2021.12.19

千葉の住民ならそのくらいは屁でもない、ということか、泊まるあてでもあるのだろうか。

 道のずっと先に街の光。住宅街のここはまだ静かだ。そろそろかなー、という恋人の声が、何の音に遮られることもなく、夜の空気に溶けていく。にぎやかな通りに出てしまえば聞きとれない感覚だ。

 あ、そういえばさ、とベラさんが私のほうを見る。さっきのお坊さん、気づいた? ちょっと方言だったよね。

 たしかに。自分自身は郷里の訛りを忘れているのに、私はよく作中に方言を登場させる。読みやすさを保ちつつ土地の訛りを響かせるために、実際に地元の親戚が話す方言にかなり手を加えていて、なんというか、読むための方言、とでもいうべきものをつくれた、と自負している。方言のことを考えるのは私にとって仕事の一部だ。ベラさんの言うとおり、リョウシュンさんはミツカくんの訛りを聞いたあと、すこし西のイントネーションに引っ張られていた。

 ほんま? おれ気づけへんかったわ。当のミツカくんはあっけらかんとしたものだ。ご同郷なんかな。

 ミツは東京もんでしょ、といきなりベラさんが厳しいことを言う。FC東京に魂売りやがって。

 え、いまそれ言う? ミツカくんが言い返す。ベラさんは川崎出身で、川崎フロンターレとFC東京は多摩川を間に挟んだライバル関係にある。マリノスとフロンターレもホームタウンを隣り合わせたライバルだ。とはいえ、ヨーロッパや南米ほどサッカーが感情に根づいていないこの国では、ライバルチームのサポーター同士、外交儀礼上いがみあってみせてる、という程度だ。私とミツカくんの間ではそういう、サッカー好きの呼吸で仲良くやりあうこともあった。宇野原さんを介してミツカくんや私と知りあうまでサッカーに興味がなかったはずのベラさんが、そういう掛け合いをたしなむようになったことはうれしい。そういえばベラさんのルーツはラテンアメリカのどこかで、サッカーの楽しさを知ったことで、彼女の血に眠っていた何かを目覚めさせてしまったのだろうか。いずれにせよミツカくんの言うとおり、今はそういう話をしているときではない、が、私はふと思いついて言う。じゃあ来年、多摩川ダービー観に行く?

 ミツとリョウくんが行ってたやつね。ベラさんがうなずくが、私とミツカくんが観たのはマリノス対FC東京で、べつにダービーマッチではない。まあいちいち訂正することでもないか。躍動する二十二人、その上に渡された視線の糸、と言ったのは、たしかルールーだった。いいよ、行こ。

 席は別やで。

 わかってるよ。

 言いあう二人を観ながら、ふと思いついて私は言う。

 エリカも行かない?

 わたし? 虚を突かれたような口調だ。いつかの口約束をこれで果たせる、と思ったのだが、うんじゃあ行く行くー、という気のない返事で、きっと忘れているのだろう。この約束だって、来シーズンがはじまる三ヶ月先まで、四人とも憶えていられるかどうか。

 でさ、方言。ベラさんが話を戻す。わたしが気づいたのはね、〈新潟〉の言いかた。ふつうは、ふつうって表現はアレか、関東では、平坦なかんじで発音するじゃん?〈にーがた〉。でもお坊さんは、〈い〉にアクセントがあって〈にいがた〉。にーがた、にいがた。ね。

 あーなるほど? 言われてみたらそうやったわ。にいがた。

 ウノもそうなんだ。〈い〉にアクセント。ミツも。だから大阪の人かなって。

 こういう会話は、声に出せば簡単なのに、文章にするとどうにも書きづらい。音を、それも音楽や効果音なら比喩やオノマトペで処理できるが、音の単なる高低を文字で説明するのを小説のなかで試そうとして、説明くさくなるばかりで読み味が悪くなり、けっきょく全部削除する、というのを何度か繰り返してきた。そのたびに『BLEACH』のことを考える。たつき、という登場人物が、単行本のおまけ漫画で読者に向かって、わたしの名前は〈た〉にアクセントをおいて読む、〈葉月〉と同じイントネーションだ、と言い、しゃべるぬいぐるみが、じゃあ〈歯グキ〉といっしょだな!とまぜっかえしてボコボコにされていた。はじめて読んだ小学生のころはただゲラゲラ笑っていたが、自分が小説家になってみると、あの説明の過不足のなさとユーモアをたびたび思い出し、その巧みさに毎回びっくりしなおしている。