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山ヌケと海の地震

 七年ほど札幌に住んでいた。郷里の鳥取と札幌は、直行便ではつながっていない。デビュー作の内容で実家と気まずくなった二年ほどを除いて毎年一、二度の帰省で、そのたびに違うルートを選んだことにたいした理由はなく、いずれにしても長い距離を毎度同じやりかたで移動するのは飽きてしまいそうだったからだ。

 いちばん多かったのは空路だったが、大阪から札幌まで寝台特急に乗ったこともあるし、小樽から舞鶴までフェリーで移動することも多かった。新日本海フェリーの〈はまなす〉と〈あかしあ〉という二隻の船は、どちらかのほうが新しくて快適だったのだが、もう十年前のことでよく思い出せない。携帯電話もつながらないし、船内ではコニー・ウィリスの『犬は勘定に入れません』とかの分厚い本を読んだり、船内のゲーム室で遊んだりした。フェリーのクレーンゲームは、街中のゲーセンなんかよりアームが強くて、欲しくもないチャチな腕時計を、一晩で五個も六個も手に入れた。一度も身につけなかった、数度の乗船で二十個くらいにもなった時計を、今の私は一つも持っていないが、捨てたのだったか、誰かにあげたのだろうか。

 そうやって何度も乗った日本海航路の、往路か復路かも憶えていないが、陸に着いたとき、地震速報が配信されていたのに気づいた。配信時刻は数時間前で、そのころ私は海の上にいた。正確な場所はわからないが、おそらく秋田あたりの沖。そして震源地は秋田沖の海底だった。当初は津波に警戒するよう呼びかけられていたが、けっきょくすぐにその警報も解除されていた。その揺れは、厚い海水を通して、震源の真上にいた船にも届きはしたのだろうが、海のうねりにまぎれて気づかなかった。そもそも最大震度も二か三程度の、この列島では毎日のようにどこかで起きている地震の一つだ。続報もなく、おそらく被害は何もなかったのだろう。スマホを閉じてすぐ忘れてもいいような出来事だ。でも私は、自分が震源の直上にいながら、何も知らず安穏と、要りもしない腕時計を吊り上げていたことを、何かおそろしいことだったように思い返した。リュックに入っていたいくつものチープな時計は、電池こそ入っていたが時間はデタラメだった。もしその地震が命にかかわるような大きなものだったら、海底から引き上げられた私が、いくつもの時間を指す時計を持っているのを見て、人はどう思っただろう。

 のちに震災文学についての卒業論文を書いているとき、この地震のことを思い出した。でも、関東大震災や阪神・淡路大震災、そして卒論執筆の二年半前に起きたばかりの東日本大震災といった大きな厄災についての文章に、何の被害もなかった、自分で揺れを感じもしなかった小さな地震の入る余地はない。それでもこの、被災ですらない地震の記憶は、いつまでも私の印象に残り続けている。

 そういうことを思い出したのは、今月読んだ『大菩薩峠』の七巻のなかで地震が起きたからだ。登場人物たちが飛騨・平湯で謳歌する〈歓楽の日〉、八ヶ岳を構成する峰のひとつである焼ヶ岳、硫黄岳が鳴動し、〈寝ている床の下が大震動〉した。〈払って冷たくない雪〉が空を舞い、〈山々の上の空に炎が高く天をこがしている〉。地震と噴火。本巻までに数え切れないほど火事が起き、喧嘩が勃発して人が死んだ『大菩薩峠』のなかでも、地震や噴火はさすがにはじめてだ。関東大震災直後、交通や通信の断絶によって、地方都市では、東京全域が壊滅した、三浦半島が水没した、津波は群馬の赤城山まで達した、という噂やデマが報じられていた。なかには火山列島である伊豆諸島が噴火で消滅した、というものもあった。その震災からこの記述を含む巻が発表されるまで、十年に満たない。被災の記憶や、恐ろしい風評を耳にした記憶もまだ鮮明なころにこの場面を読んだ読者はどう感じただろう。

