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2021.9.19
中上健次が芥川賞を受賞したとき、記者たちを前に、あんたらはインテリかもしれへんけどもしかしな、この肉体でもって汗水たらして働くんのんがほんまもんの人生なんやあ、と啖呵を切った、というエピソードを、私は宇野原さんから何度も聞かされていて、そのせいで中上を読むと人物が全員宇野原...
2022年3月19日
2021.9.18
予期してたとおりのペースで書き進められることなんて滅多にないから、書きはじめのいま年末ぎりぎりと思ってるということは、実際には二月とか三月にできれば御の字、というところで、つまり私は半年くらい、いまは影も形もなくのっぺりと白いこの作品と取っくみつづける。...
2022年3月18日
2021.9.17
けっきょくいつもの、じゃあひとまずお書きいただいて、完成したら原稿を挟んでお話ししましょう、ということになって打ち合わせは終わった。プロットは苦手で、打ち合わせそのもので何か手がかりを得られた、みたいな実感はない。ないが、編集者にプレゼンするためにアイデアをプロットに落とし...
2022年3月17日
2021.9.16
というのは、打ち合わせを終えてログアウトしたあとで、心に残った言葉を書きうつしてるノートを見返しながら、あのときこう言えばよかった、と思ったことだ。これが対談か何かであれば、ゲラになる前の原稿の段階で、ほんとはそんなこと言ってなかったじゃん、と相手の顰蹙を買いながらも発言を...
2022年3月16日
2021.9.15
けっきょくネタ帳のなかから、モンゴルが舞台の青春小説のアイデアをプロットに仕立てて送った。ZOOMの画面のなかで編集者は、顎に手を当てて、モンゴルですか……と渋い顔をした。 これまでも外国が舞台のものをお書きになってるのは知ってますが、これ、日本じゃいけないんですかね?...
2022年3月15日
2021.9.14
しかしこう、こういうひと夜の思いつきは、夢から覚めて寝ぼけまなこでメモするときは面白いが、一日を過ごした夜に書き起こそうとすればその輝きは消えているし、九日間にわたって書きつづけたあと、別の夢とともに目覚めた朝にはもう色褪せている。というかもう、二日目くらいには、このネタで...
2022年3月14日
プルースト 2022.2.13~2022.3.6
2月13日(日)雨。しばらく体調不良で更新が途絶えていた「明日から今日まで」を、一時間半に一日分ずつ更新していく。べつにいっぺんに全部更新したっていいのだが、どうしても何かしらのリズムを刻みたくなる。 夜になって作業終了、ひと休みしながら何の気なしに〈クロノクロス〉でググる...
2022年3月14日
2021.9.13
あれはこの街だけの局地的な流行だったから、遠くから進学してきた人は、私が何をやってるかもよくわからないかもしれない。北の街の秋のはじまり、日光に熱された地上の空気は、ほんの三、四メートル上昇するだけで風が吹き抜け、ひんやりと涼しい。私は、ブームがいちばん盛り上がっていた秋の...
2022年3月13日
2021.9.12
ほとんどの学生が一年であとにする教養棟に、二年も三年も四年も通いつづけた私たちには、そのすぐ近くにある学食にも、いつもの席、ができていて、彼の場合たしかそれは、メインストリートに面した窓辺だったはずだ。私が跳ね歩きをしてるのを見れば、彼はその窓から跳び出して出迎えてくれるか...
2022年3月12日
2021.9.11
午後の授業がはじまっていて、メインストリートに人影は少なかった。この時間は履修してない人がちらほら、のんびり散歩する大人たち、ゆったりとした時間だ。と思っていたら私とすれ違うように、すごい早さで自転車の金髪が走り抜けていく。留年生だろうか。たしかあのころ、学内での跳ね歩きは...
2022年3月11日
2021.9.10
都合三度の留年の間に同期入学の連中とはほとんど疎遠になり、文芸サークルの仲間はだいたいそれぞれの郷里や東京で働いている。暇な平日の午後をいっしょに過ごす心当たりは数えるほどもおらず、私のメールに唯一返事をくれたのが、あの先輩兼同級生で、彼は何をどうやったのか私の一年あとに卒...
2022年3月10日
2021.9.9
のちに私は小説家としてデビューし、どうにかこうにか大学を卒業して、東京に移って三年過ぎてから、ようやく最初の本が出た。本が出るまで戻りません、と啖呵を切って上京してきた私は意気揚々といそいそと北行きの飛行機に乗り込み、当初の見込みより時間がかかったのでやや背中を丸めて降りた...
2022年3月10日
2021.9.8
ブームといっても地上を一歩ずつ歩く人のほうが多いのだし、歩道の端に跳ね歩き専用レーンを設置するか、逆に跳ね歩き禁止条例を作るか、とまで議会で議論されはじめたころ、東京ではまだ秋のうちに、北の街に初雪が降った。地上が雪で覆われていては跳ね歩きなんてできない。北国の長い冬の間に...
2022年3月10日
2021.9.7
私が住んでいた街は格子状に道が延びていて見通しが良かった。だからか、若い世代を中心に跳ね歩きはどんどん広がっていき、街では跳ね歩きの教室なんかも開かれていた。見通しが良い、とはいえ、五秒ちかく浮遊してる間のことをすべて予測するのは難しい。歩法自体はすぐ修得できても、そういう...
2022年3月10日
優しい伏線
「人は誰しもひとりぼっちなのだ」。死にゆく祖母のまわりで狂乱する医師たちの戯画を描き出し、語り手はこう述懐する。しかしこのとき、彼は、誰を見てそう思ったのだろう。直接的にはたぶん、誰からもほんとうには悲しまれずに死んでゆく祖母だ。医師たちは、刻々と死体に近づいていく自分のこ...
2022年3月10日
2021.9.6
道具がいらないとはいえ二、三階くらいの高さまで跳ぶには技術が必要で、誰でもできることではなかった、が、それでも私のような運動部経験者であれば数日の練習で二階くらいまでは跳べるようになり、やたらと広いキャンパス内は跳ね歩きする人のほうが多いくらいになった。そしてそのごく狭いブ...
2022年3月6日
2021.9.5
私は今住んでいる東京よりだいぶ北、海をへだてたさらに先にある大学に通っていた。あれはもう、と数えてみると十何年も昔のことだ。昨夜見た夢はそのころの記憶だった。大学のまんなかを一キロ以上あるメインストリートがつらぬいていて、その北端に一年生が授業を受ける教養棟があり、私が卒業...
2022年3月5日
2021.9.4
プロットは苦手だ。林原さんは、デビュー以来、プロットの相談をするのが当然だったから、文芸誌の編集者からはじめて依頼がきたとき、おおまかな枚数だけ決めて終わり、という打ち合わせにびっくりした、と言っていた。それでは不安だからとお願いして、いまではほとんどの担当者が、プロットか...
2022年3月4日
2021.9.3
そこで筆を置いて読者を突き放すか、エピローグを書いて軟着陸させるかは作品と私のバランス感覚で決める。そのころにはだいたい百から二百枚ぶんの原稿ができている。編集者から求められた枚数に合わなければ削ったり加筆したりするのが良いのだろうが、だいたいは何食わぬ顔で送りつけ、何か言...
2022年3月3日
2021.9.2
小説を書くときに、私の場合は、どういうものを書くか考えるのがいちばん難儀だ。 エンタメの新人賞出身の林原さんは書く前にプロットをつくって編集者と相談するとどこかに書いていた。ルールーは、BL作家なんてのは妄想する生物だから四六時中ネタを練ってるようなもんだよ、と言っていた。...
2022年3月2日
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