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その意味

 いつかは鳥取に帰ってくるんだろう、と、親戚に言われたことがある。私は四人きょうだいの末っ子だから、家を継ぐことを期待されていたわけではない。彼らにとって東京は、高等教育を受けたり、社会人としてのキャリアの初期を過ごす場所だ。地元で仕事をするための基礎ができたら──そのころには当然いるはずの〈嫁さん〉もいっしょに──帰郷して両親の近くに住んで、子を育てて親を看取る。気位ばかりの高い旧家だ。私は明治時代に離れた分家の、平成に入ってから生まれた後裔だったが、小学校に入ったころ、ランドセル姿を本家に〈お披露目〉しに連れていかれた記憶もある。家への執着。小説家なんてどこでもできるんだし、と言われればその通りで、私は、いやあまだまだ、故郷に飾れる錦がないんで、とその場を誤魔化した。鳥取に住むことはもうないだろう、と(少なくとも今は)思っているが、その予感は、人は生まれた川に戻ってくるべきだ、と信じている彼らを納得させられる類いのものではない。

 自分の生家に妻子を住まわせて、大きな街で単身赴任をしている男がいた。もとは大企業の東京本社で働いているときに出会い、大阪に異動するのを機に籍を入れ、妊娠した妻を、子供は自分の地元で育てたい、という彼の意向で鳥取の実家に送って、自分はひとり大阪で働いていた。月に二度、彼は地元に帰り、慌ただしく子供の顔を見て大阪に戻る。ゆっくり団欒できるのは盆と正月、それと親戚が死んだときくらいだ。たいへんじゃないですか、と私が訊いたのは、妻子といっしょに大阪に住めばいいじゃないか、という意味だったのが、彼は誇らしげに、まあ大阪は遠いけど、やっぱり家族のこと大事だからよ、と答えたのだった。

 私は単身赴任の経験がなく、遠距離恋愛というのもやったことがない。よんどころない事情によるとはいえ、距離、というきわめて物理的な障害で自分たちの愛を試す彼らを見るたびに、自分にはできないな、と思う。それは、大学入学以来ずっと、住む場所を自分で選んできたからかもしれない。

『大菩薩峠』という小説において、登場人物が誰かに向けた執着は、移動、という行動でしめされる。兄を殺した竜之助を追う兵馬がその代表だ。お銀も、兵馬とは正反対の執着で、姿を消した竜之助を探す旅に出る。流浪の盗賊だった七兵衛は、巡礼の途中で祖父を喪った幼いお松を拾い、彼女の幸福のために東奔西走している。がんりきは七兵衛と組んで盗みをやりつつ、女を引っかけるためにあちこちに出没する。盲目の青年僧弁信は、友人の茂太郎を追って寺を出、江戸や八王子を点々とする。彼らの移動手段はほとんどが徒歩だ。時には船や駕籠に乗るし、七兵衛は一夜で何十里も走る健脚の持ち主と設定されているが、その道のりの遠さは、交通手段が発達した現代とは比べものにならない。

 盗っ人の濡れ衣を着せられて故郷を追われたお君は、彼らとは逆に、甲府の勤番・能登守との恋愛──あくまでも甲府での妾という位置づけだったにせよ──を得ることで移動を止めた。しかし被差別民という出自を暴かれ、妊娠した身体で尼寺に送られることで、彼女の移動は再開した。能登守への愛を思い切れないまま、子供を産んでまもなく、お君はひっそりと死んだ。誰かへの執着のために移動をつづける本作において、愛のために定住しようとしていた彼女は異質で、そのために退場させられてしまったのかもしれない。

 思い返せば、能登守に捨てられて世をはかなむお君に、兵馬はこう約束していた。「そなたの身の上を頼まれたは拙者、殺してよい時はこの兵馬が殺して上げる、それまでは不足ながら万事を拙者にお任せ下さい、(…)それがいやならば、この短刀をお返し申す故、この場で改めて自害をなさい、兵馬が介錯をして上げる、介錯した後にはこの兵馬も、そのままではおられませぬ」

