることなく病没した老婆に思いを馳せていた。Wikipediaによるとドナー隊は、遭難生活のなかで複数のグループに分かれていがみ合い、餓死した人の肉を食って命をつないだという。生存者のほとんどが人肉食をしていて、命からがらカリフォルニアに着いたあとも、過酷な経験の記憶や禁忌を犯した罪悪感から逃れることはできなかった。なんだか考え込んでしまい、薬も効かないし寝付かれず、いま午前四時三十九分。219/352

 

4月20日(土)曇。引き続き歯痛。起床即バスケットLIVEにログイン、水曜の東京対千葉を観。東京のライアン・ロシター選手の左手首に手書きフォントっぽい平仮名を四角形に並べた刺青が入っているのに気づく。どうも〈ころから〉のロゴに見える、が、いやたしかに良い出版社ではあるけどなぜロシターが……?と思っていたら、よく見たら〈ここから〉だった。

 そのあとで、今朝の十時半から渡邊雄太選手が配信していたインスタライブを観。氏は今シーズン、強豪のフェニックス・サンズに移籍して、しかしだんだんプレータイムを減らし、トレードでメンフィス・グリズリーズに放出された。テレビ番組のインタビューでは、なんの前触れもなくとつぜん電話がきて放出を告げられた、と話していた。で、グリズリーズではわりと試合に出られていたようだったが、数試合出たあとはシーズンが終わるまでずっとpersonal reasonで欠場し続けていた。それで日本時間の昨日、〈自分の口で今までの事、そしてこれらからの事をみなさんに説明できたらと思ってるので、明日日本時間土曜日の朝10:30ごろにインスタライブをします〉と告知されていたもの。

 personal reasonというのは、メンタル面での問題を抱えていた、ということだそう。二十代の間はどんな苦労をしても、どんな理不尽なことがあっても、絶対にアメリカでプレーし続けること、という目標を立てていたという氏は、今年で三十歳になる。NBAデビューから六シーズン、毎試合どころか毎練習が常に生き残りをかけた戦いのようなものだったようで、「まともな精神状態でプレーできていた時期は少なかった」。

 そういう状態でグリズリーズに移籍した。チームに合流して二試合目、大差でリードされていたところで移籍後初出場をして、負けはしたものの、試合をすることの楽しさ、バスケットの楽しさ、を久しぶりに感じられた。レギュラーシーズンの一試合に過ぎず、チームは負けたし自分の出来も百点ではなかった、が、とにかくバスケットのよろこびを取り戻せた。

 しかし二日後の次戦、大いに意気込んで会場に向かった渡邊は、試合を控えたミーティングの前にコーチに呼ばれて、きみは今日の試合には出ない、と告げられた(配信のなかではその理由は明かされていなかった)。そのひと言が、「めちゃくちゃ自分のなかでは効いた」。宣告どおり出場時間ゼロで終わった試合後、ホテルに帰った渡邊は「身体中の水分が全部出た」くらいに号泣した。それで、自分はバスケットをすることが好きなのだし、当初の目標はひとまず達成できたのから、NBAでのキャリアは今シーズンで終えて、バスケットを楽しめる場所に行こう、と決意した。だから残りの二十数試合、せめて楽しもう、と。

 しかし次の試合、コートに立った瞬間、身体に力が入らなくなったのだという。全身の筋肉が硬直するというか、全身に重りをつけているような感覚。それは、今までとにかく、二十代の間は逃げない、と自分に言い聞かせ続けていた、その〈蓋〉が取れたことで身体症状が出てしまったんじゃないか、と氏は自己分析している。

 オールスターゲームのためにリーグ戦は一時中断したが、再開したあとも、練習は問題なくできるのに、試合に出場すると身体が動かない。そこではじめてコーチやスタッフに打ち明けた。けっきょくそれ以降、トレーニングは続けつつ、シーズン終了までpersonal reasonで欠場し続けた──という経緯。来季は日本でプレーする、という。

 メンフィスと日本の時差は十四時間だから、インスタライブをはじめたのは現地時間の二十時半。金曜日の夜、賑やかに華やぐ街の片隅で、遠く離れた故郷に向けてこれを話す渡邊の感情、は、なかなか想像しがたいものがある。

 楽しんでバスケをできたことが少ないキャリアだった、と振り返っていたのが印象的だったな。好きなことを仕事に、それも世界最高峰の舞台で仕事にすることの難しさ。

 とはいえ氏は、「アメリカでやり残したことは?」という視聴者からの質問に対して、「マジでないです」と断言していた。ただ、バスケ選手としては思い残すところはないが、渡米後はずっとバスケ漬けの日々で遊ぶ時間がなかったそうで、旅行とか、アメリカをもっと知る、というのをいずれやりたい、と答えていた。

「いっしょにプレーしたい日本人選手は?」という問いには、いちばん仲が良いから、という理由で、(チームメイトでも対戦相手でもいい、と念を押しつつ)富樫勇樹選手の名前を挙げていた。富樫選手にはメンタルで問題を抱えていることも相談していたそう。それで心配して頻繁に連絡をくれていた。何か用事があるとかじゃなくてダラダラ話すだけで、それが良かった。めちゃくちゃいいやつですよ、と渡邊は微笑んでいた。

 そういえば私もメンタルを病んで、日によっては散歩もできない、みたいなときもあるのだが、そういうとき、気まぐれにかかってくる古川真人からの電話に、またかよー、と面倒くさがりつつ応答して、通話を切ったあとは気持ちが楽になっている。ありがたいことだ。

 そのあとまたバスケットLIVEで、既往の名古屋対島根を観。めちゃくちゃ良い試合だったな。攻撃の速度、ディフェンスの強度、ルーズボールへの執着。一年弱バスケットを観てきて、ルールとか定石がある程度分かってきてることもあって、それぞれのチームがやりたいことや、相手のストロングポイントへの対策、それを乗り越える選手のスキル、みたいなものが見えるようになってきた。

 川村卓也氏の解説も、体育以外に経験のない私でもわかりやすく、何より本人がバスケ好きなのが伝わってくる語り口で、試合のどのタイミングだったか、双方の戦術やプレーの意図を説明しながら、「楽しいー!」と叫んでいたのが印象に残った。氏は日本代表として長く活躍した人で、選手として全力を尽くし続けた日々があったからこそ、今こうやって解説者として楽しめている。渡邊選手もいつかまたアメリカに行って、NBAを観ながら「楽しいー!」と叫べるようになるといいな。219/352

 

4月21日(日)曇のち雨。歯痛で目覚め、一日伏せる。219/352

 

