2021年8月15日2021.2.15もうずっと忘れていた、それで何の不都合もなかったヴィッつぁんを思い出したとたんに、ヴィッつぁんにまつわる、私がサッカー部に入ってから彼が卒業するまでのほんの三年間にすぎない、それでも数多い記憶が、ヴィッつぁんがついでに拾い上げてきたように──今朝、寝起きの頭でなにか、似たよ...
2021年8月14日2021.2.14ヴィッつぁんのことを、私がそのゴーグルをかけさせてもらえなかったことを、すべて削れば千字におさまりはするのだが、その文章はヴィッつぁんなしには導き出されえなかったもので、ほんとうに前段を──五千字あまりを削っても成り立つものなのか。私はほんとうは、視界とか解像度とか小説のこ...
2021年8月14日2021.2.13書き終える頃にようやく自分が何をいいたかったのかに気づくことがある。それがわかったあとに最初から読みかえす。そして私性の出すぎたところを削り、主題との接続のうすい枝葉を落とす。そういうふうにして仕上げるつもりだったのだが、毎回千文字以内、というコラムの枠に対して、ここまで私...
2021年8月12日2021.2.12私たちは視界のありようを切りかえられるし、実在しない光を見ることもできる。それは小説を書くとき、作品ごとにちがうパーソナリティの語り手を設定し、その視界を、その言葉で描写させるのと似ているような気がする。だから──という接続は強引だろうか、とふと思うが、それをいうならここま...