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2021.12.9

 さっき柵が閉まってた門から入って、本堂の手前で脇に逸れると、この墓地までの通路があるようだ。と考えると、庫裡は本堂を挟んで反対側だろうか。それならここでミーティングをしても、庫裡まで聞こえることはないかもしれない。法事をしてないときの寺がどうなっているのか、なんとなく、灯火なり線香なりを絶やさずにおくもののような気がしていたが、閉め切られた窓のなかは、高いところでぼんやり光る非常口の緑を除いて暗く、匂いもない。

 リンの言うとおり、端の区画には、背の低い蛇口がコンクリートから突っ立っている。蛇口の下に排水溝があり、区画全体がそこに向かって傾斜していて、一段が単行本くらいの薄い石段と手摺がつくられている。墓ひとつぶんの区画は蛇口だけ置くには広く、隣との境に、しゃしゃき、と郷里では呼んでいたが、きっと方言だからみんなには伝わらない名前の灌木が植えられていて、通路側の角には腰掛石が、おあつらえむけにふたつある。どうかな、とリンが尋ね、うん、と恋人が進み出てリュックを降ろした。私たちは区画を囲むように立つ。スマホを見るともう、ミーティングまで五分もない。リョウくんそれ、と林原さんが私の手元を指す。光。あ、うん、と言ってライトをつけた。ノートPCやタブレットとかを出して、隣の腰掛石にリュックをばんばん叩いて、きれいに平たく潰れなかったから、クリスタルガイザーと抹茶のメルティキスを取り出す。潰したリュックに一式を乗せて高さを合わせる。起動音、夜の墓にいかにもそぐわないな。ルーズリーフを留めたバインダーを膝に置き、やっぱり石の上に置き、いろいろ試してけっきょく膝に落ち着いた。てきぱき準備を進める間、私たちは何もすることがないが、かといって、そのへんに座ったりぺちゃくちゃおしゃべりをするのも気が引ける。それで小声で囁きあっている。それぞれが経験したZOOMミーティングのこと、the Teens' Tombのこと、メキシコの死者の日のこと。恋人の手元を照らしていると、どの会話にも入りづらく、私たち二人だけ無言だ。

 なんや落ち着かんわ。ミツカくんが音を上げて、口元に手をやる。おれちょっと、これ。暗くてよく見えないが、指を二本伸ばしているのだろう。

 ここで吸うの? リンが咎めるような声を出す。禁煙なんじゃない?

 ええんちゃう、線香の煙はええのに煙草はあかんことあらへんよ。宇野原さんはたまにこういう、根拠がないくせに妙に説得力のあることを言う。

 殉職した刑事の墓参りに煙草はつきものだよね、とルールーが思いつき、林原さんが、それ良い、と食いついた。

 同期? それとも、殉職した人についてた新人かな。

 定年間際の枯れオジが、なんでおまえが先に逝くんだよ、って静かに涙を流すのもあり。

 あー! それいただき。

 なんでBLの話になってんねん。あきれたように言って、尻から箱を、そのなかから携帯灰皿を出して、すこし迷ってから山門のほうへ戻っていった。

 よし、じゃヤスミンにチャットします。恋人がマスクを外した。画面のなかでも恋人が、髪を手櫛で整える。去年の今ごろはまだベリーショートだったのが、一年経った最近では首が寒いと騒ぐこともなくなり、そろそろうなじが隠れそうだ。正面に回り込んで、きれいに顔を照らそうとしたが、眩しそうに眉をひそめて、わ、ちょっと、横からでいいよ、と言う。慌てて元の位置に戻ると、スマホの上端に通知が表示された。ACミランの公式アプリで、週末のウディネーゼ戦に向けての監督のコメントが公開されたらしい。イタリアはいま朝だ。ヤスミンのいるフランクフルトとミラノは、経度が近いからたぶん同じ時刻だろう。ミランの選手たちが午前のトレーニングをはじめ、ヤスミンはじっくり沸かしたお茶とともに机に向かい、そのPCには、はるか東の墓地にいる恋人の顔が映し出される。ハーイ、ヤスミン、と恋人が手を振った。


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