昼休みにジョン・ル・カレ 2025.12.1~2025.12.29
- 涼 水原

- 2025年12月31日
- 読了時間: 52分
12月1日(月)快晴。昨夜はたぶん十一時ごろに寝、一時半ごろ中途覚醒。そのまま何をどうしても寝られず。こないだの整体で教わった安眠のツボとか、カウンセリングで練習した落ち着くメソッドをいくつか試してみたのだが、効かず。けっきょく六時すぎ、疲れきった感じで意識を失う。起きたのは八時すぎ。ということは四時間半睡眠か。
今年はルピシアのアドベントカレンダーを買っている、のでさっそく十二月一日のやつを開ける。生まれてはじめてのアドベントカレンダー。クリスマスまで、小さな楽しみが毎日ある、というのは良いことだ。
昼のランは十・一七キロ、一時間二分二十八秒。一キロあたり六分八秒、悪くないペースでした。先週来の不調から完全復活、と思いたいところだが、やっぱりときどき胃液が上がってきてオエッとなった。
夕方まで集中して、五時前に出。シェアサイクルに乗って早稲田に向かう。坪内逍遙大賞の授賞式があるのだ。社交の場は先月の某賞のパーティ以来だけど、やっぱり苦手というか、発作の恐怖による緊張がけっこう大きい。イヤしかし、おれが主役でもないパーティに行くのに緊張とは……?
私は早稲田大学の学生だったこともあるし、附属図書館でバイトをしてたこともあり、国際文学館のイベントに登壇したこともある、ということで、恩師や知人に何人も会う。初対面の人ももちろん。前回のパーティと同様、会場に入ってすぐ知人に会えたことでメンタルのモードがパキッと社交に切り替わり、恐怖も緊張もすべて忘れられた。エイヤッで行っちゃえば何ごとも大丈夫なんだよな、と、エイヤッをするたびに実感することを今日も思った。
日記を書きながら数え上げてみると、話したのは三十人弱といったところ。何を話したのか個々のやりとりはあんまり憶えていない、が、楽しかったです。まだ社交の場に復帰して二戦目ということで、あっけなく喉が潰れた。
立食パーティでけっこう肉を食ったのだけど、帰路で無性に腹が減り、セブンでチンするラーメンを買った。帰宅即啜って満腹になり、バスケを一試合。終わったころにはもう午前一時半を過ぎている。昨夜の寝不足に社交の気疲れ、あとそういえば昼に十キロ走った疲労もあり、パタリと寝。長い一日だった。
12月2日(火)曇。巨大図書館にいる夢を見た。八階建てくらいのデカい、しかし開架式なので国会図書館ではない図書館。
二つの建物に分かれていて、片方は総ガラス張りでとても明るい。総ガラス張りというのは図書館としてはあまり良くないのだがそれはさておき、その棟は最上階まで吹き抜けになっている。天井までの高さの超巨大書架がこの図書館の名物で、書架の回りに張りめぐらされた通路を歩いて本を探すのが楽しい。しかし下から分類番号の順に並んでいるので、私がよく行く文学の棚(九百番台)はずっと上のほうにあって、取りに行くのがたいへんなのだ。
もう一つの棟は古い煉瓦造りで、中はちょっと薄暗い。閲覧席がたくさんあって、私はよく、ガラス張りの新館で小説を一冊取ってきて、この旧館の地下一階の閲覧席で読み切って帰る、というのをやっていた。それがパニック障碍でできなくなったのが、このたび数年ぶりに再訪できた……というのが夢のなかの現状で、とにかく、またこの書架の通路を、息を切らしながら昇れるのがうれしい、と高揚していた。
当時のルーティンを確認するようにゆっくりと棚を物色して、一冊選んで旧館のいつもの席で読んだのだけど、何の本だったかは思い出せない。水原涼の本だったかもしれない。
昼ランは今日も十キロ。もう数十回走った、ここを走れば十キロちょい、とわかってるルートを走る。自分が地図上のどの位置を走っているか、常に把握できているので、目を閉じてても、とまでは言いませんが、安心感を持って走れる。ここが私のホームコース、という感じ。しかしやっぱりときどき胃液オエッだったな。それでも、日曜には一キロに一度はオエッしてたのが、今日はまあ三キロおきくらいになっていた。ちょっとずつ良くなってきている。
夕方までもくもくやって、晩めしは冷凍焼き餃子。食いながらバスケを一試合。観終わったあと、もうひと区切り作業して食器を洗って洗濯機を回して歯を磨いて……、と思っていたのだが、果たせず。なんとか歯を磨き、洗濯機のスイッチを入れることはできた。
12月3日(水)曇時々雨。今日は家にある食材を食う日、ということでno money dayとした。スーパーにもコンビニにも寄らず、三十分ほどの散歩。
朝から膝が痛む。ランをはじめてからいちばん痛みが強い、というくらいで、階段を降りる一歩ごとにシクシク痛んだ。それで今日はランなし。しかし、私は体調が悪くなければ(悪くてもちょっとオエッするくらいなら)十キロ以上走るのだけど、そうすると、走ってるのが最低でも一時間、前後の着替えやシャワーに三十分、ラン後の食事に二十分とかかかるので、二時間近くを昼休みに宛てていることになる。今日はランをしなかった、ので、食事の二十分くらいで昼休みが終わった。それで午後もたいへん捗った。
今日読んだ某小説、世評のわりにたいへん良くなかった。小説にはwhat(何を書くか)とhow(どう書くか)という二つの大きな軸がある。そしてアイデンティティポリティクス全盛期の今、いちばん重視されてるのはwho(誰が書くか)で、次がwhatだ。howはほとんど顧慮されない。
マジョリティ男性であり、自分の内側から湧き上がってくる切実な主題というやつを持っていない私は、howの書き手だ、と自認している。そんな私が小説家としてやっていくには、(whoはどうにもならないので)whatを強化するしかないのだが、自分が書いたり読んだりしてて楽しいのはhowだ。小説を書くこと、と、小説を書くことを仕事にすること、はまったく別の行いだ、ということを改めて思わされた。
晩めしは冷凍サバの切り身のテキトウムニエル。食って散歩に出、近所をグルッと一周。膝の痛みが朝より強く、すぐ帰った。患部を温めるため、久しぶりにシャワーではなく熱い湯に浸かった。
12月4 日(木)快晴。今日は一歩も外に出ず。日記を書いていて気づいたのだが、通販とかデリバリーもしなかったので、二日連続のno money dayだった。朝昼夜と買い置きの食材を使って簡単に済ませ、一日集中。夜にバスケを一試合。
12月5日(金)快晴。二日続けてno money dayだったので、冷蔵庫がスッカラカンだった。それで朝はバナナ一本だけ。散歩がてらスーパーに行き、買い込む。
午後一時、二日ぶりにランに出。十三・四二キロ、一時間二十五分四十二秒。気持ち良いランでした。
近々ジョン・ル・カレの『高貴なる殺人』を読んでた時期の日記を、自サイトに公開するつもりでいる。その期間だけで八万字以上、二百数十枚あるのを、まあ百枚前後、三万五千字くらいにおさめたい。ということで編集作業が必要だ。しかしまた原稿がデッドロックに乗り上げつつあり、一日のノルマがぜんぜん終わらない、ので、日記の編集に手をつけられない。少し焦りはじめている。
とはいえ日々の息抜きは必要だ。晩めしに辣子鶏を作り、食いながらバスケを一試合。そのあと十五分ほどウトウトしてから、ムクリと起きて一時間ほど作業。ようやくノルマをやっつける。
そのあと白ワインをちびちび飲みつつ日記を書いて、だいぶ酔いが回った(下戸なので、お猪口一杯分も飲んでない)。もう寝ます。
12月6日(土)曇。朝の散歩はせず、めしも食わずに始業。昼まで集中する。
昼ランは十二・三九キロ、一時間十九分三十三秒。今日は胃液オエッもなく、気持ちの良いランでした。ザッとシャワーを浴びて昼めしを詰め込む。
ウットを飲み、二時ごろに出。シェアサイクルに乗って青山に向かう。今日は青山学院記念館でサンロッカーズ渋谷対レバンガ北海道の試合を観るのだ。
夏には徒歩二十分圏内をウロウロするので精いっぱいだったのが、先月から、文学賞のパーティやサッカー天皇杯の準決勝(国立競技場、FC東京対町田)に行けるようになった。散歩やランをしているとき、私は常に移動し続けている。そのことで発作やその恐怖から気を逸らすことができる。しかしパーティやスポーツ観戦をするときは、出先で一定の時間拘束される。パニック障碍の当事者である私にとって、散歩やランとパーティやスポーツ観戦の間にはけっこう大きな壁があった。それが、ここ三、四ヶ月、急激にメンタルの状態が上向いてきて、もう二度とできないと思っていたことがいくつもできるようになった。