 ウェブで確認できる気象庁や研究機関の年表を見る限り、幕末にこの地域で地震や噴火が起きたという記録は残っていない。作中では、長くこの山に住んでいるという神主が、こう言って人々を安心させる。「なあに、この震動はこれは山ヌケといって、こうして山が時々息を抜くのですなあ、息を抜いては一年一年に落着いて、やがて幾年の後には噴火をやめて並の山になろうという途中なんですから、たいした事はありません」実際、作中で山は鳴動しつづけ、粉塵も舞い続けているようではあるが、被害はなかったようだ。さんざん緊張感を高め、ポンペイを壊滅させたヴェスヴィオ山の噴火や、津波を誘発して二万七千人が溺死したという寛政四年の温泉岳(雲仙岳)の噴火に言及して緊張感を高めておきながら〈山が時々息を抜くのですなあ〉というのは、どうにも拍子抜けだ。

 しかし考えてみれば、本作はそういうことが多い。竜之助と、彼を仇と付け狙う兵馬は、上野原の月見寺や白骨温泉で繰り返し同宿した。しかし彼らが出くわすことはなく、だいたいは兵馬が先に出立することで破局は回避された。前巻来、何人もの主要登場人物が名古屋に集結し、なかには南条と五十嵐のように、〈この二人が睨んだ城のあとには、多少共に、風雲か、火水かが捲き起こらないことのない〉人物もいたのだが、けっきょく名古屋城は焼けもせず、喧嘩がいくつかあっただけで、舞台は関ヶ原に移ろうとしている。サスペンスの緊張感を高めたうえで、それを〈山ヌケ〉のように脱力させること。本作のずっとあと、噺家の桂枝雀は、笑いが発生する条件として〈緊張の緩和〉を提唱した。講談に似た地の文の語りを採用した中里介山は、もしかしたら、のちに枝雀が整理するこのメカニズムに気づいて、ストーリー構成に応用したのかもしれない。

 そうであれば、本巻の最後で医師の道庵がたくらんでいる、雲助や近辺の人夫を駆り出して行う〈合戦〉、一六六〇年の関ヶ原の戦いを再現するという意図のよくわからんイベントも、大立ち回りや大騒動の予兆はぷんぷんしているが、けっきょく破局にいたることはないのだろうか。

 破局がやってこない、ということは、物語が落着しないということだ。十四巻のなかに語り手の全生涯が書きこまれた『失われた時を求めて』とは違って『大菩薩峠』は、本巻にいたるまでずっと、幕末のごく短い期間に起きた出来事として語られている。ペリーの来航や勤王派の浪士たちの暗躍、大きな出来事につながりそうな要素はいくつもちりばめられているが、その緊張はいつもぎりぎりのところで回避され、人物たちは賑やかに次の舞台を目指す。長大な小説はそうやって続いていく。

 そういえば、本巻のなかで、甚三郎が開発した船──無名丸、と仮に名づけられた──が、マドロス氏という〈毛唐人〉を嫌った住民たちによる襲撃がきっかけではあるが、ついに房州・洲崎を出航した。行き先は次の拠点である石巻だが、船の上で彼らは、マドロス氏から英語を教えてもらったり、狭い船で過ごすストレスからか軋轢を起こしたりしている。本巻が終わった時点ではまだ、明日にも仙台湾に入ろうかという段階で、彼らは海の上にいる。いずれはどこか異国の地に降りたって、鋤と鍬でもって開拓しようと志している彼らの旅も、いつかは終わる。その時が、未完に終わった『大菩薩峠』のように死によってもたらされるのか、目指す新天地で土地を拓きはじめて終わるのかはわからない。無名丸のなかにクレーンゲームなんてないだろうが、長い船旅は暇なものだし、海の上では鍬も鋤も役に立たない。襲撃が〈緊張〉だとしたら、今は〈緩和〉だ。もし彼らのずっと下、海の底でちいさな地震が起きていても、彼らはきっと気づかない。


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