4月22日(月)朝は雨、午後は曇。今日も歯痛、起床即服薬。

 昼食にカレーを食いながら、録画してた『ブリティッシュ・ベイク・オフ』シーズン四の一回戦を観。ちょっととぼけたキャラの、私の推しになりそうだった出場者が、砂糖と塩を間違える、というあまりにもあんまりなミスをして、あっけなく敗退していった。

 朝の薬の効果が切れてきたのですぐにまた服薬。しかしこうやって薬を飲みつづけてると依存症になりそうだし、とにかく歯医者に行かなければ、と腹をくくって電話をした、ら、このあと十八時とかどうですか、と、四十分後の時間を提示される。

 エッアッハイ、と呆気なく予約が完了して、即座に気持ちが楽になる薬を服用。髭を剃ったり歯を磨いたりして服も着替えて、あとは出るだけ、というあたりからだんだん落ち着かなくなってきて、手が震えるし足腰に力が入らない。何も怖いことなんてない、一時間くらい仰向けになって口開けてりゃ終わる、ということは頭ではわかっていて、それなのに身体が拒否しているというか、コートに立ったときの渡邊雄太もこんな感じだったんだろうか。これは脳の誤作動、ただのざわめき、と繰り返し自分に言い聞かせ、なんとか予約の五分前(歯医者さんまでうちから歩いて二分くらいなのだ)に外出。マンションの階段の上で一分くらい立ちすくんだり、歯医者の入口前で(鞄の中を探すふりをして)グズグズしたりしてから、エイヤッと声に出しながらドアを開ける。

 けっきょく何の問題もなく、四十分ほどの治療を終えた。家を出るまでがいちばんひどかったな。疲れた。219/352

 

4月23日(火)曇。ぐっすり寝。もくもく作業をして、昼休みに黄色い本を進読。引き続き父チボー氏の病の描写。もしかしたらすでに言及があったのを読み飛ばしていたのかもしれないが、彼の妻(アントワーヌとジャックの母親)は、ジャックを産んでまもなく、冬の夜に死んだのだという。チボー家の母親が不在であること、は、本作を考えるうえで重要な気がしている。

 自宅に帰ったアントワーヌは、ジャック宛ての手紙が届いていることに気づく。大学教授のジャリクール(これが初登場)氏からの、ジャックが〈ジャック・ボーチー Jack Baulthy〉という筆名で書いた小説を読んだ、という手紙。〈ご高作きわめて興趣ふかく拝読つかまつり候。〉という書き出しで、こう続く。

 

 もっとも一老学究たる小生にとりて、小生の古典的教養、かつは小生一個の趣味の大半と相容れざる小説的形式にたいし、いささかの留保これあるべきはご推察のことと存じ候。実のところ、ご高作の内容、形式ともに小生の賛し得ざるところにこれあり候。ただし、小生は、御作が、そのきわめて果敢なる個所にありても、なおかつ一個の詩人、心理研究家の筆に成りたるものなることを認むるにやぶさかならず、拝読の際、しばしば小生の友人たる一楽匠が、若き革命的一作曲家より(おそらくは貴下ご朋友のひとりにてもこれあらんか)きわめて大胆なる詩作を示され──速かに持ち去れ。予はあやうくこれに興をいだくに至るべければ──と申せし言葉を思い起こし候。

 

 なんか斬新なことやってるみたいだけどおれは良いとは思わんよ、ということですね。斬新さだけが目指されていて作品としてはぜんぜん面白くない、みたいなのは、現代でもよくある……。しかしこれを言われたところで、作者としては挨拶に困るよなあ。

 ジャックは高等師範学校に入学する直前、退学願を出して失踪した。それから三年。弟の行方につながる情報、ということで、アントワーヌはパリ市内のジャリクール氏の家へ。ジャックは家出の直前、氏のもとを訪ねて、進路について相談したよう。そしていま、ジュネーブで発行されている雑誌に、「ラ・ソレリーナ」という題の小説を起稿した。

 アントワーヌはカルチェ・ラタンのビアホールでその作品を読む。その場面がけっこう長く続き、「ラ・ソレリーナ」の内容がいくつも引用されている。これは本作を書きながらデュ・ガールが創作したものなのか、かつての誰か(若いころのデュ・ガールとか、本作を捧げられたピエール・マルガリティスとか)が書いたものなのか。〈きわめて果敢〉というか、体言止めを多用した短文を畳みかけてリズムを生み出す文体。しかしアントワーヌは、ジャックの失踪の理由とその行き先を探るために読んでいるからか、登場人物をそれぞれの(アントワーヌ自身もふくめた)モデルと照合するような読みかたをしているし、飛ばして読んだり行き来したり、いきなり終わりの数行まで飛んでみたり一心不乱に読みふけったりしていて、まあどんな読みかたをしようと読者の自由ではあるんですが……。

 ジャック自身を投影した主人公ジウゼッペ(イタリア人という設定)は、シビル(モデルはダニエルの妹ジェンニー)とアネッタ(ジャックの義妹ジゼールだけど、作中では実妹という設定に変わっている)、二人の間で揺れている。英語圏っぽい筆名で、イタリア人が主人公の小説をフランス語で書く、というのは、なんだか分裂しているような感じで、その行為自体にジャックの精神状態を思わされるところがある。アネッタとジウゼッペはシビルの家を訪ねた帰路でなかなかはげしいキスをしたりもしているのだが、こういう展開にするなら、なんで実の妹という設定にしたのか、そうやって倫理に抵抗するところが、老教授の〈賛し得ざる〉点だったのかもしれないな。

 ジウゼッペはシビルと結婚の約束をした、が、敬虔なカトリックの信徒であるセレーニョ氏(父チボー氏)は、プロテスタントの家の生まれであるシビルとの婚約につよく反対する。ジウゼッペはシビルとアネッタ、二人への思慕に引き裂かれ、失踪することを決意した──というところで小説は終わる。

 読了したアントワーヌは、その日のうちに私立探偵を雇ってジャックの行方を探らせる。三日後に、ジャックがローザンヌにいる、という報告を受け取って、翌夜の特急に乗ることにした。すごい行動力だ。

 探偵からの報告のなかで、ジャックが一八九〇年生まれであることが書かれていた。私は一九八九年生まれだから、ジャックは私より九十九歳年長。

 夕方から、黒木亮『地球行商人』を最後まで。味の素の、世界各地に現地法人をつくってシェアを獲得していく社員たちの群像、なのだが、完全に『島耕作』だった。主人公が多くてセックスのない『島耕作』。政治の動乱やISの脅威、と、制服を着るのを嫌がる現地採用のぼんくら社員、が同じトーンで描かれてるのもなんか好ましかったな。主人公たちにとってはいずれも、なんとか解決しなければならない問題、という点では同じなのだ。現地の人らの警戒を解こうとして、少額貨幣が高額貨幣に変わる手品を市場で見せたら、おれの金も変えろ!と殺気立った人々が殺到してきて慌てて逃げ出す、みたいなエピソードも、ちょっと『島耕作』にありそうな……。と、読んでるうちにすべてのエピソードが弘兼憲史の絵柄で浮かんでくる。楽しんで読んだ、が、私が楽しんだのは果たして『地球行商人』なのか『島耕作』なのか。263/352