そして今日はバスケ。バスケを現地観戦するのは二〇一四年、当時働いてた札幌のバーの常連さんに誘われて、レバンガ北海道の試合を北海きたえーるに観に行って以来だ。あのころの私は、遠くからシュートして入ったら三点、という知識しかなく、じゃあ近くから入ったら何点なのかも知らなかったな。
青学大ちかくのポートでシェアサイクルを降り、歩きながらウットをもう一錠。まださっき飲んだやつの薬効が出はじめるころで、ここまでくるともうプラセボのために飲んでる感じがする。
体育館に着き、屋外のブースで来場記念のステッカーなんかをもらったりしてるうち、だんだん緊張がゆるんでくる。アリーナに入る。私は二階の立ち見席。一般入場開始直後に来たので、真ん中へんの見やすい場所を確保できた。コートまわりは黄色でペイントエリアは紫、照らし出された中央にサンロッカーズ渋谷のロゴがある、バスケットLIVEで見慣れた空間。はじめて訪れる場所なのに、ここ知ってる!となぞの安心感があった。こないだの国立競技場に比べてこぢんまりとしてるのもちょっと良かったかも。
ティップオフまであと八十分以上あり、エッあと八十分も待ってそこから二時間も試合を観るの……?と不安になりかけた、が、こういうのは夢中になってキャーッと叫んだりしちゃうほうが楽だし楽しいものだ。DJのおねいさんの音楽に合わせて身体を揺らしつつ、アップする選手たちを見ながら、ドワイト・ラモス(推し)だ!とか、狩野富成さん顔ちいさいなあ、とはしゃいでるうちに楽になってきた。キャーッの効能だ。
エルフリーデ・イェリネクについての文章のなかで、不安障碍のために映画館のような暗い密閉空間に入ることができない、という記述を見たことがあり、暗転する演出があるバスケもちょっと怖かった、のだが、今日はその不安を思い出すこともなかった。
私はラモスのタオルとうちわを持って応援した、が、渋谷の選手の良いプレーには思わず声が出るし、拍手もしちゃう。アリーナの上のほうの席で、ペットボトルのルイボスティーをちびちび飲みつつ、どちらのチームでも良いプレーには拍手をして……。こういうのがやりたかったんですよ。
北海道リードの時間が長かったけど、最後のシュートまで勝敗の分からない良い試合でした。三点差で北海道の勝ち。入場から退場まで四時間くらい、何の問題もなかった! これはすさまじく大きな成功体験だ。おれもようやくここまで復活してきたのだ。
ほくほくして帰宅。帰路で買ったハンバーガーを食いながら、さっきの試合をバスケットLIVEで観る。ここにいたんだなあ、となんだか感慨深い。ときどき画面の端、遠くて本人にしか見わけがつかないくらい小さいけど、自分の姿が映っていた。
しかしさすがに、十二キロ走ったしウットも二錠飲んだし、たぶん気疲れもしていたのだろう、ハーフタイムに入ったあたりでウトウトして、ハッと目が覚めると第四クォーターがはじまるところだった。これはもう寝ましょう、と再生を止め、すぐに意識を失った。
12月7日(日)快晴。遅くまでグッスリ寝。昨日あれだけ動いて試合も観に行って、心身ともに消尽していた、が、しっかり回復できていた。何か長い夢を見た気がするし、コンタクトも外さずにいたので、それほど眠りの体験としての満足感はないのですが。食器を洗って洗濯機を二度回し、長い日記を書いた。今日は半休日。
昼すぎにラン。半休日なのでふだんの半分、三十分で五キロ。五キロに達したところで止まり、ちょっとお高いドーナツ屋でいくつか調達、ちかくのカフェで温かいのを買って飲みつつ帰る。
パニックが今よりひどくて、最寄りのコンビニまで行くだけでしんどくなっていたころは、自分がまたこうやって、休日に何キロか走って、ドーナツ屋に並んだりカフェでテイクアウトしながらぷらぷら歩くなんてことができるようになるとは信じられなかった。うれしい。日々自分に絶望して希死念慮に駆られていた、あのとき衝動のままに行動してたら、今こうやって良い時間を過ごすことはできなかったのだ。歩きながら涙ぐんでしまった。
スーパーや松屋に寄ったりもしたので、帰ったのはもう四時ちかくになっていた。ザッとシャワーを浴び、買ったものを食いながらバスケ。昨日の続きを最後まで。配信で観ても良い試合だった。最後まで目が離せず、よそ事を考える暇がなかった、というのもメンタルには良かったんだな。
間髪入れずにもう一試合、すごい試合だったと評判になっていた、見逃し配信の再生時間が三時間四十四分もある(ふつうはだいたい二時間半くらい)十一月三十日の福島対福岡。冒頭から福岡がリードして、第三クォーター終わってもまだ十三点差がついていて、ここからなぜそんな長時間に……?と思っていたら、第四クォーターで一気に福島が詰め寄り、オーバータイム。その後もぜんぜん差が広がらず、ダブル、トリプル、クアドラプル、と延長戦が続き、最後に福岡が力尽きる。福島はベンチ入りメンバー十二人が全員出場してたのに対して、福岡は(コンディション不良とかの理由もあったのだろうけど)十一人中九人しか出てなかった、その差が六十分の最後に出たのだろう。ともあれ、たいへん良い試合でした。
ダラダラお菓子などを食いながら一試合半(オーバータイムだけで二十分もあったのだから実質丸二試合)観た、ので腹がどうにも怠くて重い。ゆっくり歯を磨き、日記を書く。いい週末を過ごせた。あとはちょっと読書して寝る。
12月8日(月)快晴。長姉が佐渡に地酒造りのドキュメンタリーを撮りに行く夢を見た。というか、長姉がそんなことを計画してるんだけどうまくいくだろうか、と父が私に相談してくる夢。私は、ただ地酒造りを撮るだけだと弱いから、きっと不足してるだろう後継者に唯一名乗りを上げた島出身の若者の苦悩とか、逆に、最新技術にまったく頼らず、経験によって研ぎ澄まされた五感だけで完璧な酒を造る職人の姿とか、何かの軸や主人公があったほうがいいんじゃないの、と答えた、ところで目が覚めた。
昨日大量に買ったドーナツで朝食として、三十分ほど歩いてから始業。
もくもくやって、午後一時にランに出。今日は皇居ランの日とした。二度目。家から皇居まで行って一周してくるルートは、ハーフマラソンの距離よりだんぜん短い。私はその距離を走ったことがあるのだから、皇居ランも問題ないはず、と思いつつ、そうはいってもけっこう遠いし、皇居を突っ切ることなんてできないから、途中で発作が起きても耐える以外に何もできない、というのが不安だった。実際、はじめての皇居ランのとき、コースの途中で発作の予兆を感じた。それで二度目を尻込みしていたのだが、週末のバスケ観戦の成功体験を思い出して自分を鼓舞しつつ、エイヤッと皇居へ。
前回は皇居外周の序盤、半蔵門から桜田門に向かうところで、あまりにも遠くまで見通せて、おれあんなところまで走れんの……?と不安になってしまった。しかし今回はその場所も平静に、景色を眺めながらゆったり走ることができました。そのままずんずん走り、日比谷駅の角へ。このへんでは道が低くなっていて、お濠の水もほんの一、二メートルの近さだった。あれだけの量の水に近づけるというのも、家の近くではできないことだ。
そこから北上。行幸通りのひとつ南、いま地図で見ると馬場先門というところの交差点で信号待ち。立ち止まって手足を伸ばしながら周囲を見回す。快晴の青空の下、高層ビルと緑と水に挟まれた空間にいる、と今さら気づき、世界の広さを感じた。世界の広さ、自分が生きていることの実感。昨日の日記で、生きていて良かった、というようなことを書いたから余計にそう感じられているのかも。ランニングハイを越えて、なんかもうリビングハイの状態になっていた。いい瞬間だったなあ。
高揚してそのあとも快調に走れました。シャワーでさっぱりして午後の作業。夕方まで。
シンクに食器が溜まってたので、晩めしの仕度の前に洗う。それから三田誠広の日記を読んだ。三田は一九九八年から、〈創作ノート〉という体裁で、自分のホームページで日記を公開し続けている。もう二十七年間。私は最近数ヶ月のしか読んでないけど、執筆中の作品についてだけでなく、自分の日常とかNFLについての記述が多い。三田は毎日更新しているようだけど、私は二、三週間に一度、まとめて読んでいる。
私は三田作品、中学生のころに授業で『いちご同盟』を読み、大学入学後の濫読期に『僕って何』を読んだきりだった。だから三田の家族構成や家の感じ、趣味や仕事の進めかたをぜんぜん知らずにいた。それが、こうして日記を読んでるうちにだんだん見えてきた。氏の息子はスペイン人と結婚して、今はスペイン在住。で、今年の九月から、孫の一人が来日して三田の家に滞在しながら、病院で研修を受けていたそう。医師なのか看護師なのか、ほかの何かなのかは、私が読んだところからはわからない。十一月二十九日の記述。
