私たちの最寄り駅よりはやや小さく、乗降客も少なかったはずだ。ホームでは人がドアごとに数人ずつ待ってるのが見えたが、改札前はそれほど混んでいない。四人とも同じ、七分後の上りの快速に乗るという。私たちは改札前で輪になって話す。久しぶりで、よかったよ。楽しかったね。また集まろ。矢継ぎ早に交わし合っていると下りの便が近づいてきた。構内放送が流れ、駅の雰囲気が慌ただしくなる。急ぎ足で改札を目指す若者が、通路の真んなかに屯してる私たちを、彼にとっては邪魔な位置でもないのに睨みながら通り過ぎる。塊のまま壁際に移動する間に列車が入ってきて、すこし遅れてドアが開く。降りる人が多く、来たときよりは空いて、それでも私にとっては混んで動き出したころ、改札から人の波が出てくる。次いつにする?とリンが言った。
次ねー、さすがに来年かな。ベラさんが宇野原さんを見る。ウノもしめきりあるもんね。
いきなり仕事のこと思い出させるやん。
仕事といえば、と思いつき、私は、じゃあルールーの刊行祝いにする?と提案した。
え、ルールー本出るの? リンが言う。買う買う。いつ?
一月二十日。でも照れくさいからいい。ていうか今までそんなのやってないじゃんわたしたち。
そうだけどさあ、集まれればなんでもいいじゃん。口実。エリカが身もふたもないことを言った。
せや、おれの店でカウントダウンやるで。
えー、大晦日にも店開けんの。
開けるっちゅうか、常連さんとか気心知れた仲間内で集まるだけ。持ち込み自由で、店のもん欲しけりゃなんか出すで、っちゅうかんじ。
おれも行くで!と宇野原さんが叫ぶ。宇野原さんはそりゃ行くだろう。私も恋人も年末年始は帰省しないから、行こうと思えば行けるのだが、大晦日の夜から元旦の神楽坂は混んでそうだし、どうしたものか。
行ける人は行きましょう、という曖昧な約束だけしたところで、上りの快速がもうすぐ着く、と放送が入った。
じゃあ、わたしたちは行くね。みんなボナノッテ。林原さんに答えて私たちは、ボナノッテ、と言いあう。そういえば、ボナセーラもボナノッテも〈こんばんは〉という意味だったはずだが、どう使い分けているのか。さっきの店で訊けばよかった。
電子音が四度連なり、四人が改札内に入った。振り返って、ルールーが、いちおう言っとこう、よいお年を、と手を上げた。そだね、よいお年を。また来年。よいお年を。お元気で。
本年中はたいへんお世話になりました。私は冗談めかして頭を下げ、上げてから手を振る。よいお年をお迎えください。
いやリョウくんまじめか!とエリカがゲラゲラ笑った。年末年始、とくにお年始は、あけましておめでとうございます、という強固な定型文があり、友人同士のくだけた挨拶というのがないから、どうにも他人行儀になっちゃってへんなかんじだね、というような記述が、辻仁成の書簡体小説にあって、話の筋も、タイトルすら憶えていないのに、年末年始の挨拶をすると必ず思い出してしまう。四人が最後にまた振り返って手を振り、ホームに消えた。
私たちは駅から出る。ミツカくんは中央線沿線だし、宇野原さんとベラさんの神楽坂も、三鷹まで出れば遅くまで便がある。駅前の喧噪をまた突っ切るのは億劫で、私たちはしばらく線路沿いに歩くことにした。古い住宅が並ぶ中に、ときおり不動産や床屋があり、廃業したのか、褪せて文字の読み取れない看板の残った家もある。右側はずっと線路だ。うしろのほうから発車のメロディ。ちょっとした地響きとともに車体が地面をすべる。四人の姿が見えないか、と目をこらしてみたが、明るい車内の人たちは、色以外みんな同じに見える。そもそもみんなが今日どんな服を着てたかも、別れて五分も経てば思い出せないな。
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