 

4月24日(水)雨。三時台に目が覚める。洗濯機を回したり歯を磨いたり、開けっぱなしだった窓を閉めたりして、寝直せずにそのまま朝。地元紙のコラムに取っ組む日。歯痛のことを書く。そのあとは日付かわるまで読書。263/352

 

4月25日(木)晴。二日連続で寝不足気味。朝の散歩のあとコーヒーを飲んでしまい、昼寝もできず。何をやってるんや。263/352

 

4月26日(金)曇。パンケーキで朝食として、昨夜の双子のライオン堂のイベント「『速く、ぐりこ!もっと速く!』刊行記念「スピードスター対談」早乙女ぐりこ×岸波龍」のアーカイブを観。読書会風に、というコンセプトのイベントだったようで、『速ぐり』未読の私はどうも乗っかりづらかった。

 そのあと五百蔵容『森保ストラテジー』を読了。五百蔵は二〇一八年大会直前に電撃解任されたハリルホジッチの分析に一冊、そのあとを襲った西野朗に率いられた日本代表の二〇一八年大会での戦いの分析に一冊、どちらも同じ星海社新書から本を出していた。で今回、二〇二二年大会に至る四年間を分析した本書が、これも星海社新書から出た。だから次はたぶん二〇二六年大会のあと。今年一月のアジアカップ、私がうんざりしたイラン戦も、きっと精緻に分析されるのだろう。今は森保ジャパンの試合より、それを読むことが楽しみだ。

 午後、ウーバーイーツのめちゃ辛い鍋物を食って、ダラダラ汗をかきながら早乙女の『#恋と似て非なるもの』を読む。その後のあれこれを知ったあとだからか、T氏との関係を中心に読んでしまう。序盤、早乙女の部屋にゴキブリが出た場面の描写。

 

 帰って風呂を沸かしていたら、カーテンの裾の方を黒い影が走り抜けるのを発見。急に暑くなってアパート周辺でもよく見かけていたので覚悟はしていた。クローゼットにあったアリ用の殺虫剤を噴射する。G用のものより効力が弱いのか、なかなか絶命せずにかしゃかしゃ動いているが、慌てることも叫ぶこともなく淡々と任務を終えて換気をする。

 

 同著者の『恋の遺影』の、文中では〈ペンギン氏〉と呼ばれる恋人ができ、それまで頻繁に身体の関係をもっていたT氏に別れを告げたことを綴った日の記述のなかにこういう一節があった。

 

 一二時にT氏と私の最寄り駅で待ち合わせていた。駅直結の適当なカフェに入って、「彼氏ができたからもう会わない」と告げる。案の定泣かれる。「もっと一緒にいたかった」と言われ、「私と付き合う気も結婚する気もなかったくせに、なんで私がずっと一緒にいるのが当たり前だと思ったの」と言ってしまった。付き合ってなくても五年近く親しくしていればまあそれなりに情もわくし名残惜しい気分になる、……かと思ったら全然そうならない自分に驚いた。淡々と任務完了。

 

 私はこの一節を(早乙女が『恋の遺影』のもとになる日記をnoteで公開したときに)読んだ日、自分の日記で長々とこのことについて書いたのだった。

 

T氏には〈駅直結の適当なカフェ〉で別れを告げ、〈淡々と任務完了〉した、のに、ペンギン氏にマックのナゲットで別れを告げられたことは根に持っている。人が人に別れを告げるときというのはすでに、自分のなかではその人との関係は終わりきっているから〈淡々と任務完了〉できるものだ、し、告げられる側はその場で終わりを済ませなければならないから動揺して、つよい記憶として残る。と書いてて思い出したのだが、私はなんか、こちらから別れを告げたことないな。いつもだいたい振られて終わる。

 

 早乙女にとって、T氏に別れを告げることとゴキブリ退治は、どちらも〈淡々〉と終えるべき〈任務〉だった。ゴキブリの〈任務〉は二〇一九年七月二十七日、T氏の〈任務〉は二〇二三年一月十六日で、おそらく書いた本人も、両者に同じ語をつかっている、ことに気づいていないのではないか。

 私は『恋の遺影』のもとになる日記をnoteで読んだとき、T氏を『失われた時を求めて』のアンドレ(私の推し)に重ねすらして、そのことを自分の日記に書きもした。そうでなければたぶん、前回『#恋とは似て非なるもの』を読んだときは気に留めもしなかった、それ自体はさほど独創的でもないゴキブリ退治の描写を印象にとどめることはなかった。恋愛や結婚という関係が終わったあとの記憶のありよう、みたいなことを主題にした作品を発表したばかりなので、自分の意思で終わらせる恋愛の相手に対して人がどのように認識しているか、ということに意識が向いてもいるのだろう。

 そのあと、野村駿『夢と生きる』を起読。副題「バンドマンの社会学」のとおり、本書はミュージシャンとしての成功を目指す夢追い人たちを対象とした研究の成果なのだが、「はじめに」のなかで示された〈夢追い〉の定義が、〈多くの子ども・若者が生業にしたいと考えながら、学歴に担保されるような制度化された職業達成経路を持たないために、実現可能性が低いとみなされている職業に就くことを目指して行われる行為の総体〉というもので、これは小説家として食っていきたい私にも当てはまるものではないか。263/352

 

4月27日(土)朝微雨、あとは曇。午後、散歩がてら図書館へ。『月刊バスケットボール』の先月号(川崎ブレイブサンダース特集)を予約してたのが届いていたのだ。帰宅してさっそく雑誌を開いた、のだが、私の推しである鎌田裕也選手が主役の「かまちゃんと行く! ブレイブサンダース施設案内」という記事が見つからない。よく見るとページが破り取られていた。

 私が住んでいる区の図書館は、雑誌の最新号は貸出不可で、次号が出れば借りられるようになる。でも予約だけなら貸出不可のうちからできる。で、私は予約順位が一位だった。借り出したのは私が最初で、つまり犯人は、館内で閲覧してるときに破った、ということだ。

