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2021.12.5

擁然寺、と右から書かれた扁額が、お向かいの、同じ形が三軒並んだ玄関灯にぼんやりと照らされている。門の扉は開いていたが、近づいてみると細い柵で塞がれていて、本堂も暗い。住宅街のただ中で、無住寺ということはないだろうが、柵に指を絡めて中を覗いても、庫裡らしい光は見えない。私の菩提寺は山寺で、こういう柵や塀はなかった。村の田圃の端のほうに、ひょっこり地面から小高い、百メートルないくらいの山が顔を出している。山の中腹から上はゴルフの練習場になっていて、そこに向かう車道の途中から、セメントで舗装された、人ふたりすれ違うのがやっとの細道が延びている。自分の家のぶんを育てるだけの、畝ごとに野菜の違う畑に挟まれた道を、用水路の石橋を渡ってしばらく進むと、山肌にはりつくような墓地があり、それを通り過ぎてようやく、寺への石段が現れる。まんなかへんがすりへった二十八段を上がると目の前にでかい常香炉があり、回り込んだら本堂だ。法事でしか行ったことがなく、だいたい住職や親戚がいそいそと支度をしていた。向拝の柱にたしか、御用の方は押して下さい、と、庫裡につながるインターフォンもあった。中学生くらいのころは、村で誰かが死んだときだけ押されるボタンだ、と思い込んで、両親の死を想像して生ぬるくほくそ笑んだりもしていたものだが、よく考えるまでもなく、住職やその家族にも友人がいるし通販だって使うだろう。袈裟を着てないときの、作務衣とか洋装の坊さんの姿を、当時の私は想像すらしない。学校の外にいる担任教師や、合戦をしてないときの大名が何をやってるのか、そのころは考えたこともなかった。当時の自分の思考の狭さを、二十年あまりあとになって恥ずかしく思う。

 こっちから入れるで!とミツカくんが言った。今は私の浅慮の記憶より恋人のミーティングだ。我に返って視線を上げると、門から五メートルほどの塀の途中に、これも柵で塞がれた入口があった。そちらには鍵はかかっておらず、宵闇ににぶく軋んで開き、くくりつけられている白い札が私たちのほうを向く。

 御墓参はこちらよりどうぞ。

 火の後始末に御協力願い〼。

 ずっと無言だった恋人が読み上げる。


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