2021.7.4

 短い傾斜を登るといきなり鼻が豆腐の匂いを拾う。豆腐の匂い、といま私はあのときのことを思い出しているが、鼻が拾った瞬間は、ただなにかとても嗅ぎ覚えのある、でも山のなかで出くわすには不釣り合いな気もする匂いで、なんか美味しそうな匂いが……、と恋人が言って、さっき家で、母が作った味噌汁を飲んだ味を思い出してようやく何の匂いか思い至り、豆腐?これ豆腐だよね?と言いあううちに、集落を見下ろす開けた場所に小ぶりな建物が見えた。駐車場にはピンクの幟が何本も立っていて、ぜんぶに〈とうふ〉と文字がある。ログハウス風の一軒家で、窓が大きく、中に食堂のようなスペースがあり、店主らしいエプロンをつけた女性が退屈そうに座っていた。駐車場の裏手側には、たぶん豆腐づくりの行程のどこかで必要になる、三メートルくらいの銀色の円筒があり、そこにパステルカラーの割烹着姿の、白い立方体の顔をした人物が書かれていて、おいしいよ!と微笑んでいる。とーふちゃん、と恋人が、またエリカの口調で読み上げる。脱力すんなあ。

 こんな山のなかにもゆるキャラが進出してるのか……。美味なり、とお膳を前に正座してるペンギンのスタンプを、私たちは、おいしいものはだいたいいっしょに食べに行っていたから、ほとんどつかったことはない。