 鎌田選手の記事のほか、「写真で振り返る選手たちの学生時代」(全ページ)、「クロストーク#2 長谷川技×飯田遼」(四ページ中二、三ページ目)、「外国籍選手に"24"の質問」(四ページ中四ページ目)、も破られていた。対談のまんなかだけ破るというのは、よほど良い発言や写真が載ってたのか、単なるいやがらせか。

 私が働いてた大学図書館にもそういう利用者が何人かいて、来館したら全カウンターにその動向が共有されることになっていた。辞めてから二年経つけど、みんな今も元気に、本の並び順を乱したり、ページを破ってそのへんに散らかしたり、コピー機に卑猥なプリントを放置したりしてるかしら。

 諦めて黄色い本を進読。アントワーヌは雨のローザンヌでジャックに会う。

 

「お父さんが危篤なんだ。もう臨終にまがないんだ」彼は、ここでひと息入れた。そして、さらにつづけて、「それできみを呼びに来たんだ」

 ジャックは身動きもしなかった。(…)アントワーヌの言った言葉のうち、ただひとつ彼の心を深く打ったのは、それは最後の《きみ》という言葉、もう何年というあいだ、耳にしないでいた言葉だった。

 

 という一節が印象に残る。〈きみ〉は原文だとどうなってるのか、いずれにせよ、二人称単数の目的語なのだからteか、母音の前でt'になるだろう。ほんの一、二文字の響き、にジャックは感じ入っている。彼はローザンヌでどうやら左翼的な政治活動にコミットしているようで、その同志たちとはきみtuでやりとりしてるだろう。だからここで〈耳にしないでいた言葉〉とあるのは、他ならぬ兄の口から出たtの音、ということだ。この日記の冒頭で引用した、ジェロームが妻によびかける〈きみ〉の、〈歌をうたうようなちょうし〉と響き合う描写。

 ジャックは、ヨーロッパから北アフリカの各地を巡っていたという。あるとき高熱(「急なやつ……流行性感冒とでもいったやつかな……マラリヤかもしれない……」)を発症して、チュニジアのガベスという街の病院に一ヶ月ほど入院していた。

 調べてみるとガベスは当時フランスの保護領で、仏軍の重要な駐屯地のひとつだったそう。と知って思い出すのは本作の献辞のことだ。〈一九一八年十月三十日衛戍病院において、死は、きみが至純にして悩める心の中に熟しつつあった逞ましい作品をこぼち去った〉と書かれていたピエール・マルガリティスはもしかして、ガベスで死んだのではないか。ピエールは病に屈したがジャックはその苦しみを乗り越え、小説を書き上げた。何の根拠もない思いつきにすぎない、のだが、そうであればいい、と祈るように思う。

 夕方からバスケットLIVEで千葉対宇都宮を観。しかし千葉が調子悪いのか、宇都宮のディフェンスが良すぎるのか、一方的な展開で宇都宮が勝った。それから即座に名古屋D対琉球も。303/352

 

4月28日(日)曇、ときどき日射しも。今日もバスケを観る日。今週末は、この二チームが戦うなら観る、というカードがいくつもある。昨日観た二試合に加えて、川崎対渋谷、島根対広島、東京対群馬。土日に同じカードで二連戦するので、観たい試合が二日で十試合発生する、ということになり、たいへんなのだ。

 まずは昨日の川崎対渋谷と島根対広島、の二試合を立て続けに観て風呂に入り、A東京対群馬も。終わったころには十時を過ぎていて、このまま寝よう、と思ったのだがどうも寝つけず、けっきょく二時ごろまでスマホを見ていた。303/352

 

4月29日(月)曇。朝の散歩のあと、今シーズンはもうエアコンが必要な寒さにはならないだろう、とベランダでフィルター掃除をする。ちょうどスーパーの開店時間になったのでまた外出、洗濯ものも。

 フィルター掃除のために椅子やサンダルをベランダに出した、ので、雨傘をパラソル代わりにして読書。『夢と生きる』をもくもく読みつづける。一時間ほどの散歩を挟んで、夕方まで。暗くなって読みづらくなったのをしおに部屋に戻った。

 冷蔵庫にしらすとキャベツの千切りがあったので、バター醤油でザッとパスタを作って、食いながらバスケットLIVEで日曜の名古屋D対琉球を観。303/352

 

4月30日(火)朝は雨、午後は曇。雨音で目覚める。十一時からオンラインで打ち合わせ。預けている中篇について、前回(十月)話したときは、ちょっと加筆して掲載しましょう!という感じだった、のが、加筆したものを年末に送って数ヶ月音沙汰がなかったので連絡を取ってみたところ、なんか違う気がしてきたんで没で、という返事だった。権力差がある以上、抵抗はできない、のだが、せめて理由を知りたかったので打ち合わせを設定してもらったもの。けっきょく、あまり説得的な理由ではなかったが、より良くなりそうな改稿案を提案してもらえた。でも、まるごと書き直す必要がありそう。

 大江健三郎は、『女族長とトリックスター』という、千枚を超える〈いったん長篇の構成にまとめた草稿〉を、バークレーでの三ヶ月間の滞在中に〈定稿〉に仕上げるつもりだった。が、それでは〈もうひとつの『同時代ゲーム』にしかならぬ〉と不満を感じ、〈長篇の草稿を十いくつのかたまりにまとめ、ひとつずつ読みかえし、批評的に乗り超える意図で、短篇・中篇を書いてみよう〉と決める。大江ですらそうやって、いったん書き上げた原稿をまるごと書き直した(その作品群は『いかに木を殺すか』として刊行された)。その経緯が説明されていた『小説のたくらみ、知の楽しみ』の該当の章を、打ち合わせを終えてすぐに読み返して自分を鼓舞する。

 夕方まで作業をやって、ベランダに椅子を出して『夢を生きる』を最後まで。夜、藤原マキ『私の絵日記』も。303/352

 

5月1日(水)雨。いちごを食って微雨のなか散歩に出。だんだん雨が強まって、びしょ濡れで帰る。着てたものを即洗濯して始業。低気圧とちょっとした寝不足で頭回らず、一日雨だったので昼の散歩もできず。

 それでも『チボー家の人々』は読んだ。前回読んだとこがどんな終わりだったか思い出せず、数ページ遡ってから。ジャックは尊敬していたジャリクールに、作家になりたい、と相談した。しかしジャリクールは、「ちゃんとできあがっている道を軽蔑しすぎてはいけないな……」と諭すようなことを言う。青春状態にある人にそういうことを言っても通じないものだ。彼の態度をジャックは、「青年に批判されること、それが恐ろしすぎたんだ!」と批判する。たしかにジャリクールの態度には、老い衰えることへの怯懦、みたいなものを感じた。そして、感情としてはジャックに共感しつつ、じっさいに私のところにこういう青年が相談に来たら、私はたぶんジャリクールみたいなつまんないことを言いそうだ、とも。

