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2021.7.11

たった一時間のやりとりも、五年をへだてて思い返すにはあまりに長く、私が彼らとの会話で憶えていることはほとんどない。長く記憶に残るのは言葉ではなく抽象的なイメージだ。あの日の会話を思い出すとき、私たちは、その情報と彼らの性格から、いかにも私たち四人が言っていそうなことを想像するようにして思い出す。こいつさ、こっちきて学位よりさきに嫁さんゲットしたんすよ!という木村の軽薄ぶった口ぶりとか、美人さんなんです、とうなずくティエンの本気なのか冗談なんだかわからない真顔とか。そうやって、人物のイメージから実際のやりとりを抽出するのは、小説の登場人物を描くときとよく似た作業だ。とはいえ、自分が創作する会話であれば好き勝手に書けるのだが、木村もティエンも今どこでどうしてるのか知らないけど実在の人間だ。彼らが言いそうなことはいくらでも思い出せるが、実際にあの日、滝の下と豆腐屋で彼らと話したことはほとんど──ふたつしか憶えていない。ひとつはさっきのティエンの叫びで、もうひとつは木村が言ったことで、それは、いまの私と恋人の生活に、間接的に響いているような、いないような。


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