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2021.12.7
恋人がリュックを前に回して抱きしめる。それから私を手招きした。近寄ると小声で、カオルくん先入って、と言う。なんで。なんでってわかりませんか、夜のお墓ですよ。それはわかる、わかりますけれども。矢継ぎ早に交わすうしろでミツカくんがゲゲゲの鬼太郎の歌を口ずさむ。夜は墓場で運動会、...
2022年6月6日
2021.12.6
お墓? まってよミツカくん、まじで入んの? お墓だよ。ルールーが尻込みしたように言う。黒魔術師で、〈デス〉なんて魔法も憶えるキャラに由来した筆名のわりに倫理的だ。彼女をルールーと呼ぶとき、私たちも本人もFF Ⅹのルールーを思い浮かべることはない。逆にいまFF...
2022年6月5日
2021.12.5
擁然寺、と右から書かれた扁額が、お向かいの、同じ形が三軒並んだ玄関灯にぼんやりと照らされている。門の扉は開いていたが、近づいてみると細い柵で塞がれていて、本堂も暗い。住宅街のただ中で、無住寺ということはないだろうが、柵に指を絡めて中を覗いても、庫裡らしい光は見えない。私の菩...
2022年6月4日
2021.12.4
駅のほう行こ! このへんよりはいろいろありそう。 たしかに、と頷きあう。時間までに帰れないのなら、北に戻るより南下したほうが駅は近い。まっすぐ行って大通りを右、とリンがスマホのナビを復唱して先導する。恋人がリュックの紐を握って思い詰めた表情でつづき、ほかのみんなも、何人かは...
2022年6月3日
2021.12.3
テザリングできるようにはしてきたから大丈夫、と思って油断してたんだけど……、よく考えたら道ばたでやるわけにはいかないじゃん!っていま気づいた。うっかりうっかりー、と恋人は軽い口調で言ってみせるが、さすがにそれが演技ということはみんなに伝わった。...
2022年6月2日
2021.12.2
歩道のない、一車線だけの道だ。あたりは一軒家ばかりで、ひとつだけ床屋のポールが立っている。 ミーティング、とエリカが鸚鵡返しに言う。 どしたん二人して。 じつはわたし、外せない仕事があって。恋人はそう言って、なにかに気づいたように道の端に寄る。みんなもつられて地面の線より外...
2022年6月1日
2021.12.1
なんかみんな引っ越してって暇だったけえな、街ブラ。けっこう楽しかったで。 おれらおらんのが寂しゅうてそんなんしてたんか、きみってええやつやね。当時交際していた、神戸出身の人の訛りに染まった言いかたをすると、冗談を言ってると思ったのか、くすぐったそうに短く、うひゃ、と笑った。...
2022年5月31日
2021.11.30
ほれ、おんなじ。煙草を挟んだ指二本が、写真の上に現れて指すのを見て、ようやく何のことかわかる。電柱に打ちつけられた住所表示が、もちろん市名は違うのだが、町名が同じ〈瓦町〉だった。そう気づくと、耳元に、二年前の、思い出してる今からは二十年近く前の、幼い声の会話が、いっきに耳に...
2022年5月30日
2021.11.29
西日本の古い城下町、という点でも、いまの人口規模も、私とエリカの郷里はよく似ている。エリカと知りあうずっと前、高校生活最後の三月に、私は当時の友人たちとその街に行った。今なら岡山か姫路から新幹線に乗り換えるのだが、当時は金もなかったし、尾道や下関なんかに降りながら、ずっと特...
2022年5月29日
2021.11.28
今の東京に古地図を重ねて、位置情報も表示できるアプリを、ちょっと高かったからダウンロードはしなかったが、SNSで話題になっていたときに、東京だけでなく、学部生時代を過ごした北の街や私と恋人それぞれの地元の古地図を区立図書館で借りた。この街に越してきたときも、新居の窓から見え...
2022年5月29日
2021.11.27
わたしは本名だからさ。登場人物の名前は百人とかつけてきたけど、自分が一生名乗る名前を考えるっていう経験を、今さらだけどやってみたいな。 いまデビューしなおすならペンネーム何にする? 笑われるから言わない。ふふ、とマスクの端からえくぼを覗かせる。...
2022年5月27日
2021.11.26
べべ、エリー、ミヤち。ミツカくんにはそうやって、自分しか呼ばないあだ名がいくつかある。ルールーを黒薊という姓から取ってクロと呼ぶのもミツカくんだけだ。でもミツカくんは、林原さんのことは他の人と同じようにユイちゃんだし、私のことは単にリョウと呼び捨てるだけだ。くだけたあだ名じ...
2022年5月26日
2021.11.25
べべはさあ、とミツカくんが大きめの声を出した。ん、とうしろのほうにいたベラさんが応じる。ミツカくんとエリカがスピードを落として、私と林原さんに先頭を譲る。べべってスペニチバイリンガルで育てられたんやろ? スポニチ? スペニチ、スペ語と日本語。...
2022年5月25日
2021.11.24
なんかいつも偉そうでごめんね。 いや全然。ほんとありがたいよ。宇野原さんなんかは、書評はちゃんとしたものを書くから、読める人ではあるはずなのに、酔ってるからか照れなのか、私の作品について、なかなか良かったで、もしくは、ちょいおれ向きやなかったわ、のどちらかしか言わない。...
2022年5月24日
2021.11.23
フランス文学の影響の大きい作品──いちばんキツい書きかたによれば焼きなおしスレスレの作品だった。その反応は想定していたとはいえ、評のほとんどが、句点も改行もない、たまに字体も変わる、オーソドックスからは離れた文体の功罪、みたいなところに集中していて、内容の話をする評は少なか...
2022年5月23日
2021.11.22
でね、ここからがちょっと気になったとこなんだけど……。リョウくん、聞いてた? あっ、いや、できたところより足りなかったところを意識するほうが次良いものを書けるんだよ。 それはそれとして聞けよ!と冗談めかして怒る林原さんの向こうを、佐世保ナンバーの軽自動車が走り抜ける。...
2022年5月22日
2021.11.21
林原さんは、基本的に良いところを褒めるかんじで評してくれてるけど、それはあくまでも、このあとぶつける本質的な批判のまえふりだ──とあまり真に受けて浮かれないように自分に言い聞かせながら相槌を打つ。ええ、はい、いまから社に戻りますので、すみません、と電話に向かって謝りながら、...
2022年5月21日
2021.11.20
私たち四人のうち林原さんだけが、誰かの作品が出ればミツカくんの店でその話を持ち出したり、しばらく会う機会がないときは長文のLINEを送ってくれる。先月の文芸誌に載った私の中篇も、発売されてすぐ、〈句点なしは思い切ったね! ひとすじなわじゃいかなさそう。熟読して、次会ったとき...
2022年5月20日
2021.11.19
二人のこと、わたしなりに心配してるんだからね。恋人のその言葉でリンの話は終わり、九人は、また二、三人ずつで縦になる。二人のこと、というのは、リンとエリカのことか、それともリンとシロタくんのことなのか。昔読んだ青春恋愛短篇漫画は、若い二人が向かいあい、好きだよ、という台詞で終...
2022年5月19日
2021.11.18
リンとエリカは、制作のほかに仕事はしていないはずだ。実家が太くなきゃやってらんねえっすよ、と繁森くんは言っていたが、二人はどうなのだろう。私がしばらく原稿の掲載や出版がなく、一ヶ月の振込が七万円、みたいなことがあっても動じないでいられるのは、多少は貯金があるからだけではなく...
2022年5月18日
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