孫娘の滞在もあと数日になった。もともと子どものころからよくしゃべる子だったが、三ヵ月の滞在で、すらすらと言葉が出てくるようになった。ただ漢語はわからない。漢字というものを学んでいないから、仕方がない。われわれは小学校から少しずつ漢語を習って日本語の教養を身につけてきた。これには長い年月が必要だ。病院での研修は、他国からの留学生もいるので基本は英語なのだが、わが孫娘は日本語がある程度できるので、医学用語だけ英語で言ってもらえば理解できる。この研修はよい体験になったと思う。考えてみると、ぼくの作家としてのデビュー作は、高校時代に発表した作品は別として、『僕って何』というタイトルの作品で芥川賞をもらったのが出発点だった。子どもが大人になって何ものかになっている。その過程の不安を描いたものだったが、ぼく自身は作家という不安定な仕事をずっと続けてきたので、自分が何ものであるかが、よくわからないままだった。長男がスペインに行き、長女が生まれ、妻と二人でスペインに行って、長距離バスから下りて迎えを待っていると、遠くから孫娘がぼくを見つけて、「じいちゃん」と声をかけてくれた。その時に、ぼくは「僕って何」の答えが見つかったと思った。ぼくは「じいちゃん」なのだ。この三ヵ月、ぼくの一人称は、「じいちゃん」だった。「じいちゃんはね……」と語りだして、思いを伝える。三ヵ月間、ずっとじいちゃんだったのだ。あと数日で、孫娘は帰国する。ぼくも「じいちゃん」を卒業させてもらって、もとの自分に還りたいと思っている。
一九七七年の代表作のタイトルの問いへの答えが、半世紀近く経ったいま見つかった。これはなんか感動しちゃったです。しかし三田文学(というとなんか文芸誌みたいですが、三田誠広の文学、ということです)において重要な瞬間を、原稿料も出ないだろう媒体で書いちゃうんだな。出し惜しみしない潔さを感じた。
晩めしは水煮牛肉にする。はじめて作るのでやや手間取りつつ、たいへん美味しくできました。これは何度も作りたいやつ。食いながらバスケを一試合観。試合後はウトウトして、しかし三十分も経たず、十一時すぎの地震で起きる。私が住んでるあたりのは震度二程度だったらしいが、ずいぶん長く揺れていた。青森の東方沖が震源で、八戸は震度六強。数年前に行ったときに会った人たちの顔を思い浮かべる。
ちょっと情報収集してまたウトウトした、が、おねしょをする夢を見てハッと起きる。三十六歳でおねしょなんて……!とたいへんショックだった、が、何も出ていなかった。午前二時ごろ。念のためにトイレにも行ったけど何も出ず。これで完全に目が冴えてしまった。諦めて作業。二時間ほどやってたらなんだかまた眠くなってきた、のでベッドに入った。
12月9日(火)晴。寝不足なので今日はランなし、一日作業。ここ一ヶ月くらい取っ組んでた仕事がようやく終わる。水原涼としてではない仕事で、意義もあるしやりがいもある、もちろん報酬もあるから手を抜くとかではない、が、やっぱりどうも副業というか、私がいちばんやりたい仕事ではない、という感じ。私がやりたいのは小説を書くことだ。
ともあれ、大きなシノギをやっつけたので、まだ午後も早い時間だったが今日は閉店、ゆっくり読書をして過ごす。
晩めしは今日も水煮牛肉。昨日より辛くなった。食いながらバスケを一試合観、十時すぎにパタリと寝。
12月10日(水)空の広い晴。二日連続で水煮牛肉を食ったことで、〈四川料理は尻で食う〉という格言(近藤大介『進撃の「ガチ中華」』(講談社))を体現する状況になっている。
十時から歯医者で定期検査。夜中に丹念に磨いたおかげか、朝食後はザッとしか磨けなかったのに、わりに汚れは落ちていた。しかしまだ磨き残しがあり、歯茎に炎症もあるそう。しっかり磨きましょうね、と叱られる。
昨日までの疲れが残っていたし、歯医者のあとは休養日とする。昼ランはした。まだ尻に四川料理の名残があるので、あんまり無理せず……、と思っていたのだが、一キロ半ほど走ってコンディションが整い、エイヤッとまた皇居へ。今日も一昨日と同じあたりで、空を見上げて気持ち良くなる。二度続けてここで気持ち良くなっちゃったのはたぶん、皇居前広場に差しかかって空が一挙に広くなるから、なのだろう。右には皇居外苑の向こうに摩天楼が、左にはビルの見えない皇居の緑が。小型機が雲一つない空をゆっくりと横切っていくのを目で追いながら走った。
歯医者とランを除いてずっと、料理をしながらも読書を続ける。晩めしは長谷川あかりレシピのかんたん中華丼。なんだか腹が減っていて、丼二杯もいただきました。
12月11日(木)曇。朝の散歩で図書館に行き、ジョン・ルカレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(宇野利泰訳、ハヤカワ文庫NV)を借りてくる。
一日作業、昼ランは今日も皇居。さすがに二日続けてけっこうな長距離を走ったので疲れる。
夜にバスケを一試合、十二月七日の千葉J対名古屋Dを観。終盤、名古屋がリードして終わりそうなところで千葉が逆転、そのまま一点差で逃げ切る、という展開。あのテクニカルファウルがなければ、あそこで二本外したフリースローを決めてれば、と考えてしまう。数日後に観てる私がそうなのだから、実際にテクニカルを取られた人やフリースローを外した人は寝られなかっただろうな、と思ったけど、プロとしてトップレベルで活躍してる人というのは、そういうのをパッと切り替えられるものなのかもしれない。
12月12日(金)晴。十時から整体。鍼を刺された金曜はどうも仕事の気持ちになりづらく、ノンビリやっていく。昼めしは昨夜の残りで済ませ、ランもせず。
日が翳ってきたころから、『高貴なる殺人』を読んでた時期の日記を公開用に編集するつもりだったのに忙しさにまぎれて先延ばしになっていたもの、を進めていく。十一月十五日までの期間の日記。もう一ヶ月近く経ってしまった。ひとまず最後まで手を入れた、が、まだちょっと長いかも。
晩めしは実家から届いたルー(九月の上旬に届いたものがまだ残ってるのだ)でホワイトシチューを作る。食いながらバスケ、十二月七日の渋谷対北海道を観。Bリーグは土日に同一カードで二連戦するのだが、これは私が観に行った試合の翌日の試合。この日も最大リードが六点という競った内容で、最終盤まで結果の見えない良い試合だったです。たいへんに盛り上がり、また次の観戦のチケットも買ってしまう。十二月二十八日、青山学院記念館の渋谷対大阪。今度は一階のゴール裏の席。
12月13日(土)曇のち晴。先月オープンしたカフェへ。モーニングのトーストがたいへんに美味しい。くたびれたおじさんが脱サラしてはじめた喫茶店、だいたい良くないという先入観があったのだけど、この店は良かった。また来ましょう。
客席で『寒い国から帰ってきたスパイ』を起読。ル・カレ三作目、代表作として言及されることの多い作品だけど、主人公はスマイリーじゃない。同じ英国情報部に所属する、東ドイツに潜入していたリーマス。しかし、東独情報部の幹部であるムントに狙われ、部下を全員殺されてしまう。リーマスはその責任を追及されて解雇され、無職の境遇に陥った。
序盤、管理官がリーマスにこういうことを言う。
「われわれの仕事に温情はゆるされん。もちろん、無理なことはわかっておる。しかし、相手が非情な手段に出れば、こちらの強硬手段もやむをえんことだ。といって、われわれがそれを好むわけではない。だから……だれにしたところでいつもそういった場所に顔をさらしているのは不可能なんだ。ときには、寒いところから帰ってくる必要がある……わかるかね、わしのいうことが?」
P.30
題の〈寒い国〉というのは(原題はThe Spy Who Came in from the Cold)、なんとなく東側の国(ロシアとか)かと思っていたのだが、スパイ稼業、ということなのかもしれない。
本書の主人公はスマイリーではないが、ときどき言及されている。管理官によると、現在は〈十七世紀のドイツ文化研究者で、チェルシーに住んでいる。スロウン・スクエアの裏手にあたるところだ。バイウォーター・ストリートはきみも知っておるだろう?〉(P.34)とのこと。Bywater StreetはSloane Squareから歩いて十分ほどの距離らしい。ホームズのベイカー街221Bみたいに、バイウォーターもファンの聖地になってるんだろうな。
無職になったリーマスは、倉庫の裏手の質素な部屋に住み、最初は工業用粘着剤の製造会社に職を得た。しかし〈一週間出勤しているうちに、腐ったような魚油の匂いが、服から頭髪にまで浸みこんで、屍臭さながらに、かれの鼻からはなれなくなった〉(P.43)。それで〈郊外の住宅地区をまわり歩いて、主婦たちに百科事典を売りこむ仕事にあたった〉(P.43)が、一冊も売れないままに退職。飲んだくれて過ごすようになった。
