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メタフィクショナルな悪ふざけ

 考えてみればそんなことを怖れるのは馬鹿馬鹿しいことではあるのだが、演劇やライブや講演や、とにかく舞台の上に生身の人間が立って何かパフォーマンスをするのを観に行くときいつも、じゃあここでお客さんに上がってきていただいて……みたいな展開になるのが怖かった。実際そういうことは何度かあって、私ではない観客が舞台に上がって、マジシャンが持つ箱のなかに何もないことを確認させられたり、俳優たちといっしょに小舟を担がされたり、講演者と議論を交わしたりしていた。そういうのはだいたい観客のなかから希望者を募るのだから、私が無理に引き上げられることはない。そのことに気づいたのはようやく二十歳くらいになってからのことだ。

 ディズニーシーのタートル・トークというアトラクションは、『ファインィング・ニモ』に登場するクラッシュという名のウミガメと会話ができる、というのが売りだ。スクリーンのなかを泳ぎながらクラッシュ──の声を演じているスタッフ──は、観客席に座るうちの数人を指名してやりとりをする。舞台に上げられることこそないが、選ばれた観客はスクリーンに映し出され、名前を訊かれ、質問をしたりされたりする。数年前の冬、まだ苦手意識が払拭し切れていないころに訪れて、とはいえまあ、前列のほうに座ってる子供たちが選ばれるのだろう、と思って油断していたのだが、いちばん最初に呼ばれたのが私──「前から五列目真ん中へんの、黒いロング甲羅を着てる兄ちゃん」──だった。互いに名乗ったあとでクラッシュは、「おれが『最高だぜ!』って言うから、きみは『うおー!』と言いながら両方のヒレを挙げてくれ」と言った。私は彼の指示通り、両腕を振り上げながら叫んだ。私の前に座っていた小学生くらいの女の子が、あまりの大声にビクッとして、客席がぬるい笑いに包まれた。

 楽しい体験だった、と、その後もたびたび思い出す。たぶん、いきなり小さい子に声をかけると萎縮してしまうから、一人目は大人にやらせて、空気をやわらげることにしているのかもしれない。クラッシュは──その声を演じていた人は、どこかから私たちの様子を見ていた。ほかにも大人はたくさんいたが、そのなかでなぜ私に声をかけたのかはわからない。

 そもそも観客とキャラクターの会話が主眼なのだから、第四の壁が破られた、という表現は適切ではないのだろう。それでも、スクリーンから呼びかけられているのが自分だとわかったとき、私はぎょっとした。双方向性。一方的な鑑賞者であることが揺るがされることが私はいやで、それは、(ウディ・アレンが『アニー・ホール』の冒頭で観客に〈僕の人生観〉を説明するのを観て、冒頭なのにうんざりしたように)そこで展開される場面に自分が参加させられないときでも同じだ。

 去年読んでいた『失われた時を求めて』の語り手は、巻が進んでいくごとに、次第に自分が小説を書いているということに自覚的になっていき、やがて自らの語りへの〈読者〉の反応を先回りして反論するようにもなった。感動であれ、納得であれ恐怖であれ、小説家はあの手この手で自分の狙った効果を読者におよぼそうとしている。これを書いたら読者はどう思うか、こういう書きかたをしたら嫌われるかもしれない、こんなレトリックをつかえばびっくりしてくれるんじゃないか。後半生のほとんどをつぎ込んであの小説を書いたプルーストにとって読者は、後半生のほとんどをともに過ごした友人みたいに感じられたのではないか。『大菩薩峠』という、また別の大長篇を読みながらそのことを思い出したのは、本作が、講談のような語り口を採用していて、つねに読み手の──あるいは聞き手の──存在を意識しているように感じられるからだ。本作は幕末日本を舞台にしているが、大正末から昭和初期にかけて書かれており、江戸時代には存在しなかった出来事についての記述も多い。

 筑摩書房愛蔵版の六巻におさめられた「年魚市の巻」の第十三節は、すべて弁信の一人語りで構成されている。その冒頭を彼はこう語り起こす。「久しぶりにお目にかかります、私は弁信でございます。どうぞ皆様、御心配下さいますな、これでも旅には慣れた身でございます、旅に慣れたと申しますよりは、生涯そのものを旅と致しておる身でございます、生まれたところはいずことも存じませぬように、終るところのいずれなるやを、想像をだに許されていないわたしの身の上でございます──」彼の独り言は誰かに説教をするような語り口だし、ときには存在しない聴衆と問答をしてみることもあるから、ここで呼びかけられる〈皆様〉は、架空の聴衆のことかもしれないが、今まさにこの小説を読んでいる私たちのこととしても読める。そして実際、本巻で弁信が登場するのは、百八十五ページにしてこれがはじめてで、その意味ではたしかに〈久しぶり〉だ。

 同様に、名古屋で詩歌俳諧の会に招かれた道庵は、頼山陽について一席打ちながらつい脱線して、尾張出身の漢詩人である森槐南について話す。しかし道庵の演説を遮るように地の文は、「この座に連なる名古屋の、一流株の名士連といえども、いまだかつて、自分と同じ国に森槐南とかなんとかいう、すばらしい漢詩学者が存在しているということも、いたということも、見たものは愚か、聞いたものは一人もないはずです──」と指摘し、こう続ける。「それもそのはず、その当時、森槐南は、まだ生れていたかどうか、生れていたとしても、ようやく立って歩むほどの年ばえであったかどうか、それを道庵先生が引張り出した脱線ぶりには、誰あって驚倒しないものはないはずです。」

 これが小説であり、作中の時間よりもずっと後に書かれ、読まれるものだということを、語り手だけでなく登場人物たちも熟知している。すでに連載開始から十数年が経っていて、それだけ長くつきあっていれば、こうやってメタフィクショナルな悪ふざけをしかけるような親しみを、語り手は読者に対して抱いているのかもしれない。前巻で日本の〈ガラクタ文士〉たちを槍玉に挙げたり、菊池寛の参院選立候補を嘲笑してみせたのも、そうやって関係の深くなった読者とちょっとした雑談をするような思いで書いていたのかもしれない。

 語り手はそうやって、読者に向かって自らの価値観をちょっとずつ開示する。そう考えると本巻のなかで、英語を操り、洋行の準備に邁進する元旗本の駒井甚三郎を、「あれは切支丹だ、ヤソだ、国をとりに来る毛唐の廻し者のさせる謀叛だ」と思い込んだ土地の人々が、駒井配下の水夫マドロスを誘拐したことや、熱田神宮の前で相撲取りが喧嘩する様子が、噂が伝わるうちに、「死傷者多数、仲裁も、捕手も、手がつけられない、まるで一つの戦争である、なんでも尻押しは、海から軍艦で来た異邦人であるそうだ、やがて熱田から名古屋が焼き払われる」と形を変えていく、というエピソードも、幕末にそういうことがあった、というだけではなく、混乱した庶民がその鬱憤を外国人を攻撃することで晴らそうとした、という点で、作品執筆中に起きた関東大震災のさなか、朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだというデマを信じた人々が朝鮮人を虐殺した事件が響いているのかもしれない。

 明治生まれの中里は幕末に生きたことはなく、大正から昭和にかけての時代を生きながら本作を書いた。彼の生活の中心はおそらく小説を書くことだったし、そう考えれば日々の生活で触れたことごとが作中に響くのは当然のことかもしれない。だからといって菊池寛の当てこすりなんかは、ちょっとやりすぎな気もするけども。


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