 とにかくジャックは失望を深め、すぐに父親に、学校をやめることにした、と宣言。言い合いの末、「死んでやる!」と叫んで家を出た……というのが失踪の顛末で、だから父はジャックが死んだものと思っている。

 ジャックが用事を済ませに出、アントワーヌが一人残された部屋に、とつぜん女が入ってくる。ソフィアと名乗った女はアントワーヌのことを、絵葉書で見た〈パリで名高い悲劇役者〉にそっくりだ、と言ったり、薪をどんどん暖炉に放りこんで「ジャックさんはこうするのが好きなんですの」と言ってみたり、テーブルの容器から砂糖を取ってカリカリかじってアントワーヌにも勧め、断ったのに「こうしないと、悪いことがやってくるのよ」と言って投げ寄越したりもする。

 

 ふたりの目と目とがゆきあった。ソフィアの目つきは、《あなたはどなた?》それとも《これから、ふたりのあいだに何がおこるかごぞんじ?》とでも言っているかのようだった。透きとおったまつげの金色にいろどられ、だるげでいながら欲望に燃えたつ彼女のひとみは、夏、ひと雨を待っている砂のようだった。それでいて、そこには、情欲というより、倦怠の色がまさっていた。《ふれなば落ちんというやつだな……》と、アントワーヌは思った。《だが、時をおかずにこっちにかみつくやつなんだ。そして、あとになるとこっちを憎む。そして、どこまでも、破廉恥な復讐に燃え立つやつ……》

 

 

 ワンチャンあるで、というのを文学的にいうと〈ふれなば落ちん〉ということになるのだなあ。ラシェルもそうだったけど、アントワーヌはこういう、思わせぶりっこな女に引っかかりがちで、将来それが原因で破滅しそう。

 午後も作業。おやつに肉まんを食った以外は、昼も夜もお茶漬けだけ。314/352

 

5月2日(木)晴、雲は多め。今日の夕方に歯医者の予約がある、ということで、昨夜からナーバスになっていて、三十分ほどウトウトしたあとはどうも寝つかれず、四時ごろまで、がんばって寝てはすぐ目覚めて、みたいなのを繰り返す。歯医者に行ってる夢も見た。四時から八時まではなんとか途切れずに寝。合計で六時間くらいは寝られたかしら。

 今日はゆっくり過ごすこととする。負荷の小さい作業をして、昼の散歩も短距離。そのころからだんだん緊張が強まって、思い返せばずっと歯医者のことやそこで起きることばかり考えていた。参っちゃうな。しかし前回よりかなり楽だったのは、とにかくこないだは発作を起こさずに終えられた!という成功の記憶があるからなのだろう。

 終わったあとは少し歩いて、セブンで飲みものの引換券を使って帰宅。よくがんばりました。314/352

 

5月3日(金)快晴。ぐっすり八時間ほど寝。昨日歯医者に行ったことで、おれは歯医者に行ったぞ!発作も起こさなかったぞ!とうれしくなったのが継続していて、ゴキゲンな目覚め。風呂に入ってバナナを食い、バスケットLIVEで日曜(もうけっこう前だ)の千葉対宇都宮を観。宇都宮が勝って、B1東地区優勝を決めた。お祝いにウーバーイーツでバーガーキングの〈アグリー ザ・ワンパウンダー〉という、〈厚かましい旨さ。〉というキャッチコピーの、公式サイトによると〈4種チーズのクラフトバンズでチーズ6枚と直火焼きビーフ4枚を豪快にサンド!〉というばかみたいなやつと、〈わたくしの抹茶パイ〉という、蓮實重彦の顔が浮かんでくる名前のパイを頼む。

 満腹で昼寝して、起きてから高殿円『98万円で温泉の出る築75年の家を買った』。私は家を買うことを、今は検討もしていないのだが、いずれそのときが来たら読み返す本だ。しかしどうも、文体のテンションが高くて疲れてしまった。

 

 人生百年っていわれてるのに、あと50年あるのに、燃えつきるのはやすぎない!? いや燃えつきてる場合じゃなくない? なのに老化はオタク脳にも深刻な影響を及ぼす。ざっくり言うと若い頃より軽率に萌えられなくなってるんだよ。おいぃ、ばあさんに一番必要なのは推しキャラとか推しカプとかなんだよぉ、脳よ老化してる場合じゃねえんだ、若い頃はあんなに満ちあふれていた中2細胞を返せ。返してくれ!

 

 たぶんゲラゲラ笑いながら読まれることを目指しているのだろう。芸人がおおぜい出てきてワイワイするタイプのお笑い番組を観なくなった私にはちょっと合わない文体だった。

 午後、こないだ(四月二十六日)の日記にも書いた、早乙女ぐりこが日記のなかで、家に出たゴキブリを殺したこと、と、長く身体の関係をもっていたT氏に別れを告げたこと、という二つのエピソードのなかで、同じ〈淡々〉と〈任務〉を終えた、という表現を使っていた、という気づきを、早乙女ぐりこという書き手のことを教えてくれた人に共有した、ら、あれはペンギン氏が読んでるからだよ、と返される。

 早乙女はペンギン氏と交際をはじめたころの日記『恋の遺影』のなかでこう書いている(同書は私家版として出版され、のちに百万年書房刊の『速く、ぐりこ!もっと速く!』に再録された、ので『速ぐり』を参照して引用)。

 

 もし彼氏ができたら、多分noteの日記を書くのはやめるのかなと自分では思っていた。あれこれ書いて相手に嫌な思いをさせるのも嫌だし。かといって相手を気遣って書きたいことが書けないのも嫌だし。『早稲田×三十歳』という本で元夫のみーくんのことを書いて私は懲りた。

 でも、この度彼氏になった人は、自分のことを文章に書いてかまわないと、早乙女ぐりこが自分のことをどんなふうに書くのか知りたいと言う。そんなふうに言ってもらえたのはすごくうれしくて、全部を書くわけではないけれど全部を書かないと決める必要もないのだなと思い直した。

 

 早乙女は喜んでいるが、自分のことをどんなふうに書くのか知りたい、というのは、かなり挑発的な言葉だ。これを言われた瞬間から、書き手は相手の言動すべてを作物の素材として見ることになる。そこから自分の主題や作風と合致する/反発し合う要素をえらび出して、エピソードとして整え、書く。その行為を自分に対してやってほしい、その文章が読みたい、というのはなんというか、自宅の庭で作った野菜をレストランに持ちこんで、これで何か作ってくれ、と注文する、みたいな……。

