たしかにぼくは、部活指導の記憶──自分の吹くホイッスルの音、耳に響くピストルの感触、生徒の声、トラックの風のにおい──が残った頭で喋っている。文芸誌に掲載されるぼくの発言には、ぼくの勤務の痕跡がずっと残る。刻印されている。されているんだけど、読者にとってはどうでもいいことなんですよ。せいぜい君島健市郎は教師をやりながら書いてた、ということくらいで、今日生徒に反抗的な態度を取られて苛ついた、とか、幅跳びの実演して膝痛い、とかね、そう簡単に切りかえられるもんじゃないですよ、でも、書いてるときのぼくは小説家以外の何かであってはいけない。だからね、もちろん業務の手を抜くことはないから、時間とか体力は取られますよそりゃ。でも、兼業作家として書くことへの思いは、ないです。ぜんぜんない。あったとしても、書き手の就労状況なんて読者には関係ないんだからどうでもいい。
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