ほかの場所でも、かれの姿は人目につきだした。ふらふらした足どりで、酒場から出てくる貧相なその姿が……ひとこともしゃべるでなく、友人もなければ、女、犬、連れといえるものはなにもなかった。世間ではかれを、細君から逃げだしてきた男と想像した。物の値段を知らないばかりか、教えられても、おぼえこむようすがない。小銭のいるときは、ポケットの全部をさがした。買い物籠をもって出るのを忘れるとみえて、そのつど、買い物袋を買った。街で出会うだれもが顔をしかめたが、そのだれもが、同情だけは感じていた。それにしても、きたならしさの度がすぎた。週末でも、ひげを剃るわけでなし、ワイシャツはどれも汚れていた。
P.44
スマイリーのヴィジュアルの良くなさの描写もそうだったけど、ル・カレはみすぼらしさを描くのがめちゃ上手い。
けっきょくリーマスは、ベイズウォーター心霊研究図書館という、財団運営の専門図書館で助手の職を得る。同僚の若い女リズとあっちゅう間に恋仲になった、が、わりにすぐに別れを告げる。そして翌週、食料品屋でかけ売りを断られて店主を殴って骨折の重傷を負わせ、逮捕された。何をやってるんや。
帰って別の本を読み、昼すぎにラン。五・六九キロ、三十八分四十秒。書店に寄って何冊か買い込んだ。読む本は家にたくさんあるのに……。
しかし本を持っているので帰りは走れず。最高気温八度の寒さで風もあり、とにかく凍えた。寒さに耐えかね、途中のラーメン屋でセットをかっ込み、たいへんに温まる。命を救われた、くらいの気持ち。
帰宅して風呂を溜め、ゆっくり入る。そのあとバスケを一試合。79/382
12月14日(日)雨のち曇。雨なので朝の散歩もランもせず。午前にバスケを一試合、日中はもくもく本を読み、夜にバスケを二試合。
そのあとちょっとウトウトしたもののすぐ起きて、公開用の日記を自サイトにアップ。十月十五日から十一月十五日の日記なのに、編集に一ヶ月ちかくかかってしまった。
今日は読書もそこそこにバスケを三試合観た。試合後のハイライトを含めると一試合あたり二時間半といったところで、ということは三試合で七時間半。起きてる時間のほぼ半分をバスケに費やしているではないか。79/382
12月15日(月)快晴。朝から気持ちの良い青空。朝九時から、窓ガラスの清掃が入る。大家さんが手配して、経費も負担してくれているもの。ほんとうは外側だけのはずだったのだが、一日の最初の現場ということで契約内容をまだ把握できていなかったおにいさんが、ベランダの窓の内側もきれいにしてくれた。部屋が明るくなりました。
作業中、指示を出しあう声や、ブラインドを閉めた窓に外から触れる音が。ちょっと落ち着かず。
休憩時間に安田隆夫『圧勝の創業経営』(文春新書)を読了。ドン・キホーテ創業者の安田と、北尾吉孝(SBIホールディングス)、似鳥昭雄(ニトリ)、藤田晋(サイバーエージェント)という大企業の創業者たち、そして入山章栄(早稲田大学ビジネススクール教授)との対談集。なかなか興味深かったです。ふだんこういう脂っこい本は読まないもので……。
安田の〈圧勝の美学〉という価値観が興味深かったです。〈自分に流れが来たときはガバッと大勝ちを掴みに行かなければならない〉(太字原文(以下同)、P.106)。これは不運のときの、〈耐え忍び、じっと次の機会を窺う〉(P.107)という〈アナグマ戦法〉とセットで憶えておきたいところ。トップの判断でスピーディに動ける経営とちがって、私がやってる小説というのは、一つのプロダクトを作るのに時間があるから、ガバッをするには日ごろの仕込みがより重要になる、とは思いますが。
あと本書で一番ビックリしたのはここ。
藤田 (…)安田さんはシンガポールに移住されて、日本でお会いする機会が減りましたね。今でも海には潜っていらっしゃるんですか?
安田 シンガポールには潜れるところがないから、パラオやインドネシアまで行って魚を獲っています。ドンキの店の前にあるアクアリウム水槽の熱帯魚は、私が自ら獲ってきたものなんですよ。もちろん、各国管轄当局の許可を得た、合法的なものです。
藤田 でも、輸送にものすごいお金がかかるんじゃないですか。
安田 かかります。ペットショップで熱帯魚を買うのに比べて、何百倍もかかるかもしれません。海外で潜ると、日本では珍しい種類の魚がいっぱい手に入るので、こればかりはやめられませんね。
P.95
あの熱帯魚、社長が自分で獲ったものだったのか!という驚きがありました。趣味のダイビングの経費を会社に出させるためなのかな。
昼休みにジョン・ル・カレ、『寒い国から帰ってきたスパイ』を進読。出所したリーマスは、公園で話しかけてきたアッシュというあやしい男に、通信社の経営者を名乗るサム・キーヴァを紹介される。キーヴァはリーマスに、第三国に渡り、〈国際間のうごきに関連した経験を基礎に、確信のおける事実を提供する〉(P.104)という仕事を持ちかけた。それだけで一万五千ポンド、その後一年間〈つぎの質問〉の権利を保っておくだけでさらに5千ポンド、そして将来のリーマスの〈就職〉にも十分な考慮をするという。
一万五千ポンドは今なら三百万円強だけど、本書が出た一九六三年当時はまだ固定相場制だったから一ポンド=一〇〇八円、ということは一五一二万円ほど。そして日本銀行のHPによると令和六(二〇二四)年の物価は昭和四十(一九六五)年の約二・五倍だそう。つまりリーマスが提示された一万五千ポンドというのは、今の感覚では三七八〇万円くらい、ということになる。どうなんですかね。一度は忠誠を誓った国を裏切り、裏切り者として西側に、用済みになって東側に殺される恐怖を感じながら生きなければならない対価として、高いのか安いのか。しかし無職になって前科のついた人間を買うには相応なのか。
リーマスはそのオファーを受け入れ、キーヴァが無断で作っていたパスポート(偽造ではない、というのが怖い)とチケットでオランダのハーグに渡った。落ちぶれた元スパイが東側の国に懐柔された、というふうにも見えるけど、リーマスはキーヴァとの面会前に情報部時代の上司に細かく報告していたり、明らかに何か魂胆がありそう。誰もが嘘をついているような、登場人物の言動すべてに一枚の膜がかぶせられているようなこの感覚、がスパイ小説の醍醐味なのかもしれない。
午後、今日も皇居ラン。しばらく前を走っていた男女が、Toda Marathon in Saiko 2025の揃いのTシャツを着ていた。家に帰って調べてみると、戸田マラソンin彩湖、というイベントが、今年は十二月十四日(昨日!)に行われたらしい。写真を見た感じ、空が広くて気持ち良さそうだった。こういうの、一度出たらやみつきになって、全国の大会に参加しちゃうようになるんだろう。というか私も、気軽に遠出ができるならとっくに参加しまくってるはずだ。
今回も馬場先門あたりから気持ち良くなる。ランニングハイの快にはサウナのととのいとは別種の気持ち良さがある。それはたぶん、自我を手放すことを旨とするサウナのととのいに対して、ランニングハイは、身体の隅々までコントロールが行き渡っている実感によるものだからだ。そういうことを考えながら走った。
午後は疲れてあまり捗らず。夜にバスケを一試合。116/382
12月16日(火)快晴。どうも体調良くなし。朝の散歩は短距離で、作業もほどほど、昼ランもなし。
ジョン・ル・カレは読んだ。ハーグに着いたリーマスは、東側の情報部員らしいピーターズという男に、自身の経歴を事細かに話す。
そういえば、とふと思い出して本を閉じる。いしいひさいち『コミカル・ミステリー・ツアー』(創元推理文庫)は、古今東西のミステリの名作をパロディしたギャグ漫画が収められた作品なのだが、その二巻『バチアタリ家の犬』を本棚から取り出した。このなかに、『寒い国から帰ってきたスパイ』をもとにした「むさい国から帰ってきたスパイ」というエピソードが収録されている。
スマイリー「2重スパイ作戦なんだ、リーマス。そして君の役どころは、クビになり落ちぶれた元スパイだ。その、アルコール依存症で麻薬中毒の元スパイは、東ドイツ情報部をパニックにおとし入れる情報をかかえて東側に亡命するというわけだ。わかったかね?」
リーマス「も、もう1回言ってくれ。グェ」
(無精髭に乱れた髪、広い額に汗をかきながら、ゼェゼェと荒い息。彼の前には酒瓶が倒れているのが見える)
(リーマスをそのままにして、少し離れた場所で管理官とスマイリーが話し合う)
管理官「ああいう、現在おちぶれている元スパイを使えば、偽装の手間がはぶけるじゃないか。」