 もちろんペンギン氏の意図は前半の〈自分のことを文章に書いてかわまない〉にあって、気遣う必要はないよ、くらいの意味なんだろうけど。ともあれこの二人の間には、恋人同士のコミュニケーションとして、会話やメールの交換、身体的な触れあいに加えて、早乙女が書きペンギン氏が読む、というルートが合意されている、ということだ。

 で、早乙女はペンギン氏と交際をはじめた四日後にT氏に別れを告げた。そのときの表現がゴキブリを殺したときに似てる、というのが私がこないだの日記に書いたこと。似てる、と気づいただけで満足していたのだが、指摘されて読み返してみるとたしかに、〈というわけでこのnote日記にT氏が出てくることはもう二度とありません。T氏、永らくの登板おつかれさまでした。今までありがとう。〉という訣別の言葉はやや過剰なようにも思える。のちにペンギン氏と別れ、早乙女の日記にT氏が再登板することを知っている今読むとなおさら。

 

G用のものより効力が弱いのか、なかなか絶命せずにかしゃかしゃ動いているが、慌てることも叫ぶこともなく淡々と任務を終えて換気をする。

『#恋と似て非なるもの』

 

付き合ってなくても五年近く親しくしていればまあそれなりに情もわくし名残惜しい気分になる、……かと思ったら全然そうならない自分に驚いた。淡々と任務完了。

『速く、ぐりこ!もっと速く!』

 

 と改めて書き写してみると、どちらも、もっと動揺すると思っていたけど自分は最後まで冷静だった、という構成の文だ。もちろん早乙女が、T氏をゴキブリと同じ構成で書いてやれ、と意図してこの二つの文章を書いた、とは思わないが、両者との対峙とその終結を書くときに同じ構成と語彙の運用をしてはいて、その背後には確かに、以前から早乙女のnote日記を読んでいたというペンギン氏への、目配せ、というにも弱い意識のかたむきがあったのかもしれない。

 夜、日曜の川崎対渋谷を観。今シーズン限りでの引退を表明しているニック・ファジーカス(川崎)のホーム最終戦。第四クォーター残り一秒、二点差で渋谷がリードしていたところでファジーカスがスリーポイントシュートを放ち、しかし外れてしまってそのままブザー、という幕切れだった。

 試合後には引退セレモニーがあって、ファジーカスは、「最後のあのシュートは、絶対に僕の記憶のなかで忘れられないシュートになってしまった」と言っていた。スピーチをしながら、本人も、それを訳す通訳さんも泣いていて、私ももらい泣き。314/352

 

5月4日(土)快晴。三時ごろに目が覚めて、そのあとはウトウトしては悪夢で目覚める、というのを何度も繰り返す。気がつけば八時ごろになっていて、諦めて起きた。ホットサンドメーカーで肉まんをカリカリにして食い、キウイを剝く。

 午後、ミスドの美味いのを食いながらWリーグオールスターの、レジェンド選手たちが対戦するGREATEST 25という試合を観。この試合に出ている引退選手たちは、Wリーグや大学や育成年代の指導者、解説者、と、今もバスケットに関わる仕事をしている人が多いみたい。子供を連れてきている人や、登録名と本名が違う、という人も。その後の人生、ということを考えさせられる。

 Bリーグ最終節の広島対琉球も観て、昼寝をしてから黄色い本。第六部〈父の死〉がはじまった。冒頭は、あんのじょう、というか、父チボーが病魔に苦しめられている描写。父の視点から身体感覚を描くような記述も多い。枕元で司祭が祈りを捧げ、神の教えを説いている、が、それで癒されるような苦しみではない。間断なくつづく発作、はげしい痙攣、看護する家番のおばさんの、コーヒーポットを持つ手の震え、疲労。そしてアントワーヌの、医師として「エーテルを少し」と指示を出す声のつくられた冷静さ。

 しかしチボー氏はまだ生きている。アントワーヌの尽力が効いたのか、ひとまずの小康状態のまま本巻は終わった。

 次はどうなるんかな、と思って、何の気なしに奥付からさらにページをめくると、【白水社の図書案内】という広告が載っている。マンディアルグとかルナールとか、フランス文学の翻訳や評論が並んでいるのだが、いちばん大きいスペースを割かれて、マルタン・デュ・ガールの『チボー家のジャック 少年版チボー家の人々』(山内義雄訳)が紹介されていた。その梗概がこれ。

 

 大作『チボー家の人々』の主人公ジャックを中心にした物語を作者自身がとくに少年少女むきに書いたもの。少年時代に因習に反抗的なジャックが、やがて平和運動の地下組織にはいり戦場に反戦ビラを撒くために飛びたった飛行機で悲惨な死をとげるまで、強い迫力で描く感動深い傑作である。

 

 ネタバレやないか!352/352

 

5月5日(日)晴。一時ごろに悪夢で目覚めた。私が小説で成功していることに嫉妬した青年が襲撃してくる夢。凶器が私に届く寸前に悲鳴を上げながら飛び起きる。

 午後、めしを食いながらバスケットLIVEで佐賀対名古屋Dと、広島対琉球を観。広島の朝山正悟選手も今シーズンでの引退を表明していて、今日がホーム最終戦。カイル・ミリングの人情采配か、けっこうな時間プレーしていた。最後、勝敗がほぼ決まっていた残り十数秒のタイミングで朝山さんにボールが回ってスリーポイントシュート。きれいに入った。

 ファジーカスもそうだったけど、引退する選手の最後の試合(ホーム戦)で、ラストポゼッションのシュートを任せる、というのは、バスケットでは定番なのかもしれない。サッカーだと、引退する選手を先発させて、交代で退場するときにスタンディングオベーションをする、というのがよくある。そのときチームメイト(ときには相手選手や審判も)が整列して花道を作ったり。バスケほど頻繁にシュートの機会がないし、一度交代で退いた選手が再出場することもない、という違いによるものなのだろう。野球だと代打出場とかなのかな。

 

5月6日(月)曇。風が強い。昼まで作業をして、午後一時からバスケットLIVEで佐賀対名古屋を観。競った試合で名古屋が勝って、劇的な逆転優勝を決めた。うれしいなあ。これがレギュラーシーズン最後の試合で、去年の夏からバスケットを観はじめた私は、ワンシーズンを完走したぞ!みたいな気持ちで感無量になった。とはいえまだチャンピオンシップがある。

 岩合さんの猫番組の短いやつを挟んで、十八時からの、CS出場チームの代表選手たちの会見を観。さっき佐賀で試合を終えたばかりの名古屋の須田選手がリモート参加で、でかい男たち七人に囲まれた画面のなかで一人だけ居心地悪そうにしていて、その場にいるだけで(いないが)面白かった。

