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2021.1.1


 朝目覚めるシーンからはじまる小説が多すぎる。そんな、ほとんど愚痴めいた、どこで、いつ読んだのかも思い出せない言葉を思い出しながら目を覚ました。それはたしか、ライトノベルの新人賞の下読み委員の言葉で、応募しようと思っている人が気をつけるべきことは、というような問いへの回答で、ということはきっと、作家志望者が読むような媒体に掲載された文章で、と、寝覚めの頭が、夢の残滓から起き上がるついでに、とっくに忘れていた記憶を拾い上げてきたように思い出されてきた。私が読んだのだからたぶん、応募者の交流サイトとか公募ガイドみたいな、わざわざ探しに行かなきゃならないようなところじゃなくて、賞の公式サイトか、その賞を主催している雑誌だったのだろう。そこまでわかれば、いくつかの新人賞のサイトにアクセスして、過去の記事のアーカイブを探れば、その言葉を掘り起こすこともできるのだろうが、やらない。寝起きでめんどくさいから。

 私はその言葉を律儀に守り、幸運にも数度で終わった新人賞応募のために小説を書くとき、朝目覚めるシーンからははじめないようにした。語り手が立ち会った他人の出産、スキー場を上昇していくリフトの寒さ、二〇五〇年の美術館の閉館のメロディ。受賞したのは帰省した語り手が実家の門を見上げるシーンではじまる作品だった。

 私が今後、新人賞に応募することはきっとなく、だからあの言葉はもう忘れてしまってもいいはずだ。それなのに私は、朝目覚めたときや、そんなシーンではじまる小説を読んだときだけでなく、自分が新しい作品を書きはじめるときにも、そのことを考えてしまう。朝目覚めるシーンから書きはじめる凡庸さを回避したい感情があり、しかしほとんどの人は毎朝目覚めているのだからそんな場面は人生に多く、とはいえ、小説をそこからはじめるのは安易に流れているということだろうか、と思考はいくらでも堂々巡りに陥る。どんな小説でも朝目覚めるシーンから書きはじめうるし、だからって朝目覚めるシーンから書きはじめる必要はもちろんない、の、かもしれず、かといって、こういう思考をひとしきりしたあとで、語り手が、試合中のサッカーグラウンドに全裸で乱入する親友をテレビで目撃するシーン(これは先日読みかえした自作の冒頭で、もはや目覚めのシーンではじまらない小説を読んですら、私はあの一文のことを思い出したりする)からはじめても、それはけっきょくあの思考に作品を左右されているということだ。どうしたって私はもう、あの、もしかしたら本人すらそんな発言をしたことを覚えていないかもしれない、たぶんいくつも並んだ回答のひとつでしかない一文から自由に生きることはできず、逃れる方法があるとしたら、それはもう二度と小説を読まず、書かないことだけだ。

 朝起きてからしばらく、そういうことを考えていた。ずっと昔に読んだハウツーの一文に、今後書くすべての作品が影響されるというのは、なんだか窮屈なことのようだが、ふしぎと嫌ではなかった。それは、こうして寝覚めにつらつらとたゆたう思考は、どうせ起き上がればすぐに忘れてしまうからかもしれない。ブラインドの隙間から見える外は暗かった。いつも深夜まで明かりを灯している、路地を挟んで向かいのマンションの五階の左端の部屋も、いまは暗い。街灯の丸い光の端っこが、下の方にぼうと見えた。大きい通り──といっても片側一車線で、日中はずっと混んでいる──から一本入ったところにある路地は、だいたいいつも人通りが少なく、だからこそ、だろう、近所の保育園のお散歩コースになっていて、平日は毎日、朝の十時と午後の二時に、賑やかな子供らと、それを統率しようと奮闘する保育士さんたちの声が聞こえる。

 タクミくん手、離さないよ。

 はなーす!

 はなさない、ほらアカネちゃんさみしいねえ、かなしいねえ、手つながないとさみしいよ。

 さみしくないよ。

 アカネちゃんらしい女の子の、毅然とした声。しかしアカネちゃんは、そう言ってから自分が強がったと気づいたらしく、すぐに涙声になって、さみしくないよ、と繰り返す。

 そうそう、ちゃあんとお手てつないでね。安心だからね。

 二人を励ますように保育士さんが言った。アカネちゃんの様子に、わんぱくなタクミくんもさすがに反省したようで、三階の自室の窓をほそく開け、仕事の手を止めてなりゆきに耳をそばだてていた私もほっとする。

 ずっと続けていた図書館の仕事を辞め、この街に越してきてそろそろ五年になる。五年も経てばきっと保育園の、朝昼のお散歩に出る子供たちの顔ぶれは入れ替わっているはずで、それでもタクミやアカネという、そう珍しくない名前は毎年のようにいて、だからこんなやりとりが、毎年交わされているような気がする。そして私の筆名もわりとよくある名前だから、今年の春からお散歩隊に加わったなかにも一人いて、リョウくんはもうすぐ車通りの多い都道に出るのにぐいぐい一人で進もうとして、このあいだなんかは、一位になっても何も出ないよ、という窘めかたをされ、やっぱり仕事を中断して聞き入っていた私は、そんなんじゃリョウは止めらんないよ、と保育士さんの苦労に同情するような思いで微笑んだのだが、リョウくんは私なんかより素直で良い子だったらしく、うんうんえらいね、と褒められていた。

 その通りもいまは静かだ。壁の高いところに掛けた時計を見上げると、蛍光塗料の針は二時過ぎを指している。


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