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逃げ水を追う

 小説を書きながら、だいたいは小説に書かないことを考えている。推敲を経て消した言葉や、検討した結果書かないことにした場面のことだけでなく、上手く言葉が出てこない苛立ちとか今朝食べた桃の舌触りとか、近所で工事をしているおじさんたちの声とか、今日の作業を終えたあとに読む本とか。夜になって日記を書くころにはそんなことを考えたことも忘れるような些細な雑念だ。自分自身を語り手に投影して書くこともあるが、そういうときでも、書きつけられるのはすべて作中の〈私〉の思考だから、小説を書いている私の言葉はそこにない。

 中里介山『大菩薩峠』のなかには頻繁に、小説の描写から離れた、著者自身の言葉が書きつけられている。筑摩書房愛蔵版の最終十巻におさめられた三篇(「京の夢おう坂の夢の巻」、「山科の巻」、「椰子林の巻」)のうち、「椰子林」を除く二篇の末尾に、本作を書いていた三十年近い年月を振り返るような一節がおかれている。「山科」の末尾では、〈読者は倦むとも著者は倦まない。精力の自信も変らない。〉と述べたあと、一段下げてこう綴られている。


今や世界全体が空前の戦国状態に落ちている。日本に於ても内政的に新体制のことが考えられている。わが大菩薩峠も、形式として新しく充実した出直しをしなければなるまい。


 その少し前の記述によると、「山科」は昭和十五(一九四〇)年の九月十日から十月十六日にかけて書かれた。起筆の前月には〈ぜいたくは敵だ!〉の看板が各地に掲示され、執筆中に日本軍が仏領インドシナに進駐して、日独伊三国同盟が成立、大政翼賛会も発足した。日本文学報国会の結成はまだ先だが、小説家が戦地に派遣されて従軍記を書く〈ペン部隊〉の活動は行われていたし、一九三八年には石川達三が「生きてゐる兵隊」を発表、発禁処分を受けていた。中里にとって〈戦国状態〉は、一市民として以上に身に迫るものだっただろう。このフレーズが一段下げられているのは、作品から離れた、当局へのエクスキューズだからかもしれない。

 しかし『大菩薩峠』は、次の「椰子林の巻」を最後に、三年後に中里が没したことで未完のまま終わった。物語がどう続き、どう終わるのか、中里以外の人間には想像することしかできない。机竜之助が巡礼の老人を斬り殺し、悪漢小説としてはじまった本作は、やがてその主題を離れて、三つのユートピア建設の試みを中心に描きはじめた。その三つのユートピアのうち、お銀の胆吹王国は失敗に終わった。与八の有野村は子供たちの教育に力を入れて軌道に乗りはじめた。そして新天地を探して出航した甚三郎は本巻において、太平洋上の孤島に上陸して開拓をはじめた。本巻は──つまり『大菩薩峠』という大長篇は、島の椰子林の木蔭でキリスト教の神に祈る金椎を見て、柳田平治が「ちぇッ、キリシタン!」と悪態をつく場面で終わる。ユートピアに亀裂が走った瞬間の描写だ。紅野謙介が解説で指摘しているとおり、島の社会はこの亀裂が広がることで変容していくのだろう。終盤ちかくで有野村を、著者の本名と同じ〈百姓弥之助〉を名乗る男が「いたく共感を仕りました」と言って訪れるのも、中里が本作におけるユートピアの試みに一定の決着を見出したことを表している。

 代わって前景化してくるのが、〈日本〉という主題だ。百姓弥之助が持ってきた「百姓大腹帳」には、〈日本の百姓たるものは、自らが天皇の大御宝たることを畏み、専らこの道をつとめ、国に三年の蓄へあり、人に三年の糧あり、而して後に四方経営を隆んにすべきなり〉という一節がある。〈百姓大腹なれば国富みて兵強く、百姓空腹ならば国貧にして兵弱し〉。与八の村の思想的主柱である慢心和尚がこの帳面を読んで「大賛成!」と感心しているように、ここで本作のユートピアの試みが日本という国家と接続される。これが「山科」で表明された〈新しく充実した出直し〉の表れなのかどうかはわからない。前巻からすでに、土方歳三をはじめ新撰組の面々が再び顔を出しはじめ、本巻では伊東甲子太郎が暗殺された油小路事件の様子が描写され、勝海舟の父親である小吉の自伝も長々と引用される。ここまでずっと幕末の社会を描いてきた本作が、いよいよ明治維新に向けて時を刻みはじめる予兆にも見える。

「椰子林」の終盤、無名島では、田山白雲と柳田平治の二人が、海水浴をしたあとで浜辺に寝転んでこういうやりとりをしていた。


「田山先生、日本はこれからどうなるのです」

「そうさなあ、今頃はどうなってるかなあ、西と東にわかれて、戦争でもおっぱじめていはしないかなあ、わからんなあ」


 日本から遠く離れて交わされる、日本の今後を占う会話。その少し前、あるいはすでにこれが最終巻になることを予期してでもいたのか、矢継ぎ早に場面を切り替えながら、弁信や道庵、お雪といった、しばらく登場していなかった主要人物たちの動向が描かれている。そのなかに、本作ではここまで、たびたび言及されはしたものの姿を現さなかった勝海舟が安房守を受爵する場面が挟まれる。こうなると、次巻以降では、体制転換の中心にいた海舟の姿を追うことで江戸時代の終わりを描く予定だったのかもしれない、とも思えてくる。

 二人がいる島(本作では甚三郎の船と同様、〈無名島〉という仮の名が与えられている)は、〈東経百七十度、北緯三十度の辺〉にあると設定されているが、現実においてそのあたりに、人が生活を営めるような島は存在しない。架空の島だ。ここまで『大菩薩峠』は、青森から大阪まで、日本の本州を舞台に展開してきた。著者が白骨温泉を訪れたときの出来事が書きつけられてもおり、舞台は明らかに実在の場所だった。それがこの無名島において、はじめて架空の土地が出現した。

 ここから先、小説のなかの日本が、読者である私たちの知っているような歴史を辿るとは限らない。甚三郎の渡航先を、ここまで言及されていた北海道やアメリカ、あるいは実在する無人島ではなく、あえて架空の島に設定したのは、中里が今後、現実の歴史から逸脱した物語を書いていくことの表明だった、とも読める。幕末を描き続けていた本作の時間が動き出したとしても、江戸幕府が終わる必要もない。本作はここまで、何か事が起こりそうな気配を高めておいて、実際には何も起きずに次の舞台に移る、ということを繰り返してきた。明治維新という、実際には本作の出来事の数年後に予定されている大きな事件も、『大菩薩峠』のなかでは起きない。この先も『大菩薩峠』は、逃げ水を追うように何にもたどり着くことなく永遠に書き続けられる。人の寿命に限りがある以上、未完に終わることは約束されていて、それが「椰子林の巻」だったのは偶然にすぎない。


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