 というか、広島や琉球みたいな遠方の選手も、わずか四十五分の会見、一人一人の発言は五分程度のイベントのために会見場の帝国ホテルまで集まるの、たいへんすぎる。別に全員リモートで、画面のなかでやればいいじゃん、と私は思ったのだが、あれはコロナ禍の異常な対応だった、ということなのだろう。選手たちが(須田さんの画面を挟んで左右で)二本のマイクを共有して喋っていた、のも、コロナ禍では見なかったことだ。

 そういえば、こないだオンラインで打ち合わせした編集者が、会社がZOOMとの契約を解除した、と言っていた。別の編集者も、今どきオンラインで打ち合わせなんて、遠方だったり水原さんみたいに健康上の理由があったり、あとはよっぽど慎重な人だけですよ、と言っていた。今どき、という表現に、その編集者が、社会のオンライン化を一過性のブームのように捉えているのが表れている、と思ったのだった。

 夜、岩合さんの猫番組の短いやつをもう一つ観て、『ザ・バックヤード』の東京メトロ回も観。バスケは一試合だけだったが、こうやって日記に書き出してみると、めちゃたくさん観たな。読書が捗らないはずだ。

 

5月7日(火)雨、夕方止む。低気圧のためスローに作業。昼の散歩もできず、やや鬱々としつつ。

『つげ義春日記』を読了した。こないだ妻である藤原マキの『私の絵日記』を読んだので、たてつづけに。わりと冒頭ちかくの昭和五十一(一九七六)年一月二十四日にこういう記述がある。

 

 帰途、電車の中でどっと暗い気持ちに落ちこむ。立っていられないほど得体の知れない気分に襲われる。発作的に自殺をするのではないかという怖れを「あと十分、あと五分の辛棒で家に帰れる」と云いきかせ懸命にこらえる。十二時半に家に着く。マキにはその状態を云わず、すぐ床にもぐり込む。それにしても変な気分に襲われたものだ。

 

 ひとり息子の正助が生まれた数日後、平凡な一日の終わりに突如として襲いかかった〈変な気分〉。氏はこのころ、作品のドラマ化や文庫版の刊行、増刷が重なって、金銭的にはけっこう順調なのだが、とにかく鬱々とした気分が強調されている。

 繰り返される発作の描写も、自分の身体感覚として知っているだけに、読んでて息苦しくなることもあった。が、これだけ苦しんでいたつげも、八十代後半になった今も生きていて、四、五年前には海外旅行までやっている(『芸術新潮』二〇二〇年四月号)。パニック障碍や不安障碍の当事者が書いたエッセイの類いを、自分も発症してからいろいろ読んでいるのだが、人によって症状のあらわれかたが違うこともあり、つらそうではあるけど(電車に乗ったり外食したり)おれより軽症だな、と思っちゃうことも多かった。が、つげの症状は私にけっこう近く、これまで読んだなかでいちばん共感できた。そのつげが、長距離の飛行機移動ができるほど回復した、というのは、希望の持てることだったな。

 本書は昭和五十(一九七五)年十一月から昭和五十五(一九八〇)年九月までの日記なのだが、藤原の『私の絵日記』は一九八〇年の一月から四月の日記が大半を占めている。両者とも毎日欠かさず収録されているわけではない、が、ときどき同じ日のことをそれぞれの視点から書いていることがあって、読み比べると面白い。

 たとえば家族三人が全員熱を出していた三月二十日、つげはこういうふうに書いている。

 

 今日は熱は三十八度に下った。正助はまだ四十度ある。腹が苦しいと訴える。二人ともコタツの中でぐったりしていた。

 マキは一人で新宿へハンドバッグを買いに行った。高熱の二人がとり残され心細かった。外は春の真盛りで暖かそうだった。

 

 いっぽう、同じ日の藤原の記述はこう。

 

オトウサンが新宿へでも行ってきたら? と云ってくれたので、入園式用に小型のバッグを探しに行ったが、あまり高いので結局あきらめた。そのかわり、私好みのガマ口型オモチャみたいなのを二千五百円で買った。

出かける時は正直云って息抜きしたいと思っていたのに、熱のせいか疲れただけだ。

うちに居ると修羅のようになるくせに、病気の二人を放ったらかしてきた自責の念にとらわれ、とても楽しむどころではなかった。

 

 つげの日記のほうはけっこう、被害者意識、というほどではないが、藤原のために自分は我慢を強いられている、という前提で書かれている。認識の違い、というか、つげのほうがより演出的に日記を書いている、ということかもしれない。

 印象的だったのは四月二十八日の記述の違い。藤原の日記にはこうある。

 

初夏のような暑さになった。

いつものように正助を幼稚園から連れて帰り昼食。オトウサンも今日は少し楽な様子なので外へ行こうと誘ってみた。

あんまりいゝ天気なので思い切って少し遠出した。「野川」の土手で自転車をとめ、正助を遊ばせた。正助はまるで生き返ったように花や虫と遊んだ。

太陽がキラキラ輝き、花は咲き、束の間辛さから逃れて平和な気持に包まれた。このまゝこゝにずっと居たいと希い、もう帰りたくないという気分になった。

 

 私はつげの日記より先に藤原の日記を読んで、この平穏さに尊いものを感じてつよく印象にとどめていた。で、同じ日のつげの日記はこう。

 

 昨日は不安はなかったのに、今日は朝からなんとなく不安だった。気にしないよう努めていたけれど、足はこわばっていた。

 午後から三人で自転車で、小田急線の喜多見まで散歩に行ってみた。喫茶店に這入ったけれど、コーヒーは神経によくないのでソーダー水にした。店にいても、いつ不安に襲われるかと、そればかりに気を奪われくつろげない。つい無口になる。私が無口になると正助もマキも淋しそうにする。

 帰途、神社で休憩した。礼拝したら少し落着いた。あまり信仰心はないけれど、神社にいると不思議と落着くので去りがたくなった。

 

 朝から不安に耐えていたつげを藤原は、〈少し楽な様子〉と思っていた。藤原が誤解していた、のではなく、つげの強がりがうまくいっていた、ということだろう。そしてそれだけ認識が違っていながら、どちらも散歩先で、この場にずっといたい、と感じている。いっしょに行動して、違うことを感じながら同じことを願う。夫婦ってこういうものなのかもしれない。

 この感覚はたてつづけに読んだからこそ得られたものだ。手元に置いておきたい二冊。

 