(向こうでリーマスがゴホゴホゲホと咳き込んでいる)
スマイリー「あんなやつを更生させて潜入させる方がよほど手間がかかりますよ。」
P.106
どこからどこまでがいしいのパロディなのかはわからない、が、リーマスが二重スパイで、東独情報部を混乱させる情報を東側にもたらそうとしている、というところまでは原作どおりなのではないか。だからリーマスがここでピーターズに話しているのも、〈東ドイツ情報部をパニックにおとし入れる情報〉なのだろう。
この場面で良かったディテール。
リーマスは、ピーターズがテーブルの上の箱から、煙草を一本ぬきとって、火をつけるのをながめていた。かれはふたつの事実に気づいていた。煙草箱をあてがわれていながら、ピーターズはめったに手を出そうとしないこと、いざ口へくわえるとなると、かならず製造会社の刷ってあるほうへ火をつけ、その部分をさきに灰にしてしまうこと。その動作はリーマスを満足させた。ピーターズもまた、かれ自身とおなじように、追われたことのある身であるにちがいなかった。
P.126-127
高度な駆け引きの最中、敵方の同業者に抱く奇妙な連帯感。それはかつてイギリスの秘密情報部員だったル・カレのものだったのかもしれない。しかしたしかに、スパイというのは自分についてのいかなる情報も相手に与えたくはないから、吸い殻を残さないために煙草は極力(一九六〇年代の成人男性であれば、まったく喫煙しない、というのも相手に印象を残してしまうだろうから、最低限しか)吸わないし、好みの銘柄も知られないようにする。言われてみればいかにもスパイらしい、が、これはなかなか思いつきづらいし、わざとらしくなく描写するのが難しい細部だ。
パフォーマンス悪いながら、夕方までたゆまず作業。
晩めしはネットで見つけた、日本橋の中華料理屋リバヨンアタックの料理長・人長良次シェフのレシピでエビチリを作る。たいへん辛い、が、美味しくできました。長谷川あかりレシピのエビチリと、似ているようで違う。手間でいうとやや長谷川のほうが楽だし風味も優しい感じで、人長のほうが本格的というか、四川料理の辛みを味わえる。どちらも良い。
食いながらバスケ、十二月十四日の北海道対富山を観。たいへんに競った試合だった。富山は外国籍選手が一人しかいないという苦しいロスター事情で、それなのに上位の北海道に食いついていっている、という感じ。富山がリードして迎えた終盤、ラストプレーで北海道のドワイト・ラモス(推し)が独走してダンクを叩きこみ、一点差で逆転勝利! これほどにうれしい勝ちかたはない。155/382
12月17日(水)快晴。昨夜のエビチリ、豆板醤が〈小さじ1〉というレシピで、辛いのが好きなら倍量でも、と書いてあったのに、大さじ二も入れてしまった。そのせいでまた〈四川料理は尻で食う〉状態になっている。朝から何度もトイレに立つ。どうも仕事をする気になれず。朝の散歩もスキップして、窓辺の日向でもくもく読書。
昼すぎに出。百均やドラッグストアを回り、寿司屋でテイクアウト。歩いたことで内臓も動いたのか、下痢も軽くなってきている。
帰って寿司を食いながら映画、U-NEXTでヴィム・ヴェンダース監督『都市とモードのビデオノート』を観。山本耀司についてのドキュメンタリー。面白かったです。この手のドキュメンタリーって、わりと対象の“狂気”を強調するものが多い印象だけど、本作はそうではなかったような。それはヴェンダースが、山本への共感のようなものをもって撮ったからかもしれない。
夜にバスケを一試合。昨季終了後に福岡を退団して以降無所属だったジョシュア・スミス(推し)が、今日の夕方、シアトル国際空港から出発した旨をInstagramに投稿していた。その前にはアニメ『ドラゴンボール』の、メディカルマシーン(どんな負傷も短時間で全回復させるカプセル型の治療機械)に入っている孫悟空の画像も投稿していて、これは所属先が決まったことを匂わせているのでは、となった。それで、今からスミスが入りうるチーム──外国籍選手がインジュアリーリストに登録されて枠が空いており、スミスのような大型センターの補強が必要だと思われるチーム──を調べ、コフィ・コーバーンが負傷欠場している広島なのでは、となったのだ。
島根が勝ったのを見届け、パタリと寝。しかし三十分ほどで、喉の渇きで目が覚める。炭酸ジュースを一気飲みした。155/382
12月18日(木)快晴。晴れ続きだ。朝からなんだか熱っぽく、測ってみると三十六・九度、微熱。他に何も、咳や喉の痛み、鼻水とかの症状はなし。大さじ二の豆板醤の後遺症かしら。
散歩をして始業。十一時過ぎ、茶を淹れようと思って立ち上がった、ら、とつぜん右膝が激しく痛む。力を入れることもできないくらいの痛みだった。どこかにぶつけたりした記憶はない(そもそもずっと椅子に座っていた)し、いちおうズボンを脱いで様子を見たけど傷や痣もない。
昼もまだ三十六・九度あったし膝もずっと痛むので、今日もランなし。夕刊を取りに郵便受けまで降りるのがやっとだった。三日連続で走らないのかあ、と思ったが、無理して悪化させたくもないですからね、と自分に言い聞かせる。夕方には平熱に下がっていた。
膝の痛み、ネットで調べてみた範囲では、大腿四頭筋腱付着部炎、いわゆるジャンパー膝というやつのような気がする。運動のしすぎだそう。安静にしてれば治りそう。
晩めしは人長シェフのレシピで青椒肉絲を作る。今日も美味しくできました。食いながらバスケ、十二月十三日の横浜対大阪を観。この試合で大阪のマット・ボンズが怪我をしたのだ。この怪我を受けてスミスにオファーを出した、と考えるとタイミングが合うような気がする、ということで観た。しかし人の怪我のシーンを目当てに試合を観るというの、なんか後ろ暗さがあった。エースを欠いた影響か、大阪は横浜に逆転負けしてしまった。私はBリーグでは横浜がいちばん好きなのでうれしいような、しかしこういう勝ち方はあまり喜べないな。
受傷シーンや試合後の感じでは、それほど大怪我には見えない。とはいえ、マリノスの宮市亮選手が日本代表の試合(二〇二二年七月二十七日の韓国戦)で負傷したとき、誰の助けも借りずにベンチまで歩いて戻ってるし軽傷だろう、と思ってたら、のちに右膝前十字靱帯の断裂だと発表された、ということもある。そのニュースを知った七月三十日の日記。
遅い時間に起きてすぐ、宮市亮が右膝の前十字靱帯を断裂した、というニュース。こないだの試合で、受傷シーンを観たとき、自分の足で歩けてるから大丈夫なんじゃないか、と思ったのだが、膝の前十字靱帯は断裂しても歩くことならできるそう。宮市はドイツ時代に両膝の前十字靱帯を断裂していて、〈ガラスの天才〉のイメージが強かったのが、マリノスで活躍してて代表にも復帰して、ようやく本当の姿が見られる、と思ってた矢先のことだった。
肉体労働であるサッカー選手にとっての膝、頭脳労働である小説家にとっての精神、と考えると、怪我がちなアスリートとパニック障碍の小説家というのはなんか通ずるところがある、と、十年ぶりの代表戦(これもなんとなく、デビューから四年半ぶりにようやく二作目を発表した水原と似てるな)で復活を果たした宮市に自分を重ねて、おれも頑張るぞ、と思っていただけに、けっこうショックだった。
靱帯の断裂は、現在の医療では完全にもとに戻すことはできない、と記事には書かれていて、このまま引退してもおかしくないとこだけど、Instagramでは、もう引退しようと思った、だけど「また、這いあがっていこうと思います」と表明していて、安心する。頑張ってほしい。
なんだか自分を重ねて感極まってますね。宮市さんは、日本代表としてはこれが最後の試合になったけど、宣言のとおり復帰して、怪我から三年経った今季もマリノスで三十数試合に出場、二〇二六─二七シーズンまでの契約延長も発表されていた。まだ三十三歳だし、今後も頑張ってほしい。
推し、というほど熱心な感情ではないにせよ、自分とどこか重ねていて、大活躍したり日本代表に選ばれたりはしなくてもいいから元気で長く現役を続けてほしい選手だ。私にとっては宮市さんと川又堅碁(私と生年月日がいっしょ)の二人。
川又選手が所属するアスルクラロ沼津は入れ替え戦で負けて、J3からJFLに降格することになった。すでに数人、退団や契約延長が発表されているが、川又さんはそのなかにいない。降格したことで退団する選手は多いだろうし、移籍先が見つからずにそのまま引退する人もいるだろう。どうなるかな。
そのあとバスケをもう一試合観。膝が痛くてどうも寝つかれず。155/382
12月19日(金)曇。寝不足。右膝は引き続き痛い、というか悪化している……?
