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ちんまりおとなしくおさまること

 先週観た『ねほりんぱほりん』のゲストは二人の元K-POPアイドル練習生だった。オーディションに合格し、練習生に選ばれた彼らは、デビューを目指して厳しいレッスンに励む。朝起きてから夜寝るまで、ときにはさらに翌朝まで自主練をつづけることもあった。事務所からは、整形をすること、学校を辞めること、完全に〈自分〉を捨てることが求められる。K-POPアイドルの卓抜したパフォーマンスは、そうやって自由を犠牲にすることでつくられる。持てるすべてをつぎ込んで特訓に励み、それでもデビューできるのは一握り。その淘汰からこぼれてしまった男性が、練習生時代を振り返ってどう思うか、という問いにこう答えていた。「でかい夢を持ったら壊れても1つ1つのピースはでかい」。たしかに成功はしなかった、が、これほどの大きな夢を抱き、得がたい経験ができたことは、失敗の後悔よりも重要だ、と。

 アイドルを夢見る者は多く、叶える者は少なく、職業として持続させられる者はさらに少ない。夢が叶わなかったらどうするか。『ねほりんぱほりん』のゲストたちは、ひとりは大学生になり、もう一人は日本で芸能界の裏方として働いているという。『あしたのジョー』の、主人公・矢吹丈の盟友であるマンモス西も、過酷な減量に(ときどきサボりながら)耐えて夢を追っていたが、けっきょく負傷でリングを降りた。彼は引退して乾物屋で働きはじめ、店主の娘と結婚した。夢破れたあとの人生。西は結婚式のあと、ストーリーから姿を消す。

『大菩薩峠』という長大な物語は、机竜之助が、たまたま峠で行き会った老巡礼を、何の理由もなく斬り殺すことではじまった。彼は剣術試合の相手を殺し、四年後にはその妻まで殺した。老巡礼の孫であるお松と、対戦相手の弟である兵馬という二人の人物が、竜之助という一人の仇をもった。それが本作のストーリーの発端だった。

 二巻(「女子と小人の巻」から「慢心和尚の巻」の途中)を読み終わった時点ですでに、全員の動向を把握しておくのが難しいほどに大量の登場人物が描かれる。舞台も江戸から大阪までと幅広く、人物たちは各地で巡りあい、あるときは共に旅路を歩み、あるときは敵対する組織の一員として対峙する。復讐譚としてはじまった本作だが、三人の物語に巻き込まれるようにして登場した人物たちも、それぞれの意志と思惑に沿った行動をとることで、物語はどんどん複線的に広がっていく。

 芸名をお玉といい、本名をお君という少女は、もとは伊勢で三味線を爪弾き、間の山節を吟じていた芸人だった。それがいくつかの不運と偶然が重なって、この小説の中心人物として振る舞いはじめる。被差別民出身で、もともと立場の弱かった彼女は、強盗事件の濡れ衣で追い立てられ、流浪の旅に出た。本巻のなかで彼女は甲府の街まで流れ着き、そこで旗本の駒井能登守に見初められた。最下層の芸人であったお君が、流浪の果てに権力者の愛妾として人にかしづかれるほどになった。それを〈出世〉と考え、伊勢から苦楽をともにしてきた米友につれなくし、愛犬ムクの世話すら下女たちに任せるお君の姿を、私は複雑な思いとともに読んだ。

 お君は当初、主要人物のなかでは珍しく、明確な目的を持っていなかった。他人の罪を着せられた彼女は、復讐心や名誉欲、衝動に身を任せることなく、目の前に出来する状況に翻弄され続けている。強いてお君の目的を言語化するなら、〈逃げること〉だ。その旅のはじまり、彼女はこう呟いていた。「わたし、逃げるわ、何も悪いことをしないのに捉まっては合わないから逃げるわ、あとでわかるでしょうから逃げるわ」。生きるための旅。その旅は、能登守に見初められたことでいちおうの落着をみた。しかし米友との友情は、恋愛によってないがしろにされてしまった。それが私には寂しかったのだろうし、お君の出自が暴露されることで能登守が失脚したときには、お君の旅がふたたびはじまりそうだと感じてよろこんだのだった。

 明確な目的がないということは、自由だということだ。能登守をいっしんに想うお君は、お松との恋愛より仇討ちを優先する兵馬とは対称的だ。仇討ちは、本巻ではまだ果たされなかった。『大菩薩峠』が、私が読んでいない残りの八冊でどう展開していくかはわからない。そもそも著者の死によって未完で終わったのだから、決着が描かれるのかどうかも定かではない。

 ほかのすべてを閑却して復讐に励むこと。本作で描かれるかどうかは別にして、兵馬の復讐譚はいつか終わる。一騎討ちに挑むのか、竜之助の〈音無しの構え〉の強さに諦めるのか、復讐とは違う人生を見つけるのか。

 じっさい、本巻の終盤で兵馬は、恵林寺の和尚に復讐のむなしさを説かれている。「この世に敵討ということほどばかばかしいことはない、それを忠臣の孝子のと賞める奴が気に食わぬ」、「わしは敵討をするひまがあれば昼寝をする」。その場では「言語道断」と一蹴してみたものの、兵馬の心は揺らいでいる。「すでに敵を討つということをないものにすれば、自分はこれから一生を、なるたけ無事に、なるたけ楽しく、そうしてなるたけ長く生きて行きさえすればよいことになる。」寝床でまんじりともできずに考える兵馬のまなうらに浮かんだのが、自分を慕ってくれているお松の姿だった。

 大きな目標を失ったとき、人はどう生きればいいのか。元K-POPアイドルの練習生の一人は、オーディションを通過したことで以前からの恋人と引き離され、夢から降りて大学生の日常を過ごしながら、次の恋を探しているという。マンモス西の結婚式でジョーは、「ちんまりおとなしくおさまりやがって、模範青年」と毒づいてみせた。しかし、そうやって〈ちんまりおとなしくおさま〉ることこそ、きっと何より難しい。お君は能登守の失脚によって安定を失った。兵馬は苛烈な復讐心とお松との恋愛の間で揺れ動いている。

 恋愛は、安寧の象徴であると同時に、夢や目標を阻害するものとして提示される。個人の自由意志の最たるものだからだろう。

 非情な殺人狂として登場した竜之助すら、本巻のなかでは、素封家の娘お銀と恋愛めいたものを演じている。幼いころ顔面に大火傷を負ったお銀は他人から視線を向けられることに恐れを抱いていたが、視力を失った竜之助は彼女の顔を見ることがない。「ああ、あなたはお眼が見えない、お眼が見えないから、わたしは嬉しい」と言って、お銀は〈火に油を加えたような愛し方〉で竜之助を愛する。彼女との蜜月の間は、竜之助も辻斬りの衝動を忘れ、〈ちんまりおとなしくおさま〉っていた。

 しかし竜之助は、お銀と二人で仮寓した家が、かつて自分が手にかけた妻のお浜の生家であると気づいたことで心の均衡を崩し、再び辻斬りに出る。兵馬はお松が起居する神尾主膳の屋敷を訪れるが、会えないままに踵を返す。そして失脚した能登守がひっそりと甲府を去ったころ、誰とは明示されていないが、ひとりの女性が尼寺に入ったことが示される。

 平穏な時は長く続かず、人物たちは再び、この先も長く続く物語にのなかに放りこまれていく。全十巻におよぶ大部の小説の最後まで、彼らに平穏が訪れないことを、無責任な読者である私は願っている。


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