あるね。私は本棚からその号を抜き出して、おざなりにぱらぱらめくる。東京の私たちの部屋にもそれと同じものが届き、そのときも隣には恋人がおり、ぱらぱらめくって、私の作品のページを見つけて、二人でひとしきりはしゃいだ。彼女は冒頭の一節を読み上げて、載ったねえ、と言った。
載ったね、五十万くらい。
すぐ原稿料に換算する。呆れたように言ってみせて、さっき読み上げた続きに目を落とす。いい作品だよ。
どういうふうに読まれるかな。
やっぱり気になる?
そりゃねえ、と私は頷き、彼女が開いているページを見やる。そこに書かれているテキストはすべて私が書いた。気になる、緊張する……、まだ自分から離れてない感じするから。
それなりの年数書いてきて、私なりに上達してきた。書こうとしたことを書けるようにもだんだんなってきた。私は自分の書くものが好きで、私の作品は良いと思う。そのことは誰にどう読まれても変わらない。しかしそれはそれとして、同時代の読者がどう読むか、によって、私の今後の仕事に、具体的にいえば依頼の数や原稿料に大きな影響があり、そうすると自然と、私の今後の小説家としての行きかたにも響いてくる。だから私は毎回、どんなに短いコラムとかでも、何かを発表するたびに緊張している。
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