九時半ごろ散歩に出。平地を歩くだけならあまり痛みはないが、少しでも傾斜があると(上りでも下りでも)痛みだす。たまらず整骨院に電話。しかし年の瀬でみなさん身体のメンテナンスをしようとしているのか、今日も明日も空きがない。日曜は定休日だし、ひとまず月曜日まで様子を見て、治らないようなら改めて予約を取る、ということにして電話を切った。
足を組み替えるだけで痛むこともあり、いまいち作業に集中できず。昼、大阪エヴェッサのマット・ボンズのインジュアリーリスト登録が発表された。右足関節捻挫、内果骨棘骨折。靱帯断裂ではなかったけど、内果骨棘骨折というのはあんまり耳慣れないけど、足首の骨らしい。
午後、近所の喫茶店で打ち合わせ。はじめての人なので、お互いの自己紹介も。氏も私と同様(時期は重なってないけど)札幌に住んでいたことがあるということで、なんだか懐かしくなる。札幌つながりで、というわけではないのだろうが、私が上京するときに、ということは十年前の春に北海道新聞に寄稿したエッセイまで調達して読んでくれたそう。なぜか紙面のコピーをくれた。十年ぶりに読んだけど、なかなか良い文章でした。
私が氏と話してる間に、大阪がスミスの加入を発表していた。そのあとはなんだか仕事の気持ちになれず、事務的な作業を片付ける。こういうのはめちゃくちゃ億劫だけど、はじめてしまえばけっこう没頭できるものだ。
晩めしは長谷川あかりレシピで中華丼。最近お通じが乱れ気味ということもあり、優しい味のものを作った。食いながらバスケを一試合。155/382
12月20日(土)曇のち雨、のち快晴。未明に目が覚め、真っ暗ななかを散歩に出。寒かったな。三十分ほど歩いて帰るころにはすっかり朝になっていた。膝は相変わらず痛むが、少しずつ軽減している気がする。
午前の作業は三時間ほど。ほどよく集中できた。雨上がりの正午前に外出。シェアサイクルに乗って早稲田に向かう。大学近くで働いてる友人と会うのだ。大学近くのポートで降りて、友人の案内で行きつけだというカフェへ。彼はランチを、私は(まだ外食に困難があるもので)ケーキセットをいただきつつおしゃべり。近況報告、共通の友人の噂話。
三十分ちょいで店を出、仕事に戻る彼と別れる。さっきとは別のポートのほうが近かったのでそちらに向かう途中、歩道のまんなかに吐瀉物が広がっていた。
私たち歩行者は車道に出て通り過ぎたのだが、一人、幼稚園か小学校低学年っぽい子が母の手を引っ張りながら、「げぼだよママ、げぼ!」とはしゃいでいた。
げぼだめだよ。
ほら、げぼ!
げぼだめ、ばっちいよ、死んじゃうよ!
学生街に来たなあ、となんだかしみじみする。幼児とその母親なのだから、二人とも学生ではないのだろうけど。しかしたしかにあんなに幼い子に、他人の吐瀉物がどんなに不潔なものかを言っても、あんまり伝わらないかもな。触ってみて、ぬるぬるして気持ち悪いからとズボンで拭ったりするかも。
ポートの近くにケンタッキーがあった。うちの近所にはないもので思わずテイクアウト。急いで帰って、まだ温かいうちに腹に詰め込む。
ちょっと昼寝をして、二時から、ジョシュア・スミス(推し)の初戦、大阪対仙台を観。昨季が終わって以降無所属が続いていたスミスは、しかし予想に反して身体が絞れていたような。とはいえさすがに試合勘が落ちていて、合流から間もなくチーム戦術にもフィットしきれず、もしかしたらまだ時差ぼけもしていて、今ひとつキレがなかった。それでも彼らしいインサイドの競り合いが観られてうれしかったな。前半は拮抗していたものの、後半で仙台がグッと前に出る。スミスの大阪デビューは敗戦。こういうこともある。
そのあとは夜中まで読書。アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』(早川書房)を読了。「もうひとりの娘」がたいへんに良かった。著者が生まれる前に幼くして死んだ姉への手紙、という体裁の中篇。ちょっとハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出書房新社)を思い出す。あれもいい本だった。
「若い男」の、〈もし私がそれを書かなければ、物事は完遂しなかった。/体験されただけにとどまった。〉(P.5)というエピグラフや、「もうひとりの娘」の中盤の、〈私が書くのは、あなたが死んだからではない。あなたが死んだのは、私が書くためだ〉(P.80)という一節が印象に残る。自分は書く人間であり書いてきた人間である、という矜恃を感じました。それをことさらに強調する必要はないかもしれないけど。
「もうひとりの娘」のなかには、姉を写した写真が何枚かおさめられている。やっぱりヴィジュアルがあるというのはものすごいことで、それだけでグッと対象の存在感が増す。姉とその両親(著者の両親でもある)が街角に立つ写真を細かく描写して、エルノーはこう続ける。
この写真は一九三七年にル・アーヴルで撮影された。あなたは五歳。あと一年で他界する。
P.131
この一節は素晴らしかったです。エルノー作品、日本語訳されたものはぜんぶ読んでるのだけど、この「もうひとりの娘」がいちばん好きだった。遅すぎた喪の作業、というのは私の問題系でもある。155/382
12月21日(日)雨や曇。朝、近所のカフェでモーニングをいただきつつジョン・ル・カレ。東側に渡ったリーマスがたびたび、専門図書館で働いていたころの恋人リズのことを思っているように、リズもリーマスへの愛情を失っていない。そんな彼女のもとを二人の警察官が訪れる。
ひとりは小柄で、どちらかというと肥っている。眼鏡をかけて、おかしなくらい上質の服を着こんでいる。親切そうな顔つきのうえに、なにかと神経をつかっているこの小男を、リズは理由もなしに、信頼したい気持になった。
P.169
その直感のとおり小男は、愛する人にとつぜん去られたリズに、尋問というには優しい言葉をかける。リーマスの親友を名乗る二人は、何かあれば電話を、と名刺を置いていった。二人が帰ったあとにリズが〈小男〉の名刺を見ると、〈チェルシー、バイウォーター・ストリート九番地、ジョージ・スマイリー〉(P.175)と書いてあった! そこまでの、脇役にしては特権的に念の入った描写から、なんとなくそうなのでは、とは思ってたけど、馴染みの主人公が出てくるとうれしくなりますね。改めて登場時の描写を読み返してみると、〈おかしなくらい上質な服〉というのは、『高貴なる殺人』の〈この男は、服屋のいわゆるカモで、思う存分しぼりとられているにちがいなかった〉(P.35)という描写とつながっているのかもしれない。
午後二時からバスケットLIVEで大阪対仙台を観。今日は第一クォーターこそ大阪が十点差で終えたものの、その後はじわじわ追い上げられるという嫌な展開。拮抗しながら、それでもなんとか大阪が優勢を保てていた、が、最後、二連続でターンオーバーから失点して、ラストプレーで逆転負け。これは悔しい……。ジョシュア・スミス(推し)もフリースローの二得点だけで、まだフィットしていない。
夜、ちょっと外を走る。スローペースで三、四分、たぶん四百メートルくらい。膝の痛み、平地なら気にならない程度だけど、傾斜がつくととたんに強くなる。耐えられないほどではないし、だいぶ回復してきたのだろう。しかしちょっと、十キロとか走るのはまだ無理だな。平日のうちにランに復帰したいところだけど。
寝る前、とつぜん衝動に駆られ、土曜日の渋谷対大阪のチケットを取る。もともと日曜の試合のチケットは持ってたけど、二日連続で大阪の試合を観たことで、何かこう機運が高まったのだ。先日渋谷対北海道を観たときは二階の立ち見席だったけど、今回は一階ゴール裏。ぜんぜん観戦体験が違いそうで楽しみ。しかし私も積極的に外に出られるようになった。うれしいな。207/382
12月22日(月)曇。眠り浅く、あまり回復できていない。というか、一週間くらい走っていないから、ずんずん走ってくたびれて熟睡してしっかり回復してまた走って、のサイクルが崩れてしまい、深く眠れていないような感じ。また走れるようになれば解決するでしょう。体重をかけなければ曲げ伸ばししても痛くない、という程度にまで回復してきた。あとちょっとだ。
