2021.6.6

どちらもコンピュータにまつわる、私がぜんぜん不案内な分野のことだ。

 堀源一郎『意外性の宇宙』のなかで、宇宙は屈曲している!みたいな話のあとに、「直観はきかないので、理屈のうえから認識するしかありません」と何気なく書きつけられていた。私はあまり理論的な思考が得意でなく、なにごとも直観で処してきたし、それでそれなりにうまくいってきているのだが、それは単に苦手な分野のことを避けつづけているだけなのかもしれず、現に私は宇宙の屈曲のことをいまだにぜんぜんわからない。

 ここでいう直観というのは私にとってバランス感覚とか居心地のよさみたいなもので、文章を書いていると、今の描写は言葉足らずだった、とか、ヒロインの台詞があざとすぎた、とか、いくらなんでもヴィッつぁんとのエピソードに紙幅を割きすぎだ、とか思うことがある。それと同じように、小説を書いているとき、描写の熱量とか人物を追い詰める文章の強度とか日本語への負荷のかけかたとか、そういう定量化しがたいことについて、作業を進めながら、据わりが悪いような、ワンサイズ大きい服を着てるような気がすることがある。そういうときに、あっちを削ったりこっちを書きなおしたりしてるうちになんかバランスが整ったような、気持ち良くなる瞬間があって、その感覚が得られれば、だいたいその文章はうまくいっている。

 こうして言語化してみようとするとすべてが曖昧で、ぜんぜん何の説明にもなっていないのだが、とにかく私は自分の、小説におけるバランス感覚、を信頼している。もちろん私が整えたバランスがほかの人にとっても気持ち良いとは限らないし、だからこそ君島さんの発言への私の応答は原稿で消されていた。そこで私は、別の箇所での自分の発言を短くした上で、その、君島さんの気負いに冷や水をかけるような言葉を蘇らせたのだった。