匂うのは土だ。冷えた土の。
祖父が死んだときだったか、その回忌だったか、墓の燈籠に一晩中蝋燭を灯しつづけなければならない一夜があった。といっても、十二時間燃えつづける、という蝋燭があったから、夜の早い時間に一度行けば事足りる。それで私は一人で墓に行った。祖父が死んだときは小学生だったから、近くとはいえ夜に一人で外出させられたとは考えづらいし、三回忌とかだったか。用水路のせせらぎが聞こえ、田畑からは虫や蛙の声もして、墓は山の木々に囲まれている。あのころはまだゴルフ場ができる前だったから、春の山は暗く冷え、水や木々が強く匂う。墓だというのに街中よりも生命に近い感じがして、夜の墓でも怖くない。蝋燭を替えてしばらく、腰掛石に座って、昼より遠くに見える街の光をぼんやり眺めたのを憶えている。
私たちは一列になって、そう広くもない墓地の中をうろうろする。足元灯があるから怖くはないが、どこに何があるかまでは見通せない。実家の墓は数え切れないほど通ったし、上京してきたときは漱石や芥川の墓にも参った。そのときは遠くて億劫だった太宰と鷗外の寺にも、今のマンションに引っ越してきたときに行った。恋人の実家を訪れたときは墓に手を合わせた。私が知ってる墓はそのくらいだ。せいぜい五、六カ所では墓地のセオリーなんてわからず、というか墓地にセオリーなんてあるのか、ZOOMミーティングに適当な場所がここにあるのかどうか。
こういうとこにはね。うしろからリンの声がする。お墓って水場があるでしょ、ちょっとごめんね、と言いながら少しずつちかづいてくる。振り向くと、狭い通路を、みんなの横をすり抜けて前に進んできている。でお年寄りも多いから、水場には座れるとこがあるはず。
椅子ってこと?
椅子とか、石?岩?とか。テーブルは滅多にないけどね。
おらミツ、おまえの出番やで。
その流れもうええわ。
で水場は、このくらいの規模のお墓なら一カ所だけで、だいたい入口近くにあるんだけど、いま入ってきたとこにはなかった。てことは──。リンは目を細めて辺りを見回す。あっちだ。そう言って本堂のほうを指さした。ひと区画にひとつずつ、背の高い墓碑がある。それが整然と並んでいる端、本堂にいちばん近いところが、言われてみればあるべき墓碑が見えず、暗いなかに沈んでいる。
なんかリン、どうしたの。何かが憑依したとでも思ったのか、ルールーがまた怖じ気づいた声だ。探偵みたい。
ん、と振り返り、たぶんみんな怪訝な顔をしていたのだろう、ああ、と照れたように笑う。わたしさ、ほら、いまつくってるものがお墓モチーフなんだよね。巨大な銅板に、草間彌生みたいな孔を穿ちつづけるリンの姿が、一瞬脳裡に浮かんで消える。
そうそうびっくりしたよもー、とエリカが思い出して噴きだす。いきなりアトリエにクソでか宅配便届いてさ、品名見たら〈墓石〉で、しかもリンちゃんなんか出かけてるし! わけわかんないけど受け取って、で開けるの手伝ったら正面の、誰々家之墓、ってとこに彫ってあんのが〈純潔〉!
やめてよエリ、なんか恥ずかしい! もー、と顔をぱたぱた手で扇ぎながらつづける。the Teens' Tombっていう題でね、あとは全体を彫ってぼろぼろにして血を振りかけてって思ったんだけど、ほんとにこれでいいのかなって迷っちゃって──。そこまで言ってようやく、私たちが呆気にとられてるのに気づいて、あっ血っても塗料だよ、と念を押した。
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