午後、オンラインでカウンセリング。良いセッションだった。気分が上向き、三十分ほど散歩。帰ってセッションの内容についてメモを取る。小説に活かせそうなところもちらほら。
晩めしは親子丼を作り、食いながらバスケを一試合。207/382
12月23日(火)曇。まだ足を動かすと痛む、が、痛すぎてできない動き、というのはなくなった。明後日あたりにはランに復帰できるかな。
日本海新聞のコラムのために、関取花『うたってなんだっけ』(リットーミュージック)を読了。十年くらい氏の曲を聴いてきてる者として、たいへん興味深かったです。
関取さんは、好きなヴォーカリストの一人としてダウンタウンの浜田雅功を挙げていた。〈「上手さ」や「巧さ」とはまた別の〉、実家の料理みたいな、〈言葉では説明できない圧倒的な「美味さ」〉(P.23)のある歌声だ、と。これはすごくわかります。突っ込みのときに強めに叩いたり、後輩芸人に身体を張らせる(自分も張るけど)、わりに暴力的な芸風のイメージなのに、歌声にはなぞの優しさがある。私が好きなのは「春はまだか」と「幸せであれ」です。しかしこれは、十歳とかのときに家にCDがあって繰り返し聴いてた刷り込みによるものかもしれないな。
関取さんが、〈肩の力が気持ちよく抜けていて、てらいがなくて、構えずに聴ける、不思議な魅力がありますよね〉(P.24)と前置きして並べているのは、「WOW WAR TONIGHT」と「明日があるさ」と「チキンライス」の三曲。この三曲、ぜんぶ違う名義なんですよね。「WOW WAR TONIGHT」は〈H Jungle with t〉、「明日があるさ」は〈Re: Japan〉、「チキンライス」は〈浜田雅功と槇原敬之〉名義の曲。関取さんがこの三曲に惹かれてるのは、(たとえば関取さんがツアーのリハーサルをしながら、弾き語りよりも〈バンドメンバーのみんながいてくれると心強く、安心して歌うことができます〉(P.61)と書いているように)気心の知れた仲間と協働しているから〈肩の力が気持ちよく抜けていて、てらいがな〉い歌いかたができているのかもしれない。
バスケも三試合。ちょっと観すぎではないか。207/382
12月24日(水)雨。気圧性の頭痛。しかし膝はかなり良くなりました。日常的な動きであれば違和感なし。屈伸運動をするとやや痛むけど、明日には走れるようになっていそう。
日本海新聞のコラム。今回は『うたってなんだっけ』について、前著『どすこいな日々』(晶文社)をパラパラしたりしつつ書く。
二冊を通じて、自分の声が好きだ、と何度も(自分に確認するように)書くあたり、自分の文章が好きで書いてる者としてたいへん共感した。『うたってなんだっけ』のもとになる連載のなか(本書には収録されてない回)で著者は、自分の文章には、自分が喋るリズムや呼吸が反映されている、と書いていた。〈文章も歌なのかもしれない〉と。言葉の調べ、ということを最も重視している書き手として、この箇所には深く頷いたです。
午後七時から、バスケットLIVEで三河対大阪を観。ふだんは気になる試合を開催の順に観ていて、リアルタイムで配信を観ることは滅多にないのだが、ジョシュア・スミス(推し)が加入した大阪の試合は最優先で観るのだ。
序盤はたいへんに良く、ダブルスコアのリードをした時間もあった、のだけど、第一クォーターのうちに逆転されて、その後はひっくり返せないまま敗戦。というか大阪、ここ三試合続けてボールロストが多いですね。
次は今週の土日、青山学院記念館での渋谷戦。私は二試合とも観に行く。勝ってほしいなあ。207/382
12月25日(木)曇。右膝はほぼ完治。深く屈伸したらちょっと違和感がある、という程度。
十二時すぎに散歩がてら外に出、惣菜屋さんでクリスマス限定のやつを買う。近所の区立中学校は今日が終業式だったようで、よいお年を、と手を振り合う子らをたくさん見る。
ちょっと生意気な一人が、学校の前にある自販機で水を買う大人に、せんせー一年間お疲れっした!と言っていた。
おれは明日も仕事なんだよ。
やば、社畜ってやつっすか。
おまえらのテストの採点だよ!
あざーす!
生徒たちはゲラゲラ笑いつつ、最後にはちゃんと「よいお年を」と挨拶して去っていった。残された先生も楽しげにニヤニヤしながら学校に戻っていく。なんだかいいもん見たですね。
帰ってジョン・ル・カレ。リーマスと東独情報部員フィードラーの会話が続く。散歩をしながらの対話のなかでフィードラーは、イギリス人たち(西側の人間)の行動原理について尋ねる。しかしリーマスは、〈「おれたちはマルキシストとはちがうただの人間で、思想なんて、そんなむずかしいものをもっているものか」〉(P.209)と返した。
「では、なにがかれらに、そのような行動をとらしている?」フィードラーは食いさがった。「かれらにも、かれらなりの哲学があるはずだ」
「なぜ、なくてはいけないのだ。おそらくかれらは、そんなことは知っていまい。考えようともしないだろう。人間だれもが哲学をもっているとはかぎらんよ」
リーマスの返事には、やりきれないといったひびきがあった。
「では、きみの思想をきこうか」
「弱ったな」
リーマスはぽつり、いっただけで、あとしばらくは、無言のままで歩きつづけた。しかし、フィードラーはあきらめようとしなかった。
「なにが自分の希望か知らないで、どうして自分の行動が正しいと確信できるんだね?」
リーマスはついに苛立って、
「かれらが行動に確信をもっていると、だれがいった?」
「行動には正当性が必要だ。なにを根拠に、その行動を正しいと信じているか? 昨夜もいったように、われわれにはそれが自明なんだ。東ドイツにおいて、情報部といった機関は、党の活動の必然的延長といえる。部員は平和と社会進歩のための闘争の前衛であり、先駆者なのだ。(…)」
P.209-210
これは面白いやりとりでした。なんとなく、何の哲学も思想も持っていない西側の人間に対して、リーマスもやや反感を抱いているような。スパイというのは、対立する価値観の集団のなかで、その集団の方針とは反する行動を取る職業だ。自らが殉ずる大義や、そのために身を賭すに値する正当性への確信というのが、彼らのよりどころなのかもしれない。
情報源と監視者、という関係を越えて、両者の間にシンパシーの橋が架けられているような感じ。そして、イギリスで自分が(おそらくカモフラージュのために)指名手配されることを知らされていなかったリーマスが本国に対する疑念を抱いてしまったように、フィードラーも、東独への疑心暗鬼に襲われているらしい。大義への確信が揺らいでしまえば、残るのは目の前にいる人間との、言葉を重ねることで醸造される親しみだけだ。しかし、二人の間に交わされる言葉は、すべてスパイの嘘かもしれない。演技を続けざるを得ないものがなしさ。
一時半にランに出。復帰ランだ。NIKEのランアプリの記録を見ると、前回走ったのは十二月十五日、先週の月曜日。丸十日ぶりだ。走りはじめてから一年以上経ったけど、十日も空いたのははじめてのことではないか。
膝の痛みは引いたとはいえまだ万全ではないし、やや頭も痛い。体力が落ちてもいるだろう、ということで五キロ。何度も走ったコースでもあるので、この地点でこのくらいのキツさなら今日のコンディションはこんくらい、みたいなのが感覚的にわかる。そして今日はたいへんにキツかったです。とはいえ、復帰戦はこんなものだ。またちょっとずつ距離を延ばしていけばいい。
夜にバスケを一試合。そのあとちょっと眠くなった、が、ムクリと起きて風呂を溜める。読書をして食器を洗い、日記を書いてたらもう十二時半。寝ましょう。263/382
12月26日(金)快晴。さすがに十日ぶりのランだとダメージが大きく、朝から筋肉痛。ほとんどの会社はたぶん今日が仕事納めで、朝の散歩註、なんとなく街が浮ついてるのを感じる。私も、小説家にそんな概念はないのに、そろそろ納まりたい気持ち。
とはいえ作業。とりあえずの目安としてここまでに、という期日を過ぎているのだ。