5月8日(木)曇、一時雨。散歩をして帰り、今日の新聞を読んでいた、ら、折り込みチラシに、ふだん買いものをしてるスーパーで駅弁フェアをやっている、というのが出ている。そのなかに鳥取駅の〈元祖 かに寿し〉があった、ので即再外出。スーパーに直行して無事購入した、が、ついでにほかの駅弁も買ってしまい、今日が賞味期限のが四食になった。

 レジに並んでいると、後ろに並んだご高齢のおねいさんが私のカゴをまじまじと(私の身体に頭が当たりそうなほど前のめりになって)覗きこんできた、ので、これね、駅弁なんですよ、と声をかける。

 アラあたし毎日来てるけど駅弁なんて売ってたかしら。

 ぼくもチラシ見て買いに来たんですけどね、今日だけのフェアで。

 そうなの、気づかなかった。

 あっちの角のとこにありますよ、一つだけのつもりで四つ買っちゃった。

 若いわねえ、あたしそんなに食べきれないわ。

 いやあ、我慢ができないだけで。

 それが若さよ。

 そうやって話している間に私の番がきて、じゃあお先に、とレジに向かう。なんだか盛り上がってしまった。

 午後、昼休みに読書をしてたらパラパラ雨が降り出したので、強くなる前に、と思って、徒歩二、三分のドラッグストアへ。しかし買いたかったものが見つからなかったうえに、店を出ると土砂降りになっていた。通り雨っぽかったがそのまま出、濡れて帰る。

 休憩がてら、昨日の日記に『つげ義春日記』のことを書いていた、ら、なんだか没頭して長くなってしまった。それでふと、松田直樹のことを考える。

 松田は二〇一一年八月四日、三十四歳で急逝した。同月二日、当時所属していた松本山雅FCの練習中、「やばい、やばい」と言いながら突然倒れ、心肺停止の状態で救急搬送され、鼓動が再開しはしたものの、意識を取り戻すことなく息を引き取った。救急搬送、それを受けた国内外のサッカー関係者のコメント、そして逝去にいたる三日間、大学の夏休みで、バイトも就活もしていなかった私は、夢中でニュースを追いつづけた。

 二十一歳だった私は、ロックスターは二十七歳で死ぬ、みたいな伝説を、今振り返れば過剰に意識していた。自分は二十七歳で死ぬかもしれない、さもなければ永遠に生きる。そう思っていたのだが、いちばん好きなサッカー選手だった松田の死が、そこに割り込んできた。それで数年後、死ぬことなく二十八歳になった私は、じゃあ三十四かもな、とふと思いついた。

 いま私は三十四歳で、松田のことだけが理由ではないにせよ、つげが抱いていたのと同じような死の恐怖にさいなまれている。三十五歳になるまで生きおおせれば、その先は永遠に生きられるのではないか、と思うのは、ぶじに松田の死の歳を超えればその先には何もない、と思うからだ。

 と、松田のことを考えていて、そういえば彼は生後何日で死んだのだろう、と思いつく。あるいは私はもうすでに、彼の死を過ぎているのではないか?

 ということで、日数計算サイトで調べてみたところ、松田(一九七七年三月十四日生まれ)の死は彼の人生において、一二五六一日目の出来事だった。そしてこの日記を書いている今日は、私(一九八九年十月十四日生まれ)の人生において、一二六二五日目。超えているではないか!と、びっくりする。

 で、じゃあ私にとって一二五六一日目はいつか、と計算してみると、三月五日。その日私は原因不明の高熱に苦しんでいた。前日にはあまりの苦しさに、音声入力で遺書を書いてすらいた。松田が昏睡状態で死の淵をさ迷っていたのと同じ、一二五六〇日目の出来事。

 しかし私は生還した。彼の死が生後何日目か、なんて考えたこともなかったし、単なる偶然だろう、とは思う。それでもあの日私は身悶えしながら、今の自分の年齢で死んだ松田のことを考えてはいたのだ。何かの符合を見出したくなる。

 そしてこのことに気づいて日記を書きながら、なんだか気持ちが楽になってきた。これで心の病が治った!と思うほど楽天的ではないけど、とにかく人生の峠を一つ越えたような。ホッとしてる。

 夜、故郷の駅弁を食いながら『ザ・バックヤード』の国会図書館回を、司書資格持ちにとって国会図書館というのはバンドマンにとっての武道館みたいなもんなので、憧れとともに観。古川真人から連絡が来ていたが、気づかず無視してしまった。

 

5月9日(木)朝は曇、午後は快晴。昨日は夏掛けで寝たのだが、寒さで目覚める。冬の終わりに戻ったような気候。昨日買った駅弁を食って散歩。神楽坂駅改札、コンビニ、図書館。それから始業した。今日は『チボー家の人々』についての文章を書く日。午後の散歩は三十分ほど、買いものもせずに過ごした。

 まだ明るいうちにひとまず完成、明日まで寝かせることとして今日は閉店。ベランダに椅子を出して、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』を再読。芸術家(この場合はもちろん、小説家を念頭においているのだろう)の〈病い〉についての会話が興味深い。

 

村上 芸術家、クリエートする人間というのも、人は誰でも病んでいるという意味においては、病んでいるということは言えますか?

河合 もちろんそうです。

村上 それにプラスして、健常でなくてはならないのですね。

河合 それは表現という形にする力を持っていないとだめだ、ということになるでしょうね。それと、芸術家の人は、時代の病いとか文化の病いを引き受ける力を持っているということでしょう。

 ですから、それは個人的に病みつつも、個人的な病いをちょっと越えるということでしょう。個人的な病いを越えた、時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで、その人の表現が普遍性を持ってくるのです。

 

 前回読んだとき(七年前)は今より心身ともに健康だった。それが今ではこの、実際には比喩的な意味がつよいのだろう〈病い〉が、自分のこととしてつよく響いてきた。

「コミットメントというのは何かというと、人と人との関わり合いだと思うのだけれど、これまでにあるような、「あなたの言っていることはわかるわかる、じゃ、手をつなごう」というのではなくて、「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えてつながる、というコミットメントのありように、ぼくは非常に惹かれたのだと思うのです。」とも村上は言っていた。だから私のこの心の〈病い〉は、(しんどいし周囲に迷惑をかけることも多いが)一つの作品というモノをおっ建ってるための体力や集中力、つまり〈健常〉であること、を再び獲得できさえすれば、たゆまぬ〈井戸掘り〉によって、普遍性への手がかりになる。元気が出た。

 夜、めしを食いながら『ザ・バックヤード』の東武ワールドスクウェア回を観、バスケットLIVEで再配信されていた、私のいちばん好きなトーク番組『イカでいい会』の、二〇二〇年のBリーグオールスター回を観。ゲラゲラして寿命が延びた。



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