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2021.2.4
乱暴なかんじでキーパーの、名前を忘れた誰かがつっこむ。きっと彼も、ヴィッつぁんのまとう静謐さを乱すのをためらって、ケースが閉まるのを待っていたのだろう。 サンガ好きだし。 好きだからっておまえ。 エドガーがJリーグに降臨したらサンガ優勝まちがいなし。 そらそうだな。...
2021年8月4日
2021.2.3
合宿の、二部練習の第二部を終え、夕食の前に風呂に入るとき、ヴィッつぁんは、服を全て脱いでからゴーグルを外した。ダーヴィッツのゴーグルは頭の形に合わせてつくられた、フレームをこめかみから耳の上にくいこませて固定するタイプだったが、ヴィッつぁんのは、ゴムベルトを頭に回すタイプだ...
2021年8月3日
2021.2.2
ふだんの部活のときは、遠くの小学校から通っている私が着くころにはウォーミングアップが始まっているのがつねだったし、練習のあとには、つけかえるのが面倒なのか、彼はゴーグルをしたまま、汚れたウェアも着替えずにジャージを羽織って帰った。彼がゴーグルを着脱する姿を見るなんて滅多にな...
2021年8月2日
2021.2.1
まだ京都パープルサンガと名乗っていたころ、京都サンガは年に一試合、私たちの住む街のスタジアムでホームゲームを開いていて、その日はサッカー部総出で──フランスワールドカップの余熱がまだ残っていたころで、たぶん地元のサッカー少年団に無料券が配られたりしていた──観に行った。きっ...
2021年8月1日
2021.1.31
ヴィッつぁんはつねに眼鏡ケースをふたつ持ち歩いていた。ひとつはメガネの三城でもらえる、半透明のグレーのプラスチックで、もうひとつは、紫色のユニフォームをまとったフェニックスの描かれたステンレスのケースだった。
2021年7月31日
2021.1.30
プレー中はいつもゴーグルをつけていたダーヴィッツは、引退後、解説者や指導者として活動するときは、ふつうのサングラスだったり裸眼だったりで、そのぶん誰かの引退試合やチャリティマッチでユニフォームを着るときゴーグルを装着するのが、彼だけの特殊な武装のようでめちゃくちゃ恰好よかっ...
2021年7月30日
2021.1.29
あれは何のときだったのか、ふだんの練習ではないことは確かだし、道具一式を持っておらず、擦り傷の痛みや全身の心地よい疲労を感じてもいなかったから対外試合でもないし、ヴィッつぁんとはべつにどこかに遊びに行くような仲でもなかったし、ということはきっと、家に人を招いて手づくりパスタ...
2021年7月29日
2021.1.28
ヴィッつぁんはチームの不動のボランチで、左サイドバックだった私はよく彼のロングフィードを追いかけてタッチライン沿いを全力疾走したものだし、私が前がかりになって手薄になった左サイドの守備をカバーしてくれるのもヴィッつぁんだった。でも私たちはべつに仲良いわけではなく、私はヴィッ...
2021年7月28日
2021.1.27
ヴィッつぁんはダーヴィッツ同様、守備に走り回り、ときにはファールをしてでも相手を止めることを躊躇わない選手で、彼のタイミングを逃さない──しかし小学校年代ではあまり推奨されない──スライディングタックルに、私たちは何度も救われた。プレースタイルまで本家に似とる、と私たちは、...
2021年7月27日
2021.1.26
とにかく私は、今回も、平野の助言に忠実に、私語りからはじめることにした。いまの日常、本のこと、地元への思い、それなら私の人生のどこを切り取ってもだいたいテーマに合致してるはず、と自分に言い聞かせながら、小学生のころ所属していたサッカー部のことからはじめた。サッカー部の、私の...
2021年7月26日
2021.1.25
延々呻吟しているばかりでは何も書けるはずはなく、私は苦し紛れに、思い出話を書きはじめた。むかしTwitterで、あれは誰だったか、エッセイやコラムを書くときの秘訣、について投稿していた。自分のこと──私生活や記憶について──がテーマでなく、社会批評や書評のたぐいを書くときで...
2021年7月25日
2021.1.24
小説に関してはそうだ。私は小説を書きつづけ、たぶんそれなりに上達してきた。しかし、私は新人賞を受けるまで、小説を書くトレーニングしか積んでこなかった。受賞を知らせる電話で編集者は私に、受賞のことばを書いてください、と言った。しめきりは、短くて申し訳ないのですが五日後くらいで...
2021年7月24日
2021.1.23
私は、小説を高校一年のときに書きはじめた。友人が同人誌を立ちあげることになり、短歌、漫画、映画評、アニメレビュー、詩、ひととおりのジャンルの担当者をそろえたところで、そういや小説がいない、と気づき、仲のよいうちでわりと小説を読んでいた私に白羽の矢を立てたのだった。私はたしか...
2021年7月23日
2021.1.22
いまの、東京で執筆する日常、読んだり書いたりした本のこと、そして地元への思い。そういうことを書くよう求められて、私は第一回に、メアリ・ノリス『カンマの女王』を題材にして、誤字について書いた。 小説家も誤字とかするんですね! 意外! おもしろかったです!...
2021年7月22日
2021.1.21
地元の新聞社がくれた仕事だった。私が育ったのは西日本の、衰退していくいっぽう、という紋切り型が口をついて出そうになる、しかし数年に一度、海水浴場が人気ゲームとコラボしたりスポーツの国際大会で有力チームのキャンプ地になったりして、短い隆盛をくり返しながらゆるやかな下り坂を下り...
2021年7月21日
2021.1.20
しかしそういうことをしていると、それなりに時間をつかうものだ。大学院のとき、よく目をかけてくれていた、仏文学者で文芸批評もやり、小説まで書いてる教授のことをふと思い出す。彼はその数年前、内臓のどこかを悪くし、医者に酒を禁じられた。ゼミ後の飲み会でいつもの店に行っても自分はウ...
2021年7月20日
2021.1.19
何が起きても? 下戸で友達も少なく出不精の私の毎日は判で捺したように同じで、起き、食い、書く、のくりかえしだが、それでも一年あれば変化はあるし、人と会ったり遊ぶこともあるだろう。もともときっちり設計図や創作ノートを用意する習慣はなかったが、いつも以上に、何も準備せずに書こう...
2021年7月19日
2021.1.18
一日、を、一年かけて書く。一日に書くのは一、二枚、筆が乗ればそれ以上書いてもよいが、無理はしない。毎日が終わる前に、その日にあったことと、そこまでに書いてきた一日のことを思い出しながら書く。日記のように。そうやって日々、何が起きても書きつづける、そうすることで、一日のなかに...
2021年7月18日
2021.1.17
考えてみれば小説というのは変なもので、作者が一年間、毎日朝から晩まで丹精凝らして書いた文章を、読者はほんの数時間で読みおおせられる。それはすごく不均衡なことだ。書くことと読むことは、行為の質がまったくちがうのだから、かかる時間が違うのも当然のことではあるのだが、同じ文章を間...
2021年7月17日
2021.1.16
原稿は、すこしずつ軌道に乗ってきている。今週末にコラムの締切、来月には座談会があり、その準備のためにまとまった冊数を読まなければならないから、この中篇にばかりかかりきりにもなれないのだが、その前に文章を勢いよく流れるようにしておけば、またすぐに戻ってこられる。...
2021年7月16日
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