2021.12.20

今も。

 リョウくんもだね、そういえば。恋人が私を見る。にいがた。

 にいがた、と鸚鵡返しにすると、たしかに、舌になじんだイントネーションだ。九人は面白がって口々に、にーがた、にいがた、とにーにー言いあう。

 わたしもそうかも。エリカが言う。にいがた、おーいた、くまもと。それで今度はみんな、それぞれの訛りで全国の都道府県名を列挙していく。違う土地で生まれ育った九人が、いろんな経緯で首都で行き会い、こうして仲良く散歩している、というのは、世界中で繰り返されている平凡な出来事かもしれないが、私たちにとっては奇跡みたいなものだ。ちば、しが、さがッ!と宇野原さんが叫ぶ。にいがた、と私は口の中でもう一度転がした。故郷の訛りを、私はちゃんと今も持っているのだ。

 そうしているうちに繁華街が近づいて、賑わいも耳に聞こえてくる。昼間はカフェや雑貨屋らしい戸建てに、今は生活感のあるオレンジの明かりと音。たしかこのへんにありましたよ、イタリアン。林原さんが言う。横顔がスマホの画面に照らされる。彼女のマスクが白ではなくうっすらベージュなのだと今さら気づいた。次の角を右、で一、二、三軒先です。周囲はまだ、閑静な住宅街、といったおももちで、繁華街のはずれの隠れ家的な店なのだろう。リゾット用に開発されたカルロ、えっとカルナローリ米、を使用、の、リゾットがおすすめみたい。リョウくん知ってる? カルナローリ。

 ぼくはゆめぴりか専門なんで……。

 今うちにあるのあきたこまちでしょ。恋人がディテールにこだわることを言う。

 トリノで修行してきたシェフが腕をこめた、あ、ここ右、腕をこめた北イタリアの家庭料理。

 なんでもええから早よ食いたいわ、とミツカくんがぶちこわしなことを言ったところで、これも民家らしい佇まいの前に、筆記体でなんて書いてあるのかはわからないが、とにかくトマトのチョークアートの看板が置いてあるのが見える。トラットリア、ポモドーリ?とエリカが読み上げた。木製のドアにはイタリア語らしい木札が下げられていて、木枠の窓からは、レースのカーテンを透かして、空席のテーブルが並んでるのが見えた。月曜の夜とはいえ忘年会シーズンの夜七時台にこんなに空いてて大丈夫なのか、と、みんなで入るには空いてるほうがありがたいのに心配になってしまう。窓の下には緑のペンキの二人掛けベンチが据えられていた。端にガラスの灰皿が置いてあり、吸い殻が二、三本冷えている。

 ほなおれ、入れるか訊いてくるわ。宇野原さんが律儀にノックをしてドアを開ける。いらっしゃいませボナセーラ、と若い声が外まで聞こえた。もしかしてけっこう高い店なのだろうか。

 いやー、こんな歩くの久々で、ちょっと疲れたよ。リンが言い、ベンチを手の平でたしかめて座る。うーつべたい。

 リン立ちっぱだったもんね今日。エリカが同情するように眉尻を下げる。

 そうそう、しかもほら、お墓をずっとハンマーで叩くから腕もやられた。

 それだけ聞いたらやばいやつやな。ミツカくんが隣に座る。

 あ、吸うの? リンが立ち上がろうとした。嫌煙家ではなかったはずだが、他人の呼気にナーバスになる数年間を経て変わったのかもしれない。

 いや吸わへんよ。そう言うのを聞いてリンは浮かした腰を下ろす。これ明らかにお客用やし。

 そこはちゃんとするんだ。さすが店主だね。

 店主やからっちゅうか──とミツカくんが何か言う前にドアが開き、入れるで!ともう飲んでるみたいな赤い顔を出してすぐ引っ込めた宇野原さんに続いて店内に入る。学生くらいの若い男性が、窓から見えていたテーブルの天板にしがみつくようにして、数センチずつ動かしている。重そうだ。その体勢のまま顔を向けて叫ぶ。いらっしゃいませボナセーラ! つらそうな声だ。厨房にはコック帽の髭の男性が二人いて、トリノに行っていたのはどちらだろう。たぶん挨拶をしてくれたのだが、二人とも、口が動くばかりで声はまったく聞こえない。にんにくとバターのにおいだ。内装はログハウス風というのか、暗い茶色の木製で、すれ違うのがやっとの狭い階段の上から、複数人の笑い声と食器の音が降りてきて、客がいたのか、と安心した。BGMはジャズなのかボサノバなのか、はじめて聴いても聴き憶えのあるような音楽。こちらどうぞ、と学生さんが息切れした声でテーブルに手の平を向けた。