 しかしお君が死んだとき兵馬は、吉原の遊女・東雲に入れあげて復讐という本分を忘れ、金のために殺人まで犯したあげく、東雲は自分をただの客としか思っていなかったと知って、意気消沈して蹌踉とさまよっていた。お濠端では身投げをしようとしていると勘違いされ、酔っぱらいと喧嘩して、疲れて柳の木に寄りかかれば、その木にぶら下がっていた首吊り死体に触ってしまう。ともに死ぬことすら口にしたお君の死は、彼にまで死の匂いを運んできた。ここで兵馬が衝動的に駕籠屋を呼び止め、甲州までという異様な長距離移動をこころみるのは、旧知の住職に今後を相談するという目的があるとはいえ、お君との間に結ばれた執着の磁場から無意識のうちに逃れようとしていたのもしれない。

 竜之助を中心に語り起こされた本作は、四巻までの間に、その軸から離れた場所で厚みを増していった。過剰なほどに饒舌な語り手は、頻繁に登場人物の死生観や恋愛観を語る。「今の竜之助にあっては、女というものの総ては肉である。(…)ただあるものは剣だけです。勝つことか、負けることかのほかに生存の理由がないので、恋というものも、所詮は負けた方が倒れるものである。」彼にとっては辻斬りも、「渇して水を求むるのと同じことで、自己の生存上のやむにやまれぬ衝動に動かされたのだ」という。竜之助をいっしんに愛するお銀も、「この世の人は敵でなければ味方、味方でない者はみんな敵です」と言う。幼なじみのお君を喪った米友はこう慟哭する。「来世というのはいったいどこにあるんだ。ナニ、魂だけが来世へ行く? さあ誰がその魂を見た、その魂が来世とやらへ行って何をしているんだ。(…)見届けてきた人があるなら教えてくれ、後生だから……」延々と拡散していく本作だが、こうやってそれぞれの死生観が対比的に示されることで、『大菩薩峠』というひとつの題のもとでまとまりを保っている。

 そのなかで、まさに菩薩──多くの意味をもつ言葉だが、おおむね悟りに至るための修行段階にある者を指す──である盲目の青年僧・弁信は、誘拐された茂太郎を探してさまよいながら、虚空に向かってこう語りかける。「どうかして、わたしはお前をたずねだして逢いたいと思うけれども、(…)或いは今生この世で逢えないのかも知れません……といってわたしは、それを悲しみは致しませんよ、今生に逢えなければ後生で逢いましょう、ね、茂ちゃん」そして、茂太郎の死をもう受け入れたかのように続ける。「死の来る時だけは、人間の力で知ることができず、制することもできません。(…)この世で病気に殺されたり、災難に殺されたりした者は一人もあるものではございません(…)この世につかわされた運命が、そこで尽きたからそれで死ぬのです……」愛する人を亡くした人にかける慰めとして言い古されたフレーズだが、辻斬りで幕を開けた本作においてはいかにも空虚に響く。

 お松の祖父である名もなき老巡礼は、物語の発端である大菩薩峠にお松を導き、竜之助と出くわして斬られた。お豊は心中で死にぞこね、竜之助と出会い、ひととき心を通じさせた。そしてお君も、放浪の末に能登守の失脚の原因になり、彼の子を産んだ。呆気なく死んでいった人物たちは、たしかに、この小説のなかでそれぞれの役割を果たして退場していった。弁信の言葉は、何よりも小説における登場人物の扱いについての言葉だ。

 この世に生を受けたこと、その意味。いつかは鳥取に帰ってくるんだろう、と私に言った親戚は、そうやって家を、墓を守り継いでいくことが、この家に生まれた者のつとめだ、とも言っていた。それは私のつとめではない、とは思いつつ、真っ向から抗弁できるほどには、私はまだ自分の〈その意味〉をわからずにいる。



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