ひっこみつかなくなっちゃったな、と恋人がつぶやいた声も私には聞こえなかった。
ケトルが止まり、流れなずんだ時間を待つようにゆっくりとドリップする。豆が泡を発するかすかな音が、匂いといっしょに立ちのぼる。
こんにちはあ! どこかから元気な声がした。子供だ。それを呼び水にしたように、こんちは!こんにちは!こーんにーちはー!と何人もが、それぞれのイントネーションで叫ぶ。
なんだなんだ、と恋人が可笑しげに口角を上げる。たいへんなさわぎだ。
もう二時なのか、こんにちは。私が言うと恋人は、口に含んでいたコーヒーを急いで飲みこんで、いやカオルくんに挨拶したんじゃないでしょ、と言った。二時?
ちかくにあるでしょ、保育園。あそこの散歩の時間だ。
そういえばたまに見かけるね。
窓から彼らの姿を見下ろしたことこそないが、パステル調の黄色かピンクのカラー帽をかぶった子供たちを、二、三人の保育士さんたちが引率しているところをたまに見かける。彼らは両手で子供の手を握り、四、五人の短い鎖がいくつも連なるかんじでゆっくりゆっくり歩道を歩く。たまに小さい子たちを乗っけた車を押してる人もいる。そうやって日々このへんを練り歩く隊列が、いまこのマンションの前にいるのだ。あ、ミリちゃん!いけないんだよう、と声がして、ミリちゃんがケラケラ笑った。
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