今日も昼にラン。今日はまあ八キロくらいのコースかな、と思って走った。しかし二キロくらいでだんだんフィットネスが整ってきたので大回りのルートに向かい、家に着いたら九・一五キロだったのでさらに近所をぐるっと一周。十・二一キロ、一時間五十二秒。十・二一キロ、一時間五十二秒。一キロあたり五分五十八秒で、なんだかハイペースではないか。
昨日より長距離でペースも速かった、が、身体的なキツさは昨日のほうがだんぜん大きかった。十日間の休息のあと、おれはまたランに復帰するんだ、と意を決して走ったことで、走る身体に変わったのかもしれない。生成変化だ。
午後ももくもくやって、夜にバスケを一試合。膝の痛みもよくなって、日常が戻ってきた感じ。263/382
12月27日(土)曇。今日も筋肉痛。しかし運動の筋肉痛は気持ちのよいものだ。
朝のうちにウットを一錠。十時前に出、近所のカフェで読書。この一ヶ月で三度目、店主に顔を憶えられているのを感じる。
午後、ウットを飲んで出。シェアサイクルで青山学院大学へ。今日はBリーグの渋谷対大阪を観るのだ。屋外ブースでこまごまと来場特典を受け取り、入場待機列に並んだ。五十分ほど。ずっと日影でたいへんに凍えた。途中、渋谷のパフォーマーのかたがたが来て、ちょっと話してくれたりも。みなさん快活と愛嬌が人間のかたちをしたものというか、とにかく感じがよかった。みっちり研修受けたんだろうなあ。
無事入場、一時間半ほど選手のアップや試合前の賑やかしを観。今日は両チームともヘッドコーチが体調不良ということで、アシスタントコーチがHC代行をしていた。試合がはじまると、私の席からでは、前の人らの身体でちょっと見づらい。それでも、ジョシュア・スミス(推し)が狩野富成をガンガン押し込むところとかは、ボールを地面に叩きつける音もあいまってたいへんな迫力があった。私はスポーツを現地で観るとき、高い場所から全体を俯瞰するのが好き、だと思ってたけど、バスケ観戦はコートに近ければ近いほど面白いのかもしれない。
序盤は大阪がリードしてたけど、第二クォーターで渋谷が逆転、そのまま逃げ切った。
終わったころには真っ暗だった。私は外食中に何度かパニック発作を起こしたことがあり、何年かイートインでめしを食うことができずにいたのだけど、最近、(ウットを飲んで)スポーツ観戦をしたあとはわりに平静に食えるようになってきた。それで今日も、神宮外苑まで歩き、いちょう並木のシェイクシャックに入る。
食いながらジョン・ル・カレを進読。終盤に入ってきているのを感じる。いくつもの伏線や、並行して動いていたストーリーが、リーマスの前でひとつに束ねられていく。鮮やかだなあ。
一時間弱で本を閉じ、出。国立競技場前でシェアサイクルを借り、また凍えながら帰宅。風邪引きそう。
風呂で身体を温めてから、さっき観たばかりの渋谷対大阪をバスケットLIVEでもう一度。311/382
12月28日(日)快晴。朝、またシェアサイクルで青学大へ。今日も午後の渋谷対大阪を観るのだけど、そのチケットを持ってる人は、九時からのU-18の試合(渋谷対千葉J)も観られるのだ。全員高校生の、プロに比べれば小柄な選手たちなのに、たいへん迫力があったです。面白かった。
試合後、いったん外に出、腹ごしらえをして青山ブックセンターで本を買う。それから青学大に戻り、今日も待機列で一時間。
今日はアウェイ大阪のベンチ裏。昨日は席に着いたあと、ちょっと緊張する瞬間もあった(試合までの一時間半のうち数秒程度だったから、大した問題ではなかった)けど、今日は終始リラックスできていた。
ベンチ裏というのは熱心なファンが座る場所だ。持参のハリセンをバンバン叩きながら声を出す人ばかりで、私も同様に、四十分間ずっとバンバンして叫んでいた。ガラガラのアリーナの上のほうの席で魔法瓶のコーヒーをちびちび飲みながらじっと観る、というのを理想としていた私が……。
目の前に大阪のベンチがあり、デカい人は二百十センチとかある選手たちは座っててもデカく、試合はいまいちよく見えなかった。でも、仲間のプレーに対する選手たちのリアクションやコーチの指示、裏で彼らのサポートをするマネージャーたちの動きなんかがよく見えて、また別の楽しさがありました。序盤は競ってたけど、後半はほとんど一方的な展開で、大阪が二十七点の大差をつけて勝利。
十日前まではさほど推してるわけでもなかった大阪を、今日はチームのTシャツを着てハリセンをバンバンしながら応援している。昨日の試合はスミスが大阪にいなければ観に来なかっただろうし、今日の試合は前からチケットを取ってたけど、彼が大阪に加入したことで、よりベンチに近い席のチケットに変えた。これが推し活のダイナミズム……。
満足して外に出。終わってもまだ四時台で、外は明るい。今日もシェイクシャックでめしを食い、シェアサイクルで凍えながら帰り、風呂で身体を温めて配信で今日の試合を観なおす。ときどき画面端に映りこむ自分の顔を見る。熱中していた、くらいに思っていたのだが、画面越しに観ると私はけっこう真顔でバンバンやっている。我を失うことをまだ躊躇っているのだろう。
試合終了と同時に急激に眠くなる。寝不足に加えてちょっとした運動、二試合現地観戦した疲労、あとウットも飲んだ。そのへんが合わさってすごい眠気になったのだろう。食器とかをキッチンに持っていき、明かりを消したとたんに意識を失った。311/382
12月29日(月)曇。昨日の疲労と満足感が残っていて、ノンビリした朝。午前のうちにバスケを一試合観。
昼すぎ、散歩がてら近所の喫茶店へ。昼食にナポリタンをいただきつつ、ジョン・ル・カレ。ことの真相に衝撃を受ける人物に対して、リーマスが返した言葉が良かった。
「(…)きみはおれたちをなんだと考えている。スパイだぜ。牧師とはちがう。聖徒や殉教者ではないのだ。愚かでいやしい男たちの一群だ。むろんそのうちには売国奴もいる。ゲイ、サディスト、アルコール中毒、その腐った一生に、最後の花を飾らせようとする連中ばかりだ。まさかきみは、かれらがロンドンで、善と悪とを比較する修道僧みたいな仕事をしていると思っているわけでもあるまい。(…)」
P.364
スパイという仕事の、というか生きかたの、まったく美しくない一面を端的に表している。泥臭いハードボイルドだ。
一時間弱で読了。『寒い国から帰ってきたスパイ』、ル・カレの代表作といわれるだけあって、良かったです。
訳者の宇野利泰はあとがきで、本作がル・カレをスパイ小説の大家にさせ、今ではスパイものの古典として長く読まれている、ということを紹介してこう続けている。
なにが故にこの作品が、これほどの評価をかちえたかというと、ストーリーの面白さもさることながら、大戦前のフィリップス・オッペンハイムから戦後のイアン・フレミングの作品につづくスパイ物の系列とはまったく異質の、新しい作風が読者に目をみはらせたからである。具体的にいうと、従来のそれが、超人的な能力の持ち主である主人公が、“手に汗にぎる危機一髪”的な事件で活躍する“神話”であったのに対して、ここでは作者が、われわれ同様血のかよった人間である情報部員の真実の姿を、はじめてシリアスに活写してみせたのだ。
P.379
オッペンハイムは知らなかったけど、たしかにフレミングのジェームズ・ボンドの超人ぶりや、ボンドカーのようなギミックの派手さ(しかし私は原作を読んだことがなく、映画を一、二作観た印象しかない)に比べれば、二つのイデオロギーの間で翻弄される彼らの姿は新鮮に映る。エポックメイキングな作品だったんだな。
午後、編集者とメールでやりとり。水原さんの作風は今のトレンドに合っていない、という話になった。howよりwhatよりwhoが重視される戦場で私がやっていくにはどうすればいいか、生存戦略を練っていかなければ。来年の目標ですね。
夕方にまた短時間散歩して、コーヒーをテイクアウトして帰宅。飲みつつちょっと作業する。今日で仕事納めとしたいところ。382/382
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